「俺はこの戦争が終わったらぁ!! 故郷の街に帰って! アルケニモンと結婚するんだああああ!!!」
包帯男は、彼の乾ききった体が燃えるほどの熱を叫びに変えて、今、電脳核を満たす愛を叫んだ。
空よ、裂けろ。雲よ、散れ。この叫びは空飛ぶバードラモンをも墜とす。
今だけは、この走り回る古びたミニバンが世界の中心になって、電脳世界は循環する。
「…………この後、死ぬキャラが言うセリフだよね、それ」
そしてこれを間近で聞かされた人間の少女は、心底うんざりしていた。
なんで想い人に会うための冒険で、「死」で終わりそうな恋路を見せつけられているのだ。
縁起でもない。いや最悪縁起は悪くてもいいから、本当に死ぬのだけはやめてほしい。
はてさて、相手の反応は——
「なっ、なんだい急に、こんな場所で……!」
ああ。これはダメだ。「バカな事言ってんじゃないよ!」と一喝してくれればまだよかったのに。
包帯男からは目を反らしつつも、その顔は真っ赤になってまんざらでもなさそうで。受け入れムードではもう駄目だ。終わった。
何故、少女はいかにも悲恋に終わりそうなロマンスに付き合わされているのか?
話は少女の旅立ちまで遡る。
◇
恋する少女「摩耶乃 摩莉」はある日、不思議な生き物「デジモン」と出会う。
デジモンは聖なる者、魔なる者の二手に分かれて血を血で洗う争いを繰り広げていた。
天使が正義を盾に狼藉を働き、魔とされたデジモンが理不尽を強いられるこの世界。これを憂いた魔王・バルバモンは、状況を打破するべく人間の子どもに助けを求めた。
それこそが摩莉を始めとする三人の少女、「選ばれし子ども」である!
少女達は各々の「パートナーデジモン」と共に、天使デジモンへ反抗する「レジスタンス」を結成。さっそく課された任務は「天使軍の根城へ乗り込む」こと。いきなり最終決戦に挑むことになってしまったが、辿り着くまでに数々のドラマがあることだろう。
こうして摩莉とその他愉快な仲間たちは旅立ったのだった。
「で、天使軍のとこまでどうやって行けばいいの?」
「徒歩じゃ」
「はあ?」
◇
バルバモン城から放逐された選ばれし子ども一行。
城は深い森の中にある。近くに道らしき道が無い訳ではないが、いずれも森の中へと続いており、とても「元気に進んでいこう」
という気分にはなれなかった。
「何が徒歩だ、あんのクソジジイ……。テメーが呼びつけたんだからテメーで乗り物くらい用意しやがれってんだ」
長身痩躯の人間に似たデジモン、バアルモンが覆面の下で悪態をついている。一見、魔術師然としたクールな見た目だが、ご覧の通り気性は荒い。
そんな彼なので、真っ先にバルバモンに「なんで徒歩なんだよ」と尋ねたのも彼なのだが——
『魔王軍の乗り物で堂々と乗り込んだら、バレて袋叩きにされるじゃろ!』
『儂らも天使軍直行安全ルートみたいなのがあれば苦労しとらんのじゃ』
『言うなればゲリラ部隊とか少数精鋭部隊とか、そんな感じじゃよ』
『儂らは天使軍どもの“選ばれし子ども”を知っておるが、奴らはお主らの顔を恐らく知らない。これは大きなアドバンテージじゃ。ここで頑張って隠密行動を続ければ、この有利はいずれ勝利の花を咲かせる筈じゃ!』
『お主らが持っているその“デジヴァイス”、これはものすっごい予算を掛けて開発した超すっごいアイテムなんじゃ。それがあれば、車なんか無くてもどこへだって飛んで行けるぞぉ~! あ、この飛んで行けるは比喩ね』
などと何となくそれっぽく、微妙に反論しづらい理由を持ち出され、結局車の一台も出してもらえなかった。
別に徒歩じゃなくてもいいだろという主張は、最後まではぐらかされた。
「ジジイにとっちゃ俺達はその程度って事ならしょうがねえ。俺もこの作戦は「この程度」のモンとして動くまでだ」
そしてバアルモンは、チームの中では最も非協力的でもあった。
「俺は一人で行く」
いきなりの単独行動宣言。独りよがりの究極形である。
「恨むなら車一台寄越さねえジジイを恨むんだな」
「さっきからずっと一人で喋ってるわね」
「うるせえ!」
無慈悲な指摘でバアルモンの鼻っ柱を折った彼女こそがバアルモンのパートナー。
紫紺の長髪をなびかせるクールな少女。名を風峰冷香という。
「来い!」
バアルモンは冷香のことは一切無視し、虚空に向かって呼びかける。すると——
……
…………
すると、呼び声は虚空にそのまま溶け込んでしまい、何分経っても誰も来なかった。
「おいテメー聞いてんのか!? 主人が呼んでんだぞ! ベヒー——」
「あの~」
突然、木の葉ががさごそ擦れる音と共に、木の上から誰かの声が降ってくる。
「ごめんなさい、さっきから声響いて寝られないんで、もう少し静かにしてもらっていいですか?」
声の主は木の幹を伝ってするすると下りてきて、言うだけ言うと再び木の上に上がっていった。
現実世界でいう、コアラのような生き物だった。
一行の間に気まずい沈黙が発生する。
「怒られちゃったね!」
摩莉のパートナーデジモン・ブラックテイルモンのフレイヤが、気まずさを無視してバアルモンを無邪気に励ます。
それを見た極彩色の踊り手・マタドゥルモンがブフォっと吹き出した。唇の無い(そもそも、人間と同じパーツが無い)顔でどうやって吹き出すように笑えるのかは不明である。この奇妙な顔のデジモンも摩莉の仲間だ。
バアルモンはマスクの下から耳の先まで、真っ青な顔を全部真っ赤に染めて怒り狂っているのだが、ここで怒鳴ろうものなら先ほどのコアラ似のデジモンに再び苦言を呈される事は間違いなく、マタドゥルモンを全力で睨みつける事でしか怒りを発散できなかった。
「ドンマイ、気にする事ないわ。生きてりゃ苦情の一件や二件、入る事もあるでしょう」
冷香がバアルモンをなだめに入る。パートナーをなだめよう、支えようとこの短期間で考えられるようになるなんて、彼女は相当な人格者か、あるいは、人との和を大切にする平和主義者なのだろうか。涼やかな顔で相手もクールダウンさせようというのか。
「余計なお世話だ、クソガキ」
「今のは余計なお世話じゃないわ。なぜなら、私の余計なお世話は有料だから。必要なお世話までは無料ですが、規定量以上の余計なお世話は1お世話につき300円かかります。今ならお世話のサブスクもあるわよ」
「殴るぞクソガキ!?」
別にそんな事は無かった。
見た目はクールに見えても中身は全然クールではない、というのが彼女とバアルモンとの共通点かもしれない。
「落ち着いて考えてみて。さっきバルバモンは、人間が死ぬとパートナーも死ぬと言っていたわ」
魔王バルバモンの説明は退屈で、摩莉は半分しか覚えていなかったが——確かに、バルバモンは人間とデジモンの関係について色々語っていた。細かい理屈は忘れてしまったが、そんな事も言っていた気がする。
「人間は当たり所が悪いと、殴られただけで死ぬの。つまり、ここで私を殴ったところで待つのは死。またの名をDeath、あるいはDie、そしてまたある時はDead……。ところで“ダイジェスト”のダイってもしかしてDie? 死ぬ前の走馬灯と関係ある? と思って調べたら一切関係なかったわ」
「黙れ黙れ黙れ一回口を開くごとに狂ったセリフを吐くんじゃねえ」
謎発言の嵐に耐えかね遂にバアルモンは怒り爆発。
「あのー」
再びコアラ似の生き物が降りてきた。今度は大きな目と目の間に皺が寄っており、語気も強くなっている。
これ以上ここで騒いでいては、コアラからの苦情がバルバモンの耳に入りかねない。
一行は、渋々場所を移す事にした。とは言っても、森の中に続く道を行く以外に初めから選択肢は無かったのだが。
「ちぃっ! ファスコモンどもがうるせえから行くぞ!」
どう考えてもうるさいのはバアルモンの方である。
一人でつかつか森の中へ突き進むバアルモンを追いかける形で、摩莉一行は旅の一歩を踏み出した。
◇
行けども行けども森の中。二十分ほど歩き続けているが、見える景色は一切変化が無い。
「ねえ。ちなみにこれ、どこに向かってんの?」
流石に不安になって来た摩莉が、相変わらず先導しているバアルモンに訊ねた。
「あ゛? ダークエリアの出口に決まってんだろ」
「森の出口って事でしょ。ちゃんと道知ってて歩いてるのかって聞いてんの!」
「森の出口なんか知らねーよ。つーか、イビルフォレストに出口なんかあんのかよ」
「はあ!? さっきと言ってること違うじゃん!」
「道なりに歩いてりゃあ、ゲートの一つや二つ開いてる筈だ。黙って歩けや」
「ゲート……なに?」
どうにも会話が噛み合わない。危うく口論になりかけているどころか、二人とも気性が荒いせいで既に半分口論になっている。
「おいおい。レディーの扱いがなってないぞ。もっと丁寧に上品に、教えて差し上げなければ」
口論がヒートアップしそうなところで、マタドゥルモンが物理的にも二人の間に割り込むように口を挟んだ。薄暗い森の中ではマタドゥルモンの極彩色の衣装は嫌でも目に留まり、二人は彼を無視できなかった。
見るからにイライラしているバアルモンに代わって、マタドゥルモンが状況説明を引き継ぐ。
「例えばの話だ。摩莉と言ったかな? 君の住む場所と、我がパートナーの優香が住む場所は異なる地域にあると聞いた」
そう。ここまで一切台詞が無く、限りなく影が薄かったがいるのだ。マタドゥルモンのパートナーも。
名を風峰優香。「風峰」の名が示す通り、冷香とは親類である。なんと、三つ子の姉妹なのだという。ちなみに冷香が長女、優香が次女だ。
優香の眼鏡の奥にある、気弱そうな瞳と摩莉の目が合った。優香がぺこりと会釈したので、摩莉もつられてぺこりと頭を下げる。
「だが、君たちはあくまで“リアルワールド”という“単一の世界”の中での別地域に住んでいるだけで、時空の壁を隔てた別世界にいる訳ではないだろう?」
それはその通りだ。むしろ「別世界」など、おとぎ話の中の存在だ。
「デジタルワールドにおいては事情が少し異なる。そうだな、デジタルワールドという世界の中に、更に複数の世界が内包されている、と言えば分かるか?」
少しどころではない違いに思えるが。
「私達が今いるダークエリアと、天使軍の根城は同じデジタルワールドの括りにはあっても別の次元にある。故に、我々はダークエリアという空間そのものを脱出する必要があるのだ。その脱出口——空間の壁そのものに空いた穴を、我々は『ゲート』と呼んでいる」
摩莉はマタドゥルモンの説明に感心し、嘆息した。
説明の内容自体は相変わらず分かったようで分からない。摩莉は内容よりも、分かりやすく説明しようとしてくれるマタドゥルモンの態度そのものに感心していた。
「そうなんだ!」
……今の声はフレイヤ? 一緒に納得してなかった? あなたもデジモンだよね?
「バアルモンの説明よりずっと分かりやすかった。ありがとう」
「うるせえ!」
バアルモンへの当てつけのように礼を言うと、案の定バアルモンから反応があった。
「質問に限らず、私に応えられる範囲でなら何でも言いつけてくれ。我々デジモンの救世主として名乗りを上げた勇気あるセニョリータのために、私も力を尽くそう」
マタドゥルモンは大仰な身振りで一礼すると、優香の肩にそっと袖越しに手を乗せた。
どぎついピンクの袖と、黒い冬服のセーラー服のコントラストはよく映える。当の優香は緊張でガチガチに固まっているが。
「フシャー!」
フレイヤとは別の猫型デジモンの登場かと思いきや、冷香がマタドゥルモンに向かって威嚇しているだけだった。
冷香は妹に馴れ馴れしいマタドゥルモンを、快く思っていないらしい。
摩莉もマタドゥルモンに対して「親切だけど、ちょっとキモい寄りのキザだな」と思っていたので、気持ちは分かる。
「ケッ! 点数稼ぎのおべっか使いがよぉ!」
マタドゥルモンの好感度上げの踏み台に使われたと、バアルモンはますます不機嫌になっていく。どうもバアルモンはマタドゥルモンが気に食わないらしい。
姉からも姉のパートナーデジモンからもマタドゥルモンが良く思われていないのが優香にも分かっているようで、彼女はずっとおろおろしていた。
おろおろするだけで、特に何もできる事はないらしい。
「じゃあ、このまま歩き続けてればダークエリアから出られるって訳ね」
「ああ。バアルモンの勘が当たればな」
「はあ?」
マタドゥルモンから返ってきた答えは摩莉の希望とは正反対のものであり、思わず摩莉の歩みが止まる。
「やっぱり勘なの!? 黙ってついて来いみたいな事言って、結局勘なの!?」
「勘じゃねえよ!」
バアルモンから怒りの反論が飛んで来た。
「この『アッピンの紅い本』調べじゃあ、この辺にゲートがあるって出てんだよ! あのジジイが地図さえ寄越さなかったから俺が調べてやってんだ、黙ってついて来いや!」
バアルモンは怒りの形相で、一冊の本を見せつけて来る。物々しい雰囲気の、紅い表紙の本だ。
何か凄そうな本というのは分かるが、何がどう凄いかは分からない。
「何、あの本」
「デジタルワールドのガイドブックじゃないかしら」
「ガイドブックじゃねえ! ……いや、ある意味ガイドブックか……?」
バアルモン自身も「本」に詳しい訳ではないというか、はっきりと「これはこういうものだ」という確信が無いようで、一気に不安感が襲う。
摩莉はやっぱり家に帰ろうかな、と思い始めた。
というやり取りをしたのも、数時間前の話。
何の変化もない森の中を歩き通しで、少女たちは心身ともに消耗しきっていた。整備されていない道は、歩くだけで体力を奪ってくる。
「むう。人間とデジモンの体力差を考慮していなかった。まさか、これほどまでに差があるとは」
マタドゥルモンは困ったように呟いた。パートナーである優香を先抱えながら。——よりによって、いわゆるお姫様抱っこで。
「す、すみません……」
優香は心底申し訳なさそうに、蚊の鳴くようなか細い声で謝罪する。声がか細い理由は、申し訳なさだけが原因ではないのだろう。
見た目の印象通りに体力の無い優香は、誰よりも早くギブアップしてしまった。
そこでマタドゥルモンは有無を言わさずお姫様抱っこを敢行。重そうな素振りは一切見せず、今まで以上に軽やかな足取りで再び歩き出した。
マタドゥルモンは人間の成人男性よりもずっと背が高いので、抱えられている優香を小さな子供と見間違えてしまいそうだ。
「マリ、だいじょーぶ?」
「ありがと、フレイヤ。大丈夫だよ」
フレイヤは心配そうに摩莉の顔を覗き込む。摩莉はフレイヤを心配させないように振る舞うが、内心疲労困憊だった。
優香に限らず、そろそろ少女達には休憩が必要だ。しかし、休憩できそうな場所は未だに見えてこない。摩莉としては、得体の知れない森にへたり込むのは避けたかった。その辺の土に変なウィルスが潜んでいないとも限らない。
立ち止まったら最後と思い、ギリギリの状態で足を動かし続けていた。
一方で、デジモン達が歩き疲れている様子は今のところ見られない。バアルモンとマタドゥルモンはおろか、彼らよりずっと小さな体のフレイヤまでピンピンとしており、摩莉はデジモンの身体能力の高さに驚かされるのだった。
「やっぱり車いるわよね、これ。いや、いる」
冷香はマタドゥルモンをじろじろ睨みながら言う。「変な男に触らせたくない」、「疲れた妹を休ませたい」という二つの感情の間で葛藤しているのだ。
「畜生。人間がこんなに軟弱だって最初から分かってたら、これを口実にしてジジイに乗り物を要求できたってのによ」
バアルモンはマタドゥルモンのように人間を気遣う様子はなく、寧ろ足手まといだと言いたげにますます不機嫌になっていく。真っ先に歩けなくなった優香はもちろん、摩莉も流石に萎縮してしまいそうになる。
「それに関しては私も同じ意見よ。多少恥をかいてでも、体力無いアピールをかましておくべきだったわね」
摩莉は「もうこれ、バルバモン城に戻って乗り物手配してもらった方がよくない?」と提案しようとしてやめた。
今更引き返すと言われたバアルモンがまた怒り出すと思うと、歩くよりもそちらの対応の方が面倒くさそうと思ったからだ。
「もはやヒッチハイクをする以外に、私達がこの苦しみから逃れる術は無いわ」
「だから、それが出来れば苦労しねえつってんだろ」
不思議な異世界の深い森の中に、車が走っていたら台無しだ。
仮にここが現実世界の山林だとしても、こんな場所でのヒッチハイクは無謀に近いが。
「ヘイ!」
「なんのヘイ?」
「ヒッチハイクのヘイ! よ」
そういうのは、車が見えてからやるものだ。
誰もが冷香の意味のない奇行だと思い、余計な言及を避けた。しかしその直後、獣道の向こうから聞き馴染みのあるエンジン音が——
「ウソでしょ? 本当に来た……」
薄暗い獣道を、人工的なライトが照らす。オフロードをものともしないタイヤを高速回転させて、そいつは現れた。
「やったあ。止まってくれたわ」
「なんでイビルフォレストで車を走らせてる奴がいるんだよ……」
救世主の登場に冷香は無表情で喜び、バアルモンは目を見開いて唖然とする。
車だ。車が現れた。
しかも、車種はいわゆるミニバンだ。詰めれば全員乗れるだろう。大きな男性型デジモンには無理矢理詰まってもらう。
こちらが驚いているうちに、ウイーンと運転席の窓が開いた。乗っていたのは、運転手の他に助手席にももう一人。なぜ二人しか乗らないのにバンに乗っているのかは不明である。
「そこのお嬢ちゃん達、もしかしなくてもバルバモン様が呼んだ“選ばれし子ども”だろ?」
運転手が摩莉たちに向かって呼び掛けてくる。運転手は全身を包帯でぐるぐる巻きにした人型のデジモンだった。ただし、身長や腕の長さはバアルモンと同様人間のそれとはかけ離れた長さをしている。人間サイズの運転席は窮屈そうだ。
ミイラ男が車を運転してる。摩莉にとっては意外で珍しい光景だったが、しかし口に出すのは失礼な事かと思い、心の中に留めておく。
「どうしましょう。素性が即バレしてしまったわ」
とは言いつつも、冷香に焦っている様子は見られない。
「バレるも何も、ダークエリアじゃ有名な話じゃないか」
今度は助手席の人物が口を開いた。
「ダークエリアの出口に向かってるんだろ? あたしらも魔王様の命で、表のデジタルワールドに行く所なんだ」
こちらはどこからどう見ても、人間の女性にしか見えなかった。
全身真っ赤なコーデの衣類を身に着けた、青い髪の女性だ。どこか気だるげで、それでいてどことなく上品な、そんな雰囲気の人物だ。
「部下を出張させるような魔王ってえと、ジジイは車を出しやがらねえからデーモンか。くそっ、ジジイじゃなくてデーモンを頼りゃよかったぜ」
バアルモンは女性の言葉から彼女らの背景を予測し、ブツブツと悔しがっている。
デーモン……バルバモンよりかは魔王だと分かりやすい名前だ。
「バルバモン様はドがつくケチだからねぇ。最近はガソリンも高くなってるし」
デジタルワールドでもガソリンは高い。急にこの異世界に親近感が湧く少女達であった。
「乗りな。バルバ城からここまで歩き通しで疲れたろ?」
女性の言葉に合わせて、後部座席の横開き自動ドアが開いた。
降って湧いた幸運に、少女達からはたちまち喜びの声が上がった。冷香の瞳にさえ光が灯っている。
「なんと。渡りに船だわ。これからは『渡りに船』を『ダークエリアにミニバン』に改めましょう」
なんだかよく分からないが、これも冷香なりの喜びの表現らしい。いや本当によく分からないが。
「いいのか? 小汚い小娘なんか乗せて、車が汚れても責任は取れねえぞ」
バアルモンは意地の悪い言い方で、女性の意思に揺さぶりをかける。
しかし女性はそんなもの一切気にしていないといった様子で、さっぱりと、きっぱりと「それでも乗せる」と言い切った。
「『選ばれし子ども計画』は、ダークエリアに住む連中の希望そのものさ。デーモン様もこうしろって仰るだろうよ」
そして女性は運転席に向き直り、ミイラ男に向かって姉御肌全開の指示を飛ばす。
「てな訳でマミーモン! 安全運転だ、じゃなきゃ承知しないよ!」
「もちろんさ、アルケニモン!」
◇
ミニバンはダークエリアの希望を乗せて再発進する。
前方の席にはマミーモンとアルケニモンが引き続き搭乗。すぐ後ろの三列シートには、摩莉、冷香、優香が三人並んで座っている。摩莉の膝の上には、フレイヤがちょこんとお座りしていた。
「わたし、車にのるのはじめて!」
初めての体験にフレイヤは大喜び。この笑顔のおかげで、摩莉は今までの選択が報われた気持ちになるのだった。
「おい!」
フレイヤの愛らしい子どもの声とは真逆の低い声が聞こえてきたが、摩莉は無視した。
「露骨に無視すんじゃねえ! なんで俺らがトランクに積まれてんだよ!」
少女達の更に後ろのスペース――即ちトランクから、バアルモンが車内全体を震わす声量で怒鳴りつけてくる。
バンのような大きめの車は、三列目のシートを倒すなり外すなりして荷物置き場のスペースを広げる機能がある。今回の場合は席が丸ごと取り払われていて、五人分以上の席は初めから無かった。
バアルモンの席は、初めから無かった。
「やめろバアルモン、騒ぐでない。不本意にも貴様と密着しているせいで、がなり声が直に響くのだ。直に」
バアルモンの隣には勿論、マタドゥルモンもいる。彼も椅子に座る権利を与えられなかったのだ。
トランクの中には既に荷物が積んであり、密着しなければ二人分の搭乗スペースを作れない。それがバアルモンの機嫌の悪さに拍車を掛けている。
「ぎゃあぎゃあうるせえな! アルケニモンと俺の車に男を乗せてやってるだけでも破格の待遇なんだぞ!?」
運転席からマミーモンが、バアルモンに向かって怒鳴り返した。少女達に対しては紳士的でも、デジモンに対してはそうでもなかったらしい。
マミーモンは彼らを車に乗せる際、当然のように人間の少女達を座席に誘導し、残る人型デジモン二体をトランクに押し込んだ。
当然バアルモンは抗議しようとしたが、マミーモンはお構い無しに車を発車させた。
まさか飛び降りる訳にもいかず、二人はトランクに乗せられたままとなり、今に至る。
「せめて希望を聞けよ! 話し合いをさせろ!」
「よせ、バアルモン。『デジモンに性別は無いだろ』の返しが出来なかった時点で我々の負けなのだ」
「勝ち負けも何も最初から『椅子無いけどいい?』って言わなかった方が悪いだろうがよおおお」
全員を無償で乗せてくれたマミーモンを聖人と見るか、デジモンは問答無用で貨物扱いの非道と見るかは一旦置いておくとして、マミーモンは運転手だ。運転中の運転手にちょっかいを出して、乗客が無事でいられる保証はない。
車が動いている間、バアルモンは狭い車内でギリギリ許される程度の大声で吼える事しか出来ないのだ。
「騒がしくてごめんなさいね」
冷香が後部座席の真ん中から、斜め前のアルケニモンに向かって謝る。
バアルモンが突っかかって来そうな物言いだが、今のバアルモンはマミーモンとの言い合いに夢中でそれどころではないようだ。
「いんや、こっちこそマミーモンが煩くてすまないねぇ」
アルケニモンは逆に冷香達に謝った。だが、その顔には申し訳なさよりも寧ろ、騒がしさが楽しくて仕方ないといった様子で笑みを浮かべていた。
ここまでマミーモンとの二人旅だったとすれば、確かにこの騒がしさは新鮮だろう。選ばれし子ども達とパートナーを乗せてくれた理由は、そこにもあるのかもしれない。
「すごいね! ぜんぜん歩かなくても体が進むって、楽ちん!」
「アルケニモンさん達に会えて良かったねー」
「うん! 二人とも、ありがとう!」
この間、フレイヤは幼さ故か喧騒を一切気にせず、初めての乗車体験を楽しんでいたし、摩莉はフレイヤの世話をするふりをして言い争いに関わらないように努めていた。
一方、優香はトランクの面子に対する後ろめたさと申し訳無さで押し黙っていた。静かにしていると周りの音が嫌でも耳から頭に入って来るし、そこを発端に思考の渦に巻き込まれてしまう。
(「デジモンは性別が無い」って、どういう事なの……?)
◇
「さっきのコアラみたいな奴、あんなに沢山いたんだ」
「あれはファスコモンだよ。この辺にゃ群れで住んでるんだ」
疲れが取れると、心に余裕が出てくる。それも安全な車移動の最中。徒歩移動よりもずっと早く景色が移り変わっている筈なのに、目から受け取る情報がするする脳に入ってくる。
車の揺れに行楽気分を引き出され、気がつけばまるでサファリパークのように、車窓から森の景色を楽しんでいた。
「なんか、さっきより生き物が増えてるような?」
「車が珍しいから見に来たんだろう。あそこにいるのはピコデビモン。ファスコモンよりもずっと沢山いる」
少女達が外の景色に疑問を持つ度に、アルケニモンと時々マミーモンは答えを教えてくれた。
コアラのような生き物はファスコモンというれっきとしたデジモンだったし、コアラ以外にも真ん丸のコウモリのようなデジモンもいた。
生命の気配は樹上だけに留まらない。木の根元には、小さな悪魔のようなデジモンが何種類かいて、好奇心旺盛な子どものようにこちらを覗いている。
青黒い緑と青紫色の赤い絵の具をぐちゃぐちゃに混ぜたような色の森は、ただのおどろおどろしい背景ではなく生態系を育む自然だったのだ。
「わたし、あのデジモン知ってるよ! あれはセーバードラモンだよ!」
お次はフレイヤが、木から飛び立つ黒い鳥の正体を自信たっぷりに教えてくれた。
鳥と言っても、今乗っているミニバン以上に大きく、体を覆う羽根はまるで炎のように揺らめき、地球上のどの鳥にも似ていない怪物のような鳥だ。
「なあ、あいつ成熟期の癖にガキすぎねえか?」
「うむ……。進化が早すぎたか、他者と隔絶されていたか、そのどちらかだろうか」
バアルモンとマタドゥルモンの内緒話も、未知の生き物に夢中な少女達の耳には届かない。
小さな獣がいて、小悪魔がいて、バアルモンやアルケニモンのように人にそっくりなデジモンもいて、マミーモンのように見覚えのあるモンスターもいると思えば、なんとも形容し難いマタドゥルモンのような顔のデジモンもいる。
その姿にはまとまりがなくて、ただ「デジモンである」という一点のみが彼らを繋いでいる。
人間の少女達がここに来てからというもの、デジモンの多様性に驚かされてばかりだった。
「このくらいで驚いてちゃあ、『表』に出た日には驚きが追いつかなくなるよ。デジモンの多様性はこんなもんじゃない」
アルケニモンが言うには、ダークエリアに生息しているデジモンはこれでも種類が偏っているのだという。
これから倒しに行くのは「天使」デジモンだ。デジモンにおける天使、一体どのような姿をしているのだろうか。
「ンとに人間は何にも知らねえのな」
少女達の気分に敢えて水を差すかのように、バアルモンが後ろから悪態を投げかけた。
人間の少女達にとっては未知の出来事でも、デジモン達にとっては一般常識の範疇であり――これしきの事も知らないままデジタルワールドに来た摩莉達の事は、愚者にしか見えていないのだろう。
「まあまあ。麗しき少女達が胸を弾ませ、花のような笑顔を浮かべているのだぞ? 幼く愛らしい姿を見守るのも、我ら年長者としての役割であり楽しみだ。もっと大らかに自身も目の保養とするつもりで構えてはどうだ?」
しかし、そこはキザだが紳士的なマタドゥルモン。バアルモンをたしなめつつ、今の状況を楽しめるように提案する。
「俺はてめえと違ってガキには欲情しねえよ、変態」
バアルモンがマタドゥルモンの言葉を素直に受け入れる訳もなく、更なる罵倒を以て拒絶した。
「へいへーい。話は中断しなくていいけどよ、そろそろゲートに入るぜ」
マミーモンの呼びかけで、選ばれし子ども一行は一斉に前を向く。
数百メートル先の空間に、亀裂が走っている。フロントガラスが傷ついている訳でもなければ、近くの物体が割れている訳でもない。
本当に、亀裂そのものが浮いているのだ。
少女達が疑問の声を上げる間もなく、車はその亀裂の中に吸い込まれていく。
一瞬視界を暗闇が覆い、そして全てが光に満たされた。
◇
「ようこそ、表のデジタルワールドへ」
正直、「別空間同士を繋ぐゲート」と言われても、通っている間はそんな実感は湧かなかった。
だが——目を開けた瞬間広がる景色を見たならば、それが真実だと信じざるを得ない。
太陽がある。青い空が広がっている。どこまでも広がる緑の草原の中、真っ直ぐ走る一本道を走っている。
振り返っても、暗黒の森は見えない。空間に空いた小さな亀裂が遠ざかり、見えなくなっていくだけ。
「これが、デジタルワールドなんだ」
初めて異世界を目にした摩莉の瞳は、ルビーのように輝いていた。
正直なところ、「異世界らしさ」ではダークエリアに軍配が上がる。何も無い草原なんて、人間の世界にだってある。ここには異世界らしいものは無い。
では何が摩莉の胸を打ったか。「禍々しい魔界の森」も「清々しい草原」も全てを内包した「何でもあり」がデジタルワールドであるという壮大な真実こそが、彼女に感動を与えたのだ。
「ぐわー眩しい! 目が! 目ぐぁああ!」
感慨は、突如苦しみ始めたマタドゥルモンの断末魔で台無しになった。
「うるせえな! 日光苦手ならダークエリアから出てくんじゃねえよ!!」
バアルモンはマタドゥルモンに追い打ちを掛けるように暴言を吐く。マタドゥルモンが暴れる度に袖やら足やらがバアルモンに当たるので、怒りたい気分にもなろう。
「いや別に、どこぞのヴァンデモンと違って日光が弱点という事はないが……。朝も夜も特に問題なく活動できるが……」
「なんなんだコイツ?」
バアルモンは急にけろりと大人しくなったマタドゥルモンに若干引いている。
「暗い場所から急に明るい場所に出たら、貴様もこうなるだろう?」
「ならねえよ、現に今なってねえだろうがよ」
これ以降、マタドゥルモンは日光を嫌がる素振りを見せなかった。あの暴れっぷりは何だったのだろうか。
「あの、もしかしてドゥルさんって、吸血鬼なんですか……?」
日光が苦手という話題から、吸血鬼という存在を連想したのだろうか。
今まで黙っていた優香が、おずおずとマタドゥルモンに訊ねる。
「ドゥル……おお、私の事か。その通り。私は、というかマタドゥルモン種は吸血デジモンだ」
唐突に渾名で呼び始めたのは優香なりに距離を縮めようとしたのだろうか。慣れない故かいささか不自然なやり取りであるのは否めない。
だが、紳士なマタドゥルモンは不器用な歩み寄りも許容する。
「私との絆を深めようとしてくれたのだろう?」
図星を突かれ、優香の顔がみるみる内に赤くなっていく。
「パートナー同士の絆はデジモンの強さに関わってくると聞く。これから戦闘を控えた我々にとって重要な事だ」
どこまでも紳士的に、パートナーの在り方を肯定して絆を深めようとする。
友達のような間柄の摩莉・フレイヤペアとはまた違う、少女を見守る保護者のような関係が生まれつつあった。
「はっ。こいつとの絆なんて深められるとは思えねえなあ」
マタドゥルモンの物言いが鬱陶しかったのか、或いは羨ましいと感じているのか。バアルモンは即座にマタドゥルモンの発言を腐しにかかる。
それから彼は自身のパートナーを一瞥し、鼻で笑った。
出会ってから今までのほんの僅かな時間の間にバアルモンと冷香の関係は水と油である。当人同士どころか、誰の目から見ても明らかだ。
そもそも、冷香と真に心を通わせるのは誰であろうと難しい事なのかもしれないが。
「おいおい、仲良くしてくれよ選ばれし子ども達~。俺とアルケニモンほどアツアツになれとは言わねえけどさぁ」
ポカン! と軽いようで重い打撃音。その直後にプァーっと音を立てる警笛。
アルケニモンがマミーモンの頭を殴打した音と、殴られた勢いでハンドルに突っ伏したマミーモンが鳴らしたクラクションだ。
◇
マミーモンが気絶から復活したその時である。
快走する車の前に突然、人影が現れた。
「そこの不審車止まれー!」
人影は道のど真ん中に仁王立ちして、選ばれし子ども一行の行く手を阻む。
マミーモンが急ブレーキを掛けたので、車内にある物体が前方にガクンと傾いた。
車の前へ急に飛び出した命知らずの正体は、獅子頭の獣人と呼ぶべきデジモンだった。
「貴様ら、ダークエリアに繋がるゲートから出てきたな? さては魔王の手下か?」
獅子頭のデジモンが喋った。殆ど獣のフレイヤもファスコモンも喋っているので、そこは今更驚く事ではない。
問題は、どうやら獅子頭に敵と疑われているらしい、という事だ。仮に選ばれし子ども一行の素性がバレたら、確実に面倒事に巻き込まれるだろう。
例えば旅立ち初日で捕縛されるとか、初日で天使軍と最終決戦、などなど。様々な面倒事が、摩莉の頭に浮かんでは消えていく。
「知らねえよ」
当然、マミーモンにはまともに取り合ってやるつもりも義理も無い。
マミーモンがブレーキから足を離すと、車はクリープ現象でじわじわ前進を始めた。今更だが、このミニバンはAT車のようだ。
車は獅子頭に向かって進んでいる。このままだと獅子頭と衝突してしまうが、それでも獅子頭はその場から動かない。
マミーモンは獅子頭とぶつかるすれすれの所で再びブレーキを踏んだ。
「おい危ねえぞ!」
危ないのは前方に獅子頭がいるのに車を動かしたマミーモンの方である。
「安心しろ。貴様らが悪のデジモンではないのならば、この『獅子王丸』を抜くつもりはない。その代わり、安全なデジモンと分かるまでここは通さん!」
獅子頭は車に轢かれる恐怖にも臆さない、蛮勇じみた度胸の持ち主のようだ。悪しき者は決して通さないと、青い目が語っている。
普通はここで身の潔白を証明するか、獅子頭から逃げるかの二択だ。
身の潔白も何も、魔王の手下である事は事実なので誤魔化せなくなれば結局逃げるしかなくなるだろう。
と、摩莉は思うのだが――
「おいバカ避けろ! マジで轢くぞ!」
マミーモンは逃げも隠れもせず、獅子頭を怒鳴りつけた。これでは自ら危険なデジモンですと白状しているも同然だ。
「え、何で、こっちが避ければいいじゃん」
摩莉はマミーモンの行為に疑問を持った。
あの獅子頭から逃れたいなら、車側が迂回すればいいだけではないだろうか。多少道から逸れても、草原の上から車も問題無く走れるはずだ。
まさか獅子頭が車よりも速く走れる訳でもないだろうし、スピードを出して走れば十分撒けるだろう。
他の皆も当然、マミーモンのやり方に呆れている筈……と思いきや、聞こえてきた言葉に摩莉は己の耳を疑った。
「何をやっとるんだあいつは」
「最近のレオモンは前か後ろにしか歩けないのかい! ええ!?」
「もう轢いちまえよあいつ!」
横からも後ろからも野次が飛んできた。
どうも、デジモン達の中では「迂回したら負け」らしい。というか、「轢く」が当たり前に選択肢に入っているらしい。
道路に飛び出した方が悪いと言えばそうなのだが、デジモンの価値観がそうさせるのだろうか。或いは道路交通法を知らないのだろうか。どう考えても轢いた方が後から大事になるとしか思えないが。
「もうこれ言い訳できない悪者の発言じゃん……」
とにかく、摩莉にはデジモンの考えが理解できなかった。
摩莉は一縷の望みを掛けて横を向く。冷香が僅かに眉をひそめていた。
「この流れだと、あのライオン? みたいな人、本当に轢かれちゃうんじゃないかしら。良くないわ」
冷香が真っ当に指摘する。
この子、流石に命が関われば普通に発言するんだ。と、摩莉はあまりにもレベルの低い感心をする。
「轢いて進むとその、色々よろしくないので、こっちが避ける方向でなんとか……」
優香も一緒に頼み込んでいる。これが当たり前である。少なくとも人間は人間としての価値観を備えているようで、摩莉は心底ほっとした。
だがデジモン達は「轢くぞオラー」「死にたいのか」とヤジを飛ばすのに夢中で聞いてくれない。いくらなんでも血気盛んすぎる。
フレイヤだけはずっと「きょとん」としているが、これはフレイヤがおかしいのか、それともマミーモン達がおかしいのか判断がつかない。できれば後者であってほしいと摩莉は願う。
「轢くのは、よくないんじゃないかしら」
冷香の語気が一層強くなる。それでも反応しないデジモン共に業を煮やして、遂に冷香は実力行使に出た。
シートの上に膝立ちして、くるっと後ろ向きになり、バアルモンの顔に自分の顔を近づける。
バアルモンの金髪をかき分けると、小さく尖った耳が見えた。いわゆるエルフ耳というやつだ。冷香はバアルモンの耳元で、そっと囁く。
「轢くのはだめじゃないかしら」
「んおぅふ!?」
吐息と囁きは耳にこそばゆい刺激を与えた。不意にふざけた刺激を与えられ、バアルモンの背筋にぞぞぞと悪寒が走る。
冷香はそれに構うことなく、壊れたラジカセのように同じ言葉を囁き続けた。
「轢くのはだめじゃないかしら轢くのはだめじゃないかしら轢くのは」
「うるせえ呪いのビデオの演出かってんだよおおおおおお」
バアルモンが呪いのビデオを知っていたことが地味に驚きだ。デジタルワールドにもホラー映画はあるらしい。
「誰かあのレオモンどかせ!」
冷香の呪いの言葉が我慢できなくなったバアルモンが絶叫する。
もう何がなんでも車が避けるということは絶対にしたくないらしい。
「仕方がない。私が出よう」
マタドゥルモンがそう言うと、トランクがバキンと開いた。ガコンではなくバキンである。この違いが分かるだろうか。
「おい! まさか今ドアを蹴り壊して開けなかったか!?」
マミーモンから悲鳴が上がるが、マタドゥルモンもバアルモンも気にしてはいない。
マタドゥルモンはひょいひょいと車体の上に飛び乗る。これだけでも驚きの身体能力だが、なんとマタドゥルモンはそこから獅子頭ことレオモンに向かって飛び蹴りを放った。
「はッ!」
必殺の蹴りがレオモンに炸裂する。素人目にも美しいフォームの蹴りが、直撃したのだからたまったものではない。
「ぐわあああああ!」
レオモンは絶叫しながら地面をもんどりうって転がる。空気を切る音、レオモンの胸元に刻まれた靴型の凹み、そしてレオモンが吹き飛ばされた距離。マタドゥルモンのただの蹴りが、人間の常識を超える威力であると理解するのはそう難しくない。
正直、轢かれるのと大差ないのではと少女達は不安になった。
「悶絶中に失礼する。少々道の横に転がってもらうぞ。よいしょー」
マタドゥルモンは未だ未知の上に倒れていたレオモンを転がし、道の脇に移動させた。
汗もかかずスマートに一仕事を終えたマタドゥルモンは、実に清々しい気分で車に戻ろうとした。
戻ろうとしたのだが、何故だろうか。戻った先に車が無い。
「は?」
マタドゥルモンが見たのは、ミニバンが容赦なく自身を置いて走り去って行く光景だった。
一方、車内はというと。
「あの、ドゥルさん、あの」
優香が何か言いたそうだ。そりゃそうである。
「走れーッ!! かつてない全速力で走れーーッッッ!!!」
バアルモンはかつてない大絶叫でマミーモンに命令し、何としてでもマタドゥルモンから遠ざかりたい気持ちを露わにする。
これを運転席で聞かされたマミーモンは、不快感で思いきり顔を歪める。
「なんて奴を乗せちまったんだ。トランクは壊されるわ車内で絶叫しまくるわ、もう最悪だよ」
と言いながらも、マミーモンはアクセルを思いっきり踏み込む。トランクを壊された恨みの方が勝っていたらしい。
今まで以上に素早く遠ざかる後ろの景色。その中でただ唯一食らいついてくる極彩色の点がある。
「ちっ。腐ってもマタドゥルモンか。無駄に足を鍛えてやがる」
バアルモンはリアガラス越しの光景を見て、舌打ちをした。
どんどん過ぎ去る景色に逆行するかのように。マタドゥルモンはなんと走って車に追いつこうとしている。
マタドゥルモンが変な顔で車並みに速いというのはあまりに予想外であり、奇妙な事実であった。レオモンがそのくらい素早い方がまだ納得がいく。
そう思うと「車の速さならレオモンを撒ける」という発想は短慮だったかもしれないと、摩莉は反省する。
「すごいすごーい! どっちもはや~い!」
バアルモンがマタドゥルモンに意地悪していると察せていないフレイヤだけが、無邪気に喜んでいた。
「ぐおおおのれバアルノヨウナモンめ目にもの見せてくれる」
遂にマタドゥルモンは車に追いついた。何とか車にしがみつき、トランクを開けて再び車内へ舞い戻る。
「妙な渾名で呼ぶんじゃねえ!」
無事に帰還したマタドゥルモンを出迎えたのは、バアルモンの拳骨だった。
「おかえりなさい!」
これまでの経緯をなんにもわかっていない、フレイヤのあまりに無邪気な言葉。
それがおかしくて仕方がなくて、慣れないバイオレンスな雰囲気に疲弊していた摩莉の緊張はほどけ――
「あはは!」
思わず、声を上げて笑ってしまった。
◇◇◇
「ぬおお……」
獣人の指がぴくりと動く。
レオモンは生きていた。勇者レオモンは、派手な吸血鬼にちょっと蹴られた程度では死なないのだ!
「皆に、知らせなくては……ダークエリアからの敵対的侵入者だ……!」
レオモンは使命感に駆られてむくりと起き上がる。
そしてジーンズのポケットから、指先ほどの大きさの筒を取り出した。
筒はボタンがついているのを見るに機械のようで、それを押すと赤いレーザー光がぴかりと輝いた。武器になるようなものではなく、発表会等でスクリーンを指すのに使うあれだ。
レオモンはレーザーを空に向かってピカ、ピカ、と五回続けて点滅させるのを繰り返す。
「レーザー光を五回点滅。テ・キ・ガ・キ・タのサインだ。後は頼んだぞ、我が同胞……!」
何回かサインを繰り返したところで、レオモンは力尽きたように再びばったりと倒れ込む。
獅子の勇者の遥か向こう側で、汽笛の音が鳴り響いた。
ごきげんよう。マタドゥルモン好きというキャラでやらせてもらって10年の羽化石です。
私がマタドゥルモンにハマった時点で既にマタドゥルモンは10年もののデジモンだったので、マタドゥルモンはもう生まれて20年という事になります。これ今適当に書いてますが計算あってる?
さて、今回は久々の摩莉サイド(魔王サイド)の更新にして、過去化石曰く「公式リスペクト要素を1話に全部ぶち込もう」というふざけた回です。
今化石が全力でふざけた結果、最初からクライマックスな回です。「ベヒ――」ってなんでしょうね?
度々申し上げておりますが、本作は10年ほど前に書き上げた話のリメイクとなっております。一度親密度がアップしたメンバーの初々しい姿を書くのはなんだか逆に新鮮な気がしますね!
ドゥルさんなんか、サロン民は先に正体の方を見せられてますからね!(羽化石の過去作短編をチェケラ!)
これまでは前後編分けつつもサロンへの投稿は同時に行っておりましたが、今回は前編だけ先に投稿です。
理由は複数ありまして、だいたいこんな感じです。
・単純に長いから
・早く最初からクライマックスっぷりを見てほしかったから
・もうすぐサロンへの新規投稿終わり&スクルドターミナルへの新規投稿が始まるから
そう、羽化石は偉大なるグリフォモン教祖であらせられるナクル先生の導きに従い、スクルドターミナルに旅立ちます。
トラウォ5話の後編は、スクルドターミナルで投稿します。
そう!!トラウォの続きが読みたいならば!!!羽化石の個人サイトかスクルドターミナルに行くしかないのです!!!!!これは巧妙な宣伝だったのです!!!!!!
みんなも
スクルドターミナルに
おいでよ