本作はマダラマゼラン一号様・作 【#ザビケ】SUMMER TIME SERVICE 第一話「猫と恐竜の夏休み」 の第三話となります。
第三話「火花と罵倒と三回以上は有り得ない」
そういえば、である。
「……なんで生きてんだっけ、わたし」
まるで他人事のように、そんな疑問がふと浮かんだ。
東京のボロアパートの一室、花も恥じらう乙女の身分で人前に出られない程度にボサついた髪を搔き毟りながらベッドの上で体を起こしたわたし。カーテンもシャッターも閉め切られた部屋は真っ暗で何も見えない。手の届く場所に蛍光灯のリモコンさえあれば何ら苦労なんてないのに、人類は何故そんな文明の利器を富む者や選ばれた者にのみ与えたのか。恨むぜ神様。
ふぁと大欠伸を一つ。確か満員電車に揺られながら帰宅してそのままベッドに沈んだ身、今が何時かすらわからないわけ。
「……んー」
寝ぼけ眼を擦りつつガサゴソと枕元に置いてあるだろうスマホを探す。
段々と視界はハッキリ定まってきてるみたいだけど、よく考えたら真っ暗じゃ結局何も見えねーのよ!
なんか懐かしい夢を見ていた気はするのに、曖昧な夢なんかより目の前に確かに存在するはずの光を求めて這い回るわたし。何その詩的な表現、今度どっかで使おうかしらんと思いつつ、這い回る場所が安物のベッドの上じゃ何の画にもなんないよなという諦観もあって。
てかさ、わたしが動く度に重いとばかりにギシギシと軋むんじゃねえわよ中古のシングルベッド3万そこいら。女に恥を掻かすな!
「あ、スマ──」
程無くして指先が硬い板状のものに触れたと思った瞬間、膝がズルリと縁から落ちて。
あ、ヤバ。
「ごはっ!」
致命的なぐらい女子が上げちゃいけない声が出る。
ベッドの上から木造の床まで僅か50㎝程度、それを落下する間にそこらの野良猫ちゃんもかくやという身のこなしで全身を反転させたわたしは、そのままだったら単に胸から床に落ちるだけで終わったろうに逆に後頭部と背中を強かに打ち付ける醜態を晒し、視界に刻の涙というか火花が散るのを見た。
「ぐおおおおおっ……!」
死んだわ。こりゃ間違いなく死んだわわたし。片手で後頭部を、もう片手で明滅する目元を抑えながらわたしは床の上で悶絶する。
美少女漫画家(予定)、自室で変死。薬物反応も? 見出しはそんな感じか、いや勝手にクスリ盛らんで欲しいけどね。
ていうか悲しいかな全然死なないっぽいんだけど。そういえばパキケファロサウルスもかくやという石頭だったぜわたし。
「……なんで生きてんだっけ、わたし」
後頭部の痛みがスゥーッと引いていくのを感じながら呟いた。
それでさっきまで自分が見ていたっぽい夢が脳裏に甦ってくる。ガキだった頃のわたしと、同郷のアイツと、クソジジイ。そんな三人が遭遇した、実際にあったはずなのに夢物語としか思えない遠い過去の出来事。何か有り得ない──クソジジイが何度もリピートしていたから、本当に有り得ないんだろう──存在と遭遇したあの日あの時あの場所の夢。
20年ちょいの人生で何度か見た夢だ。だけど夢はいつも“あれ”と邂逅したところで終わる。
「なんで……」
だからわからないんだ。
わたし、花森千里は“あれ”と出会ってどうなったかがわからない。
アイツもクソジジイも今普通に生きている、はず。
だからあの日あの時、あの場所からは無事に帰れたんだろうけど。
わからない。
わたしは自分が、自分達がなんで生きているかがわからない。
「あー、クッソ……」
呟く。唸る。呻く。無様なわたしを詰るように。
東京という灰色の町に出てきて数年、未だ何も為せていないわたし自身を罵るように。
目元を押さえていた掌を退けても結局は何も変わらず視界は真っ暗なまま。
まるで今のわたしの心を示しているかのよう。3mと離れていないだろうアパートの天井さえわたしの目は感知できない。その程度の認識力でわたしはずっと生きている。確固たるものを見出せないまま、どこかふわふわした感触のまま、わたしは法律の上では大人になってしまった。
点けてよ。
誰か電気、点けてよ。
「……シャワー浴びよ」
わたしと一緒に床に落ちたタオルケットをグッと握り締めて独りごちる。それにしたって気持ちの切替が下手にも程がある。わたしは自分自身を誤魔化すことさえできないのか。
ホント。
何やってんだろ、わたし。
考えたところで覚えていないものは覚えていない。
だって前も後もなかった。
あの発掘現場に何故わたしとアイツがいたのか。
そこからどうやって生きて帰ったのか。
わたしはまるで覚えていない。アイツに聞いたこともない。
だからそれだけなんだ。
月明かりの下。
白骨の竜がその翠に光る双眸をわたし達に向けていて。
ただそれだけが、わたしの記憶に残るあの日あの時の光景の全てだった。
思えばわたしは。
あのクソジジイが名の知れた権威であったらしいことは知っていても、考古学という分野においてどんな半生を送って来たのかとか、そこから追放だか自分から去るだかした後どんな思いを抱えて生きていたのかとか、その辺りの事情を知ろうともしなかった。わたしにとっての春川某はどこまで行っても視界に入る度にくどくどと喧しく吠えるクソジジイ以上でも以下でもなかったから。
わたしは旦那様、不死川奏が言うところの故・春川教授の研究実績なんて知りもしない。いや今この状況を思えば真面目に知っておけば良かったなんて思わなくもないけれど、少なくともわたしが覚えている春川某の最も印象的な姿は二つだけ。別に実の孫でもないってのに上京するって決めたわたしの前に現れて散々怒鳴り散らしてくれた赤ら顔と、あの日あの時の自分自身がそれまで抱いていた常識が全て覆されたかのような無様で滑稽でこの上なく愉快な唖然とした表情だった。
有り得ない。
有り得ない。
有り得ない。
あの日あの時、ジジイは確か三度ぐらいリピートしてたかな? 安直にサビを何度も繰り返す流行りのJ-POPかよって感じ。
あー無様。
本当に無様。
ま、思えば無様なのは。
その時のわたしと。
今のわたしもなんだけどさ。
「極上の不死者(アンデッド)だわ。スカルグレイモンか……」
視界の中のお嬢様はニヤリと笑ってそう言うのだけど。
シスタモンノワールだとかスカルグレイモンだとか、もうさっきからモンモンモンモンと意味不明。ちなみにわたしはまるでついていけず悶々悶々悶々悶々。
ノアが、いやノアお嬢様か、うん心の中でぐらい尊敬の念を以ってそう呼ぼう。とにかくシスタモンノワールとか自称したノアお嬢様がスカルグレイモンと呼ぶ白骨の竜は、あの日あの時の姿のまま、少なくとも私の知り得る如何なる生物とも違った姿でそこにいる。いや冷静に考えたら心臓以外は全て骨だけの生物なんて有り得ないわけだけど、その有り得ない生物が少なくとも今目の前でわたしを見下ろしていることは疑いようのない事実で。
やっべ、二回も有り得ないっつっちゃった。いやでもジジイは有り得ないを三回ぐらい言ってたはずだよね、だからセーフ、ギリセーフ。
「あの……お嬢様、そろそろ説明を」
「愚図」
それはそうとアンタは絶対三回以上わたしを愚図呼ばわりしてますよねぇ!?
そうツッコむ間もなく、短いスカートからスラリと伸びる足で軽く小突かれ、わたしは「ぎえっ」と三下みたいな台詞と共に地面に転がされる。
いやね、わたしをこのスカルなんたらから距離取らせようと思っての行動なのはわかるんですよお嬢様。でもさっきから何度も愚図呼ばわりされるわ軽くにしろ蹴り飛ばされるわ、わたしの肉体的&精神的ダメージはほぼお嬢様によって負わされてる気がする。せめて無事に帰れたら罵倒のレパートリーぐらいもうちょっと増やしてみましょうよお嬢様。
あと何よりわたしは愚図じゃねえ! ちょっと乙女っぽい悲鳴あげるのが苦手なだけの花の22歳女子だよ!
「緩慢、愚鈍、愚図」
まさかとは思いますがそれわたしのことですか。
「……まだデジコアが完全ではないということかしら」
何だよデジコアって。
グググググ。
それは骨が軋んでいるのではなく純粋に生物の肉体が活動する音。
骨格だけでありながら動こうとする白い竜は、わたしのことを真っ直ぐ見下ろして今にも襲い掛かってきそうだってのに、両腕をゆっくり掲げて片足を挙げてと実にスローモーション染みた動作でこちらに向けて動こうとしている。
え、何? つまりさっきの罵倒三連打って対象はわたしじゃなくて。
「疑問に思わなかった? 私も含めてこんな人間の常識では測れない化け物が存在していることに」
「いや散々疑問に思ったし説明求めた気がしますが」
「薄々感付いているかもしれないけど、それらは全てこの世界で生まれ落ちた生き物ではないの」
あ、ダメだ。この女きっと最初から自分で話す筋道決めた上で、そっから逸れることが許せないタイプだ。
そっちが話してくれるんなら聞きたいこと山ほどあんのよ。少なくとも神の御加護どころか神罰が下りそうなド派手に晒した生足魅惑の修道着がノアの趣味なのか否かをわたしは聞きたい。でも迂闊なこと言うと眉間の風穴が良くなる可能性があるしな。
「確かにシスタモンだのスカルグレイモンだのいきなり言われて悶々としていましたが……」
「次それ言ったら首だけにするわよ花森」
「せめてクビにするわよで止めるべきでは」
だけ要らんでしょ。
いや待って今わたしもテンションおかしい、撃ち殺される可能性があるって言ってんのになんでダジャレ優先してんの。
「とにかく」
「はぁ」
「今の私の攻撃じゃ致命傷を与えるのは無理ね。かと言って、こいつもまだ完全に動けるわけではない」
完全体なのにね、なんてわたしには意味のわからないことをノアは言うのだけど。
さっきのお嬢様の火砲が効いているのか。正直そうは思えなかったけど、橙色の恐竜だった時はわたしを尻尾の一撃で潰す勢いだったのに、白骨化してからは確かに緩慢で愚鈍で愚…んっ、それ言ったらノアと語彙力変わらんことを証明してしまうので今の無し。とにかくコマ送りのように動きがスローリーで、だからこそ私とノアは白骨竜を眼前にしながら会話ができているわけで。
「では、どうされるおつも」
「愚図」
また言ったよ! そろそろわたしキレてもいいんじゃねーの。
あと人の話はキチンと聞こうよ、別に愚図でいいからせめてこっちの台詞は最後まで言わせやがれよ。
「言ったでしょう、パパにあんたを渡すわけにはいかなくなったと」
「今の台詞もっかいお願いしま嘘です」
銃口をこちらに向けないでくださいお嬢様。
「でもそれ以上にこいつをパパに気付かれるわけにはいかないわ」
速攻で優先順位落とされるわたし。
手にした銃を再び白骨竜の胸元に向けて軽く一発。肋骨の向こう側にはゆっくりと胎動する心臓が見えているってのに、放たれた銃弾は肋骨かそれともその目前に薄いバリアでもあるのか、パシッと乾いた音と共に弾かれて消え失せた。
ていうか撃鉄上げたままかよ今さっき銃口向いてた時はマジでノアの指先次第で本当にわたしの眉間の風通し良くなってたのかよこえーな!?
「……ま、パパはとっくにもっと大物を見つけているかもだけど……」
「一つわたしの方からお伺いしても?」
「却下」
なんでやねん。なら思わせぶりなことばっか言わないでもらえます!?
だからノアの告げた二文字を敢えて無視して言い直す。
「こいつは……何なんですか!?」
さっきからテンションがおかしい理由。
それをわたしはとっくの昔には、いや昔ってつまり数十秒前だけど、気付いていた。
陰湿で失礼で酷薄なノアお嬢様の罵倒に散々反応してきたわたしだけど、そうしなければ立つこともできなくなると知っていた。
白骨の竜、あの日あの時わたし達の前に現れた異形の存在。
さっき回想で腰を抜かした役をユウマにやらせたけど、あれやっぱりわたしだったのかもなって今は思う。
満月の隣に浮かぶような翠色の二つの宝石に見つめられたわたしは、最早まな板の上の蛙だった。
それぐらいビビッて固まって漏らしそうになって。
自分はここでこの化け物に殺されるんだと漠然と理解して。
それなのに今、わたしは生きている。
あれ、いやこれと遭遇したわたし達が何故生き延びたのかをわたしは覚えていない。これと出会う夢は何度だって夢に見た、特に東京のアパートで精神的にキツかった時期には毎日のように見た。だけど内容はどこまでもこれと遭遇して有り得ない有り得ないと呻くクソジジイの言葉で終わって、その先を見ることは敵わない。
だっておかしいじゃない。わたしはノアと違って戦う力なんてない。
勿論アイツもジジイもただの人間で、実際わたしはつい数分前に愚図と呼ばれても仕方ない程度には迂闊に動いて橙色の竜の尻尾に叩き潰されかけた。今の白骨竜はどういうわけか動きが鈍いけど、少なくともクソジジイと同じ程度にはわたしとアイツも硬直していて、わたしかアイツのどっちかは腰を抜かして裏声で絶叫していた程度に動けなかったはずなんだ。それを狩るなんてきっと容易いこと。
だからおかしいじゃない。わたしもアイツもクソジジイも今ここに生きていることが。あ、いやクソジジイは死んだんだけどさ。
すっぽり抜け落ちているんだ。わたしの頭蓋から、わたし達が生きて下山した記憶が飛んでいる。
それきりユウマともクソジジイとも意図的なのか無意識なのか、あの日あの時の話題は出さないようにしていたんだけど、これを覚えていないのは果たしてわたしだけなの? わたしだけわたしが生きている経緯を知らないまま今いるわけ?
夢を見る度に突き付けられた。そして心のどこかでいつか向き合わなきゃいけないと知っていた。
嫌でも。
怖くても。
大嫌いな故郷のここに来なければ、自分の内にある堰は壊せないんだろうってわかっていたんだ。
「ここからは独り言」
タンと銃口が火を噴き、けれどやっぱりノアの武器では白骨竜に傷一つ──いや既に骨だけなんだけどさ──負わせることはできなくて。
ノア自身、効かないとわかっているらしい。それでもヒールで舞うように砂利の上を駆け回り、白骨竜の顔付近に二度三度と火花が散る。
引き付けている。そう感じた。
「こいつ……いえ、私達ね、私達の世界があったのよ」
先程までわたしを、10数年前に取り逃がした獲物だけを見ていた白骨竜が、ノアお嬢様を初めて認識する。
グググググ。
相変わらず緩慢この上ない。けれどノアが誘う方向へ首を、それから全身を向けていく。
「まあその世界のことなんてどうでもいい。大昔はこの世界とも繋がっていたらしいけど、パパも私も蘭も別に興味は無かったし」
え?
不意に蘭お嬢様の名前が出てきてわたしの意識もまたそちらに行く。
最小出力に設定しているらしい銃で白骨竜の顔面を撃ち、相変わらず小気味良いリズムを刻んで森の奥へと進んでいくノアは、当然わたしの方なんて見ていない。
「私達は偶然人間に近しい見目の種族だったから問題は無かった。人間として生きていくだけなら何の問題も」
タン、タン、タン。
「同胞のことも気にしたことはなかった。私達は私達さえいれば……」
タン、タン、タン。
「でも違った。いえ、違ってきてしまったのよね。春川某の所為で」
クソジジイ!?
目を見張る。耳元で囁かれているかのように明瞭に聞こえるノアお嬢様の声、でももう声の主は白骨の竜を誘って森の奥へと姿を消していて。
「アンデッド。私達の世界でそう呼ばれた連中がこの世界では化石という形で出土するようになった」
「だからこれもその一種。滅多に見ない程度には凶暴で極上の化け物だけど、パパは満足しないかも」
「そうね今日はもう帰りなさい花森。まあまあ楽しかったし、ケーキのことなら大目に見てあげるわ」
たん。たん。たん。
銃声はとっくに遠くなっているのに、ノアの声だけはわたしの耳にハッキリと届いていて。
「お嬢様、まさかわたしを守る為に──」
「愚図」
まだ言うか。
「そんなカッコいいことするわけないでしょ。漫画じゃあるまいし」
「──────」
次の瞬間。
ドゥ。
そんな轟音と共に凄まじい熱風がわたしの顔に吹き付けて。
空に火の粉が舞っていた。
その日、裏山が火の手に包まれた。
局所的な山火事。後にそう記録されることになる。
でもわたしは知っている。そこで起きたことを全て知っているのに。
「有り得ない……」
口はパクパクするばかり。
「有り得ない……」
目を瞬かせることしかできずに。
「有り得ないでしょ……」
火の手が上がる爆心地(グラウンド・ゼロ)のすぐ傍で。
「有り得ない……でしょうよ」
花森千里はただ地面の上にへたり込んで。
クソジジイ以上の無様さで、三回以上は有り得ないを繰り返していた。
SUMMER TIME SERVICE 第三話「火花と罵倒と三回以上は有り得ない」
次回に続く……
三月までにやり残したことを片付けねばと考える中で最初に浮かんだのが、ザビケで二話書かせて頂いた作品でしたので突発的ながら三話書かせて頂きました。1話をご提供くださったマダラマゼラン一号様には改めて感謝を。
今回三話書くにあたって一話を数回読み返させて頂きましたが、大分チサトを喧しい女に描いてしまったか……と反省したりもしております。いやでも一話の最初のジジイの部屋(死んでる)に押し入るシーンから考えてこんな性格で受け取ってしまったといいますか。
そして二話時点では拾えていなかった奏様がジジイの研究実績に興味を示していた描写を今回突っ込んだり。
このような形で組み立て方を考えていくのは非常に楽しく、やはりザビケは素晴らしい企画であったと再認識する次第でございました。
それでは1話を書いて頂いたマダラさんと企画立案されたへりこにあさんには改めての感謝を。
ありがとうございました。
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