本作はマダラマゼラン一号様・作 【#ザビケ】SUMMER TIME SERVICE 第一話「猫と恐竜の夏休み」 の第四話となります。
第四話「アンデッドと恐竜人間とトモダチ」
アンデッド型。そうした分類がある。
かくいう私も一応はそうした種族に類する存在だが、その名義は多岐に及び過ぎると言ってもいい。何故なら恐竜型や獣型といった他のカテゴライズと異なり、アンデッド型という区分はそれそのものの形や種類を示さない。一口に不死者、もしくは生ける屍と言ったところで、その存在はまさに千差万別であるのだから。
故にアンデッド型、それを示すのは即ちそれの在り様である。
そうした意味でアンデッド型という呼称は、種族というよりもむしろワクチンデータウィルスといった我が世界の根幹に位置する属性の区分に近しい。様々な意味で死を超越した者こそをアンデッドと呼称し、そして同時にそれは平穏無事な世界にとって大概の場合、悪として認識された。
故に我らの大半は闇の住人ナイトメアソルジャーズであり、ナイトメアソルジャーズは結局、世界が閉ざされるその時まで日陰者であった。
そうしてデジタルモンスターの一部が人間界に落ち延びることになる。奇しくもデジタルワールドの崩壊から生き延びた同胞達は、人間に近しい形を持ち更には死を超越した者、即ち私を含めてアンデッド型が殆どだった。我が娘二人はアンデッド型ではないが、人間に極めて近い容姿こそが功を奏したのだろうか。
とはいえ、誤算が生じた。正確にはそこで初めて誤算に気付いたと言うべきか。
マミーモン、ヴァンデモン、マタドゥルモン。人の世を巡る中で再び巡り会った同胞達は皆人間に近しい、あるいは人間に擬態することを可能とするアンデッドであった。戦闘力は最早必要としない人間界において、その高い知性を以て人として生きていくことのできる者。
だからこそ私は気付かなかった。失念していた。
アンデッド型とは、そうした同胞だけを指す種族ではないと。
スカルマンモン、スカルバルキモン、そしてスカルグレイモン。
彼らもまた分類上ではアンデッド型であり、同時に彼らには断じて知性など有り得ない。
人間達が化石と呼ぶ地面より出土する絶滅生物の骨。それと同様の属性を与えられた彼らもまた文字通り地の底より人間世界に現れ始めていた。だが彼らは純粋なる暴力の化身であり、人の世に溶け込むことなど断じて無い。数多の正義の味方に救われた我らの世界以上に平和そのもののこの世界において、スカルを冠するアンデッドは全くの異分子だった。
それでも同胞であることに変わりはない。彼らも我らと同じアンデッド族であり、同じデジタルモンスターという事実は揺るがない。
そんな時である。春川の論文と出会ったのは。
かつて奇天烈な思想だとして他の古生物学者からは嘲笑の種となり、切って捨てられたディノサウロイド。所謂恐竜人間説を現代に改めて学会に再提唱したのがあの男だった。太古に絶滅したと言われる恐竜、あるいは類似した爬虫類や両生類もまたホモ・サピエンスと同様に二足で歩行する能力と高い知性を備えた形に進化を果たし、現生人類が謳歌する地上において息を潜めているのだと。
無論、知識人からの評価は半世紀前と同じだった。浪漫が過ぎるだの進化という神の御業──本気でそう考えている輩は案外いるものだ──を人類に都合良く考え過ぎているだの、挙げ句の果てには春川は夢見がちなSF作家呼ばわりされ、いつしか学会を去っていた。彼の論文もまた数多ある珍説の一つとして研究史の中に埋もれていった。
だがその論を知った時、私は天啓を受けた気分となった。
それは我々と同じだったからだ。完全体、究極体へと至る過程で人の形を取る我々とて、成長期や成熟期の時分は小動物であり、また魔獣やらドラゴンやらの姿をしていた。それでも進化の過程で高度な知性と二足で立つ能力を得て人型へと至って来た。かつて彼の世界で栄達を極めた高位なる者達は皆、人間を模した姿を取っていたと言うし、また今この世界に落ち延びた我らアンデッドも人間に擬態できる程度の近しい精神性を有している。
一方で我らと同じアンデッドを名乗りながら本能のみで生き、スカルを冠した者達はどうだろう。
彼らに知性など無い。既に戦いという手段を捨てて久しいデジタルモンスターの中で、人間界へと辿り着き最早人として生きていくしかない我らとは対照的に、ただ闘争本能だけを有した彼らもどういうわけかこの世界に現れ始めた。この世界で言うところの恐竜や古代生物を模した姿から肉体を捨て、骨だけの身となりながらも戦いだけを求め続ける者。
相応しくない。そう思う。
彼奴らはこの平和な世界で生きる者として相応しくない。
我らは既に戦いを望まず、人間界の中で息を潜めて緩やかに余生を過ごすのみだというのに、ただ暴れ狂うことしかできぬ彼奴らが出現することは少なからずこの世界に落ち延びながらも平和に生きていきたい同胞達に不利益を齎すのではないか。そもそも知性を獲得することもなく、むしろ捨て去って本能で生きる者が何故我らと同じアンデッドを名乗るのか。
独善であろう。利己的であろう。
それでも私もまた叫ぶのだ。
彼のように。
彼の提唱した理論を踏まえて。
彼奴らは。
我ら以外のアンデッド族は。
進化というものを──
愚図。ツーン。
愚図。フーン。
愚図。デレェ。
いや別に数える必要なんか無いんだけど、わたし何回言われたんだっけ?
最後のは断じてデレてなかった気がするので、思い出してきたら悲しくなってきた。結局ツンデレって奴はデレの比重が多くないと精神的にキツいだけなんだと今更ながらに思い知ったぜ。
「グズグズしてると置いてくよー」
「愚図の二乗は流石のわたしもキレるぞゴルァ! ……は?」
売り言葉に買い言葉。
背中から聞こえてきた甲高い言葉に怒り心頭で振り返ると、そこには10歳ぐらいの男の子が立っていて。
「……は?」
ユウマじゃん!
リピートアフターミー。
ショタのユウマじゃん!!
「……は?」
リズミカルに「は?」を三回繰り返してハミング、なんちゃって、ダハハハハ。
いやまあそんな天才的なダジャレはともかく。
「アンタ、アポトキシンでも飲んだ……?」
「僕はあの漫画好きじゃないな」
「いや別にコナン君の話がしたいわけじゃなくてね」
言いながらユウマに歩幅を合わせて歩く、はずがわたしの方が歩幅あるんだけど!?
「ふっ……ふはは……ふははははは!!」
その理由に気付いた瞬間高笑い。悪の魔王になった気分だぜ。
得心した。隣でユウマが「この女ヤバいのでは」みたいな顔でわたしを覗き込んでいたけれど。
そういえばそうだった。あの時はまだわたしの方が全然背が高かったんだ。なんか気付けば視線の高さで並ばれて、ちょっと前に六年ぶりに顔を合わせた時にはもう見下ろされるようになっちゃったけど、ユウマっていうか同い年の男子より長身だった時期がわたしにもあったのだという事実が、ちょっと愚図呼ばわりされ過ぎて傷付いたわたしの心に全能感を与えてくれる。
すげえぜロリわたし。ロリわたし最高!
「……なんか今日テンションおかしくない?」
「今まさに無敵の女になった気分なんだよね、わたし」
「えい」
「ぐえっ」
膝カックンすな! あとロリの時点で悲鳴これかよわたし!
「……スターの効果、もう切れたのかな?」
「うるせえ!!」
言い合いながらわたし達は山道を登っていく。
ちょっと懐かしさがあった。自分にも幼い頃があったんだなって感覚はこそばゆいけど、これ自体は東京にいた頃は何故か何度だって見た夢だ。いつしかそれを見なくなって、そんな頃にはわたしも夢を諦めて田舎に帰ろうかなと思い始めていた夢。夢の中の10歳そこらのわたし達は現実のあの日あの時と同様、夕暮れの迫る山道を並んで歩いていた。
そういえば、と顔を上げる。そこにユウマがいるってことは。
「おー……」
わたし達の少し前を歩く厳めしい背中が見えた。成人したわたしの感覚で見たって、小さくなったとは思えない背中。
東京にいた頃のわたしは、漠然と夢だと理解しても何もしなかった。敷かれたレールの上を走るように過去の出来事を夢の中で繰り返していた。だけど今は違う、というか先日ユウマに死んだと知らされた時からこうしたくてたまらなかった。
「死に晒せやクソジジイーーーーッ!!」
ユウマが目を丸くするのも無視して全力で駆け出して、その背中にドロップキックをぶち込んだ。
はずなんだけど。
「……きゃわしたぁ!?」
両足に手応え──何やねんこの表現──はなく、11歳だか12歳のわたしの体はただ派手に件の背中を通り過ぎて地面に滑り込んだだけに終わった。
つまり突然奇声を上げて仰向けに砂利を滑り、そのまま地面に寝転んだだけの無様な小娘がわたしである。嘘だ、そんなことがあるはずがない。
派手に地面を擦ったはずの背中は全然痛くない。夢の中では無敵かもしれん、わたし。
「……何をしてる」
仏頂面で私を見下ろしているジジイ。
遺影と全く同じ顔をしているクソジジイ。
故人は悼むべきという常識の範疇の外にこれはいる。本気で嫌いだったし憎んできた。あちらが決してそうではないのだろうということが漠然と理解できる程度には歳を重ねても、わたしは自分の中の憎悪を上手く昇華できないまま今に至る。わたし自身が人生で成功するにしても失敗するにしても、いつか田舎に足を運んだ時に雌雄を決しないといけないと思っていた。だから失意のまま帰郷したわたしは、せめてこのクソジジイ打倒というトロフィーぐらいは手に入れようと思っていたんだけど。
ジジイは死んでいた。
わたしの許可無く勝手に死にやがったんだ。
何それ。何よそれ。
せめてわたしにブチのめされるまで生きてなさいよっての。
「……何をしてる」
そんなわたしの思いなんて知る由もない夢の中のジジイは、相変わらずの語彙力の無さを見せる。
ところで夢の中のジジイって単語、ゾクゾクと背中に怖気が走るぜ。不思議の国のジジイよりはマシか、ハンプティダンプジジィなんつって。
「別に……」
「そろそろ暗くなる。足も」
「足下には気を付けろってか、へいへーい」
小馬鹿にしたように笑って立ち上がると、ジジイの後ろで呆れた顔をしているユウマに並んだ。
「何してんの?」
なんとなく血を感じる。祖父と孫が揃って同じ台詞をわたしに言ってくる。
それを聞きながら足の砂を叩いて落としつつ、両手の指を握って開いてを数度繰り返した。
「んー、なんか変なんだよね」
「変って?」
「いやこっちの話なんだけどさ」
夢の中のユウマに言ったところでしゃーないもんね。
少しだけ歩くスピードを緩めると自然、隣のユウマが前に出る形となる。
馬鹿め隙だらけだ。
「おらぁ!」
「わっ!?」
膝カックン直撃。ユウマが甲高い声と共にカクンと膝を折る。
しかしコイツ生意気にもわたしより悲鳴可愛いな。
「いや先に言ってよ」
「言ったら奇襲にならんでしょ」
「そりゃそうだ」
ふむ。やっぱりユウマには当たる。
それなのに。
少し駆け寄った後、手をもう一度にぎにぎ。
「ダイナマイトパンチ!」
スカ。
「メガトンキック!」
スカ。
「パンチやキックが全てジジイの体を突き抜けてしまうぞ!?」
絶望。
「……いやホント、何やってんの?」
前を歩くジジイの腰や膝裏を狙ったパンチもキックも全部ジジイには当たらない。いきなり祖父に殴りかかる危険人物を前にして、ユウマの声がどこか脳天気なのは夢の中だからってことなんだろうけど、そのユウマには膝カックンが当たったのに、ジジイに対してはまるでそこに肉体が無いみたいに私の手足がその体をすり抜けてしまう。
その理由を、わたしはなんとなく知っていた。
偏屈で。
頑迷で。
陰険で。
どこまでも相性が合わない男だった。そしてそれ以上のことをわたしは全く把握していなかった。
ユウマのことはわかる。こう返せばこう言ってくる、膝カックン決めればこんな反応だろうなって想像もできる。15年近くこの田舎で唯一の同級生として育ってきたから。
だけどジジイのことをわたしは何も知らなかったんだ。わたしはジジイの仏頂面と怒った顔以外を見たことが無かった。喜怒哀楽の四分の三を知らなかった。わたしにとって敵であって嫌いな故郷の象徴でもあったクソジジイの、わたしの知っている以外のジジイの部分をわたしは想像もできないんだ。何だよ進化というものを間違っとるって、アンタに進化の何がわかるんだよって言いたかったけど、それを問い質すことさえしてこなかったわたしには、夢の中でさえジジイだけはあの日あの時のジジイをビデオテープのように再生することしかできない。
想像できないんだ。わたしのドロップキックをジジイが喰らった光景が。パンチやキックが当たる可能性は勿論見えないし、万が一当たったとしてジジイがどんな反応を返すのか想像することすらできない。
夢の中ですら決して崩れない。決して倒れない。想像できないんだから。
未知という意味で、わたしの中であのクソジジイは最強の具現だった。
だから当然、その先は同じこと。
ジジイに連れられた山奥の発掘現場。そこに横たわっていた“あれ”がゆっくりと起き上がって。
「ひゃあああああああ!!」
今日の夢で悲鳴を上げたのはわたしの方。いやだってついさっき実物と再会したわけだし?
隣に立って白骨竜、スカルグレイモンってお嬢様が呼んでたっけ、それを見上げているユウマも笑えるぐらい顔面蒼白になってるから、悲鳴の有無はともかくとして似たようなもんよ。むしろ声を出せるだけわたしの方が平静だったまである。
そして更に隣のジジイは。
「有り得ない……」
ハイ一回。
「有り得ない……」
ハイ二回。
「有り得ない……」
ぷぷぷ、ダッサ。本当に三回言ってら。
同じ台詞を三回繰り返すなんて語彙力なさ過ぎじゃなーい?
そう内心嘲り笑っていたわたしの耳に。
何故だか。
「何故だ、グレイモン──」
ジジイのそんな呟きが響いていた。
ゴン。タンスじゃ無いけどド派手にゴン。
「ごはっ!?」
額に迸るとんでもない激痛と共にわたしの意識が覚醒する。
なんか着の身着のままベッドインしていたっぽい。うっひょお、この表現わたし自身のことじゃなかったら最高にエッロ!
「ぐおおおおおおっ……!」
だけど、やっべえ煤と泥だらけのまま寝ちゃってたよなんて考える余裕もなく。ベッドの上からフローリングに顔面ダイブしたらしいわたしは、もう第三の目が開眼しそうな痛みを持った額を抑えて床の上をのたうち回る。なんか前に似たようなことがあった気がするけど、その時は落下しながら体を反転させて後頭部を強打しただけで済んだはず。衰えたというのか!? このわたしが!?
「ぬおおおお……おおおお……お?」
涙目になりながら気付いた。部屋の電気点いてない?
よろよろと上体を起こす。理路整然とした部屋は六年前、というかつい先日と変わらないもので。
「……何してんの?」
夢の中のショタをそのまま大きくしたような男が、使い古した学習椅子に腰掛けてこちらを見ていた。
「あ、アンタに女の寝相を眺める趣味があったとは……」
「そりゃ家に帰ったらアフロの女がガーガー喧しい鼾掻きながら自分のベッドで寝てたんだよ。それを眺める経験なんて滅多にないだろ」
「それはわたしでも眺めるな……って、待てや誰が具志堅用高やねん」
アフロじゃねーよ。ちょっと前髪がチリチリ焼けたような感覚があるだけだっての。
ユウマと話したくて家で待ってたら睡魔との戦いに敗北しただけだよ!
「……なんか寝言で『有り得ない』って三回ぐらい言ってたな」
「うおおおおおおおおお」
頭を抱えて悶え回る。それどんな痴態を見られるより嫌なんですけどぉーっ?
「……やっぱ気付いた?」
「さあね」
いや誤魔化すの下手っぴさんかよ。
逃げなのか試しているのか、ユウマは露骨に答えをはぐらかす。
「こんな狭い街だ、噂はすぐ広がるだろうね」
別にいいけど、多分わたしの方から話させようとしているんだって感じた。
「あの日あの時のままだったわ……ヤバいってわかってたんだけどな、わたしも」
「山があの周辺だけぽっかりハゲてたよ。10円ハゲみたいな有り様だった」
ハゲは別に悪いことじゃねーだろ!?
それはともかく、成人する前に上京した自分は関わりを持たないままだから知らなかったけど、要するにその辺は地域の消防団って奴の担当だったんだろうか。遠い昔に親父がなんか近所のおっさんどもとそんな会合に参加していたような記憶がある。人という字は支え合ってできているとはよく言ったもので、21世紀の日本だっていうのにこの町は相変わらずそういった寄合とか集会とかが好きらしい。
それが堪らなくわたしの起源(ルーツ)なんだなぁと思えて。
同時に昔のわたしはその故郷(ルーツ)が大嫌いだったんだ。
「勿論、あれはいなかった」
「……どこへ行ったんだと思う?」
「さあね。少なくとも周りの大人達には黙っておいたよ。あの日あの時のことは」
アンタも大人でしょうが。そうツッコミたい気持ちはあるんだけど。
「実に賢明な判断だ。褒めて遣わす」
「ありがたき幸せでございます、お嬢様」
ノリで言ったら乗ってきて膝立ちで傅き始めるユウマ。
このノリの良さは流石に我が幼馴染だけど、いやアンタ今メイドに傅くって意味不明なことしてる自覚あんの?
「アンタはさ」
でも多分そろそろ潮時だろう。
「ハッキリ覚えてる? あの日あの時のこと……」
もう聞いてみてもいいかなって思った。
向き合わなきゃダメだって、私を愚図呼ばわりしながらも助けてくれたお嬢様──無事に死んだのかな──に言われているような気がした。
いや無事に死んだって何だよ我ながら。
「チサトが裏声で絶叫したんだったかな」
「嘘を吐くな……」
「いや嘘じゃなくて今でも覚えてるしさ、あの『ぎょええええええ!!』みたいな声」
やめろ。
次から夢が固定されてしまう。
流石にもうちょっと可愛いぜわたし。
「……でも、そこまでだ」
窓の外へ向けられた遠い目で。
我が幼馴染はどこか似合わない苦し気な顔で。
わたしと同じなんだと告白する。
「そっか。わたしだけがおかしいとずっと思ってた」
「言ったら全部おかしいよ。あの骨骨ザウルス」
そりゃそうだ。なんか顔を合わせて二人でクククと笑った。
だけど今日、実際に再び遭遇して妙なお嬢様に助けられて。
わたしはますます、自分が生きていることが有り得ないと思うようになっちゃったんだ。明確にわたしのことを獲物として捉える目で見下ろしてきていたあれは、その気になれば周囲一帯を軽く10円ハゲにできるだけの怪物だった。それを前にして完全に硬直して動けなくなっていた当時小学生のわたしとユウマが生き延びられたとはとても思えない。
だけどね、ユウマ。
絶対に口には出さないけどね。
わたし、少しだけクソジジイの気持ちがわかったんだ。
強いて言うなら二回分。
有り得ない。
それが目の前にいること自体が。
有り得ない。
骨格のみで動く生き物の存在は。
でも、じゃあ残り一回は? ジジイはなんで三回繰り返したわけ?
わからない。
本当にわからない。
だから勝手に死ぬんじゃねーよってなわけよ。
だって知ってるんだ。どうせわたし達が今生きていられるのは多分ジジイのおかげなんだろうなって。腐ってもあの日あの時あの場所にいた唯一の大人で、クソ野郎だけどガキ二人を見捨てて逃げるような人じゃないこともわかっていて、少なくともあのクソジジイをわたしは夢の中ですら屈服させることのできない程度には最強の存在だったと認識しているらしくて。
それにさ。
わたしだって同じだった。
つい数時間前、あれに再び遭遇した時にわたしだって咄嗟に動いていた。いや愚図って言われたけどさ、何回も言われたけどさ、なんか思い出したら腹立ってきたけどさ、多分あれを知らないだろうお嬢様を守らなければって思って身の程知らずだろうと動こうとした。
ん? なんか変な感じ。当時のわたしとユウマはビビッて動けなかった。
今日のわたしはあれを知っていたから動けた?
じゃあジジイは何なのさ。言いたかないけどわたし達を守ってくれたんだろうジジイは何だってのさ。
クソジジイは元からあれを、知っていたってこと……?
うん。
意味わかんね。
「……ちょっと頭冷やす必要があるかも」
「頭冷やしても髪は元通りにはならないでしょ」
「だから誰がアフロやねん」
多分ユウマは聞かなきゃそれ以上踏み込んでこない。
いいことだ。幼馴染の男と女、だけどそれ以上でも以下でもない。そんなさっぱりした関係が心地良いから、わたしは家に帰るより近いからなんて意味不明な理屈で甘えて、仮にも男のコイツの部屋でガーガー鼾を立てられた。これから何年、何十年わたし達が生きて行けるかわからないけど、それでもコイツとは変わらない間柄でいたいなって思う。だからわたしから踏み込むことだってしない。
でも逃げちゃいけないことだって、あると思うんだ。
「……ジジイは」
「うん?」
「あの日、ジジイはなんでわたし達をあそこまで連れて行ったんだっけ」
発掘現場。確かそこに連れて行かれたんだ。
でも理由を忘れてしまった。というか、単純にわたしはクソジジイに反発するばかりのクソガキだったから聞いてなかったんだろうけど。
「友達に会わせてやるって、確かそう言ってたんじゃなかったかな、じいちゃんは」
夏は生き物なのよ。
母上? 母君? お袋? ええい、20代女子は母親をなんて呼ぶのが自然かわかんねーんだけど、とにかく花森千里の血縁状の母に当たる女が遠い昔にそう言っていた。
この素晴らしくも美しいド田舎も変わっていくものだと信じていたからこその言葉なんだろう。ミンミンと泣き喚く蝉どもも、暑さしか運んでこない風も、閑静な畦道を公園のプールまで裸足で駆けていく近所のガキどもも、全てが全て得難いもので今しかないものなんだと。田園風景の中でくねくねと揺れている何かも、いや待てそれ見たら死ぬな。
とにかく。
今この瞬間は今この瞬間にしかないんだと、わたしはそういう意味で受け取っていた。
反発は無かったように思う。
いや夏が生き物なら春と秋と冬はどうなんねんと捻くれた今なら思うけどさ。
進化というものを間違っとる。
そんな台詞をほざいていたジジイはもういない。当時からわたしが捻くれた態度を取る唯一の相手だったのに、わたしの許可無く勝手に旅立っていった。
進化って何だよと思う。間違ってるって何だよと思う。
そう言われたのを今のわたしは、わたし自身が間違っていると言われたように思えてしまって。
間違っているのはこのド田舎の方じゃん。未来もなく可能性もなく寂れていくだけ、わたしが捨てた六年前から蝉どもの鳴き声も、相変わらず熱風でジリジリと焼かれる感覚も、数こそ減ったけど公園のプールで遊んでいるガキどもの楽しげな遊び声も、我が故郷はまるで変わっちゃいないじゃん。
惨めだよ。最高に惨めで無様で愚かだよ、このド田舎は。
この懐かしの故郷は相変わらずわたしが捨て去った頃のまま在ったんだ。
在ったんだと、思っていた。
『愚図』
『愚図』
『愚図』
さっき聞いたあの女の言葉が響く。いや三回も響くなよ!?
あー、うん。
わかってるんだ。
わかってるんだよ、最初から。
惨めなのは多分わたしの方だ。甘えていたのはわたしなんだ。
ユウマの家に来て、アイツに会って、本当に言って欲しかったのは別の言葉、本当に話したかったのは別のこと。そりゃクソジジイのこと、あの日あの時のことがどうでも良かったなんてことは断じてない。だけど頭の中で考えていても纏まらなくて、きっと目の前で起きていた事態は到底わたしの理解を超えていて。
スカルなんたら。シスタなんたら。悶々、悶々、おっと首だけにされる。
あれからユウマとは散々くだらない話をした。最近の音楽とか漫画の流行りとか、昔ジジイに取り上げられたアドバンスはどこに仕舞ってあるのかとか、ご近所のほにゃららさんとほにゃららさんが結婚したとか、そんな取り留めのない話。
でも。
『明日も仕事だろ?』
なんとなく。
そんな言葉がどこかでアイツから出てくるかなって期待してた。
『仕事はちゃんと行くんだよ』
またはこんな台詞でもいいか。
それに対してわたしは当たり前じゃんとか、いつまでも子供じゃねーのよみたいな台詞を返す。それだけで良かった。それ以上は求めなかったんだけど、ついぞユウマの口からそれに類する言葉は出てこなかった。
わたしはきっと、花森千里はきっとそれだけで。
自分はまともなんだ、当たり前に大人をやれているんだって安心できたと思う。
彼氏や友人に愚痴を聞いてもらうとか悩みを相談するとか、そういったハイティーンの女子なら一度はあるだろう経験を、15歳で故郷を捨ててこの身一つで東京へ飛び出したわたしは一度もしたことがなかった。むしろそんな行為を無益で情けない、弱い人間が頼る行為だと冷笑さえしていたんだ。
そんなことができていたら東京でも折れなかったのに。
今こうして故郷に戻ってくることなんてなかったのに。
今思えば、それはきっと確認だったんだ。自己肯定感と言い換えたっていい。友人間や恋人間の旅行も飲みもデートも夜の営みも、それらが全て自分と社会や世界との繋がりを実感させる。それらを全てしてこなかったわたしは、自分が当たり前に当たり前の22歳をやれているかがわからない。
愚か。愚か。愚か。
やっぱ三回も言われるほどなのかな、わたし。
『大人なら当然でしょ、どんなに苦しくても仕事に毎日行くぐらい』
ユウマがそう言っていたようにさえ感じる。何たる被害妄想。
ああ母上殿。母さん。母君。母堂。あなたの言うことは正しかったよ。
田舎は変わらない。少なくともわたしの目に映る夏景色は少年時代のそれのまま。
だけど変わったものがある。
クソジジイは勝手に死んで。
ユウマは立派な大人をやっている。
畜生。
わたしは、わたしから変われていないままなのに。
「大人二枚お願い……します」
「うぷぷ、承知しました、うぷぷ……大人……うぷぷ、二枚……」
テメーいつか必ず殺すからな!
博物館の受付で少しは笑いを堪えろと言いたいレベルで爆笑しているハンバア──いつも事務所の奥で韓流ドラマばかり流してるから韓ババア、ユウマが付けたんだっけ?──から二枚の入場券を受け取った。しかしこのババア、わたしが子供の頃から一切合切変わらずババアだな。
「あのチーちゃんがね、うぷぷ……いつもユウちゃんと走り回ってたチーちゃんが今やメイド……うぷぷ」
「テメー笑うか懐かしがるかどっちかにしやが──」
「ん?」
「──して頂けますかぁ……」
奥で待っている雇用主の目はいいのかと顎で示されてぐうの音も出ない。
せめてもの反撃に喰らえ。ぐう。
「立派になったなって思うのは本当よ?」
「さいですか」
「春川のジイ様だって生きてたらお喜びになるでしょう」
「うん待ってハンバア絶対それはねえと何故か断言できるわたしの心のカラクリが知りたい」
クソジジイが今のわたし見たら、あの顰めっ面のまま瞬き二回して終わりでしょ。
あとジイ様とか言ってるけど、確かクソジジイと同年代だったろハンバア、こっちのババアはあと百年は生きそうだけど。
「不死川様、毎日いらっしゃるのよ」
わたしの背後でどこかに電話をかけているカナデ様に目をやりハンバアが言う。
「へえ……このオンボロ博物館にそんなに見るとこあるとは思えなギエー!」
カウンターに掛けた手首にハンバアチョップを受けて仰け反るメイド。
「恐竜コーナーでしょ。昔のアンタ達と同じ」
「あそこ熱心に通ってたのジジイだけじゃないのさ……」
ユウマは知らないけど、少なくとも化石のレプリカとか展示物を前に熱弁するジジイの講義をわたしは半分聞き逃してた。
うそ。
八割か九割は右から左だった。馬耳東風、馬の耳に念仏、わたしにクソジジイの講義。
「私も最初に聞かれたのよ。春川のジイ様が昔書いた論文──」
「すまない、待たせたね」
「問題ありません。カナデ様こそお電話の方は……」
ゴホンと小さく咳払いしてメイドモードに突入。
後ろでハンバアがうぷぷと笑ってる気がするので脳内で百回殴っておいた。……馬鹿な、普通に生きてるっぽいんだがこのババア!?
「問題ない。行こうか」
メイド服で雇用主に付き従って博物館観覧、なんか妙な気分になる。
ノアお嬢様がシスタなんたらだった以上、カナデ様も普通の人間ではないのだろう。それを知ってしまい、またあのスカルなんたらと裏山で再び相対したこと、そして何よりあれによって裏山の一部が派手に焼けた事実も相俟って朝、気まずさと緊張から仕事の行きたくなさにキリキリと痛む胃と格闘している最中に掛かってきた電話が発端だった。
『家のことはいい、今日は少しばかり私に付き合ってもらえないだろうか』
電話番号を教えた記憶があるような無いような。
しかし聞こえてきたカナデ様の声は昨日の山での騒ぎをまるで知らないような普段通りの声で。
『今日は誰かと語らいたい気分なのでね。しかしランは学校、あの不良娘は帰らないと来ている』
息を呑む。カナデ様はノアお嬢様のことさえ知らないらしい。
話すべきか否か、迷いでまた胃が軋む気がした。
それでも気合いで胃を捻り直して家を出た。逃げちゃダメだって言うならこれもきっとそうなんだろうと自分を奮い立たせて。
「花森くんはこの博物館では常連のようだ」
「……友人の祖父に連れられて来ていただけです」
「その手摺りは君が体当たりして壊したとか」
何教えてんだよハンバア!?
「お恥ずかしい限りです」
これ本当に恥ずかしい時に言うとは思ってなかったよわたし。
「若気の至りという奴かな。……いや君はまだまだ若いか」
「冗談がお上手ですね、カナデ様は」
オイオイわたしがこんな会話してるのヤバいって、ハンバアどころかわたし自身が見ても爆笑するぜ。
目を瞑っても一周できるぐらい知り尽くしている博物館は、果たして昔とまるで変わっていなかった。不死の怪物となったハンバアの存在もあってか、マジでここだけ時が止まってるんじゃないかってぐらい変わってない。スタンプ台の上のマットとかわたしが描いた恐竜の落書きが未だに残ってるんだけど。
主に仕えるメイドのように、てか今実際メイドなんだけど、カナデ様のすぐ後ろを歩いて行く。
当然、カナデ様が何か言うまでは沈黙を保つ。どっちかっていうとわたしお喋りな方だから、自分から喋れない空気ってキツいんだよなぁ。
「好きな恐竜はいるかね?」
「……えー」
不意打ちの質問。いやタンマ普通の女性が好きっぽい恐竜って何ぞや、ヘルプ恐竜図鑑。
そりゃティラノサウルスですよあの映画でトイレに突っ込んでそのままガブッと行ったシーンなんて震えましたよねとか本音で語ったらドン引きされるだろうか。
「トリケラトプスですね。この博物館にはレプリカも無いですが」
ザ・無難。
「なるほどね、私もあれが一番好きだよ」
なんか合わせてくれた気がする。色々と不可解なことこそあるけれど、カナデ様の人柄が好ましいものであるらしいのは確かだった。
わたしかユウマがタヌ助と名付けたタヌキの剥製もまるで変わらなくて笑いそうになる。アンタずっと木の根元付近に佇んで来客のことを見つめ続けてるんだと思うと切ないぜ。あとリスも何匹かいたっけな。そんなこの周辺地域の草木や花々、昆虫を飾ったエリアから一気に化石エリアに飛ぶ。
いやいや、15年前から変わってないけどどうなっとんねんこの構成。
派手に恐竜や絶滅生物の化石や復元標本が所狭しと飾られているけど当然全部レプリカ、なんかの糞だけ本物があった気がするけど、昔のわたしやユウマは当然糞なんてクソほども興味はなくてスルー、いやクソほどではあったか。
「ほう……」
頭上を覆うように君臨するT-REXの頭骨を見上げて、カナデ様が感嘆の声を漏らしている。
殆ど毎日来ているらしいとハンバアは言っていた。だったら多分見飽きているレベルだろうに、まるで恐竜を初めて見る子供のように盛り上がっている様は、メイドの身だけど少し微笑ましかった。
だからだろう。
「恐竜、お好きなんですね」
うっかり自分から言葉を発してしまった。
やっべ。
「……何度見ても素晴らしいと思うよ、そういう意味では好きというのに間違いは無いのだろうね」
気を悪くした様子が無いのは助かったけど回りくどいな。直情的な娘さんとは大違い。
「ここの博物館よりもっと立派なものが都会にはあるでしょうに」
「そんなことはない。何せここは春川教授の遺された博物館だ」
「クソジ……」
おっと。
なんとなく来る気はしていたのに、対応し切れなかった。
「前も簡単に話したかな。私は彼の論文に感銘を受けた身でね」
カナデ様は気にした様子もなく、化石エリアを進んでいく。
今は亡きノアお嬢様が語っていた春川某の論説、それが何かをわたしは知らない。多分ジジイは散々子供の頃のわたしやユウマに語っていたんだろうけど、単にわたしが聞き逃していたというだけの話。だけどそれがノアや目の前のカナデ様を変えたというのが本当だとしたら、聞かざるを得ないと思う。
「浅学で申し訳ございません。どういった論文か伺っても──」
「ん」
わたしの質問を予期していたように、カナデ様が化石コーナーの最後の展示物を示す。
大きなパネルには地球の年表が記されている。古生代中生代新生代と続くこの蒼い星の歴史の中で多くの生物が生まれ、子を育て、そして死んでいったことを端的に纏めたもの。小学生の理科の教科書の裏表紙を捲ってみれば書いてある程度の単純な内容。
だけど、そこには。
「……君はどう思う?」
カナデ様がわたしに問う。
きっと彼はこれをわたしに示したかったんだ。
年表は最後に人類の時代へと続く。それは当然の歴史で、そうでなければ今ここにわたし達は存在しない。恐竜の時代が終わりマンモスやらサーベルタイガーやらが現れ、彼らも滅びた後に今の人の世が来る。子供でも知っていて当たり前の純然たる事実としてそこには真実が記されている、はずだ。
だけど、そこには。
『本当の進化というものを──』
ジジイの声が脳裏に甦る。このパネルの前でジジイは散々熱弁していたっけな。
何が本当の進化を見せてやるだよ。空想のデタラメばかりじゃねーか。少なくとも当時のわたしはそう思っていて、クソジジイの話なんてまるで聞いちゃいなかった。それでも真面目に聞いていないと怒り出すから、自然わたしは真面目な顔をしつつ耳から入る全ての聴覚情報を聞き流すことだけ上手くなった。アーアーアー聞コエナーイって奴だ。
人類へと繋がる歴史、6600万年前の恐竜の絶滅から下方向に別の矢印が伸びており、そこには手書きで「もしかしたら……?」の文字。
「……浪漫、ですよね」
ただその言葉だけを、わたしは絞り出すように呟いた。
A4サイズ程度の簡素なイラスト。そこに描かれているのはIF(もしかしたら)の歴史の絵画。
それをディノサウロイドと呼ぶってことを、わたしは知らなかった。人間に近しい体型に進化した恐竜──わたしもユウマも恐竜人間とかトカゲ人間とか呼んでいた──が人間の社会の中で人間と一緒に生きている絵だった。今のわたしから見てもトラウマになりそうな爬虫類の目をしたヒトガタは、それでも人間の男女と笑い合って生活しているように見えた。
恐竜が絶滅しなかったら。
恐竜が進化を続けたなら。
恐竜が人と共にいたなら。
そんな三つの有り得ないIF(もしかしたら)を重ねた夢物語。
「優しい絵、です……」
きっと気の迷いなんだ。
上手い言葉が見つからず取り繕っただけのものなのか。
ジジイに感銘を受けたカナデ様を気遣ったのか。
それとも単純に。
ジジイの熱弁していたことに理解を示せる程度にわたしも大人になったのか。
恐竜人間なんてエンターテイメントの世界には多数存在していて、その思想自体はきっと凡百のものでしかないんだろうけど、それでも大抵の作品に現れる恐竜人間は人類と敵対する異種族として存在していたように思う。
なのに優しかったんだ。ジジイの提唱した理論は。ジジイの描いた絵は。
本当の進化。それは人間とそうでないものが当たり前に手を取り合えるような──
「……君はお爺様に良く似ている」
「えぇ!?」
現実に引き戻される。
いや待ってくださいよ凄く嫌なんですけどそれ、とわたしが思ったその時。
「……メイドにそこまで話すんだ、お父様」
ぶっきらぼうな声は、いつの間にか背後に現れていた女から。
ハッと振り返る、夢にまで見たっていうか夢の中でも何度も愚図呼ばわりされたその声をわたしが気付かないわけもなくて。
「ノアお嬢様!? 死んだはずじゃギエー!!」
思わず駆け寄った途端、思い切り爪先を踏まれて飛び上がるわたし。
「控えなさい花森。こう見えて私、メイドに抱き着かれて喜ぶ趣味は無いのよ」
どう見えたんだよ。ちょっと駆け寄っただけだろ!?
わたしの爪先を踏んだ通り足があるので幽霊じゃないらしいノアお嬢様は、寝間着か部屋着にしか見えないボロボロのパーカーとショートパンツに栄光の大正義球団のキャップを被って、相変わらずの冷たい視線をわたしに投げかけている。
いやね、うん。わたしもファッションセンスに関しては偉そうに人のこと言えない自信はあるけどさ。
大した蛮勇だぜヒッキー、その格好で外を出歩くのはよぉ……!
「来たのかノア。朝帰りとは感心しないな」
「安心してお父様、一度帰って着替えてきたわ」
何を安心しろってんだ。シスター服か屋敷で着てた豪奢な黒ドレスの方がまだマシだろ。
着替えてそれですかと心底言いたいけど、わたしもまだ自分の首から下は大事なので耐える。偉い。
「話を続けてもいいわよお父様、私も同席させてもらうけど」
しかもアンタが仕切り出すんかい。あと大正義球団ファンならわたしの敵だからな。
「……そうだね、君はお爺様にとても良く似ている」
「えぇ!?」
そっからやり直すのかよ!
「春川は私の祖父というわけでは……」
「血の繋がりなど些細なことだよ。心意気の問題だ」
「心意気ィ!?」
声が裏返ってしまった。というかメイドから飛び出して素のわたし出てるよわたし。
「私とそこのノアとて血で結ばれた家族というわけではないからね」
あ、もうそこは普通にバラしてくるんだ。
「君は春川氏に師事した。そして彼の教えは君の中で確かに今も息衝いている。それが確認できただけで十分なんだ」
「そういうものですか……?」
いやマジ勘弁ホント勘弁、わたしジジイの弟子にされちゃってるよ。
クソジジイよ今更ながら何故死んだ。ここにアンタの描いた夢想に魅せられた素敵な老紳士がいるんだよ。占いババ様に頼んであの世から一日でいいから戻って来なよ、そして思う存分語り合いなよ。何よりわたしがアンタの弟子とか孫とかなんて愉快すぎる誤解を解け!!
「お父様も物好きね、ふふ」
何笑ってんだヒッキー、とりあえず今すぐシスター服にでも着替えてこいってのよ。
「そうでもない。君とは一度心行くまで語らってみたかったからね」
「こ、光栄です」
うそ。
屈辱だけど初めて願う。
助けてクソジジイ! いや助けろマジで!!
「そこでもう一つ質問をしたい」
そんなわたしの心中なんて露知らず、T-REXの骨格標本を見上げながらカナデ様が言う。
「スカルグレイモン」
その単語に息が止まる。
「えっ……」
振り返ったカナデ様は暴君竜を従える獣使い(テイマー)のようで。
「君はあれを見た時、どう思った」
真っ直ぐな視線がわたしの眉間を射貫く。
男性にこんな見つめられたのは生まれて初めてのことで、じゃなくて、一切の嘘も冗談も許さないガラス玉のような二つの瞳がわたしの視界にはただ在って。
この人は人ではないと改めて気付かされて。
後ろのノアと同じ人の身を超えた何かなのだと再認識して。
不死川。その名前はきっと──
「アンデッド……」
ポツリと。
わたしの口から漏れ出た言葉。
それはあのスカルグレイモンのことであり。
そして。
「……君は本当にお爺様に似ているようだね」
目の前で酷薄に笑う老紳士のことでもあったらしい。
背後から聞こえるノアの「へえ……」と感嘆の色を乗せた声。化石に囲まれた空間の中で後ろのノアと、目の前のノアと同じく人でない人に挟まれている状況は、もしかしたら物凄くヤバい状況なんじゃないかと今更ながらにわたしは気付いて。恥ずかしながら愚図呼ばわりされながらも昨日助けられた経験から、ノアお嬢様は一応味方寄りだと思って、現れた瞬間ちょっとだけ安心してしまったわたし自身を馬鹿野郎と殴り飛ばしたくなって。
「そう、アンデッドだ。……私も、これも」
これと言った。
あれではない。
不死川カナデは、スカルグレイモンをこれと言った。
「だが私はこれとは違う。これは元々、グレイモンであるべきものだ」
グレイモン。何故だかその名前を、どこかで聞いたことがあるような気がして。
カナデ様の細く長い人差し指がコツコツと叩く。己の右腕を、ただ老人のスーツに包まれたそこを。
意味が、わからない。
「改めて聞こう。君の目の前でグレイモンはスカルグレイモンと進化した。その事実を、君はどう思う」
「どうって……」
グレイモン。
グレイモン。
グレイモン。
どこかで聞いた、誰かに聞いた。その名前を思い出したいのに思い出せない。
だけど同時に聡いわたしは、天才的すぎるわたしは、あれの前に現れた有り得ないものを、わたしに尻尾を振り下ろしてきた橙色の恐竜を、カナデ様はグレイモンと呼んでいるのだと直感した。
グレイモンが、スカルグレイモンに、進化した──?
スカル、骨格。
心臓だけが脈動する邪悪な姿。
勇壮な恐竜がそれに変わることを、進化──?
「そんなの……!」
口が渇く。言ったらダメだとわかる。
有り得ないから。
わたしが言うべきではない台詞だと知っている。
有り得ないから。
そして何よりもわたしがその台詞を言うこと自体が。
有り得ないから。
カナデ様はそんなわたしを見て微笑んだ。
背後にはT-REX。右手にはマンモス。左手にはサーベルタイガー。そんな数多の浪漫の塊(こっかく)をわたしの視界に収めるように両手を広げた。
「そう。これは、これらは──」
スカルの肉食恐竜。
スカルのマンモス。
スカルの剣歯虎。
その三つが肉を失って尚も動くなんて有り得ないと言うように。
言わせたらいけない言葉を。
この場所でだけは発してはいけない言葉を。
「進化というものを、間違っている」
ジジイと同じ言葉を、口にした。
驚きはない。どういうわけかわたしはそうなんじゃないかと思っていた。
「カナデ様」
だけど。
「一つだけ伺っても宜しいでしょうか」
無礼を承知で聞きたいことがあった。
メイドの領分を超えようと構わない。何をどうしようという気はないけど、同時に逃げる気もなかった。後ろに立つファッションセンス皆無で乱暴なヒッキーとは違って、きっと不死川カナデなら答えてくれるだろう確信もあった。
「構わないよ、言ってみたまえ」
「……カナデ様は、何者なのですか」
当たり前の大人をせめて当たり前にやろうとして、何かわけのわからない事態に巻き込まれている。
しかも目の前の老紳士がここに現れたのは、クソジジイの遺したよくわからん論文だか論説だかの影響と来ている。更にはわたしをクソジジイによく似ている、それどころか孫も同然なんて言いやがってくれた。いやマジでなんで勝手に色々厄介事を遺して死んだんだよクソジジイと今からでも墓を掘り起こしたいレベルの怒りを押し隠して、わたしにできる限界レベルの冷淡な声で問う。
チキショー! 一夏のバイトでサクッと金を稼ごうと思っただけでなんでこんな目に!
「何者か……そうだな、敢えて言葉にしたことは無かったが、私は君の知らぬ遠い世界で──」
遠回しな言い方はやめてくれませんかねカナデ様。
「迂遠な言い回しはやめなさいなお父様」
お、ナイスフォローだぜノア様。ちょっと見直し──
「花森の皺一つ無い脳では理解できないわ」
テメーいつか必ず殺すからな!
「ふむ。爵位も領地も失った身だがな……それでも強いて言うなら」
ふわりと空気が澱む。
わたしの大嫌いなこのド田舎の夏の風を思い出させる不快さ。
その中で。
「先も言った通り、私は春川氏の夢想に心動かされただけの男だ」
カナデ様の背後に浮かび上がる巨大な影。
人の形をしていたけれど数メートルはある巨体。各所に黄金の装飾に彩られた姿は豪奢としか言い様が無くて、だけど同時に少なからず禍々しさを覚えるもので、どこか髑髏を模したように見えるその姿こそがカナデ様の本当の姿なんだとわたしは知る。
でも何よりもわたしの目を奪ったのは。
「……今となっては朽ち果てた、ただの貴族だよ」
紅い槍が握られた右腕。
それを形作る、スカルグレイモンの頭骨だった。
『有り得ない……』
お前が動けるはずがない。
『有り得ない……』
お前が二度とその姿になるはずがない。
『有り得ない……』
お前がそんな冷たい目で俺を見下ろすことなど。
『何故だ、グレイモン……!』
だって。
お前は俺の、大切な──
SUMMER TIME SERVICE 第四話「アンデッドと恐竜人間とトモダチ」
次回に続く……
投稿期間もいよいよ最後の一月となりましたが皆さま如何お過ごしでしょうか。
流石に三話まで書かせて頂くと愛着というか「完結させなければ!」的な気概が湧いてくるもので、メチャクチャ構成に悩みましたが何とか四話も書き上げさせて頂きました。三話までを花森とノアお嬢様だけで進めたことにより、四話にして初めて一話のキャラクター達の口調や思想を見直させて頂く形となりましたが……。
というわけで、不死川カナデ様の正体はダークナイトモン(作中ではスカルグレイモン+描写してませんがスカルサタモンも合わせてスーパーダークナイトモン)とさせて頂きました。スカルナイトモンがアンデッド型かつスカル〇〇モンながら〇〇モン(ここではナイトモン)から進化したスカル〇〇モンではないという特異性から選択致しました。
春川博士の研究に関しては二話時点から決めておりましたが凄まじく悩みました。学会を去ったということで、相当なアホ論か危険な思想のどちらかかなーと考え、もう一つは恐竜を現代に蘇らせる=スカルグレイモンを呼び寄せたのもジジイという展開も考えましたが、結局は前者を選択。なお参考文献はのび太と竜の騎士。
何とか6話で完結できるかなと思っておりますので、3月中に完結目指していかせて頂きます。
それでは改めまして企画頂きましたへりこにあん様、1話ご提示頂いたマダラマゼラン様には感謝をささげて締めさせて頂きます。
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