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序章:太陽の無い世界で

さて。
くだらない英雄譚を一つしよう。
全てが溶け合う旨い闇が広がる世界、それが当時の魔王が知る世界だった。
『エンシェントスピリット、エボリューション!』
そこに射し込むのは、希望という名の光。
眩い輝きを放ちながら、この世界の最初にして最後の希望となった戦士達の体が一体化していく。後にダークエリアと呼ばれる暗黒空間に初めて射し込んだ輝きは、確かに生まれたばかりの世界を照らす道標に他ならない。
魅せられた。対峙する魔王もまた、その輝きに魅せられていた。
やがて出現したのは、金色のラインを全身に走らせ、朱に彩られた強固な鎧を身に纏う異形の者。火炎の龍と閃光の狼を両腕に宿し、戦士達全ての魂を力へと変えるその存在は、世界の支配と破滅を目論むとされる傲慢の魔王、ルーチェモンの前で英雄としての産声を上げた。
英雄の名は太陽の神人、スサノオモン。
その瞬間、世界には確かに光が舞い降りた。
「貴様は──」
「伝説の十闘士の魂を受け継ぎ、貴様を倒すために生まれた……スサノオモン!」
「スサノオモンだと? ……面白い」
「何が面白いものか……!」
軽く上唇を舐めるルーチェモンに、スサノオモンは怒りの炎を燃やす。
スサノオモン──正確に言うなら彼を形作る十人の英雄達──は、彼の魔王の手によって荒廃した世界を嫌というほど目の当たりにしてきた。仲間を失い泣き叫ぶ幼年期デジモン達、魔王の影響で凶暴化した大型のデジモンによって滅ぼされた多くの町々、そして自分達を信じて送り出してくれた〝仲間〟と呼ぶべきデジモン達。それら全てが、彼らに命じる。ルーチェモンを倒せと。そして、このデジタルワールドに真の平和を取り戻せと。
目の前の魔王を倒さねば、この怒りは決して消えない。そしてまた、この世界に真の平和が訪れることも無いのだ。
「貴様の存在は……全てのデジモンを不幸にする!」
「……貴様が我を倒したところで、結果は同じだと思うが? 貴様が我に成り代わるというのなら、それも良し。だが貴様にそれほどの器は感じられん。……世界を平和に運営するためには、優れたシステムと、それを実行する絶対者が必要なのだ。そして、その責を負うに最も相応しい者は我しかいない。……何故なら、我は最初からそうなるべくして生まれた存在なのだからな」
「勝手なことを言う……!」
「我の言葉は真実だ。全て……な」
謳い上げるように語るそれは、ルーチェモンの本心であった。
光輝と闇、相反する二つの力を己が体に内包する魔王、ルーチェモン。彼の目的はデジタルワールドの平和的運営であり、それ以上でも以下でもない。そして、彼は自分以外にその支配という名の運営を行うに相応しい存在はいないと信じて疑わなかったし、だからこそ今の戦乱を引き起こした。それも全て、ルーチェモンなりの〝愛〟に基づいた行動だったわけである。
そう、ルーチェモンはデジタルワールドを愛しているのだ。誰よりも、遥かに──。
だが同時にルーチェモンは気付いていた。本来なら自分と相見えることすら叶わぬはずの下々の存在に、いつの間にか自分の本音を語っていたことに。己が本心をここまで饒舌に語ったことなど、思い返せば自らと同等の存在である七大魔王相手にもしたことはなかったというのに。
その感覚が魔王に齎したのは甘美であり、また愉悦であった。
目の前に現れた自らを英雄と嘯く未知数の存在を、己にとって脅威であると無意識の内に感じ始めている自分に気付いたからだ。こんな感覚は、少なくとも今まで感じたことは無かった。同志として生まれた七大魔王達との関わりの中でさえ、これほどの込み上げるような楽しさは無かったはずだ。
だからこそ、魔王は戦いを望む。英雄を名乗る者の力を試してみたくなる。
「……我が間違っているというのなら、我を倒して、それを証明してみせよ」
「言われなくとも!」
一瞬にして間合いを詰めたスサノオモンが放つ右拳。
咄嗟に身を捩らせたルーチェモンであったが、完全に回避するには至らず、右背部の天使の翼を僅かながらも持って行かれる。だが白い羽根が舞い散る様に陶酔する暇も与えず、二撃目が来る。今度は強靭な右の足を振るっての蹴撃。右腕で受け止めようとするも、蹴りの勢いが凄まじいためそれは叶わず、弾かれるようにして大きく後退する。単純な体術だけなら、スサノオモンの攻撃力はルーチェモンのそれを遥かに上回っていると見た。
なるほど、一撃でも受ければ生半可では済まされまい。
汗のひりつく感覚は悦楽。だが負けてやるつもりも到底無い。
「……なかなかやるな。だが……パラダイスロスト!」
「ぐうっ……!」
かつて如何なる戦士をも退けた、ルーチェモンが誇る最強の連撃だ。目にも留まらぬスピードで繰り出される拳が、スサノオモンの胸部を幾度と無く打ち付ける。だが一発一発が軽い。スサノオモンに明確なダメージを与えられていないのは明白だった。
連撃で決定打を与えるには至らず、僅かながらも体勢を崩したルーチェモン。その隙を、スサノオモンは見逃さない。
「お前を倒し、俺達がこの世界を救う!」
瞬時にスサノオモンの腕に出現したのは巨大な究極蛇神器。
ZERO-ARMS(ゼロアームズ):オロチ。かつて人間達が開発したといわれるデータの屑が、デジタルワールドにて具現化した神器。その様は巨大な神剣か、それとも大砲か。禍々しさすら覚えるその威容は、世界の破壊と再生を司る者が持つ武器として相応しい威圧感を誇っていた。
「天羽々斬!」
神器から発せられた輝きが、眩い光の剣となってルーチェモンを襲う。受ければ自らにも致命傷を与え得ると瞬時に判断し、間一髪で回避する。
標的を見失った神々しい光の斬撃が空間を切り裂き、底の見えないほどに仄暗い大地が真っ二つに割れる。全てを超越する圧倒的な破壊力にルーチェモンは魅せられる。光と闇の力を一つにし得る自分を倒さんとする強き意志、そして目の前で見せ付けた破滅的な戦闘力。その二つを併せ持つ眼前の存在が宿す力は自分とも同等か、もしかしたらそれ以上かもしれない。長らく侮蔑の対象でしかなかった存在が我と同じ場所まで来たということか、と敵ながらルーチェモンは対峙する英雄を称賛していた。
無論、敵は攻撃の手を緩めようとはしない。
「これで終わりだ! 八雷神!」
間髪入れずにスサノオモンが左腕を掲げると、闇に包まれていた空に雷が迸り、黒雲の中から八匹の巨大な竜が出現した。猛々しい雄叫びを上げながら、雷を全身に纏った光の竜の群れは一直線にルーチェモンへと襲い来る。凄まじいスピードだ。流石に回避困難と見たルーチェモンは、両腕からエネルギー弾を放ってそれを迎撃する。
その時だった。この世界の歴史を左右する決定的な刹那が訪れた。
乱れ撃たれるエネルギー弾の内の一発が狙いを外れ、ぼんやりと彼らの戦いを見上げていた幼年期デジモンへと飛来した。
見覚えのないデジモンだった。少なくともルーチェモンの配下ではなく、かといって目の前の太陽の闘士の仲間とも思えない。故に彼がダークエリアに迷い込んだのか、それとも元よりこの場所に生まれ落ちたのか、そのどちらかはわからないが、魔王と英雄の戦いに巻き込まれて死ぬのなら構うまい。傲慢の魔王に相応しい思考を以って、ルーチェモンは彼の者が砕け散るだろう様を見据えていた。
だがスサノオモンの行動は、魔王の予想の上を行く。
「危ない!」
「……なに?」
思わず飛び出したスサノオモンの行動に、魔王の口から発せられたのは純粋な疑問の色。
魔王が呆然と見つめる先で、太陽の闘士はその幼いデジモンを庇うように身を投げ出し、そのエネルギー弾の直撃を受ける。自身が認めた敵の全く予想外の行動に戸惑うルーチェモンの目の前で起こる大爆発。圧倒的な爆煙が周囲を覆った。
「──────」
物心つかぬ幼子のように、魔王の心は疑問で満たされていた。
理解できなかったのだ。伝説の英雄の魂を結集させた太陽の闘士の力は、十二分に自分を倒して余りある。己の全力を出して戦う歓喜、絶対的な力を持つ己が敗れ得るという恐怖、初めて味わう二つの感覚に身を委ねたルーチェモンは、気付けば彼になら敗れることも致し方ないとさえ思い始めていたのに。自らと同じ高みに辿り着いた人の子が、もし自らを打倒できたなら、その後に如何なる世界を築き上げるのか、楽しみでさえあったのに。
そんな傲慢の魔王が初めて認めた英雄は、取るに足らぬ幼年期を守る為に、勝利の機会を逸したのだ。
「愚か……な」
小さく絞り出した魔王の声は震えていた。その理由は魔王にもわからなかった。
噴煙が晴れた時、そこには激しく損傷したスサノオモンの姿がある。幼年期デジモンを庇うように彼の上に覆い被さった太陽の闘士は、無様に亀裂の入った鎧と砕け散ったオロチの残骸──見たことの無い剣だった──こそ残されていたが、既に死に体と言えた。少なくとも先程の魔王と伍する戦闘力は最早期待できまい。
「……己の身を投げ出して弱者を救うか。それもいい。だが──」
やはり貴様は、神にはなれない。
刹那、ルーチェモンの心中に宿った感情は落胆であった。少なくとも魔王自身はそう結論付けた。大義の為に少数を見捨てることのできる心の強さ。それを持つ存在でなければ、この世界を治めることなどできはしない。膨大な世界のシステムの頂点に立つ存在から見れば、地上に這い付くばって生きているデジモン達など、蚤以下に見えても致し方無いのだ。
所詮、奴と自分は違う。人の子が世界の頂点に立つ魔王と同じ場所に至ることなど有り得ない。改めて突き付けられたその事実が、ルーチェモンの胸に僅かに寂しささえ宿らせる。
「スサノオモンよ。やはり貴様にこの世界を治める権は無い。……デッドオアアライブ!」
掲げられた堕天使の掌底から眩い光のエネルギー、そして続け様に禍々しい闇のエネルギーが放たれ、傷付いたスサノオモンの体を覆い尽くした。やがて、一体化した光と闇の力がその内部に想像を絶する超重力を発生させ、その場に存在するもの全てを粉々に叩き潰していく。
そのエネルギー体の中から響いてくるのは、英雄になれなかった者の悲鳴のみ。
「ぐ、ぐあああああああーっ!」
「我を一瞬でも驚嘆せしめたことは賞賛に値する。……さらばだ」
ルーチェモンの言葉と共に、デッドオアアライブ内の超重力が一層強力なものとなる。
光と闇を融合させ得る魔王であるからこそ放つことのできるその技は、内部へと取り込んだ敵を決して逃さず、確実に押し潰す。如何なる強さも、この技の前には意味を成さない。そして、それは傷付いたスサノオモンとて例外ではなかった。
光と闇の融合体の中で、スサノオモンの体が四散する。先程まで傲慢の魔王を敗北寸前にまで追い詰めていたとは思えないほどの、極めてあっさりとした最期だった。元よりこの世界には存在していなかったはずの十闘士とは一体何者であったかなど、最早ルーチェモンには関係の無いことだ。
太陽の闘士は敗れ、データの塵と化した。ただそれだけが事実なのだから。
「──────」
聞き取れないほどの小さな声がして、ルーチェモンはそちらに目を向ける。
見れば戦いの決め手となった不躾なギャラリーは、大きな目を丸くして消え失せた英雄がいた場所に向けて何事かを叫んでいた。傲慢の魔王ですら見たことの無かったその幼年期デジモンもまた、間違い無くデッドオアアライブに巻き込んだはずだが、彼が生きているということは太陽の闘士は最後の力を振り絞って超重力の外へと投げ出したということなのだろうか。
「……大した甘さよ、そこまで行けば本物よな」
精一杯の侮蔑を込めたつもりだったが、自らの声に自然と称賛の色が混じったことに魔王は気付く。
愚かしいにも程がある。魔王を倒さなければこの世界に真の平和は訪れない、太陽の闘士はそう言った。そして彼は、彼らは十分にそれを実現できるだけの力を手に入れた。そうであるにも関わらず、取るに足らぬ幼年期を見捨てられず、彼を守る為に勝利を捨てた様は、ルーチェモンから見れば愚者以外の何者でもなかった。
それなのに、そのはずなのに。
「スサノオモン……!」
その名を噛み締める。忘れぬように、胸に刻み付けるように。
美しいと感じたのだ。素晴らしいと感じたのだ。たとえ見る者に愚かだと嘲笑されたとしても、決して魔王にはできぬその在り方は、紛れもなく英雄そのものであると。
「……さらばだ」
せめてもの手向けの言葉。
最後に残された彼らの“魂”が静かに粒子化していく様を、ルーチェモンは静かに見つめていた。
そして、世界は闇で満たされた。
くだらぬ英雄譚だったろう?
見るに堪えぬ愚かしさだったろう?
魔王を倒した十闘士(えいゆう)などいない。
邪悪なる者と戦い続ける聖騎士集団など存在しない。
そこに在るのは世界だけ。
ただ、愚か者達(デジタルモンスター)が生きる世界があるだけだ。
◇
ルゥくん、アナザーミッションみたいな声してそうですね
なんかルゥくんがちょっとだけ可哀想になって