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Episode.21 "第二、第三の復活"
前提としてアベルというモンスターは契約者の渡よりもイレギュラーな存在だ。
モンスターの死が契約者の退場と等しい世界において、契約者を同一とする転生個体が存在する可能性など計算する価値もない。ましてやその先代の契約相手――カインも未来の渡によって人造的に造られ、ルートの元になった個体と兄弟関係にあるとなれば到底偶然では片づけられない。つまるところアベルはルートから独立した白衣の女――未来の鈴音による介入から生まれた産物だった。
だが彼女にとってはそれだけの話でその命運に彼女は関与しない。確かにカインを倒した拓真が報酬を得たところまでは彼女の筋書き通りだ。だが、これより先は渡と鈴音に対して表立って会話を交わすことになろうとも、そもそも誘導すべき目的が彼女にはない。だからこそ彼女にとってもアベルは未知の変数で、その異常な成長速度は渡の力として純粋に嬉しい誤算だった。
再契約から一時間で手足を得たアベルは六時間でドルモンへと進化した。脳に深く刻み込まれた姿への進化を渡はただスタートラインに立った実感として消化し、白衣の女の案内でレジスタンスの監視が薄いエリアを狩場として過ごした。
ラプタードラモンへと進化したのは四度目の戦闘と捕食。早々にドルモンの姿を超えたことに意識を割くことなく、さらに丸二日を戦闘と捕食に費やした。その間に積み重ねた経験値がブラストによるブーストで進化できる段階に到達したと計測したからこそ、白衣の女は自信を持ってもう一人の自分の窮地に送り込んだのだ。
「よくやったよ、タマ。誰がなんて言ったって、私はそう思う。だって……あんなの反則でしょ」
「そうだな。でも、俺以上にその言葉に相応しい奴はいないだろ」
そして渡は彼女の期待通りの仕事をこなしてみせた。進化のタイミングをブラストでコントロールできるほど経験値が貯まった確信があったからこそ、ラプタードラモンの俊敏性をアハトへの急接近に使い切り、接敵の直前に起動した進化のプロセスとそれに伴う余剰な発光を回避不能な目晦ましとして使った。完全に意識の外から現れた存在と目晦ましでタマ――ディノタイガモンが怯んだのは僅か数秒。アベルが至った姿――グレイドモンにとってはタマの隙を突いてアハト――キャノンビーモンとともに退避するにはそれで十分だった。
「助かったよ……渡くん」
「間に合ってよかった。死なれたら困る、らしいんで」
鈴音の言葉に感謝はあれど表情はいやに冷静だった。さて、どこまで白衣の女(もうひとりのじぶん)から話を聞いていたのか。相変わらずの態度に不満がないと言えば嘘になるが、それ以上に自分が戻ってくる確信を持っていたことが渡はむず痒かった。
「渡、なのか?」
「ああ。死んだわけでもないんだ。化けなくても出て来れる」
「そういうことじゃねえ。なんで今さら戻ってきたんだよ。馬鹿野郎が」
「仕方ないだろう。俺にもまだやることがあったんだから」
いっそ将吾のようにお手本のような反応をしてくれる方がすっきりするというもの。双方の陣営にとって自分がそれなりの爆弾(サプライズ)である自覚くらいはあるのだから。
「積もる話は後にしよう。放置すると寧子ちゃんがかわいそうだ」
「隙を晒してくれるなら万々歳ですけど?」
「仕方ねえ。とりあえずお前はこっち側ってことでいいんだよな」
「究極体が相手だ。まっとうに力を合わせないとね」
奇しくもマッチアップはトラベラーのコミュニティと合流する直前の四組。ただしばらばらな思惑が絡み合った結果として、立ち位置もパワーバランスは大きく傾いている。形式上は究極体一体に対して完全体三体。うち一体は既に死に体で見逃されているだけの戦力外。単純に力を合わせれば勝てると思えるほど惰弱な肉体ではないことは月丹の現状で証明されている。
「という訳で前衛は任せたよ」
「逃がすわけないでしょ」
アハトの再浮上に合わせて動き出すタマとその前に立ちはだかるアベル。アハトが有利な空中に再び陣取ろうとするのは当然の行動。馬鹿げた跳躍で撃墜された以上、安全圏(ゴール)は遠く見積もらなければならない。
「通すわけにはいかない」
それまでの時間を稼ぐべくアベルは渡の宣言とともにタマの眼前から消す。否、神速の歩法で瞬間的に距離を詰めて右足の白毛を刈り取る。表出する銅色の肌には通らずとも注意を向かせるには十分。自ら寄ってきてくれた獲物を歓迎してタマは右足を振るう。あとはこの一撃を後方に躱して取った間合いを維持して時間を稼ぐ。 ――そのつもりだった。
「アベル!?」
「あれ? 思った以上に飛んじゃった。本気で潰すべきでしたか」
「……ああ。お陰様で大丈夫そうだ」
転がるように大きく後退するアベル。猫パンチというには重すぎる一撃を受けてなお倒れずにいるのは、タマが全霊を込めた動きではなかったこともあるが、上段からの二刀の一撃が偶然インパクトの直前に重なりその反動で意図せず間合いが遠くなっていたから。ただその一撃は渡の意図したものではなかった。
「そういうことか」
「勉強ならよそでしてくれます?」
以前アハトまでの進行方向にはアベルは立ちはだかる。ならばそれごと踏み越えようとタマは歩を進める。速度は確かにアベルの方が上だが、そもそもディノタイガモンの武器は速度ではなく鋼の肉体と筋力だ。どれだけ速い蚊であろうとその針がただ刺すことしかできないのなら進行を止めることはできない。歯牙にかける必要がないことは今のやり取りではっきりした。
「いい加減邪魔です」
それでも立ちはだかるというのなら遠慮なく踏みつぶすまで。右足を大きく振り上げた瞬間、いつのまにか双剣を鞘に納めていたアベルは自ら一歩後退し、その直後にタマの眼前に光が堕ちた。
「何を……」
それがアハトの主砲であることは分かった。その高度は未だ二十メートル程度で安全圏には届いていない。それでもこのタイミングで一発撃ってきたのか。その意図はタマの一歩で明らかになる。
「足元がおろそかだよ」
タマの右足が沈む。反射的に向けた視線の先には不自然に抉られた着地点。それでようやく先ほどの不自然なアハトの一発の狙いに気づく。アハトの主砲でタマの肉体は傷つけられずとも、その周囲の地形を罠に変えることはできる。
「勉強になったかな」
「舐めないでください」
確かにそれは寧子の意識の外にあった一手。だが言葉を変えれば意識する必要がなかった一手に過ぎない。鋼の肉体に収まっているのはそれを支えるに足る筋肉。この程度の凹みに躓いて転ぶほど寧子もタマも子供ではない。
「それは俺達の台詞だよ」
「っ……」
戻そうとしたはずのタマの重心が大きく右に傾く。タマの身体も寧子の精神も大きく揺らされたのは、それこそ意識する必要のなかった存在による一手だったから。それは地に伏せることしか出来なかったはずの月丹。蛇のようにしなやかな体躯で僅かに浮き上がったタマの左足に潜り込み、その全身で勢いよくかち上げた。
「ようやく隙を見せたね」
右前足に掛かる負荷に耐えきれずタマはついにその膝をついた。崩れ落ちたタマからは傷を負った月丹ですら悠々と距離を取れる。それだけの猶予があればアハトは安全な高度から全火力をぶつけられる。
「全砲門一斉掃射。全力を持って墓標の下に沈めてあげよう」
開放されるすべてのミサイルコンテナ。充填される主砲のエネルギー。瞬間強化(ブラスト)によるブーストを持ってアハトが今持てる以上の火力を絶え間なく叩き込む。連鎖する爆音と硝煙。断続的に墜ちる稲光。それはアハトの残弾が尽きるまで止まらない。
「……うん、我ながら締まらないね」
煙の奥を見据えて鈴音は呟く。コンテナは空になり、主砲に使えるエネルギーも尽きた。文字通りの全力を賭した結果そのものに後悔はないが、チープな嘘になるような言葉は選んだことだけは少し後悔した。
「早まりましたね」
なにせ文字通り全力を叩き込んでなお古代の獣王は再び立ち上がってみせたのだから。煤と血に塗れた身体には確かに少なくない傷は刻まれている。だがそのいずれもが致命傷には至っていない。それはつまり今持てる最大火力ではタマを仕留めることはできないという証明になってしまった。
「お陰で狙いが絞れて助かりますけど」
爆撃と並行してアハトは安全圏に浮上したもののほぼ弾切れ。月丹は一矢報いたところで地を這う戦力外であることには変わらない。つまり、タマが辛うじて脅威と見做すのは必然的に一体に絞られる。
「鈴音さんには逃げられても仕方ないとして、先に将吾さんとのケリをつけてもいいんですけど……」
「それも困る」
「それは残念です。弟切渡(あなた)を始末する方が優先度が高くなっちゃう」
タマと月丹の間の直線状にアベルが割り込む。それは寧子の想定通り。トラベラーとして今まで同様に将吾達と共同戦線を張るつもりなら、逃がすまでの時間稼ぎはするだろう。それならそれで渡が犠牲になるのなら御の字。異様に彼を気に掛けている鈴音が涙ぐましい援護のために足を止める可能性もある。
「という訳だ。将吾、今のうちに退いておけ」
「……癪だが貸しにしといてやる」
「もうそういうのはナシだ」
「あ?」
本命を仕留められないのは残念だけどレジスタンスとしての役割としては今回の発端の失策をチャラにするには十分な成果になるだろう。ちょうど弟切渡に関する土産話の一つもできたところだ。
「どういう風の吹き回しですか?」
「俺なりにいろいろ反省したんだ」
「なるほど。……で、それも何かの悪ふざけですか?」
渡の言動を除いて想定外のことがあるとすればアベルの構えくらい。二刀流で戦っていた筈のアベルは右手にしか剣を握っておらず、もう一本の剣は左腰の鞘に納められて左手はただその柄に添えられているだけだった。
「これでも勉強の成果だ」
「あっそ。だったら無駄な時間でしたね」
呆れたような寧子の言葉を合図にタマは突進を仕掛ける。歩兵が重戦車との衝突に耐えられる訳もない。速度と質量の暴力の前に花紺青(ロイヤルブルー)のマントが翻る。
「運がいいですね」
「世辞はいらない」
言葉に反して寧子は冷静に性能差を見直していた。左方に後退したアベルに傷はない。寧ろタマの方が右足に手傷を負い、意表を突かれたことで自ら勢いを殺してしまった。ならばその事実を受け止めて認識を変える必要がある。初撃の速度と体躯による小回りの良さから機動性はアベルの方に分がある。だが今の一刀流のアベルにはその初撃の際に感じた威圧感はなく、縮地の如き歩法もないと見越していた。その推測自体は確かに合っていた。しかしそれを捨ててまで取った構えの意図まではまだ寧子も掴みかねていた。
「なら試してみますか」
アベルを改めて第一目標に据えて、タマに障害の排除を命じる。突進前より距離がある程度詰まった以上その質量で圧し潰すのが最適解だ。それが叶うのならここまで手こずらないことは双方理解している。
直進に対する左後方への退避。その後隙を狙った左前足の軌道をサイドステップで回避。身体の真左に着地したのを見てタックルを仕掛ければ、それより先に右後方に距離を取って再び睨み合う位置を陣取る。
「巧いですね。馬鹿な方が楽だったのに」
「その言葉なら光栄だ」
寧子の言葉に渡は彼なりの賞賛の言葉を返した。数度のやり取りでこちらの意図を理解しただけあって、彼女自身の経験値も馬鹿には出来ないのだからそれこそこの言葉は世辞ではない。
グレイドモンという種は確かに二刀流こそが本来のスタイルでその剣技は神速の域に到達する。だが一方で剣そのものの呪いとして、二刀流として使えば制御不能に陥る呪いを抱えていた。初撃でのやり取りは二刀流の利点と欠点を身を持って体験した結果そのもの。だからこそ渡はアベルにあの変わった構えを基本の型とするように指示を与えたのだ。理性と経験を元に立ち回れる剣士として戦うための手段として。
「本当に先輩も帰っちゃったし……残念です」
その成果は一体だけでしのいだこの時間そのもの。ここまで渡の思惑通りの運んだ事実を甘んじて受け止めたうえで、寧子は再度タマに捻りのない突進を指示する。それに対して経験則に従ってアベルは左後方に飛んだ。――その着地の寸前、アベルは反射的に左手でもう一本の剣を抜いていた。
「――チッ」
空を裂く四本の刃。そのうち二本はアベルの双剣。残る二本は剣に非ず。それはアベルの背後より飛来した二振りの黒い刃。
「目ざといな、黒木場秋人」
「勘は鈍ってねえってか。これだからしぶとい奴ってのは面倒なんだ」
次元ごと断つその刃は契約相手である黒木場秋人を背に乗せたクロム――グランクワガーモンの大顎。アベルの背後を狙ったその刃で挟み切られれば間違いなく即死していた。反射的に剣を抜いて二刀流になったことで、その剣技は黒い甲殻に届かずとも瞬間的に解放された神速の歩法は寸でのところで己の命を永らえさせた。
「だからここは確実に殺す」
「ッ……」
だがその安寧はほんの僅かな時間の話。秋人がクロムの背から飛び降りると同時に、刃の奥から伸びる腕がアベルのマントを掴んで二体だけの遊覧飛行へと連れていく。もう秋人には渡で遊ぶだけの理由も余裕もない。故に一度きりの不意打ちのチャンスを無駄にすることは許されない。
「すまん! 逃がした!」
「急に声を張んな、鉄砲玉野郎。ま、その言葉はせいぜい本心だと思ってやれよ」
「そんな気遣いはいらない」
それだけの価値があると判断したから、秋人とクロムは射場正道の契約相手であるビリー――アヴェンジキッドモンと戦っていたところを抜け出してきた。明らかなのはその事実だけで渡も正道が意図して逃がしたとは思ってはいない。
自分自身が少し離れた戦場においても意識せざるを得ないイレギュラーな存在だという自覚はある。そんな存在を前にして、いち早く理性を取り戻して戦況に利用するかを考えられるのはどちらの立場か。それは弟切渡に対するスタンスが長らく一貫している方に分があるのが当然で、一瞬の虚を突いて標的を変える程度は容易かっただろう。
「進化ってのも考えもんだな」
「何が言いたい?」
現在の高度は四十メートル。飛行能力を持たないものにとっては空は死を待つだけの空間。アハトはさらに十メートル高い位置に陣取っているが、そこから援護射撃を仕掛けようものならすぐに荷物を落として標的を変えるだろう。クロムもそれは望まないためアハトには牽制する意思だけ一瞬見せて、右手で眼前に持ち上げた標的に意識を向ける。その手を放して空中という断頭台に獲物を預ければ、後は自慢の己の刃でその首を落とすだけ。
「翼を捨てたのが仇になったな」
上空を見上げる渡にとって秋人の嘲笑は諦める理由にはならない。アベルが知覚する情報は渡にもシンクロしている。二刀流を解放した今、アベルが呪いという本能に侵される中で理性を握る渡はそのパスが不全になる寸前に必殺技(オーダー)を下す。
「そんなもの、すぐ近くにある」
マントを離した腕に絡みつく二本の剣の峰。いつのまに持ち替えたのか。その二点だけで己の身体を持ち上げるつもりか。クロムがその足搔きを嘲笑おうとした頃には既に眼下には金色の影は無い。アベルを侮ったその罰は無防備な背中に叩き込まれる重量と激痛によって下される。
「自慢の羽を斬り落としやがって。高くつくぞ、てめえ」
空で十字の剣閃が瞬く。数刻の後に降り注ぐ煤のような黒い破片。次いで落ちるのは茜色のグラデーションが美しい薄羽。そして、不安定な軌道を描いて降下するその薄羽の持ち主。
「運よくダメージが蓄積してた箇所があったんだ。穴が空いても飛べるんだから、確かにいい羽なんだろうな」
必死に体勢を整えながら降下するクロムの腕には既にアベルの姿はない。だが地上から見える落下物には黒色のものしか存在しない。それでも空を飛べないその身体がどこにあるのかは渡にも秋人にも分かっていた。
「寧子! 奴の狙いは――」
「タマ!」
だが、アベルの真の狙いに気づくのに秋人と寧子は遅れた。寧子はタマの索敵範囲に敵が居なくなった段階で、次に見据えるべき敵としてクロムの追撃に来るであろうビリーに意識を向けてクロムが来た方向にタマを進めていた。
アベルをクロムに任せて空中まで運ばれた段階で、寧子もタマもその存在を考慮をする必要がないと判断していた。普通に考えて翼のないものが空中に放り出されて無事でいられるはずがない。アハトの助けがあれば可能性はあるがそれこそクロムが許すはずもない。クロム自身が安全な降下のために利用されることなど想定していなかった。だからその落下位置がタマとさほど離れていないことに気づくのが遅れるのも仕方なかった。
「上からなら爆撃の傷跡も見やすい」
地上七メートルでクロムの姿勢はようやく安定する。だが今さら羽を落とした相手を探そうにも、金色の流星は既にその背を飛び出していた。予測地点までの軌道は正確。標的が今さら気づいて首を上に向けたところでもう遅い。なんなら先に動かすべきは右前足だった。これまでそこに集中して攻撃を仕掛けていたことを忘れていたか。
「グレイドスラッシュ」
肩口からつま先に掛けて二本の軌跡が迸る。次いで吹き出すのはまごうことなき獣の鮮血。古代の獣王は初めて悲鳴を上げて不届き者を憎悪を籠めた目で見下ろす。右前足に深く刻まれた傷のおかげで痛みを覚えてまで遠のく標的を追う気も失せた。
「久しぶりだからってやりたい放題しやがって」
「勘違いするな。元々あった傷を抉っただけだ」
「性格悪いこと言ってる自覚あります?」
完全体一体での立ち回りで究極体二体に対してそれぞれ手痛い傷を負わせた。それぞれこれまでの戦いでのダメージの蓄積はあったとしても、そこを無視できない傷に変えたという事実は、素性そのものを度外視しても弟切渡とアベルを警戒対象として認めるには十分だった。
「でも、それもここまでです。――時間稼ぎがしたかったのはこっちも同じですから」
寧子の言葉の直後、遥か頭上で白い光が弾ける。意識を僅かに上に向ければ、無視できない傷を負ったアハトが落下にほとんど等しい速度で急降下しており、その跡を追うかのように光の矢が連なる。
姿勢の安定性を取り戻す頃には眼前に迫ったそれを辛うじて放った主砲で相殺。弾と体力を使い切って身軽になった身体はその反動でさらに降下。光の矢は逃れたものの無様に契約者の前に落ちる結末は変わらなかった。
「――仕留め損ねたけど、借りは返したってことにしてあげる」
「随分優しいね」
アハトに駆け寄った鈴音には空から見下す声の正体は視線を上げずとも分かった。だが、彼女が光の矢の射手を連れているということに違和感を覚えて見上げる必要があった。
「それが例の……なるほど」
そして、空から降りる聖と魔の両面を束ねる天使を前にして、流石の彼女も感嘆の声を漏らした。そうせざるを得なかった。
「まったく、女の意地も恐ろしいものだね」
その天使の種族名がマスティモンであることは渡以外には周知されていた。何せ綿貫椎奈が契約相手と融合した最終形態なのだから。だが、既に彼女は悠介と秀一の手によって殺されている。ただ、その核は死の直前にレジスタンスに転送されていたという。そして今マスティモンに抱えてられている少女――リタが以前の決戦で引き連れていたモンスターを思い出せば、今ここに居るマスティモンの正体にも自ずと見当がつく。
「死んだ仲間の意思を継いだ訳だ。前例(サンプル)があれば実現も容易いだろうね」
「言葉を選ばれても気色わるいんだけど。……個体コード:RE03――種族名『マスティモン』。この子はそれ以上でもそれ以下でもない」
リタはその意思のない再生個体の人形をリボーンズと呼んでいた。その素体になるものが敵であろうと味方であろうと、その残骸を有効活用して戦うことを彼女達は選んだ。どうあれ尊厳を踏みにじる行為であることなど百も承知だろう。
「だからこの一発は個人的な感情とは無関係ってこと。ただ敵として排除するだけ」
「そういう言葉は口にした段階で薄っぺらくなるものだよ」
だがこちらが死んだ仲間の尊厳を踏みにじるのは別らしい。リタの言葉に反して右腕に宿る光はこれまでとは比べ物にならない程に高密度に収束されている。炸裂すればアベルとアハトをまとめて呑み込むことは容易いだろう。アハトは間違いなく即死し、アベルも無事でいられるとは思えない。結局のところ鈴音が口にした言葉はただの悪態でしかなかった。
「させるか、ビリー!」
それが透けて見えたからこそ、合流を図っていた正道はビリーに急行させる。脚部の銃口から爆発を起こして加速させれば迎撃に間に合うと踏んでいた。
「こっちの台詞だ間抜け。真っ直ぐ飛ぶだけなら意地で十分なんだよ」
「邪魔すんじゃねえ!」
相手の弱みを見逃すほど秋人は甘くない。傷など意に介していない加速で飛び出したクロムをビリーに激突させ、両手に溜めていた魔弾を自分相手に消費させる。
「じゃ、今度こそ終わりね」
聖光の矢が放たれる。地に落ちた星は爆ぜて視界を白で埋め尽くした。
「さてと……」
三秒後、再び世界が色づきはじめ、爆心地の被害状況が認識できるようになる。生存者がゼロである事実だけを確認して、後は残ったビリーの始末に移ればいい。
「あーあ、そういう感じ」
状況を理解したリタは溜息を吐かずにはいられなかった。目の前に立つ存在のおかげで、そもそも自分がここに来る発端のもやもやに答えが出てしまったのだから。
「……アンタでしょ、椎奈を殺したの」
「――そいつをまた見ることになるとは俺も思わなかったよ」
その青年――悠介が苦々しげに呟いた言葉が答え。傍らには紫紺の鎧を纏った骸骨の面の騎士が立ち、その背後には仕留めきれずに生き残った獲物たちの姿があった。
「御大層な鎧はその報酬ってワケ。そっちの大将は太っ腹ね」
悠介の契約相手であるシド――クレニアムモンには三秒間だけ如何なる攻撃を防ぐ全方位防御――「ゴッドブレス」がある。ブラストによりその効果範囲を拡大することでアベルとアハトを護った。彼らとその契約相手が今のルートにとってどういう存在なのかを考える余裕などなかっただろう。
「別に勝っちゃいない。その結果がお前の隣にあるじゃないか」
「言ってくれんね。やったのがアンタならこっちも納得できる」
悠介にとって椎奈は慕っていた大人を嬲り殺され、自らその手駒として利用された相手。リタとしても椎奈を殺した復讐相手としては百点満点の存在だ。何よりその矛先を自分にも向ける理由があるのが最高だ。
「でも許さない」
「お互い様だろ」
そう、お互い様。これくらいすっきりしている方が遠慮なくやり合えるというもの。きっとその認識だけは悠介も同じはず。
「そう責めないでやってくれ。その罪は私にも向けられるべきものだろう」
唯一認識が違ったのは、悠介の復讐が彼一人の手で行われた訳ではないこと。不気味なほどに平静な声に視線を向ければ、そこにはレジスタンスが誰よりも無視することができない敵の姿があった。
「……なるほど。ただでさえ強いのに未来が読めるなら、椎奈が負けても仕方ない、か」
生前のマスティモンの記憶には確かに目の前の強敵の姿があった。それも以前の決戦で見せた姿とは異なる、未来視の力を得た姿と一致していた。悠介の力を侮っていたわけではない。ただ、白田秀一とフィン――オメガモンの力があったのなら仕方ないと納得できてしまっただけだ。
「おいおい、そいつまで呼ぶのは大人げねえんじゃねえか」
「そっちが勝手に背中を向けたんだろ。手が空いてる間に何をしようとこっちの勝手だ」
聞き逃せない言葉の方角に視線を向けると、クロムを手元に戻した秋人とビリーと合流した正道は仲良く睨み合っていた。おかげで仕留め損ねた経緯にもようやく納得できる。
秋人のミスに呆れる反面、正直なところ目移りした相手を考えると仕方ないとも思えてしまう。苛立ちの矛先を向ける相手が居なかったら、リタ自身も真っ先に排除すべき相手だと認識していたのだから。叶うならあの一発でまとめて消し飛ぶことも期待していた。
「どうする。数の利はこっちにあるぞ」
「そこに転がってんのを無視すれば、たかが完全体一体でしょ」
「その完全体に君の仲間は随分と手傷を負わされたのだけど」
「唯一の戦力外が吠えるなんてね……死に急いでるの?」
重傷を負ったアハトを除いて、戦力の数的な差はアベルのみ。だが負傷の差も見過ごせないのも事実。何より圧倒的な力を持つフィンの存在が天秤を狂わせる。
「いいわ……許可も取れたし、顔見せだけしておこっか」
リタの言葉の真意は不意に空中に出現した巨大なゲートによって示される。ここに来るまでに作成して一時凍結していた術式の解凍がこれまでの会話の間に完了した。そのスケールに警戒するのは当然の反応だが、果たしてそのスケールの意味に気づくのは誰が一番早いか。
「嬢ちゃん、それは冗談きついぞ」
最初に気づいたのは正道だった。乾いた笑いから隠しきれない怒気が漏れている。大人の仮面を脱ぎ捨てれば鉄砲玉としての本性を剝き出しにしていただろう。
「お前ら……ラインを超えたな!」
次いで気づいたのは悠介。お手本のように怒りを露わにするその表情を見て、期待通りの結果というものに満足する喜びをリタは満面の笑みで噛みしめた。
「抜け目ないね。あの戦局でそこまで手を回していたとは」
鈴音はその再生個体を製造する過程に思考を巡らせて先の決戦での顛末を回想した。敵対する以上は二度と同じ手段を取らせないために。
「秘密兵器としてはこれ以上ない大盤振る舞いだな」
秀一はただ戦局に与える影響を見てここで取り出す暴挙に呆れた。前回のような決戦時に初投入していたのならそれこそ混乱を招くことができただろうと。覚悟の決まった人格破綻者を除けば、奴を前にして平静さを失わずに戦えるのは自分くらいなのに。
「……当てつけにしては悪趣味過ぎる」
渡はただ前回の決戦の発端が自分にある事実だけを追想した。早まらなければこの結果がなかったかもしれない。その可能性を一瞬だけ考えることだけが自分に許された後悔だと断じて、目の前の巨体を質量と火力に優れた敵だと再定義した。
「個体コード:RE02――種族名『アルティメットブラキモン』。その性能は知ってるでしょ」
黒鉄(クロガネ)の装甲の間に巨大な砲門を仕込んだ首長竜。規格外の質量と火力量を秘めている巨大サイボーグ。その背から排出される灰の煙の奥から姿を見せたのは、穏やかな洋菓子店店主ではなく、スナイパーライフルを背負った浅黒い肌とドレッドヘアーの若い男だった。
「――直接顔を出すのは久しぶりか、俺はアルバート・ブラム。気軽にアルって呼んでくれ。お察しの通り、こいつと契約しさせてもらってるんでよろしく頼む」
X-Passの通話のチャンネルを通して響く声の記憶は薄い。ただ悠介には思い当たる相手がいた。自分がアルティメットブラキモンというモンスターを見た日に初めて遭遇した現地人のうちの一人だったはず。
「ふざけるな! すぐに降りてこい!」
「マメゴンって個体はもう居ないんだ。こいつを好きにしようと構わないだろう」
怒り任せに口にした言葉の返答が目の前の巨体の正体の答え。先の戦いで倒れた巽恭介――その契約相手であるマメゴンの亡骸に構う猶予など誰にもなかった。巽恭介があの時のトラベラー側の精神的支柱であると同時に、その契約相手のマメゴンは誇るべき特記戦力だった。それはつまりレジスタンス側からすればグランドラクモンと同様に亡骸を利用する価値がある存在であってもおかしくなかったということ。
「その背中はお前が乗っていいものじゃねえって分かってるよな?」
「改めて自己紹介するくらいなんだ。逆に聞くが、お前が俺の何を知ってるんだよ」
頭では理解できても心が消化できない。特に悠介と正道にとってはこれ以上な劇薬だ。
「流石に意地が悪いか。……そうだな。一つだけ教えてやる。――こいつの素体の契約相手を撃ち殺したのは俺だ」
その二人がこの場に揃っているからこそ、アルは致命的な一撃を撃ち込んだ。
――サンキュー、アル
三人同時にリフレインする椎奈の声の意味は各々異なる。傍から見ているだけだった二人はアルの言葉を証明する事実として、その引き金を引いた射手は愛しい響きを噛みしめるように。
「お前ぇッ!」
叫ぶ悠介に呼応して飛び出す髑髏面の騎士。だがその一歩は眼前に生まれた氷柱によって阻まれる。
「止めないでください!」
「君の護りを無駄遣いさせる訳にはいかない」
挑発に乗って飛び出すことはフィンの能力で未来を読まずとも容易に推測できた。秀一は悠介の腕を掴んで制しながら、同じように飛び出さなかった正道に視線を向けた。
「わざわざ言うなんて趣味悪いな」
「その方がフェアだと思ったんだ」
隠す気のない怒気を籠らせながらも正道は静かに仇敵を睨みつけているだけ。ただその拳は血が滲みそうなほどに握られていて、その視線はギリギリと引き絞られている矢のようだった。
「遠慮なく殺意を向けてくれた方が、こっちも未来を守る正義の味方として対処できるってものだろう」
「なるほど。違いない」
真っ直ぐな挑発にもくつくつと笑ってみせても、腸の奥底はぐつぐつと煮えたぎっているのは明らか。仮面なんてもう剥がれ落ちる寸前だった。
「――で、今から正々堂々やりあおうってのか?」
返答によっては正面切っての第二ラウンドも辞さない。その意思が正道に見えた以上、仮にもルート直轄のまとめ役である秀一は覚悟を決めなければならない。
「――五日後だ」
張り詰めた空間に切り込んだ秋人の言葉の意味はすぐには理解できなかった。必要な情報すらそぎ落とした単純な日数だからこそ、無駄な緊張感を解すには十分だった。
「五日後にデクスモンは起動する。ここで戦力を削るつもりなら、オススメはしねえぞ」
「デクスモンか。それが君達の本命なんだな」
「ああ。名前を明かしてキレるほどウチのリーダーも心は狭くないんでな」
その名はトラベラー側では渡しか知らない単語。この世界線の自分が保険のために想定していたという終末装置。無意識に視線を落とす渡の姿を一瞥し、秀一は結論を出す決め手を示した秋人に感謝した。
「そうだとしても君達の戦力を今削っておくのも手ではないかな」
「その気もないのに見栄を張るもんじゃねえぞ」
「……流石にこれはそちらの方が上手か」
それが当の本人に読まれていたのかは分からない。ただ落としどころとしては互いにここが適当だ。秀一としても整理したい情報が多いのが本音だ。――特にいつの間にか戻っていた例外な存在は個人的にも立場としても探らなければならないことが多すぎる。
「いいだろう。おとなしく撤退するといい」
「話の分かる大将で助かる。どうしても用があるなら殿のアルに言え。無駄に挑発したペナルティだ。それくらいは相手させてやるよ」
「不要な気遣いありがとう。私が許さないから安心して帰るといい」
結局、互いに増援が到着してからは盛大な顔見せで終わった。その筈なのに精神に負った傷は実際に戦ったのと同じくらい深く刻まれた。
お久しぶりです。サブタイトル通り、前回・前々回で復活した渡をはじめとしてぽこじゃか復活したやつが、デカいツラした回でした。双方面子が揃って次の集合時期も決まったので解散し、次の戦いがクライマックスになるといいなあという感じですね。
サロンでの更新についてはこれで切るか説明込みのインタールードがもう一話可能なら出るかって感じですかね。その前に諸々整理しないといけない見切り発車ぶりよ。
ではこの辺で。そこそこの確率でサロンでの本編の更新もあれなので、先に一言。
これまでお時間を割いて頂きありがとうございました。また、サロン運営様については本当にお疲れ様でした。