本作はマダラマゼラン一号様・作 【#ザビケ】SUMMER TIME SERVICE 第一話「猫と恐竜の夏休み」 の第五話となります。
第五話「現実と夢想とわたしの行きたいその先へ」
夢を見たんだ。
今より半世紀以上前、あの孫どもと同じ年頃。この町で幅を利かせた悪童として暴れ回っていた俺は、ある日視界の全てが歪むような感覚と共に、知らない場所へと迷い込んでいた。
じんわりと汗が滲む陽気も。
周囲を囲む山々を覆う緑も。
雲一つ無く広がる青い空も。
それら全ては今さっきまでいた場所と一切変わらないものなのに、蝉の鳴き声は途絶えて沢より魚が跳ねる音もなく生まれてこの方きっと親の声より聞かされてきたキジバトのホーホーホッホーすら消え失せた。先程まで一緒にいた悪友達も姿を消し、ただ自分だけがこの世界に取り残された疎外感の中、視界を影が覆ったことに気付いて顔を上げた先、奴はいた。
兜を纏った橙の恐竜。
きっと誰もが一度は憧れただろう勇猛の具現。
「すっげー!」
だから俺も自然。
それを見上げて目を輝かせた。
恐怖なんてなく、浪漫が遥かに勝っていたから。
襲ってくる気配はない。そんなことは有り得ないと何故か俺は知っていた。ゆっくりと眼前に降りてくる恐竜の兜から覗く、明らかに意思を宿した穏やかな瞳を見るまでもない。獰猛なプレデターとも残忍なスカベンジャーとも異なる勇壮そのものの彼の頭が、俺の前に差し出された。
それに手を伸ばす。逡巡は無かったように思う。
──僕は今、ここにいる。
ゴツゴツとした岩肌のような感覚。
だけど触れた瞬間に何故だかそう聞こえた。それは自分が今ここにいていいのだという確かな実感で。
──僕は今、ここにいるよ。
言葉が通じずとも理解できた。
ピピピッ。
ピピピッ。
甲高い音を立てる、いつの間にかポケットに入っていた板状の電子機器。
それが君の名前を示しているらしいが、俺はそんなもの見ずとも何故かわかったんだ。
君と俺の名前。
グレイモン。
「洗濯をしておきなさい。私の一張羅なのだから大切に扱うように」
一張羅ってそういうものだったかなぁ。
「畏まりました」
相変わらずの豪奢な黒ドレスに着替えたノア──最初からそれ着とけよ──が、下校してきたランお嬢様に今日こそ紅茶の入れ方を教えるというので、わたしは体よく脱ぎ散らかした服を押し付けられた上で追い出された。
ギイと閉まるランの部屋の扉。
そこに背を付け、フゥと少しばかりの嘆息。補修と改築こそされても間取りは変わっていないので、10年近く前に肝試しと称して散々荒らし回ったボロ屋敷が今、人ではないらしい金持ちどもの住まう空間になっているという事実が少しばかりおかしい。
いや少しなもんかよ大分おかしいだろ。
「……はっ」
息を吐く。ノアの一張羅とやらを胸に抱えているけれど、いや変な意味とかじゃなくて脱ぎ立てならではの人間の温もりみたいなものは微塵も感じなかった。
強いて言うなら、夏の陽気そのもの。
「洗濯かね?」
「カナデ様」
通りかかった主の声に顔を上げる。
博物館より戻ってきてから、ううん、博物館で一瞬だけ本当の姿を見せる前後だって、不死川カナデは何ら変わりない。
例えば異世界からの侵略者だったら「そこまで知られたからには死んでもらうしかないな」みたいなベタな台詞を吐いてわたしは殺されるんだなと思えるけど、別段そんなこともない。てか、そもそも自分から娘達と血が繋がっていないことも本当の姿も見せてきたカナデ様が、果たして何を考えているのかなんて常人かつ平民のわたしにわかるはずがないんだけどさ。
「今宵は席を外す。すまないが娘達の相手を頼めるだろうか」
「承知しました。……お出かけですか?」
「裏山の調査の続きだよ。右腕がまだ完全に馴染んでいないのでね」
あっけらかんと言う。単純に人間とは物の捉え方が違うのか、人間にはバラしたところで問題にもならないと思っているのか。
スカルグレイモンといったあの白骨の竜。山の斜面を10円ハゲにして姿を消した、少なくともユウマはその後の調査で見つからなかったと言っていた竜は、もう意味わかんないんだけど今カナデ様の腕に取り込まれているらしい。
完全に馴染んでいない、その意味をわたし如きが計れるわけもなく。
暴れ回られるよりはいいのかな。そう自分を納得させることぐらいしかできなかった。
「お父様はね、アンデッド型を集めているの」
晩餐の場で珍しくノアお嬢様が口を開いた。もしかして槍でも降るのかな今夜。
「随分と物覚えが悪いのね花森。私達の同胞の中でもアンデッド型、白骨化した怪物が化石のような形で出土するという話はお前にも以前したでしょう」
「はぁ」
「スカル、大抵の連中はそんな名前が付いているわ。あのスカルグレイモンもそう、定義上は同じアンデッド型なのだけど、お父様は彼らを同族と認めていない」
進化というものを間違っている。
カナデ様はそう言ってたっけ。クソジジイと同じ言葉だけど、どこか意味するところは違う気がした。
決定的な拒絶、そんな感じ。
「……カナデ様に取り込まれたそれは一体どうなる──」
ヒュッ。わたしの頬のすぐ横を金属製のものが掠めて。
「質問は許可してない。話の腰を折るな」
ダーツみたく壁に刺さったナイフ。
ひえー。
殺す気かよ! バトルロワイアルじゃねーんだぞ!?
「姉様行儀悪い」
言ったれラン。もっと言ったれラン。
「態度の悪いメイドに教育をしてあげるのも高貴な者の務めよ、ラン」
「そうなの?」
「そうよ。花森は礼儀というものがわかっていないのだから、しっかり教育してあげないと」
変な教育はやめろ。しっかり教育を受けるべきはどう考えてもそっちだろ!?
「……ま、戯れに答えてやってもいいわ」
最初からそうしろ。
「デジクロスと言ってね。お父様はそうしてアンデッド、もっと言えばスカル系を取り込んで自らを強化しているの。現時点で取り込んだのは二体、一体はスカルグレイモンだけどもう一体はスカルサタモンね。確かここに越してくる時に見つけたスカル系だったわ」
本当は私が見つけて頂くつもりだったのだけれど、なんて天井を見上げつつ言うノア。
うん。
説明しろと言ったのわたしだけどさ。
意味わかんね。
「お父様に取り込まれた時点でそれは純然たる力でしかないわ。恐らく当人の意思は既に無く……何よ、花森が豆鉄砲喰らったような顔して」
何の比喩にもなっとらんぞ。
「いえ、またナイフを投げ付けられたらたまらないなと」
「宜しい。常にその殊勝な態度でいなさい。少なくとも私の前では」
なんとなく思ったけど。
この女はわたしが働き始めの時、散々やり込めたことを根に持っているのかなって感じた。
だから力と言葉で屈服させようとしているんだって思えば、意外と可愛いのかも──
「……もうナイフはお手元にございませんよ」
「言った傍からふざけたことを思うからよ」
思うことすらいけないんスか。
そりゃ聞きたいことは沢山あるんだけど、下手に質問すると眉間にナイフが立ちそうだし、何より答えてくれたところで意味わかんねーしで、どうしたもんかなと思っているわたし。
「私はお父様と違ってお前を買ってるわけじゃないのよ、花森」
そんなわたしの前でノアはもう用事は済んだとばかりに立ち上がり。
「だから話は終わり、あとは自分で何とかしなさいな」
「何とかしろと言われましても……」
そもそも何をすればいいんだよ、わたしは。
そもそも今どうすべきなんだよ、わたしは。
「それにね、お前は私の銃に散々ビビっているけれど、案外そんな警戒する必要はないのかもしれなくてよ」
「えっ」
「スカルグレイモンには効かなかったじゃない、私の弾丸は」
そりゃそうだ。タンタンタンタンと淡々淡々とした乾いた音が響くばかりで、ノアのマシンガンはあの白骨に全くダメージを与えられないようだった。いや標的をわたしからノアに変えたという意味では少なくとも効果はあったのかもしれないけど、そもそも痛覚とかあるのかなアイツ。
あと、今それに何の関係があるんだってばよ。
「トモダチなのでしょう、お前達」
「……は?」
は?
「あの時スカルグレイモンは明らかにお前を狙っていたけれど、お前は春川の『子』か『孫』というのなら至極当然の話だわ。人間の括りではなく先刻お父様の言った通りの意味、私達の尺度でのトモダチという意味だけれど」
「……は?」
は?
「なら春川のトモダチであるスカルグレイモンと春川の『家族』であるお前はトモダチということになるのではなくて?」
「……は?」
は?
橙色の竜、それを夢で見るのは初めてだった。
あー、わたしは迂闊に飛び出して撓る尻尾で叩き潰されかけたんだっけと、今まさに目の前に迫る長大な尾を見て思い出した。
まさに神速、わたしの背後から飛び出した黒い疾風が振り下ろされた尻尾を受け止めて。
「ノアお嬢さ──」
そこまでは現実の通りのはずなのに。
は?
わたしの視界に映る背中、わたしを庇った背中は。
「……やめろ、グレイモン」
ノアじゃない。だってお嬢様はわたしより背が低いんだ。だからそこに在るのは厳つい背中。今でも超えられたと実感できない遠い背中。
ジジイが。
故・春川某が恐竜の一撃を受け止めていた。
「は?」
違う。恐竜じゃない、グレイモンじゃない。
ジジイが受け止めているのは白骨の腕。
わたしに向かって振り下ろされた恐竜の尻尾は、いつの間にか白骨竜の腕に変わっていた。
それで得心。これはあの日あの時の夢だ。隣を見ればショタユウマが腰を抜かして痙攣していた。
「やめろ、グレイモン」
もう一度響く同じ声。ホントにボキャブラリー無いなこのジジイ。
いや待て。
ちょっと待て。
「何やってんだジジイ!?」
夢の中だからって捨て置けない。
多分あの日あの時のわたしは、隣のショタユウマ同様もう笑えるぐらい動けなかったんだと思う。ただ悲鳴を上げて助けを求めるだけの間抜けな小娘。だから知らず知らずの内に記憶を消していて、ただあの日あの時あの場所に自分がいたという事実だけは覚えていて。
それから十年近くが経った今だからこそ。
「え、おま、ジジイ、アンタただの人間じゃ──」
言える言葉はあるはずだったのだけど。
夢の中でそれが届くはずもなく。
「……やめろ、グレイモン」
もう一度。
ただ同じ言葉を繰り返すジジイの背中を見つめている。
厳つい見た目こそしていたが、別段大柄というわけでもなく豪腕との噂を聞いた覚えもない。わたしもユウマもジジイは死ぬまで普通の人間だと認識していたはずで、血の繋がったユウマだって間違いなく人間なはずなんだ。
それなのに、ジジイがわたし達の目の前でスカルグレイモンの爪を受け止めた。
「……まるで意味がわからんぞぉ!」
どこか客観的に、10歳のロリわたしでない美女わたしの声が響く。
ジジイが掲げた右腕、スカルグレイモンの爪と押し合う箇所が眩い光を放っていて、その光が白骨竜に伝搬すると共にその全身に失われたはずの肉が戻っていく。夕焼け空の下で太陽のように照り映える肉体は、見間違えるはずもなくノアと共に遭遇した橙色の恐竜の姿だった。
ああ、どうもこれは実際の光景らしかった。
だってわたし、ノアとあの発掘現場を訪れた時に言った。夕闇に包まれる世界でわたし達が出会ったのは最初からスカルグレイモンだったのに、本当にわたしが気絶か何かして経験していなかったら、そもそもわたしは橙色の恐竜、即ちグレイモンのことなんて知らなかったはずなのに、それでもあのクソ生意気なご令嬢の前でわたしは言ったのだ。
現れたそれは“あの日、あの場所”のそれと相違なかったって。
わたしは最初から、グレイモンを知っていたんだ。
「なんで死んだんだよ……」
だからここからは恨み言だ。わたしに黙って死んだジジイへの恨み言だ。
聞きたいことが沢山あったんだ。与太話と馬鹿にせず真面目に聞いておけば良かったって後悔してるんだ。気付けば周りにノアやらランやらカナデやらの人でないらしい人、あれに関わる連中が増えてきているけど、そいつらに聞いたってまるで意味がわからない。せめてあの日あの時あの場所で出会ったこれが何なのかを、その常にむっつりと曲がった口より出た言葉で聞いてから死んで欲しかった。
グレイモンからスカルグレイモンへの変化。
肉体を失い、ただ理性すら失った骸骨になることを進化と呼ぶ。
それをカナデ様は間違いだと言った。わたしだって直感的にはそう思ってしまった。
ならば。
スカルグレイモンからグレイモンへの変化。
肉体を取り戻し理性も再び得て大人しくなっていく目の前のそれこそが本当の進化なのか。
クソジジイが描いたIF(もしかしたら)の絵は果たしてそのどちらなのか。
「教えろよ……クソジジイ」
本当の進化って何だよ。
進化というものを間違っとるって何だよ。
いやジジイの長話を全部聞き流してたわたしが悪いのかもしんないけどさ。
全部が全部、意味わかんねーんだよ。
「──────」
だから。
これが夢の中だと知っていても。
わたしの目はグレイモンに戻ったトモダチの腕と握手するように掲げられたクソジジイの右腕の中。
そこに握られた光を放つ何かから目を逸らせなかった。
昼過ぎの郵便局はジジババで大変混雑している。
そんな中。
「……最初から全部覚えてたんだ、アンタ」
自分が異分子なんだと理解しながら、幼馴染にわたしはそう告げた。
全員が全員、タエコおばさんやハンバアのように花森千里を覚えているわけじゃないらしく、郵便局で局員に詰め寄るわたしの姿はヤンキーか何かを見るような奇異の視線を向けられる。
間違いなくわたしの故郷のはずなのに、妙な疎外感だけがあった。
「ごめん」
謝ることじゃないと思う。
だけど何も知らなかったのがわたしだけなんだと思うと。
「……悔しいんだ、ちょっとだけなんだけどさ」
長話をしても仕方ないし、周りの目もキツい。
でも幼馴染に、一切合切の隠し事も無しに付き合えてきたと思っていた男に自分を気遣われたことが、多分わたしには物凄く衝撃的で、包み隠さず言ってしまえば屈辱的ですらあったんだ。自分の方が姉のつもりで接してきた身、気遣うべきはわたしでそれにアンタは甘えるぐらいでちょうどいいんだって思ってたのに。
わたしがガキのままなんだから、アンタはわたしと同じかちょっと下ぐらいにはまだガキなんだろうと思っていたのに。
「じいちゃんさ、多分あの時……」
「わかってる」
クソジジイがあの骨骨ザウルスの前に身を晒して、あれを橙色の恐竜に戻した。
「わかってる……」
敢えて二度繰り返した。
何をしたのかまではわからないけど、何を使ったかはわかる。わかりたくなかったけど、わかってしまう。
「あの後あそこに何か埋めたんだ、じいちゃん」
「……でしょうね」
おおよその予想が付いた。あの日あの時、果たして何があったのか。
あの恐竜が何なのか。あの骨骨ザウルスが何なのか。
「チサト、これ以上は関わらない方が……」
「冗談は寄せ鍋よ」
引く気なんて無いよ。そんなわたしを理解しているからこそ、ユウマは嘘を吐いてたんだろうけど。
その気遣いこそが、今はちょっとキツいんだ。
うそ。
すっごくキツいわ、今。
「ゴメンね、仕事の邪魔した」
「別にいいよ」
だけど。
わたしってホント、変なところで女々しいからさ。
「アンタさ、彼女できたでしょ」
「……うん」
「おめでと」
それだけを言って郵便局を後にした。
あーあ。
聞かなきゃ良かった。
わたしの知らないところで、みんな大人になりやがって!
人間がいなくなり、代わりに未知の生物達が多数溢れ出した世界。
俺とその友であるグレイモンは無敵だった。
「メガフレイム!」
彼の背中に乗って戦いに挑むだけで、自分達が一つになったような快感がある。彼の吐く火球の名前が自然と理解できたし、指示(コマンド)を出さずともグレイモンは俺の思考通りに動いて的確に敵の攻撃を躱してこちらの攻撃を命中させる。数多く生息しているバルキテリウムもどきは最早敵ではなかったし、俺達より遥かに巨大なマンモスもどきだって打倒することは不可能ではなかった。
見慣れた田園風景が火の玉やら雷撃やらが飛び交う戦場に変わる。その事実が少年の俺には心地良い。
やがて大半の敵を狩り尽くした俺達は、俺の通う小学校の裏手にある山へと足を向けた。自分達に敵う者など存在しないという全能感は俺とグレイモンを狭い田舎に留め置かなかった。
裏山には中腹に神社があり、そこから山道を横に逸れた先に大きな屋敷がある。江戸時代にある大名が謀反を企てる際の拠点にしようとしていたとか、追放された異人かキリシタンが隠れ住んでいたとか、そんな眉唾な噂が立てられる程度には人の寄り付かない場所だ。実際には養蚕で一財を築き上げた成金の家だったというオチがつく。
人間の消えた今、いや元より人間が住んでいたかは定かではないが、その屋敷を訪れることに躊躇は無かった。何が待とうと俺とグレイモンならば問題は無いと考えて。
だが。
「ネイルボーン!」
その屋敷に潜む悪魔は強大だった。
スカルサタモン、そう名乗った。グレイモン以上のスピードとパワーで俺達を圧倒したアンデッドは、ただ純粋な暴力の化身だった。俺達は完膚無きまでに叩きのめされ、初めてグレイモンの巨体が大地に伏した。
屋敷の中庭。恐らく平時であれば貴族か長者が優雅にティータイムを楽しんでいただろう場所で。
「うわあああああああああっ!!」
無様な悲鳴。俺はもう無力なガキでしかなかった。
自分が負ける、自分が死ぬ可能性など微塵も考えなかったが故に、いざその危機に瀕すれば容易く折れるもの。恥も外聞もなく立ち上がることさえできないグレイモンを見捨てて逃げ出そうとした俺だったが、そんな哀れな獲物をスカルサタモンが見逃すはずもなく。
異世界で己を保っていた全能感、万能感が崩れ落ちる。
「──────」
ユラリと。
俺とスカルサタモンの間に立ちはだかる影。
グレイモンだった。ネイルボーンの一撃で全身にパリパリと微少なノイズを走らせ、既に死に体と言える身で、それでもと俺を庇うように悪魔の前に立つ。
それを前にして俺はどんなことを思っただろうか。
勝てない癖に出しゃばるなとか今更お前に何ができるんだとか、きっとそんな身勝手この上ないことを思ったのだと思う。何故ならその瞬間の俺は自分のことしか考えていなかったのだ。ただ自分が死にたくない一心で逃げようとしていたのだ。
それでも、俺が見捨てようとして尚、グレイモンにとっての俺はトモダチだったのだ。
目の前の橙色の背中が淡く輝きを放ち始める。禍々しい紫紺のそれを、何故美しいと思ったのか。内側から放たれる光がグレイモンの全身の肉を削ぎ落とし、勇猛さと穏やかさを兼ね備えた瞳すら邪悪な翠へと変えていく。
俺を乗せてくれた頼もしい背中は、もう無かった。
そこに跨がる俺の代わりに、そこにあるものは。
「グラウンド・ゼロ」
淡々と。
ただ脳裏に浮かんだ言葉を俺は告げた。
次の瞬間、猛烈な光が俺の視界を覆い潰した。何かが爆発したらしいとしかわからない。教科書で見た先の戦争による空襲を思い出した。
そうして何秒の後、いや何分の後だっただろう。
光が晴れた時、俺の視力が戻った時、スカルサタモンは既にその身を四散させていて。
美しかったはずの屋敷は後世、ガキどもにお化け屋敷と謳われるような廃墟と化していた。
「あ、あああああ……!」
嗚咽。恐怖。
ピピピッ。
ピピピッ。
手元でデジヴァイスが鳴る。まるで危機を知らせるアラームのように。
俺を静かに見下ろしている白骨竜からは、最早何の感情も流れ込んでこない。それはもう何も思考することなくただ動くだけの破壊の化身だった。それでも数秒前までは確かに俺のトモダチだったから、俺を守ろうと前に出たグレイモンだったから、その瞬間までは俺の指示(コマンド)を待つだけの一片の理性を遺していたのだ。
だから引き金を引いたのだ。
俺が。
間違いなく俺自身が。
ザクッと地面に突き立てたスコップの柄にじんわりと汗が滲んだ。
「ちくしょう……めっ……」
腕力には自信があったけど。
結局わたしはか弱い乙女でしかなかったらしい。
「何が10円ハゲだよ……5円ハゲじゃねーか……!」
スカルグレイモンが起こした山火事の現場に今、わたしはいる。
ユウマは10円ハゲのように周囲一帯が灰と化していたなんて言っていたが、実際には5円玉のように爆心地の中心、数メートルのみ明らかに燃え落ちていないエリアがあった。きっとユウマはわたしがそれに気付くことを踏まえて、敢えて10円ハゲなんて単語を使ったんだと思う。我が幼馴染みながら買い被りすぎだぜ、一週間もかかっちゃったじゃねーか。
山道の途中にKEEP OUTの文字なんて無かった。
わたしの目には見えなかった、わたしド近眼だから、多分。
「どいつもこいつも、勝手に大人になりやがって……!」
だから呻く。相手は誰でも良かったんだけど、まあ一番直近で合わせた顔が一番言いやすい。
何かを守るようにその場所だけ明らかに何かを掘り返し、そして埋め直したような痕跡がある。バレバレ過ぎて涙が出らぁ。そういう涙にしとこう、うん。
あの日あの場所。
子供の頃、骨だけで動く竜と遭遇して無様な悲鳴を上げた発掘現場。
数日前、ノアお嬢様と共に再び同じ竜と巡り会った場所。
わたしは今、その場所を家から持ち出したスコップで掘り起こしている。
『何をしている』
何分、何十分が過ぎただろう。ようやく人一人は埋められそうな程度には土を掘り起こした頃、そんな声がかかる。
奇天烈な行為に走る女を咎めるわけでも、まるで死体を埋めるか掘り起こすかのような状況に恐怖を覚えているわけでもない。ただ淡々と告げられる感情も抑揚もない言葉。
別に振り返らなくとも声の主をわたしは知っていた。
「全部テメーの所為だよクソジジイ。……ごめん嘘、全部じゃないね」
ポツポツと。
雨が降り始める。夏の雨は温くて嫌いだった。
蝉どもは雨にも気付かず囀り続け、従って冷たさなんて感じないから、熱気の中で気持ち良さも覚えない。ただじんわりと肌を濡らすだけの不快この上なさ。夏が生き物だというのならそこで降る雨は生物の汗か何かだと思うとなかなかにグロテスクじゃないかしらん母上殿?
それでも掘る。ただ地面を掘り続ける。
『何をしている』
二度目かよ。
「言うなよ。言わせんなっての」
全ては幻覚で幻聴。
それをわかっていても、ジジイに言うことではないとわたしは知っていた。
幻覚で現れたクソジジイ、言わばミラージュジジイ略してミラジイはそれきり何も言わずにわたしの背後に立っている。ジジイに言いたいことも聞きたいことも沢山あったけど、わたしの記憶から作られただけのミラジイに言うことなんてない。そこにいるのはわたしの記憶から作られた何の役にも立たないだろうハリボテでしかないんだから。
ザクッ。
ザクッ。
汗と雨で温む手に力が入る。目当てのものは、まだ見つからない。
『チサトくん、好きなんだよねえ、いいよねそーいうの好きだよねえ』
背後の声が変わる。随分と長く憧れてきた人のそれに。
言葉を返せない。たとえ幻覚だとしても、憧れた人に反論する気はわたしには無かった。
それでも。
見透かされたのが嫌だった。わかられたのが嫌だった。
自分を形作るものは確かにあって、自分の内面は間違いなくこのド田舎で築かれたもので、それが嫌で嫌でたまらなくてどうにかして捨てようと思って都会へ出たっていうのに、だけど結局それってわたし自身の中にあるものだから捨てようと思っても捨てられるものじゃなくて。
『だったらそういう風に──』
ザンッ。
言葉は返せなくとも。
せめてその先を遮るように地面へスコップを突き立てる。
うるせえ!
うるせえ!!
うるせえ!!!
わかってんだ。わかってんだよ、そんなことは最初から。若気の至りで東京へ出たところで花森千里はどこまでも花森千里でしかなくて、成功者から見たらあっさりと見抜けるような中身のない小娘でしかない。だったら気張らずにありのままを出せばいいんだって言うんだろう。その後で流行りと自分の描きたいものとの間で折り合いを付けて、要するに大人になれって言いたいんだろう。
でもさ。
そもそもわたしは見抜かれたくなかったんだよ。
単なるド田舎から出てきただけの小娘だって思われたくなかったんだよ。
自分の中身が実は大したことないって思いたくなかったんだよ。
主人公の器じゃないって。
ヒロインになんてなれないって。
自分が大したことの無い凡百(そのたおおぜい)だなんて。
そんなことは全て、知りたくなんてなかったんだよ。
だから取り繕うし格好付けるし無様だろうと食い下がり続けてきた。友人や恋人を作ることもなく、ただ漠然と子供の頃から夢見てきた目標に向かって走り続けてきた。張り詰めた一本の矢は容易く折れるって知っていたけど、それでもわたしはそれ以外の方法を知らなかったから。
そんなわたしを。
そうやって藻掻いてきたわたしを。
大人になれない子供(ガキ)だって、世間様(おまえら)は嗤うのか──?
『うん、高校も行ってない。町から出てない』
ホント大人になったよねユウマ。
アンタだけはわたしと同じだろうと思っていたわたし自身が恥ずかしい。わたしが気勢を張ってガキをやり続けてきた間に、アンタは悩んで考えて選んで、今では立派にこのド田舎という社会の一部になっている。見事に大人をやれている。
立派だよ。見直したよ。わたしが東京で頑張ってきたつもりの六年が如何に空虚だったかを思い知らされるようだった。
だけどゴメン、だったらわたしはガキでいい。わたしは多分そっちには行けない。踏ん張るのだって頑張るのだって気を張るのだって全てわたしの為だ。わたし自身の選択だ。それを流行りや世間に迎合する為に曲げるなんてしたくない。可能性を捨てるなんてしたくない、自分から枠に収まりに行くことなんてまっぴらごめんなんだ。
折れたから、夢破れたからわたしはこのド田舎に戻ってきた。
そうだねその通りだ。客観的に見ればそうだ。というか主観的にもそうだ。
だけど捨ててない。
わたしはわたしを捨ててない。
わたしはどこまでも、大言壮語なわたしを張り続ける。
全てはわたしが決めてやる!
『この者達は、アンデッドは、進化というものを間違っている』
だから今、わたしはこの言葉に抗おうとしている。
一瞬だけ受け入れかけてしまった言葉。だけどジジイが言っていたのとはどこか意味合いが違うように思える言葉。
本当の進化、それが何なのかジジイが死なずに教えてくれれば済んだ話。もしくはわたしが聞き流さずに真面目に聞いていれば終わった話。カナデ様の正体が何であれ彼が考古学者だというのなら確かな知見や事実に基づいた言葉だろう、恐竜とか化石とかの知識なんて子供の頃の恐竜図鑑や東京で手空きの時にWikipediaを眺めた以上のものはないわたしに反証できるわけもない。
だけど聞いてしまったんだ、ノアお嬢様から。
あのスカルグレイモン、わたしを見下ろしていたあの竜はジジイのトモダチだったと。
何度も何度も見させられる夢からして、どうやらそれは間違いないっぽい。そしてその事実を知ってしまったからこそ、わたしは今夕暮れの霧雨を浴びながら必死に土を掘り起こしている。
ジジイのことは嫌いだ。化けて出てきたらもう一回トドメを刺し直してやりたい程度には。
それでも。
ジジイのトモダチが単なる力として元の形を取ることすら許されずカナデ様に取り込まれているのは、何か違うんじゃないかという思いがあって。
「……何をしているの、花森」
だから幻聴などに引っ張られている暇はない。
「何をしているのかと聞いているのだけれど」
そもそも別に大切な人ってわけでもないのに何故この女の声が幻聴として響くのか。
「ねえ花森、お前──」
「うっさいなぁ幻覚は黙っとギエー!!」
踵に猛烈な痛みが走って英雄アキレスもかくやという勢いで雨の地面を転げ回るわたし。
は? 痛み?
「ぐおおおおおおおおおおお……お?」
悶えながらも雨が止んだことに気付く。わたしの頭上だけ。
正確に言うなれば。
黒いドレスを纏った女の傘がわたしの頭上を覆っていた。
自分の肩が濡れるのも構わず。というか、それ日傘じゃねーか。
ただ淡々とした表情のノアが、わたしを見下ろしていた。
「幻覚がわたしのアキレス腱を……」
「主を幻覚呼ばわりとは大したご挨拶ね花森やはり首だけにしておくべきかしら」
あ、死んだわ。
花森千里、死亡! 芋ジャージとメイド服の似合う女でした! 青空に笑顔でキラーン! ……曇ってるじゃねーか今!!
「な、何故ここに……」
「質問は許さないと言った。数日前のことすら忘れたのかしら」
言いつつ、ドレスの裾から例のマシンガンを取り出すと──どうなってんのそれ?──わたしが掘り起こし中の地面に数発の弾丸をブチ込んだ。それだけで地面はあっという間に先日、スカルグレイモンが初めて現れた時と同程度に掘り返された状態となる。
いやそんな力があるから最初から手伝ってよと咎めるようにノアを振り返ったわたしの目に。
「つっ……」
ジワリと。
口の端を噛みつつ、ドレスの脇腹を黒く染めたお嬢様の姿があって。
「お嬢さ──」
「言うな。これ以上言うなら、首から上をその貧相な胴体とサヨナラさせるわよ」
テメーそれだけは如何なる理由があっても言っちゃならねーだろ。
それはともかく。
「やっぱりあの時……」
「言うなと言った。お前には関係ない、私の不手際の問題よ、これは」
博物館のあの日、どう見ても外出向きでない厚手のパーカーを着ていたのはこれが原因か。ファッションセンスなさ過ぎうぷぷとか言っちゃって申し訳ございませんでした。やっべ、ハンバアの笑い方感染してる。
「それで、どうなの」
「……見つかりました」
掘り起こされた地面の中、キラリと光るものがある。
およそ2メートルほどの凹みにわたしは躊躇いなく飛び降りて、目的のものを拾い上げる。掌に収まる程度のスマホか何か、それにしては随分と年期が入っていて、電池切れか他の要因なのか画面には何も映し出されていない。
スカルグレイモンが現れた後、この場所を埋め立てたのは恐らくカナデ様だろう。その中でこれは単に見つからなかったのか、敢えてそのまま捨て置いたのか。
ピースは揃った。
「お前がそれをどう扱うのかは知らないけど、まあ上手くやることね」
「ありがとうございます、ノアお嬢様」
脇腹が痛むのか、凹みの上で顔を顰めているノアに恭しく頭を下げる。
ノアが助力してくれたのは確かに計算外ではあったけど、どちらにせよ言うべきことはあった。
「ありがとうございますついでに、もう一つだけ頼まれ事を宜しいでしょうか」
「……お前、自分の立場をわかっているの?」
わかっている。
わかっているからこそ、少しだけ躊躇った。
だって元々こんなことをする予定なんて無かったんだ。ちょちょいと金持ちの下で働かせてもらって給料をガバチョと頂くだけの仕事だったはずなんだ。なのに逃げられなくなってしまった。変なことばかり抱え込んでしまった。それは勝手に死んでいたジジイの所為であり、同時にあの発掘現場に無断で行ってくれやがった目の前のお嬢様の所為でもある。
だから。
「トモダチとしてお願いしたいんです、ノアさん」
さよなら、わたしのSUMMER TIME SURVICE。
「そこから上がれないので引き上げてくださいとか言ったら、その髪全て刈り上げるわよ」
「……あ、やべ。それもお願いしていいですか?」
「了解したわハゲ森」
「ハゲを煽りに使わないでくれますぅ!? そもそもハゲは別に悪いことじゃねーだろ!?」
昼下がり、わたしが各々の部屋からお召し物を預かって洗濯に回そうという時間。
屋敷の中庭を通りがかると、珍しく在宅されているカナデ様が優雅なティータイムを楽しんでいる。小汚い裏山には不釣り合いな西洋建築の屋敷の中、端整な老紳士が手慣れた仕草で紅茶を口に運ぶ姿は実に絵になっていて目を引くものがあると感じた。なんとなく脳内で勝手に周囲に薔薇の花を咲かせた構図を考えてしまうわたしである。
「花森くん、少しいいかな」
「お呼びでしょうか」
サッと抱えた洋服達を籠に放り込んで、中庭へ入っていく。
後ろを振り返って軽く瞬きした。今はノアもランも部屋に戻っているはず。
「君には大変世話になった」
座りたまえと促されたけど、いやーわたし椅子を引く時音を立てちゃうから嫌なんだよな。
「光栄です」
「それでだね、大変名残惜しいのだが私達もそろそろ他へ移ろうと思っていてね」
「……それはまた随分とお早い」
もう一度瞬き。驚いたように見えているか自信は無かった。
「この山のアンデッドは全て回収し終えたと思うからね。次なる霊脈を探さねばならない」
「霊脈……とはどういうものか、伺っても?」
「この世界の表現に合わせるとそうなる。我々の言葉で言えば、デジタルゲートと呼ぶのだがね」
遠慮も隠し事もない。不死川カナデは人間であるわたしに全てを語ってくれる。
それは純粋に故・春川の弟子──と呼ばれるのは嫌だけど実の孫扱いされるよりはマシ──としてのわたしに少なからず親愛を抱いてくれているのか、ただの人間に話したところで何か不都合が起きるわけでもないと考えているのか、それとも単に自分の考えを纏めるべくメイドであるわたしを都合のいい言葉を反芻する壁か何かと捉えているのか。
どれにせよ、人間の考え方ではないと感じた。
「我々の世界はこの世界から派生した。故にこの世界の影響を多く受けるし、逆もまた然りだ。ノアが話した通り、我々の世界はとうに滅びたが一部の同族はデジタルゲートを通って落ち延びた。……スカルを冠したアンデッドとなっている者も多いのだがね」
「……では、春川のスカルグレイモンも……?」
「おや、知っていたのかい。それは話が早い」
笑顔になるカナデ様。自分のそれが目の前の女にどんな意味を持つか、気付くこともなく。
「あれは大物だよ。こちらに来た影響でアンデッド化したわけではない。生来のスカルグレイモンだ。故に極上の獲物だったのと言える。ノアが先に狙っていたようだが、恐らくあの子では制御し切れまい。そして野放しにしておけばこの世界……君達人類に多大な被害を及ぼすことは間違いない害悪だ」
不死川カナデはそれを生業としている。化石として出土する理性のないアンデッドを暴れ出す前に回収、自らに取り込んでいく。
化石を発掘するという意味でそれは間違いなく考古学者だが、でもそれは。
それはきっと、違うって思う。
「カナデ様は」
「うん?」
「取り込んだそれらをどうするのですか」
わたしは。
カナデ様の右腕にジッと目を向けて。
「どうもしないよ。既に我々は我々の世界を失った。力を振るう機会など金輪際無くていいものだ。つい先日とうに領地も爵位も失った身だと話したね? 在りし日の世界は陣取り合戦のように強者達が互いに鎬を削り合う戦国の世だった。その中でアンデッド族もまた多くの血を流し、また流させたが……もうそんな我らの世界は無いのだ。戦う必要など無い。戦うことしかできない者などいない方がいい」
それで。
心は決まった。
「話を戻そうか花森くん。大層世話になった君には心ばかりではあるが御礼をしたい。何か望みの──」
スッと。
カナデ様が。
不死川カナデが言い終える前に、わたしは机の上にそれを差し出した。
「……これは?」
目を丸くするカナデに被せるように。
「わたしが頂きたいのは、カナデ様の右腕です」
そんな宣戦布告。
空気が変わる。
空気が澱む。
柔和な笑顔を浮かべていた老紳士の顔が凍り付く。
「なかなか面白い冗談を言うが……」
ピピピッ。
ピピピッ。
わたしに代わりカナデの言葉を遮るように、わたしが机に置いたそれからけたたましい電子音が鳴り響く。画面に映っているのは恐竜を模したモノクロのドット。それがまるで威嚇するように吼えている。カナデへ、不死川カナデの右腕へ。
恐竜。
ジジイのトモダチ。
グレイモン。
スカルグレイモンではなく。
グレイモン。
「気付きませんでしたか? いえ、気付かなかったのでしょうね、カナデ様は人間ではないのだから」
「君は……何を言って」
そこにはもう笑顔はない。だけど怒りや苛立ちもない。
ただ能面のような表情。そこがノアや恐らくはランとも違う。
シスタモンそのままの姿でいるノアと違い、人の皮を被って擬態しているだけの不死川カナデの身体にはそもそもそのような機能がない。ただ人間の形を真似ているだけの着ぐるみと同じ、そしてだからこそ人の世を理解しているように嘯く彼はきっと人間を理解し切れていない。争いのない世界で平和に過ごすべく、笑顔以外の感情を模倣すらしなかった彼は。
ジジイのトモダチはスカルグレイモンだとカナデは言った。カナデ達の世界からこちらに来る前からスカルグレイモンだったとも言った。でも違う、絶対に違う。
「春川……もういいか、あのクソジジイのトモダチは、グレイモンです」
「──────」
顔を硬直させたままガタッと立ち上がるカナデの姿がおかしかった。
そう、スカルグレイモンじゃない。ノアと一緒にあの発掘現場で遭遇したのは橙の竜、カナデが間違った進化と呼ぶアンデッドではなかった。そしてそれは同時に、化石として出土する理性のない化け物は人間世界に相応しくないのだから封じるべきだという彼の行動の大前提をも崩し得る。
とはいえ、わたしのこの推論にはまだ大きな穴がある。ジジイさえ生きていれば容易く塞げる穴だから今は無視して突き進むけど、だからこそ勝手に死ぬんじゃねーってのよクソジジイめ。
「わたしは別に、カナデ様の行動の是非を問うつもりはありません」
「……では、君は何を」
「カナデ様には随分と買って頂きましたが、わたしクソジジイのこと大嫌いだったんですよ」
単に幼馴染みのジジイってだけなのに実のジジイみたいに。
五月蠅くて。喧しくて。
厳しくて。構ってきて。
その癖、勝手に心配して勝手に反対して勝手に反省して勝手に死にやがった。
何よそれ。
何なのよそれ。
わたしの気持ちの持って行き所がないじゃない。実は心配してた、反省してたって後から言われたって、それを聞かされたわたしは、溜まりに溜まったジジイへの鬱憤をどこにぶつければいいんだよ。わたしも本当は好きだったよって心にも無いことを墓前で泣いて縋ればいいってのかよ。
だから、いやそれでもか。
「でもジジイのトモダチが間違ってる、ただの化け物だって言われるのは違うと思う」
せめてもの誠意で責任は取ってやるよ、クソジジイ。
「だからブッタ斬ってやりますよ、その右腕」
「……面白い!」
笑顔しかできないのだからそれは本心なんだろう。
ブワッとただでさえ蒸す陽気の中を更に焼けるような熱風が迸り、カナデ様の皮を破って数メートルはあろうタダノキゾクモンが君臨する。またも前髪がチリチリと燃える感覚があってアフロピンチ。誰がパパイヤ鈴木やねん。
うん、まあ別に。
タダノキゾクモンに興味は無いんだ。用があるのはその右腕の骨骨ザウルスだけ。
「私は戦いは好まないが、興味がある。花森くん、君が人の身でどうやって我が右腕を奪うというのか」
「……んー」
なんか恥ずかしくなってきた。
ここで突然わたしに超常的な身体能力が芽生えてタダノキゾクモンを生身でブチのめせたらカッコいいんだろうなと思う。
「こう見えて文明人なんですよ、わたし。お宅の娘さんと違っ……うおっ!?」
わたしの足下でどこからか飛んできた銃弾が跳ねて思わず飛び上がる。
地獄耳かよ。
「……二度、救われちゃうな、クソジジイに」
机の上のスマホもどきを手に取る。
既に中身の彼は臨戦態勢だった。
ジジイのトモダチ。
あの日あの時、スカルグレイモンとして現れた彼を見てジジイは有り得ないと言った。
今ならわかる。だってジジイのトモダチはグレイモンだから。スカルグレイモンではなくグレイモンとしての姿をジジイは知っていたから、スカルグレイモンの姿で現れたトモダチを前にあの時ジジイは最後の、三回目の有り得ないを言ったのだ。
そんなトモダチをグレイモンへと変えた。ジジイはわたしとユウマの目の前で。
元のグレイモンへと戻って欲しいと考えてジジイは力を行使した。多分、自分の命を使って。だってあのクソジジイがぽっくり逝くなんて思わないもん。最後までしぶとくベッドの上で生き残るジジイだもんアレは。だからクソジジイは自分の命を代償にスカルグレイモンをグレイモンへと戻して、わたしとユウマも守り切ったんだ。
わたしはそれを退化とは呼ばない。絶対に呼ぶもんか。だってそれは願いだ。トモダチはスカルグレイモンではなくグレイモンであって欲しいというジジイの願いが、退化なんて言葉で片付けられてたまるものか。
その願いの具現が、このスマホもどき。なんかカッコいい名前付けてよセンスある誰か。
これにはクソジジイの願いとしてその時のグレイモンのデータが保存されている。きっとジジイの命すら込められたそれは、もしかしたらバックアップって呼ぶ方が正しい気はするけど、そう呼んだら色々と台無しだから言わない。
それを今、少しだけ借りていく。
「リアライズ」
何故かわかる。
何故か言える。
頭に浮かんだ単語を発すると共にわたしの背後に橙色の恐竜の姿が形成されていく。
「……ごめんね」
先に謝罪。
穏やかな瞳でわたしを見下ろしている恐竜に敵意なんてない。
あの時振り下ろされた尻尾はわたしに向けられてなんていなかった。他ならぬジジイの『孫』──都合いい使い分けだぜ我ながら──を足蹴にしたり愚図呼ばわりしていたノアを標的としたものだった。ざまあ見さらせお嬢様。
「グレイモン……」
現れたその姿にタダノキゾクモンが怯む。自分の右腕にあるはずの存在が目の前に出現したのだから当然だろう。とはいえ、純粋に戦えば勝てない相手ではないという自負もあるらしい。グレイモンはノアお嬢様でも十分に戦えたと思えば、そのお父様であるタダノキゾクモンにとって脅威にならないだろうこともまた必然。
だけどね。
終わりじゃないんだ。
むしろ今、わたし達にとって戦いが主じゃない。
全てをへし折る為にここにいる。
ジジイが忌避したスカルグレイモン。
カナデが間違った進化と評したアンデッド。
それらを否定すべく、わたしとグレイモンは今ここにいる。
だから今、覚えている限りのクソジジイの教えを、この瞬間だけ貰っていく。
「我々人類は化石を通して恐竜を知ることができる……」
クソジジイはそう言っていた、多分。
グレイモンから放たれる紫紺の光。それに禍々しさなんて覚えない。覚えちゃいけない。
「だから化石というのは我々と恐竜を繋いでくれる大切な友達なのだ」
そうも言っていた、これまた多分。
その癖に、骨だけになったトモダチをジジイは忌避した。うぷぷ、やっぱダセーッて笑ってやりたくなる。いや私もあの10円ハゲもとい5円ハゲを見た時は流石にビビったけどさ。今もわたしのすぐ後ろにあの骨骨ザウルスが立っているかと思うとちょっと、いやかなり怖いんだけどさ。
スカルグレイモンを前にカナデが、タダノキゾクモンが怯む。
「君は間違っている。間違った進化をさせている」
「カナデ様はクソジジイのあの絵を見たでしょう?」
「──────」
クソジジイは信じた。グレイモンというトモダチを持っていたからこそ信じられた。
恐竜が絶滅しなかったら。
恐竜が進化を続けたなら。
恐竜が人と共にいたなら。
そしてあの絵を描いた。恐竜が絶滅せず更に進化して人と友人として共に生きられる夢を見た。でも悲しいかなクソジジイは考古学者であり、小説家でも映画監督でも無かったから、そんなジジイの論は夢想だ法螺話だと切って捨てられた。
だからせめて。
ジジイが恐竜とその骨まで結んだトモダチの先を。
空想を描く者(まんがか)の卵のわたしが貰っていく。卵は卵でも孵る前に割れたとか言うな。
正論OK、常識OK、そんなものは聞き飽きた。
恐竜は絶滅しました。
恐竜は進化の袋小路です。
恐竜が人類と共存できるわけがありません。
ンなもん聞き飽きてるっつーの!
それでもわたし達は夢を見ちまうんだから、それを現実にするべく頑張るしかねーでしょ!!
あー、だからクソジジイ。
耳かっぽじってよく聞け。
アンタの描いた夢は。
アンタのトモダチは。
花森千里がちゃんと形にしてやんよ!!
恐竜と友となり。
化石を愛した。
そしてその先を夢見た男がついぞ辿り着けなかった到達点。
人と共に歩める存在。
人の形を成した究極の竜戦士。
故にその名を。
ブラックウォーグレイモン。
SUMMER TIME SERVICE 第五話「現実と夢想とわたしが行きたいその先へ」
次回に続く……
【後書き】
(後日追記致します)