秋分の日編:鶏胸肉のづけ焼きとビール
暑さ寒さも彼岸まで。……なんて言う割に彼岸に入ってもずっと暑いなとは思っていたが、クーラーを夏と同じ温度で入れると思いの外肌寒かったりして、そんなこんなで秋を感じ始めた今日この頃。
気温の他にも、思わぬところで季節の移り変わりを教えてくれるものも、案外身近にあって。
「あー、そういや残ってたんだっけか」
冷蔵庫のポケット。何かと突っ込んである他の調味料に埋もれがちだったボトルが、ふとした拍子にひょいと顔を覗かせる。
ご存知、夏の味方。そうめん……の、つゆである。
先週末にそうめんを食った時、使い切ったもんだとばかり思っていたのだが……やれやれ、自分の記憶力すら当てにならない。それに、なんだかんだ言っても使用頻度自体が、まず随分と落ちたような気がする。
メーカーの指定通り、開封3日で使い切れる季節も、いつの間にやら過ぎ去っていたという訳だ。
「どうすっかな」
とはいえめんつゆなんて大概何にでも使える。和のものなら主菜でも副菜でも汁物でも。だからこその「どうすっかな」だ。
この前の3連休を境に、サーカスは秋休み。もちろん業務やトレーニングは何かとあるが、土曜日と祝日が重なる本年度の秋分の日は、フツーに俺らもお休みである。
もちろん平日もそうしているとはいえ、なんとなしにピエモンと「休日飲みするかぁ」となったのも、自然な流れと言えば自然な流れ(?)で。
さっきの台詞をより正確に口にするなら、「今日の肴はめんつゆを使ってどうすっかな」になる訳だ。
一旦冷蔵庫を閉めて、スマホで近所のスーパーのチラシを確認する。
とはいえ祝日のスーパーはどこも休日特価を謳う割に若干割高……というか、値引きされてもお高い国産のステーキ肉がメインを張っている印象で、庶民のお財布にも優しそうに見えるのは、季節もののおはぎぐらいか。……いや、ホントに安いのかな。普段食わんとわからんな。
「直接行くか……」
どうにしたって最終的には足を運ぶしかないと、家を出る。
日差しがあるとまだまだやっぱり暑いのに、空の高さだけは、一丁前に秋模様だ。
*
「っつー訳で脳内議論を重ねた結果、今日のメインディッシュは鶏胸肉だ」
「うーん、家計の味方!」
ポリ袋に入れてめんつゆとにんにくと生姜(両方チューブ)に漬け込んでいた、一口サイズにカット済みの鶏胸肉を冷蔵庫から取り出すと、まあそうでしょうねと言わんばかりのしたり顔でピエモンはうんうん頷いた。
相変わらず季節を先取りした財布を揶揄っているのだろうが、給料が同じ奴のそれは、ただの自虐である。
「とはいえ鶏胸肉って、なんだか調理が難しそうな印象なんですが。その辺どうなんです?」
「そうかぁ? いうて下味つけたら後は焼くだけだぞ」
「そうなんですか。いや、鶏胸肉の料理って、大体「こうするとパサパサしなくなる」みたいな紹介の仕方をされているので、パサパサがデフォなのかと思いまして」
「あー、それならちょっとあるかも」
だが、いうて下味の段階で、大抵の場合は柔らかくなってくれる印象だ。
今回のめんつゆにしたってその類。1時間ほど漬けるだけで、お肉が柔らかくなる……と、言っていたのはどの媒体だったか。
短時間で柔らかくしたいなら、マヨネーズもいいらしいが。何にせよ、人類。安い肉を食べたいがために、創意工夫を怠らないので、そういう意味では調理に頭を抱えがちな食材ではあるのかもしれない。
「まあ前にも作って、その時は大丈夫だったから、多分今回もいけるだろ。でも万が一パサパサしてたらスマン」
「まあそういう事もある時はあるでしょう。そんな時はアルコール入りの水分があればなんとかなります」
「……そういや豚だとビール煮とか聞くけど、鶏だとどうなんだろうな?」
あくまで酒を飲む口実だというならこっちも気楽なもんだ。
フライパンにごま油を敷いて、温まったらぶつ切りにしたネギを投入。こんがり焼き目がつくまで焼いていく。
ネギが焼けたら、選手交代。皿に取り出し、今度は鶏胸肉を漬け汁ごとフライパンに空ける。
焦がさないよう注意しながらしっかり火を通して、最後にもう一度ネギを戻して、残った漬け汁と絡めれば、あっという間に完成だ。
「ほい、鶏胸肉の漬け焼きだ」
「おお! おネギもついて焼き鳥風ですねぇ」
「そもそも焼いた鶏以外の何ものでもないけどな」
そして焼いた鶏なら、シンプルにビールが一番だろうという事で、出して来たのはすっかりお馴染みの安缶ビール。
「いただきます」
準備が整ってすぐに、俺達は手を合わせた。
ぱくり、と。まずはピエモンが、肉を一口。
「ん。おいしいです! 私の心配など杞憂でしたねぇ。しっとりしていて、食べやすいです」
「なら良かったよ。切り方とかで食感が残る事もあるからさ」
「しっかり味のついた鶏皮部分も、鶏ももの時とはまた違ったアクセントになっていておいしいです。……世の中にはこの部位を剥がして捨てる人種がいるんですよ? 信じられます??」
「まあうちではまず捨てないから安心しろ」
でもレシピとかで鶏皮を剥がしてると「なんで?????」ってなる気持ちはぶっちゃけわかる。
いや、カロリーの問題だってのはわからんでもないが。……気にしないでいいまま生きたいもんだ。
「あとやはり、いいですね、ぶつ切りのおネギ。相変わらず油断すると舌を火傷しそうですが」
早速あちち、と言いつつ、箸を止めないピエモン。
相変わらず、と言うならコイツの方で、こんな金も手間も大してかけていない肴で喜んでもらえるなら、なんだかんだ言って俺も作り甲斐がある。
安いもん、とは、あえて言わない事にしよう。
*
「ああそういえば。こちら、よければ食後のデザートにでもどうです?」
そう言って食器を下げたテーブルへと、どこからともなくピエモンが取り出したのは、パックに入った2つのおはぎで。
「なんだ、買ってきたのか?」
「いえ、フウマモンがくれまして。……なんか、お詫びだとかなんとかで」
「お詫び?」
改めて居間に腰を下ろす。
まあおはぎ自体は大歓迎だ。フウマモンのお菓子、前にもらった団子も美味かったし。
しかし歯切れの悪いピエモンの「お詫び」とやらは気になって、続きを促すと、彼は仮面の黒い方を、気まずそうにぽりぽりとかいた。
「ほら、この前の三連休の終わり、確か当世では『敬老の日』というのでしょう? 年長者を敬う日といいますか」
「おう」
「それで、ホワイトデーの二の舞を恐れて、師匠ーーワルダモンのところに、先に贈り物を持って行ったのですが」
「大体流れ読めたな」
「「妾を年寄り扱いとは。ほぉ〜ん? ええ度胸じゃのう?」と……少なくとも魔術ではないなんらかの技を極められまして」
「案外肉体派なところもあるんだな……」
「ルールにはギリ抵触してないそうですが、顔馴染みのデジモン同士でもむやみやたらに力を使ったのは事実なので、形式上お詫びに、という事だそうです」
「まあ、女性(?)の年齢に触れたお前もまあまあ悪いよ」
「理不尽……」
とほほ、と肩を落とすピエモン。まあ気持ちはわからんでもないが……割とそんなしょうもない師弟限界の後始末にも駆り出されるフウマモンが若干不憫というか。
おはぎはもらうけれども。
「まあ師匠を怒らせたのは兎も角、確かにフウマモンには迷惑をかけてしまいましたね。この時期は忙しい傾向にあるというのに」
「そうなのか?」
「ええ。なんでもこちらでいう彼岸の周辺時期は、デジモンの渡航量が若干増えるんだとか、なんだとか」
そういえばそんな話を聞いたことがあるような、無いような。
……デジタルワールドとこっちも、所謂彼岸と此岸の関係にある……って事なんだろうか。
「少し前になるので、厳密にはこの時期ではないのですが」
ふぅ、と、ピエモンが息を吐きながら、おはぎへと視線を落とす。
「私の兄弟子……いつか言っていた氷魔術の主席も、ロードナイトモンの下で働くべく、こちらに渡って来たそうで」
「そうなんだ?」
「まあ、直接顔は合わせていませんがね。予定が合わなかったらしく」
と言いつつ、そこまで会いたい相手ではないのだろうというのは、表情から伝わってくる。
いやまあ、わかるよ。ぼっち時代のリアル知り合いなんて、余程の事でもない限り俺だって別に会おうとは思わんし。
「そうなんですよねぇ。……ただ、今までの事を鑑みるに、またあなたにデジモンの知り合いが増える可能性はあるので。念のため、先に、ね」
「……そろそろウィッチェルニーの知り合いが、学生時代の多少はやり取りのあった知り合いの数超えるかもしれん」
言ってて切なくなってきたので、もう一度立ち上がって、冷蔵庫にお茶を取りに行く。
本当は温かいのを淹れるのがセオリーだろうが、生憎お茶パックなんて小洒落たものは置いていないし、やっぱり外はまだ少し、暑いので。
ま、今になってコイツの知り合いが1人増えたところで、大した変化も無いだろう。
それがいい事なら肴として話を聞けばいいし、嫌な事なら、酒を飲んで忘れればいい。
彼岸だ此岸だ言わなくても、遠い世界から来た道化は、いつも身近にいるワケだしな。
「緑茶とほうじ茶どっちがいい?」
「じゃ、緑茶で」
気安く答えるピエモンに、要望通り緑茶のペットボトルを持っていく。
酒の〆に彼岸の住民とおはぎというのもまあ、なかなか乙なモンだろう。
虚無。
リンゴが透き通るまで炒める、という工程は、なんというか、虚無でございます。
ジャム用などに細かく刻んだリンゴならまだしも、大きくカットした、そのままデザートとして出せそうなサイズのリンゴとなると、こんなものが本当に透けてくるのか、拙者、疑わずにはいられません。
バターと焦がした砂糖の香りが大層良いというのも理由の一つでしょう。このまま食べればいいのでは? 十分おいしいのでは? とついそんな考えが頭を過り。
あー。いけません、いけません。忍者の忍は、忍耐の忍。我、忍ぶ者。このような誘惑や惰性に負けてはならぬのです。
でもとりあえずひとかけら味見してみましょう。……うーん、まだしゃりしゃり! 中途半端に表面だけ柔らかく甘くなって微妙! 初志貫徹の精神の大切さが身に染みる味!
仕方ありません。これは拙者の始めた物語。素直に電子レンジを利用した簡単なレシピを採用すれば良かったのかもしれませんが、伝統を重んじた結果です故、最後までやり遂げる他有りますまい。
この虚無の向こうに、僅かにでもあの険しい表情を綻ばせるロードナイトモン様がいらっしゃると信じて……!
……やだ、想像しただけで顔が良過ぎる……しゅき……拙者、がんばっちゃう。
……っと、すっかり愚痴っぽくなった上に自己紹介が遅れましたね。
拙者はフウマモン。人間の世界で暮らすデジモン達の王、最強のロイヤルナイツ(フウマモン調べ)にして至高のイケメン(これは周知の事実)。ロードナイトモン様の一の子分、フウマモンでございます。お見知りおきを。
右腕、腹心に代わる表現を色々と探したところ、某国営放送のアニメーションから着想を得る事に成功いたしました。さしずめ拙者のポジションは青色といったところでしょうか。いや、それとも赤い方? とりあえずひよこではないっぴ。
「……っと、ぼーっとはしていられませんね」
煮物等なら鍋に火をかけたまま多少放置しても、むしろ味が染みていくのですが、砂糖ものはすぐ焦げてしまいます故、常にへらを動かしてかき混ぜ続けなければなりません。完全体の拙者と言えども、そこそこの重労働であります。
本日のスイーツは、タルト・タタン。
まあ、本日というより、明日の分なのですが。冷蔵庫でしっかり冷やして、明日のおやつの時間にロードナイトモン様に召し上がっていただくためのものです。
拙者、今日は非番でして。ピエモン殿の監視業務についても、久々に顔を見たいという要望もあり、業務にも慣れてこられたソーサリモン……フェイクモン殿が代わって下さる事となったのであります。
フェイクモン殿。良い方です。
師であるあの老魔女の世話を焼き過ぎるきらいはありますが、基本的に誰に対しても物腰が柔らかく、それでいて必要な意見はしっかりと上げられる。かつ社交的な立ち振る舞いは、ロードナイトモン様も高く評価しておられて。
やや容貌がホラーテイストなフェイクモンを進化先として選んだのも、かのデジモンの能力であれば、擬態を作る事が難しいデジモンにもそういったものを用意できるのではないかと考えての事らしく。
えらい。本当に、あの老魔女の弟子だとは思えませんね。反面教師か?
という訳でお休みではありますが、で、あれば。普段給仕室では時間がかかり過ぎて作れないお菓子を、と考え、旬のリンゴを使ったタルト・タタンを作ろうと思い至ったのであります。
このお菓子は、フランスのとあるホテルの経営者・タタン姉妹が考案したものだそうです。タタン。どういう意味なのかと思えば、人名。拙者、吃驚。
なんでも調理担当のタタン(姉)氏が、アップルパイを作ろうとしてうっかり砂糖でリンゴを焦がしたのがきっかけで出来上がったのが、いい感じにキャラメリゼされたリンゴのタルト、タルト・タタンなのだとか。
まさしく怪我の功名。……あれ? その逸話からすると、ひょっとして少し焦がした方が良いのでしょうか、このお菓子。
まあ狙ってやる以上はほどほどにいたしましょう。苦みが勝つ程焦がしてしまっては、折角のリンゴが可哀そうですからね。ロードナイトモン様もそうおっしゃる筈。お優しい。
と、色々な事を回想したりしなかったりしている内に、ようやくリンゴが丁度良い色合いとなって参りました。
ここからはより焦げやすいので、作業に集中。
さらに色がきつね色となってきたあたりで火を止め、少し冷まして味を馴染ませます。
さて、その間にオーブンの準備と、冷蔵庫で冷やしてあるパイ生地を出して、と。
ここまでくれば後はオーブンの仕事ではありますが、やることが、やることが多いですね……!
しかし――まあ。大変ではありますが。
ロードナイトモン様。いつもおいしいと言って食べてくださいますからね。拙者はその言葉が聞けるだけで、表情には出しませんがいつも感動に噎び泣き、脳内にキュピモンを大量に飛ばしながらハレルヤハレルヤ言うております。
作った側まで幸せになれる。……それ以上に素敵な料理などありましょうか?
……最近、お菓子を少し多めに作る事が増えました。
ロードナイトモン様にお仕えする中枢のメンバーが増えたというのもありますし――時々、ではありますが、ピエモン殿やそのご友人におすそ分けする事も、よくありますので。
このタルト・タタンも、甘いお菓子ではありますが、ある程度お酒にも合わせられるでしょう。洋酒であれば、なおの事。……本日は、新酒の赤ワインの解禁日だというお話ですし。
私がロードナイトモン様に菓子をご用意しようと思い至ったのは、何を隠そう、半分程あの青年の影響でございます。
何もかもがつまらないがためにこちらにいらしたピエモン殿が、ああも楽しそうに毎日をお過ごしになるようになった理由のひとつである「料理」とは、いかなるものか。……それは、ロードナイトモン様にも安らぎを提供できるものなのか。自分の目で、力で、確かめてみたかったのでございます。
なにせ拙者、一の子分でございま……一の子分でごんすから?
まあ残りの半分は全国にロードナイトモン様カフェを設立するためですが。今、通常業務と並行して、提携できる業者をひっそり探しておりまする。
ロードナイトモン様が、実際に拙者の料理に心を動かしてくださったのか。それはわかりません。
わかりませんが――最近ナイトモン達も、ロードナイトモン様と接しやすくなった気がすると噂しているだとか、なんだとか。
もちろん舐められては困りますし、そんな輩には拙者ブチギレ『舎利弗』の刑でありますが、ロードナイトモン様はみんなのロードナイトモン様。その魅力を拙者1体が独り占めするわけにはいきますまい。
恐れ、敬われるべきではあるとは思いますが――裁定者として恐れられるだけでなく、慕われてもいいと。あの方を傍で見ていると、拙者は、そう思うのです。
これは秘密、ですけれどね?
と――その時でした。
不意に鳴り響く、デジモン専用スマホ型端末の着信音。
キャラメリゼが終わった後で助かりました。キッチンからすっと移動し、2コール目に入る時には既に相手を確認。……って、老魔女(ワルダモン殿)ではありませんか。
「はい、フウマモンです。何の御用ですか? ワルダモン殿。拙者、本日は非番――」
電話の向こうで拙者の言葉を遮ったワルダモン殿は、ひどく声を荒げておられて。
ひょっとすると、泣いているのかもしれないと思うくらい。
「……え?」
拙者は、嘘だと思いました。
ですが、いくらワルダモンと言えども。そんな、度々自慢している弟子達を巻き込んでまで、そんな悪趣味な嘘を吐く筈が無くて。
甘い香りと、優しいきつね色の世界から、色とにおいが抜け落ちていくのが、拙者には感じられました。
『宅飲み道化』
次回、最後の季節へ。