本作はマダラマゼラン一号様・作 【#ザビケ】SUMMER TIME SERVICE 第一話「猫と恐竜の夏休み」 の最終話となります。
最終話「わたしと私と超進化」
あの夏の雨の日。
『ねえ花森、前から思っていたけれど』
『はい?』
『お前、友達いないでしょう』
『なー!?』
私は私のトモダチと。
『トモダチっていうのは』
ええいむず痒い。
『なりましょうって言ってなるものではないでしょう』
我が家のメイドであるはずの女と。
『だから……私とお前は、とっくに──』
そんな言葉を交わしていた。
超進化。
進化じゃなくて。
超進化。
そんな力を、あなたは知っている?
そもそも私の知る世界に、進化なんてものは存在しなかった。
誰も彼もが生まれた姿そのままで生き、不気味に姿を変えることはない。己が領分、定められた可能性という器の中で生まれ、育ち、そして死んでいく、それが私達の知るデジタルモンスターであり、またデジタルワールドだった。だから私はシスタモンノワールとして、『妹』はシスタモンブランとして生を受け、そこから何十年、あるいは何百年と経とうとその姿は変わらない。
それが私達にとってのアタリマエだった。
そこに疑問を覚えたこともないし、理不尽を感じたこともない。
『私も姉様みたいに強くなりたい』
あどけない顔──今と微塵も変わらないけれど──で告げられた、妹のその言葉を聞くまでは。
私は成熟期、ブランは成長期。それは生まれながらにして決まっていたこと。
両者の間には度し難い差があり、そこを覆すことは如何に足掻いても不可能だった。何故ならデジタルモンスターは一切の変化や変態を行わない生物であり、そして成長期は成熟期に劣る存在なのだから。ただ純粋な戦闘力や種の観点から見て、成長期のシスタモンブランは成熟期のシスタモンノワールに届かない、それだけは決して覆し様のない純然たる事実として存在する。
それなのに、私は。
『……きっとなれるわ』
惨めなぐらい明け透けな嘘を、妹に吐いていた。
嗤いたくば嗤え。派手に嘲ればいいだろう。優しい嘘なんてものじゃ断じて無い。不可能への諦観を押し隠した、ただの誤魔化しで先延ばしで逃避だった。とっくに気付いていたことを、それから逃げ続けていたことを、改めて突き付けられただけのことだ。
私達は知っていた。
世界の誰もが知っていて見て見ぬフリをしていたのだ。
私達は生まれた時からこれ以上強くなることはない。ただ不変のまま恒久の時を生きていく。
成長期や幼年期は成熟期や完全体に貪り食われるだけの弱者であり、弱き者が力を付けて再び現れる可能性すら摘まれていた。いいえ、そんな可能性が存在することさえ私達は把握していない。
そんな世界から。
ロイヤルナイツだとかイグドラシルだとか、そんな高尚な存在はとっくにいなくなっていた。
だって回るのだ。神なんていなくても。
澱み無く生きていけるのだ。私達は、世界は。
弱肉強食と言えば聞こえはいいけれど。
その実もう番狂わせの起こり得ない世界はただシステムのように淡々と流れていくものに過ぎない。
だったら神様なんて要らない。守護者なんて必要無い。
ああ。
見事だわ神様、世界はあなたの助けなんて要らなくなった。
きっとこれが完成形。世界は一切の乱れなく時を重ねていくのみ。
デジタルモンスターという種族は。
デジタルワールドという世界は。
とっくの昔に袋小路に陥って、限界を迎えていたのだ。
「へえ……随分と愉快かつ面白い世界ですね。アイデアとして貰っていいですか」
「アイデア料七割厳守」
「七割!? こんな豪勢な家に住んでおいて、強欲この上な──ひっ!?」
「今のは外した」
「外れてねーよ私のメイド服に風穴空いたわ!!」
デジクロス。そう呼ばれる力がある。
倒した、あるいは志を共にしたデジモンを取り込み、己が力を高める行為。とはいえ、デジタルモンスターが弱肉強食を是とする戦闘種族である以上、大半が戦いの果てに行われる前者であり、ある時より私とブランの『父』となったスカルナイトモンがデッドリーアックスモンと義兄弟関係を結び、その後はほぼ分離することもなく完全に一体化するようになった事例などは稀有な話。
起源は知らない。興味も無い。それでも当代の私達にとって己を高める手段はこれしか無かったのだ。
そしてそれは世界の正しい形ではあった。弱者は強者の糧となるのが常、故にそれは倒したデジモンをロードする行為と何ら変わることは無い。
ダークナイトモンと化した『父』もまた言っていた。
デジクロスとは愛なのだ。
討ち果たした者を、消し去るには惜しい強者を。
己の中に永劫遺す為の愛なのだと。
だけど私にはそんなことどうでも良かった。デジタルモンスターを高める唯一の手段、それがデジクロスならそれを求めるだけの話。かつて私のようになりたいと語った『妹』の為、私は自分達の糧となるべき強者を探し続けた。
その果てに得たものは。
この世界に対する呆れと諦めだけだったのだけど。
そう、私達の『父』の事例が如何にレアケースであったかをやがて私は思い知る。そもそも成熟期の私、成長期のブランが正面から倒せる相手であるのなら、そんな敵を取り込んだところで大した強化にはなり得ない。自分達を高める為には自分達と同等、あるいはそれ以上の強者とのデジクロスが必須となる一方、そもそも既に自分より強い相手を倒し、取り込むことができるのならデジクロスなど最初から不要なのだ。元より倒せる弱者を地道に数多く倒して力を蓄積させると言うのなら、それこそロードと何も変わらない。
スターモンズを倒して手に入れた斧、サイバードラモンを倒して手に入れた巨砲、それらは確かに私達の力となった。
だけどそこまでだ。
何も変わらない。
一切変わらない。
全く変わらないのだ、私達は。
如何に武器を得たところで私達は完全体には及ばない。究極体に出会えば最早逃げる以外ない。私達が生まれた時より与えられた姿から不変なら、それを逆転する可能性など絶無。生まれ落ちた可能性には既に限界が定められており、その領分を侵すことなく生きていくことを余儀無くされる閉塞した世界が今のデジタルワールド。戦いを基本原則としながら、誰もが一度は願う強く在りたいという願いこそが踏み躙られる矛盾を孕むのが、私達の生きる世界だった。
ああ。
だから断言しよう。
デジクロスは何も変えられない。
世界も。
私達自身も。
デジクロスだけでは。
変えることはできない。
「じゃあ歳取らないってことじゃないですか。ずりぃー!」
「……愚図にはわからないでしょうね、成長も変化もない私達の苦しみは、愚図には」
「グズグズ言うな。え、じゃあノアお嬢様とランお嬢様って今おいくつなんですか」
「お前達の時間感覚で言えば数百歳はくだらな──」
「え、つまりギエー!」
「言い終える前に煽るな……」
「言い始める前に蹴るな!!」
そして私達は知る。
人の世界で言えば今より半世紀と少し前。
この世界を訪れた人間の少年がデジモンと出会い、そのデジモンを変質させる様を。
遠い昔に消え失せていた、けれど世界の基本原則であっただろう。
デジタルモンスターの進化という概念を。
それはきっと、私達が世界を捨てる最後の契機だった。
それはきっと、私達の世界を崩壊に導く旨い毒だった。
人と関われば我々は変われるかもしれない。そんな考えの下、既に絶対数が減っていたデジモンの中でも、一部の高い知性を持った者達が人の世へと流れ始める。そうなれば残る野生種は互いに食い合うのみであっという間にデジタルモンスターの総数は更なる激減を迎える、そうなればどうなるかは火を見るよりも明らかであった。まあ既にデジタルワールドを捨てていた私達にとっては最早どうでもいいことだ。
そう、私達の『父』も同様に人間界へと身を移していた。私とブランもそれに従った。
しかし『父』はデジモンの進化を素晴らしいものとしながらも、あの人間が見せた奇跡に関しては反対の立場を取っていた。
曰く、進化というものを間違っている、と。
ダークナイトモンである『父』は、かつての盟友と共にアンデッド族としての誇りがあったらしい。だから人の皮を被り、不死川などという人間名を名乗り始めた『父』は、グレイモンからスカルグレイモン、野生種が心すら捨てた闘争本能のみで動く存在に変貌することは断じて進化ではないと、彼らが自分達と同じアンデッドと類されることは好ましくないと、ノアを名乗る私とランの名を与えたブランによく語って聞かせた。だからアンデッドではない私達に聞かされても困るんだってば。
自らを平和主義者であると『父』は語った。
人の世に出た以上、人の理に従って生きねばならない。
戦いを本分とする我々は変わらねば、この世界で生きる資格はないと言う。
ああ、なんて理想的で人間に都合のいい異世界からの訪問者。惚れ惚れするわお父様。
きっとブランのあの言葉が無ければ私もそれに従っていた。人間と交わることでデジモンが変質し得る可能性を見せられなければ私も平穏に生きていた。
だけど見てしまったのだ、奇跡を。知ってしまったのだ、可能性を。
人の世に『化石』の属性を得て溢れ出てくる数多のアンデッド。
争乱の根を摘み取ろうとする『父』とそれらに進化の可能性を求める私。
私達は一見して人畜無害な貴族の父子。でも水面下で、互いにアンデッド族を求めて相争い始めた。
「あと何分続きます? この話……」
「午後のティータイムが終わるまでよ、精々神妙な顔をして付き合いなさいな花森」
「ったく、仕方ねグエー!」
「メイドが庭先で鼻をほじるな……」
「だってどうせこっから偉大なるジジイの話でしょう。鼻の穴が痒くなるっての」
「なら鼻の穴を一つにしてしまいましょう。そうすれば痒みも半分になるのではなくて?」
「やめろォ!!」
私達は道楽貴族を装いながら人間の世界を巡っていた。大半は『父』の旧知の仲のアンデッド族と旧交を温めることが目的だったが、その中で『化石』として出土する多くのアンデッド族とも出会った。
私は何度か『父』を出し抜いてスカル系のモンスターを我が手に収めようと画策したけれど、その殆どが失敗に終わった。『父』は世界各地で同様に人の皮を被り人間として生きている同胞(アンデッド)と再会し、また地より現れる化石(アンデッド)を己の内に取り込んでいった。力を求める私と化石を探す『父』は家族という体裁こそ取っていたけれど、同時に互いの目的からすれば反目し合う相手でもある。
人の世で生きるには戦いを捨てるべきという『父』の考えには同調するが、私達は今も変わらずデジタルモンスターである以上、強さを求めることもまた捨ててはいけない気がした。そんな強さへの切望は笑顔以外の感情と共に捨て去ったと『父』は殊更に言うけれど、私にはできなかった。それは『妹』のかつての言葉が今も私の心に刻まれているからでもあるが、同時に数十年と小学校低学年の姿で停滞するランの姿を間近で見ているからに他ならない。
そう、人の世で生きれば生きるほど歪みが大きくなる。
変わることのないデジタルモンスターという種族に対する嫌悪感が強くなる。
今まさに、この不出来なメイドは不老不死を羨ましいと言った。
とんでもない!
成長も変化もない私達は永劫このままなのだ。
如何にもな老紳士である『父』はいい。というか、恐らくあの人は必要に応じて被る人の皮を変えるぐらい躊躇いなくしただろう。そして人間で言えば子供と大人の狭間ぐらいの見た目らしい私は、別に屋敷に引きこもって時折『父』の出席する会合に同席する程度で問題ない。
それでも不死川ランは、10歳に満たない少女の姿でしかない『妹』だけはそうはいかない。
だからいつまでも同じ場所にはいられなかった。他の同級生達が成長していく中でまるで変わらないランは異物そのもの。変わることのできないデジタルモンスターは、人間の社会に溶け込むことなどできない。
春川の論文、『父』が魅せられた机上の空論は私も読んだ。
人と人でないものが手を取り合える世界。争いもなく共に暮らせる世界。なんて美しい世界だろう。博物館の最奥に展示された絵画、あれに描かれた理想郷はきっとデジタルワールドをかつて訪れた男だからこそ夢見ることのできた夢幻に他ならない。
でも。
他でもない私達が。
一つ所に留まることさえできない私達が。
そんなことは不可能だと証明してしまっていた。
「最初からそう話してくれたら、わたしもこの子に潰されかけなくて良かったのでは」
「愚図。どことも知れぬ小娘に最初から心を開く馬鹿がどこにいるというの」
「ランお嬢様の方はそうでもなかった気がしますが……それはそうと愚図言うな」
「お前は人に取り入ることだけは上手いようだからね花森」
「褒めてますかそれ」
「勿論。お父様の方は別に目的があったようだけど……」
「え、私の華麗なる人柄が認められて採用になったんじゃ」
「ンなわけねえでしょう愚図」
「また言った!」
故・春川博士の研究は、鳥類とは別の形で恐竜が更なる進化を遂げていたらというものだったらしい。
旧世紀にも提唱され、失笑の的にされたと言われる恐竜人類を春川は再び提唱した。当然のように専門家達からはかつてと変わらず物笑いの種にされ、彼はやがて研究の第一線より退き野に下った。そこに如何なる思いがあったにせよ、定説から外れた奇論が受け入れられることは無かったのだ。
ただ、それに魅せられたのが『父』だった。不死川奏の皮を被った、ダークナイトモンだった。
半世紀以上前にデジタルワールドで一度だけ目撃された進化なる現象、恐竜が人型の別の生物に変化し得るという可能性にこそ『父』は感銘を受けたらしい。
だが同時に『父』は嫌悪感も示した。この百年間、デジタルモンスターに一度だけ起きた進化がグレイモンからスカルグレイモン、恐竜からアンデッドへの進化だったことに。新たな姿への変質が知性や技術を得るものではなく、肉体どころか心をも捨て去るものだった事実は、自ら高等な知性を有すると自負する『父』の精神を少なからず苛んでいたらしい。
進化というものを間違っている。だからいつしか、それが『父』の口癖になっていた。
そして世界を巡る中、私達は春川博士の地元であるこの寒村にも霊脈──人間の表現だ。私達に言わせればデジタルゲートである──の残滓が存在することを突き止め、例によって道楽貴族と二人の娘の顔をして数ヶ月前にここを訪れた。
当面の拠点として改装せんとした山の中腹の廃墟。そこに密かに巣食っていたスカルサタモンなるアンデッド──地元民より幽霊が出ると恐れられたのはそれが原因だったらしい──は『父』によって難なく打ち倒されたが、そのことで『父』も私達も改めて確信したのだ。
半世紀前、グレイモンをスカルグレイモンへと進化させた人間は春川博士で。
彼の根幹にはデジタルモンスターと過ごした或る夏のひとときが確かにあり。
そしてデジモンは人間と関わることで、今また進化することができるのだと。
だから『父』はアルバイト募集の張り紙を出した。元々は春川博士の直系の子孫を呼び立てるつもりだったらしいが、子も孫も既に職を持っており招集には失敗した。未だ人の世のルールを完璧に遵守できているとは言い難い『父』だったが、この時ばかりは落胆していた。
しかし何の因果か、バイト募集のチラシを見て屋敷にやってきたのが。
春川博士に教えを受けたとされる、この不出来なメイドだった。
「てっきりカナデ様は私の美貌と知識にメロメロになったものとばかり……」
「お前のその自信はどこから来るの……? というか、そんな風に思っている相手の片腕ブッタ斬ったのはどうなの……?」
「思ったよか強かったですよね、この子。流石はジジイのトモダチだけある」
「なんで他人事なのよ。お前がグレイモンをブラックウォーグレイモンに進化させた時、私は──」
「?」
「──何でもない、忘れなさい」
そう、だから最初は認められなかった。
ただの生意気な小娘でしかなかったのだ。ランに取り入るのは上手かったようだけど、それ以上でも以下でもない。ただ春川博士の孫と旧知の仲だったというだけの話、夕食の場で『父』の与太話を聞き、折に触れて返す話にも断じて特異性など無く、専門的な知識を持たないだろう一般の女に過ぎなかった。少なくとも私はそう思った。
だけど、違ったのだ。
私が偶然見つけたグレイモン、春川博士のパートナーだと直感したそれをこの女は知っていた。
みっともなく恐怖に怯えながらも、スカルグレイモンと化すそれから私を庇おうとまでした。
そして何よりも。
グレイモン、スカルグレイモンの方が間違いなくこの女を求めて動いているように見えた。
春川博士のパートナー、グレイモン。それが血縁上の繋がりも無い花森千里を求めて動き、それを小突き回した私にはグラウンド・ゼロを撃ち込んできたとなれば、私の中でも答えは出ていた。少なくとも『父』にこの女を渡してはいけないということだけは直感で理解した。
とはいえ、それらは全て杞憂だった。
不覚にも私が負傷した隙に『父』はスカルグレイモンを回収し、更には花森までも自分側に取り込もうと博物館に連れ出したのだけど、そこで誤算が生じた。
不死川奏としての『父』が、どこまでも平和を尊ぶ老紳士の顔で見せたもの。
スーパーダークナイトモン。それは幽霊屋敷に潜んでいたスカルサタモン、そして他ならぬ春川博士、花森が言うところのクソジジイ──なんて失礼な女なの、アイツ──のトモダチであるスカルグレイモンとデジクロスした『父』の本当の姿。
その右腕を覆う白骨の竜、既に見知った頭部を目の当たりにすることで花森が如何なる感情を抱くのか、争いも諍いも起こさぬよう笑顔以外の全てを捨て去ってしまっていた『父』は気付かなかった。知識や精神性を引き継いでいれば血縁上の繋がりなど関係ないと言ったのは『父』自身なのに、その『父』こそが花森の心に火を点けたのだと気付けなかった。
だからデジヴァイスを探し当て、再び不死川奏と対峙した。
春川博士が自らの生命と共に遺したグレイモンのデータ、それを具現化させたばかりかスカルグレイモンへと躊躇わず進化させ、そして更にその先、もうこの目で見ることは叶わないと信じていた究極体をもその場に顕現させたのだ。
ブラックウォーグレイモン。平和と真逆の混沌の道を正義と共に進む黒き勇者。
そこに在ったのは、ただ理不尽を捨て置けぬと立ち上がった勇者だった。
ちょっとだけカッコいい、愚図なメイドの背。
そうね。
私のトモダチにしてやってもいい、頼もしい女の姿。
だからそのトモダチが起こした奇跡を、私は単に進化となんて呼びたくなくて。
超進化。
そう呼ぶことにしたのだ。
「そういえば花森」
「何でしょうか」
「約束のブツはまだなの」
「いや持っては来てるんですけど、ちょっと心の踏ん切りが……グエー! ギエー!」
「はい踏ん切り」
「踏ん切りって足踏んで前髪を手刀で切ることじゃねえよ!!」
「いいから貸しなさい。……花森、やっぱりお前友達いないでしょう」
「な、なんで!?」
「トモダチはトモダチに遠慮なんてしないものよ」
あの雨の日に約束した通り。
トモダチの描いた、私と妹を主人公にした漫画を捲る。
そんな或る夏の日の出来事。
「姉様」
「姉様」
「起きてください、姉様」
「ふぁ……」
欠伸を一つ。
「もう! いつまで居眠りするんですか姉様!」
よく似合うエプロンを纏った妹が受付の向こうから膨れっ面。
随分と懐かしい夢を見ていたみたい。膝に置いた古びた漫画が空調に煽られて揺れていた。
「……別に構わないでしょう、どうせ──」
「来たぞシスバア~!」
大声と共に10歳ぐらいの少年が駆けてくる。
薄手のTシャツと短パン、如何にも田舎のガキ大将といった風体で頬にはまた擦り傷を増やしている。時計を見ればちょうど博物館の開演時間、長年働いておいてあれだが、こうも土日の度に来るほど面白みがあるのか私にはまるでわからない。
「女を捕まえて寝惚けたことを言うのはこの口かしら、ハル」
「いたたたたた! 離せ!」
受付のカウンター越しに手を伸ばして彼の頬を思い切り抓る。
日焼けしているが年少特有の瑞々しい肌は面白いぐらい引っ張れてしまう。
「殺す気かよババア! この馬鹿力!」
「お褒めに与りどうも。……今日は珍しく一人?」
「ああ、今日はタエもヤスも来れなくてな」
活発で喧しい。こんな性格なのに博物館見学が趣味とは変わっている。
「なあシスバア、どうせ暇だろ? 久々にシスバアの解説が聞きてえんだけど」
「そうね、ならまずはババア呼びをやめなさい」
「いやだって、いくつになったよシスバア」
「黙りなさい。女は年齢を聞かれなければ永遠に17歳なのよ」
「だから聞いてるだろ!」
俺の親父が来てた頃からシスバアだったろシスバア。そんなどこかで聞いたような台詞をぼやくハル。
そりゃ私もノアも変わらない。悲しいけど人の世に出たデジタルモンスターってそういうものだ。人間が何代移り変わっても私達はそのまま生きている。お父様は百年ぐらい前、生き別れた『兄』と再会してすっかり化石発掘の分野から手を引いてしまったようだし、一方で私とランはずっと同じ町に留まり続けている。他のアンデッドも最近は殆ど話を聞かない。もう私達は何も変わらないまま、けれど自然と人間社会の中に溶け込んで生きている。
ただ。
変わったものだってあるのよ。
「行ってきたらどうですか姉様。受付は私が代わります」
「そうね……たまにはいいかしら」
膝上の漫画を閉じる。何百年も前の在り来たりな少年漫画、黒の姉と白の妹が恐竜と共に旅をする話。
「早くしろよシスバア~!」
「次シスバア言ったら首だけにするわよ」
壁にストラップで提げていたデジヴァイスを手に取った。
スイッチを押すとポゥと画面に浮かび上がる小さな竜人は、久々の仕事に張り切っているらしい。
「じゃあ行ってくるぜシス姉~!」
「ふふ、行ってらっしゃいませ、ハル君」
昔の私よりずっと背の高くなったランが微笑む。
「……なんで私がシスバアなのにランはシス姉なわけ」
「細かいこと気にすっとハゲるぞ」
「ハゲは別に悪いことではないでしょう」
言いながらハルを伴って歩いて行く。
まるで代わり映えのしない、けれど不思議と飽きない世界が私達を待っている。
「じゃあハル、本当の進化って奴を見せてあげるわ」
入場ゲートを通る時の決め台詞。
「始まったよ、いつものが……」
無礼なガキだこと。そう言いながら微笑ましい気分だってあるのよ。
そこに正しいも間違いもなく、誰かが夢見た空想(モノ)と見つけた現実(モノ)が等しく混在したその場所。恐竜はとうにいなくて人間と共存することなんて有り得なくて、だけどそれを願って描いた人間の思いだってここには眠っている。私のトモダチも遠い昔、きっと同じようにこの場所で先人達の思いに触れたのだから。
ミンミンと外から鳴り響く蝉の声だけがBGM。
「それじゃあ──シスタモン・ノワール(覚醒)、参る」
「覚醒って何だよ……」
喧しい。何百年も昔、トモダチと一緒にいて変われた自慢の姿よ、これ。
でもごめんなさいねハル。今日だけは黒のローブを着ないで行かせてもらうわ。
だって、ちょっと、暑すぎるじゃないか。
SUMMER TIME SERVICE
最終話「わたしと私と超進化」
終わり
掘り返された地面の中で眠る友に、俺は静かに語りかける。
「……久し振りだな」
あれから半世紀の時が過ぎている。
デジヴァイスの導きと共に俺はこの場所を訪れ、そして懐かしい友の姿を見た。
グレイモン。
俺の大切な友人。
その姿はもうあの時、スカルサタモンごと上の屋敷を廃墟に変貌せしめたスカルグレイモンではなかった。勇猛なる恐竜、それこそ俺が共に生きたいと願う大切な友人の姿だった。太陽に照り映える燃えるような体色は見間違えようもない。
俺はとっくにジイさんになってしまったのに。
そこで眠り続けるお前はそのままだった。
「多くのことがあったよ、多くのことが……」
地面に胡座を掻いて語る。
スカルグレイモンとなったお前を拒絶したことに後悔だけがある。俺がお前を受け入れなくてどうするのだと過去に戻れたならあの時の俺を叱ってやりたいぐらいだ。
それでも。
もしあの日に戻ったとしても。
俺はきっと、今と同じこの道を選ぶんだろう。
「俺達が共に生きられる世界……か」
嗤われた。それはもう嗤われた。
恐竜は絶滅している。恐竜の先の進化などない。恐竜が人と共に生きる世界なんて有り得ない。そんな当たり前の正論を数多ぶつけられ、俺は学会を去った。
別に賞賛の声が欲しかったわけではない。
俺はただ、かつて見たお前の姿に魅せられたんだ。
グレイモン。人でなくとも確かに俺と理解し合えたお前という存在を。
人類は人類以外とも相互理解を果たし、共存することができるのだという可能性を。
それら全てを誰かと、世界中の人々と分かち合いたかっただけだ。
「……博物館を作った」
あの無人の屋敷から少し離れた山道の途中。かつてお前と共に屋敷を目指した山の中腹。
そこで今、俺は故郷のガキどもの為に考古学を教えている。無論、そう大層なものではなく簡単な地球の歴史や化石とは何たるか程度の内容だが、そこには恐らく図鑑やインターネットで得られる定説以上のものがあるという自負はあった。
そうだ。
如何に否定されようと、持論を捨てることなど俺にはできなかった。常識と理屈に従って定説だけを伝えることが、果たして考古学者として本当に正しい姿なのか。それが立派な学者だというのなら、俺は恐らく夢想家(ガキ)のままだ。
「子が……いや、孫が生まれた」
大人しい坊主だ。俺にはまるで似ていない、恐らく息子か、もしくは義理の娘の血だろう。
ただ、そんな孫がよく連んでいる同級生、花森の屋敷の娘はなかなかの曲者だと思う。今の時代では珍しいわんぱくさとガキ大将気質、そして恐らくは己がこんな田舎に収まる器ではないと漠然と感じているだろう様はまるで半世紀前の鏡を見ているようだった。
似ていると思った。あの小娘はお前と出会う前の俺にそっくりなんだ、グレイモン。
だから余計なことを言ってしまった。某コンピューターゲームでただ姿が変わることを進化と呼んでいるあのガキどもに俺自身の昔の姿を重ねて、それを知らないままでは何故かとてつもない過ちを犯してしまうような気がして。
「進化というものを間違っとる」
そう言った。お前を進化させてしまった自戒を込めて。
「本当の進化というものを見せてやる」
そうも言ったはずだ。俺自身はお前の本当の進化など見られなかったのに。
そんな年寄りの話を、ガキどもが真面目に聞いているわけもない。それでも俺は伝えなければならないと思ったんだ。親は子に、子は孫に未来を託していくと言うが、それならば俺の経験と大切な友がいた事実は必ず俺がいなくなった後の世にも遺していかなければならないと。
俺の講義の最中、鼻をほじるし口笛を吹いている。
本当に生意気な小娘だ。
そして、だからこそ。
「……きっとお前とも、仲良くなれると思う」
デジヴァイスを握り締めてそう伝えると。
俺は眠り続ける友を再び埋め立てた。
「また来るよ、グレイモン」
~Fin~
【後書き】
最終話までお付き合い頂きありがとうございます。夏P(ナッピー)です。
マダラマゼランさん作のSUMMER TIME SERVICE、何とか最終話まで書き上げさせて頂きました。元々第1話を拝読した時点で、スレた女とスレたお嬢様(シスタモンノワール)のゆりんゆりんな話が書けるぜと思い立ち、リコリス・リコイル……というかスタンドバイミー的な花森が乙女キック噛ましたら返しにお嬢から全力のキック尻に噛まされる(吹っ飛んで☆になる花森)みたいなのを想定して2話から書き始めました。ただ作者の構想より花森が大分暴走したというか「お前なに勝手なこと言ってんのオオオオオ!?」な事態が頻発し、あれよあれよという間に4話辺りまで書いてしまいました。
最終話は完全にお父様の正体をダークナイトモン(もっと言えばクロスウォーズデジモン)に選択したことについての理論構築として書かせて頂きました。覚醒してもレベルが変わらないシスタモン姉妹との兼ね合いでもありますが。
ラストシーンでシスタモン姉妹(覚醒)を出すのは決めておりましたが、普通に花森と談笑する感じで登場させる予定でした。そもそも5話が「トモダチになってくれませんか」で終わるはずだったのにブラックウォーグレイモン登場まで引っ張ってしまったので、アカンこれ最終話にブラックウォーグレイモンの出番が無くなるという観点からああなりました。数百年後辺りの博物館の受付:ノアお嬢様、掃除のお姉さん:ランお嬢様、音声ガイド:ブラックウォーグレイモンみたいな感じですね。
マダラさんのイメージだとユウマ君がきっと重要キャラだったと思うのですが、丈先輩宜しく勝手に画面外で彼女作らせて退場という荒業で飽く迄も主題は花森クンとノアお嬢様に絞らせて頂きました。
ジジイの部屋に1話で口汚い台詞吐きながら乱入する描写が無ければ、多分(自分の中で)花森千里というキャラは掴めなかったと思いますので、あそこ入れて頂いたことに大変感謝を。今1話読み返したらいや待て全然常識人じゃないかと戦慄したりもしましたが。
それでは改めましてではございますが、第1話執筆頂いたマダラマゼラン1号様、企画を設定頂いたへりこにあん様、誠にありがとうございました。
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