第37話:英雄願望
周囲を見渡すと、そこは一面の火山帯。
マグマが煮え滾る様がどこか非現実的だ。そもそも、実物のマグマをこの目で見た経験を持つ人間が世界にどの程度いるのかを考えると、少し滑稽な気分になる。人間はその上で暮らしている癖に、それ以上のことを何も知りたがらず、知ろうともしない。それが情けない。そんな捻くれた考えが、長内朱実の頭にはある。
目の前に立つのは鋼の闘士。何故奴がこのエリアを選んだのかは知らない。だが周囲を炎で囲まれたこの場所は、確かに決戦の場所に相応しい。
「来たか、長内朱実。……逃げずに私の前に再び現れたことは賞賛に値する」
「……ナイトモンはどこ?」
その視線は飽く迄も鋼の闘士から逸らさない。毅然とした自分の顔が奴の顔に映っている。
「フッ、良い目だな。その鷹のように鋭い瞳は長内朱実そのものの具現とも言えよう」
「質問に答えろっての。……ナイトモンはどこ?」
奴はライバルなどではない。長内朱実にとっての敵だ。故に駆け引きも容赦も必要無い。
あの炎の闘士や光の闘士、またこの鋼の闘士が何故自分のことを知っているのか。そんなことは最早どうでもいいことだ。自分の決意は揺るがない。揺るがせてはいけない。そうでもしなければ、実力で劣る自分が奴を倒すことはできない。
そこまで考えて、朱実は気付く。生まれて初めて、自分を戦う相手より下に置いている自分自身に。
「お前の契約者なら恐らく他のエリアだろうな。……私の契約者に相手をしてもらうことになっているが?」
「……なるほど。そこまでしてアタシとサシで決着を付けたいわけね、アンタ」
「そういうことだ。……だが手加減はするなよ。今回は私とて手加減はせんし、前回のように意味も無く退いたりはしない。お前が以前のように腑抜けた戦いをするのであろうと、私は己の全力を以ってお前を打倒する。……私に勝てなくば死が待つと思え」
負ければ死。読んで字の如くのデスマッチ。朱実にとってこれ以上無いほどに好ましいルール無しという名のルール。
上着の内ポケットを確認する。ヌンチャクは砕かれ、ナイフはどこかに落としたらしい。残る武器は奴には効かないだろう小型スタンガンと拳銃型のエアガンだけ。やはり今この場における頼みの綱はベレンヘーナしか無いという状況が、何よりも心地良い。そう、自分は負けない。如何に相手が強大だろうと、如何に絶望的な状況だろうと、決して自分は負けてはいけないのだ。
加えてもう一つ。奴は今、前回のように意味も無く退いたりしないと口にした。それは朱実にとって紛れもなく屈辱だ。情けをかけられた、舐められたと知る。そこには憤り以外の感情を覚えず、敗北した事実を否応なしに突き付けられるようで朱実は身が焼けるような屈辱に苛まれる。
だがむしろ、それを考えればこそ、落ち着けた。
「これから戦う前に一つだけ聞いとくけど。……アンタ、人間の頃は相当素直じゃない奴だったっしょ?」
「確かに当たらずとも遠からずといったところだが……何故そう思う?」
「アタシ、アンタと良く似た男を知ってるからね。ああ、ムカつくぐらいそっくりよ。いつも捻くれた教え方しかできなかったあの人に」
そこで言葉を切り、大きくため息を吐いた。
「今日ね、アタシは二人の男を見た。そいつらは物凄く似てて、けど物凄く違ってて、良くわかんない二人だった。……でも少しだけわかったことがある。あの二人の中でアタシが好きな奴は、間違い無くそのアンタに良く似た人の影響を受けて育ったんだってこと。そうね、アタシにとっても義父だったあの人がいなかったら、アタシが八雲を好きになることは無かったんだろうってこと……」
拳を構える。普段は構えなど無い長内朱実が、ここに来て初めて明確な構えを取ったのだ。
そんな朱実の姿を見て鋼の闘士、メルキューレモンはその口の端を満足げに上げた。これから始まる戦いが、また相手である長内朱実が見せる戦いが楽しみで堪らないといった様子。静かに微笑む彼の視線は朱実の拳を覆う指抜きの手袋をハッキリと捉えていた。
朱実自身は気付いていない。だが彼女の拳には静かに青き粒子が集束し始めている。
「それで、もしも私がお前の言う男に似ているとして、お前はどうする?」
「……その仮面を引っ剥がす。スピリットなんていう偽りの仮面で自身を押し隠してる愚か者を、このアタシの拳でそこから引き摺り出してやる。……実はさ、アタシってその男のことがずっと気に食わなかったんよ。偉そうな顔で全てを知ってるような、全てをできるような態度を取ってた癖に、あっさり死んじゃってさ……!」
年頃の女の子が言うには乱雑すぎるその台詞。だが同時にそれは何よりも長内朱実には相応しい言葉とも言えた。
「だからアンタは潰す。……アンタを見てると、何でか親父殿を思い出しちゃうから」
朱実の拳に集束する青き粒子は、まるで小さな台風。それを静かに確認すると、メルキューレモンは再び笑う。彼女に覚醒しつつあるその力は、かつてこの世界に吹き荒れた戦争の嵐を収束に導いた少女も持っていたと言われる、伝説の力。事実、あらゆる武器を瞬時に創造し、自在に使いこなしてみせたその少女は今では伝説として知られている。如何なる相手をも打ち倒し、この世界の全てを制したとまで言われた少女と同じ力が今、長内朱実にもまた目覚めようとしているのだ。
それが嬉しくて堪らない。そうして、鋼の闘士は戦闘の開始を高らかに告げる。
「ならば見せてみろ。お前の強き意志が愚かしきその野望、叶わぬ目的へと届き得るか否か、鋼の闘士たるこの私が見極めてやろう。お前の己が魂の宿りし拳デジソウルの全てを以って、この私を打倒してみせろ、長内朱実!」
本気で戦い、本気で倒されるために。
メルキューレモンは己が贖罪として、また己が夢の成就のために、<ruby><rb>自らの娘に倒されるべく</rb><rt>・・・・・・・・・・・</rt></ruby>決戦を開始した。
アルダモンにしてみれば、ギガスモンを相手取ることなど赤子と相対するのと同じくらい容易い。
それぐらい、通常の闘士と融合形態の戦闘力には差がある。攻撃力、防御力、スピード。その全てが段違いなのだ。そもそも、ギガスモンを倒すことに限定するのならば、獣型形態のヴリトラモンでも十分だと言えるだろう。
だが今の炎の闘士の目的は敵を倒すことではないのだ。倒さずして敵を無力化するという難題。それを考えれば、この程度の戦力差はあって当然だった。
「くっ……テメエは何でこんなにも強い!? ルーチェモンに従う闘士の中で最も信頼されていなかったはずのテメエが!」
「さてな。無論、俺とてルーチェモンに仇なすつもりは無い。奴が目指す恒久の世界平和という考えには確かに共感できるものがあるからな。……だが、今は!」
溜めた動作で放たれるブラフマストラ。それもただ一発だ。本来なら連射することで破壊力を増幅するその技を、たった一発。だがその一撃でギガスモンの体は大きく吹き飛ばされる。巨体を誇る彼の体が、小さな火炎弾の一発で高々と宙に舞い上がったのだ。
次元そのものが違う。明らかにポテンシャルの差である。
「ぐっ、ぐぉぉぉぉ!?」
「……安心しろ、殺すことはしない。だがこの場、この状況にお前の存在は少々邪魔だ」
空中に吹き飛んだギガスモンに圧倒的なスピードで接近すると、アルダモンは背後からその首を右腕で軽く掴み上げる。体格的には殆ど互角のギガスモンを軽々と持ち上げるパワー、また一撃で吹き飛ばす技の威力。どれを取っても土の闘士とは段違いだろう。
ギガスモンを片腕で掴んだまま、アルダモンは更に飛翔する。
「てっ、テメエ! 何する気だ!」
「お前をセフィロトモンから放り出す。……簡単な話だろう?」
「馬鹿言うんじゃねえ! そんなことができるわけ――」
そんなギガスモンの言葉が終わる前に、アルダモンは空いている左腕を上げて赤黒い偽りの空に向け一条の閃光を放つ。
アルダモンの力を以ってすれば、それだけで十分だった。その空間の空は容易く破壊され、そこに本当の青空が覗く。そうして、アルダモンは有無を言わさずギガスモンをそこから外へと放り投げる。土の闘士であればこの程度の高さから落下したとて、死ぬことは無いだろう。
「ばっ、馬鹿なぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ~!」
「……精々死ぬなよ。それが今の俺に言える唯一の言葉だ」
土の闘士の悲鳴を聞き流しながら、彼はそんな言葉を呟いていた。
巨大なオロチモンと対峙し、どうも押されている様子のメガログラウモンを目にして、八雲の決断は素早かった。
「ミスティモン、足場を崩せ!」
「はっ、はいっ!」
ここは土のエリア。地面は岩石で脆いはず。そんな直感からの指示である。
その狙いはオロチモンの足下の大地。オロチモンより二回りは小さいミスティモンは神速のスピードで敵の懐へと潜り込むと、手にした水晶から炎を発して大地を焼き払う。熱されて脆くなったところを剣で一撃する。それを受け、大地はオロチモンの体重と相俟って地響きを立てて崩れ始める。当然、その上にいたオロチモンすらも巻き込んで。
奇声を上げて横倒しになるオロチモン。流石に巨体が災いして、すぐには立ち上がれないらしい。
これを好機と見て、八雲は素早く駆け出して肩で息をするメガログラウモンの隣へ駆け付ける。奴も並ではないパワーアップを遂げたらしく、オロチモンには押されこそしていたが、その戦闘力は恐らくミスティモン以上だと思う。
だがそれよりも、八雲には聞いておくべきことがあった。
「……おい、一つ聞いてもいいか」
「野蛮人か。何か用かよ?」
「お前の知ってることでいいから教えてくれ。……召喚師って、何のことだ?」
その質問にメガログラウモンは一瞬だけ確かに狼狽した。
召喚師。八雲がその名で呼ばれたのは過去に一回のみ。そう、初めてあの炎の闘士と相対した時だけである。別段それが特別な記憶として残ることも、また彼の中で重要な言葉だと思われることも無い。ただ、これから靖史を助けようと考える自分には少しでも不確定要素を残しておきたくなかったというだけだ。
「逆に聞くけど、何でクラウドに聞かずに俺に聞くんだよ?」
「……アイツが素直に教えてくれるタマかよ」
「確かにな。アイツ、お前に似て素直じゃないところがあるから」
そんなメガログラウモンの言葉には、八雲とて流石に憤慨する。何故あんな淡々と人の命を奪いに来るような男と似た者扱いされねばならないのか。
だがメガログラウモンはどこか遠くを見るような目で「お前にも知る権利はあるか」と呟いていた。
「何万年……いや、数えるのも嫌になるぐらい前の話だ。……この世界で大きな戦争があったんだよ」
「……らしいな。ミスティモンから聞いた」
「それなら話が早い。なら戦争を終わらせたのがお前と同じ人間だってことも?」
「ああ、一応聞いたさ。女の子なんだって?」
異世界を天駆ける光竜と共に奔走した少女の話は、いつかミスティモンがしてくれたのだったか。
歴史上に存在しない光り輝く竜をパートナーとしたその少女は、光と闇の戦争が膠着状態に入った頃にこの世界に姿を現した。彼女がこの世界を訪れた理由もまた【反転】の影響だったと聞く。彼女は同じくこの世界に現れた人間と幾度と無く激闘を繰り広げながら、次第に自身に秘められた力を覚醒させていったという。
その秘められた力とは、まさしく「既存の武器を咄嗟に手元に呼び寄せる」能力。その姿を目撃した者達は皆が皆、驚愕と畏怖を以って彼女をこう呼んだというのだ。我々には無い力を持つ存在、召喚師と。
それを聞いて八雲は思い出したのだ。あのアグニモンとの戦いで自分がグロットハンマーを咄嗟に手元に呼び寄せたことを。そして、その時にアグニモンは僅かに目を細めながら八雲のことを「召喚師」と呼んだことを。
「わかってるじゃないか。……そうだ、その子もまたお前と同じ召喚師さ」
「じゃあ、やっぱり手元に武器を呼び出す能力を?」
「呼び出すってのは少し語弊があるな。その女の子、名前は穂波っていうんだが、その子に宿っていたのは『武器を呼び出す』力じゃない。その場に『想像した武器を創造する』力さ」
赤黒い空を見上げながら、メガログラウモンは呟く。その顔には一抹の寂しさが混じっているように思えた。
「……当然、お前の持つ力も同じだよ。だから召喚師なんて偉そうに言ったところでさ、結局お前に『武器を呼び出す』力なんて無いんだ。あるのはただ、何かを作り出す……創造の力だけってことさ」
「なら何でそんな呼び名を……?」
「さあね。何で先人どもが召喚師なんて呼び方を考えたのかは知らない。けど融合世界に残されてから随分と時間も経ったんだ。そろそろお前も気付いてるはずだろ。……この世界には何かの誕生っていう概念が無いってことをさ」
「……そういえば」
言われて初めて八雲は理解に及ぶ。
この世界には何かが生み出されたり、また創り出されたりすることが無い。今まで目にしてきた多くのモンスター達には雌雄の区別が無い。連中が如何なる方法で生殖活動を行うかは知らないが、少なくとも八雲は見ていない。彼らモンスターが誕生する瞬間も、また生まれたばかりの赤ん坊の存在すら、八雲は未だに確認していないのだ。
連中が命を落とせば、その体は粒子と化して消滅する。その後には何も残らない。また連中は何らかの形で道具を用いてはいるが、その道具を開発している様子も無い。つまりこの弱肉強食の世界の中、彼らは壊すだけなのだ。何かを壊し、その後に何かを作ろうという考えは無い。ただ、壊すだけ。
それは恐ろしい考えに直結する。壊すだけということは、それは彼らが死ねば死ぬほど、彼らの絶対的な個体数は減少するしかないということではないか――?
「その通りさ。かつて始まりの町って場所があった頃はそうじゃなかったんだが、それも同じことさ。俺達は絶対的に何かを生み出す力に欠けている。今の俺が装備してるこの武器、この装甲だって俺達が作り出した物じゃない。ただ、メガログラウモンって種が備えている武器だってことだけだ」
「ならお前、何であの時……」
その質問は初めて会った時、躊躇い無くあの黒い鎧竜を消滅させたグラウモンに向けられた言葉。
「……そんな疑念を抱くこと自体、この世界でのお前の異端ぶりを示してるぜ。あのな、俺や他のモンスター、それにお前の契約者だって本来なら互いに殺し合って勝った方のみが生き残れる、つまり戦闘種族だ。お前だって弱肉強食って言葉ぐらいは知ってるだろ? それともあれか、そんな生物の種としての本能さえ否定しようっていうのかよ、お前はさ」
「それは……そうじゃないとは思うけど」
そう、気付いていた。彼らが戦い、殺し合うのは要するに自然界と同じ。ライオンがシマウマを襲うように、彼らは強い者が弱い者を淘汰する。ただそれだけのこと。
「まあ正直な話、こんな話はどうでもいい。お前や穂波みたいな人間が召喚師って呼ばれてる理由は、要するにそういうことさ。俺達の世界に生きる者には概して創造という能力が無い。あるのは闘争心と破壊本能だけだ。だから大概の奴は何かを創ることのできる力を持つお前らを疎む。自分達に無い能力を持つ者として妬む。そして自分達には理解できない存在として恐れる。異世界からの来訪者にすぎない人間が自分達の世界にすら存在しない力を持つことを認めたくないからこそ、召喚師なんて回りくどい表現を使うのさ」
つまり渡会八雲はこの世界において、全てを超越した力を持つということ。
この世界で何かを生み出し、何かを作り出せる存在は神に等しき力を持つ四聖獣とか三大天使とか、そんな者達ぐらいしか存在しない。度重なる戦争の中で彼らが姿を消した今、その創造の力を持つ者は絶対的な存在として異世界に君臨する。その力を以って、かつて一人の少女は大戦を終結に導くという偉業を成し遂げた。他の数多のモンスターが誰一人として行えなかったことを、容易く完遂してみせたのだ。
そして今また、同じ力を持つ少年がこの世界に現れた。果たしてこれは何を意味するのか?
「そういえばお前、前にクラウドと戦った時にグロットハンマーを創ったんだって? 本当に馬鹿なんだな、あれがお前に制御できるわけないのにさ」
「どういう……ことだ?」
「ああ、言ってなかったな。召喚師……ていうか、人間は俺達と同じように一人一人が何らかの属性を持ってるんだよ。それは言わば魂の力、誰かさん達はデジソウルとか呼んでる力さ。それは炎だったり光だったり、要するに十闘士の持つ属性と同じだな」
「………………」
「穂波はね、二つの属性を持っていた。土と氷の属性の召喚師だった。だから彼女ならグロットハンマーを完全に具現化させることも不可能じゃないだろう。けどお前は違う。土の属性を持たないお前に、完全に土の属性の武器を具現化することなんて不可能ってわけだ」
つまり、それが答え。渡会八雲がグロットハンマーを御することができなかったのは、要するに渡会八雲のデジソウルとやらが土の属性を備えていなかったから。
「持ち主によってデジソウルには様々な性質がある。それは進化の輝きだったり破壊の力だったりな。穂波やお前が特別だっていうのは、そのデジソウルが体の外に出た時、実際に形を以って存在するってことだ。つまり、それが創造の力。本来、デジソウルには形なんて無い。それなのに、お前達召喚師はそれに形を与えてしまう。脳裏に思い描いた存在をデジソウルで具現化させてしまうわけさ」
「そうか……だから、あの時」
アグニモンとの戦いで絶体絶命のピンチに陥った時、八雲はグロットハンマーを確かに想像した。
そして一瞬の後、その手には想像した武器と寸分違わぬ武器が現れていた。つまりあれは、八雲の想像の具現化。八雲が心の底から求めたからこそグロットハンマーは手元に現れたのだという、何よりの証明だ。
そこまで考えて、笑ってしまう。欲しいと思った物が形を成して手元に現れる。これではまるでSF映画の世界ではないか。
「……お前の属性が何かは俺にもわからないし、お前が自分で確かめるしか無いんだろう。けどな、一つだけは言える。かつて、穂波はその力を以って世界という名の絶望に反抗し、そして打ち勝った。確かに彼女のしたことは褒められたことじゃない。光も闇もお構い無く、戦いを続ける者なら容赦無く滅ぼした。戦争を終わらせるために両軍のトップを倒すなんていう、テロリスト染みた行為を敢行した」
「……たった一人でか?」
「さあな。でも詳しく知ってるわけじゃないが、穂波にはどうしても世界を救わなきゃならない理由があった。だから非道だと罵られても、歯を食い縛って戦った。そうして、最後には戦争を終わらせたんだ。……それは光と闇の両陣営を滅ぼすっていう最悪の方法だったけど、それでも俺達みたいな戦争に無関係な連中にとって、彼女は間違い無く戦いを終わらせてくれた英雄だったんだ」
実を言えば、メガログラウモン自身は戦争の終結を直接知るわけではない。
彼はその少女が戦いの中で救えなかった数少ない犠牲者の一体だからだ。だが死の際に彼女が見せた悲痛な表情は今でも目に焼き付いている。ごめんねと謝る声。止め処無く落ちる涙。それを見て、彼は真に強くなろうと決めたのだから。英雄である彼女と並べるくらい強くなろうと決めたのだから。
そして生まれ変わって久しい今、かつてのギルモンは十闘士最強の存在の契約者、メガログラウモンとなった。だが彼女と並べるほど強くなったかと聞かれれば、正直その自信は無い。
「だからお前も心に刻んどけよ。……お前のその力、創造の力は世界に平和も破滅も齎すことができる偉大な力だ。穂波はその力で破滅という名の平和を齎した。お前が同じものを求めるなら構わない。だけど、平和のために世界を滅ぼすなんて愚行は……俺達が許さないからな」
「お前ら、だから俺を……」
それきり、メガログラウモンは何も話さない。奴はただ、彼の契約者にそっくりな強い視線をやっと立ち上がったオロチモンへ向けているだけだ。だが八雲には奴の悲しみが、憤りが見えた。要するに、奴はその穂波という少女のことが好きだったのだろう。だからこそ彼女と並びたいと願い、強くなろうと今こうして戦い続けている。
それが自分と靖史の関係に似ている気がした。けれど、自分達のそれは彼らとは違って酷く歪に思えてならない。
「そろそろ行くぞ。野蛮人……いや、渡会八雲」
「フルネームで呼ぶな。……アイツ、何か弱点は?」
「オロチモンは確かに八つの首を持つが、その内の七つは仮初って聞く。つまり、本体は一つだ。それを見極めることができれば、勝機はある」
それなら簡単だ。かつて、スサノオはヤマタノオロチを酒で酔わせて倒したと聞くが、そんな必要も無い。本物の首が一つならば、即ち本物の目も一対。奴の二つの目に対して、こちらは三人。この戦力の差さえあれば、決して負けることなど有り得ない。
この自信に根拠など無いし、必要も無い。
「ミスティモン。……三位一体で行くぞ」
「私は構いませんが、彼は構わないのですか?」
「……ああ、たぶんコイツは悪い奴じゃないからな」
そう信じられる確証を得た。つまり、炎の闘士とその契約者が自分を襲ってきたのは、かつて世界を救った英雄と同じ力を持つ渡会八雲を、世界を滅ぼし得る力を備えた自分を脅威と感じたからなのだ。要するに、奴らが執拗だったのはこの世界を愛すればこそなのだ。それを考えれば、彼らは決して悪い奴らではないと感じ取れる。
無論、そんな八雲の言葉にメガログラウモンは不満そうだ。
「その言い草は気に食わないな。……でもな八雲、お前のデジソウルはまだ安定していない。この状況で創造を行うことはまだ無理だろうさ」
「そっか。……まあ構わないさ。俺にはコイツがあるからな」
渡会八雲が引き抜いたのは彼には分不相応な大剣、龍斬丸。
あのザンバモンとの果たし合いの中で得た斬馬刀は、今や八雲にとって最高の相棒として存在する。かつてはその重さに苦戦することもあったが、今では自分の愛刀のような感覚で使えている。果たしてこれを成長と呼んでいいかはわからない。だが確実に自分の戦闘力が上がっていることは感じられた。
もっと強く、もっと上へ。それは渡会八雲――否、仙川八雲が過去に捨てたはずの願い。
「へっ……本当にそっくりだよ、お前らはさ」
龍斬丸を構える八雲を見下ろし、メガログラウモンはそんな言葉を呟いていた。
我ながら情けないと思う。だが今の彼には逃げる以外に生き延びる方法は無かった。
だから息も荒くして走り続ける。このまま何もできずにいれば、間違い無くルーチェモンに役立たずとして処断される。契約者のオロチモンとは引き離され、相棒だったアルボルモンはダスクモンに取り込まれて暴走した園田靖史とかいう人間に殺されている。既に彼には何ら拠り所が無い状態。だから如何にアルダモンの手でセフィロトモンの外に放り出されたといっても、ギガスモンには彼に感謝する気など微塵も無かった。
逃げるにしても、この世界にルーチェモンの目の及ばぬ場所など無い。だとすれば――。
「どこに行きゃ……どこに行きゃいいんだよ! くそぉぉぉぉ……!」
そんな彼の孤独な慟哭を聞く者はいない。契約者すら今の彼の傍にはいないのだ。
実際、彼は一人だった。頼る者も守る者も付き従う者もいない。故にただ一心不乱に街中を走り続けている。途中、一体のモンスターが頭上を飛んでいくのが見えた。どうやらセフィロトモンの方角へ向かうらしいそのモンスターは、記憶が正しければブラックラピッドモンという種族だったはずだ。万全の状態の土の闘士なら取るに足らぬ存在だが、今では下手に戦闘を仕掛けたところで返り討ちに遭うのは必至だろう。
事実、炎の闘士との戦いで傷付いた彼の体は既に限界だった。小石に躓き、無様に大地に転がる。
「死にたくねぇ……俺は死にたくねぇんだぁ……!」
元々が小心者の彼である。死を覚悟してまでルーチェモンの意思に反することなど、できるはずも無かった。
電脳大戦の中で命を落とした雷と氷の闘士は別としても、ルーチェモンに逆らった末に二体の騎士を差し向けられ、自身が拠り所とした町と共に粛清された風の闘士の最期の姿を土の闘士は知っている。あの少女は消滅する瞬間まで後悔する素振りは見せなかったが、土の闘士にはそんな彼女の姿が信じられなかった。
そう、彼は死にたくなかった。自分の強さ云々よりも、ただ死にたくなかったのだ。
「確か平家物語……だったかしら?」
「な、なに……?」
刹那、唐突に響く雅な声。思わずギガスモンが顔を上げると、建物の影から姿を見せる一人の少女の姿があった。
その風に揺れるショートカットは輝く黄金。また十闘士の人間体として共通の漆黒のローブを纏った彼女は、年齢的には恐らく10歳前後といったところ。だがギガスモンを見つめる冷たい瞳には、年齢以上の冷酷さを宿していた。
その隣に佇んでいるのは少女より遥かに大型の体躯を持つ清爽な竜。巨大な双翼を備え、また頭部に三本の角を持つそのモンスターはエアロブイドラモン、恐らく彼女の契約者だろう。
「沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理を表す……と言うけれど、これで理解できたわよね、ギガスモン。結局、栄えた者はいずれ滅びるってこと。……ルーチェモンに従い続けたアンタに未来なんて無いってことが」
「て、テメエ光の闘士……か?」
「ご名答♪」
楽しげに笑い、少女は軽やかに駆けてくる。
その姿からは想像もできないが、彼女は紛れも無くあの炎の闘士と並んで十闘士最強と目されている存在である。一条の閃光を纏って戦場を駆ける様は誰にも捉えることは叶わず、彼女と相対すれば瞬きの間に倒されるとも言われている。実際、愚かにも先走り彼女と倒そうとしたラーナモンは、覚醒した直後の彼女の反撃を受けて敢え無く消滅の憂き目を見た。
だが何よりも強いということは、逆に考えれば味方にすれば誰よりも心強いということも意味する。
「そ、そうだ! 光の闘士、俺を助けてくれ!」
「……アンタを私が? どうしてよ」
「俺は失敗を繰り返し、ルーチェモンに処分されることは目に見えてる! だが俺はこのまま死にたくねぇんだ! だから頼む! 俺を……俺を助けてくれ!」
名誉もかなぐり捨てた必死の叫びである。それに光の闘士は僅かに思案するように俯き。
「まあ利が無いわけじゃないけどね。ルーチェモンの手下が味方に付くなら、アイツを倒すのも簡単になるかもしれないし」
「ほ、本当か!?」
目を輝かせて飛び起きる。遥かに小柄な少女に縋る自分が滑稽だと思う気持ちは、今の彼には無い。
彼はただ、死ななくて済むことが嬉しかったのだ。炎の闘士や光の闘士など、一部の闘士を除けば、十闘士とは須らく人間の姿を持ちながらも生前の記憶を残していることなど殆ど無いと言える。生前の記憶の有無は、十闘士として誕生した時期によるものだ。
その中で後期型に属する土の闘士には人間だった頃の記憶は殆ど残されていない。ギガスモンに言わせれば、そんな記憶が必要だと思ったことは今まで一度として無いし、むしろ自分が元々人間であることに忌々しさを覚えていたのが現状である。そう、彼はかつて人間としての死を経験しているというのに、必死に死にたくないと願っている。
故に滑稽である。生前の記憶を有し、脳裏に自らの死の記憶が鮮明に焼き付いている光の闘士からすれば、その姿は何よりも無様で愚かだった。
「よっしゃあ! これで俺は死なずに――」
「……あのね、ギガスモン。馬鹿なアンタに一つだけ言っとくわ」
そんな時、不意に光の闘士の声が低くなる。それを疑問に思い、ギガスモンが背後に立つ彼女を振り向こうとしたその瞬間、彼の腹を突き破って双刃の大剣が現れた。
「なっ……?」
痛みは感じない。そもそも、痛みが全身に駆け巡る時点で彼は死んでいた。死人が痛みを感じるはずも無い。
鋭く伸びた二本の刃が金色の輝きを放っている。その刃はギガスモンの腹部を易々と貫き、十闘士の中でも最も耐久力に長けるだろう土の闘士を一撃で死に至らしめた。二本の刃に貫かれ、空中で力も無く手足を投げ出している土の闘士の姿は、まるで百舌に捕らえられた蛙を思わせる。
あまりにも突発的な死だったからか、そのデータの消失がなかなか始まらない。
「下衆が……!」
それに苛立った大剣の主は、吐き捨てながら無造作に腕をギガスモンの体ごと一振りする。その衝撃で大剣から軽々と引き抜かれた土の闘士の体は、その体格や重さに反して紙切れのように吹き飛び、ビルの外壁に当たって力無く崩れ落ちた。それでも、まだその体の粒子化は始まらない。
「ギガスモン……愚かの極みだな。八雲を一度でも傷付けようとした者を、この私が生かしておくとでも思ったのか?」
そんなギガスモンへ静かに腕を向けた存在の持つ意匠は、どこかヴォルフモンに似ていた。
彼が腕を向けると同時に、その手首が展開され、そこには無数のミサイルポッドが設置されている。また彼の持つ剣はまるで獣の爪のような、つまりガルムモンの爪が巨大化して武器と化したような印象を持っている。即ちその存在は炎のアルダモンと同様、光の闘士であるヴォルフモンとガルムモンの融合体。
ベオウルフモン。北欧に伝わる英雄の名を冠した、光の闘士の融合形態。
「……リヒト・アングリフ」
静かな声と共に放たれたミサイル群が、一瞬にしてギガスモンの遺体を爆発の中へと包み込む。その無慈悲なまでの破壊力は土の闘士に肉片を残すことすら許すまい。土の闘士ギガスモンはここで死ぬ、それも同じ十闘士である光の闘士ベオウルフモンの手によって。
爆煙が晴れた先に土の闘士の姿が残されていないことを確認し、ベオウルフモンは元の少女の姿へと戻る。
その顔には後悔も苦悩も無い。とても十闘士を二人殺してきた少女の顔とは思えない。彼女は真実、己の目的のために命を奪うことに躊躇いが無い。それは十闘士としての自分の力と、また目的を果たすために必要なことが何であるかを理解し、それらを全て割り切っているからに他ならない。
渡会八雲との最も大きな違いはそこである。八雲は割り切れず、だが目標を捨てることもできない。だから何よりも中途半端な位置に立つことしかできない。非情になることさえできれば、八雲は間違い無く如何なる世界でも最強の存在として君臨できるのに、当然の如く彼はそれを望んだりしない。それが少し悔しかったりするジャンヌである。
とはいえ、そんな八雲が愛おしく思えるのもまた、ジャンヌは否定できないわけだが。
「僕は好きじゃないな、こういう倒し方は。倒すなら正々堂々と真正面から戦って勝った方がいいよ」
「それが甘さなのよ、エアロブイドラモン。倒し方に好きも嫌いも無いでしょう。そもそも、使命を必ず果たさなきゃいけない今の私の立場じゃ、そんな行動の是非を問う余裕なんて無いんだからね。……これで私以外の十闘士は残り三人になったわけ。もうすぐね、邪魔者が全て消えるのも」
「でもクラウドは強い。アイツのグラウモンが完全体より先に行ってたら、僕らの力だけじゃ勝てないと思うよ。知り合えたのも何かの縁だから、あの二人に力を貸してもらえばいいんじゃない? あっ、当然あの二人っていうのは渡会八雲とあのウィザーモンのことだけど」
「駄目よ、八雲の手は借りられない。……絶対にね」
エアロブイドラモンの提案をジャンヌは即座に却下する。
「私がしていることに八雲を巻き込ませるわけにはいかないの。……そもそも、私がこんなことをしているのも全部八雲のためなんだから。それなのに八雲を危険な目に遭わせるなんて、そんなことができるわけないでしょ?」
邪魔者が全て消えれば、渡会八雲が破滅の道へ進むことは防げる。
そのためにジャンヌは彼の行く道を阻む障害を潰し続けてきた。だが唯一の例外があの長内朱実だ。ガルムモンの姿で襲い掛かるまでは良かったが、何者かの援護射撃で怯んだ隙に逃げられてしまった。そのことを思い出すと、悔しさで血液が沸騰しそうになる。
そう、ジャンヌにとっては全てが邪魔な存在なのだ。十闘士、ルーチェモン、園田靖史、皆本環菜、そして長内朱実。これらの存在があるからこそ、誰よりも光に近いはずの八雲の心は汚されていく。だから、それらを全て無くすことが光の闘士としてこの世界に生を受けた彼女の唯一の願い。かつて自分を救ってくれた八雲に対して彼女ができる、唯一の恩返し。
故に彼女は鬼となる。涙も悲しみも弱みも一切見せない。とはいえ、この契約者だけは見抜いているらしく。
「じゃあ最後まで一人で戦わなきゃならないわけだ。……辛いね、ジャンヌ」
戦いが嫌いな身で十闘士の契約者などにさせられた自分の方が辛い癖に、この竜はそんなことを心底辛そうに言う。
それが少し気に食わなかったので、ジャンヌは何も言い返すことはしなかった。
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第38話:分岐点 ~A Junction~
その十闘士の契約者と呼ぶにもおこがましい存在は、騎士を前にして唐突に笑った。
「……何がおかしい」
「いえね。どうやら土の闘士が死んだようでしてねぇ」
ドウモンの笑いは慇懃無礼。それはナイトモンにとって、問答無用で斬り捨てたくなるほど醜悪な笑みである。
このセフィロトモンの外で死んだであろうギガスモンの死を正確に察知できている辺り、確かに彼の感知能力は相当に優れているのだと推測できる。だがナイトモンは決して彼の持つ能力に賞賛を覚えたりはしない。ただ、この醜悪な笑顔を見ていることに耐えられないだけだ。
「貴様、仮にも仲間だろう。その仲間の死を笑うのか」
「仲間……あのゴミが? そんなわけが無いでしょうよ。私とメルキューレモン様にとって、土の闘士など単なる手駒。あなた達を分散させるためだけに用いた道具にすぎないのですよ。尤も、そんな程度の低い用途に使われたぐらいで消される程度の輩だったのですから、粗悪な不良品と言ってもいいでしょう」
「貴様――!」
死者への冒涜を前にして激昂したナイトモンは、我を忘れて剣を一閃させる――が。
「遅いですよ、遅すぎる」
「なっ、なに……!」
振った剣の先、その僅か数十センチほどの太さしかない剣の上に、ドウモンは立っていた。
それはナイトモンの太刀筋を完璧に見切っていなければ不可能な芸当。剣の上で彼の者が浮かべている微笑が、何よりもナイトモンを挑発する。考えてみれば、それは以前相対した際にメルキューレモンのサポートに回っていたドウモンが見せる初めての能動的な行動である。
自分は今、とんでもない相手と対峙しているのかもしれない。ナイトモンの脳裏にはそんな考えが浮かぶ。
「……あなたの契約者はメルキューレモン様が、またもう一人の少年はダスクモンが、それぞれ討ち取ることになるでしょう。契約者を失えばあなたとミスティモンなど存在する意味すら持たない」
「闇の闘士まで……この場所にいるというのか」
「如何にも。ですが、あなたが気に留める必要はありませんよ。あなたは私がこの場所で、確実に殺して差し上げるのですから」
瞬間、ドウモンの振袖からは鋭い暗器が出現する。それが戦闘開始の合図となった。
火山の熱気が襲い、朱実は思わず額の汗を拭った。
「……正直言って堪んないね、この暑さ。あ~、これならもっと薄手の服を着てくれば良かったかもしれない」
「戯言は私を倒してから言うのだな。……そら、休んでいる暇は無いぞ!」
「わかってんよ……来な!」
いつの間にかメルキューレモンと互角に戦えていることが、朱実の口調を何よりも強気にさせている。
そこには理屈も何も無い。ただ、朱実が鋼の闘士に対抗できる戦闘力を持っており、またそれを使うだけの技量が彼女にあるというだけのこと。元々それだけの可能性が、人間という生物には存在する。問題はそれに気付くか否かであり、そんな自分の限界が遥か先にあるのだということを見極めることこそが肝要なのである。
メルキューレモンが鏡からビームを放ってくる。それを横っ飛びで危うく回避する。岩場であるのも構わずに側転して攻撃を避ける姿は、いっそ見事と言えた。
「良くぞ避けた。まるで山猿のような女だな」
「……前言撤回、やっぱり上着は必要だね。アタシの判断は正しかった!」
朱実が楽しげに笑うのは本当に楽しいから。そう、今となっては既にリベンジとか借りを返すとか、そんな考えは彼女の頭からは掻き消えている。相手を倒すために、また自分が勝つために取るべき最善の動きを考えることしか、今の彼女の頭には存在しない。この久しく感じていない感覚は、やはり自分と渡会八雲にとって大切な人との関わりの中で感じたものと同じ。
咄嗟にベレンヘーナを引き抜き、足場を崩すべく奴の足下に連射する。
「甘いな! その程度で私が揺らぐとでも思ったか!」
「……チッ、思った以上に鋭いね、アンタ!」
だが足場を崩す前に移動され、その作戦を敢行できない。
仕方無しに牽制とばかりに数発を奴の肩を掠める程度に発射する。だがメルキューレモンは踊るような動作で放たれた弾丸をイロニーの盾で弾き飛ばす。弾道を完璧に見切った上での行動。やはり、策謀に長けた闘士の名は伊達ではない。
更に戦う上でこの鋼の闘士の厄介なところは、最低限の動作で最大の防御や回避を実践しているところにある。その点に限って言えば無駄な動きが多い朱実の方が不利である。如何にスピードで勝っていようとも、肝心の攻撃が意味を為さないのであれば勝ち目など見えまい。それが理解できているからこそ朱実は舌打ちせざるを得ない。
「どうした。肩を掠めるように狙っていては、当たるものも当たらんぞ? それにな、その銃だけではこのイロニーの盾は傷付かぬ。本気で私を倒したいと願うのなら、飽く迄も己の拳で来い、長内朱実」
「小細工は通じない……か。でも、そうでなきゃ面白くないのよねっ!」
一気に肉薄すると、体をコマのように反転させて後ろ廻し蹴りを放つ。無論、盾で受け止めた鋼の闘士はよろめくこともしない。
「この程度か? お前の本気を、本当の力を見せてみろ」
「マンマミーア。……マジで鋼の闘士なんね、アンタって」
予想より遥かに硬い。所詮は鏡、自分の一撃を浴びせれば簡単に砕けると考えたのは早計だったか。
そのお返しとばかりに、鋼の闘士が廻し蹴りを放ってくる。至近距離なので回避はできず、咄嗟に腕を上げて受け止める。とはいえ、その蹴りは強力無比。ガードに回した左腕が一撃で死んだ。とんでもないパワーを前にして、痺れてしまった。
「くっ……!」
「これが限界だとしたら、とんだ期待外れだな!」
続け様にフックが襲う。眼前に迫る相手の腕を掴み、敢えて勢いに任せて自ら投げ飛ばされる。一旦距離を取るための策であるが、そんな朱実の狙いすらもメルキューレモンは完璧に看破していた。
後方5メートルの位置に着地した瞬間、朱実の見たものは自分に向けられるメルキューレモンの盾だった。
「……マジっすか」
「チェックメイト……かな?」
瞬間、鋼の闘士の放ったビームが周囲を焼き払っていた。
オロチモンは確かに大きい。だが逆に考えればそれは死角の多さにも繋がるだろう。だからこそ自分達にも必ず勝機があるはずだ。
先陣を切ってミスティモンが突撃する。そのスピードは今の戦力では最も頼りになる能力と言えるだろう。オロチモンを上手く撹乱し、こちらの攻撃のチャンスを作り出してくれるはずだ。それを好機として、火力に勝るメガログラウモンが一気に突っ込む。
「ブラストファイア!」
オロチモンの周囲を囲むように、ミスティモンが激しい炎を放つ。一瞬、オロチモンが怯んだ隙に彼は迷い無く突進する。自分に対してあまりにもサイズの小さいミスティモンの姿を捉えることは、流石のオロチモンとて手間取るのか、その瞳に僅かな狼狽の色が見て取れた。
だが胴体付近に回り込んで剣の一撃を見舞うも、ミスティモンの剣では奴の鱗を傷付けることすらできないらしい。
「くっ、少し硬すぎます……!」
「……おい、俺達も行くぞ。しっかり捕まってろ。離したらどうなっても知らないからな」
「わかってるさ。頼むぜ、メガログラウモン」
八雲が立っているのはメガログラウモンの右肩のバーニア付近。とはいえ、近付きすぎるとバーニアを噴射した際に吹き飛ばされるということなので、殆ど魔竜の首に寄り添うような形である。地上8メートルほどのこの場所は、高所恐怖症の者なら悶絶しそうな眺め。無論、その気の無い八雲とて恐怖心が全く無いわけではない。
だが開き直っている。空を飛べない人間の自分には、これぐらいの危険を冒さなければオロチモンに攻撃を仕掛けることもできないのだから。
「……行くぞ!」
バーニアを吹かし、メガログラウモンの巨体が宙に浮く。奴ほどの巨体を軽々と滞空させるバーニア出力が如何ほどなのか、考えるのも嫌になる。今更ながらも、やはり自分の常識が殆ど通用しない世界なのだと、そんなことを思ったりする八雲である。
一瞬の後、その巨体は周囲を蝿のように飛び回るミスティモンを叩き落そうと尾を振るうオロチモンに突撃する。その風圧に顔が潰れそうになるが、八雲は前屈みになることで堪えた。
「くっ……マジできついぞ、コイツは……! だがメガログラウモン、俺に構うな!」
「当然だろ! 俺がお前に気を使う必要なんて無い!」
八雲のことなど微塵も考えていないのは真実。
実際、オロチモンの眼前で唐突に逆制動を掛けたメガログラウモンは、その反動で八雲が宙に投げ出されようがお構い無しだ。だが吹っ飛んだ八雲を素早くミスティモンが抱え上げることで事無きを得ることに成功する。
突然眼前に突っ込んできた魔竜を前に、オロチモンは確かに狼狽した。
「さっきの借りだ! 喰らいな、ダブルエッジ!」
咄嗟に反撃の代わりに振り下ろされた尾を右腕で受け止め、また続け様に振るった左腕で奴の八つの首の内の二本を切断する。だが如何に首を切ったとて、傷口から鮮血が飛び散ることは無い。そこから導き出される結論を鑑み、メガログラウモンは小さく舌打ちをした。
「チッ、外れか。でも右側の首を何本か失ったんだ。少しはバランスが悪くなるはず! このまま一気に攻める!」
「おい……アイツ、もう俺達のことなんて頭に無いみたいだぞ」
「きっと負けず嫌いなんでしょうかね……誰かさんにそっくりです」
眼下で繰り広げられる激闘を見下ろし、そんな感想を漏らす八雲とミスティモンである。
だが即座に気付いた。メガログラウモンが両腕の刃を振り上げた瞬間、オロチモンの首の中の一本が僅かに目の色を変えたことに。あれは蛇が相手を威嚇し、攻撃する際に自身を鼓舞するために見せる表情だったはず。ということはつまり、奴は必殺技を放とうとしている――?
それを知るが早いか、八雲は叫んでいた。
「アイツが本体か! メガログラウモン、あの真ん中の首に注意しろ!」
「……ああ? なんだって?」
「一旦下がれ! 全身サイボーグの今のお前は、あいつの腐食ブレスには弱いはずだ!」
その左腕に装着された手甲、D-CASでオロチモンとメガログラウモンのデータを確認しながら、八雲は叫ぶ。
この辺りが八雲と朱実の差異であると言える。朱実が己の技量を極限まで信じ、相手の能力など殆ど吟味しないのに対して、八雲は飽く迄も冷静に味方側と敵側の戦力差を考慮した上で戦術を考案する。故に極限まで単純な表現をすれば、朱実の強さは一人の武士としての強さ、また八雲の強さは指揮官としての強さだとも言えよう。
あのアシュラモンとの戦いは、瞬時に判断を下すことが必要な戦いだった。故に八雲では勝てなかったかもしれない。だが今回のオロチモン戦は、互いの戦力と能力を測ることが何よりも明暗を分ける。この手の戦いにおいて、八雲は朱実の数倍の戦闘力を発揮する。
オロチモンの口から必殺の腐食ブレス、アメノムラクモが放たれる。咄嗟にメガログラウモンは後方に退いたものの、胸部装甲が僅かに腐食したようだ。
「くっ……お返しだ! アトミック――」
「ば、馬鹿! そこらには奴の息が充満してんだぞ! エネルギー波なんて撃ったら……!」
「――ブラスタァァァァーーーーッ!」
八雲の静止も聞かず、メガログラウモンは必殺の一撃を放つ。
酒気を帯びたオロチモンの吐息とメガログラウモンのエネルギー波がぶつかり合えば、当然のように起きるのは大爆発だ。その爆風を至近距離で受け、奴は当然のように派手に後方へと吹っ飛ばされる。不謹慎なことはわかっているが、それを前にして八雲はため息を吐かざるを得ない。前から思っていたことだが、あの魔竜は契約者と違い根っからの猪頭らしい。クラウドと比べて、精神的に完成されていないとも言い表せるだろうか。
だがミスティモンに軽く頭を小突かれ、八雲は我に帰る。
「チャンスですよ、八雲君。オロチモンも損傷しています。この機を逃す手はありません」
「そっ、そうだな! 頼むミスティモン、アイツを……倒す!」
八雲の指示を受け、ミスティモンはオロチモンに向けて飛翔する。その本体の首とすれ違うのと同時に手にした剣で奴を軽く傷付け、胴体にも炎を打ち込む。だが奴は殆ど怯まない。やはり致命的な一撃を浴びせなければ、奴を倒すことはできない――!
それに気付けばこそ、八雲は叫ぶ。
「ミスティモン、俺を奴の顔面に投げろ!」
「ほ、本気ですか!? 失敗したら怪我じゃ済みませんよ!?」
「そうでもしなきゃ、奴は止まらないだろうよ……!」
視界の端には爆風で損傷したメガログラウモンの姿。奴は本来、自分達と戦う立場にある者だというのに、今回は本当の意味で協力してくれた。あいつはいい奴だと思う。こんな状況で出会わなければ、きっと友達ぐらいにはなれたはずだ。無論、奴が如何なる存在だろうと、協力者を無碍にする気など、八雲には無かったが。
本体の首に迫る八雲とミスティモンに対して、オロチモンは他の首から腐食ブレスを連射してくる。それを錐揉み回転して避ける。ミスティモンの凄まじいまでの回転力に目が回るが、不思議と恐怖は無い。倒すべき敵を前にして、八雲の心は凪のように穏やかである。
幾重の腐食ブレスを掻い潜り、本体の頭上へと一気に躍り出る。
「どうなっても知りませんからね……!」
その瞬間、ミスティモンは半ばヤケクソ気味に八雲の体を空高く投げ上げる。
人間は空を飛べない。それは覆し様の無い事実である。だが自身の体が自由落下の姿勢に入る前に、既に八雲は龍斬丸を引き抜いている。
その剣は自分の進むべき道を見据えるためだけに存在するのだと、かつてザンバモンは語っていた。ならば、今がそれを試されている時だろう。渡会八雲が園田靖史を救えるのか、また召喚師と呼ばれる自分が本当に世界を救うに足る存在なのか。その全ては今、この場でオロチモンを自分が倒せるか否かに懸かっている。
それは不思議な感覚だった。そんな理由は無いのに、何故かそんな気がしてならなかった。
次の瞬間、響いたのはザクッという嫌な音。八雲が打ち落とした龍斬丸がオロチモンの鼻先に深々と食い込んでいる。刀の刃先が次第に鮮血に染まっていく。その様を八雲は黙って見つめている。本気で肉を断った感覚が腕にはあった。
オロチモンも、またミスティモンも沈黙している。まるで時が止まったような錯覚。
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