マダラマゼラン一号様作
深い深い森の奥。
麗らかなある朝の出来事。
ずどぉんと、腹の底まで響くような。
大きな大きな銃の声。
森は静かなものだから、その音は遠く遠くまで。
木々の枝葉をざわめかせておりました。
「警告、警告。この先禁域。この先禁域。これ以上の侵入は、デリートの対象となります」
少し遅れて、合成音声が響き渡ります。
同時に電子バリケードが、とある区画をぐるりと囲むように展開しました。
その壁の手前。
胸を穿たれ六つ足に四つ羽、頭と長い尾をそれぞれ一つずつ、ばらばらに転がした一匹の虫が、無数の塵に変わって果てて行きます。
緑の森の色を映した瞳は、終の瞬間手遅れにも、蜂の腹にも似た黄と黒の囲いを見上げておりました。
「また、警告前に撃ったな。ギリードゥモン」
それからまた少し遅れて、無線から溜め息のように零れ落ちた、根を張る大木のように深く低い声に、虫―――ヤンマモンを撃ち殺した射手・ギリードゥモンは、ベリョータと名付けられたライフルの、砲身とは反対側の端、ストックと呼ばれる部分を肩から降ろしました。
ベリョータには「どんぐり」という愛らしい意味があるのですが、この銃から放たれる弾丸の威力は、もはや影も形も無い、ヤンマモンの屍が示す通りです。
「警告を待てば間に合わなかった」
ギリードゥモンは、木の葉のざわめきのように呟きました。
全身を覆う深緑のカモフラージュスーツが擦れ合う音にさえ、紛れてしまいそうな、細やかな声で。
「あれは、ひどく真っ直ぐに飛ぶ。行くのを許せば、きっと禁域にも入り込んだ」
「あれは羽ばたいたまま宙で止まる。止まる事が出来る。警告を目にすれば、きっと引き返した」
「きっと、ではならぬ。なんぴとたりとも、この地に足を踏み入れる事は許さぬ」
しばしの静寂。沈黙。
しかしすぐに、今度は本当に。
溜め息がざぁ、と砂のように。無線を通して音を乱しながら、ギリードゥモンの耳へと零れ落ちました。
「貴様」
ひり、と。カモフラージュの下の、紫の皮膚に緊張が走ります。
「よもや、殺しを楽しんでいるのではあるまいな」
「まさか」
しかし無線の相手の見当違いな言葉に、ギリードゥモンは鼻を鳴らしました。
「殺すのも殺させるのも、もうたくさんだ」
そうでなければ、殺しはしない、と。
木の葉が落ちるような声で、ギリードゥモンは囁きました。
「そうか」
それきり。
無線はぶつんと無機質な切断音を残して、何も言わなくなりました。
「そうでなければ、ここにはいない」
ギリードゥモンはもう一度ライフルのスコープを覗き込みました。
その視線は、既に電子バリケードが消え去った地点よりも遙か手前。
このデジモンの、ほとんど足下。
高い高い塔の上で銃を構え続けるかの射手が、塔自体に隔てられず覗ける辛うじて野範囲。
「お前さんにもう二度と、同じ思いはさせないさ」
剥き出しのワイヤーフレームが、青白く、幽鬼のように、朝の木漏れ日の中でさえ、淡く輝いておりました。
側面からも赤い突起の生えた鋭い鉤爪。
毒沼じみた紫の装甲。
背中に覆い被さるのは、8枚の血染めの翼。
「なあ、友よ」
ギリードゥモンは、沈黙と静寂を保つ、デジモンですら無いその怪物に、ただ1体、ひっそりと語りかけるのでした。
*
そう昔の事ではありません。
今はどこかでそうあるように、たまたまその時は、この地でそうあっただけなのです。
戦争がありました。
ギリードゥモンは森や大地に属する者の軍で、狙撃手を務めておりました。
来る日も来る日も、森を脅かす者のデジコアを撃ち貫き。
撃てども討てども、敵はこんこんと湧いて、まるで尽きる事はありません。
どうせ湧いてくるのであれば、食べ物や飲み物が湧き出れば良いのにと。
そんな夢ばかりを頭に思い描きながら、ギリードゥモンは、味のしない固形食を囓り、前線からはほど遠いところから敵を撃ち、討ち続けていたのでした。
ところでそんなギリードゥモンにも、1体の友がおりました。
彼の友は森のデジモンにしては珍しく、天使の姿をしておりました。
妖精ではありません。天使です。それも、大層美しい大天使でありました。
大天使――エンジェウーモンは、ギリードゥモンと同じく狙撃手でありました。
もっとも彼女の得物は銃では無く弓で、だからこそ、異なる武器で同じ結果を出すお互いが物珍しく、2体は不思議と、すぐに打ち解けたのでした。
彼女は姿形こそ天の使いでありましたが、生まれはギリードゥモンと同じくこの森で、同じ多くのデジモン達と同様に、この森を守るために軍に志願したのです。
住まいというだけで、大して森を愛していた訳では無いギリードゥモンは、エンジェウーモンと語らう内に、彼女が育ったこの森を、深く愛するようになっておりました。
だからギリードゥモンは、彼女と出会う以前にも増して、一層ふるって敵方の、デジコアを撃ち抜き続けていたのでした。
だというのに、ある日から。
敵方に、彼女とひどく似通った、天使が混じるようになりました。
敵は、空で生まれた天使達と手を組んだのです。
ギリードゥモンが天使を撃つ回数は、日に日に増えていきました。
敵の軍勢に交ざる天使が、日に日に増えていったために。
ギリードゥモンは大して気にも留めていませんでした。
だって、彼らとエンジェウーモンは違うデジモンでしたから。
森で生まれ育った彼女と、天から降ってくる彼らが、同じデジモンである筈がありましょうか。
しかしギリードゥモンと違って、部隊のデジモンの多くは、手強い天使達を殺せない代わりに、エンジェウーモンを目の敵にしました。
お前が奴らを喚び寄せたのでは無いかと。
お前はきっと裏切り者だと。
だからと言って、向こうの天使達は、やはり森の天使を自分達の同胞とは認めません。
お前は魔女だ、悪魔だと。
こんなにも離れているのに、よくよく通るその声で、口々にエンジェウーモンを見もせずに、常々罵り続けていたのでした。
エンジェウーモンは
やがて、疲れてしまったようでした。
「ああ、友よ」
ある朝。
とても気持ちの良い朝でした。
戦争をしているなんてとても信じられないような、木漏れ日の心地よい、よく晴れた空の高く青い、それはそれは美しい朝です。
いいえ、朝はいつも、いかなる天気であろうとも、美しいものでした。
日のあたたかさも、雨のかおりも。
木の葉のざわめきも、枯れ葉のやわらかさも。
エンジェウーモンは、そんな朝日が照らす森を、愛していたのですから。
愛していた。のですから。
「私は、戦争を終わらせます」
そう言って、エンジェウーモンは唇を弓なりに歪めました。
桃色の唇は、春の花弁のようです。
「どうした、友よ」
対して、ギリードゥモンは首をかしげました。
「それは良い。良い考えだろう。しかし戦は、お前さん1体で終わらせられるものでは無いだろうに」
エンジェウーモンは首を横に振りました。
「ところが、そうでは無いのです。そうではなくなってしまいました」
エンジェウーモンは左腕の白い手袋を外しました。翼の生えた、弓にもなる手袋です。
左手が覗くなり、ギリードゥモンはぎょっと目を見開きました。楕円の瞳を、ただ、丸く。
「これは一体、どういう事だ」
エンジェウーモンの左手は、堕天使もかくや、異形の鉤爪と成り果てていたのです。
「そうあれかし、そうあれかしと、皆が私へ、声高に。そうあれかしと叫ぶものだから。私はきっと、本当に。皆の望む通りになってしまったのでしょう」
今度はばさり、と。エンジェウーモンは大きく翼を広げました。
みるみるうちに、赤い色。それも、屍の好む暗い血の色に、白い翼は染まって行くのです。
「お前さん」
ギリードゥモンは声を震わせました。
枝葉が擦れ合うような声を。
「何処へ」
「戦争を、終わらせに」
銅の兜から、つうぅ、と。
朝露が、天使のバラ色の頬を伝いました。
「嗚呼、ありがとう、ギリードゥモン。貴方だけは、最後まで。私の愛おしい世界で在ってくださいました」
「待て、待たないか」
「さようなら、最愛の友よ」
「おい、待てったら!」
百発百中の狙撃の腕に代わって、ゆるりゆるりとしか動けない足をギリードゥモンが引き摺る間に。
エンジェウーモンは、ギリードゥモンの制止を振り切って。狙撃用の梢を飛び立ったのです。
あとは、悲惨なものでした。
いいえ、惨たらしいのは本当ですが、悲しいというのは嘘でしょう。それは、当然の帰結でありました。
森のデジモンも、森の外のデジモンも、そして天使達も。
皆、皆。死んだのです。
死んだと言うよりも、消されたのです。殺し尽くされてしまったのです。
エンジェウーモンによって。
エンジェウーモンだったデジモンによって。
ずっと遠くを見渡せる、ベリョータ備え付けのスコープで。
ギリードゥモンは、戦場の全てを覗き見ておりました。
後々知った事です。
エンジェウーモンが進化したデジモンが、デクスモンという名である事は。
それは昔々。デジモン達の神様が、一度デジタルワールドを壊すために産みだした存在でした。
エンジェウーモンは、生まれは森でもちゃあんと天使で、他の天使達と同じように、聖なる神様の欠片を胸の内に収めていたのです。
エンジェウーモンは神様の使いとして、立派に戦争を終わらせました。
*
それから、デクスモンの真上に塔が建てられました。
デジコアの気配を追うデクスモンですら、塔の上にいる相手には気付けないような。それはそれは高い塔です。
それはデクスモンと、デクスモンに近付く者の監視塔でした。
とはいえよほど良い目を持っていなければ、麓の景色をうかがい知る事すら出来ません。
だから、とても良い目を持っている、ギリードゥモンがその仕事に志願しました。
デクスモンは、デジコアを探知しない限りは停止し続けるデジモンですから。
で、あれば。疲れた友を眠らせてやろう、と。ギリードゥモンは、せめてそう思ったのです。
何せデクスモンは、デジコアを持たないデジモンです。
デジコアを持たない彼女は、もう死ぬことすら許されないのです。
折角、戦争を終わらせたのに。
それ以来、ギリードゥモンは塔の上で暮らしています。
何も知らずにこの禁域に踏み入ろうとするデジモンを、ベリョータで撃ち殺しながら。
友の眠りを、妨げないよう。
とはいえこの深い森には、ほとんど何者も訪れません。
知性の無い昆虫型が、時折迷い込む程度です。
他にやって来る者と言えば、無線の主でもある上官から、ギリードゥモン宛てに食料等を運んでくる、鳥型のデジモンぐらいのもので。
しかしギリードゥモンは、別に困りも嘆きもしていません。
退屈と孤独を苦痛に感じる者は、そもそも狙撃手には向きませんから。
それでも時折、空っぽの、隣をふと気にする事はありましたが、それだけです。
真下に目を向ければ、同じ相手はそこに居るのですから。
だから、これで良いのだと。
ギリードゥモンは友の身の一部と静かな森を見やっては、後はひっそりと暮らしておりました。
だから、ギリードゥモンの穏やかな日々は。
一発の銃声のように、終わりを告げたのでした。
「……」
ギリードゥモンは、森の気配に敏感なデジモンです。
その日も、警告が発せられるよりも早く、侵入者に気付いてベリョータを構えました。
ストックを右の肩にぴたりと当て。
銃身に左腕を添え。
あとはグリップを右手でしかと握り締め、赤い爪の毒々しい、紫の指を引き金に伸ばすだけ。
外す訳にはいくまいと。
ギリードゥモンは、ゆっくりと禁域に向かって歩いてくるその影を、スコープで覗き込みました。
「――ッ」
途端、ギリードゥモンは息を呑みました。
これ程までに動揺したのは、それこそ友が梢を飛び去った、あの日以来のものでしょう。
トゥルーアイズ。
ギリードゥモンという種族は、デジモンの真ん中。全ての源、デジコアを、直接覗き込む特別な目を持っています。
その目を以てして、何も見えなかったのです。
その影には、今の友と同じように。
デジコアが存在しなかったのです。
「警告、警告。この先禁域。この先禁域。これ以上の侵入は、デリートの対象となります」
警告と無線の通知音が同時に鳴り響いて、ギリードゥモンはハッと我に返りました。
「そうか、ひとつ安心した」
無線の声は、鼻を鳴らしました。
「貴様、本当に。好き好んで殺しをしている訳では無いのだな」
「ザミエールモン」
ザミエールモンとは、無線の主の名前です。ギリードゥモンとエンジェウーモンの、戦争時代からの上官でした。狙撃部隊の隊長なのです。
ギリードゥモンは、幽かに声を震わせます。
歴戦の狙撃手には、あるまじき動揺です。
「あれは、何だ」
ですが、それも仕方の無い事でしょう。
無機質に警戒色のバリケードを見上げているその存在は、天使の姿をしていました。エンジェウーモンと、同じ形なのです。
魚の腹のように白い肌。すらりと伸びた四肢に、腰まで届く金糸の髪。
ただひとつ、異なる点があるとすれば。それには翼がありませんでした。
もっとも、デジコアが無い事と比べれば、それは些細な違いでしたが。
トゥルーアイズが透かした「それ」の胸の奥には。
どくん、どくんと。歪で真っ赤なハート型の何かが、規則正しく脈を打っているばかりです。
「喜べ、ギリードゥモン」
ザミエールモンは、自分はこれっぽっちも嬉しく無さそうに言いました。
彼は、そういうデジモンなのです。
「デクスモンを、殺す方法が見つかったぞ」
レンズの向こう。
トゥルーアイズを切ったギリードゥモンの眼の中。
エンジェウーモンの形をした「それ」の、長い長い金糸の髪の隙間から。
ちらり、と覗いた彼女の瞳は、あの日ギリードゥモンがただただ呆然と見上げる他無かった、美しい空の青色をしているのでした。
つづく
ですます口調の地の文だ! レア! 夏P(ナッピー)です。
ギリードゥモン来たな……バイタルブレスでスピノモンに進化したし、まあこの見た目だしウィルス種……データ種なのお前!? となった我らが曰く付きのデジモン。地味に我らが妖精型ですが、しっかり種族としての特徴を生かした配置でございました。なんとなくコンビのイメージあったので、無線の相手はパートナー(人間)でないのならアヤタラモン辺りなのかなーと思ったらまさかのザミエールモン。そういえばお前も同じ完全tギャアアアア。
エンジェウーモンはスナイパー仲間だったのに、なかなか理不尽なことに。ほうオファニモンフォールダウンモードか……と思ったら更にえらいことになってしまった(※予想外し過ぎてる)。まさかのデクスモンとは、しかもドルモン系譜ではないのでアルファモンに来てもらって一緒に串にささった団子になってもらう作戦が使えねーぜっ! 自分も「(設定的に)倒せないデジモンを倒す展開や理屈」は結構考えたりしますが、それを他の方がどうやって描かれるかってのは見たさありますよね。
最後に現れたのはエンジェウーモンと“同じ形”と表現されましたが人間であったか。ファーストコンタクトでいきなり心臓見透かされるって破廉恥を超えた何かだぜ!
あと「デクスモンの上に塔が建てられました」というから、完全にティアーズオブキングダムのイエロックみたいな光景を想像してしまったのは内緒。
それでは今回はこの辺で感想とさせて頂きます。