本作は湯浅桐華様・作 【#ザビケ】Realize the Digitalworld Act.1「春① 訣別/出会い」 のAct.2となります。
Act.2「春② 渇望/流離い」
・
死にたくない。そう思うことは、罪なのだろうか。
あの時、確かに死を間近に感じた。
いや、正確には違う。多分きっとそれは、両親が死んだ時からずっとだったはず。
両親に生かされた命、両親のおかげで生まれ落ちた命。勿論それは両親だけでなく、今自分を取り巻く全てのおかげで自分は自分でいるのだと知っている。
けれど結局は綺麗事。そんなお題目とは別の次元で、自分は不可解な違和感と共に常にある。
両親の死を経て、子供ながらに自分を含めた人間はいずれ死ぬのだと知覚して、どこかで漠然と諦観に近い念を抱いて生きてきた。自分は紛れもなくここにいるはずなのに、不思議といつ如何なる時もふわふわと不安定な場所に立っているような違和感だけがある。いやそもそも立てているのか、ただ流れに身を任せて浮遊しているだけではないのか。自分は本当にここにいるのか、本当に生きていると言えるのか。それを考えるだけで不安で不快で不満で、いっそこの命をどこかで無為に投げ出してしまおうかと考えていた自分が頭の片隅にいると気付く。
それなのに。
そのはずなのに。
あの時、確かに死を間近に感じた。
あの時、もう死ぬしかないと諦めた。
それなのに。
そのはずなのに。
あの時、全てがガッチリと噛み合った気がした。
あの時、誰よりも生にしがみ付いている自分を知った。
ああ、それで十分。
それだけで自分は生きていると初めて気付けた。
腹を貫く鈍痛。全身の骨が軋み、肉が裂けてバラバラになりそうな衝撃。死を目前に見てそれでも無様に地を這う自分の視界の中、雄々しく立つ人ならざる者が月の夜に吼え、それが紛れもなく両親の仇だと確信できたその瞬間、世界が彩られた気がしたのだ。漆黒に沈む夜なのに、全てを覆う無思慮な闇が少しだけ晴れた気がしたのだ。
私は生きている。
そう気付けた。そう確信できた。
「やっぱりお前達、なんだ……!」
思わず漏れた声は呪詛?
ううん、きっと違う。
春。
パステルカラーの季節。
何年ぶりだろう。
その夜、私は、和泉伊織はとうに忘れていた生の実感を得たのだ。
●
「……何かあった?」
憂鬱な月曜朝。恐らくそれは一般的な学生、もしくは会社員にとって共通だろう。
されどその憂鬱さが普段のそれとは明確に違っていることを自覚している伊織に、隣を歩く親友の声がかかった。
「どうして?」
思わず聞き返してしまう。見透かされたか、そんな恐怖に近い不安があった。
春の通学路。朝焼けに靡く風を受け手桜が舞う並木道の中を綾乃と並んで歩いているのに、それら全てがどこかくすんで見える。
何年も前、しかし忘れるはずもないあの日以来、元々がパズルのピースが外れたような心持ちで生きてきたと自負している和泉伊織である。しかし今日は何故だかその趣が一層強くなったように見えた。それを綾乃に悟られていないか、それだけが不安だった。
挫いた足も鈍痛に貫かれた体幹も死の寸前まで磨り減ったらしい体力も、どういうわけかすっかり違和感を消している。あの夜からまだ二日と経っていないというのに、親友から見る自分の姿が今までと変わっていないかが気になって仕方ない。
「んー、なんとなく?」
「……別に何とも、ないわよ」
自分は取り繕えているだろうか。隣の綾乃の視線から逃げるように前を向き、歩を早めた。
スクールバッグを抱えながらブレザーのポケットの上からそこに放り込んだスマホを手でグッと押さえる。そこに宿る『ギン』改めギンリュウモン、先日まで随分高性能で感情豊かなAIだなとしか思っていなかった両親の形見は、その実父と母の仇に連なる存在だった。何よりもあの言葉を唱えた瞬間、伊織は人間ではなくなりあれに『成った』のだ。ならば果たして今の自分は本当に人間なのだろうか。人間に戻れているのだろうか。生物学的に人間に類する存在として認識されてもらえるのだろうか。
「なら、いいんだけど」
「綾乃は心配し過ぎだってば」
「でも週末だって夜の公園でさぁ……」
自分より少し歩みの早い綾乃に合わせながらも、彼女の言葉は上の空。
だって心のどこかに甘い感覚があるのだ。あの言葉を唱えれば今ここで、親友の目の前で自分はあれに『成る』のだろうかと。そうなれば果たして綾乃は、今までの和泉伊織の人生を彩ってきた周囲の人々はどう思うのだろうかと考えてしまうのだ。
その思考はまさしく破滅的。持つべきではない、考えるべきではない。
(違う……!)
胸の内で否定するも、一度考えてしまえば止まらない。
彩り? そんなものは端からない。両親が死んで以降、自分の人生はくすんだ灰色だった。彩られたとしたらそれはまさにあの瞬間、自分が人でなくなり、また両親の死の原因を知った一昨日の夜こそだ。
だから少なくとも変わっている。
肉体的には人間でも、普段通りの『竜胆小町』がそこにいたとしても。
人でないものに『成る』実感を知った時点で。
人でないものを『倒す』感覚を覚えた時点で。
そこにいる和泉伊織の精神性は、断じて他の誰も知らない非人間となっていた。
●
春はあけぼの。そんな名文とは真逆の満月の下。
「法務省管轄公安……え、えっと」
自分を軽々と抱え上げる男の片手の内で。
「法務省管轄公安調査庁仮想生命体対策室」
「長っ……!」
軽く呻きながらも、果たして自分は重くないかしらと場違いなことを思う伊織ではあるが、彼女を抱えて歩く男の足に澱みは無い。
どちらにせよ長すぎて覚えられなさそうなことに変わりは無かった。
「……あ、でもこれ言って良かったのかな……いいか、尊さんと伽耶さんの娘さんだから無関係ってわけでもないしな……」
とはいえ、彼の方は彼の方で何らかの逡巡があったらしい。
小声で何かブツブツと呟いているが、もう彼の吐く息が頬にかかる程度に距離の近い伊織には全て丸聞こえなわけで、それがどこかおかしくて、先程までその身で味わった人知を超えた事態も、狼男の姿を取っていたはずの彼が纏っていた鋭いナイフのような空気も、全てが霧散したようだった。
「あの、ササキ……さん」
だからだろう。少なからず警戒心のあった伊織もそれをすっかり解いて口を開くことができた。
「うん?」
下ろして、とは言えなかった。気恥ずかしさは未だ拭えないものの、全身がズキズキと痛むのは事実だったし、何よりも力強い彼の腕に身を委ねることに不思議な心地良さがあったからだ。
「父さ……私の両親のこと、ご存知なんですか?」
「そうだね。命の恩人……っていうと大げさだけど、当たらずとも遠からずって奴かな」
ニッと歯を見せて笑い返された。
悪い人ではない、そう思えた。何よりその法務省管轄何とかという組織? 部署? が両親の職場であったのなら、彼らが果たして如何なる研究をしていたのかを知りたい、その答えをきっと目の前の彼が持っているだろうという確信がある。
「あと敬語はいいよ。堅苦しいの苦手なんだ」
「そう言われても……」
戦いの後、荒れ果てた海浜公園の片隅で無事だったベンチに腰を下ろされた。
名残惜しさなんて、ない。
「……そうだな、何年前になるんだったか……」
そう言ってササキイツキは人差し指と中指で自らの口に触れる。
「別にいいですよ、吸っても」
喫煙者なのだろうか、そう思ったからこその言葉だった。
「あ、いや……ごめん」
「長くなりますよね」
「いや、だから敬語は……」
聞きたいことは沢山ある。それは当たり前だ。
けれど本当に目の前の青年に全てを曝け出していいのか、彼と彼の言葉は本当に信用に足るのか、その二点をまだ伊織は測りかねている。間違いなく死ぬところだった自分が助けられたことは事実だとしても、自分が倒し切れなかった鬼人にトドメを刺した彼の姿、あの雄々しき爪を持つ人狼の力が果たして自分に向けられないという保証はない。
だから必然、警戒は解けない。『ギン』の存在も悟られぬよう、スマホをスッとブレザーに戻した。
「簡単に言うと、俺達はさっきみたいな化け物の相手をしてるんだけ……ど」
そこでフゥと嘆息。
彼は暫し視線を宙に彷徨わせた後、やがて伊織に視線を戻して言う。
「やっぱり先に聞いておこう。……伊織さん、と呼んでいいかな。アンタを俺達の組織にスカウトしたいと思ってんだ、俺」
●
客足の少ないバイトほど暇なものはない。
「どうしたらいいんだろ……」
一昨日、ササキイツキから告げられた言葉を思い出す。
スカウト、文字通りの意味でいいのだろう。あの法務省管轄公安何たらに入れということなのか、それとも意味がわからないまま『ギン』と一つになった自分はもう普通の人間ではいられずキナ臭い組織の保護下に入るべきだと言いたいのだろうか。
少しの逡巡の後、ちょっとだけ考えさせてくださいとだけ答えたが、彼はそっかとだけ笑って無理強いはしなかった。伊織の中で答えが出ていることを見透かしていたのかもしれないと、今となっては思う。
彼に軽薄さは無かった、と思いたい。少なからず恩人の娘である自分に対して真摯であろうという姿勢が垣間見えた。
ならば踏み込んでもいいのだろうか。これは他でもない自分が決めなければならない気がして、あれから『ギン』に相談することもできていなかった。
恐らく呼べば彼は答えてくれる。自分の知りたいことにもある程度の回答は得られるだろう。けれどそれを敢えて『ギン』ではなくあの男性から聞きたいと伊織は思ってしまっている。両親を恩人と呼ぶあの男性からもっと両親の話を聞きたいと、そう思っている自分に気付かされる。
それは何故? その答えは今の伊織の内にはない。
「……はぁ」
綾乃と話していた今朝のことを思い出す。
人の身ではないものに『成った』昂揚感は、今も伊織の胸にある。一昨日、自分は化け物の攻撃を数度その身で受けた。捻った足は激痛が走り、拳打を浴びた腹など胃の中のものが全て溢れ出そうな鈍痛に苛まれた。本来であれば今頃は入院、下手をしたら再起不能になってもおかしくないだけのダメージを負ったはずなのに、二日経った今の自分は普段と変わらない生活を送れている。足も腹も何ら不詳の痕は無く、元通りの人間としての生活に戻れている。
そしてそれを平然と受け入れている自分に驚くのだ。こんなものか、そう冷めた目で客観的に事態を観察している自分がいる。
(おかしい、絶対……おかしい……!)
そう思うのはまだ正気でいたいと思うが故。きつけとして頬を叩いたり唇を噛む行為に等しい。
あの夜、あの言葉を唱えて『ギン』と一つに『成って』以降、己の中で渦巻くものがある。それは今までのどこか噛み合わなかった和泉伊織の心にガッチリと刻み込まれ、伊織自身の足りないものを埋めてくれるだろうことは間違いない。だが同時に確信もある。それは毒だ、手を伸ばし続ければもう元には戻れない。今までの自分は崩壊してその後に残るのはまるで違う存在なのだと。
いや既に手遅れかもしれない。元の自分などもう無く、ここでアルバイトをしているのは和泉伊織の皮を被った別の存在なのではないかと。
『──オリ! イオリ!』
声がする。遠くから? 近くから? どちらとも言えない場所から聞こえてくる声は、果たして誰のものだったか。
『聞こえるか、イオリ!』
「えっ……『ギン』……?」
客足の途絶えたコンビニ内を見回す。
スマホはスタッフルームに置いてきているはず。そのはずなのに明瞭に響き出した『ギン』の声は、伊織の脳内に直接叩き込まれているようだった。
ドクン。心臓が跳ねる。
彼の声が聞こえただけで胸の内が熱を持ったようだ。
『やっと届いた、ずっと呼んでいたのだ! どうやらこれまでこちらの声は届いていなかったようだが……』
「……どういう、こと」
小声で問うと、頭の中で『ギン』はわからないとだけ言った。
『あの戦いで受けたダメージが原因かもしれん。イオリの肉体を修復する代償に、我々の繋がりがシャットアウトされていたとは考えられないだろうか』
「そんなこと、が……」
『それと恐らくだが、何故これがわかるのかわからないのだが……』
僅かな躊躇いと共に『ギン』は一旦言葉を切り、そして告げた。
『奴らがいる。昨日のオーガモンとは違うが、間違いない』
その言葉を受け、伊織の全身には電撃が走ったかのよう。
「奴ら……って」
『彼がアンノウンと呼んでいた、我々と同じ、奴らだ』
逡巡は一瞬。
そこで立ち止まる理由など何もない。頭の中で『ギン』が告げた途端、伊織の頭の中に浮かぶようだった。薄暗い森の中に佇む仮想生命体、オーガモンとは明らかに異なるが人の世にいてはならない異形、自分の両親を殺したかもしれない人非ざる者。
呼吸が荒くなる。体調にも気分にも不良など一切ない。これは今までの自分とこれからの自分がせめぎ合っているだけ。
学業優秀。
品行方正。
文武両道。
才色兼備。
脳裏を過ぎったそれらは、果たして今までの自分を形作ってきた単語達だ。
ああ。
そんなものは全て、豚の餌にでもなってしまえ。
駆け出す。スタッフルームに飛び込むと、目を丸くする店長に会釈もそこそこにロッカーからスマホを回収してそのまま飛び出した。
アプリは起動していた。何も映し出していないはずの画面に薄っすらと『ギン』の、ギンリュウモンのシルエットが浮かび上がっている。今の伊織にとってはそれだけで十分だった。
口の端が知らず知らずの内に上がっていることさえ、今やどうでもいい。
『ばいと、とやらはいいのか?』
答えない。答える必要性を感じない。
スマホと共に回収したブレザーを羽織れば、春の夜は十分な温かさだった。頭の中で『ギン』がこの先を左だ次の角を右だと指示してくれているが、きっとそれも必要無い。自然と足の向く方向に進めば辿り着くと知っている。和泉伊織の空虚を埋めた心の渦が、新たな戦いの場へ伊織を呼び寄せる。
「はっ……はっ……!」
駆ける。風のように夜道を駆ける。
程無くして辿り着いた街外れの公園。午後九時を回ろうとしているこの時間、日中は幼児と母親で賑わうこの公園は静寂こそが主だった。
「そこね」
しかし住宅街に隣接した雑木林に『それ』がいると伊織は知っていた。
躊躇い無く足を踏み入れる。住宅街の街灯もぼんやりとしか届かないそこに、果たして『それ』は座している。
『エクス、ブイモン』
脳内の声がそう告げる。けれど名前なんてどうでもいい。
振り向いた『それ』は竜であり人であり。
紛れも無く人の身では太刀打ちできない。
それなのに伊織に躊躇がないのは何故か。
そんなもの、今更言うまでもないことだ。
「『ギン』」
エクスブイモンとやらの目に自分はどう映るのか。
歯牙にもかけない路傍の石か。
食い殺し味わう極上の獲物か。
ああ。
どちらにしても、愉しいことに変わりはない。
スマホを構える。一切の迷いのない流れるような動作。
この後のことなんて考えない。自分がどうなるかなんて考えない。
――Decode:Realize/.
●
「一つだけ、言っとくか」
一昨日、あの星のない夜空の下で。
「アンタのお父さんとお母さんを殺した仮想生命体だけど……」
ササキイツキはそこで一瞬だけ躊躇うような顔を見せた。
伊織の顔を一度チラリと見つつ、すぐに空へと視線を戻す。見慣れた都会の夜空は美しさとも爽やかさとも無縁だったけれど、その逡巡こそが何よりも彼の持つ清爽さと誠実さの表れだったのだと思う。自分をスカウトして受けなければ真実は話せないと言に匂わせながら、これだけは教えるべきだと考えて告げてくれる。顔は逸らしているが、和泉伊織という人間の在り方と真っ向から向き合ってくれる人柄が、きっとそこには在った。
信用できる人かもしれない、改めてそう思った。
「……その足取りはまだわかっていないんだ」
「そう……」
だが同時に彼の答えから和泉が得たのは安堵だろうか、歓喜だろうか。
「ただ、俺のワーガルルモンでも敵うかどうかわからない個体だってことは確かだ」
明らかにまだ隠している事柄があるとわかる。
されどその言葉に嘘はない。現時点でまだ部外者である伊織に、それでも話せる限りの内容を一切の脚色無く語ってくれているだろうこともまた、彼の持つ人徳という奴なのか。
ワーガルルモン、彼の変化した人狼がそういう名前なのだと伊織はそこで初めて知る。人狼、即ちワーウルフから取られただろうあの姿は勇猛そのものであると同時に、人間からは掛け離れた獣に等しいものであったが、ササキイツキはそれを十分に使いこなしていた。
ふと疑問が宿る。自分の『ギン』のように彼もまた、ワーガルルモンと『会話』の上であの姿に『成る』のだろうかと。
「……でも名前だけは言える」
「えっ」
低く落ちた彼の声で意識を引き戻される。
気付けば彼は真っ直ぐに伊織を見ていた。鋭さの中に憂いを帯びた瞳、それだけで彼が何を隠そうとしているのかは読み取れた。公にされていない組織の人間と言えば、常識的に考えて表沙汰にせず済まさなければならないことなど山ほどあるだろうに、恐らく彼はそれができない人なのだと理解した。優しい以上に甘い人だ、そう結論付けた。
「覚えておいてくれ。アンタの両親を死に追い遣ったアンノウン」
甦るあの記憶。
引き裂かれた両親と禍々しい爪痕の残る部屋は、今から思えば両親の研究の場だった。何か手がかりは無いかと何度も確認させてもらった何枚もの写真に収められた、僅か一日で変貌した我が家の惨状。
未だ足取りも掴めないはずだった惨劇の犯人、それは。
「メタルグレイモン」
●
ピタリとハマった。
「ああ……」
呼吸が漏れる。
全身の竜の鱗がしっくり来る。
まるで自分が初めからこの姿だったような順応感は、きっと和泉伊織を変える甘い毒だ。人は人の身のままであるべきだろうに、一度その味を得てしまうと最早人の姿では満足できなくなる。それは言うなれば麻薬、使えば使うだけ自分の精神は人の身には収まり切らなくなる。だがそんなリスクが存在すると彼は言っていなかったし、事実伊織より遥かに長く戦いに身を置いてきたのだろう彼自身はそういった依存症に苛まれている様子など微塵もなかった。
だからきっと、これは全て伊織の問題であるはずで。
『行けるか?』
「勿論……」
頭の中に聞こえるギンの声。ギンにも知られてはいけない、気付かれてはいけない。
仇敵の名を思い出して身を昂らせたのは事実。そうでなければ立ち上がれなかったのも事実。
されど本質は別にある。それらとは別に和泉伊織は酔っている。
「んっ」
身を震わせる。それだけで長大な尻尾がギュンと空気を裂き、余波で周囲の木々が震えた。
とても甘い感覚。人間では為し得ない事象を前にゾワリと肌が粟立つよう。
ああ。
人の身を逸脱することがこんなにも気持ちいいなんて。
『イオリ……?』
耳に響く『ギン』の声すら遠かった。
正義の為とか平和の為とか両親の仇とか、思ってみれば全てがどうでも良くて。
振るえるのだ、人の心のまま人を超えた力を。その事実こそが自分を昂らせる。全身に余すこと無く漲る力が空虚だった心を満たしていく。長らく取り繕ってきた文武両道、優等生、才色兼備といった自らの殻が内側から砕かれていく。それは常日頃より人間であれば誰しもが纏っている礼儀や体面、社会性、果てには衣服すら脱ぎ捨てる行為に等しい。
ああ。
なんて原始的。なんて官能的。
エクスブイモンの両腕が開く。胸に刻まれたX(クロス)の刻印が激しく発光する。
「エクスレイザー」
青き竜人が放つ熱線を両腕の小手で受ける。完全には受け止めきれず、余波が伊織の、またギンリュウモンの頬をチリチリと焼く。背後の草むらにもまたパッと火の粉が舞った。
人の身で受ければ消し炭になって余りある一撃。それに耐える己の身に酔い痴れる。
「今度は……」
ギンリュウモンの体がゆらりと揺れる。
誘っている、必殺技を放った体勢で硬直する竜人からはそう見えた。
「……こっちの番よ」
熱を持った小手でそのまま殴りかかる。
腹に一撃、顔に二撃、グラリと揺れる体躯を逃さないとばかりに更にもう一撃。
(倒せる……!)
そう思う。目の前の竜人は先日の鬼人より弱いのか、それとも自分と『ギン』が馴染んだのか。
どちらにせよ自分が戦うことに変わりは無い。自分が勝てることにも変わりは無い。今すぐにでもギンリュウモンの必殺技を放てば竜人は容易く命を散らすだろう。
けれど、それでいいのか。
『イオリ、トドメを!』
頭の中に『ギン』の声が響く。きっと彼の言葉が正しい、今すぐにでも倒した方がいいとわかっている。
それでも戦いが終わってしまうことに対する迷いがある。人を超えた拳を振るうことがこんなにも楽しいというのに、徹甲刃を放てば今宵の宴はそれで終わり。和泉伊織は再び脆弱な人間の身で人間の生活に戻らなければならなくなる。
ならばいっそ。
戦いがずっと続けばいいのに。
(あ、そっか……)
気付く。気付かされる。
(彼の組織に、入ればいいんだ)
そうすればずっと戦える。
心の飢えをきっと満たせるだろう。
○
厳希は急いでいた。
その身は既に人狼、ワーガルルモンのものとなっている。俊敏に住宅街の屋根を飛び移って駆けていく様はまさしく月夜に現れるオオカミ男そのもの。
(早すぎる……!)
少なからず焦燥感がある。新たなアンノウン出現の報告を受けたのはつい半刻前、だが一昨日にオーガモンを倒したばかりなのだ。オーガモンの活動内容を完璧に検証できたわけではないが、昨今の事故が全て奴の犯行だったとしたら、次のアンノウン出現まではもう数日の猶予があるはずだった。
何かが動き始めている。そう直感する。
(あれは……!)
視線の先、パアッと光が散る。商店街から一区画離れた公園だ。
街灯の乏しい街中で再び弾ける光。明らかに戦いが始まっている。だが誰が?
そんなことは決まっている。彼女自身が望むなら保護という形で組織に属するべきだとスカウトという形を取った。同時に戦いから遠ざける意図で話せる限りのことを話した。だが恐らく彼女は自らの意思で戦う道を選んだということだ。持ち前の正義感か偶然巻き込まれたのかは知らないが、彼女の両親も同じ立場だったならそうしただろうことを厳希は知っている。
和泉伊織の両親は善だった。少なくとも佐々木厳希はそう思っている。
この世界に溢れるアンノウンに蹂躙される人々に心を痛め、それ故に戦う道を選んだ。その果てにあったのが悲劇だったとしても、きっと彼らに一人娘を遺して逝くこと以外の後悔は無かったはずだ。そしてそんな彼らの在り様に憧れて今の自分は在る。自分も彼らのように戦えない人々の力となり、必ず彼らの仇も取ってみせると誓った。
それなのに、だ。早速自分は躓いた。あろうことか、彼らの娘を巻き込んでしまったのだ。
「伊織さん!」
自分などが気安く呼んでいいのか迷ったが、そうも言ってはいられまい。
公園裏の雑木林で幾度も散っていた戦いの光は、厳希が到着した頃には既に収まっていた。弾けた火花が草むらに火を点けて、小規模ながらも雑木林を明々と照らしている。
その中心に、銀の龍が立ち尽くしていた。炎に巻かれるのはギンリュウモンただ一体。そこに先程まで戦っていたはずのアンノウンの姿は無く、倒したのか取り逃がしたのかわからないが、手傷など一切負っていないようすの龍の姿を見れば戦いの結果はまさしく火を見るより明らかだった。
ギンリュウモンの体が溶けていく。炎の中で進化を解くなど危険だという感覚も彼女には無いようだった。
「ああ……ササキさん」
振り向いた彼女は笑っていた。
黒絹のようだったはずの長髪は、炎に照らされて真紅に彩られて。
着ていたブレザーも煤けて汚れていたけれど。
蕩けるような笑みを、和泉伊織は浮かべていた。
「伊織……さん」
声が出せない。
後始末に呼ぶべき部隊のことも、はたまた消防車を呼べばいいのかも考えが及ばず。
ただ、厳希は。
見惚れていた。
硬直していた。
「法務省管轄公安……えっと……」
だから反射だ。
「法務省管轄公安調査庁仮想生命体対策室」
子供っぽく笑いつつも言い淀んだ彼女にそう返せたのは、ただの反射に過ぎない。
立ち込める火焔を背に微笑む少女の姿を前に、佐々木厳希は気付けば人間の姿に戻って立ち竦んでいた。それ以上の言葉は出ず、まるで思考が纏まらない。和泉伊織の微笑は間違いなく彼女の父と母に相通ずる色を纏ってはいたが、同時に何か別のものにも思えた。
「そう、それそれ」
間違えたのか。自分は何か間違えてしまったのか。
「……その、この組織とかまだよくわかってないけど。
まぁ、これからヨロシク」
そう言葉を紡ぐ様はまるで。
炎を統べる女王のようで。
──或る春の夜の出来事。
この時、少女と青年は、本当の意味で出会った。
一話を読ませて頂いた時点で、もう俺が書く! いや俺にしか続きは書けねえ! となりましたが大分二話を書き上げるまでに時間がかかってしまいました。
和泉(いずみ)だからZARDだろとあまりにも安直な考えで、今回執筆しながら延々「負けないで」を流しておりました。パステルカラーの季節を春と解釈するのも安直だと言われたらまあうん。あの日のように輝いてるあなたならいいのだ! 個人的にですが、いおりんのイメージBGMにはDon`t you see!を推すからな!
というわけで、一話拝読して一番印象に残った&工夫すべきと思ったのは「え、お前明らかに将来的にオメガモンなのに現在ワーガルルモン単騎なの!?」ということなので、それを元に話を組み上げました。一年後には究極体(の更に上)に到達していないとならないと考えると結構なハイペース。でも個人的にメタルグレイモンが好きなので、完全体であろうとそこは優遇してあげたいジレンマ。
今回の敵にエクスブイモンをチョイスしたのは、まあ前回オーガモンだったし湯浅さん作品だからレオモンにすべきかーとまで考えて安直かなと思い直し、あっギンリュウモンってことはENNEさんのパラレルAオマージュでエクスブイモンにしようと思った次第。つまり死んだかどうか敢えて曖昧にしてますが、もしアイツ進化したらry
綾乃ちゃんが寝返って敵に回ってあぼんするかは現時点では考えてない!
・
まさか拙作の続きを見られるとは!サロンを見た時おったまげました。
Act.2を書いていただけて光栄です。湯浅です。
拝読いたしましたが、いやはや。
伊織が静かに「普通」から乖離していく様子、丁寧に描いていただいて嬉しい限りです。
そりゃあね、一度あんな経験をしてしまい、しかもそれが父や母の死に係わっているといわれたら。日常を逸脱せずにはいられないのでしょう。
そんな彼女の様子を、丁寧に描いていただけてたのはさすが夏Pさん、といわざるをえません。
しかし、あえて詳細な言及は避けますが、におわせたところをうまく汲み取ってくださって嬉しいところもあれば、そういう解釈で来るか!と驚いたところもあったりして。いやぁ、こういうのはこの企画ならではの面白さだな、と思った次第です。
ワーガルルモンというところからメタルグレイモンを逆算して考えて下さって、仇として名前が出てきたところは、わくわくしました。
この展開で、話の軸が定まっていくだろう感覚もあり、見事に解釈してくださったなぁと嬉しい限りです。
エクスブイモンはなるほど、オマージュ元を聞いて納得したといいますか。伊織のこれからにも関係していきそうな気配すらするものです。
しかしこうして書いていただくと、続きが気になるもの。自分が1話を書いたとはいえ、夏Pさんによって面白い作品に仕上げていただいたように思います。
本当に、この度は2話を書いていただいてありがとうございました。
……3話も書いてくれて、いいんですヨ!
それでは。
湯浅桐華でした。