フライモンから受けた傷と毒をパルモンの家である程度治療してから、三十分ほどの時間が過ぎた。
右足の感覚が未だに麻痺している所為で、歩行が難しい様子のベアモンの手を掴んで支えながら、ユウキはエレキモンと街道を歩いている。
向かおうとしている場所はベアモンの家では無く、これから働く予定である『ギルド』と言う組織の拠点である建物。
その理由はベアモンから口である程度の説明は受けたものの、どういう組織なのかを見学しておいた方が良いとエレキモンが判断したからだ。
移動の途中で、最初にベアモンが口を開く。
「それにしても、ユウキが僕等と一緒に『ギルド』に入ってくれると言ってくれて良かったよ。僕とエレキモンだけじゃ、まだ二人だから試験を受けられないし……」
「そういや今更聞くのもアレだけど、何で俺を誘ってくれたんだ? 実力を持った三人じゃないと駄目って言ってたが、それはあのパルモンも当てはまるんじゃないのか?」
「パルモンは『ギルド』の仕事に興味が無いらしいからな。俺等と一緒に『ギルド』に入るはずだった奴が、前まではこの町に居たんだが……な」
「?」
返答の途中で難しげな表情を見せたエレキモンと、それに連動するかのように暗い非常を薄っすらと見せたベアモンに対してユウキは疑問を覚えたが、事情を知らない自分が踏み入るような事では無いという事だけは理解した。
そして、重そうな空気を変えるためにユウキは話題を切り替える事にした。
「ところでベアモン、お前大丈夫か?」
「右肩の事? それなら明日まで安静にしていれば治ると思うけど」
「違う違う。右足の痺れとかもそうだけど、飯の事だ」
「……あ」
そういえば、とベアモンは思い出すように口をポカンと開けた。
恐らく自分が考えている事が当たっているのだろうと確信付け、ユウキは言う。
「お前の家にはもう食料が無いんだろ? 保存してたと思う魚はお前の朝食で消費して、それでも足りなかったからなのか、または新しく保存出来る食料を探しに森に行ったのかもしれないけど……結局フライモンに襲われて、食べ物にありつく事が出来なかったじゃん」
「………………」
「ついでに言えば、俺は朝から何も食べてない。まだ昼間だから時間はあるが、だからと言ってまたあの森の方に調達しに行くわけにもいかないし、本当にどうするんだ?」
言葉を聞いたベアモンの表情が、口を開けたまま固まる。
おそらく、どう返答しようか頭の中で思考しているのだろうが、それは要するに『忘れていた』という事をわざわざバラしているも当然なリアクションだった。
そんなワケで、この状況で頼れる唯一の頭脳要員をユウキは頼る事にした。
「……エレキモン、どうすればいい?」
「何でお前らの食事情に俺が手を貸してやらないといけないんだ。大体お前らは一食の量が多すぎなんだよ。少しは節約を意識しろ」
「そんなに食べてるつもりは無いんだけど。昨日はあんまり釣れなかった上に、ユウキの分にも食料を割り振ったから少し足りなくなったわけで……」
「そういうワケだ。自分の食料ぐらい自分で確保しろ。『働かざる者食うべからず』って言葉があるんだし、そこの馬鹿を見習って頑張れ」
「まぁ、確かにそこのクソ野郎の言う通りだと思う。あっ、食料調達するなら僕の分もよろしくね。昨日五匹も分けてあげたんだから、お返しには少し色を付けてよね」
「少し前の仲間発言から一転して俺に味方が居なくなったんだが。大体ベアモン、お前のあの施しは無償じゃ無かったのかよ!?」
「そんな事を宣言した覚えは無いし、僕はそこまで優しいわけじゃないから食べ物を我慢出来るほど聡明でも無いよ。命を救ってくれたのは本当に感謝してるけど、それとこれは話が別だからそこの所よろしく」
「……おぅ……」
この状況で唯一頼れる頭脳要員からは見捨てられ、更に少し前の時間で自分の味方をしていたはずのベアモンからケガをしている者としての特権を利用した断れない要求を投げ付けられたユウキは、一気に表情をげんなりとさせながら言葉を出していた。
気持ちの落ち込みに連動してなのか、頭部に見える羽のような部位が垂れてもいる。
そんな様子を見て、エレキモンは前足でユウキの左肩をポン、と叩く。
慰めの言葉を掛けてくれるのか、と僅かながら期待したユウキだったが、
「いつか良い事あるって」
そんな都合の良い言葉を掛けてくれるわけが無く、途端に別の意味で崩れ落ちそうになった。
◆ ◆ ◆ ◆
木造や石造の住宅が多く建ち並ぶ中にぽつりと存在する、一風変わった一軒屋。
天井までの幅がおよそ7メートルはあるだろう広い空間の中に、カウンターや掲示板といった日曜的な物とは異なる家具が設置されており、普通の住宅とはそもそもの目的が違う印象を受けるその建物は、主に『ギルド』と呼ばれる組織が活動の拠点としている場所だ。
『ギルド』の主な活動内容は、第三者からの依頼を受け、それを遂行する事である。
今日も依頼はそれなりの量が有り、掲示板には特殊な記号の文字が書かれた紙が複数貼られている。
だが、それを受けようとするデジモン……否、受けられるデジモンは居ない。
理由があるとすれば、それは人員不足の四文字に尽きる。
この発芽の町に住むデジモンの数は『町』と言うには少ない150匹ほどで、のんびり平和に過ごしているデジモンも居れば、自らの手で作物を育てて食料もしくは物々交換の材料として扱うデジモンだって居る。
だが、それらの仕事とギルドには決定的に違う所がある。
町の外に、野生のデジモン達の縄張りを通って、この発芽の町とは違う別の『町』に向かわなければならない事だ。
それには当然危険が伴うため、ほとんどのデジモンは好奇心よりも先に恐怖心を抱く事が多い。
仮に好奇心によって『ギルド』に入ろうと考えるデジモンが居たとしても、『外』の世界で活動出来るほどの実力が無くては門前払いとなる。
そして、この町には実力者のデジモンが少ない。
不足している人員を少しでも補うために、この町の『ギルド』では構成員だけでは無く組織のリーダーすら依頼を受けて活動している事が多く、大抵の場合は建物の中にリーダーを担っているはずのデジモンの姿が無い。
それらの事情もあって、組織の中で留守番の役を任されている者が建物の中でずっと待機しているのだが、依頼をするデジモンが来るまでの間は特にやる事も無く待っているわけで。
「はぁ……ヒマだ。リーダー早く帰ってこねぇかな。ヒマなんだよ、退屈なんだよ、やる事がねぇんだよ。チクショー……」
無造作にカウンターの上に寝転がっている三毛猫のような外見をしたデジモンは、退屈げに独り言を延々と吐き続けていた。
現在、この建物の中には彼以外の姿は無い。
留守番を任されている彼以外のメンバーが、この日も依頼を受注して活動を開始している所だからだ。
「そりゃあ最近は物騒な噂っつ~か、実際に野生のデジモンは荒れてっしなぁ。外に出ても力の無い奴は死ぬ確立の方が高ぇし、リーダーの判断も間違っちゃあいねぇと思うけどよ……雑用係ぐらいはスカウトした方がいいんじゃねぇかなぁ?」
一人で言ってて空しくなるが、持ち場を離れるわけにもいかない。
誰かが尋ねてくる可能性がある以上は、退屈だろうが待っていなければならない。
「……ったく、何かヒマを潰せる物を今度作ってみたほうがいいのかねぇ」
ふと彼は建物の入り口から見える町の風景に顔を向ける。
町に住んでいるデジモンが雑談をしてたり、道を真っ直ぐに歩いているのが見える。
彼は思う。
(ほのぼのしてて平和だねえ。よく『大昔は戦争があった』だとか『世界が滅亡しかけた』とか、そういう出来事が過去にあったと言われてっけど、こういうのを見てると実際はどうなのか疑いたくなるモンだ)
デジタルワールドには様々な言い伝えがあるが、その目で見て確かめない限り真実なのか偽りなのかを理解する事は出来ない。
大袈裟に解釈された作り話の可能性もあれば、実際に起きた事実の可能性だってある。
(……ま、昔がどうあれ……今は平和なんだ。深く考える必要はねぇな)
彼は内心で呟いてから眠そうに欠伸を出すと、一度頭を掻いてから起き上がる。
(……にしても暇だな。いっその事サボって、魚釣りにでも出かけるか?)
そんな、知られれば絶対に怒られるであろう事を考えている時だった。
「……ん」
入り口の向こう側から、三匹の成長期と思われるデジモンの姿が見えたのだ。
◆ ◆ ◆ ◆
ユウキはエレキモンに連れられて、とある建物の入り口前に到着した。
「これが『ギルド』の拠点なのか……思ってたのとちょっと違うな」
「何を想像していたのかは知らねぇけど、その通りだ。でかい建物だろ?」
「……まぁ、確かに『ここに来てから見た』建物の中では、かなり大きい方だな」
そこは人間界で見てきたゲームやアニメに出てくる『集会所』を思わせる様々な内装があり、入り口には何処かで見た事があるような、雫の中に二重の丸が書かれた紋章のような物が彫られた看板が飾られていて、やはり木造で作られていた建物だった。
エレキモンやベアモンにとってはこの大きさでも『でかい建物』の判定に含まれるらしいが、人間界に存在するビルやマンションを知っているユウキからすれば、この程度の大きさの建物はそこまで大きな物に感じられなかった。
(この二人に『都市』の風景を見せたら、どんな顔をするんだろうな)
先導して中に入ったエレキモンに続く形で、ベアモンの補助をしながらユウキは建物の中に入る。
最初に目に入ったのは三毛猫のような外見をした獣型と思われるデジモンの姿だった。
「いらっしゃい。依頼は現在受けられる奴が居ないが、まぁゆっくりしていけ」
そのデジモンはカウンターの上に体を横に倒した状態で、ユウキを含めた三人に対して言葉を放っている。
体勢や口調などから、人間の世界ではよく見る40台ほどの年齢の男性を思い浮かべるユウキだったが、ベアモンからすれば特に気にする事が無いらしく。
「ミケモン久しぶり~」
「おう久しぶり……その右腕大丈夫か?」
「ちょっと色々あってね。治療したおかげで大丈夫だから気にしないで」
ベアモンとエレキモンの知り合いの一人と思われるデジモン――ミケモンはベアモンの右肩に巻かれた包帯を見て一瞬目を細めたが、無事を確認すると『そっか。完治するまでは無理すんなよ』とだけ言っていた。
「アンタは相変わらず暇してるんだなぁ。朝とかは結構忙しいんだと思うけど」
「特に重要な物があるってワケじゃないと思うが、留守番係は必要だろ? チビ共にこういう役回りの奴の苦労は分からんだろうさ。あと少しで依頼に向かった連中が2チームぐらいは帰ってくると思うけどな」
どうやらこのミケモンは、この『ギルド』で留守番係をしているデジモンらしい。
(『あのデジモン』に似てると思ったらミケモンだったか。記憶が正しければ頭が良くて、もの静かで大人しいデジモンだったような気がするけど……見ただけじゃとてもそうは見えないな。あんな体勢でさっきから寝転がってるし……)
「おいそこの赤色。初対面の相手に対して挨拶も無しか? 別に構わないけど」
ユウキが内心で呟いていると、ミケモンは指差ししながら声を掛けて来る。
言われてまだ一言も喋っていない事に気付いたユウキは、とりあえず怪しまれないように挨拶と自己紹介を行う事にした。
「俺の種族名はギルモン。色々と複雑な事情があって、今はそこのベアモンの家に居候させてもらってる」
「ふ~ん。その『複雑な事情』ってのが気になるけど、聞くだけ無駄だろうしいいか」
そう言ってミケモンは体を起き上がらせて、グローブのような物がついている右手で頭を掻きながら自己紹介をする。
「オイラの種族名はミケモン。個体名はレッサーだ。得意分野は情報収集と睡眠。よろしくな」
(得意分野が前者はともかく睡眠って……何?)
互いに自己紹介を終えると、次に口を開いたのはミケモンだった。
「で。お前等は何でここに来たんだ? 依頼をしに来たようには見えんけど」
その質問に対して、エレキモンは回りくどい言い方もせずに返答する。
「いや、ようやく『チーム』に最低限必要な頭の数が揃ったからな。そこのギルモンにこの建物の見学と、ベアモンのケガが治ったら俺等で試験を受けたいんだけど、良いか?」
「……なるほどな。分かった、リーダーには伝えておく」
ミケモンはそう言うとベアモン、エレキモン、ユウキことギルモンの三体をそれぞれ見て、
「それにしても、中々面白いチームになりそうだな。こりゃあ楽しみだ」
その後、ユウキはギルドの内装に一通り目を通してから、同行者二人と一緒に建物の外に出た。
見学と言う目的が達成できた以上、いつまでもあの建物の中に居る必要は無いからだ。
建物を出たユウキが次に成すべき事は、自分自身とベアモンに対する食料の確保。
そして、その前にベアモンを家に送る事だ。
(……問題は山積みだな)
そう内心で呟くユウキ自身、不思議とそこまで嫌な気持ちにはならなかった。
空が夜の闇に包まれるまで、まだ時間は残っている。
◆ ◆ ◆ ◆
『ギルド』の見学を負え、怪我をしているベアモンを彼自身の家まで送ってから、およそ一時間と半が過ぎた。
元人間のデジモンことギルモンのユウキは、あまり体を激しく動かす事が出来ない(と思われる)ベアモンと、何よりこの日の朝から何も口にしていない自分自身の食料を調達するために、先日自分が発見された海岸へエレキモンと共にやって来ていた。
人間の世界と違い、何所かに時計が置いているわけでも無いので、現在の詳しい時刻は分からない。
だが太陽が徐々に落ちはじめている所を見るに、夕方になるまでの時間はそこまで残っていないようだ。
エレキモンから釣りのやり方をある程度聞いた後、早速ベアモンから許可を得て貸して貰った釣り竿を使い、魚が当たるのを長々とユウキは待っていた……のだが。
岩肌の上に立ち、ルアーの付いた糸を海の中へ投下してから、早十分。
「………………」
魚が一向に喰い付いて来ない。
彼自身、人間だった頃は近くに海が無い地域に住んでいたため、そもそも『釣りをする』と言う行為そのものが初体験ではある。
スーパーやコンビニでお金を使い、購入する事でしか食料を入手した事の無い人間が、いざ食料を自分で入手しようとすると、こうも旨くいかないものなのだろうか……と、元人間のデジモンは思う。
冷静に考えれば十分しか経っていないが、夜になるまでに食料を確保して町に戻りたいユウキにとっては、一分すら惜しい時間と感じられてしまう。
ふと砂浜の方に居るエレキモンの方に顔を向けると、何やら前足を使って砂を除けているのが見えた。
その行動の意図を理解しようとはしないまま、ユウキは小さくため息を吐く。
(……食料を確保するだけで、こんなに手間をかける事になるなんてな……)
思えば。
ユウキは、これまで自分で直接食料を確保した事が無かった。
現在社会では基本的に、食料はスーパーマーケットやコンビニなどで『お金を使えば簡単に手に入る』と認識をしている人間が多い。
それ等の人間は漁師として海に出ているわけでも、農業を行って汗水を垂らしているわけでも無いからだ。
ユウキもその一人であり、このような状況に遭遇しなければ考えもしなかったかもしれない。
そもそも食料を『直接』確保する側の存在が無ければ、例え硬貨を持っていても食料を『間接的』に確保している側は食にありつけない可能性があるという事を。
(……こういう時になって、漁師さんとかに感謝する事になるとは思わなかったな)
この世界で生きていくためには力だけで無く、生き抜くための知識も当然必要だ。
人間で言う『社会』で生きるための能力は、デジモン達の生きる『野生』では殆ど役に立たない。
それ等の事項を再度確認しようとするが、具体的にどうするのかはまだ決まらないし分からない。
(……まるで受験勉強みたいだな。違う所は、落選イコール死亡って事だが)
自分の目的を叶えるために必要な能力は、たった一人で手に入れるには、あまりに多すぎる。
(……けど)
今は一人では無い。
自分よりも強いデジモンが二人、味方になってくれている。
不安は拭い切れないが、それでも希望は見え始めている。
(大丈夫だろ。きっと……)
そんな事を考えていると、両手で掴んでいる釣り竿が、ようやくしなり始めた。
「……おっ、帰って来たかぁ?」
所属している組織の拠点である建物の中で寝転がっていたミケモンは、外部から聞こえる音に耳を傾けながらそう呟いた。
わざわざ体を起こして確認しに向かうまでも無いまま、建物の入り口から三体のデジモンが入って来た。
「……帰還した」
一体は緑色の体毛に子ザルのような外見をしており、背中に自分の体ほどはあるであろう大きなYの字のパチンコを背負った獣型デジモン――コエモン。
「ういーっす」
一体は鋭く長い爪を生やした前足を持ち、尻尾に三つのベルトを締めており、外見はウサギに似ているようで似ていない、二足歩行が出来る哺乳類型デジモン――ガジモン。
「ただいまもどりました~!!」
一体は二本の触覚を頭から生やした黄緑色の幼虫のような姿をしている幼虫型デジモン――ワームモンだ。
彼等の姿を見たミケモンは、最初に一言。
「チーム『フリーウォーク』……近隣の町までご苦労さん」
「マジで疲れたわ。というか、別に目的地までの距離に文句はねぇんだが……」
「……近隣とは言え、行きと帰りに数時間は掛かる。その上、道中に野生のデジモンにも襲われるのだから疲れないはずが無い」
「だけど無事に依頼は達成してきました~」
「ま、お前等の顔を見ていりゃ分かるさ。報酬も貰ってるのが列記とした証拠になってるし」
そう言うミケモンの視線は、コエモンが右手に持っている布の袋に向けられている。
彼等のチームが依頼を無事完遂した事を確認したミケモンは、続けて言う。
「今日は時間も押してきてるし、お前等は先に引き上げていいぞ」
言われて最初に反応したのは、彼等の中ではリーダー格と思われるガジモン。
「アンタはどうするんだ? やっぱり留守番か?」
「やっぱりなんて言うな。他にも帰ってくるチームが居るんだし、何よりリーダーが帰って来ないと留守番を辞められない。勝手にサボったら説教食らいそうだしな」
もっともそうな理由を述べると、今度はコエモンが冷静な声で言う。
「……いつも退屈そうに寝ている事は、説教されないのか……?」
「別に寝ていたりしねぇよ。ただ横になって、適当にボケ~っとしてるだけだ」
それを聞いたワームモンは、あからさまに怪訝な視線を向けながら聞く。
「それって要するに寝ているんじゃ……」
「だから寝てねぇって言ってんだろ。そんなに言うならお前等が留守番係やれよ。俺だって外に出て開放感に浸りてぇんだけど、リーダーの指示なんだから逆らうワケにもいかねぇんだ。そりゃあ時折意識が遠のいて色んなものを見るけどよ」
「……それを普通は『寝ている』と言うのではないか?」
コエモンの言葉を聞いたミケモンは一瞬固まったように無言になり、そこからすぐに言葉を返そうとしたが、
「……ね、寝てねぇよ!!」
結局、三匹に揃って苦笑いされるミケモンだった。
山を登りだしてから、一時間近くの時間が経った頃。
ベアモン達一行はエレキモンの提案で、少し離れた場所に多くの木々が見え、地面は大量の湿った石で形成された川原にて休憩している所だった。
この場所は仮に襲撃を受けたとしても、身を隠せる木々や茂みから距離が離れているため、姿を現した敵に対して身構える事も、逃げる事も出来る。
故に安心出来る空間のはずなのだが、ユウキだけは複雑そうな表情で川の方を見つめている。
エレキモンが道端で拾った胡桃のような形の木の実を齧っている一方で、ベアモンはそんなユウキの方に近づいて話しかける。
「川を見つめてどうしたの? そんなに珍しい物でも無いと思うんだけど」
「……あ、いや。人間だった頃にこういうのを直接見た事が無かったからさ、新鮮だって思って……」
「ふ~ん……」
ベアモンは意外そうな声を漏らした後、こう言った。
「もしかしてユウキって、こういう山に来るのは初めて?」
「初めてってわけじゃない。まだ小さかった頃に、ちょっとした遠足で行った事はある」
「小さかった頃って、幼年期の事?」
「デジモンじゃないけど、ある意味で合ってはいる。年齢で言えば、人間だった頃の今の俺は成長期か成熟期って所だろうけど」
「じゃあその『小さかった頃』に会ってたら、ユウキの姿は幼年期のデジモンだったのかな?」
「……可能性として無くは無いけど」
ユウキがそう言った直後、突然ベアモンは少し何かを考えるような仕草を見せ、ユウキに背を向けた。
「……? 何だ、突然黙って……?」
ユウキの方からそう話しかけると、ベアモンは振り向き、怪しい手草と何やら芝居臭い調子で口を開いた。
「……お~、よちよち、かわいい子でちゅね~♪ ぼくはきみのおにいちゃんでちゅよ~?」
「俺は赤ん坊じゃねぇッ!!」
その一瞬で、額に青筋を立てるユウキ。
まぁ、精神年齢が既に十五歳を超えている元人間(しかも血の繋がりは無い)に対してそんな事を言えば、よっぽど煽り耐性が無い限りはリアルファイトに物事が派生してしまうのも仕方が無いのかもしれない。
だが、この日の早朝に行った模擬戦でベアモンに完膚なきまでに敗北したユウキに、真正面から殴り合おうとする気が起きるわけも無いわけで。
「てか、俺からすれば赤ん坊っぽいのはお前の方なんだが!?」
「えっ!? 僕の何処が幼年期っぽいのさ!?」
「のほほんとした性格とか、呑気なその言動とか、とにかく色々だ!!」
「色々って何さ色々って!!」
ただの会話から、口喧嘩に発展していく様を適当に眺めているエレキモンは、ふと内心で呟いた。
(……ぶっちゃけ、あんな風に感情を出してる時にはどっちもガキだよなぁ……)
あんな風に喧嘩をしても、よっぽど確執を作るキーワードを口に出さない限りは問題無いのだから、エレキモンの判断は間違っていなかったりする。
実際、言う言葉が尽きる頃には二人の口喧嘩は終わり、先ほどまでの空気は何処へやら、川の方に足を踏み入れて水浴びをしていた。
エレキモンは手元に残っていた木の実を飲み込んだ後、現在進行形で水遊びをしている(水を掛けている)ベアモンと(水を掛けられている)ユウキの方に声を掛ける。
「お~い、そろそろ休憩は終わりにしねぇか~?」
「え~? もうちょっと遊んでいこうよ~。真水は久しぶりなんだからさ~。ねぇユウキ?」
「いや、もう行こう……」
「え~?」
「いいから。十分水浴びは出来たから。とっとと行くぞ……」
そう言って、ベアモンの手を三つの爪で引きながら、全身ずぶ濡れ状態のユウキは戻って来ようとする。
そんな時だった。
「……ん?」
「どうしたベアモン?」
「何か、大きな足音が聞こえない? それと、何か変な感じが……」
「え……?」
茂みの向こう側から、重々しい足音がどんどん近づいて来る。
それが、野生のデジモンの物だと理解するのに時間は掛からなかった。
「……どうする?」
「どうするって言われても……この辺りに居る重量級のデジモンって、確か……」
ベアモンが覚えのあるデジモンの名を思い出す前に、そのデジモンは姿を現した。
四足歩行に適した竜の骨格をしており、鼻先からはサイのようなツノを生やしていて、そのツノを含めた体の半分が硬質な物質に覆われているデジモン。
その姿を見て、ようやく思い出したベアモンは安心しながらデジモンの名を言う。
「あぁ、そうだった。モノクロモンだね。草食系で、おとなしい性格をしているデジモンだよ。怒らせない限りは襲ってこないから、安心してね」
ベアモンはそう言って、少しだけ警戒心を解いたが。
「……何か、こっちに向かって来てね?」
「へっ?」
離れた距離から、どんどんモノクロモンは三人に向かって突撃して来ている。
それも、やけに興奮した状態で。
目からも、ベアモンが言っていた『大人しい』性格の要素は見受けられない。
迫り来る脅威に、選択肢は二つ。
逃げるか、闘うか。
目の前から迫って来ていたモノクロモンは、ギルモンのユウキとベアモンとエレキモンの三人の姿を視認した事で、荒々しく地を踏み鳴らしていた四つの足を止めると共に威嚇の唸り声を上げた。
普段は本当に大人しく、温厚な性格をしている(らしい)モノクロモンだが、今三人の目の前にいる個体は明らかに敵意を剥き出しにして、今にも襲い掛かって来そうなほどに興奮している。
まるで、自分以外の存在が敵としか思えていないような目で。
「普段は僕とエレキモンが近くに寄っても何とも無かったのに……!?」
何か理由があるのかと疑問に思うベアモンだったが、予想をするよりも前にモノクロモンの口が大きく開かれ、喉の奥に何か赤い物が見えた。
それが何なのか、実際の体験として見るのが初めてのユウキにも理解する事が出来たが、既に左右へ分かれるように動いているベアモンとエレキモンよりも、ほんの僅か一秒だけ対応が遅れる。
「!!」
焦りながら動こうとして、緊張と焦りから思わず足を躓いた直後。
ユウキのすぐ後ろを、強大な熱を伴った火炎の球が通り過ぎた。
(げっ……!?)
まるで少し前の水遊びで濡れた体が、一瞬で乾いたと錯覚するほどの熱気だった。
ふと火炎弾が放たれた射線の先を覗き見てみると、先ほどまでユウキ達が居た位置よりも更に後ろの方に見えていた岩石が赤熱し、表面が少し融け始めていた。
もしアレが自分の体に当っていたら、と想像するだけでも背筋に寒気が走る。
昨日遭遇した大きく禍々しい翼を持つ毒虫とは、また違う『怖さ』を感じさせられた。
(……クソッ。昨日といい今日といい、成熟期のデジモンに立て続けに襲われるとか……!!)
内心で忌々しく毒を吐きながらも、地に伏している体を両前足を使って起き上がらせる。
だがその間にも、モノクロモンは今自分の視界に入っているデジモンを優先的に潰すつもりなのか、口から二発目の火炎を放とうとしていて。
「!!」
立ち上がった時には、既に発射の準備は終わっていた。
だが。
「スパークリングサンダー!!」
モノクロモンの視界から消えていたエレキモンの電撃がモノクロモンの顔面に向かって放たれ、本能的にモノクロモンは攻撃をしてきたエレキモンの方を向き、ユウキへ放とうとしていた火炎をエレキモンの方に放った。
エレキモンが余裕を保って避けると、火炎弾を放った直後の隙を突く形で、側面からベアモンがモノクロモンの懐に素早く潜り込み、腹部に向かって打ち上げる形で拳を捻じ込む。
「フンッ!!」
硬質な物体に覆われていない部位を攻撃したからなのか、モノクロモンの苦痛の声が漏れる。
反撃しようとモノクロモンはタックルで自分の体をベアモンに叩き付けようとするが、既にベアモンは後方に跳躍する事で攻撃の射程から退いていた。
「…………」
それらの流れを、未熟者はただ傍観する事しか出来ない。
今の自分に出来る事は何か、それすらも分からない状態で闇雲に介入した所で、足手纏いになって結局味方を傷付ける事になるかもしれない。
そういった不安が、前に進もうとした足を留まらせる。
仮に手伝おうにも、あのような怪物を相手にどういった攻撃をすれば有効なのかが分からない。
ならむしろ、自分は引っ込んでいた方が良いのでは無いか。
だが、ここで逃げたら昨日と同じように結局何も出来ていない事になる。
(……クソッたれが……)
ユウキの目には考えている間にも、連携と身のこなしから一切の攻撃を受けずに自分達の攻撃だけを確実に当てているベアモンとエレキモンの姿が映っていた。
攻撃は通用しているにも関わらず、モノクロモンの瞳は一切力を失っていない。
(……このままじゃ、いずれ消耗して……)
戦闘不能になるまでのダメージを与えるための攻撃力が、足りない。
それを想像する事は、デジモンの事をよく知るユウキにとって難しい事では無かった。
モノクロモンの体には硬質な物質が鎧のように張り付いており、エレキモンの電撃もその鎧が付いていない場所にしか効いてはいない。
ベアモンの拳は効果的なダメージを与えられているようだが、エレキモンと違ってベアモンという種族は飛び道具を使う事が出来ないため、危険性は遥かに高い。
もしこのまま何の策も用いずに戦えば、モノクロモンが倒れる前に二人が倒れる。
「………………」
逃げる事は当然考えた。
だが、モノクロモンは四足歩行の骨格を持ったデジモンであるため、その頑丈そうな外見に見合わず走行速度は速い。
少なくとも、逃げる三人を追いかけて追いつける程度には。
茂みなどに隠れる事でやり過ごそうにも、今立っている場所からは少し距離が離れている。
(……クソッ、やってやる……)
この状況では、もう戦う以外に生き残れる道は無いと思える。
もしかしたらエレキモンもベアモンも、自分が今考えている事を既に理解していたからでこそ、素早い対応が出来たのかもしれない。
(やるしか……無いってんだろ!!)
右前足の爪で不出来な握り拳を作ると、ユウキはモノクロモンが居る方に向かって走り出す。
モノクロモンはベアモンとエレキモンの方を向いている所為か、ユウキの接近には意識が向いていないようだった。
気付かれないように忍び足などやっている余裕は無い。
一気に走り込み、ベアモンと同じように硬質な物質による鎧が存在していない部位を、思いっきり殴る。
ドスッ、と手ごたえを感じさせる乾いた音が炸裂した。
「……ッ!!」
だが、その攻撃でモノクロモンは標的を二人からユウキを変えたようで、怒りを感じさせる吠え声と共に尻尾で自身の周囲を薙ぎ払って来た。
ユウキはそれを、ベアモンと同じように後ろに向かって跳ぶ事で避けようとしたが、運動性能と経験の差からなのか、避けられる距離に到達する直前にモノクロモンの尻尾がユウキの体を打ち飛ばした。
「が……っ!?」
「ユウキ!?」
喉の奥から吸っていた空気が一気に抜き出て、打ち飛ばされた体は地面の上を摩擦音と共に滑り、膝に擦り傷が出来た時よりも激しい痛みが背中を駆け抜ける。
その際ベアモンが心配するような声を上げていたが、ベアモン自身もそちらに意識を向けている場合でも無い。
何故なら、息つく暇も無く、次の攻撃が襲い掛かろうとしているのだから。
「!!」
尻尾での攻撃から間髪入れずに、モノクロモンは火炎弾を放っていた。
ちょうどモノクロモンの顔面に向かって拳を叩き込むために走っていて、途中で吹っ飛ばされる仲間の姿を見て、迂闊にも余所見をしてしまったベアモンの方に向かって。
「ベアモン!!」
一瞬遅れて反応したベアモンは走行の勢いを踵で殺し、右側――ギルモンのユウキが吹っ飛ばされた方向に跳躍しようとした。
「……っぁ……!?」
だが避け切る事が出来ず、放たれた火炎弾はベアモンの左足を掠る。
膨大な熱量を含んだ火炎弾は、直撃をさせずとも火傷を負わせるだけの効果があって、ベアモンの左足には黒く焦げ付いたような痕が残っていた。
「ぐ……!!」
足から伝わる激痛に歯を食いしばって耐えながら、両手の力で立ち上がろうとするベアモンだったが、そんな都合の悪い時に敵が待っていてくれるわけも無く、モノクロモンは左の前足でベアモンを踏み潰そうとする。
それを横に転がる事で回避するベアモンだが、今度は右の前足が振り下ろされる。
「くっ……!!」
だがベアモンはもう一度同じ方向に転がる事で避け、その回転の勢いを止めずに数メートルほど距離を離した後に右の膝を地に着けた状態で立ち、体勢を立て直した。
火傷の痛みに耐え、少し前まで遊びで入っていた場所の方を向きながら、ベアモンは内心で呟く。
(……火傷なら、水辺で応急処置は出来る。昨日と違って痛みを我慢さえすれば歩けるはずだし……問題なのは、この状況をどうやって切り抜けるかなんだ……まさかあのモノクロモンが、ここまでしてくるなんて……)
ただ単に殴っているだけで、強力な鎧竜型デジモンであるモノクロモンに戦闘不能になるまでのダメージを与えられるとは思えない。
エレキモンの電撃で神経を麻痺させて行動不能にする事も手段の一つだが、ただ普通に当てるだけで気絶させる事は難しいだろう。
(……水辺を利用してやろうにも、どうやって? あの巨体をどうやって川に誘き出せば……あの重量級のデジモンを投げ飛ばす事なんて今の僕にはとても無理だし……)
考えても、好ましい結果を得られる打開策は浮かんできてくれない。
一つだけ、たった一つだけこの状況を簡単に打破出来る可能性があるとすれば。
(……今、この場でユウキが先日行ったように『進化』を行う事)
ユウキの種族であるギルモンが進化したデジモン――グラウモンのパワーがどれほどの物かを、ベアモンはあまり詳しくは知らない。
モノクロモンの体表にある硬い物質は、ダイヤモンドと呼ばれる鉱物と同じ硬さを持っているらしいのだが、森育ちのベアモンは銅とか銀とかの鉱物に関心を持った事が無いため、とりあえず『もの凄く硬い石』と認識している。
故にベアモンの考えは、モノクロモンの体表に存在する硬い物質は熱にも強そうだが、進化前のギルモンの前足にある爪は、岩石すら砕く事が出来る(と言われている)から、成熟期に進化したらそれが更に強くなって太刀打ちが出来るだろう、といった物だった。
だが、結局その可能性は前提条件として『ユウキが自発的に進化を出来る』事が必要となる。
それに、その可能性を思考に浮かべたベアモン自身、それをあっさり肯定しようとは思わなかった。
(……また、ユウキにも無理をさせるわけにはいかない)
それは単なる正義感からか、出会って二日程度の友達に対して向けている、傍から見ればちっぽけな友情からか。
ベアモン自身も何故こういう場面に自分の身を考慮しないのか、とエレキモンに怒鳴られた事があったりした覚えがあり、それに対する返答もエレキモンからは『納得出来ない』と返されている。
(……僕が、守らないと)
そう内心で呟いた時、電気のバチバチと鳴る音と共に、モノクロモンの視界の外からオレンジ色の電撃がモノクロモンの尻尾に直撃し、明らかに怒りの感情が混じった吠え声が響いた。
モノクロモンの視界が、ベアモンの居る場所とは違う方向を向いた。
先ほどからモノクロモン自身を一番攻撃している敵――エレキモンが居る方向を。
エレキモンもそれに気付き、九つの尻尾を広げて威嚇をしながら安い挑発を送る。
「ほらほら!! かかってこいよデカブツ!!」
案の定、モノクロモンはエレキモンの居る方目掛けて火炎弾を放ったが、エレキモンは四つの足で駆けて射線から外れる。
火炎弾が当らない事に苛立ちでも感じたのか、モノクロモンはただ単に火炎弾を撃っているだけの攻撃パターンを中断し、四つの足を荒々しく動かしてエレキモンを追い駆け始めた。
負傷しているベアモンを放置したまま。
(囮作戦!?)
エレキモンの行動の意図は簡単に掴めたが、それはベアモンからすれば一番受け入れ難い案だった。
確かにエレキモンが逃げ続け、その間にユウキを連れて逃げる事が出来れば、ひとまずベアモンとユウキだけは助かる可能性が高い。
だが、囮役のエレキモンがもしも逃げ延びる事が出来なければ……それはベアモンにとって、自分の願いを裏切られるも当然の結果になる。
(駄目だ……こんな時、どうすれば……!?)
「ヴォルケーノストライク!!」
モノクロモンは走りながら口から火炎弾を放ち、駆けているエレキモンを仕留めんとする。
「ヴォルケーノストライク!!」
ただしそれはそれまでの火炎弾と違い、種族としての必殺技の名を言いながら放たれた、一回り大きな火炎弾だった。
それを避けようとしたエレキモンだったが、火炎弾はエレキモンのすぐ後ろの地面に着弾。
爆発した。
「どわああああああ!?」
直撃こそしなかったもののバランスを崩し、転倒するエレキモン。
追撃とでも言わんばかりに、モノクロモンは倒れたエレキモンに対してもう一回火炎弾を放とうとする。
「ドジった……!!」
今の状態では、あの大きな火炎弾を避け切る事が出来ない。
「エレキモンッ!!」
ベアモンは左足から電流のように走る火傷の痛みにも構わず走り、手を伸ばすがそれが届く事は無い。
どんなに早く走ったとしても、もう遅い。
「やめろおおおおおおおおおおおおッ!!」
「ヴォルケーノストライク!!」
そして残酷にも、必殺の技の名と共に火炎弾は放たれた。
エレキモンは自身に迫り来る死に対し反射的に目を瞑り、ベアモンの脳裏には最悪の未来図が脳裏に過ぎる。
だが。
来るはずだった死は、訪れなかった。
火炎弾はエレキモンに直撃する前、射線上に割り込んで来た別のデジモンに直撃していた。
「………………」
ベアモンにはそれが誰なのかを理解する事は出来たが、それをすぐに声として出す事は出来なかった。
そして、自身に訪れるはずだった死が来ない事に疑問を抱いているエレキモンは目を開け、その姿を確認する。
「……ユウキ!?」
つい先ほど、モノクロモンの尻尾に打ち飛ばされ倒れていたはずのデジモンだった。
彼はモノクロモンの必殺技からエレキモンを身を挺して守れた事を確認すると、苦しそうな声で言葉を呟く。
「……だい、じょうぶ……か……?」
「大丈夫って、お前の方こそ大丈夫かよ……!?」
だが、互いの安否を確認する間も無く、モノクロモンの角が迫る。
「!!」
ベアモンはそれに気付くと、ユウキがそうしたように二人の盾となるように立ち塞がる。
(死なせてたまるか……!!)
偶然にも先日、フライモンの奇襲から仲間を守った時と状況は似ていた。
抱いている感情も、言葉だけで言えば同じ物。
(こんな所でッ……)
死んでほしく無いから。
願いはただ、それだけ。
(死なせて……)
絶対に、守る。
そのためなら自分の命を賭ける事に躊躇はしない。
心に抱く願いと、それを叶える原動力となる意思は、ベアモンの電脳核を急激に回転させて。
「たまる……かあああああああああッ!!」
モノクロモンの角がベアモンに当たる直前。
ベアモンの体を軸に、青空のように青いエネルギーの繭が形成され、モノクロモンの進行を防いだ。
そしてその繭の中で、ベアモンの体は強く、逞しく成熟していく。
「まさか……ベアモンも……?」
エレキモンの呟きと共に繭は内部から切り裂かれ、内部から一体のデジモンが現れる。
青みがかった黒い毛皮に覆われた逞しき躯。
殺傷能力を秘めた鋭い牙や爪。
額には白く三日月のような模様が描かれ、両前足に『熊爪』を装備したデジモン。
その名も、
「ベアモン進化――グリズモンッ!!」
「………………」
進化による大幅な身体情報の更新による影響なのか、左足に受けていた火傷の痛みは消え去っていた。
全身に力が漲り、痛みが無くなった影響からか思考がやけに冷静になる。
先ほどまで脅威として映っていた敵が、今では恐れる必要も無い存在として視界に映る。
(……これが、進化……)
少し前まで『成長期』のデジモンであるベアモンだった『成熟期』のデジモン――グリズモンは、進化に伴った自身の変化に対してそう呟くと、目を一度後ろの方へと向けた。
彼の姿――と言うより『進化をした』という点について驚いているエレキモンと、背中に大きな火傷を負って倒れているギルモン――ユウキの姿が見え、その後改めて前を向くと、3メートル程離れた位置に襲撃者であるモノクロモンが熱の篭った息を荒立て、興奮しながら健在しているのが見える。
進化をする直前には目前に居たのにも関わらず距離が離れているのは、進化の際に発生した膨大なエネルギーの繭によって弾き飛ばされたからだろう。
突然目の前に現れたグリズモンの事を新たな敵として、それも一番の脅威として捉えているからなのか、警戒して自分の方から突っ込んで来るつもりは無いようだ。
(……この姿がどのぐらい維持出来るのかが分からない以上、モタモタしてる余裕は無い、か……)
この状況でグリズモンにとって達成するべき勝利条件は二つ。
(……モノクロモンを戦闘不能にし、エレキモンもユウキもこれ以上は傷つけさせない)
進化して一転、状況はただ好転しているわけでは無い。
結局モノクロモンをグリズモンが倒せなければ、その時点で三人の命運が確定してしまうのだから。
そして、その状況を理解しているからでこそ……グリズモンは、それ以上考えなかった。
「ヴォルケーノストライク!!」
モノクロモンの口から火球が放たれる。
グリズモンがその行動に対して起こした行動は、とても単純な事だった。
「ハアアアアアッ!!」
赤色の防具が装備された両方の前足を縦に思いっきり振るい、火炎弾を真っ二つに両断したのだ。
分断された火炎弾はグリズモンとその背後に居る二人の居る場所のすぐ横を通り過ぎ、水辺の向こう側にあった岩肌に当たる。
赤熱されたそれを視認するまでも無く、グリズモンは攻撃と同時に地に付けた前足を使って四足歩行で駆ける。
必殺技を放った反動からか、モノクロモンはグリズモンの接近に対して直ぐに対応する事は出来ず。
迎撃しようと次の火炎弾を放とうとした頃には、既にグリズモンが自身の攻撃の有効射程内に辿り着いていた。
「フンッ!!」
四足から二足歩行に転じたグリズモンの太く重い右前足が振り下ろされ、金属の鳴る音と共に、モノクロモンの顔面が顎から石だらけの地面に叩き付けられる。
地に伏せるような体勢にされたモノクロモンは、反撃とでも言わんばかりにグリズモンの胴部目掛けてダイヤモンド並の硬度を持つ鼻先の角を突き立てるが、グリズモンは斜め後ろに半歩下がる事でそれをいなし、今度はアッパーカットのように左前足で顎を殴り上げ、右前足でもう一回同じ要領で打撃を加えた。
すると、顎の下から突き上げる衝撃によってモノクロモンの上半身が宙に浮き、これまで狙う事が出来なかった部位が丸見えとなる。
グリズモンは、そこで腰を深く落とす。
「……すぅ~っ」
そして、狙い打つ。
成長期の名残を含んだ、必殺の正拳付きで。
「樋熊正拳突きッ!!」
真っ直ぐ放たれた拳がモノクロモンの腹部へ突き刺さり、鈍い打撃音と共にモノクロモンの巨体が5メートル程先まで打ち飛ばされる。
重量級の体な故か、モノクロモンが着地した周辺の大地が鈍く地鳴りの音を鳴らす。
「……すげぇ……」
目の前の光景に、エレキモンはただ圧倒されていた。
「グゥォオオァァッ!! ガァッ!!」
だが、渾身の一撃を加えて尚、モノクロモンは倒れない。
今の連撃によって怒りが更に大きくなったのか、頭に血が上って更に荒々しくなっている。
野生のデジモンが怒ると動きが荒々しくなる事はグリズモンも知っているが、彼からしてもこの怒りっぷりは異常と思える物として映っている。
(……やはり、これは普通じゃない……)
だが、原因が分からない以上、戦う力を奪う事しか手段は無い。
辺りの地を踏み鳴らしながら、堅き鎧の竜がこちらに向かって角を突き立てながら突進してくる。
グリズモンはそれに対して真っ向から立ち塞がり、両方の前足で槍の如き角を受け止めた。
「……ぐっ……!!」
「グゥォオオオオオオ!!」
事前に身構えていたにも関わらず、グリズモンの体が徐々に後ろの方へと押し出され始める。
ザリッ、ジャリッ、と……少しずつ、自分の守りたいものが居る所へ。
後ろ足で重心を支え必死に踏ん張るが、モノクロモンの重量と力は強大だ。
(負けるか……絶対にッ……!!)
だが、グリズモンの闘志は折れない。
むしろ、絶望的な状況が感情を更に激しく昂らせ、どんどん四肢に力が漲らせていた。
彼は、自身の体の負担の事など一切考えもせずに、モノクロモンの鼻先の角を掴んでいる両方の前足に力を込め続ける。
そして。
グリズモンは前足を、進化と共に手に入れた力を一気に解放するように振り上げた。
「グッ……ウオオオオオオオオオオオッ!!」
咆哮と共に、モノクロモンの巨体が宙に投げ上げられる。
「グオオオオオオオッ!?」
モノクロモンは足掻きとして前足と後ろ足をバタバタと動かすが、当然その行動は状況に何の変化も与えない。
グリズモンは重力に従って地に落ちてくるモノクロモンを見据え、拳を当てる部位に狙いを定めてから、最後の一撃とでも言わんばかりに敵、そして自分自身に対して宣告する。
「必倒――」
言霊を呟いた直後。
落下してくる角度と垂直に森の武闘家の拳がモノクロモンの顎に炸裂し、轟音が響いた。
巨体が、重戦車の如き重量を含んだ竜の体が吹き飛び、仰向けの状態で地面に落ちると共に地が鳴る。
グリズモンは突き出した拳の力を少しずつ緩めながら、最後に必殺の名を告げた。
「――当身返し」
必殺の一撃をその身に受けたモノクロモンは、仰向けになった状態からそれ以上起き上がってくる事は無かった。
そして、モノクロモンが戦闘不能になった事をグリズモンが確信したと共に、グリズモンの体が再度青い光に包まれ、そのシルエットが少しずつ小さくなり始める。
僅か数秒が経ち、収縮と光が収まると、グリズモンは進化する前の姿であるベアモンに戻っていた。
「……っはぁ……はぁっ……!!」
よほど無理を通した反動が大きかったのか、地に片膝を着いて苦しそうに息を荒げている。
回数を重ねていくごとに電脳核が馴染んでいき、やがて自分の意志で操る事が出来る力だと言われているが、体力に自信のあるベアモンでも、その強大さを十分に理解出来るほどに疲労していた。
普段は活発に動く体が、今では鉛のように重く感じられる。
これが、時に感情によって発現される『進化』の力――その対価。
あまりにも激しい疲労感に、ベアモンの体が地面に崩れ落ちそうになる。
その時だった。
「……ったく、大丈夫か?」
崩れ落ちそうになったベアモンの体を、何者かが受け止めたのだ。
後ろから背中を眺めていたエレキモンと受け止められたベアモンは、この場に現れた新たな来訪者の姿を見ると、予想外とでも言わんばかりに驚きの表情で名を口走る。
「「……ミケモン!?」」
「……ようお前ら、よく頑張ったな。見直したぜ」
何故このような場所に、ギルドで留守番等をしているはずのミケモンが居るのか。
そう疑問を浮かべるベアモンとエレキモンだが、当の本人であるミケモンは言葉を紡ぐ。
「とりあえず、そこのギルモンの応急措置が先だな。腹も減ってるみたいだし……これ、食うか?」
そう言うミケモンの片手には、齧り立ての果実が一つ。
休憩のつもりが戦闘になり、そしてまた休憩の時間を取る必要が出て来たようだった。
次話へ