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【コテハナ紀行】The last element【鋼の闘士編】
【コテハナ紀行・大蛇足】炎(キミ)は世界を彩る英雄(ヒト)【炎の超越闘士編】
【コテハナ紀行・大蛇足】光(あなた)が世界にいた伝説(あかし)【光の超越闘士編】
【コテハナ紀行・大蛇足】駆け上がれ、伝説の舞台へ【太陽の闘士編】
◇
己の意識を知覚した時、そこは僅かな光すら射さぬ闇だった。
何も見えず何も聞こえず、確かに在るはずの手足すら感覚がない。目を開いていようが閉じていようが何も変わらない。自身の視力聴力どちらも意味を成さない世界では、生物は己を見定めることすらできないのだと知る。
そもそもの話、だ。
──我ハ、誰ダ……?
そんな疑問が浮かぶ。
五感が働かないのならできることは心と向き合うことだけだった。我思う故に我在りとはよく言ったもの。
しかし無為だ。無意味だ。無価値だった。
自らの精神を内に埋没させた途端に膨大なデータの奔流が流れ込み、ズキリと痛むそこが頭蓋の奥らしいことだけはわかる。恐らく我が特別で無ければ脳髄が焼き切れて余りあるだけのデータ量。しかし我自身が何者であるか、この場所が果たして何なのか、それらを齎すべき我の内側は、実に無能極まりなかった。
一つの世界が在った。
0と1だけで構成された原始的な世界、されど未来ある者達が生まれる力強い世界。
だがその未来ある者達の間で争いが始まった。知恵ある人型と屈強なる獣型、その二つに大別される彼らはやがて自分達こそが世界の覇権を握るべき存在だと名乗りを挙げ、敵対者を脆弱あるいは野蛮として討ち滅ぼさんと相争い続けた。
優れた知性とそれにより生み出した道具を以て隆盛の時を迎えた人型。
ただ純粋な本能から来る暴力の具現として世界の基本原理に則る獣型。
いつ果てるとも知れぬ両者の戦いは、それでも次第に自力に勝る獣型の方へ戦局を傾かせていく。彼らには共に進化なる自らを変革する力があったが、それに伴い獣型は力を増すだけに留まらず人型に劣らぬ知性さえ身に付け始めたのだ。高い知力あるいはそれによって齎される文明、それによる優位が揺らげば正面切っての戦いでは及ばない人型が不利となるのは自明の理。
そして最大の契機は、最初の知恵ある獣と呼ばれた幻獣王ヒポグリフォモンが、かつて人型の側に立ち敬虔なる革命の徒として信奉を集めた戦乙女ダルクモンの進化した姿であったと判明したことだった。
進化によって人型が獣型に変わり得る。
今まで自らの心強い味方であった知恵者がそのまま強さを増して敵に回る。
そうなれば、最早人型に優位性など無かった。
その先は虐殺である。知性と暴力を兼ね備えた獣型による一方的と呼んでいい侵攻が始まり、劣勢となり散り散りとなった人型はせめて一矢報わんと進化を果たしていない獣型の幼子を狙うゲリラ戦を展開し始める。互いが本来同族であったことも忘れ、進化という形で両者の垣根を超えて繋がることができるのだという事実から目を背け、ただ敵が悪いのだと奴らが先に殺したのだと叫びながら。
憎しみが憎しみを呼び、血で血を洗う殺し合いが続いた。
その果てに世界が滅亡の危機に瀕したその時、人の形をした彼が現れた。
くだらぬ世界であった。
それがそもそも架空であるのなら当然の話か。
やがてどこからか降臨した彼は、劣勢の人型の側に立ちながらも長きに渡って続いた人型と獣型の戦いを終焉に導いた。両軍が共にトップを次々と失う戦いに疲弊していたことも一員だったが、やがて彼の導きの下に竜人ディノヒューモンと猛獣グリズモンによって一応の和平が結ばれ、原初より殺し合いと憎み合いの続いた未熟な世界はようやくの安定を得た。
この後、彼は絶対王政と呼ぶべき優れた才覚を以て為政者の座に就き、やがて永劫にも近い治世の果てに傲慢なる独裁者として墜ちていくことになるのだが、少なくとも果てが無いと言われた人型と獣型の戦争を終結させたことは間違いなく偉業であり、それをして彼を英雄と呼ぶことは決して間違いでは無い。
だから英雄なのだ。彼は、傲慢の天使は。
そんな伝説が本当にあったなら、という前提の上でだが。
そう、全ては架空の物語。尾鰭どころか本体も伴わぬ全てが虚飾の伝説。
ここにいる自分は果たして英雄か?
ここにある暗闇が未来ある世界か?
どこぞより生まれ落ちた瞬間の世界に斯様な戦いなど無い。ヒューマンもビーストも存在しない、原初の世界にはただ闇があるだけだ。後世の歴史家や研究者が“こう在って欲しい”という願いを込めて作るのが伝説であり英雄譚、そしてその実態はこんなもの。世界で最初に生まれた暗黒空間ダークエリアには伝説も英雄譚も一切なく、それでいてその闇の中で最初に降誕した我、傲慢の魔王の設定(こころ)には最初からそんな伝説が刻まれている。
だから歪んでいるのだ、この世界は。
デジタルワールドは、生まれ落ちた瞬間より澱んでいる。
それでも。
誰かの記憶や願いこそが伝説だったとしたら。
ポゥと。
我の正面が光り輝く。
それでも。
この世界にとって全ての英雄が架空でも、伝説がそもそも存在しなかったとしても。
我が初めて見る光が、輝きが人の形を成していく。
その正体をきっと、我は最初から知っていた。
それでも。
我を倒した英雄の、我を倒すことになる太陽神もまた、我と共に世界には生み落とされていた。
【コテハナ紀行・余談】遥かな贈りもの【傲慢の魔王編】
どんな英雄譚にだって、悪役は要るだろう。
正義の対は即ち悪なのだから、救世の戦士には必ず倒されるべき邪悪が必要となる。勇者の前には魔王が現れるように、騎士が立つ契機として非道な貴族や敵国が存在するように、数多くの物語で主人公が立ち上がる為には誰かを虐げて苦しめる何者かが必要不可欠だった。倒される為の邪悪、英雄を崇め奉る為の噛ませ犬を世界は欲してきた。
だから我が研究テーマにしてもそうだ。
十闘士。古代世界を救済した十体の究極体。
今なお語り継がれる彼らの英雄譚の中、彼らに打ち倒された魔王が存在する。人型と獣型、二つに分かれて争い続けた我らの祖先の前に降誕し、その戦いを調停した絶対の天使。しかし戦いしか知らない原初の世界に法律を敷き、政治や支配といった概念を生み出した始まりの天使は、いつしか独裁者として民を苦しめ、唾棄されるべき邪悪と化した。
今に至る世界の基本原理を作り上げた英雄。
堕落して圧政の下に皆より恐れられた魔王。
相反する二つの逸話を同時に兼ね備えた強大なる者。
ルーチェモン。
人間の文字は実に難解で読みづらい。
「ハナビ、そっちの本を取ってくれでやんす」
「えぇー! これ重いんダネ!」
「ええい喧しい、うだうだ文句言うなでやんす!」
整然とした図書館で互いに幼児用の椅子に腰掛けながら分厚い本をパラパラと捲っていく。
人っ子一人いない室内は、凶暴な怪物達が闊歩する外とは打って変わって理路整然としたもので、特別戦う力を持たないコテツやハナビとしては取り急ぎ安全を確保できるという意味でも大助かりである。何より言語が異なることを除けば人類の書物というものは初めて見るものばかりで、知識の探求者を自称するコテツからすれば全てが目新しく、また興味深いものだった。
「……コテツそれ読めるんダネ?」
「いや……殆ど読めんでやんす」
殆どわからないが、解読には時間を要することだけはわかる。
平仮名、片仮名、漢字。それらが入り交じる人類の言語は複雑怪奇。デジ文字とは何もかもが別物で、まるで暗号を紐解いている気分になる。百科事典らしき本を広げて図解や写真から判断して文字を繋げていくしかないように思う。
「オイラ達だけじゃ無理ダネ。人間が一人でもいれば助かるんだけどダネ」
「そう上手くは行かんでやんすよ」
「あーあ、前みたいな感じで人間がいれば新しい見方を思い付いてくれるかもしれないのにダネ」
前みたいな感じ。そんなハナビの言葉にピンと来た。
コテツとハナビは以前一度だけ、人間と出会ったことがある。確か闇の大陸に渡る為の路銀稼ぎをしていた時だったか。路頭に迷っていたらしい人間と出会い、少しだけ仕事を手伝わせたのだ。その少年とは数日ほどで別れてしまったが、彼からは闇の闘士に対する極めて貴重な知見を得た。
自分達の荷物を突っ込んだ大きな鞄を弄る。確かそこに彼の手書きのメモを忍ばせておいたはず。
「ナイスでやんすよハナビ。これは大きな前進でやんす」
「は? よくわからないんダネ?」
「あんさんが前に語ってた奴は確か──」
少年のメモを片手に、もう片手で図鑑を捲っていく。
ハナビに持ってこさせたこの図鑑は人間界における神話や架空の生物が記されているものだった。
架空の生物。そこに何か自らの仮説に通ずるものがあるとコテツは予測していた。
「──あったでやんす、スフィンクス!」
闇の闘士エンシェントスフィンクモン。その元となったであろう人間の顔、獅子の胴体、鳥の翼を持つ怪物の図がそこには記されていた。
あの少年がポロッと漏らした言葉より十闘士への新たな見方を齎されたコテツは、彼に人間としての知識を総動員してもらい、十体の闘士それぞれを人間の目には果たして如何なる生物に見えるかを記させた。お世辞にも上手いとは言えないイラストも込みでだが、いつか役に立つと思って用意したこれがこんな形で活用できる時が来るとは。
思わずニヤリ。少なくとも光明が差したのは確かだ。
「解けるかもしれんでやんすよ、十闘士の謎!」
「へえ、それは良かったんダネ」
「お前も飯食ってないで働けでやんす!」
どこから持ってきたのかフライドポテトを囓っているハナビにゴムパッチン。
「ぐああああああ」
「まずは十闘士全部の“元”を探すでやんすよ~! ワクワクしてきたでやんす!」
盛り上がってきた、そう感じる。
誰もいない図書館、本来であれば人間でごった返しだろうその場所には誰もいない。
図書館だけではなく屋外とてそうだ。ここは間違いなく人の世であるはずなのに、図書館の外は竜や獣、大型の昆虫や巨鳥が支配する弱肉強食の世界。ビル街や高層マンションの建ち並ぶ住宅地、それら人間の築いた文明全ての中をデジタルモンスターが闊歩している。まるで世界の支配者が変わったかのように、目の前の世界はデジモンによって塗り替えられていた。
ボコモンのコテツ、ネーモンのハナビ。
共に十闘士の研究者として世界を巡り続けてきた二人は、いつの間にか人間界に迷い込んでいた今も尚、変わらず十闘士の研究を続けていた。
そもそもこの世界に法や政は必要だったのか。
今ここに生きる我々は本能のみで動くわけでは無い。理性によって本能を抑え、備わった喜怒哀楽と共に思考することができる。無益な殺生は避けるし、ただ殺し合うことを是としないルールが確かに存在する。それはただ弱肉強食の原則の下に戦い、互いに食い合う原初のデジタルモンスターには無かった感情ではなかったか。
知略に優れた人型、武勇に富む獣型という区分こそ存在したが、両者に和解など有り得なかった。敵を屈服させることはそれ即ち殺戮と食害であり、支配という概念も無かった。
ではそれらがいつ生まれたのか。
それ即ち、あの傲慢なる天使が世界に舞い降りた瞬間であろう。
人型を上回る知性と獣型を圧する力。その二つを兼ね備えた傲慢なる天使は皆を支配し、世界にルールを定めた。その先に暴君へと徐々に成り果てる過程があったとしても、彼の敷いた基本原則は後の歴史においても変わらず模範とされ、彼の齎した知と法は今も尚この世界に息づいている。
ならば、それを齎した彼とはどこから来て、果たして何者だったのか。
明確に他のデジタルモンスターとは違う存在、それが彼である。高い知性と暴力を兼ね備えるのみならず、後の圧政に繋がる支配欲と征服欲は他のデジタルモンスターには決して持ち得ぬ者。そもそも堕落する以前は純然たる天使だったとされる彼、後の三大天使に力を受け継がせたとされる彼は、天地開闢の際にどこから降誕したというのか。
人型と獣型の戦いの嵐吹き荒れる原初の世界を、彼は如何にして治めたのか。
少なくとも見てくれは人型として伝わるルーチェモンは。
自分達が人間界に迷い込んでから半月ほど経ったある日。
「そういえばこの世界、そもそも悪魔なんてものはいないんダネ」
「……?」
あの少年が残したメモを元に書物を読み漁り、十闘士のモチーフをある程度は絞り込むことに成功したコテツはそれを纏めるべく執筆に精を出していた。
そんな折、隣の席で呑気にコミックを眺めていたハナビの呟きである。
「……意味がわからないんでやんすが」
「言葉通りの意味なんダネ」
本人からすれば思い付き、大した意味もない呟きなのだろう。
それでもコテツは、この親友の思いがけない言葉が新たな知見を生み出すだろうことを知っていた。
「言ってみろでやんす」
「魔王ってのは悪魔を束ねる王なんダネ。でもオイラ達の中に悪魔型って輩はいないと思うんダネ」
「それは……」
小悪魔はいる。堕天使はいる。魔人や魔獣だっている。
それでも自分達の世界に数多く存在する魔王が従えるべき者、即ち純然たる悪魔型のモンスターは存在しないのではないかとハナビは言う。一般に想像されるだろう悪魔の姿を持つデビモンとて堕天使型、進化前とされるピコデビモンが小悪魔型に関わらず、あの邪悪な成熟期は飽く迄も天使の墜ちたる姿として世界には登録されているのだ。
そう、この世界には元来悪魔は存在しない。
天使から墜ちた者もいる、中立の身ながら何らかの影響で闇に染まった者もいる。だがそれらは全て後天的な話だ。そもそも考えてみれば当然の話、原初の世界においてデジタルモンスターは人型と獣型に大別されていたのみだ。そこに始まりの天使が降臨し、争いを終息させた彼の手で世界の基本原理が構築された。そしてその天使はいつしか堕落して魔王と呼ばれるようになった。
故にデジタルワールドには、そもそも悪魔などいなかった。
存在するのは堕天使のみだ。
そしてその概念を生み出したのは、天使が墜ちて悪魔と化す前例を作ったのは、他ならぬルーチェモンだ。
「例えばオイラ達は成熟期から完全体、究極体へと進化していくんダネ。それが当たり前、例えばオメガモンだって同じなんダネ。成長期から順番に進化して究極体、あるいはその先に至る……」
言うまでも無い。デジタルモンスターは成長と共に進化して力を増していく。
アグモンよりグレイモン、グレイモンよりメタルグレイモンの方が強いのは自明の理。完全体や究極体まで至る道が容易いかどうかは捨て置くにせよ、世界に多く伝わる英雄達も同様に進化を重ねた上で偉業を為したはずだ。
それでも。
きっとそこに例外はあるのだとハナビは言う。
「でも……多分違うんダネ、オイラ達が追ってる十闘士……それと七大魔王、少なくともルーチェモンは」
最初からそう在れと生まれた。元よりその姿で世界に現れた。
世界最初の究極体は、自然そのままに進化して至った姿ではない。
調停者として降誕した天使は、定められた運命通りに悪に墜ちた。
そのように生まれた。作られた。定められていた。
誰に? どうやって? どんな手段で?
「しかし、それでは……」
「うん。オイラはコテツの言う十闘士の架空説を否定する気はないんダネ」
この世界には元々悪魔など無く、最初からそうなるように仕組まれていたルーチェモンの堕天こそが世界に悪魔、あるいは悪という概念そのものを生み出した。その力を三大天使に受け継がせたのと同様、悪魔とは天使が堕落した姿であるという前提をも世界に刻んだ傲慢の魔王によって数多の悪魔が後に続いた。即ち現代にまで残る天使と悪魔の対立は、ルーチェモンの堕天にこそ端を発することになる。
だがその考えは矛盾も孕む。というよりコテツの提唱してきた論説が崩れかねない。
「十闘士と魔王の戦い、それは……」
強大な十体のモンスターはいただろう。
世界に君臨した魔王もいただろう。
だがそれらは恐らく伝承通りの十闘士ではなく、傲慢の魔王でもない。だから彼らの戦いが誇張、歪曲されて伝わった御伽噺こそが十闘士伝説の正体である。それこそがコテツが長らく提唱してきた論だった。現代において如何に進化を果たそうと十闘士、即ちエンシェントの名を冠する究極体に到達したという事例はなく、また一般のモンスターが通常の進化で七大魔王と同じ種族となった話もない。全てが伝説の中にしか存在し得ない以上、コテツ自身がその英雄達に憧憬を抱き続けているのとはまた別の話で、研究者として彼奴らは架空の存在としか結論付けられない。
それにハナビは異を唱えた。
そもそも普通のデジタルモンスターと同じ枠組みで考えるべきではないと。
この世界に究極体という可能性を齎した十闘士、悪魔という概念を生んだ七大魔王は、元より在るがままに生まれた天然自然の産物ではない。誰もが憧れ、いつかは自分もと夢見る英雄は、その実そんな者達には決して到達できぬ作られた存在であったのだと。
「本質を見るんダネ、コテツ」
「本質?」
コテツの手元、開いた図鑑に記された人間界の神話。
最も美しいと言われた翼を持つ天使が、後に天界を追放されて魔王と化す物語。
「十闘士がルーチェモンを倒した、それが本当かどうかはそれこそ世界が生まれた頃にでも行ってみないとわからないんダネ」
それでも。
そうだとしても。
「……伝説は今ここに確かに在るんダネ」
それだけは絶対の真実として刻まなければならない。
十闘士の伝説。
ダークエリアで傲慢の魔王と対峙し、激戦の果てに魔王を封じた物語。墜ちたる魔王はその後の歴史に姿を現すことはなく、十闘士もまた戦いの中で半数以上が命を落とした。最後までルーチェモンと向き合うことができたのは十闘士筆頭、炎のエンシェントグレイモンと光のエンシェントガルルモンの二体だけだったとされている。未来予知に近い能力を持つと言われた鋼のエンシェントワイズモンすら散ったとなれば、それが如何なる死闘であったかは想像に難くない。
想像。そう、想像なのだ。
自分は常々、十闘士を架空の存在と断じてきた。
過去に存在した或る邪悪なモンスターを倒した十体かそれに近い勇者の逸話、流布された斯様な物語に尾鰭が付いた末に生まれたのが十闘士の伝説だと長らく提唱してきた。現代に至るまでエンシェントと呼ばれた古代十闘士と同じ姿に到達できた者が記録されていないのが何よりの証拠だと。古代十闘士はそもそもこの世界に種族として登録されていないのだと。
それでも現代にはスピリットと呼ばれる十闘士の魂が確かに遺されていて、実際に紅の炎鎧を纏う竜戦士の姿を我々は目撃した。
伝説の通りに戦いが進んだのであれば、炎と光を除く闘士はダークエリアで果て、それでも自らの魂だけは現代に血脈を繋いでいることになる。あるいは最後まで生き延びたとされる炎と光の闘士に託し、傲慢の魔王を倒した彼ら二体はダークエリアより帰還した末に力尽きるも、その前に後世を憂う形で自分達を加えた十の魂を世界各地に撒いたのか。
有り得ない。そう思うのは確かで何より容易かったが、そうまでして世界を想い果てた英雄が本当にいたのであれば、それがこの上なく好ましく思えることもまた事実だった。
そしてもう一つ。
十闘士が戦いの終末と共に全滅したのであれば。
彼らの戦いを記録し、後世に残したのは──?
「……そろそろ飯が尽きるんダネ」
「ハナビが食い過ぎなんでやんす」
この図書館に籠もり始めてそろそろ一月になるだろうか。
夢にまで見た人間界を訪れたところで、関わる人間がいないのでは何の意味もない。かと言って、凶暴な連中が闊歩する屋外に出れば力の無い自分達などあっという間に餌になるだろう。何よりハナビは知らないが、人間の言語──日本語と呼ぶらしいと学んだ──を徐々に把握できるようになっていたコテツにとって、この図書館という知識の宝庫を離れる意味を見出すことはできなかった。
今ここで日本語で文書を残した場合、世界が元に戻った後で人間達の手に取ってもらえるのだろうか。
「もっとフィールドワークに出ないと体が鈍っちゃうんダネ」
「地理もわからん人間の町を出歩く自信があるなら止めはしないでやんすよ」
「冗談、そろそろ美味いものが食べたいってだけダネ」
「だと思ったでやんす」
藁半紙にペンを走らせながら適当に応対する。
十闘士、そして七大魔王のルーチェモン。自分達が掲げる研究テーマに関する資料はおおよそ揃えることができたように思う。いつ世界が元に戻るのか、またアカシック・レコードの学会が開かれることがあるのかはわからないが、たとえ発表の機会が無くとも自分なりの考えを文章として纏めておくことが肝要だとコテツは考えている。
自分の師匠たるワイズモンも確か似たようなことを言っていたはずだ。その彼とはもう五年近く会っていないが。
「……コテツは」
「うん?」
窓の外。
エアドラモンやバードラモンが飛んでいる人間の世界を見やってのハナビの言葉に首を傾げる。
「ルーチェモンに会ってみたいと思うんダネ?」
「会ってみたいか……」
そう聞かれると少しだけ逡巡がある。
自分のような成長期など魔王は歯牙にもかけないだろう。
一瞥もされずあっさり殺されるか、あるいは殺す価値などないと放置されるかはわからないが、少なくとも同じデジタルモンスターの一個体として認識されることはないだろうという確信がある。それが当然でそれを思えば会いたいなどという発想がそもそも出てこない。
だとしても、今一つだけハッキリ言えることはある。
「……言ってみたい言葉は、あるでやんすね」
「言ってみたい言葉?」
今度はハナビが首を傾げる番だった。
それを見てフフッと少しだけ微笑みを返しつつコテツは藁半紙に視線を戻す。この数年で十の属性の勇者を追ってきたが、その中でも多くの出会いがあった。変わらず平穏無事に営みを続ける者、純粋に強さを求めて戦い続ける者、自分達と同じように憧れの英雄の正体に迫ろうと研究を続ける者。まさにこの世界に生きる皆は千差万別、けれど皆が懸命に生きている。世界はとうに荒廃しているとしても、デジタルモンスターは今もこの世界で生きている。
その世界をコテツは巡ってきた。目の前で不思議そうな間抜け面を浮かべているハナビと一緒にだ。
だから気の迷いなのだ。
常に連れ立って世界を回ってきた相棒に対しての言葉なのか。
または彼が問い返した魔王に言いたいことへの回答なのか。
そのどちらであるかはわからなかったけれど。
「……ありがとう」
一度だけ。
そんな言葉をコテツは口にした。
それが架空でも幻想でも構わない。
伝説はここにある。英雄の勇姿は現代に余すことなく伝えられている。現代に十闘士伝説は確かに息づいている。
ならば余計な言葉は不要だった。彼らが実在しない想像上の産物であったとしても、あるいは自分達の及びも付かぬ場所より生み落とされた偽りの英雄だったとしても、今ここに伝説があるだけでデジタルワールドには十分なのだ。
皆が憧れ、そこを目指す。それによってほんの僅かでも世界が前に進んでいく。
それ自体が伝説であり英雄譚だ。
憧憬こそが世界を進める、羨望こそが高みを見る糧となる。
そしてルーチェモン。
天使として舞い降り、悪魔という概念を生んだ彼もまた敗者という形で伝説を構築した。そしてもし本当に十闘士との戦いが現実に在ったのなら、十闘士が死闘の直後に全滅した以上、打ち倒されるべき英雄譚の悪役であった彼こそが、十闘士伝説を現代に伝えたのだろう。
だからありがとう。魔王に言いたい言葉はその一言。
敗北して散った彼はずのこそが、死した英雄に代わり伝説を伝説としたのだから。
英雄だろうと。
悪役だろうと。
そこに現れる両者によって伝説は形作られていく。
ならば勇者と魔王に差異は無い。
伝説それ自体が今を生きる我々を憧れ、夢見させるのだから。
そんな魔王(かれ)からの贈り物を胸に、我々はこの世界を生きていく。
・
或る英雄譚が生まれる。
それと共に。
一つの世界が終わろうとしていた。
・
世界の最後の瞬間。
我もまた長きに渡る生命を閉じようという時。
「ルーチェモン……!」
我を間もなく討ち果たさんとする英雄の背後に、小さな二体の成長期の姿を見た。遂に現れた真の英雄に敗れた我を、その無力な者達は見つめていた。
悪しき魔王、ルーチェモン。そう在れとの願いの下に創世記、世界が形作られる前の空間に舞い降りた我は、与えられた悪逆非道な役割こそを自らの伝承として後の世に流布した。果たして暴虐と圧政を敷いて十闘士に討たれた独裁者としてこそ、伝説の中に我の生に意味はあった。その存在は我が表に現れない時代でも世界を暗雲として覆っているかのようだった。なればこそ、下々の者は傲慢の魔王など憎んで当たり前だった。汚らわしい者として見るだろうと思っていた。
それなのに、その目は何だ。
「──────」
彼奴らは泣きそうな目で我を見ている。
何かを言いたそうな顔を我に向けている。
それを、美しいと思えた自分がいた。
「天羽々斬!」
英雄の声が響く。我をいよいよ打倒する勇者の姿。
それは世界を切り開く光の剣。かつて我に敗れたはずの太陽神、破壊と創造を司る真の英雄の生み出す神器より放たれた究極の刃だった。
ルーチェモン、創世記より世界に君臨した魔王が聖なる刃によって両断されていく。それでも肉体の痛みよりそこにいる成長期どもの顔の方が我の気を引いていた。唾棄されて然るべき魔王に向けられる憐憫と同情、そんな今この場に不釣り合いな表情こそが己を打ち倒す英雄以上に気に食わなかった。
ああ。
そこで得心した。
──失敗したのか、我は。
我の世界が終わる。我の世界が崩れていく。
その中で。
次こそ失敗しないルーチェモンが生まれるよう願う。
真に悪逆非道の魔王が英雄に敗れる物語を願う。
思えばこの世界には数多の物語が生まれてきた。全てが全て、愛おしく誇らしい物語だった。如何なる可能性をも内包できるのがこの世界だ、道理を無視した無茶も無理も飲み込んでくれるのがこの世界だ。だからこそ我はこの世界を愛した。決して今この世界を壊してはならぬと誓った。
だが。
それこそが我の失敗だったのかもしれぬ。
自分は世界を愛してはならなかった。
ただ理屈もなく破壊と殺戮を齎す存在でなければならなかったのだろう。
それでも思いは変わらない。変えるつもりはない。
我はこの世界が好きなのだ。皆が愛したこの世界を同様に愛している。だから我が去った後、我がいなくなった後の世界もきっと愛すべきものであることを願う。故に取るに足らぬ成長期どもよ、悲しむな、哀れむな。貴様らは次の世界に行くがいい。
それでも一つだけ許されるなら。
魔王で在るべき我にそんな目を向けてくれた貴様らに。
憎むべき傲慢のルーチェモンを僅かでも想ってくれた貴様らに。
最後に一言だけ。
──アリガトウ。
その言葉だけを贈り。
我は我の世界を閉じることにしよう。
【後書き】
これにて正真正銘、デジモン創作サロン最後の投稿となります。
元々コテハナ紀行自体、割とノリと思い付きで書き始めたところがありましたが、気付けば自分の中のデジモン観の大きな根っこの一つとなっておりました。そして十闘士と超越闘士二体に加え、太陽のアイツまで描いたからには、それと相対する傲慢の魔王の物語も記さなければ嘘だろうということで、あちらに投稿させて頂いたベルゼブモンとは完全に対となるルーチェモンとして書き上げました。
十闘士がそもそも通常進化では到達できない特殊な存在(デジカで言えば進化条件ではなく出現条件)として描きたかったのと同様、各作品で悪役あるいはラスボスとして現れる七大魔王もまた平民が進化して辿り着く究極体とはまた異なる存在として描かせて頂きました。
それでは創作サロンにて皆様、大変お世話になりました。
ありがとうございました。
◇