←第41話・第42話 目次 第43話・第44話→
12月24日。
もうすぐ貴方の17歳の誕生日が来ますね。
ああ、愛しい貴方。
ああ、可哀想な貴方。
苦難を背負わされ、過酷な運命に堕とされ、それでも憧れた彼と彼女の再会を夢見て眠り続ける貴方。
私は貴方が笑顔でいられるのなら、貴方が貴方でいられるのなら何だって致しましょう。貴方があの憎き男に命を奪われ、概念だけの幻となった後の永劫に近い時間、私はそれだけを思って生きてきたのです。貴方が今こうして私の愛した貴方の姿を取り戻したことがどれだけ嬉しかったか、今の貴方にはきっとわからないでしょうね。
そう、貴方が貴方に戻るまで色々なことがありました。
ロイヤルナイツ。
七大魔王。
オリンポス十二神。
三大天使。
多くの者達が生まれては消えていきました。世界は何度だって乱れ、その度に皆が憧れる英雄によって平和を取り戻してきました。人間の世界とは時の流れが異なるはずのこの世界が辿るのは、それでも人間の歴史と同じように争いと荒廃と平和が永久に続く悲しき歴史。
そして貴方を救ってくれる英雄は、終ぞ現れなかった。
世界が一巡してもそれは変わらない。
人の世界も。我らの世も。
まるで変わらずに営みを続けている。まるで同じように回り続けている。
ならば。
再び人の世界と繋がった我らの世も同じ末路を辿るのでしょうか。かつての世界にいなかったはずの十闘士(いぶつ)が在って尚、私達の世界は【反転】世界で逞しく生き抜く彼らの手によって終わりを迎えることになるのでしょうか。
八雲の炎。
朱実の光。
靖史の闇。
十闘士なぞいなくとも変わらず生まれただろう澱んだ彼らの力は、また来たるべき貴方の誕生日に貴方の身を滅ぼすことになるのでしょうか。ぶつかり合う炎と光、独善そのものの戦いの中から生まれた太陽が世界ごと再び貴方を焼くとでも──?
否。
断じて否。
させない。
させない。
絶対にさせない。
私は待ってきた。
私は耐えてきた。
幾億の時が過ぎようと、虚無の闇の中で己の使命も放棄してただ待ち続けてきた。アヌビモンという種に与えられた役割を果たさず、ただ在るだけの抜け殻として創世から今この時まで貴方という名の世界を見守り続けてきたのです。世界がどれだけ危機に瀕しようと構わず、苦しむ者達からも目を背け、意思の力だけで私は生き長らえてきた。
全て貴方の為です。貴方と再び出会う為です。
だからね、琥珀。
王たる虎と王たる狛(おおかみ)の名を持つ人の子よ。
私は貴方を守る為なら。
貴方の愛する彼らでも、迷わず手にかけましょう──
『With the HERO』
幕間
My Love
~虎と狛、コテツとハナビ~
2008年10月23日。それは高校二年生の体育祭の日のこと。
ドジで臆病で口下手な私。同い年の女の子と喋るだけで緊張してしまう私。だから男の子と話すことなんて以ての外の私。だから高校に進学したところで新しい友達なんて作れるはずも無く、クラスでも浮いた存在になることは当然の帰結だった。
だけど、それでもいい。だって私には。
『お前も今日は随分と調子良かったな、靖史』
『ハッハッハ、当たり前だぜ! 俺は何と言ってもやる時にはやる男だからな!』
こうやって私の隣で笑っていてくれる、大切な二人の友人がいるんだから。
仙川八雲君と園田靖史君。この二人がいなかったなら私は今日まで高校に通えていなかったと思う。それぐらい彼らは私にとって大切な存在であることは間違い無かった。特に八雲君は小学校の頃から良く私と遊んでくれた誰よりも優しくて、誰よりも大切で、誰よりも大好きな人。八雲君と一緒にいられるだけで私は凄く嬉しくて、それだけで笑えてしまう気がするんだ。
だけど八雲君は他の女の子からも人気があるらしい。それがちょっとだけ悔しくて、不安にもなる。
『……アンタ達、道端で騒ぐのは恥ずかしいからやめなよ?』
『お、朱実』
『朱実ちゃんじゃん、オッス!』
高校から駅までの道を歩く途中、待っていたのは私にとってもう一人の大切な人、本人曰く破滅的に似合わない女子校のブレザーに身を包んだ長内朱実ちゃん。隣の八雲君と同じように小学校の頃から私の友達でいてくれた、私にとって一番の理解者で一番の友達。
だけど今は私達と同じ相葉高校ではなく、隣の二宮女子高校に通っている。なんでかな?
『お前も体育祭だったんだっけか。……どうだったよ?』
『最悪も最悪、アタシがどんなに頑張っても団体競技で一気に抜かれちゃうんよ。……結局ウチの組、ビリから二番目だったわ』
『そっか。まあ応援に行けなくて悪いな』
『別にいいよ。アタシこそアンタ達の体育祭を見に行きたかったし』
軽く拳をぶつけ合う二人。それ痛くないのかな?
いつも通りの再会の儀式を終えて笑い合う八雲君と朱実ちゃん。傍から見ても二人は恋人みたいで、隣にいるこっちが恥ずかしくなってくるのは隣の園田君を見ればわかる。実際、何年も前から二人を知っている私から見ても八雲君と朱実ちゃんは本当に仲が良い。見る人が見れば付き合っていないと思うのが不思議なぐらいに気が合うし、一緒にいる時に二人の顔から笑顔が消えることは無い。
私は朱実ちゃんが好きだけど、同時に八雲君も大好きだから、そんな朱実ちゃんには少し嫉妬もするんだ。
『……それで、アンタは?』
『わ、私?』
そんなことを考えていたから、いきなり話を振られて変な声を上げてしまう。
『私は……その、運動とか得意じゃないし……』
『十分頑張っただろ? 徒競走で二位になれたじゃんか』
『でもそれは前の人がぶつかって転んだだけで……』
『いいんだよ、そんなこと気にしないで』
そう言って八雲君は私の頭を軽く撫でてくれる。隣にいる園田君が『うわ、大胆な……』とか呟いているのが聞こえたけど、だから私は八雲君が好きなんだと思う。こうやって優しくしてくれるから、こうやって褒めてくれるから、八雲君といると気持ちいい。もっと一緒にいたいって思う。
『へえ、アンタも頑張ったんじゃんよ』
『……あ、ありがと……朱実ちゃん』
朱実ちゃんまで褒めてくれたのが嬉しくて、私は思わず顔を赤くして俯いてしまう。
その日は同じクラスの稲葉瑞希さんから飲み会に誘われていたのだけれど、私は八雲君や園田君が行かないことを知っていたから断ってしまっていた。八雲君達がいないと何を話していいのかも全くわからないし、それに何よりも一緒に飲み会に来る佐々木綺音さんが私は苦手だったから。いつも八雲君や園田君に乱暴する人が大嫌いなのが私。だけど彼女が怖くて抗議しようとしてもできない弱い女の子もまた私だった。
駅前のハンバーガー屋で少しだけお喋りした後、最寄り駅の違う園田君には電車の中で別れを告げ、私達は通った小学校の裏山の前まで来ていた。その香坂山と呼ばれる山の上に私の家はある。自分の名字が山に付けられているという事実は、妙にくすぐったさを覚えると思う。
『じゃあな。また明日』
『えっ? 明日って確か振替休日じゃ……』
『馬鹿、遊ぶに決まってんでしょ?』
朱実ちゃんが軽く人差し指で私の額を小突く。朱実ちゃんは凄く力持ちだから痛くて、思わず涙目になる。
『……朱実、泣かすなよ』
『は? ……あ、ごめん。アタシってばそんなつもりじゃ』
『ううん、大丈夫。……うん、また明日』
涙を拭って笑顔を見せた。朱実ちゃんに悪気が無いことはわかっているから怒る必要なんて無い。
『ああ、また明日。……朱実、お前今日晩飯抜きだからな』
『ちょ!? アタシ今ごめんって謝ったっしょ!?』
『そういう暴力的なところは直せと何度も言った。それを忘れたお前が悪い』
『忘れてなんか無いって! ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい――!』
『やめろ、寒気がする! いいよ、姉貴に言い付けてやるからな』
『卑怯っしょ、舞矢を味方に付けるなんて!』
『……人の姉貴を呼び捨てにするなと何度言ったらわかるんだ、お前はさ。姉貴が駄目なら安さんだ。今日の晩にでも電話しといてやる』
『親父殿!? ひぃぃぃぃ、親父殿は勘弁して! 流石のアタシでも親父殿は怖い! フッ、八雲……昔から思ってたけど、アンタも素直じゃないねえ』
『は? 何が言いたい……?』
『正直怖いけど、あんたがエスコートしてくれるなら……仕方無い、今夜にでもアタシの体で支払うから』
『いや、要らないからな』
『即答!?』
楽しそうな会話と共に八雲君と朱実ちゃんの姿が遠ざかっていくのを最後まで見送って、私もまた階段を登り始めた。
階段を登りながら思う。今日の体育祭は凄く楽しかった。体育祭が楽しいと思える日が来るなんて考えたことも無かった。各色対抗リレーでライバルの坂本悠馬君と互角の勝負をする八雲君をカッコいいと思い、足は遅いけど持ち前の手際の良さで障害物競争の一位を取った園田君に驚かされ、私は一緒に走った瀬戸口楓さんと健闘を称え合った。クラスの応援団長として気合の入っていた稲葉瑞希さんも相変わらずだったし、県内でもトップクラスの快速ランナーとして名高い三上亮君が実際に走るところを見るのは初めてだったけれど、そんな噂の通り彼は本当に速かった。結局一位になることはできなかったわけだけれど、私はそれでも十分満足していた。
早くお父さんとお母さんに話してあげたいな。そう思うから自然、階段を登るスピードも上がる。
『えっ……!?』
だけど階段を登り終え、境内に辿り着いた私を待っていたのは優しいお父さんとお母さんではなく一体の怪物だった。
『……あん?』
巨体が振り返る。その中心、禍々しい真紅の複眼が私を捉えた。
それだけで私は全身が麻痺したかのように動けなくなってしまう。視界に広がるのは抉れた地面、薙ぎ倒された周囲の木々。そこにいたのは私の家、香坂神社を徹底的なまでに蹂躙した漆黒の竜、この世に存在するはずの無い魔獣だった。
『ひゃはははは、コイツはとんだ失態だぜ! 人間に見つかっちまったか、ひゃはははは!』
『ひっ……!』
『逃がしゃしねぇよ! 目撃者は全て消せって命令でなぁ、悪く思うなよ小娘が!』
後ずさりした私を前に、その黒い竜は醜悪な口を広げて笑う。
『テメエみたいな小娘一人殺したところで所詮は人間、ロードできるわけでもねぇ。だから当然強くなれるってわけでもねえだろうが……ま、とりあえず死ねや! クリムゾンネイル!』
竜の両腕が真紅に輝き、それが私の体を引き裂かんと迫る。あんな攻撃を喰らえば細い私の体なんて紙切れのように引き裂かれてしまうに違いない。そう、目の前の竜が地球上に存在する生物であるはずが無い。目の前の竜は明らかに人間にとっての天敵、人間では及びも付かぬ存在なのだから。
でも嫌だ。死にたくない、こんなところで私は死にたくない。
『や、八雲君――!』
『……呼んだか!』
そう望んだ時、確かに来てくれた。それはまるで、ヒーローのように。
八雲君は一瞬にして私の体を抱き上げて後方へ跳躍する。その次の瞬間には竜の爪が一瞬前まで私が立っていた場所を切り裂く。どんな鎧や盾でも瞬時に切断しそうなその爪は、空間をも切り裂き私達の目の前に奇妙な軌跡を残す。その向こう側には見たことの無い世界が広がっている。電子的なパーツで構成された電脳の小世界が。
後から知ったことだけれど、この竜は次元を切り裂くだけの力を持っていたらしい。正確には与えられたと言うべきかもだけど。
『……無事……じゃないか。……悪いな、遅れた』
『八雲君……八雲君!』
恐怖と緊張で精神的に限界まで追い詰められていた私は、ただ私を抱き上げてくれた八雲君に縋り付くことしかできなかった。いつもだったこんな積極的な行為は死んでもできないと思う。それぐらい今の私の感覚は麻痺している。先程別れたばかりの八雲君がなんでこの場所にいるのかさえ、今は不思議に思うことは無かったんだ。
その一方で八雲君は何ら顔色を変えること無く、自分の腕に張り付いた私の指を力強く握り締めて私を地面に下ろしてくれる。そんな中でも私の手を決して離さない力強さが私には愛おしい。そんな風に時折垣間見せる八雲君の不器用な優しさが私は大好きだった。
あまり身長は大きくない八雲君だけど、こういう時はその背中が凄く大きく見える。
『安心しろ……お前のことは、俺が守るから』
『あ、ありがとう八雲君……で、でも何で……』
『おっと、アタシもいるよっ!』
いつの間にか登ったのか、隣の木から飛び降りてくる朱実ちゃん。スカートだということを微塵も気にしていないのが朱実ちゃんらしい。というより、どうせ飛び降りてくるんだったら木に登る意味がどこにあったのかさえわからない。
そうして八雲君と朱実ちゃんは私を庇うようにしてその黒い竜と対峙する。二人の顔に恐怖や不安は微塵も無い。
『ひゃははははっ! こうも次々と人間に姿を見られちまうたぁな! 厄介なことになりやがった!』
『……お前、何者だ!?』
『答える義理はねぇな! 何せテメエらは今ここで俺様の手で死ぬんだからよぉ!? クリムゾンネイル!』
またも真紅の爪が一閃されるけれど、飛び出した朱実ちゃんはその爪が届くより前に竜の懐に飛び込んでいた。
『ぬっ……?』
『蝿どころかカブトムシが止まるね……出直してきな!』
そうして竜の体を蹴って高く跳躍――所謂壁ジャンプという奴か――するとそのまま右の拳を竜の顎に叩き込む。それと同時に今まで私を爪の軌跡から庇うように立っていた八雲君もまた駆け出し、瞬時に着地した朱実ちゃんと同時に怯んだ竜の隙を突く形でその腹に飛び蹴りを浴びせる。
人間程度の攻撃など問題にしないだろうその黒い竜も、二人の同時キックを受けて僅かに顔を顰めた。
『その程度? ならアンタの攻撃はアタシ達には当たらないね!』
『……そういうことだ』
『面白ぇ……いいぜ、面白ぇじゃねえか、テメエら! へっ、今ここで殺すのは少々惜しいって奴だな!』
だけど竜は飽く迄も笑みを崩さず、そんな言葉を呟くと自らをデビドラモンと名乗り姿を消した。
香坂神社は酷い有り様だった。御堂も境内も徹底的に破壊し尽くされている。お父さんもお母さんも擦り傷程度で無事だったけれど、御堂のすぐ裏手にある家はとても暮らせるような状況じゃなかった。だからお父さんとお母さんの計らいで、いきなり私は八雲君の家に世話になれと言われた。
好きな人の家にお世話になるなんてと私は顔を真っ赤にして反対したのだけれど、八雲君はただ一言。
『別に俺はいいですよ。……今日は朱実も来てるわけだし、それに何よりもウチには姉貴もいるし』
そういう問題じゃないのになぁ。八雲君の馬鹿、鈍感、朴念仁。
でも久し振りに八雲君のお姉さん、舞矢さんに会っておくのも悪くないかなとは思った。舞矢さんは少し思い込みの激しい性格でおっちょこちょいなところも持った人ではあるけれど、昔から私が八雲君を好きなことを知っている数少ない人間の一人の上、何故か知らないけど朱実ちゃんを快く思ってない所為か私の恋を応援してくれる人だから。だけど今日は朱実ちゃんも一緒だというから、そんな二人が同じ空間にいるということになるのは少し怖いと思った。
結局その夜も舞矢さんが朱実ちゃんに突っ掛かって八雲君の家は大混乱だった。
『朱実アンタね、八雲を悪の道に引き摺り込まないでくれる!?』
『誰も引き摺り込んじゃいないっての。……あ、舞矢。ソース取って』
『はいはい、これね。……って、違う! 話を聞きなさい!』
『細かいことは気にしない方がいいよ? ただでさえ舞矢、アンタは心労で髪の色が薄いんだから』
『これは染めてるだけよ! 私はあんたみたいな不良じゃないの!』
『そういうことにしといてあげるけど、そんなんじゃ嫁の貰い手がいないんじゃない?』
『どぐはっ!? 世界で一番誰の嫁にもなれそうにない女に言われた!?』
そんな中で八雲君は呆れながらも黙々と箸を進めていられるんだから、女性に囲まれて育っただけのことはあると思った。
そんな次の日、八雲君や朱実ちゃんと一緒に私は慣れないカラオケに連れて行かれたり喫茶店に連れ込まれたりしたわけだけど、私も柄にも無く楽しんでしまったと思う。何よりも八雲君や朱実ちゃんと一緒に遊べることが何よりも楽しい。だからこんな毎日がずっと続けばいいと、こんな風にこの二人とずっと仲良くしていきたいと、そう思った。
だけど神様は許してくれなかった。ささやかな願いだったのに、どこにでもある望みだったのに。
『俺はエクスブイモン』
『……同じくウッドモンじゃ』
帰路に着いた私達の前に突如として現れたのは昨日のデビドラモンと同じような正体不明の怪物達。朱実ちゃんの発案でひとまず逃げている最中、済し崩し的に園田君をも巻き込んで近所の空き地で応戦する八雲君や朱実ちゃん。本人達曰く出力が落ちているということで何故か見た目ほどの戦闘力を見せないとはいえ、人知を超えた怪物であることに間違い無いエクスブイモンやウッドモンを相手取る中で何ら気負う様子を見せない八雲君と朱実ちゃんの強さは本当に圧倒的だったけれど、そんな戦いの途中でそれは起きた。
後に【反転】と呼ばれる出来事により、八雲君を除いてその場にいた者は全員消えた。
『えっ……?』
そうして気付いた時、私は群馬の山奥に倒れていた。先程までと変わらないパーカーとスカート姿で。
そんな私のことを、一体の怪物が見下ろしていた。
『ひっ!? な、何なの……!?』
『怖がることはありません。……私は貴女の敵ではないのですから』
その怪物が発したのは見た目に反した穏やかな声音。それはお母さんの声にも似た温かみを持った、聞いているだけで心が落ち着くような、そんな声。黄金の鬣と長く大きな尻尾、そして何よりも口内に覗く鋭い牙はどう見ても猛獣の類だというのに、その声だけで狼狽する私を安心させてくれた。
それが私の契約者、シーサモンとの出会いだった。
『融合世界?』
『はい。……誠に遺憾ながら貴女は我々の世界と人間の世界、この二つが融合する【反転】に巻き込まれてしまったようです。今のこの世界は確かに貴女の知る人間の世界でしょうが、その理はまるで違う。我ら電脳の怪物達が徘徊する、人間を異物として性急に処理しようとする歪んだ世界ですよ』
『も、元に戻れるの?』
それにシーサモンは首を横に振った。自分にもそれはわからない、何故なら【反転】はまさに神の気紛れによって起こる事象なのだから。
私は納得が行かなかった。そんな神の気紛れなんかに私の幸せを、八雲君や朱実ちゃんと一緒に過ごす日々を奪われて堪るかとばかりに行動を始めることにした。私自身気付いていなかったし、シーサモンもそんな私を見て『貴女は強い人間なのですね』と言ってくれたけれど、それは当然のように今までの私には無かった強さだ。イジメにも抗えなかった私なのに、友達も自分では作れなかった私なのに、皮肉にもこんな世界に巻き込まれたことが私に強さを与えてくれたらしい。
シーサモンによれば私の住む二宮市の方角から何らかの強い気配を感じるということだったので、ひとまず私達は二宮市に戻ることにした。そこで初めて私は自分がどういうわけか群馬の山奥にいたことを知ったのだけれど、シーサモンが背中に乗せてくれたので、体力の無い私でもそれほど苦労はしなかった。
『あっ……や、八雲君!?』
そうして二宮市に戻ってすぐに私は、一体の蒼い竜を連れた八雲君と再会した。
『八雲君、八雲君!』
『ん? ……って、うおっ香坂!? だ、抱き着くな!』
『怖かった……怖かったよぉ……!』
前のデビドラモンの時とは違って、思わず抱き着いてしまった私を真っ赤な顔で引き離そうとする八雲君。そんな八雲君は私が見たことの無いぐらいに大きな業物を持っている。後から聞いた話だと、その龍斬丸と呼ばれる斬馬刀はかつて世界中に強大な剣豪として名を馳せたザンバモンという怪物が自在に振るった世界でも最高峰と目される剣とのことだった。
でもそんなことは関係無かった。私は八雲君が今この世界にいる、私と同じようにこの世界に巻き込まれた、それだけがただ嬉しかったんだから。
『……八雲、この少女は?』
『ああ、こいつは――』
まだ顔を赤くしている八雲君は隣の竜に私のことを紹介してくれる。
ストライクドラモン。それが八雲君の契約者の名前らしい。荒々しい竜を模した外見とは違って随分と礼節を弁えたモンスターみたいで、グラウモンとかいう怪物との戦いでピンチになった八雲君を助けてくれたということだった。八雲君とはお互いに認め合っているみたいで、それがシーサモンの強さに頼ることしかできないでいる私には少し眩しく映った。
それでも八雲君と会えた、それだけで私は驚くほど心が楽になった。
『なに、朱実がこの世界にいるのか!?』
『それが貴様らの探している少女かどうかは知らんが。……だが貴様の反応からして間違いは無いようだな』
『そうか、それなら……』
だけど嫌なことが起きた。嫌なことだと考えてはいけないのだろうけど、とにかく嫌なことだった。
八雲君と一緒に世界を調べていく中で出会った一体のスティングモンという蟷螂のような蜂のようなモンスターが、この世界で出会った騎士と共に戦いながら二宮市に向かっているというもう一人の女の子の存在を教えてくれた。そのモンスターは『いつか役立つだろう』との言葉と共に自らの肉体をデータに変えて八雲君に託していたんだけど、私にとってはそんなことはどうでもいいことだった。
朱実ちゃんもこの世界にいると聞いた時の八雲君の嬉しそうな顔。それを見て私は知らず知らずの内に嫉妬していた。
『……また会ったな、野蛮人』
『グラウモンか……!』
程無くして現れたのはグラウモンというモンスター。ストライクドラモンとシーサモンをも圧倒するそのモンスターを前に私達はピンチになったのだけれど、そこに突如として現れて私達を救ってくれたのは園田靖史君だった。
『はっは、苦戦してるようだなぁ、お二人さん!』
『靖史!?』
『そ、園田君! どうして!?』
けれど園田君が連れているモンスターを見て私は言葉を失った。
『ひゃはははは! 死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ねぇ!』
不意を突かれる形で動揺するグラウモンを、その真紅の爪で容赦無く叩きのめしていくモンスターの名前はデビドラモン。言うまでも無く運命のあの日に香坂神社に現れ、私の命を刈り取らんと襲い掛かってきたモンスターに間違い無かった。デビドラモンは既に私達の存在など忘れているようだけれど、私も八雲君もその存在には注目せざるを得なかった。
以前出会ったウッドモンが進化したジュレイモンとの戦いの中で八雲君のストライクドラモンと園田君のデビドラモンはそれぞれ進化を遂げたのだけれど、その先に待っていたのは悲劇だけだった。
『お前は死ねよ、八雲。……俺より弱いお前に用は無い。安心しな、お前の大好きな二人の女の子は俺が守ってやるからよ!』
『なに、靖史……お前!?』
突如として園田君は八雲君に契約者を差し向けた。今まで自分を見下してきた八雲君が許せないと。
でもそんなことは無いはずだった。ずっと園田君が八雲君に憧れていたことは知っている。二人は私から見ても羨ましいぐらいに仲良しな友達で、これからもずっと親友でいられるはずだったのに。園田君は結果的に自分の契約者を自分の力にしたつもりで逆に操られているだけだったのだけれど、それでも八雲君は園田君の心の闇に気付かなかったことに深く苦悩しているみたいだった。
私にはどうすることもできなかった。八雲君を励ますことも背中を押してあげることもできない。
『何で……こんなことに』
だって私は朱実ちゃんじゃないから。八雲君が一番大好きな朱実ちゃんにはなれないから。
だから私は園田君を止めるために動いた。園田君の契約者にシーサモンで太刀打ちできるかはわからなかったけれど、それでも今の私にできることはそれだけなのだと信じて。そして私の真摯な言葉は絶対に園田君に届くのだと信じて。
あはははは、今思い返しても笑いで涙が出そう。馬鹿で、無様で、浅はかな、思い上がり。
『お願い園田君! 八雲君を許して……八雲君を助けて!』
『はぁ?』
私を貫く園田靖史君の冷めた瞳。それが何よりも辛くて、何よりも怖かった。園田君は私にとっても大切な存在だったはずなのに、八雲君や朱実ちゃんと一緒にいつまでも笑い合っていたいと思う人だったはずなのに、どうしてこうなってしまったんだろう? ただ小さな幸せを守りたかっただけなのに、私は一体どこで間違えてしまったんだろう?
その園田君との戦いの中でシーサモンはケルベロモンに進化を遂げた。だけど結果は同じ、進化したところで園田君の契約者には傷一つ負わせることができなかった。それどころか戦いに巻き込まれて私もケルベロモンと同様にズタボロにされて。
そこで私は長い長い思考や迷いという名のトンネルを抜けてようやく気付いたんだ。何故私はこんなことをしているんだろう、こんなことは私がすることじゃないのに、こんな場所は私がいるべき場所じゃないのに、私が望んだのはこんな世界じゃないのに、私はただ大好きな人や友達と楽しく生きていければそれで良かったのにと。
それでも嬉しかった。暗器使いのドウモンというモンスターの奇襲で傷付いた朱実ちゃんまで一緒だったのは残念だったけれど、園田君に負けて街中で朽ちたように倒れていた私とケルベロモンを他ならぬ八雲君が助けに来てくれたことは。
『靖史か……靖史なんだな、お前をこんなにしたのは……!』
傷付いた私の体を抱き上げてくれた八雲君の顔は今まで見たことの無い色をしていた。私をこんな風にした園田君のことが許せないと、自分の大切な人に問答無用で暴力を振るったその行為は決して認められないと、炎のように燃える瞳がそれを語っている。
この時の八雲君は、初めて一点の曇りも無い怒りを見せてくれていた。
そう、他でもない私のために!
ああ、もう凄く嬉しくて痛みなんて吹き飛んでしまいそう! 八雲君が私のために怒ってくれている、あまつさえ私のために私を傷付けた園田靖史を憎んでさえくれている! それだけでこの世界に来たことを後悔しないで済むかもしれない! 私の隣で同じように傷付いたケルベロモンのことなんて気にならなかった! 私はこの時八雲君の中で確かに朱実ちゃんを超える大きな存在になった、その事実だけで胸が沸騰しそう! もう本当に嬉しくて堪らない!
自分がとてつもなく醜悪な顔をしていると、この時に鏡があったら多分気付けていたのに。
『お前はあいつを傷付けた……だから靖史、俺は殺す……お前を、殺す!』
『ハッ、面白い! やってみやがれ!』
その果てに待っていたのは当然のように殺し合い。そして言うまでも無く、私の大好きな人が園田靖史なんかに負けるはずが無かった。
八雲君の契約者が園田君の契約者をその爪で引き裂くのと、八雲君の剣が園田君の胸を穿つのは殆ど同時だった。闇に塗れた者の無様な最期はきっと八雲君の心に暗い影を落とすだろうけど、そんな苦しみは私が消してあげる。朱実ちゃんじゃなくて、この私が。だって八雲君が園田君を殺すことを決意したのは他ならぬ私のためなんだから。世界中の誰でも無い、この私のためなんだから。
『あは、あはははは……!』
園田君との決着を付けた八雲君の姿を遠くから見やりながら、何故だか私は笑いが止まらなかった。その瞳から止め処無く涙が流れていることも知らず、園田君もまた私にとって大切な人だったであろうことも忘れ、ただ私のために戦ってくれた八雲君のことだけを思い、私は一心不乱に笑い続けることしかできなかった。
私がハッキリと覚えているのはここまでだ。そうして時は流れる。
2008年12月24日。クリスマスイブにして私の誕生日。恋人達が楽しい時を過ごす素敵な聖夜だというのに、狂った世界は未だに元に戻らない。そのことを少しだけ不服に思いながらも、私は相変わらず荒れ果てた香坂神社の境内で人を待っていた。
誰かなんて言うまでも無い。私にとって一番大切で、一番大好きな人。
静かに階段を登ってくる足音が聞こえてくる。彼の気が立っているのだと一瞬でわかる。この足音を初めて聞いたのは何年前だっただろうか。記憶が正しければ多分五年前なんだろうけど、もっと前だったような気がする。でも少なくともイジメに遭っていた私を助けてくれた私にとってのヒーローであることは間違い無い。
そう、つまり私の願いはWith the HERO。ただ彼と一緒にいたかっただけなんだから。
『……よう』
『こんにちは、八雲君』
笑顔で私は彼を出迎える。それに対して八雲君もまた不器用な笑顔を見せる。
この世界に相応しくない和やかな雰囲気。しばらく見ない間に八雲君が持っている剣は龍斬丸から変化しているようだった。その正体を私は見破ることができない。それが意味するところはつまり、今の八雲君が持っている剣はこの世界には存在しないはずの剣だということになる。私の目でもその剣の構成データを看破できない。
けれど私は気付いた。その剣が少なからず血に塗れていることに。
『八雲君、それ……』
『……気にするな』
そう呟いて八雲君は私から顔を背けた。
『靖史が……死んだ』
笑った。知っているその出来事は八雲君が私のために怒ってくれた、大切な記憶だから。
『デュナスモンも……死んだ』
再度笑った。あの強かった契約者を失ったとなれば八雲君を守る者は私だけ、私の契約者だけだから。
『そして……朱実も死んだ、俺が……殺した、この剣で』
もう一回笑った。朱実ちゃん、本当に邪魔だった朱実ちゃん。これで八雲君は私だけ、私だけのヒーローでいてくれる。
そんな時、神社の下の方からアヌビモンが飛んでくる。あのベルゼブモンとの戦いの中で進化した私の契約者。八雲君のデュナスモンが死んでいなくなった以上、八雲君を守ってあげられるのはアヌビモンと私だけ。だから今まで八雲君が私にとってのヒーローでいてくれたように、今度は私も同じように八雲君のヒーローになってあげる。
でも気付いた。アヌビモンは何故だか血相を変えている。それは本当に珍しいこと。
『逃げなさい! 彼は、八雲は……!』
『……アヌビモン? それ、どういう……?』
それに疑問の声を上げた瞬間、私の胸に重い衝撃が走る。
『えっ……?』
ゆっくりと目を下に向ける。そこは初めて間近で見る見事な意匠の大剣、それと凄く怖い顔をした八雲君。
その龍の魂を宿す剣の刀身は私の胸を突き破って背中側から生えている。痛みも無いのに、血なんて一滴も出ていないのに、それでも今のこの状況は私が正面から八雲君に、他ならぬ大好きな人に刺されたことを意味していた。
だから浮かんだのは疑問。――何で? ――私が? ――八雲君に? ――殺されるの?
『お前も……ああ、香坂も……死ねばいい』
手向けの言葉も何も無い。八雲君はもう私を優しい目で見ることも無く、ただ私の死だけを望んでいた。
そこに在るのは恐ろしく冷徹な顔、そこで見たのは信じられないくらい酷薄な顔。そんな顔の八雲君を見たくは無かった、八雲君にそんな顔をさせたくは無かった。八雲君はいつだって何事にも一生懸命で何事にも必死な顔でいてくれなきゃ嫌だった。だって好きだったから、世界で一番頑張っている不器用なあなたが、私は好きだから。世界で一番汗を掻いている一途なあなたが、私は好きだから。
『嫌……嫌だよぉ、八雲君……』
『………………』
何を言っても届かない。どこで私は間違えたの? 私は何をすれば良かったの?
ああ、八雲君の剣を私なんかの血で汚しちゃいけない。そう思うから刺されたのに私は一滴も血を流さないんだ。うんうん、私ってば最後の最後で偉い子になれたみたい。朱実ちゃんや園田君の死を望むような悪い子だったけど、八雲君は私のことを許してくれるかな?
当然、そんなことは有り得ない。いつかと同じように縋るように伸ばした手は、今度は八雲君に無表情で払い除けられた。
それでも私の気持ちは変わらない。ずっとずっと好きだったから、出会った瞬間からあなたが好きだったから。払い除けられた手が力を失って落ちても、心臓の鼓動が止まっても、目が霞んで八雲君の顔がハッキリと見えなくなったとしても、私はあなたが好きだから。血が流れない理由が既に私の体が電脳生命体(デジタル)になっていたからだったとしても、私は人間として八雲君が好きだから。
だから今まで一度も言えなかった言葉を小さく紡ぐ。
『八雲君、大……好き……』
そうして私の『世界』が終わる。香坂琥珀は、ここで死ぬ。
最悪な寝覚め、端的に言えばそうなるだろう。
「……はぁ」
どうやら随分と長い間眠ってしまっていたらしく、体が重く感じる。
妙な夢を見た気がする。今まで見たことの無いような妙な夢だ。尤も、こんな世界でも無ければ彼女は夢を見ることさえ許されない体なので、言ってみれば夢を見ること自体が久し振りということになるのだろう。現実世界の時間に換算すればそれは五年ぶりということになるだろうか。そんな久し振りに見る夢があんな夢とは、自分は本当に不運な人間ではなかろうかと自嘲する。
そこまで考えて彼女は苦笑した。不運も何も、そもそも自分は本当に人間なのだろうか?
「……懐かしい」
視界に広がるのは懐かしき香坂神社の御堂だ。そこで巫女服のまま自分は大の字になって眠っていたらしい。アヌビモンが見たら何てはしたないと頬を膨らませるのだろうと思うと再び笑えてきた。今回の【反転】を起こした時に少しだけ他の人間の前に姿を晒して以来だから、約一ヶ月もの間自分は眠っていたということになる。
その所為だろうか、久し振りに見たのは随分と奇妙かつ不快な夢だった。自分が園田靖史と長内朱実の死を喜び、やがて仙川八雲によって命を絶たれる夢。平凡な少女でしかなかった自分が次第に破滅へと向かっていく夢。当然だが今の自分、香坂琥珀にそんな記憶があるはずも無い。
だからそれはきっと『前の世界』の記憶の残照でしかないのだろう。今の自分を自分たらしめた『前の世界』の琥珀の残り粕でしかない。
「アヌビモン? ……いないの?」
「呼びましたか、琥珀。……どうかしましたか?」
「ごめんね、少し変な夢を見たんだ……」
御堂の中に音も無く現れたのは黄金の双翼を備えた蒼き狗神。ちょうど夢の中にも現れたので奇妙なデジャヴを覚える。
そんな狗神に琥珀は夢の内容を掻い摘んで話していく。当初こそ穏やかな様子を崩さなかったアヌビモンだったが、園田靖史の死に関わる部分辺りから次第にその顔付きが険しくなっていく。琥珀もこの狗神が表情を変えることは滅多に見たことが無かったので、それぐらい今自分が見た夢は重大だったのだということ、またその夢は実際に起きた現実だったのだということを理解する。
そうして話し終えた琥珀に、狗神は神妙な面持ちで問う。
「琥珀、貴女はその夢を見て……どう思いましたか?」
「どうって……」
なかなか返答に困る質問をしてくると思う。だから少しだけ考え込んだ後、静かに答えた。
「そうね……多分その世界の私は馬鹿だったの」
「……馬鹿?」
またも珍しくアヌビモンにしては間の抜けた声。
「八雲君が好きなんだったら、何で朱実ちゃんから奪い取ってやろうと思わなかったの? 何で本気で園田君って子を止めようとしなかったの? ……それが私には理解できないよ……ううん、理解したくもない……!」
「……かもしれません。そして私もまた、それを止めることができなかった……」
そう謝られると釈然としないが、とにかくそういうことだ。
「安心して、アヌビモン。……私は絶対にそんな風にはならないから」
だから狗神には敢えて今ここでハッキリと宣言しておく。
自分は『前の世界』の琥珀とは違う。決して長内朱実に嫉妬などしない。長内朱実は自分にとっては大切な友達であると同時に誰よりも近付きたいと思う憧れの存在なのだから。そして決して園田靖史の死を望んだりはしない。そもそも今ここにいる自分は先程の夢が無ければ、園田靖史という少年の存在を知ることも無かったのだから。
そう、自分は『前の世界』の自分とは違うのだ。そう考えると、あの炎の闘士が渡会八雲に執着していることが馬鹿らしく思えてくる。
自分が眠っている間に色々なことが起きたはずだ。だが先程の夢が全て『前の世界』で起きた現実だとすれば、似たような出来事が今も起きているということだろうか。尤も、分不相応にもこの世界へと紛れ込んだ十闘士と呼ばれる架空の英雄の存在を鑑みれば、少なからず状況は違ってきているかもしれないとも思える。少なくとも十闘士とは『前の世界』には存在しなかった、ある意味で人間以上の異物なのだから。
そんな琥珀の様子を察したのか、アヌビモンは肩を竦めつつ呟く。
「……今し方園田靖史が死にました。闇の闘士に取り込まれる形ではありましたが、結局は貴女の見た夢と同じ展開ですよ、琥珀」
「そう……きっと辛いんだよね、八雲君……」
渡会八雲は悲しむだろう、渡会八雲は嘆くだろう。だけど自分のためには泣かないのが、琥珀の好きな渡会八雲なのだ。
それを『今の世界』の香坂琥珀、即ち自分は知っている。世界の中でどうせ一人ぼっちなのだと馬鹿な泣き虫だった自分に手を差し伸べてくれたのは誰だったか、イジメに遭っていた上級生を見捨てておけずに長内朱実と共にイジメグループに挑んだのは誰だったか。言うまでも無い、それは香坂琥珀の大好きな渡会八雲なのだ。
仙川八雲も『前の世界』も何も関係無い。香坂琥珀はただ渡会八雲を好きなだけだから。
今すぐにでも飛び出していって、そんな彼を抱き締めてあげたい。辛くても決して泣かない彼のことを慰めてあげたい。だが今の自分にそれはできないのだ。今の自分には愛すべき世界と、為すべきことがあるのだから。そのことを考えれば自分にこの世界を愛するように仕向けた『前の世界』の香坂琥珀のことが憎らしくすら思える。
けれど、そんなことを思ってはいけないのだろう。自分はただ来たるべき時のため、この世界を愛し続ければそれでいいのだから。
「八雲君、もう少し……もう少しだけ頑張って……! 私、もう絶対に八雲君に辛い思いはさせないから……」
「……琥珀は本当に八雲のことが好きなのですね」
「うん。その気持ちだけは朱実ちゃんにも負けないんだから……!」
誇らしげに答える琥珀を見てアヌビモンは微笑んだ。それはまるで、娘を見る母親の目。
「ですが琥珀、今この世界にはもう一人、貴女がその存在を考慮すべき少女がいます」
「えっ? それって、まさか……!?」
アヌビモンの言うところの自分がその存在を考慮すべき少女。今この場で考えられる答えは一つしか無いのだが、そんなはずは無いのだ。琥珀は誰よりも彼女のことを消し去るつもりで【反転】を行ったのだ。彼女をこの世界に一切関わらせないように、彼女を誰よりもダークエリアの奥深くに閉じ込めることを念頭に置いた上での【反転】だったのだ。
それが今のこの結果だ。結果的に彼女は『前の世界』とは違う形とはいえ今この世界に確かに存在し、渡会八雲とも出会ってしまった。
「嘘……そんなこと……!」
琥珀が思い浮かべたのは先程の夢で見た最後の光景。自分が仙川八雲の龍魂剣に刺し貫かれる瞬間、仙川八雲の背後に音も無く現れた女がいた。そうして黙って自分が殺される瞬間をただ見つめていた女がいた。そこで夢は終わってしまったからこそ、そこで香坂琥珀の命は絶えたからこそ、それから先の記憶は琥珀には無いのだが、自分が死んだ後に残された仙川八雲とその女がどうなったのかは聞くまでも無いことだった。
まさに自分と【反転】する(いれかわる)形で現れた少女とは、果たして誰だったのか――?
龍魂剣をその体から引き抜いた瞬間、動かなくなった香坂琥珀だったモノはドサッと大地に倒れて動かなくなった。
『………………』
それを見下ろす仙川八雲の顔には何の表情も浮かんでいない。
もう涙を流す理由も意味も無い。涙とは訴えるための物だ、自分が悲しんでいると示すための物だ。けれど今の仙川八雲には自分が悲しんでいるのだと訴えられる者も示せる相手もいない。だから自分が大好きだった少女を殺しても、自分が守ると最初のあの日に誓った約束を破ることになったとしても、そこには後悔も何も無かった。
長内朱実の命を奪った時から自分は壊れていたのだ。いや、正確にはもっと前、この世界に初めて関わった瞬間からだろうか。
上空でアヌビモンは何事かを叫んでいるようだが、そんなことはどうでもいい。香坂琥珀が死んだことで急速にこの世界は力を失い始めている。程無くして元通りの人間界に戻ることだろう。だとすれば今更あの狗神が人間である仙川八雲に干渉することなどできない。仙川八雲は人間界の生き物、狗神はあちらの世界の生き物、互いに干渉すべきではないということは最初からわかっていたことだ。その禁を破り二つの境界線を乗り越えてきた者だけが仙川八雲にとっての憎むべき者であり、その全ての業を香坂琥珀に背負わせてその命を絶った。
その行為は決して許されることでは無いだろう。そうだとしても、そうせずにはいられなかったのだ。
『この世界は殺したんだ……靖史も、デュナスモンも……朱実も、それに……香坂も!』
『世界が殺した? ……面白いこと言うのね、あなた』
『!?』
背後から涼やかな声が響く。もう全てのモンスターは世界と共に消滅したはずなのだ。故に今この場に何者かが現れるとすれば、それは人間以外には有り得ない。
咄嗟に振り向いた仙川八雲の目に映ったのは自分と同い年ぐらいの一人の少女。何の感情も宿していない冷たい双眸と逆に意志でも持っているように穏やかに揺れる長い黒髪、その長髪は淫靡な雰囲気を孕んで彼女の肢体に絡み付き、その漆黒の装束と相俟って雪のように白い肌とのコントラストで彼女の印象をどこか曖昧にしている。
見たことの無い女だった。今まで仙川八雲が見てきた誰ともその印象は違って見えた。
『それ、あなたが殺したのよね? ……どうして世界なの?』
躊躇いも無く彼女は香坂琥珀をそれと呼んだ。数秒前まで生きていた人間のことを、その女は命を奪った張本人である仙川八雲に自らの行為を確認させるかのように物扱いしてみせた。まるで多くの死を見てきたかのように、まるで自分が多くの者を死なせてきたかのように、ただ淡々と告げたのだ。
本当に何故だろうか。その瞬間、仙川八雲はそんな女に心を奪われていた。
『……お前は?』
『私の名前? ……皆本環菜よ、あなたの好きに呼べばいいわ』
そうして世界の最果てにて、全てを奪われた男と最初から何も持たない女は出会った。
・
十闘士には極めて謎が多い。そもそも存在すら疑われている者すらいるのだから相当だ。
特にエンシェントと呼ばれる古代十闘士、即ちルーチェモンと戦い彼の魔王をダークエリアに封じたと呼ばれる伝説の英雄達ともなれば姿を見た者すらおらず、その実像は伝承や文献に残された内容から推測するしか無い。故にその生態や正体などは正直に言えば全く判明していないと言っても決して過言ではないだろう。
そこで著者は一つの仮説を立てた。それは『古代十闘士とはそもそも、全て架空の存在なのではないか?』という仮説だ。言い換えれば『十闘士は実在のモンスターの活躍を元に捏造された寓話なのでは?』とも言える。
考えてみれば単純なことである。エンシェントと言えど我々と同じモンスターである以上、特定の種族からは突発的に進化を果たす者がいてもおかしくないはずなのだ。しかし著者が確認できている範囲内ではエンシェントグレイモンやガルルモンに到達したとされるモンスターは存在しない。それは何故なのかと考えた時、著者が見出したのが上記の仮説なのである。
古代十闘士は端的に二つのグループに分けることができる。一つ目が前述のエンシェントグレイモンやガルルモン、またワイズモンなどに代表される現存種のエンシェント進化だと推測できる者。二つ目はエンシェントイリスモンやメガテリウモン、トロイアモンなど現存種が存在していないにも関わらずエンシェントの名を冠する者である。
そこで今回は古代十闘士について検証してみようと思う。
まずは十闘士の代表格にして筆頭、エンシェントグレイモン。これは言うまでも無くグレイモン種の古代種であるとされるが、そう考えると腑に落ちない点も多い。最大の疑問としては何故四足歩行なのかということが挙げられるだろう。一般にグレイモン種と言えば二足歩行の肉食恐竜型のモンスターを思い浮かべる者が大半だと思う。そんな中でエンシェントグレイモンは唯一と言っていい四足歩行型のモンスターなのである。
そこで著者が先程挙げた仮説が活きてくる。そう、十闘士が架空の存在だとすれば全ての辻褄が合うのである。
グレイモン種で最も有名な種族と言えば、言うまでも無く古代に起きたデジタルクライシス時に活躍したとされ、ロイヤルナイツの一員として名高いオメガモンの元となった一体としても著名な究極体、ウォーグレイモンだろう。他に究極体として知られるグレイモン種にそのウォーグレイモンの亜種とされる種族も存在するのだが、ウォーグレイモンとその未確認種に共通するのもやはり二足歩行であるということだ。
ここで壁画に残されたエンシェントグレイモンの姿を確認してみよう。その姿は四足歩行だということもあってか、グレイモン種というよりもインペリアルドラモン種に酷似しているようにも思われる。そしてインペリアルドラモンといえば古代世界に君臨したと言われる強大なモンスターだ。そんなモンスターが同じく古代に活躍したとされるウォーグレイモンと混同された結果、互いの存在が混じり合った形で後の世に伝えられた存在こそがエンシェントグレイモンだとは考えられないだろうか。炎という属性を除けばインペリアルドラモンの必殺技であるメガデスがエンシェントグレイモンのオメガバーストと酷似している点も、この結論に著者が至った理由の一つである。
また同じく古代十闘士の代表格、エンシェントガルルモンに関しても同様だ。二足歩行という観点に着目すればワーガルルモンに共通点こそ見出すことができるが、エンシェントガルルモンはガルルモン種の中でエンシェントグレイモンと同様に異質な存在だ。ガルルモン種でありながら双剣を用いることに加えて、光の属性を持つという点が何よりも奇妙な点であろう。メタルガルルモンなどのデータを見てもガルルモン種と言えば氷または水の属性を思い浮かべる者が大半だと思う。だがエンシェントガルルモンは明らかに異なる光の属性を持っている。それも自らの必殺技はアブソリュート・ゼロ、対象を凍らせる冷気の技にも関わらずという点に著者は着目した。つまるところ、ガルルモンが氷属性を持つことは間違い無いのだ。それにも関わらずエンシェントガルルモンは光属性を持っている――否、持たされてしまっているのである。
ここで登場願うのがまたもインペリアルドラモンだ。このモンスターは一般に知られたドラゴン形態の他にも溢れる力を完全に制御したファイター形態、また最後の聖剣(オメガブレード)を携えロイヤルナイツの始祖としても有名なパラディン形態を持つと言われている。着目すべきはパラディンモードであり、この姿は大剣を備えておりまた胸部から必殺技を放つなどやはりエンシェントガルルモンとの類似点が多い。そして何よりも聖騎士団の礎を築いた存在となれば当然のように属性は光となる。
前述のウォーグレイモンと同様、ガルルモン種の究極体であるメタルガルルモンもまたオメガモンの元となった存在として古代の世界で活躍したとされている。活躍した時期の重複を考えればパラディンモードとの関係も決して無視はできまい。
同様にエンシェントワイズモンやボルケーモン、マーメイモンに関しても記しておく。この三体の中でもエンシェントボルケーモンは特筆すべき点の無いモンスターであると言えよう。というのも、その姿はまさにボルケーモンの進化したモンスターとして違和感の無い姿だからである。恐らくパイルボルケーモンとはまた違った形で古代に存在したボルケーモン種の究極体がエンシェントという形で現在に語り継がれているのだと考えられる。
ならばエンシェントワイズモンやマーメイモンも同じではないかと考えられるが、その元となるべき種族であろうワイズモンやマーメイモンが発見された時期が古代十闘士の存在が判明した後、即ち見る者から見ればまるで後付けのようにも感じられるという点で、その存在は異質であろう。その点だけを鑑みればこの二体は十闘士の中でも最も異質な存在であるとも考えられる。つまりエンシェントが存在するからこそ現存種も存在するのだという辻褄合わせである。しかしそれは明らかな矛盾であり、この世界の成り立ちや理にまで疑問を呈する必要が出てくる問題でもあるため、今後とも十分な研究が必須となるだろう。
続けて他の五体、同一の種族が存在しない古代十闘士の話に移る。
その中でもエンシェントビートモンは至極わかりやすい。これは明らかにカブテリモン種とクワガーモン種の融合究極体であり、カブテリモン種の究極体であるヘラクルカブテリモンにも相通ずる特性を持っている。必殺技のテラブラスターもヘラクルカブテリモンのギガブラスターと同質の技であることからも考えて、恐らく古代に存在したヘラクルカブテリモンの力を誇張する形で現在に伝わったのが、このエンシェントビートモンと呼ばれるモンスターなのではないかとも考えられる。
次にエンシェントスフィンクモンだが、これは研究者の間ではケルベロモンが関係しているのではないかという説が一般的である。確かに外見や属性の面から考えても、決して間違いとは言い切れないかもしれない。ただしエンシェントスフィンクモンの力を受け継いだ闇の闘士の存在を考えれば、そこには待ったが掛かるのではないだろうか。
それというのも、闇の闘士には邪悪を拠り所とするダスクモンとベルグモンの他にも、善の闇を象徴するレーベモンとカイザーレオモンという新たな形態が存在すると目されているからだ。これは著者もまた人間界を訪れて初めて知ったことではあるが、エンシェントスフィンクモンの名前の由来とも言うべきスフィンクスと呼ばれる怪物は古代エジプトにおける獅子の体を持つ<ruby><rb>王</rb><rt>ファラオ</rt></ruby>という姿が一般的だが、メソポタミアやギリシア神話では獅子の体に人間の頭部、そして鷲の翼を持つ怪物だとされているのである。この人と鷲、または人と獅子というスフィンクスの持つ三つの属性を体現した者こそが闇の闘士であると考えればこそ、翼を持たない上に獅子ではなく犬としての側面が強いケルベロモンと繋げるには少なからず疑問の残るところである。著者としては王家の守護者、また獅子の体と鷲の翼という共通点を持つということでグリフォモンとの関連性が強いと考えているが、まだまだ憶測の域を出ない。
エンシェントトロイアモンやエンシェントイリスモン、エンシェントメガテリウモンに関しては参考とできる資料が少ない上、現存種との関連性の指摘が難しい関係から研究が極めて難しい個体となっている。しかしエンシェントメガテリウモンに関しては人間界におけるメガテリウムの姿とは全く異なる点が実像を暴く一つの手掛かりになるとも考えられるし、エンシェントイリスモンも前述のエンシェントスフィンクモンと同様に風の闘士からの逆算的な考えであの姿になるのだと考えられるが、エンシェントトロイアモンは現時点では著者にも全く不明な点の多い存在である。木の闘士と呼ばれるアルボルモンとペタルドラモン両名との類似点も殆ど存在せず、種族から見てジュレイモンとの関連も指摘されるが外見的には似ても似つかぬことから研究は難航している。
ただ、ここまで長々と十闘士のことを書き連ねてきたが、まだまだ研究は点と点の状態でしか無い。しかしそれらを結ぶ線を見つけることさえできれば、研究は飛躍的に進むだろうと著者は考えている。現在著者がその線と目しているのが十闘士の頂点に立つと言われる究極武神、スサノオモンである。その武神の姿を模した遺跡が世界のどこかに存在すると言われており、十闘士の研究者の端くれとしては是非とも見ておきたいと考えている。
この【反転】が行われた今こそが好機として、研究を進めてはいるが――。
「喉が渇いたんダネ、コテツ」
「のわぁ!?」
いきなり隣の本棚から顔を出されたので、驚いて引っ繰り返ってしまった。
「じゃ、邪魔するんじゃないでやんす!」
隣から顔を出した狐のような成長期、ネーモンに執筆の邪魔をされた狸とも小人とも取れる姿をした同じく成長期であるボコモンは頬を膨らませる。
「それはオイラの所為じゃないんダネ。単にコテツの不注意なんダネ」
「ひ、人の邪魔をして良くも抜け抜けと……! それでハナビ、いきなり何の用なんでやんすか!?」
そんな風に文句を言いながらも執筆中の本を腹巻きに戻して相手をしてやる辺りがこのボコモン、通称コテツの良いところだと言えた。
だからこのネーモン、通称ハナビとは性格が正反対でありながらも結局のところ互いに良いコンビということになる。だからこそ【反転】が行われて大混乱の真っ只中にある今の世界においても、コテツは普段と変わらず執筆に携わっていられるのである。
ちなみに現在彼らが根城としているのは二宮市の中心部に位置する中央図書館である。この【反転】が行われて早一ヶ月、人間界の書物にて調べ物をしているコテツとそんな彼に付き合っているハナビの二体はこの図書館から一歩も出ることは無かった。幸い公民館と直結しているこの図書館内では食べ物に困ることも無かったのだが、その食料も一ヶ月が経つ現在ではそろそろ限界に近付いていた。床にはハナビが食い散らかした食べ残しが散乱しており、一般的な人間に言わせれば見るに堪えない状況である。
コテツの方は調べ物や執筆さえしていれば食事など数日抜いても平気なぐらいなのだが、それに付き合う形のハナビは違った。
「そろそろ食べ物も足りなくなってきたんダネ。移動するべきだとオイラは思うんダネ」
「なら一人で行けと言っているでやんす。ワテはまだまだ調べることが沢山あるんじゃい!」
「外に出たらオイラだけじゃ何もわからないんダネ。そもそも、ジュースが見えてるあの機械もどうやればジュースが出てくるんだかわからないんダネ」
どうやら自動販売機のことを言っているらしいが、執筆と調べ物に夢中なコテツの耳には全く入っていない。
だから不意に響いてきた小さな音に気付いたのはハナビだけである。最初は小さかったその音が次第に大きくなってくると共に地震でも起きたかのように周囲が揺れ始めるのだが、そのことに気付いたのもまたハナビだけである。それぐらいコテツが自分の世界に没頭していたことが、ここでは彼の命運を変えることになる。
ハナビがコテツの腹巻きを引っ張るも、コテツは微塵も動じない。
「コテツ」
「何でやんすか」
「これはまずい気がするんダネ」
「何がでやんす」
「気付かないんダネ?」
「何にでやんす」
「周りが揺れてる……何か大きな奴が近付いてるんダネ」
「揺れでやんすか?」
そんな問答を繰り返した挙句、ようやくコテツは違和感に気付いた。けれど遅かった。
窓の外から地響きと共に近付いてくる濃緑のモンスターの群れ。そのモンスターの頭部には武器にも使えるだろう鋭利な三本の角が生えている。それだけでコテツやハナビにはその正体が知れる。完全体の恐竜型モンスター、トリケラモン。本来は大人しい性格なのだが戦闘の際には容赦無く強力な必殺技を放って外敵を攻撃してくる、成長期のコテツやハナビにとっては危険すぎる存在だ。
その群れが真っ直ぐ、自分達のいる図書館に向かってくる――!?
「ななななな、何が起きてるんでやんすーっ!?」
「ぎゃあああ、これは早く逃げるんダネーっ!?」
コテツとハナビがそんな悲鳴を上げると同時に、窓ガラスを突き破って先頭のトリケラモンが建物の中へと飛び込んでくる。それに一秒と間を置くこと無く二体目、三体目と次々に突撃してくるトリケラモン達。恐怖に駆られている様子の彼らはコテツやハナビの存在など歯牙にすら掛けぬ様子だったが、それでも完全体に踏み潰されるだけでも成長期の彼らには致命傷になりかねない。
彼らは知らない。そのトリケラモン達は闇の闘士に襲われた末に逃げてきたのだということを。即ちコテツの求めた真実の十闘士がすぐ傍にいるのだということを。
「は、ハナビ! もうこの場所にはいられんでやんす! 一旦別れて後で落ち合うぞい!」
「わ、わかったんダネ!」
互いに別の本棚の物陰に隠れたコテツとハナビがそんな言葉を交わし合う中、トリケラモンの群れによって中央図書館は蹂躙された。
十闘士とは架空の存在である。
本書はこの論を語るべく執筆されたものだ。
しかし同時に我々は考えなければならない。古代十闘士がもし架空の存在であったとしても、その魂を継ぐ人と獣の闘士は現代に確かに存在するのだ。多くの歴史書に記された十の属性を宿す戦士の記述、そして我々がかつて出会った炎の超越闘士の存在こそがその事実を実証している。
それと同時に、確かにいたのだ。
超古代、我々の世界が創世した直後。ただ人と獣に分かれて争い合うことしか知らぬ、まだ理も法則も未発達な原初のそこに降臨し、その絶大な力で圧政を敷こうとした傲慢の魔王に立ち向かった勇者が。
万物を否定する破壊(ひかり)の力。
一つを生み出す創造(ほのお)の力。
そして。
それら二つの力を司る太陽の英雄が。
【解説】
・香坂 琥珀(こうさか こはく)
16歳(2008年11月現在)。本作のヒロイン。本作のヒロインである。
泣き虫で大人しいが、心優しく芯の強さも併せ持つ女の子。やっくんと朱実に“ヒーロー”を見出して憧れている。セフィロトモン内部での戦いが終わるのと時を同じくして、香坂神社の中で目覚めた。
自分が【反転】世界に巻き込まれて徐々に狂っていき、最後の日(12月24日)に八雲に殺される、どこか現実と違った不思議な夢を見た。
名前に琥(王の虎)と珀(王の狛)を背負う。誕生日は12月24日。
・アヌビモン(究極体/Va種)
琥珀の契約者(?)。穏やかな笑みで琥珀を見守る母親のような存在。
・ボコモン“コテツ”(成長期/Va種)
二宮市の図書館で調べ物をしていたモンスター。十闘士の研究者であり、此度の【反転】世界が自らの研究を進める絶好の機会とばかりに一月半ほど図書館に籠っていた。著書にて十闘士とは架空の英雄である論を提唱したことで知られる。
後半のキーマンとなる。
・ネーモン“ハナビ”(成長期/Da種)
コテツの相棒にして助手。
【後書き】
メリークリスマスと言うべき時間、皆様どのようにお過ごしでしょうか。
サロンの新規投稿がいずれ厳しくなりそうということなので、こちらにおける本作『With the HERO』の投稿は今回の幕間を最後にしようかなと思っております。プロローグで琥珀の話から始められたので、今回の42.5話で彼女を(やっと)出せたのでキリが良くなったかなと。
そしてコテハナ紀行を散々やってきた中、ようやく出せたアイツら! 実はアイツらこそが真の主役なのだ!!
・