巡る季節1:入院食
「あー、はい。結論から言うと、命に別状は無いね。火傷の痕は少し残ると思います。が……まあ、目立つ程では無いでしょう」
淡々と言い渡された診断結果はそんな感じで、医者の態度は(仕事なんだから当然なんだが)事務的かつ他人事だった。
お陰で、逆に安心した。
本当に、大事は無いんだって。
「という訳で、軽い火傷だそーです」
「軽い火傷で良かったですね」
診察後、俺は通話可能スペースに出て、以前教えてもらった直通の電話番号で、フウマモンに診断結果を伝えた。
心配して、業務外で個人的にも通ってくれていたらしいので、連絡ぐらいはしなければと思っての事だが……
「……前から思ってたんだけどさ、フウマモン。お前、結構なんていうか、ミームに毒されてるよな?」
「今のは貴方のフリに起因するものです。相手の要望に正しくお応えするのが、できる忍者です故」
できる忍者なのは事実だとは思うが、このままだとロードナイトモンの限界オタクじゃなく普通のオタクでは? と俺は訝しむ。
……なんてアホみたいなやり取りをしていると。不意にフウマモンが、小さく息を吐いたのが、通話口から伝わってきた。
「何にせよ、無事で良かったです。拙者ももちろんですが、ワルダモン殿やトノサママメモン殿。……そしてロードナイトモン様も、心配しておられましたから」
「……」
特にワルダモンーーピエモンとフェイクモンの師匠の取り乱しっぷりが酷かったとは、既に聞いている。
仕方のない話だろう。なんたって、俺に怪我を負わせたのはーー
「……まあ、怪我はマジで大丈夫だって、伝えといて」
丸一日意識が戻らず、戻ってからもなんとなく頭がはっきりしなかったのは、現代日本ではまず馴染みの無い「爆発」を間近に受けた心因性のショックが大きいのだそうだ。
もしも炎や強い光、大きな音でフラッシュバックが起きるようなら、後からでも精神科に紹介状を書く、と。医者も言っていたっけか。
……だから、身体以上に。精神的な面で、今は不安が残っている。
ファイヤーパフォーマンス。
スポットライト。
艶やかなBGM。
俺はーーあの世界に。サーカスに、戻れるのだろうか。
「退院の日程が決まったらまた連絡するよ」
「了解しました。明日以降警察の聴取等もあるかもしれませんが、どうか御自愛ください」
「うへー、めんどくせー」
不安を誤魔化すように軽口を叩いて、通話を切る。
「……」
切り替わった画面。
電話の通知欄に、ピエモンの端末の番号は無かった。
*
結論から言えば、フェイクモンが俺に使った爆弾は、かなり威力を抑えたものであるらしかった。
完全体デジモンの本気の一撃を受けて、人間に形が残るワケが無い。
(周りが周りなので正直実感は湧かないが)、完全体だってひと握りの、十分に高みへと至った存在なのだから。
じゃあ、フェイクモンは結局、ピエモンから何を奪った気でいたのか。
その答えは、共有スペースのテレビが、スマホのネットニュースが、SNSが。全ての情報媒体が、嫌になる程。嫌になっても、教えてくれた。
「……ふざけんなよ」
吐き捨てて。
項垂れる。
ピエロの姿をしたデジモンによる、民間人の襲撃事件
フェイクモンの起こした事件はそのように報道され。
そして、世間が知っている「ピエロの姿をしたデジモン」は、正式名称の公開されていなかった「一昨年に次元の壁を突き破ってやって来た魔人型デジモン」だ。
ロードナイトモンが別個体だと訂正しているが、焼け石に水状態。
むしろ、やはりデジモン同士、同じ組織の所属者同士庇い立てしていると叩かれている始末で、夕方のニュースじゃ謎のデジモン専門家達が代わる代わる、人間とデジモンの関係の見直しを声高に訴えていて。
……ピエモンが見舞いに来ないのも当然だ。おちおち出歩けやしないだろう。
病院にも迷惑がかかるという事で、今のところはロードナイトモン達が睨みを利かせてくれているようだが、退院が近い以上、俺自身もマスコミに押しかけられるのは時間の問題だろう。
嗚呼。
何を、勘違いしていたのだろう。
人とデジモンが当たり前のように手を取り合って生きている世界なんて上辺だけで。
俺の周囲がたまたま上澄みだっただけで。
世間はそんなにデジモンが好きじゃなくて。
優しくもなんともなくて。
こんなにも、心無い言葉で溢れ返っている。
「はぁ」
溜め息混じりにスマホのWEB画面を切る。
見なきゃいい話なんだが、根っからの現代っ子である俺は、生憎他の時間の潰し方を知らない。
1階の売店に降りれば漫画なんかは買えると思うが、人の多い場所にわざわざ顔を出す気にはとてもなれなくて。
唯一の楽しみーーいや、本音を言えばそんな楽しみでもないのだが、時間経過を明確に示してくれるのでその点は助かる的な意味でーーは、やはりと言うか、食事の時間くらいだった。
「いただきます」
白いトレーに並べられた、プラスチック製の器と、そこに装われた色のうっすい料理。
半透明の蓋を開けると、すっかり冷めた大根の鶏そぼろあんかけが顔を出す。
見た目通り、味が薄い。なけなしの鶏挽肉も、なんというか、もそもそしているし。
別に病人として入院してる訳じゃないんだから味付けはもう少し濃くても良さそうなもんなんだが、まあこればっかりは量を作っている以上仕方が無い。
それに、なんだかんだ言っても食べやすいようにか、大根はとてもやわらかい。
何より人に作ってもらった飯というのはそれだけでありがたみが段違いなのだ。
「大根かあ」
そうだ。もう大根がお安くなる季節だ。
帰ったら、呑兵衛向けの濃い味に直した大根の煮物でも作ってやろう。……ああ、おでんもいいな。少し奮発して、タコの足なんかも入れよう。
ああ、冷凍のロールキャベツも一緒に買おう。ピエモンの事だから、これまた邪道ですねだのなんだの言うに違い無い。ロールキャベツは和出汁にも合うと、そのポテンシャルを伝えてやらねば。
「……ごちそうさまでした」
なんて。
飯を食いながら飯の事ばかり考えている内に、器は綺麗に空になっていて。
我ながら、どうかなって感じの食べ方だなぁ。……腹はそこそこ膨れてるけど、食う前より食欲が湧いてるまであるし。
ま、痛む箇所はそこそこあるとは言え、食欲があるのは元気な証拠だろう。
自分で思っているより俺は図太くて、
だから、これからの事も、それなりになんとかなるだろう。と。
……ただ、そう思いたかったのかもしれない。
「……」
習慣的に、また用もないのにスマホを開いてしまう。
当然、特に通知も入っていない。入っていたとしても、惰性で金も入れずに続けているようなアプリのものくらいだ。
「電話はしゃーないとして、メッセージくらいくれりゃいいのに」
ひとりごちって。
……でも、わかっている。
正確には、全く連絡が無かったワケじゃない。
診察結果が出た直後に、その内容と、特に心配はいらない云々と添えてこちらからメッセージを送って。
既読は秒で付いたのに、返事はその30分後。無料のスタンプで『OK』と。……それきりである。
アイツはそういう奴だ。
きっと散々返事を悩んで、何にも気の利いた台詞が思いつかなかったのだ。
ピエモンが舞台の上で取り繕っている面程器用じゃ無い事は、きっと、人間の中では、俺が一番よく知っている。
だからーーそうだな。
もう日程自体は決まっているけれど、兎に角早く元気な姿を、直接アイツに見せる以外に、一番いい方法は無いだろう。
……で、目下の問題は、退院の日までの暇の潰し方に戻る訳だがーー
「!」
その時。突如としてスマホの画面が通話受信状態に切り替わった。
慌てて持ち直し、相手を確認しーー落胆する。
番号が表示されているだけ。
登録してある相手じゃ無い。
……ただ、その番号には覚えがあって。
多分、勘違いでなければ。
お袋のスマホの番号だ。
実家を飛び出した後、スマホも完全に新調して、新しい番号は教えていなかった筈なのだが。
大方、団の方に連絡を入れたのだろう。就職先だけは教えて行ったから。
……いや、落胆しちゃダメだな。
そっか、そうだよな。
いくら思うところがたくさんあったからってーー家族、だもんな。
事情を知って、心配してかけてきてくれたなら。……それを無碍にするのは、流石にいかがなもんだ。
とはいえ病室でそのまま応答する訳にはいかないので、部屋を出る。
通話可能スペースの端で、一度切れた番号へと、折り返しかけ直した。
*
「うるさいっ!! アイツの事何にも知らないクセに!!」
ちゃんと調べました、デジモンの事。
インターネットにたくさん悪い記事が出回っていましたよ。
そんな良くない『モノ』と遊ばせるために、送り出したんじゃありません。
あなたを大学に行かせるまでにどれだけお金がかかったと思ってるの。
あのね、お隣さんのお嬢さんなんて、もうちゃんと結婚して子供まで
「二度とかけてくんな!!!!!」
世界は、なんにも変わっちゃいなかった。
*
周囲の奇異の目を振り払い、お静かにと咎めに来た看護師にだけは頭を下げて。
ベッドに潜って。
今と昔の苛立ちを脳内で無限再生して。
……世間体の事ばっかりで、ひとことも、大丈夫かとすら聞かれていない事に気付いて、惨めになって。
段々、疲れたんだと思う。
俺はいつの間にか眠りに落ちて。
そうじゃなきゃーー夢でもなきゃ。
入院中以前に裏方の俺が、サーカスの舞台に立ってるワケが無いもんな。
「……声を出せる程度には元気そうな点については、安心しました」
「なんだよ、見てたのかよ」
舞台の端に腰を下ろす。
観客席の最前列。
何故か幕でもかかっているかのように上半身からほぼほぼ見えないが、見慣れた魔人の、先のくるんと巻いた黄色い布靴が覗いていて。
「返信のスタンプに、魔術で少し、細工を」
「なんだよ、返事に迷ってたんじゃなくて、魔術使うのに30分かかったのか?」
「いえ、細工自体は5秒で済みました」
「そうなんだ……」
「ええ。……兄弟子は、私のそういうところが嫌いなんでしょうね」
「……」
「ここまで嫌われているとは、思いませんでしたけど」
ピエモンの声は、ひどく落ち着いている。
「……自分が悪い、とか思ってないよな」
「思わないのは難しいです。あなたが御母堂の物言いに、私に対して勝手に責任を感じているように」
「……そっか」
「でも、何故でしょうね。気分は、そう悪く無いです」
「うん?」
「だって、あなたの憤りは、私を友だと思ってくれているからこそでしょう?」
「まあ……」
「あんな目に遭わせてしまった直後なのに」
だから、嬉しかった。と。
顔も見えないのに、それはもう申し訳なさそうに。
「あなたに出会えただけでも、私は、こちらの世界に来て良かったと思っていますよ」
ピエモンが、笑っているのが判った。
「……国からさ」
流れを切るように。
一瞬悩んでから出て来たのは
「お金、出るらしい。賠償金? 的な??」
下世話な話。
「はあ」
「焼肉しようぜ、焼肉。国の金で」
「あのねぇ」
ピエモンが、一気に気の抜けたような溜め息を吐き出す。
「仮にも火傷で入院しているのに、そのチョイスはその、あまりにも悪趣味では?」
「じゃあ食べたく無いのか」
「食べたく無いなんてひとことも言っていないでしょう。ビールも普段よりいいヤツ買わないと承知しませんよ」
「あとさ。前に言ってた、北海道行こうぜ。海鮮食いに行こう」
「陸地と海上、どちらを走った方がいいですか?」
「バカ、この流れならフェリーか飛行機に決まってんだろバカ。これも国の金で乗るんだ。そんで向こうで蟹を食う」
「……ター……」
「ん?」
「本場の塩辛じゃがバターを、食べてみたいんですが」
「……あれはな」
「……」
「飛ぶぞ」
「……ごくり」
それから俺達は、まだもらってもいない俺の金で、たくさん皮算用をした。
食べたいもの。
旅行の予定。
それからやっぱり、酒のこと。
……そんな話ばっかりしてたもんだから、うつ伏せに寝ていた俺は、目が覚めるなり自分の頬が涎でべっとり濡れている事実を突きつけられて。
「うわー。……うわー……」
口周りでこれなんだから、枕はもっとひどい。
これ、変えてもらえるんだろうか。もらえないと、困る。
とはいえ今はまだどうしようもないので、共用の洗面所でひとまず顔を洗って歯を磨き、ベッドに戻って、朝食まではあと何時間何分かを確認する。
「……」
不在着信1件と、未読メッセージ1件。
両方、フウマモンから。
直接伝えたいから、こちらの時間は気にしなくていいから起きたら連絡をしろと。
昨日の今日だ。
ナースセンターの目の前にある通話可能スペースに入って行くのは大変気が引けたが、向こうも1人の患者に構ってなどいられないのだろう。
慌ただしそうな彼ら彼女らを尻目に、俺は時間帯的にまだ人のいないスペースの、それでも奥へと、入り込む。
フウマモンは、3コールもしない内にこちらの電話を取った。
気付かず眠りこけていたのが、申し訳なかった。
あんな時間に
入院患者に対しての電話だ。
内容なんて、大体わかってた。
「自首、という事になります」
「……」
「「許可も無く魔術を行使したので、公になって罪が重くなるより前に、デジタルワールドへの強制送還という形で手打ちにしてほしい」と」
デジモンの強制送還は、ロードナイトモンの一任で即時行う事が出来る。
違反事項の調査や取り調べはそのデジモンがデジタルワールドにいても出来る、というか、その方が都合が良いまであるからだ。
だから、もう。
受諾されたとの事だ。
……なんだよ、全くよ。
顔見えなかったの、アレかよ。合わせる顔が無いってか。
そういう意味じゃ、無いっつーの。
「焼肉」
「……はい?」
「焼肉食いたいとか、北海道行きたいとか」
「……」
「言ってなかった? アイツ」
「……いいえ」
「そっか」
身体から、力が抜ける。
「そっか、……そっかあ」
口に出しているのは、同じ音の繰り返しの筈なのに。
唐突に詰まった鼻と熱っぽくなった目元のせいで、碌に言葉に、ならなかった。
初めまして。類と申します。
此度は、快晴さんの作品を読み、「素敵な小説だ! 感想を送りたい。だけどサロン新参者だし、洒落た言葉も言えない。こんな素敵でお洒落な小説を書く方に、そんな者が感想を送っていいのだろうか?」と思いましたが、「感想は送れる時に送った方が良い」と決断し、今回、拙いものですが感想をお送りします。
宅飲み道化、とても素敵な作品でした。
人とデジモンの、食事を通した交流……素敵な題材だ、面白いと思いながら読んでいました。ですが、料理というどこか和やかなイメージを浮かべながら読んでいると、主人公さんのエピソードに胸を鋭く刺され、本作品が「和やかなだけじゃない現実と人生」のお話だと痛感しました。
料理の描写が大好きです! 読むと、頭の中で料理の図が浮かぶ見事な文章だと思っております。
私はお酒が飲めない体質な上、料理は好きだけど下手という人間なので、主人公さんの手際のよさに惚れ惚れし、お酒による交流を羨ましく思いました。
個人的に作中で一番好きなメニューは、マッシュポテト乗せ鰆とコロッケとガトーショコラです!
あと作者様の作品、デジモンアクアリウムも大好きです!!
それではここで、拙い感想を終わりとさせていただきます。
長々と失礼しました。