本作は湯浅桐華様・作 【#ザビケ】Realize the Digitalworld Act.1「春① 訣別/出会い」 のAct.2となります。
Act.3「夏① 願望/躊躇い」
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仇敵に巡り会えたことで抱く感情は憎悪か、昂揚か。
どちらでも構わない。眼前で嘶く竜を前にすれば、ここまで全力で駆けてきた疲労も吹き飛ぶというもの。
この時の為に生きてきた。
この一瞬の為に生き長らえてきた。
「──────」
長大な尾が薙ぎ払われる。
咄嗟に構えた右手が人でないものとなり、大気を裂かん勢いで迫る尻尾を受けた。腕の骨と肉が軋み、またビリビリと肌が粟立つ感覚は最高の悦楽となり己の心を震わせる。
しかしすぐに体を反転させた竜の、その機械化された爪が突き出される。
ブースタークロー。既に仇敵のデータは全て頭に入れてある。人の身で受ければ肉体を抉るどころか粉微塵に砕いてあまりある一撃は、しかし悲しく空を切り背後のビルの外壁に突き刺さるのみに終わる。
とうに人間を超えた防御力、そして俊敏性。
どちらも自分自身を歓喜という興奮の渦に飲み込むには十分。
(あとは……攻撃力!)
ひらりと翻した身を反転させると共に、残る左手も人から隔絶した異形のそれへと変わっていく。
「棒陣破!」
一撃。
その肉体を弾丸へと変えて。
二撃。
ただひたすら叩き込むだけ。
三撃。
竜の仮面に亀裂が走り始め。
四撃。
それでも決して躊躇わずに。
五撃。
それでも断じて容赦せずに。
六撃。
ただ両拳を打ち付けていく。
七撃。
それが何故か凄く楽しくて。
八撃。
紫紺の竜の顔が砕けていく。
九撃。
そこに現れた見知った顔は。
十撃。
刹那に砕け散るだろう顔は。
「強くなったね……」
血塗れになった父か、母の顔だった。
●
「ハッ……」
パチリと電気が点けられて意識が現実に引き戻される。
「少し体を苛め過ぎじゃないか……?」
労るような優しい声音。それで今、自分がトレーニングルームの長椅子で寝ていたと気付く。
蛍光灯の二つか三つではこの広い地下室を照らすにはとても足りず、部屋の入口付近に立つ彼の顔は薄暗くてよく伺えなかったけれど、きっと心配とか不安だとかそういった色をしているに違いない。よろよろと体を起こして、そんな実にお優しい彼の方をチラリと見た。
「お疲れ様でした」
「……別に俺は疲れていないけどな」
フッと彼の手首が大きく弧を描く。
「ん」
飛んできたスポーツドリンクを難なく受け取る。
軽く頭だけ下げつつ、その中身を一気に喉に流し込んだ。恐らく今までの自分──普通の人間だった頃の和泉伊織──なら確実に反応できなかった。動きやすいタンクトップは汗でべっとりと濡れ、激しい鍛錬と気分の悪い夢の相乗効果で落ち着かない呼吸が胸を激しく上下させている。浮かされたように火照った頬を含め、そこに模範的な女子高生と言われた少女の姿は既に無い。
法務省管轄公安調査庁仮想生命体対策室。
あまりに長いので佐々木厳希を含めたメンバーは仮対(カタイ)と呼んでいるそこにスカウトされてから早数ヶ月が立っていた。アンノウンとの戦いに数度駆り出されたことこそあれ、初めて戦った時の焼けるような悦楽を再び十全に味わえたといえばそれは否であり、そして両親の仇と巡り会えるどころかその足取りが掴めたわけでもない。そして何よりも和泉伊織という女は経緯不明ながらアンノウンと戦う力を得ただけの客分の域を出ておらず、仮対の本部に赴く際も厳希に連絡をしなければならず──おかげで彼と携帯電話の番号を交換することにはなったが──直接の面識が持てたのも、厳希の直接の上司にあたるらしい野茂という男だけだった。
だから今日も一人、トレーニングルームで汗を流す。しかしマシーンを使った鍛錬では生の実感には程遠いのは当たり前のことで。
「……私も連れて行ってくれれば良かったのに」
「わかるのかよ?」
目を丸くしている彼がおかしくて、伊織は柔らかく微笑んだ。
「隠し事が下手よね、ササキさん」
「よく言われる……かもな」
「私によね?」
彼がトレーニングルームにいる自分を訪ねてくるのは決まってそういう時だと知っていた。
そういったどこまでも誠実で品行方正な彼の姿は、人として十分に好感が持てるものであり、恐らくあの日より前の自分が模範とした大人そのものだっただろう。殺された家族の仇討ちを誓って戦いの場に身を投じた少女を気遣えるだけの人の好さは、むしろ彼の方が戦場に不釣り合いなものに見えた。
「メタルグレイモンの情報は……無さそうね」
「……すまない」
「あなたが謝ることではないでしょう?」
ただ、そうやってバツの悪そうな顔をされると、どこか年下のようにも見えた。
頬を掻きながら伊織の隣に腰掛ける佐々木厳希はトレーニングルームの天井を眺めながら何か言葉を探しているらしい。彼にとって自分はアンノウンと呼ばれる未知の生物によって家族を奪われた可哀想な少女なのだろう。しかし両親の仇を討つ以上に純粋に戦いを求めている、そんな伊織自身の心の内に秘められた情動や欲求に現時点では気付かれていないのだろうか。彼の目にとっての和泉伊織は、ただ一心不乱にメタルグレイモンを追い求める復讐者として今も認識してもらえているだろうか。
取り繕いは必要かもしれない。そう思って一つだけ提案をしてみる。
「ここのトレーニングマシン、もう飽きちゃったのよね」
「そう言えるぐらい熱心に鍛錬してるのはアンタぐらいだと思うが……」
実際、仮対は実戦重視の色があり、ここのトレーニングルームで他のメンバーと顔を合わせたことはほぼ無いと言っていい。
「だから今度、一度手合わせしてみてくれないかしら、ササキさん」
「……俺と?」
「勿論。それでもし私が勝ったら、教えて欲しいのよ」
フゥ。小さく嘆息して隣の彼と同じように天井を見上げた。
一面の灰色。まるで面白味の無い色彩。
「前は機密だってはぐらかされちゃった、父さんと……母さんのこと」
だけど。
自分にとってそれまでが同じだとは、流石に思いたくなかった。
〇
楠綾乃は目の前の光景に絶句していた。
「いでででで!」
どこか間の抜けた悶絶の声。
声の主は如何にもヤンキーといった風体のロン毛の男であり、先程まで鈍く光って恐怖の対象ですらあったサングラスがズレて痛みに苛まれる瞳が見える。
「……で、終わり?」
その手首を掴んで捻り上げている少女が涼やかな声で言い放つ。
合気道か何かだろうか。だが共に剣道を嗜んでいる親友が素手の武術に精通しているという話は今まで無かったし、そもそも特に関節を極めているとか相手の力を利用しているとかそんな感じはなく、ただ力任せに『竜胆小町』の細腕が男の腕を絡め取っているようにしか見えなかった。あまりにも不可思議な光景で、あまりにも手慣れた様子に思えた。
「こ、このアマ……!」
すぐ後ろに控えている二人の男がワナワナと震えているが、捻り上げられているロン毛こそが彼らの頭らしく、頭をやられた今の状況で飛び掛かってくるほど無知ではないと言ったところか。
別段大した話ではない。綾乃達が剣道の練習から帰宅する最中、アーケード商店街の外れでこの男達に声をかけられた。
所謂ナンパであり、それ自体は今まで何度か似たような経験があったのだが、今日の男達は些かしつこかった。何度無視しようとしても道を塞いでくる彼らに辟易していた時、綾乃は気付かなかったが男達の一人がこちらのスカートに伸びてきていたらしい。そんな男の手首を親友が神速で捻り上げ、その身を回転させて地面に叩き付けた結果、今に至る。
「ちょ、いおりん……」
「何?」
「何って……」
綾乃の言葉にも軽く首をこちらに向けただけで和泉伊織は平静であった。
完全に肩を押さえられている男の右腕は、伊織がもう少し力を込めたなら肩口からもぎ取れてしまいそうに軋んでいる。
「こういうことは許しておいてはいけないでしょう」
それはそうだけど、そう言い淀む綾乃。
「は、離せ! 離しやがれ! いでででで!」
本能的に危険を感じ取ったらしいロン毛の男の声は、もう懇願に近かった。
「二度と私達に関わらないと誓うならね」
そう断言しつつも、男達の返答も待たず捻っていた手首をパッと離す。
手下の男二人が慌ててロン毛の男に駆け寄るのも構わず、颯爽と歩き出す伊織の背中を綾乃もまた追う。
「ま、待ってってば!」
何か変わった、そう感じるのも無理はない。
「いおりん、なんかあった……?」
「なんか……?」
あの男達が追いかけてきていないことを確認しつつ、綾乃の投げかけた質問に伊織は不思議そうに首を傾げる。
こういうところは今までと変わらないのに。
何か漠然と危うさを感じる。もっと言うなら、今まで決して見せなかった和泉伊織の“我”が前面に出ているというか。
「許せないでしょう? ああいう力と人数で押し通そうとする人達のこと、綾乃だって」
「それはそうだけど……」
返って来たのは先と同じ回答。だから綾乃の言葉も同じになる。
和泉伊織は元々正義感の強い少女ではあった。だが不正や卑怯事、犯罪を決して許さないとする性根を持ちながらも、かと言って自ら積極的に荒事に関わろうとするタイプの人間というわけではない。少なくとも綾乃の知る限りの親友、伊織という少女は自分が耐えて抱え込めば済む話であるなら、自発的にそうするだけの内向的で自罰的な一面を持っていたと思う。自分の内にしまい込む必要の無いことまで抱え込もうとする気質に綾乃は危うさを感じながらも、同時に同年代にあって最も成熟した精神の持ち主だと思うのも事実だった。
その危うさが消えている代わりに、また違った危うさを感じる。
「気を付けなね、さっきの人達きっとしつこそうだし」
「……その時はまた同じ目に遭わせてあげるだけよ」
揺るがない。
改めて今の親友に表出しているのは“我”というより“強さ”なのではないかと思った。
そしてそれは“独善”とも“自信”とも言い換えられる。
どこか今にも切れてしまいそうな危うさを孕む張り詰めた糸が、決して切れることのない材質でできているのだと判明したような感覚。強さに裏付けされた言動はそれはそれで違った危うさを感じさせるものであることは言うまでも無いが、同時に和泉伊織の颯爽と歩く姿に今までと違った気高さとか美しさとかいったものを見出せるようになったこともまた、楠綾乃は否定できずにいた。
〇
『イオリ、キミは最近どうかしている』
スマホからの咎めるような声音に、ただぼんやりと夜の公園で星を見上げていた意識が引き戻される。
「……言ってみて」
『タケル達の忘れ形見であるキミに戦う力を与えたのは私だ。故に全ては私の責任である』
アルバイトを終えたばかり。
真っ直ぐ帰宅すればいいだけなのに、無駄に遠回りして公園のベンチに腰かけている。
春のあの日、初めてギンリュウモンと一つになり、オーガモンというアンノウンと戦った場所で。
『だがキミが力を振るうのは自衛の時のみだろうと私も高を括っていた』
「そうね。私もそう思ってた……かな」
掌を月に伸ばす。
何度も、何度だって人でない形となってきた掌。
「おかしいでしょう? 私、楽しいんだ……すっごく」
自覚はある。もう止まれないことも知っている。
そして止めるつもりもない。途中で投げ出すつもりも勿論ない。
『タケルは──』
「父さんは父さん、私は私」
『……それは卑怯ではないか』
冷たい言葉が突き刺さる。
自分は悪い子になっている。真面目で手のかからない良い子で在ろうと決意した両親の死の真相に触れる可能性を得て、自分を彼がそう呼ぶように自分にとっても両親の忘れ形見である彼と一つになったあの日から。
「本当の私はすっごく卑怯で、すっごく汚い人間なの」
『そんなことは……』
「父さんと母さんの仇、その名前を聞いた時もそれで怒るとか喜ぶとかよりも、それがどんな化け物でいつか相見えた時に私、ギンリュウモンはどんな風に戦うんだろうって……そんなことばかり考えてた」
武道は肉体と共に心を鍛えるもの。そんな当たり前のことは剣道を習い始めた幼少期の時点で理解していたはずなのに、そこに在る旨い毒の豊潤さから逃れることはできなかった。どこか己の存在意義を見出せずふわふわと漂ってきた自分自身がカチリとハマった気がしたのだ。確かに自分は死ぬことが怖いし、両親の死の真相を知りたいと思うことも事実。
だがそれ以上に魅せられた。
憧れてしまった。
現代という平穏な世界の中では決して味わえぬ、己の身を差し出して敵と命を削り合う行為の悦楽に。
『だから私はあの組織に入るのは反対だったんだ……』
そして悲しいかな、ギンリュウモンは和泉伊織と幼い頃から共に在る故に、今自分が放り出せば友の忘れ形見は生身であろうと構わず突き進むことを知っていた。
『イオリは随分と心を許しているようだが、あのササキという男の腹の内もまだ読めたものではないだろう』
「……彼は好い人よ? それはそれは底抜けに」
ギンリュウモンの言う心を許したという表現の意味がまるでわからないが。
『どうだろうな。そもそもあの組織の連中は確かに我々と同じ能力を有してはいるが、私とイオリのように“会話”はできているのか? そうでなければどうやって“力”を行使しているのだ?』
言われてみればと思った。少なくとも佐々木厳希はワーガルルモンという怪物に変化する力を持っているが、自分達のようにスマホやパソコンを介してワーガルルモンと会話していたような様子はない。
「……彼に勝ったら父さん母さんのことと一緒に教えてもらおうかしら」
『そういえばそんな約束もしていたな。……勝てる気でいるのか?』
「そうでなきゃ挑まないわよ。同時に100%勝てるとわかっている場合も挑まないけど」
わからない勝負の方が面白いじゃない? そう言って笑う伊織に。
『誰に似たんだか……』
やれやれと呆れるギンリュウモンではあったが。
「真面目な話、あなただと思う」
『……違いない』
●
バリバリ。
路地裏で齧っている。
ボリボリ。
街の灯りが届かぬ闇で喰らっている。
「──────」
この世界の肉はマズい。そう断言できる。
かつて自分達の世界では訪れた人間を取り込めば絶大な力を手に入れられるという風聞が流れていた。人間を体内に取り込むことで人型へと進化したモンスターこそが世界を支配したという伝説すらある。だがそうしていざ自分の方から人間の世に出てみれば、人間は捕り放題だというのにその肉は吐き気を催す程度にはマズく、食したところで何の力も得られない。人類の社会など捕食者である自分達にとっては絶好の狩場でしか無く、人間は餌が喋って歩いて生活しているというだけの認識にしかならない。
とはいえ、如何に狩りやすくともマズいのでは意味がない。
「ひ……!」
背後から聞こえた小さな悲鳴に振り返る。
路地裏に広がる凄惨な光景──ああ、人間にとってはそうなのだろうな──を前に顔を青白く染め、その場に尻餅を付いた若い女の姿を認める。昼間にこの商店街(狩場)で自分が今貪っている男どもに絡まれていた女だった。その場で男女問わず狩り尽くしても良かったのだが、この女ではないもう一人の女の方からどこか異質な匂いがしたので少し警戒して様子を見てしまったのだ。
とはいえ、人間であるなら恐らく味は変わるまい。
男も女も。
老人も若人も。
マズい。
等しくマズい。
「──────」
やはり自分が捕食すべきは同胞か。
己が身を始まりの名を持つ高みへと引き上げ得る、王竜の名を持つ竜の肉か。
「きょ、恐竜……? そんな……!」
まあマズくとも。
目撃者は消すのが世の常だろう。
何より囀られると喧しい。
●
狩猟者(ラプター)が舞う。
哀れな目撃者、楠綾乃へ向けて。
【後書き】
サロン投稿期限があと一月、しかもザビケは完全に別の場所へ持って行けないということで、先日のマダラさん作と共に「今すぐ書かなきゃ勿体無い!」と思い立って執筆させて頂きました3話目となります。1話投稿された湯浅さん、誠にありがとうございます。
今回勝手に綾乃ちゃんに苗字(楠)を付けちゃいました。というか1話時点で苗字無かったよな!? 逆に1話読み返すにあたってササキさんは割といおりんに対して台詞チャラめだった(二人称“アンタ”だった! 2話で“キミ”にしちゃってた!)ことに改めて気付いたので、ちょっとだけ方向修正を図っております。湯浅さんの主人公(男)って口は悪いが女子には誠実かつ丁寧な優男イメージだったァーッ!
ササキさんの上司の野茂氏(名前だけ)はそりゃ大魔神佐々木と関連付けて野茂英雄だろという超理論でございました。
というわけで夏は4話で終わる構想で3話書き上げさせて頂きました。頭の中では8話で終わる奴ー!
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まさかの3話が読めるとは!
拙作から始まった物語、3話まで書いていただけたこと、望外の喜びと言うほかありません。
夏Pさん、ありがとうございます!
静かに日常から乖離していっていた伊織が、本格的にズレていってしまう様子が見え始めた3話。
ギンリュウモンとの意見の相違、父と母の秘密、そして綾乃のピンチ。
なんかもう、自分が適当にぶち込んだ要素を上手く拾って頂いたこと、感心することしきりです。
楠という苗字がついた綾乃さんが狙われ、さて伊織はどうするのか。
厳希は彼女にどう対処していくのか……
こんな面白い作品に仕立てていただいたこと、感謝の念に堪えません。
ひょっとしたら次も読めるのかしら、などという期待を秘めつつ、この辺りで。
楽しく拝読させていただきました!