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第33話:狩人~Black Rapid~
やっと会えた。作り物染みた嬉しそうな顔で、そう語った少女。
その真意を測りかね、靖史は狼狽することしかできない。そう、前述の通り彼女の顔に浮かんでいるのは、一瞬で作り物とわかるガラス細工のような笑み。だがそれは紛れも無く皆本環菜の精一杯の笑顔であり、それに気付けない時点で靖史は彼女に負けていた。そう、彼女は確かに笑っていた。喜んでいたのだ。園田靖史とこの場所で出会えた、その事実に。
「お、俺に何の用だよ……!」
「別に。……ただ、少し私のお遊びに付き合って欲しいの」
環菜は額に軽く手を添え、星一つ無い夜空を仰ぎ見る。
だから靖史も空に何かあるのかと思い、彼女の後を追うようにして夜空を見上げる。そこには何も見えず、何も感じられない。ただ、漆黒の闇が広がっているだけだ。自由の象徴とも言える青空は、数時間の時を経るだけで太陽の力を失い、こんなにも無力な存在となる。それは少し滑稽なことに思える。尤も、それも闇の力の強さを示す一端なのかもしれないが。
靖史が柄にも無くそんなことを考えた瞬間だった。ガチッと撃鉄が上がる音。それに気付けたのは、恐らく彼が手に入れたスピリット、要するに十闘士としての本能だろう。
「なっ――!」
「……ラピッドファイア」
環菜の呟きは無慈悲。靖史に向けられていたのは、彼女の契約者であるブラックラピッドモンの腕に備わった銃口。
一瞬の後、そこから小型のミサイルが発射され、靖史へと迫る。油断して反応が遅れたが、この程度のスピードなら恐れる必要も無い。馬鹿だ、この女。心底そう思う。今の俺は最強の存在だ。その俺に逆らって、この世界で生きていけると思うなよ――!
「……スピリットエボリューション!」
その身に装着される漆黒の鎧が周囲の夜の闇を吸い込み、彼の者に更なる力を与える。その黒き闇の閃光とでも言うべき矛盾を孕んだ存在こそが闇の闘士、その名をダスクモン。数日前に渡会八雲の心を打ち砕き、彼の者を真の意味で初めて大地に這い蹲らせた、十闘士の中でも最凶の戦闘力を持つと噂される闘士。
その力を以ってすれば、迫るミサイルなど止まって見える。右腕に剣を出現させ、一刀の下に切り落とす。自分の左右で両断されたミサイルが小爆発を起こした。尤も、その程度の爆発ならダスクモンの鎧には傷一つ付けられなかったのかもしれないが。
「……いきなり何すんだ」
狼狽を隠すように、できるだけ落ち着いた声音で問う。だが靖史がダスクモンに進化する様を見ても環菜は全く顔色を変えなかった。それどころか、何の前触れも無く園田靖史の命を取りに来たことに対する後悔や躊躇いすら微塵も存在しない。やはり、彼女の顔には相変わらずガラス細工のような笑みしか存在しない。
今度はその頬に軽く手を当て、まるで誘うような表情で環菜は語る。
「なるほど? それが渡会君と袂を分かった原因ってわけね、園田君」
「でも迫力不足だねぇ。これなら、あの時の炎の闘士が幾分かマシだったよぉ」
「……そういうことね」
飽く迄も淡々とした口調で環菜は感想を語る。
彼女とブラックラピッドモンがダスクモンの進化に対して何ら興味すら覚えていないという事実は、靖史を少なからず驚嘆させた。あの八雲でさえも初めて見た時は驚きで言葉が出ない様子だった。そして、況してや今の相手はその八雲よりも遥かに弱い少女なのだ。それなのに、彼女は何故こうも冷静な面持ちでいられるのか。
環菜はそんな靖史の感情を読み取ると、相変わらずの無表情で一言。
「念のために聞くけど……その程度の力で、本当に渡会君を倒せたの?」
「な、何ぃ……!?」
「飽く迄も私の憶測に過ぎないけど、その程度の力だけじゃ、とてもじゃないけど渡会君を倒せたとは思えないのよね。……本気を出して。それとも、私如きを相手にするなら本気を出す必要なんて無いのかしら?」
反応は出さないように努めたが、それは真実だった。
本気を出すということは、自らの闇の闘士としての力を全て出した上で、更に契約者であるメフィスモンの力を借りて彼女と相対するということだ。だが皆本環菜は渡会八雲とは違う。大して運動神経に優れているわけでもなく、また何らかの大層な武器を持っているわけでもない。そんな彼女を相手に契約者との二人掛かりで戦うということは、十闘士の名折れ以外の何者でもない。
そもそも、彼がメフィスモンのことを自分と同等の存在として認めたことなど一度として無い。結局、奴は自分を利用し、自分は奴を利用して互いに利を得ているだけなのだとわかっている。だからこそ心が開けるはずも無い。あのダスクモンが何故デビドラモンを連れていたのかは知らないが、もっと傀儡として使えるモンスターだったら良かったのにと思わずにはいられない。
「……うるせえよ、環菜ちゃんは」
彼女の御託に付き合っている暇など無い。
一息で至近距離まで踏み込むと、ダスクモンは彼女の契約者へ向けて剣を一閃する。だが今まで如何なるモンスターを一刀の下に切り伏せてきたその一撃は、ブラックラピッドモンによって軽々と避けられた。それも、彼は殆ど動いていない。太刀筋を完璧に見切り、必要最低限の動きで剣を避けてみせたのである。
一閃された剣が起こした風で、契約者の背後に立つ環菜の黒髪が艶やかに揺れる。その非現実的とも言える美しさを前にして、ダスクモンは今度こそ狼狽した。
「ば、馬鹿な……」
「ほら、本気を出せって言ってるの。本気じゃないから、私達如きに避けられるんでしょ」
目の前を凶刃が駆け抜けたというのに、その剣風が頬を薙いだというのに、皆本環菜には何の恐怖も無い。そもそも、今の彼女からはそんな感情は欠落している。如何なる怪物が相手だろうと、それが世界の構成物である以上、彼女は何にも恐怖することは無い。如何なる存在だろうと、彼女の恐怖の対象にはなり得ない。
実際、ダスクモンとしても彼女とその契約者の首を飛ばそうなどと考えていたわけではない。ただ、鼻先を軽く掠めるぐらいの気持ちだ。そうして、恐怖で崩れる彼女の顔を見たいと思うのは、きっと男として当然の本能であろう。だが環菜はそんな彼を嘲笑うように、その剣に対しては全くの無反応。
故に園田靖史にとって、皆本環菜とはただ異質である。どんな強者であろうと彼女の前では弱者と化し、最大の弱者である彼女は時として最強の存在となる。それがダスクモンを驚かせた最たる理由。
「……本当、救い様の無いくらい無様ね、今のあなたは。けど、あなたはそれに気付かない。気付こうともしない……」
「なっ……お、俺が無様だって?」
「あはははは! コイツ、マジで気付いてないみたいだよぉ。環菜、どうするぅ?」
癪に障るブラックラピッドモンの笑い声。だが彼の言葉は紛れも無く皆本環菜の心である。
園田靖史はここで初めて、本気で戦うべき敵と対峙する。しかし靖史にとっては、それが密かに一目惚れしていた少女だということが、何よりも心を惑わせている。とはいえ、これも全て環菜の策略によるもの。だとすれば、靖史は彼女の掌の上で踊らされている哀れな子羊でしかない。
環菜は飽く迄も作り物の笑顔でダスクモンの姿を見つめている。静かに闇の闘士の周囲を歩く足取りは、不気味なぐらいに軽い。
「……ま、それは最初からわかっていることだから。でも……そうね、ここで一つゲームをしてみない?」
「ゲーム……?」
「そう。マスターは私。ルールの下で抗うのがあなた」
恭しく頭を下げる彼女の姿は、まるでこれからパーティーの開催を告げるジェントルマン。だが同時に彼女の見せる仕草は、一つ一つがこれ以上無いぐらいに淫靡でありながら流麗でもあった。彼女が意識しているのかいないのか、男である園田靖史の心をひたすらに戸惑わせる。それはきっと、皆本環菜の持つ一種の魔力だろう。
それに今気付いたということは、園田靖史は今まで彼女の本質を何ら見抜けていなかったということを意味する。いや、見抜けていなかったというのは正確な表現ではない。靖史が気付けなかったというよりは、それは環菜が見せていなかったという方が正確なのだから。
そう、皆本環菜は決して園田靖史が理想と考えるような深窓の令嬢ではない。むしろ、一介の庶民の小娘にすぎず、その無表情さに比して気も短い。だから環菜の本来の姿とは、結局のところ渡会八雲とウィザーモンに襲い掛かったあの日の夜の彼女なのだ。環菜は以後、そんな自分の姿を敢えて封印した。それは彼女なりの処世術であり、また少なからず自分を救ってくれた渡会八雲への礼儀でもあった。
だから逆に考えれば、その本質を見せたということは、環菜にとって靖史は本気で対峙するに値する人間となったということも意味する。けれど、不幸にも靖史はそれにすら気付かなかった。
「……環菜ちゃん、何を考えてる?」
「別に何も無いわ。でも万が一あなたが私に勝てたなら、私はあなたのどんな望みでも叶えてあげる。……あなたの望むようにしても構わないわ。ええ、あなたが求めるなら体だって売ってみせるし、心を捧げることも厭わない」
刹那、ダスクモンの意識の中にいる園田靖史は確かに唾をゴクッと飲み込んだ。
この女を望み通りにできる――それは確かに魅力的な提案ではあった。靖史にはまだ女の子との付き合いの経験は無い。渡会八雲と一緒にいた所為もあるだろう。顔立ちも内面も秀でている八雲と行動を共にしていると、どうしても周囲の目は八雲に向きがちだ。しかも、その手の女の子達は須らく気の強いタイプで、どこか苦手な種類の少女だった。だから本当に付き合う女の子は、自分の後を黙って楚々として付いてくるような女の子がいいと、そんな思いを抱いていた。
それを鑑みればこそ、環菜の提案は彼にとって最高と言えた。
微塵も揺るがない皆本環菜の目に嘘は無い。紛れも無く彼女は本気だ。まだ関わりが薄い故に本質を知るには至らない。だが少なくとも自分から言い出した約束を反故にするような女ではないと、靖史は直感的に彼女のことをそう判断した。
だがダスクモンである自分に勝てるなどと思うとは、つくづく愚かな女だと思う。たった一撃を回避しただけで、きっと彼女は得意になっているに違いない。その顔を恐怖で苦渋に歪ませることができるのなら、彼女と戦うというのも悪くないかもしれない。
けれど、一つだけ聞いておくべきことがあった。
「……後悔はしてないんだな。もしかして、環菜ちゃんは俺のこと好きだったりするのか?」
それは十闘士となった後で聞くには、あまりにも幼稚な言葉。だが自惚れではない。靖史はこの時、環菜の本質を垣間見た気がしたのだ。なればこそ、彼女が自分に好意を抱いているかもと考えるのも当然であろう。
だが環菜は一瞬だけ目を丸くしながらも、すぐに元の無表情へと戻り。
「愚問ね。……少なくとも、今のあなたじゃ旦那様の候補にもならないわ」
「手厳しいな。でも『今の』ってことは、可能性はあるわけだよな?」
靖史の言葉は飽く迄もポジティブな考えに基づいている。それを思えば、環菜は少しだけ心苦しくなるわけで。何故こんな子が渡会八雲と敵対しなければならなくなったのか。何故こんな子が邪悪な力に手を染めるほど心を闇に満たさなければならなかったのか。そのことが疑問に思えて仕方が無い。
それでも、環菜は決してその感情を表に出すことはしない。むしろ、彼に感じた僅かな愛おしさを表情に乗せて笑った。取り繕った作り物ではない、彼女の真実の笑顔で。
「どうかしらね。それが一番難しいのかも。……つまるところ、園田靖史君を主人公にしたドラマの脚本の主題は、どうやってヒロインのハートを射止めるかに凝縮されるわけだから」
「初めて笑ったな、環菜ちゃん。……いいよ、俺は本気で君を倒す。そして、俺を認めさせてみせるからよ」
だが彼の言葉を聞いた瞬間、その笑顔は消失した。白けたというのが正直なところである。一瞬だけ彼に対して感じた愛おしさも、嘘のように霧散していた。どうやら、彼は期待していたよりも遥かに愚かな少年だったようだ。正直、腹が立ってきた。自分が語ったゴシップ調のジョークを真に受ける冗談の通じない男も、またこんな男に負けた渡会八雲という存在も、全てがムカつく。
だから一瞬だけ俯いた環菜は、今までを凌駕する無感情な瞳で呟く。
「……なら来なさい。私の全てを以って、あなたが得た偽りの魂を否定してあげるわ」
倒すべき敵として。消し去るべき障害として。彼女は改めて、園田靖史と本気で対峙した。
その光景を、炎の闘士は遠くから見つめていた。
皆本環菜。彼にとって最大のイレギュラーたるその少女が何を思って園田靖史に挑むのか、その理由を炎の闘士は知らない。知るはずが無いのだ。彼の記憶が正しければ、この場所に立つのが彼女であるはずがない。園田靖史と皆本環菜が出会うこと自体、あってはならないことであるはずなのに。
「……何を考えて靖史と戦うんだ、環菜」
当然の疑問が口から漏れた。
園田靖史と戦うことで彼女に利など無い。渡会八雲の雪辱を晴らすということも考えたが、現れたのが環菜だということを鑑みれば、それも否だ。長内朱実ならともかくとして、皆本環菜がそんな人間であるはずが無い。彼女は常に何事にも無関心で、無頓着でいなければならない。そうでなければ、その少女が皆本環菜であるはずがないのだ。
そう、彼は皆本環菜に関して誰よりも良く知っている。同級生である長内朱実よりも、そして恐らくは当の本人よりも彼女のことを知っているはずだ。
それなのに、今の彼女の行動だけは読めない。園田靖史に向けていた表情は取り繕ったものだと一目でわかる屈託の無い笑顔。靖史は惚れっぽい奴だから、彼女にそんな表情を向けられただけで骨抜きにされたようだ。だが環菜が靖史に本当の意味での好意を抱いているわけもなく、また彼女にそんな感情が存在するはずもない。皆本環菜という女は、自身が何を思っているのかさえも判別できぬ、ある意味での欠陥品だからだ。
だが今の環菜からは確固たる意志が感じられる。己の意志すら御せぬはずの彼女は、絶対的な敵意を以って靖史と対峙している。そのことに靖史が気付かないのは、靖史自身にとっては幸福であり、環菜にとっては不幸であった。
「馬鹿な、今の靖史は収まりが付かない。……下手をすれば本気で殺されるぞ、環菜」
だが、だとしたら自分は果たしてどのように動けばいいのだろうか。このまま黙って見ていることが正しいのか、それとも環菜を助太刀に行くべきなのか。伝説の十闘士として、自分はこの場でどんな選択を取ればいいのか。環菜を死なせるわけにはいかない。彼女はこの融合世界とは何ら縁の無いはずの存在だ。守らねばならないと思うし、それは自分の使命だろう。
だが靖史を倒すこともできない。今まで彼が炎の闘士で在り続けてきた理由の一つには、間違いなく園田靖史を救うためというものがあるのだから。
環菜の時とは違い、朱実が相手だと微塵も緊張しないのが個人的には心地良い。
それは気が楽と言ってもいいのかもしれない。実際、渡会八雲にとって長内朱実という少女は異性である前に家族である。変な意味ではなく一緒に寝たことなど数知れず、小学生の頃などは朝から晩まで常に行動を共にしていた相手ならば、そんな認識にもなろう。だが逆に考えれば、家族だからこそ単純に恋人や友人と表するよりも大切な存在になっているのだということを、八雲はまた知っていた。
彼らの関係はあまりにも近すぎる。だからこそ一度別れた時、八雲も朱実も互いに会いに行くようなことはしなかった。そんなことをしたら、互いの関係は信頼ではなく依存になる。それがお互いに許容できなかったのだろう。
朱実と再会した後、八雲は彼女を連れて家に戻った。朱実とは色々と話したいことがあったし、とりあえず汚れた服も着替えたかった。それに朱実が料理を得意としていることは昔から知っている。正直、八雲は料理ができないので一人暮らしは心苦しかったのだ。インスタント食品やら冷凍食品やらで死にそうになるところだった。
そして、その日の夜。
「……ん?」
ひたひたひたひた――。
居間からドアを一枚挟んだ廊下。そこを殆ど音も無く歩いていく足音が聞こえる。良く耳を凝らさなければ聞こえないぐらいに小さい音だったけれど、八雲には確かに聞こえた。それを感じればこそ、八雲の顔には笑顔が浮かぶ。間違い無くその足音の主は朱実だろうが、時刻は午後十一時。八雲が知る昔の彼女なら既に寝ている時間である。
ただ、なんとなく予想はできた故に、逆にムカついたこともある。
「……アイツ、人のベッド使っときながら抜け出すなよ」
玄関が静かに開き、足音が遠ざかっていく。何気なく窓際に立った八雲の目は、ナイトモンを伴って夜の街に駆けていく朱実の姿が見える。恐らくナイトモンと軽く会話でも交わしていたのか、残されたミスティモンが呆然と立ち尽くしている様が少しだけ八雲には哀れだった。
それに軽く苦笑すると、八雲はベランダに出て契約者に声を掛けた。
「ミスティモン」
「……八雲君? まだ眠ってはいなかったのですか?」
それに首肯。眠る気になど、なれるはずもない。
「朱実の奴、どこに行くんだって?」
「さあ……恐らく市街地に行くのではないかと。……って、八雲君?」
ミスティモンが気付いた時には、既にベランダから八雲の姿は消えていた。呆然とした彼が周囲を必死に見渡すのに要した時間は恐らく一分ほど。その一分の間に、八雲は上着を羽織ってマンションの下まで来ていた。バイクの鍵と龍斬丸を携えた万全の装備で。
まだ本格的な冬は到来していないが、流石に夜中ともなれば少し寒い。軽く息を吐き出すとそれは白い煙となり、間も無く霧散した。
「俺達も行くか。……ミスティモン、付き合ってくれ」
「な、何をする気ですか?」
「だから、鍛錬に決まってるだろ? 俺はまだまだ強くならなきゃ……朱実の奴も多分、同じことを考えてるはずだしな」
その言葉を言い終えるより早く、八雲もまた夜の街に駆け出していった。
闇夜に漆黒のサイボーグが舞う。
「ラピッドファイア~!」
放たれる無数のミサイルが大地を穿ち、また数発がダスクモンにもヒットするが、予想通り攻撃力は悲しいほど低い。如何に直撃したとて、そのミサイルではダスクモンの鎧を貫くことはできない。だが殆どダメージが無いとはいえ、その数は膨大。少しずつダメージが蓄積されていることは否定できなかった。
故にダスクモンが反撃の一発で勝負を決めようと考えるのは必然。だがブラックラピッドモンのスピードは決して侮れない。更に漆黒の体は夜の闇に溶け込み、俗に言うステルス効果を生み出している。その条件はダスクモンとて同じだが、持ち前のスピードの差を最大限に活用され、撃っては闇に消え、撃っては闇に消える奴の姿を全く捉えることができない。
環菜は先程の場所から一歩も動かない。当然のことだろうが、彼女は渡会八雲や長内朱実とは違う。要するに、彼女は古来から伝わるテイマーという存在を最も体現している存在だと言えよう。
「ビルを盾にして回り込んで。その先でラピッドファイアを二発。……後はわかるわね?」
「りょ~かい♪」
環菜の指示は殆ど聞き取れないほど小さな声だが、それをブラックラピッドモンは高感度センサーで完璧に拾い上げる。
高層ビルを回り込んできたブラックラピッドモンが二発のミサイルを放つ。当然、唐突に眼前に現れたミサイルをダスクモンは防げず、鎧の胸部に直撃する。ダメージは殆ど無いが、巻き起こった激しい爆煙で視界が封じられる。要するに、環菜の狙いは最初からこれ。ミサイルでダメージを与えることなど頭にも無い。
「たあ~!」
そして、視力を奪われたダスクモンに向け、落下の勢いを加えた飛び蹴りを一撃。
「ぐっ!?」
「まだまだぁ~! ホーミングミサイル~!」
蹴り飛ばされたダスクモンは態勢を立て直すこともできず地面に叩き付けられるが、倒れた彼を目標に定めると間髪入れずにブラックラピッドモンは背部のミサイルポッドから小型のミサイルを無数に連射する。その名の通り、ホーミング性能に優れたそのミサイルは一瞬にしてダスクモンの視界を再び白煙で覆い尽くす。
だがダスクモンが戸惑う暇も無く、環菜は新たな指示を出している。
「右フックと同時にラピッドファイア、次に左ストレートからの流れでホーミングミサイル。そして――」
「キックだろぉ?」
「……先に言わないでよ」
契約者の言葉に少しだけ苦笑する。
環菜とブラックラピッドモンの強さは、決して単純な身体能力に起因するわけではない。環菜はその時々に合わせた最適な指示を出すだけの力量を持ち、契約者がその指示通りの行動を行うだけの力量を持っているというだけのこと。要するに、これは渡会八雲とミスティモンの組み合わせとは異なる契約の在り方。
八雲とミスティモンの戦闘は各々の身体能力を活かして個々に戦う、つまり足し算の戦い。それに対して環菜とブラックラピッドモンの戦いとは環菜が指示に徹し、ブラックラピッドモンが攻撃のみを行うことで、互いの行動の効果を相乗効果に高めることができる、つまり掛け算の戦いであった。
故に指示を出す者と攻撃する者の意志が完全に同調した際には、戦闘力が跳ね上がる。
環菜の指示通り、煙で未だに視界の定まらないダスクモンに肉薄し、右腕で奴の腹にフックを一撃喰らわせると、その拳を密着させた状態で右腕からミサイルを発射。その反動はブラックラピッドモン自身にも襲い掛かるが、それにも構わずダスクモンが怯んだ隙に大きく体を反転させる。そして放たれる左ストレート。
「逃がさないよぉ! もう一回、ホーミングミサイル~!」
吹き飛んだダスクモンに殺到するミサイル郡。
「ぐうっ……!?」
「そして、トドメぇ!」
ミサイルから自身を庇うべく、ダスクモンが態勢を立て直そうとした瞬間、神速のスピードで飛び込んできた漆黒のサイボーグが、強力無比な蹴りを浴びせた。フックと零距離ミサイルを繋ぐことで敵を怯ませ、ストレートで弾き飛ばす。相手の吹っ飛びをミサイルで止め、そこに加速度を加えた飛び蹴りを浴びせる。今では格闘ゲームでも滅多に見られない鮮やかなコンボである。
ダスクモンは高層ビルをぶち抜き、そして止まった。全身を瓦礫の煤や埃で汚していたが、目立つ外傷は無い。
「くっ、なかなかやる……! だが俺がこの程度で負けるか……!」
「げっ。アイツ、まだピンピンしてるよぉ。何かもう……嫌になるなぁ」
「……この程度で死なれた方が興醒めよ」
視界の奥に立ち上がるダスクモンの姿を捉え、環菜は自分のローブに手を差し入れた。
「えっ?」
瓦礫から這い出したダスクモンだったが、その瞳には信じられない物体が映った。
それは皆本環菜の右腕に握られているもの。鈍い輝きを放つそれは、園田靖史としての記憶が正しいのなら、確かサバイバルナイフと呼ばれるべき物体。刃渡り20センチメートルを超えるであろうそれが、あろうことか環菜の右手には握られている。その事実が理解できない。何故彼女がこの場、この時にそんな物騒なものを取り出したのか。
いや、理解はしていた。だが納得ができなかっただけだ。ナイフを取り出したとなれば、その用途は知れている。つまり、彼女は――。
「こ、殺す気だってのか……この俺を……」
「……は?」
その瞬間、環菜は不覚にも本当の意味で初めて自身の感情を剥き出しにした。
それは「あなたの頭、大丈夫?」とでも言いたげな、心の底からの軽蔑の表情。実際、彼女は靖史に対して心底呆れていた。無論、靖史にしてみればそんな顔で見られる筋合いが無いわけで、戸惑いは隠せない。
「……今更何言ってるのよ。あなた、私が自分を殺さないとでも思ってたの?」
「い、いや……でも、殺すってことはさ、俺が死ぬってことなんだぜ!? それをわかってんのかよ、環菜ちゃんは!?」
その声は必死だった。だが環菜には「ああ、彼は相当死にたくないんだなあ」と思えるだけのこと。滑稽で仕方が無い。この男は果たして今まで何を考えて戦ってきたというのか。自分が手心を加えて、園田靖史を倒さずに止めるとでも思っていたのだろうか。だとすれば馬鹿にも程がある。
一番死という事象に近い場所にいる闇の闘士の癖に、先程まで散々命を奪っていた癖に、彼は何よりもその死を恐れている。それが何よりも環菜の心を沸騰させた。
「じゃあ何? まさかと思うけど、園田君は自分が誰かを殺すのはいいけど、自分が誰かに殺されるのは駄目だとか、そんなふざけたことを考えてるわけ?」
「うっ……」
「……図星みたいね。少なくとも今のあなたは、ブラックラピッドモンを殺そうとしてる。だから私達もそれ相応の対応をしてるだけ。あなたが殺す気で来るなら、こっちもその気で行かせてもらう。単にそれだけのことじゃない?」
自分でも驚くぐらい冷たい声が出た。それを前にして、ダスクモンが数歩後退する。
「で、でも! 女の子が殺すとか軽々しく……!」
「だから? 私のことはどうでもいいの。要するに、あなたは自分が他人をどんなに傷付けようとも構わない。でも自分が他人に傷付けられるのは耐えられないから、その相手を憂さ晴らしに叩き潰すって考えてるわけよね。……なるほどね、それで渡会君を目の仇にしたわけ?」
そんなことはあの時、八雲の様子を見ただけでわかった。それは人間の心理を読む能力に長ける彼女だからこそ。
「そ、それはアイツが俺のことを」
「馬鹿にしてるって?」
彼の抗弁を鼻で笑ってやる。渡会八雲が誰かのことを馬鹿にしてる? そんなことが有り得るはずが無い。小学校の六年間で、仙川八雲が自分以外の人間を悪く言う姿を見たことは数えるほどしかない。その大半は隣にいる女、つまり長内朱実に対してであったし、それも冗談交じりの皮肉程度のものだ。もし本当に彼が誰かを心の底から馬鹿にしていたのだとしたら、是非ともテープに収めて欲しいと思う。
要するに、あの渡会八雲という男は良い奴とか悪い奴とか云々の前に、どこまでも内向的なのだ。他人の悪口を言えるほど外に気が回らないと言えばわかりやすいだろうか。そこが何よりも愚かしくて、そこが誰よりも腹立たしい。
それでも一度だけ、たった一度だけ長内朱実以外の誰かに目を向けた時があったと記憶しているが、それを思い出すのは敢えてやめた。
「あのね園田君、話を逸らさないでもらえる? あなたは渡会君を目の仇にして、その憂さ晴らしに多くの命を奪った。別に私は思想家じゃないけど、命に差なんて無いとは思ってる。だからあなたはね、もう決してあなたの命だけじゃ購えないほどの屍の山の上に立っているの。誰かを殺すってことは、つまり逆に誰かの手で殺される可能性も受け入れるってことなのよ」
非常に腹が立っていた。何というか、自分ではない誰かに渡会八雲(アイツ)が傷付けられたことが、環菜は何故だか許せなかった。
彼女は今、園田靖史という存在に対して明確な憎悪を抱いている。殺しても飽き足らぬとはまさにこんな感情のことを言うのか。だが彼女とて、そんな一時の感情に支配されて殺人を犯すほど短慮というわけではない。だが彼に死の恐怖を与えることだけはしなければならないと思う。そんな汚れ仕事は渡会八雲にはできない。ならば、それは自分の役目だ。
だからきっと、自分は全ての憎悪を乗せてこれを言わなければならない。
「それを今更、自分は死にたくない? 自分が殺されるのはおかしい? ……甘えてんじゃないわよ……!」
ダスクモンが気付いた時には、ブラックラピッドモンが静かに両手を広げた状態で彼の眼前に立っていた。
「なっ……!」
「……女の子に言わせるのは心苦しいからねぇ、ここは僕が言わせてもらうよ」
「ブラックラピッドモン、あなた……」
そんな指示は出していないのに。けれど、その気遣いは嬉しいことである。
ブラックラピッドモンの広げた腕に周囲から集められた無数の粒子が集束する。それが眩い輝きを放って周囲を昼間と見紛うほどに照らし出す。その光の中に紡がれる黄金の三角形は、脆弱なデータなら触れるだけで消し飛ばすだけの力を持つ、凶悪な光。
そして、ブラックラピッドモンは小さく呟く。本来なら環菜が言うべきだった台詞を。
「精々苦シマズニ……死ネ」
放たれた必殺技、ゴールデントライアングルがダスクモンを飲み込み、吹き飛ばす。
数秒後、その場には鎧の各所に損傷を受けたダスクモンが倒れている。ある部分などは必殺技を受けた影響から僅かに粒子化が始まっていた。だが肉体そのものへのダメージは少ないため、立ち上がれないことは無い。これで勝ったと思われたら興醒めだ。
「この程度で――」
俺が倒せるか。靖史がそう呟こうとした瞬間だった。
瞬きするにも満たない僅かな隙に、ダスクモンの視界に映ったのはスカートから伸びた長い足が自分の目の前に着地する光景だった。一瞬、彼はそれが何を意味するのか判別しかね、その態勢のまま硬直してしまう。
それ故に、それこそが彼の敗因だった。
「この程度で……何かしら?」
「えっ……?」
自分の目の前には、悠然とした表情の環菜がいた。それはいい。だが彼女が手にした物を見た瞬間、ダスクモンの表情は凍り付く。先程から握り締めていたサバイバルナイフを、環菜は何の躊躇いも無くダスクモンの首筋に突き付けていた。そこには少女特有のあどけなさも、また刃物を持ち慣れていない者にありがちな迷いも無かった。
そして、それが何よりも恐怖の対象となる。如何に十闘士の力を得たとはいえ、園田靖史の心は以前と全く変わることは無い。故に人間として当然抱くべき感情、つまり刃物に対する恐怖心は彼の中には確かに残っていた。故に眼前の環菜に対して反撃することなど、最早できはしない。
また彼を驚かせたもう一つの要因。それは環菜が積極的に自分との戦いに参加してきたことだ。最初に彼女達と対峙した時、ダスクモンは契約者を呼び出さぬことでブラックラピッドモンとの一対一の状況を作り出したつもりだった。だが違う。自分は大した戦闘力も持たぬ人間が戦闘に加わるはずが無いと高を括っていたのだ。それが、彼の甘さである。
そうして、環菜は事も無げに自分達の勝利を宣言する。
「チェックメイト。……これで終わりみたいね、園田君」
底冷えのする声で呟く環菜を前にして、ダスクモンは一歩も動けない。
視線の先には戦闘開始前と全く変わらずに、悠然とした表情を浮かべる少女の姿。ナイフを持つ手が震えていることもなければ、その額を汗で濡らしていることすらなかった。いつも通りの何ら感情を読み取らせない無表情で、彼女はダスクモンを見下ろしていた。
ダスクモンが何らかの攻撃手段を講じるより、環菜のナイフが彼の首を裂く方が速い。しかも、環菜は先程の攻撃で亀裂の入った鎧の裂け目に確実にナイフを合わせている。吹き飛ばされ、態勢を立て直す一瞬の間に、彼女はダスクモンが体のどこを損傷したのかを見極めたというのか。だとしたら、大した観察眼だと舌を巻かざるを得ない。
また背後には右腕の砲塔をダスクモンに向けるブラックラピッドモンの姿。完全体と侮っていたが、環菜の指示が加わった彼の戦闘力は楽観し難いものがある。やはりメフィスモンを呼び出し、共に戦う方が良かったのか――?
だがその弱気を、彼は首を振って消し去った。
「俺は……十闘士だ。君みたいな単なる人間に、負けるわけにはいかない――!」
「……人間、舐めんなよぉ」
「右に同じ。……滑稽ね、園田君。人間の身でありながら、諭されるなんて」
嘲笑するような言葉。だが当然のように環菜は笑ってなどいない。
心底、彼女は園田靖史という存在に呆れ果てていた。強い力を手に入れたなら、それを行使することなんて誰にでもできる。大切なことは、その力で何を為すかだ。その意味では、この男は下の下以下だと言えるだろう。十闘士としての使命を果たすのならそれもいい。また逆に十闘士に立ち向かうというのでもいい。しかし靖史はそのどちらの道も選ばなかった。ただ、その力を渡会八雲への憂さ晴らしに用いて、それが叶った後は何か目的を持つわけでもなく、無意味な破壊と殺戮を繰り返しただけ。そんな存在を、どうして許すことができるだろう。
環菜がこの男に心惹かれ切れない理由とは、まさにそれである。だから嘲るように、また蔑むように言ってやる。
「でもね……これでわかったでしょ? あなたは渡会君に勝ったって言う。けれど、あなたは彼に負けた私に負けた。つまりね、あなたが渡会君より強いなんて、そんなことは所詮あなたの妄言に過ぎないってことよ」
「そ、そんなことは……!」
「ならもう一度私と戦ってみる? ま、結果は同じだと思うけど、私は構わないわよ。……尤も、また戦う気なら少しはマシな意識を持って欲しいものだけど」
思い出されるのは、先程のダスクモンの姿。ナイフを取り出した自分の姿を前にして、十闘士最凶の存在は情けなく狼狽していた。あの姿を思い出すと失笑が込み上げてくる。結局、この男は単に闇の力を手に入れたというだけで、その他は何ら変わっていないのだ。そして、そんな男の手に掛かって多くのモンスターが命を落としたというその事実。
要するに、この男は散々殺しておきながら、自分が殺される立場になるとは微塵も思っていなかったのだ。それを考えればこそ、吐き気がする。
それはこれ以上無いほどに自分本位の考え。環菜自身が言ったように、自分は殺していいのに殺されることは駄目だなんて、そんな勝手な理屈が通るはずが無い。何かを殺す度、自分も死んでいく。ならば、殺すことを許されるのは自分が死ぬ覚悟のある者だけだ。
「私を殺してみせなさいよ? その剣で私の体を真っ二つに叩き切って、その体を真っ赤に染め上げてみなさいよ。あなた、闇の闘士でしょ? 何で罪も無いあの子達にはできたことが、罪人の私にはできないのよ……!?」
「つ、罪人……!?」
その言葉に秘められた真意を靖史が知ることは無い。
先程、園田靖史がモンスターの遺体の山の前で笑い狂っていた時、環菜は彼を自分に投影していた。八雲には言っていないし、これからも言うつもりは無いが、自分とブラックガルゴモンも八雲と出会う前は同じように立ち塞がるモンスターを何体も倒してきた。無論、それは靖史のような暇潰しの殺戮ではなく、飽く迄も自衛の行為でしかなかったのだが、強敵を倒した時の高揚感は否定できなかった。
自分はモンスターを殺して、確かに喜んでいた。確かに安心していた。それが渡会八雲との出会いの後、何よりも環菜を自己嫌悪に陥らせた。だから自分と同様に、靖史の存在が許せなかった。
「この際だから言ってあげる。園田君、あなたは弱い。……誰よりも、何よりも」
「………………!」
「心も体も弱すぎて涙が出そう。そんなことじゃ渡会君にも長内朱実にも、それに私にも……誰も勝てないわ。……でも……」
それを言い終える前に、環菜は異変に気付いた。
ダスクモンの体が、より深い闇に包まれている。その様はまるで彼が夜の闇を食い尽くしているかのような印象。ダスクモンの周囲のみがあまりに黒い闇に包まれている所為か、それ以外の闇が全く闇に見えないという事態を引き起こしている。
「か、環菜! 危なぁい!」
「えっ……きゃっ!?」
ブラックラピッドモンの声が響いたと思った瞬間、ダスクモンが爆発した。当然、ナイフを突き付けるほど至近距離にいた環菜は爆風で大きく吹っ飛ばされる。
しかし十数メートルほど吹き飛んだところで、彼女の体は何者かの腕で受け止められた。その力強い両腕は最近少し体重の増え具合が気になっている環菜の体を易々と受け止め、俗に言うお姫様抱っこの状態にも全く応えた様子は無い。今の角度的にその自分を助けてくれた人物の顔は見えないが、それ相応の逞しい体躯を持つ人物であろうことは、容易に想像できた。
だがそれよりも、前方の先程までダスクモンのいた場所を見て環菜は驚愕する。
「ベルグモン。……靖史、環菜の言葉で暴走したか」
その力強い腕の主の言葉で、そのモンスターの名前を知る。
環菜から十数メートル離れた場所で夜の闇の中に佇んでいるその生物は、外見的には見る者にプテラノドンの姿を思い起こさせる。だが決定的に違うのは、奴の体がまるで白骨化しているかのようであること、またその体が自然界には存在しないほど毒々しい黒に覆われていることだ。
ブラックラピッドモンが即座に飛来する。
「環菜、無事ぃ!? ……って、お前は!」
「安心しろ、今回は味方だ。……環菜を頼む」
そう呟いて、腕の主は環菜を大地に下ろす。
そこで環菜も初めて気付いた。その腕の主とは、端正な顔立ちと燃えるような赤髪が印象的な、炎の闘士の人間態である。確か渡会八雲がクラウドと呼んでいたその男性は、既に環菜のことには興味を失ったように、ただベルグモンの姿を見つめている。故に環菜もまた声を掛けることができない。
彼の腰に見えるのは、八雲と同じ龍斬丸。環菜の知る限り、あの剣は八雲でも使いこなせないほど大柄だったが、彼には不思議と似合っていた。そんな環菜の思いなど知らず、炎の闘士は一歩だけ闇の闘士へと踏み込む。環菜にはその背中しか見えないから、彼が今どんな表情を浮かべているのかはわからない。
けれど、次に聞こえた彼の声は不思議と嬉しそうにも聞こえた。
「またこうしてお前と戦うことになるとはな。……来いよ、靖史!」
その瞬間、彼の言葉に答えるように闇の闘士、ベルグモンは飛翔した。
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第34話:闇夜に舞え
崩壊する世界の中で、少年は最愛の少女と激闘を繰り広げていた。
それは文字通り、絶望的な戦い。自分が彼女と戦う必要など無いということはわかっているし、また自分が彼女に勝つ確率が殆ど無いということも理解している。剣を振り上げて斬り掛かれば、右手に備えた銃器で受け止められ、弾き飛ばされる。
この戦いに際し、互いが得た〝魂〟の数は同数。故に勝負を決めるのは真の実力のみ。認めたくはないが、信じなければならない。とっくの昔に追い着いたつもりだった。それなのに、彼女と自分には未だにこれほどの力量の差があるのだということを。
だが負けない、絶対に負けられない。目の前の彼女が本気だからこそ、自分は負けるわけにはいかない――。
『今日こそ、今日こそ俺はお前を超える!』
『フッ……いいよ、その目。それでこそ戦い甲斐があるというもの!』
無謀な突進。何の策も、また事後の展開も考慮しない突撃。
その一撃が彼女に届く前に、自分はあの重火器に穿たれて倒れ伏す。そう疑わなかった。だがそれもいいかもしれない。結局、彼女には誰も勝てないのだと立証された、ただそれだけのこと。自分はそれを証明するための、彼女が世界一の戦士になるための礎として死ぬのなら、決してそう悲観することではない。
だから迫る死を受け入れるため、彼は目を閉じた。
『……ぐっ』
だが次の瞬間、柔らかな肉を断つ感覚が手には残った。
『えっ……』
それが信じられなかった。
その時には既に少年は狂い始めていたのかもしれない。恐る恐る目を開いた彼の視界全体に広がっていたのは、自分が誰よりも愛した少女の満面の笑み。彼女の口の端からは鮮血が零れており、それで彼は自分の所業に気付いてしまった。
突き出された龍魂剣は、寸分の狂いも無く少女の中心を穿っていた。鮮血に塗れた白刃が彼女の背中から生えているのがその証拠だ。ごふっと彼女が大きく吐血する。その血は当然、殆ど密着した状態にいる少年の体を真紅に染め上げた。それが何故だかわからないが、少年には尊い物に見えて仕方なかった。
『……これでアンタが、世界最強……』
体の中心を串刺しにされながらも、少女は飽く迄も笑顔を崩さずに。
『おめでと……』
『お前……まさか、わざと――』
その言葉は少女の唇で封じられた。
唐突なようでいて、その実それは何よりも自然なキスだった。愛情を確かめるためのキスではなく、ただ互いの唇と唇が近くにあったからこそ触れ合わせただけのような、そんなキス。そう、元より自分達の間にキスで愛情を確かめるような軟さは存在しない。
そうして唇が離れた後、少女は名残惜しそうに少年の頬に軽く手を添えて呟く。
『行け。……そして、アタシの死を無駄にするな』
少年の肩に回されていた細腕が、力を失って折れる。最後にもう一度だけ小さく血を吐き出し、少女の体は崩れるように地面に落ちる。少年が貫いた腹には握り拳が通りそうなほどの大穴が開いている。突き破られた体内から飛散した血液が少女の背中を真紅に彩っており、まるで真紅の翼のようだった。
彼女は最後まで笑顔だった。誰かを元気付ける笑顔のままで、その生を終えたのだ。
だが少女は動かない。誰よりも強く、誰よりも優しく、そして誰よりも高い場所へと辿り着けるはずだった彼女は、誰あろう彼女が誰よりも愛していた少年の手で、その翼をもがれたのだ。それがこの場で起きた、絶対の真実だった。
血に濡れた剣を垂らし、少年もまた不動だった。恐ろしいまでの無表情で、彼は静かに消滅していく少女の体を見つめていた。好きだったのに、憧れだったのに、愛していたのに。その命を奪ったのは、誰あろう自分自身。
『あはははは……』
乾いた笑い声が漏れる。
『あはははは、あはははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは!!』
笑った。狂ったように笑った。そうしないと自分が壊れてしまいそうだった。
否、既に壊れている。全身の穴という穴から蛆虫が入り込み、体中を食い尽くしていくような感覚。また逆にその開いた穴から蛆虫が這い出てくるような感覚。何故だろう、何故こんなことになってしまうのか。自分は望んでいない。自分はこんなこと、決して望んでなどいなかったのに。
自分はあまりにも他人を犠牲にしすぎた。親友の命を奪い、契約者を死なせ、挙句の果てには大好きだった少女さえ殺してしまう事実。何が救世主、何が英雄だ。本当にそんな者が存在するのなら、すぐに自分とその立場を変わって欲しいと、心底そう思う。そう、子供の頃からヒーローに憧れていた。だが少なくとも自分には、そんな者になる資格など無いのだ。
故に救世の英雄になど、自分如きがなれるはずも無い。そもそも、世界の全てを救うことのできる人間なんて、本当に存在するのか……?
『……ああ、滅ぼしてやるさ。それが皆を救う道だもんな』
そう呟き、少年は空を見上げる。そこには自分が倒すべき巨大な黒き龍の姿。
結局、自分には世界を救うことなどできない。だから、自分にできることを挙げるのなら、それは自分の目の届く範囲内の誰かを救うことぐらいだ。だがそれにしては、あまりにも大切な者を犠牲にしてしまった。その罪は決して購えぬ。
ならば、自分は永久に罪を背負って生きていかねばならぬだろう。
『俺が世界を……壊す』
そうして、英雄は立つ。倒すべき黒き竜の先、そこにかつて自分が何に代えても守ると誓った少女がいるのだとしても。
刹那、懐かしい夢を見た気がした。
くだらないな。そう自嘲する。今の炎の闘士にとって、過去の記憶など何の意味も持たぬ。むしろ、心の奥底に巣食う忌まわしき幻影だ。己が過去を垣間見ることで彼にとっての確かなプラスになる事象といえば、それは渡会八雲に対する憎しみを募らせる一因となろう、ただそれだけ。けれど、その記憶があればこそ自分は戦えるというのもまた事実。
ベルグモンの巨体が迫る。それを前にして、無駄と知りながらも火炎弾を撃ち付ける。
「コロナブラスター!」
闇の闘士に対するは炎の闘士、ヴリトラモン。
だが全力で放った必殺技は、ベルグモンの白骨化した体に掠り傷を付けることさえできないらしい。そもそも、深淵の闇の中でちっぽけな炎など何の意味も成さない。ただ飲み込まれ、それもまた闇と化すだけだ。
だがスピードはこちらに分がある。故に空中戦を挑めば、勝機が無いわけではない。
「コロナブラスター!」
今度は牽制。相手が怯んだ隙に、ヴリトラモンも飛翔する。
目的はただ一つ、自分の後ろにいる環菜とブラックラピッドモンを戦いに巻き込まないようにするためだ。巨大な翼を広げ、迫るベルグモンに突撃する。相手は翼を広げ、こちらを叩き落とそうとしてくる。それを辛うじて回避する。
だが奴の力は圧倒的だ。翼が掠っただけで叩き落とされかねない。
「……ゾーンデリーター」
ベルグモンが空中に翼で円を描き、それが底無しのブラックホールと化して迫る。
如何に十闘士といえど、あれを喰らえば一瞬で溶解するだろう。だがヴリトラモンは退けない。背後には環菜がいる。かつて、守りたくても守れなかった少女。ならば、今度こそ自分は命に代えても彼女を守り切らねばなるまい――!
全身のエネルギーを炎と変えて凝縮する。時を同じくして、ヴリトラモンの全身が灼熱の火炎に包まれる。
「見せてやる、本当の炎の力を! フレイム……ストームーーーーッ!」
炎の竜巻がブラックホールを打ち破らんと放出される。
激突する炎と闇。ベルグモンのゾーンデリーターは炎を全て呑み込まんと勢いを増し、対するヴリトラモンのフレイムストームはその存在を誇示するかのように明々と周囲を照らし続ける。だがそれでも足りない。ゾーンデリーターの闇を完全に浄化するには、まだ炎の力が不足している。
竜巻を蹴散らし、常闇が迫る。だが勢いは大分落ちている。これなら――!
「くっ……コロナブラスター!」
「……オソイ」
再び連射した弾丸によってゾーンデリーターを消滅させることには成功したが、次の瞬間には既にベルグモンが目の前に迫っていた。自身の必殺技を囮にして、その隙に接近したというわけだ。ヴリトラモンにしてみれば、完全に不意を突かれた態勢である。
その巨大な翼で軽々と弾き飛ばされる。やはり体格の差は大きい。
「まだだ……スライドエボリューション!」
パワーで負けるなら敏捷性。故にヴリトラモンは一瞬にして小型の魔人に姿を変える。
だがビースト形態が通用しない相手にヒューマン形態で何をしようというのか。概してヒューマン形態の方が技は豊富だとしても、威力はヴリトラモンには大きく劣る。なれば、この鉄壁の防御力を誇るベルグモンを相手に如何にして太刀打ちするというのか。
空を飛ぶ相手にサラマンダーブレイクは使用不可能。ならば――。
「ファイヤーダーツ!」
手甲から無数の火の玉を発射するが、奴に直撃したところで焦げ痕も残らない。
「バーニングサラマンダー!」
練り上げた火の塊を放ったとしても、奴は翼の一振りで掻き消してしまう。
文字通り打つ手無し。こうしている間にも、奴が翼を振る度に引き起こされる衝撃波の影響で、二宮市街地は無残な姿へと変えられていく。それは許せない。この町は自分の故郷だというのに、こんなことで破壊されることを許容できるはずも無い。
再び放ったバーニングサラマンダーが効果無しということを確認すると、アグニモンは少し動きを止める。
「……駄目か。それに、この程度の技じゃ……」
自嘲するように笑った。何を今更、この結果は最初からわかっていたではないか。
今度こそトドメを刺そうと、ベルグモンはアグニモンの周囲を旋回する。その翼が大地を抉り、刻印を記していく。完全なる形でのゾーンデリーター。飛行能力を持たないアグニモンでは逃げることも叶わぬだろう。流石と言うべきか、その戦い方には迷いが無い。その冷酷な戦いこそ闇の闘士、その遠慮の無さこそ園田靖史だ。
大地が盛り上がり、巨大な闇となりアグニモンを呑み込もうと迫る。それを前にして、彼は静かに瞑目した。
「ならば、俺も本気を出させてもらう。今の俺が出せる本気をな……!」
その瞬間、完全に周囲を闇が覆い尽くし、炎の闘士の姿はブラックホールの中に掻き消えていた。
「ガッガッガッガッガッ……!」
ベルグモンが笑っている。それが環菜には耐えられないほど醜く見えた。
奴には理性が無い。だから破壊に対する躊躇いが無い。今もまた、高層ビルを鋭い爪で薙ぎ倒している。あの破壊を行っているのは園田靖史なのだ。それを思えばこそ、環菜は心苦しくなる。それが何故かなど、そんな理由はどうでもいい。ただ、環菜は彼にこれ以上の破壊をさせたくないだけなのだ。
だがダスクモンとは違う。流石の環菜でも、自分とブラックラピッドモンで奴を止められるとは思えない。
「……環菜、お前の出る幕は無い。コイツは俺の倒すべき敵だからな」
「えっ……?」
完全に閉じられたブラックホールの中から聞こえたその声は、誰かの声に似ていた。
そして声が聞こえた瞬間、そのブラックホールに内部から亀裂が走っていく。まるで、何者かが内部から闇を打ち崩そうとしているような、そんな錯覚。だがゾーンデリーターとは触れた者全てを消滅させる常闇。触れることすらできないそれを、物理的に打ち壊すことを可能とする存在などいるはずが無い。
故にその者は存在しない存在。古代の伝説にも残らぬ、十闘士の更に先。
「嘘……あれって」
思わず環菜も目を疑った。あれは有り得ない。
その存在はドーム状の闇を、その腕だけで抉じ開けようとしていた。その腕は明らかにヴリトラモン。爆熱の火炎を両の拳に纏わせ、炎と闇を干渉させることでブラックホールの侵食を防いでいる。太陽を思わせる真紅の鎧と橙の翼で闇を振り払い、その存在は飛翔する。獣の意匠を色濃く残しながらも、その頭部にはアグニモンの兜。
人の知性と獣のパワー。それを融合させた新たな伝説を紡ぐ者。
「……融合闘士、アルダモンといったところか。これが俺の本気だ。来い……!」
ベルグモンが突進し、その爪で一撃を繰り出す。だがアルダモンには当たらない。
瞬時にベルグモンの背後を取ったアルダモンは、鋭く錐揉み状態で回転しながら両腕の武器を跳ね上げる。それはヴリトラモンの時と全く同じ武器だが、威力も同じと思われては困る。それに何よりも、篭められている炎の量が違いすぎる――!
「ブラフマストラ!」
連射性も弾速も先程とは違いすぎる。当然、威力も段違い。
今まで鉄壁と言っても過言ではなかったベルグモンに、初めて手傷を負わせる。だがそれだけでは終わらない。無数に放たれた弾丸は彼の者の翼を穿ち、飛行能力を大幅に低下させる。これでスピードがガタ落ちだ。
とんぼ返りをするかのように、アルダモンは空中で一回転すると、スピードの落ちたベルグモンの頭上を取る。先程までは一度も奪えなかったポジション。こう見ると、圧倒的だったベルグモンも形無しだ。
「……わかっただろ? 完全に俺の勝ちだ、靖史。お前は永遠に俺には勝てない……!」
その嘲りは過去の後悔から来る、彼なりの優しさ。
両腕に再び炎を凝縮して一気に練り上げる。するとアルダモンの頭上に巨大な炎の球が形成されていく。周囲の熱気と自身の炎を全て合わせたアルダモンの必殺技。ベルグモンを倒すことには何の感慨も無い。ただ、奴が園田靖史だということを考えればこそ、僅かなりとも手心を加えてしまうのは仕方あるまい。
そんな自分を、彼は甘いと思う。炎の闘士である自分の優しさなど、園田靖史には何の価値も無いというのに。
「尤も、今のお前が求めるのは仙川八雲ではなく、渡会八雲だったか。ならば俺が如何に本気で戦ったところで何の意味も無いわけだな。だが……精々死ぬなよ」
放たれるのは、必殺のブラフマシル。彼が手を振り下ろした瞬間、ベルグモンの体は火球に呑み込まれていった。
その夜は結局、ミスティモンと軽く打ち合って汗を流すだけにした。
初めて彼と打ち合った時には殆ど太刀打ちできなかった。情けない話だが、如何に強力な剣を持っていても、その頃は八雲の技量がそれに追従できなかったのだ。その大きさを考えても龍斬丸はとにかく重いのだ。だから重心を考えずに振れば重さに逆に振られることになるし、実際そんなことも何度か経験している。今の八雲にはあの炎の闘士が見せたような居合い抜きは未だにできはしまい。
それを考えると、あの男の剣が強いのは当然だ。奴は自分などより遥かに多くの修練を積んでいる。この龍斬丸を自在に振ることのできる筋力とそれに見合う技量は、恐らく奴が経験してきた数多の実戦で培われた賜物だろう。
「だけど……負けない!」
「……むっ!」
力任せに振り下ろした龍斬丸を、ミスティモンも自身の剣で受け止める。
あの時、八雲は人生で二度目の敗北を喫した。当然、一度目の相手は長内朱実である。いつか朱実を超えたいと思っている八雲にとって、その敗北はこの上ない屈辱だった。朱実に届くまでは決して負けないと誓ったのに、それが無残に打ち砕かれた形である。それを考えれば、悔しくて堪らない。久々に自分の中の負けず嫌いが覚醒した気がする。
そういえば、あの炎の闘士との戦いの時、自分の身には妙なことが起こったような――?
「……ま、いっか。よし。ミスティモン、来い!」
「おっ、結構盛り上がってんねぇ。いいぞぉ、戦う青少年!」
「は?」
唐突に聞こえた声に、八雲とミスティモンは振り返る。
当然、そこには朱実とナイトモンの姿がある。朱実は少しだけ汗を掻きながらも涼しい顔をしているのだが、ナイトモンの方は彼女に散々付き合わされた所為か、肩で息をしているほど疲労しているようだった。何と言うか、契約者の方をここまで疲労困憊させるとは、どれだけ体力馬鹿なんだ、こいつはと何気なく思う。
どうやら、彼女達も訓練だか特訓だかを終えて戻ってきたらしい。腕時計を見れば、既に時刻は午前二時である。
「そんで、アンタは何をしておるのかね、八雲君」
「……見りゃわかるだろうが。訓練だ、訓練。最近は体が鈍ってるからな、少しは勘を取り戻さないとって思って」
「へえ。でもね、その程度の訓練じゃまだまだアタシには勝てないよ?」
わかりきったことを言うなと表情で言い返してやる。
「そういえばさ、八雲。ずっと忘れてたんだけど、聞きたいことがあんのよ」
「なんだよ、いきなり改まってさ」
「……アンタ、ジャンヌとかいう金髪の幼女のこと知ってる?」
ジャンヌとかいう幼女とは、要するにジャンヌのことか。
知っているといえば知っているし、知らないといえば知らない気もする。要するに、八雲は未だに彼女のことを殆ど何も知らないでいるのだ。現時点で判明しているのは、彼女が最強と謳われる光の闘士であること、また朱実を標的に狙っているということの二つぐらいである。
うん? しかし、朱実の口からその台詞が出るということは――?
「……会ったのか、お前。ジャンヌに」
「まあ、今日じゃないんだけどね。何日か前、東京を彷徨ってた頃にさ、いきなり襲われてヤバかったんよ」
「それで、何で俺にそれを聞く。……まさか、彼女が俺の名前を出したわけじゃないだろ?」
そう聞き返してやると、朱実は少しだけ困ったように目線を逸らした。
「……うん。まあ、そういうわけじゃないんだけど……さ」
その上目遣いでチラチラとこちらを伺うように見る朱実の姿が、八雲には不思議だった。彼女がそんな目をすることを、八雲は久々に見たような気がしていた。
「おい、俺の顔に何か付いてるか?」
「な、なんでもないっての! あっ……そ、そういえば北側の街が壊滅してたんよ。ね、ナイトモン?」
慌てて否定して、話を摩り替えようとする朱実。その姿はとても珍しいものに思えたが、こんな時だから深く追求することはしないでやろうか。
「へえ、北側が。何かでっかい化け物でもいたのか?」
「……いえ、我々が訪れた時には既に廃墟と化していました。ですが、どうやら巨大なモンスターが暴れたことは確かなようですね。微弱でしたが、荒ぶる本能のようなものを感じ取ることができました。いつまたその化け物が現れるかわかりません。ご用心を、八雲殿」
「ふ~ん、一応覚えとくさ。……んで、その殿付けで呼ぶのは勘弁してくれないかな」
すぐ近くにそんな化け物がいるのか。何気なく気に留めておく八雲であった。
気付いた時、園田靖史は廃墟と化した街の中に倒れていた。
「うっ……こ、ここは――」
「どうやらお目覚めのようね。……御機嫌よう、園田君」
それを見下ろすような形で立っていた皆本環菜。その表情は厳しい。
上手く力の入らない両腕を強引に動かすと、靖史はコンクリートに肘を付いて起き上がる。その間、環菜は何をするでもなく靖史が立つのを待っていたけれど、彼が完全に立ち上がったのを確認すると、その怜悧な表情を僅かに曇らせて一歩だけ踏み込んだ。それは非常に珍しい光景。事実、皆本環菜という少女が眉間に皺を寄せることは珍しい。恐らく、家族でも滅多に見たことの無い表情のはずだ。
だがそれに靖史は気付かない。環菜が自分の胸倉を思い切り掴み上げた瞬間まで、彼はそれに全く気付こうとしなかった。
「………………」
「な、何すんだよ?」
その間の抜けた言葉に環菜の目は更に険しくなる。まるで、それはこっちの台詞だとでも言いたそうな表情である。
「見込み違いかしら。……これじゃ私が手を出す必要も無かったかもしれない」
「えっ。な、何を言って――」
「……園田君、まず息を整えて。それからゆっくりと顔を上げ、周りを見てごらんなさい?」
声音こそ優しかったけれど、その言葉には何者も逆らえぬ強制力が存在した。
だからこそ、園田靖史は環菜の言う通りにする。胸倉を掴まれた状態では深呼吸は辛かったが、無理に肺へ空気を押し込む。そうして大きく息を吐くと、首を可能な限り回して周囲の光景を眺める。一番に視界に現れたのが間近の環菜の顔だったのでドキッとしたけれど、興奮はそこまでだ。彼女の背後を含む全ての方角、園田靖史が現在見える場所は全て、瓦礫の山と化していた。
先程、環菜にナイフを突き付けられた時には確かに健在だった周囲の町並みが、全て薙ぎ倒されていた。
「えっ……こ、これは……?」
「回りくどい言い回しは好きじゃないのよね。だから端的に言うけど、これは全てあなたが起こした破壊よ、園田君」
「へ?」
心底不思議そうな表情を浮かべる靖史に、環菜は大きくため息を吐く。
この男ときたら、何の自覚も無い。ほんの少しだけ、こういう面は弟に似ている気がした。要するに、この男は良い意味でも悪い意味でも子供染みた気質しか持っていない。それ故に、その気質は時に環菜の母性本能を刺激するし、時には見るのも嫌なほどの醜さを感じさせる。そして、今は間違い無くその後者が表出している時であろう。
「闇の闘士、ベルグモンか。……己が魂も御することさえできない愚か者のあなたには、お似合いの力かもしれないわね」
「な、なにぃ……?」
「……わからなかった? ならもう一度わかるように言い直してあげる。……あなた自身には特別な力も才能も無いの。あるのはただ、あなた自身をも振り回しかねない暴力だけよ。そんな力を手に入れたことでね、誰があなたを認めるっていうの?」
こんなことを言うつもりではなかったが、口を開くと自然にそんな言葉が浮かんでくる。
だが自分で口にしながらも、環菜は自身の言葉に共感を覚えていた。園田靖史は闇のスピリットという名の力を得たことで道を違えた。けれど、それは力を得ただけのことだ。彼はその力を得る際に苦労したわけでも、使いこなすために腐心したわけでもない。だから結局、如何に強力な力だろうとも環菜はその力には何の脅威も感じない。
彼は今まで散々自分を力が無い存在と思ってきた。それが力を得たのだから、多少有頂天になるのも無理は無いかもしれない。けれど、渡会八雲への憂さ晴らしをするためだけに力を行使し、彼の心を好きなだけ踏み荒らすだけ踏み荒らすというのは、それは流石に浅慮ではないだろうか。
今更だが、気付く。環菜にとって最も許せなかったのは、それだった。八雲は靖史のことを親友だと信じていた。園田靖史は確かに渡会八雲には及ばなかったかもしれないが、それでも八雲にとっては掛け替えの無い存在だった。けれど、当の本人だけがそれに気付かずに勝手な被害妄想で暴走している。それが滑稽で、また悲惨で堪らない。
渡会君はあなたを必要としているのよって、胸を叩いて言ってやりたくなる。
「な、何で俺のやることに文句言う権利が環菜ちゃんにあんだよ! 俺がこの力で何をしようが、そんなことは関係無いだろうが!」
その言葉に大きくため息を吐く。心底愚かしいと思った。未だにそんなことを言っているのか、この男は。
「なら逆に聞くけど、渡会君をあなたがその力で倒したとして、誰があなたを認めるの? 悪いけど、私は渡会君を殺したあなたに『園田君って強いのよね』なんて言ってあげることはできないわよ。むしろ軽蔑するわね。力に振り回された愚か者って」
「くっ……!」
その言葉が図星だったのだろう。靖史は僅かに喉を鳴らして黙り込む。
「それは当然、長内朱実も同じでしょう。わかってる? この世界ではね、あなたがその力で復讐や憂さ晴らしをしたところで、誰もあなたを褒めやしない。誰もあなたを認めやしない。あなたはただ、私と長内朱実にとっての軽蔑と憎しみの対象になるだけ……いいえ、その前に殺されるかもしれないわね」
「お、俺が殺される? 何でだよ?」
「……それぐらい、自分で考えなさい」
本当に呆れた。こいつは心の底から、自分が死ぬなんて微塵も考えちゃいない。人間なんて死ぬ時は怖いぐらいあっさり死ぬというのに。
けれど、それは誰かが教えなくてはいけないこと。だから、環菜は敢えてその誰かになってやった。これで園田靖史が考えを改めるなら良し、そうでないなら彼に待つのは無様な死だけだ。その時は渡会八雲に敗れて身の程を知れば良い。それでも、環菜の心の中に靖史を救いたいと思う心があればこそ、環菜はこんな余計な言葉を彼に残すのだ。その思いだけは、彼に伝わっていて欲しかった。
「……わかるわよね? だから、あなたがしていることは単なる八つ当たりにすぎないわけ。それを園田君、わかってるの?」
「だ、黙れっ!」
激昂した靖史は足元に落ちていたナイフを拾い上げ、環菜の首筋へ突き付ける。咄嗟にブラックラピッドモンが彼女を庇うように右腕の銃口を上げるが、それを瞬時に彼女達の背後に出現したメフィスモンが制した。再び一触即発の空気が流れ出す。
だが先程の自分と同じように、如何に靖史がナイフを首筋に突き付けたところで、皆本環菜はまるで動じない。
それは当然のことだろう。今の彼女には人間が持ち得るはずの生気や覇気がまるで無かった。目の前に立つ彼女の黒々とした瞳は日本人形のように虚ろで、自分に刃を向けている靖史のことなど、全く気にも留めていない。己が身に何が起ころうとも第三者で在り続ける異端者、それが今この場における皆本環菜の正体である。
故にこの場で園田靖史が狼藉を働くのなら、彼女は躊躇い無くそれを受け入れるだろうし、目の前に突き付けられたナイフが僅かに動いて首を薙いだとて環菜は何の感慨も覚えない。
病的なまでに意志の無い瞳が、ただ何の感情も無く園田靖史のことを見返していた。
「何で俺を探してたんだ。……試したのかよ、俺を」
その質問に対して、環菜は「あなたにそれほどの価値があるとは思えないけど」と静かに前置きをして。
「そう思いたければ、そう思っておくといいわ。まあ、確かにあなたの力がどれほどのものか興味があったってことは否定できないけど。……でもね園田君、あなたは一つだけ大きな勘違いをしているみたいね」
「な、なんだと……?」
「いくら力を得たからって、全てが思い通りになると思ったら大間違い。力は使う人次第というけど、あれは真実ね。……それをあの子、渡会八雲は理解している。強い力を持つ者だからこその苦しみを、今のあなたはわかってないわ」
それもまた、昔の仙川八雲を知る彼女だからこその言葉。
「……渡会君の夢を知っているあなたなら理解できるはずよ。彼は誰も悲しませたくないし、誰も死なせたくないの。でも彼が強い者である以上、その力の前に屈して泣く者は必ず出て来てしまうわ。だから彼は自分の力をひけらかそうとはしない、誇示したりはしない。……矛盾よね、彼の夢を叶えるには力が必要だっていうのに、その力もまた誰かを泣かせてしまうものなのだから」
そんな環菜の言葉で靖史はやっと気付いた。
確かに渡会八雲は文武両道、苦手な分野を一切持たない人間だった。だというのに、彼はどんな時も決して嬉しそうな表情をみせなかった。定期試験で学年一位になっても、また体育の時間で目立っても彼は常に陰気な苦笑を浮かべるだけだった。そうして困ったような表情で言うのだ。悪いな、と。
それが彼の優しさ。他人を立てるが故に自身のことでは決して喜べない、そんな人間こそが渡会八雲だった。故にあの時、ダスクモンとして襲い掛かった靖史に反撃をしなかったのも、靖史を立てるためであって、本気を出せば自分が勝っていたということなのか――?
それは明らかな誤解だが、不幸にも園田靖史はそのことに気付かなかった。
「それでも、俺は八雲を倒す。倒さなきゃならない」
その言葉に表情を変えるでもなく、環菜は相変わらずの無表情のまま、静かに告げた。
「念のために聞くわ。……何のために?」
「そ、それは……」
答えが返ってくることなど無いと、聡い環菜は理解している。
それでも環菜は聞かずにはいられなかった。渡会八雲と園田靖史、その戦いの結果がどうなるのかは既に規定事項だ。如何なる力を手に入れたところで、園田靖史では渡会八雲を倒し得ない。それは彼らの在り方が変わらぬ限り、戦う前から決まっていることだ。
ならば止めなければならない。止めなければ園田靖史は命を落とし、渡会八雲は購えぬ罪を犯すことになるのだから。
「もう止まる気は無いと……そう思っていいわけね?」
「当たり前だ。闇のスピリットを受け入れた瞬間から、この身は既に一つの闇。飽く迄も光であろうとする八雲と、今更相容れるわけが無いからな」
「……本当に馬鹿ね、男って。いえ、馬鹿なのはあなたかしら」
呆れて物も言えない。それが正直な思いだった。
もしかすると、靖史自身も理解しているのかもしれない。自分は渡会八雲に勝てず、この場で無様に命を散らすことになることを。それでも彼は退かないし、何よりも退けない。その意地の張り合いは愚かとしか言い様があるまい。
去り行く靖史を引き止める術を、環菜は持ち合わせていない。だから、せめてもの手向けに一言だけ呟いてやる。
「まぁ……精々頑張らないで」
皆本環菜にとって、それは精一杯の思い遣りの言葉。それが如何なる意味で園田靖史に伝わったのかは知らない。知る必要も無いことだし、またその義理も無い。だが少なくとも、靖史の心にも環菜の心にもその言葉は一生残り続けることになる。
同じ感情を共有した二人。少なくとも、この時の環菜は靖史のことだけを思っていたし、また彼の行く末を案じてもいた。だから、それは好き嫌い関係無く、紛れも無く一つの愛の形と言えるだろう。
そうして、それが園田靖史と皆本環菜が交わした最後の会話だった。
「渡会君が光……か。何か違う気もするけど」
なんとなく、そんな呟きが口から漏れた。
靖史が姿を消した後も、環菜はブラックラピッドモンと共にしばらく何をするでもなくその場に佇んでいた。そんな時、彼女の下に歩み寄る影がある。言うまでも無く、その影とは。
「ご名答だ、環菜。奴が光などであるはずもない。……俺と同じだからな、渡会八雲は」
「……あなたは」
眉だけを動かして、環菜は驚きを表現する。口を真一文字に結び、環菜の姿を見下ろしていたのは、赤髪を持つ炎の闘士。まあ、先程ベルグモンと戦っていたのは炎の闘士の進化した姿だったのだから、当然といえば当然なのかもしれないが。
だが環菜にしてみれば、以前自分を襲ってきた敵である。身構えずにはいられまい。
「安心しろ、危害を加えるつもりは無い。……いや、この前も無かったんだ。悪かったな」
「……何者なの、あなた。私のことを知ってるのは何故?」
それは純粋な疑問だった。彼とはどこかで会ったことがあるような気がする。見覚えがある気がするのだ。
「さてな、お前の勘違いだろう。少なくともお前には、俺と出会った記憶は無いはずだ。それよりも、俺もお前には聞きたいことがある。……お前が何故この世界にいる?」
「……え?」
その質問の意図が全くわからない。彼は何を思ってそれを聞くのか。
環菜としてみれば、何故自分がこの世界に取り残されたのかは彼女自身が最も知りたい質問だった。聞けば、渡会八雲や園田靖史は世界が妙なことになる前から、何回かモンスターと遭遇したことがあると言っていたが、環菜にそんな経験は無い。自分を特別な人間だなんて自惚れたことも無かった。
だが炎の闘士は飽く迄も真剣な表情である。
「お前は高校生の頃、この場所には住んでいないはずだ。……中学生の時に東京へ引っ越したのだと、そう言っていた覚えがある」
「引っ越しって……何のこと?」
「なに? お前、東京に引っ越していないのか……?」
正直に答えると、炎の闘士は心底驚いた顔をした。
しかし真実だ。自分は引っ越したことなど無いし、引っ越す理由も無い。それに、東京なら今だって十分に近い。電車に乗れば二時間以内で行けるほどなのだ。ならば、そんな都会に引っ越す必要もあるまい。何よりも、どこかおかしい。どうも彼との間にコミュニケーションは存在するのだが、肝心の会話が成立していない気がする。
それでも、環菜の答えは炎の闘士には意外だったらしく、いきなり両肩を掴まれた。
「きゃっ……?」
「嘘を吐くな! お前は親父さんの仕事の都合で、中学生の時に都会に出たのだと語っていたじゃないか!」
「えっ……お、お父さん?」
そんなことは知らないし、何より矛盾している。先程の会話の中で、彼は環菜と既に出会っていることを否定していた。だから彼と自分が今以外に言葉を交わしているはずが無いのだ。だというのに、彼は皆本環菜が「中学の時に東京へ引っ越した」と話したと言う。付け加えて言えば、環菜は引っ越しなどしていない。
そもそも、父親という単語自体が矛盾だ。何故なら、環菜の父親は――。
「……私にお父さんなんていないわ。物心付く前に死んだからね」
「なんだと?」
「十六年ぐらい前の自動車事故だったかしら? ……前を走ってた車に追突しちゃったらしいのよね。……それで、あの世行き」
その言葉が、炎の闘士にはトドメとなったらしい。彼は今度こそハッキリと驚愕の表情を見せ、振り払うように環菜の肩から手を離すと、環菜が大きくよろめいたことも意に介さず、後方を振り返った。何が彼をそうさせるのか、全くわからない。
そうして彼は、静かに笑い声を上げ始めた。
「ふふふ……はははは、あっはっはっはっはっはっはっはっはっは! ……そうか、そういうことか。道理でお前の雰囲気が違うわけだ。ああ、そうだろうさ。父親を事故で失ったとなれば、当然お前も少しは人間味も持つわけだな。これが笑わずにいられるか! ……大した喜劇だよ。そうして、俺はそれに踊らされた道化師というわけだ!」
「………………」
「折角だから教えてやろうか? お前の親父さんに追突された車に乗っていたのはな、お前の知っている奴だよ。……そうだ、あの渡会八雲だ。あの事故で奴は家族を失い、故に安藤浩志の孤児院に引き取られたというわけだ! 誰が書いたかは知らないが、こいつは見事な脚本だな。……そうか、要するにあの事故の所為で全てが狂ってしまったということか……!」
その狂気の笑いは必死だった。最後の方には泣き声も入っているようにさえ聞こえた。それを強引に抑え付けるための笑い声だったのかもしれない。
父親が事故を起こしたことは、まだ赤ん坊だったこともあって環菜は殆ど知らなかった。だが極めて曖昧な記憶ながらも、母親が自分を抱きながら誰かに何度も何度も謝っている光景を覚えている。今の言葉を鑑みれば、母親が謝っていた相手というのは、恐らくその安藤浩志とかいう男性だろう。彼の両親を奪ってごめんなさい。辛い運命を背負わせてごめんなさい。きっと、そんなところだ。
その相手が渡会八雲だというのは意外だった。早くに両親を亡くしたということこそ知っていたが、まさか父親が起こした事故の被害者だとは気付かなかった。それを気付かせなかったのは、恐らく彼の人柄にあるのだろう。八雲は他人の前では決して寂しさや辛さを見せない。寂しいだろうに、それを些事であるかの如く捨て置く。それは確かに非情だけれど、同時に彼の強さでもあるのだろう。尤も、あの長内朱実のような義理の家族が傍にいれば、寂しさなど感じないのかもしれないが。
だが慇懃無礼で人を人とも思わぬ男と思っていた炎の闘士の突然の変貌に、流石の環菜とて戸惑いを隠せない。彼の苦しみがわからない以上、彼のことを心配したところで同情にもならないが、それでも今の彼の姿は酷く滑稽で、同時に酷く不憫でもあった。
「ケンタルモンと組んだ朱実も、靖史がメフィスモンと契約して暴走するところまで同じだった。渡会八雲の契約者がウィザーモンだったことは想定外だが……そうだ、十闘士の存在を除けば、この世界は殆ど全て俺の時と同じだったはずなんだ。……それなのに、お前はどこまでも違うんだな、環菜」
「……何のことだかさっぱりわからないわ」
「教えてくれ……お前は何を考えてる? どうして靖史と戦ったんだ? どうして渡会八雲に親愛を抱くんだ? そもそも、俺はこの時にはまだ環菜と出会っていない……出会ってちゃいけないんだ!」
知らない。そんな必死な表情で詰め寄られたところで、環菜には答え様が無い。知らないものは知らないのだ。
だが彼の苦しそうな横顔、また瞳には薄いながらも涙が滲んでいる。炎の闘士であるはずの彼が何故そんな顔をするのか、さっぱりわからない。そもそも、環菜は未だに彼を含めた十闘士という存在を殆ど知らないのだ。如何に感情の読み取りに優れているとはいえ、正体もわからぬ者の思いを推し量れるほどに彼女はまだ人間として完成していない。
けれど、その顔が知っている誰かに似ているようにも見えた。
「……あなた、もしかして――」
その先は、殆ど言葉にならなかった。
【解説】
・アルダモン(バリアブル種、融合形態)
読んで字の如く融合闘士。此奴のアニメ初登場回は作者の中ではデジモンアニメで最大の燃え回として著名。鋼の闘士のキャラも一話で完璧に立たせた名話である。作中では闇の闘士としてビーストスピリットを御し切れず暴走した靖史を止める為に初めての進化を遂げる。ヴリトラモンですら生身では倒せない炎の闘士、早くも融合形態になってしまいましたが、主人公達はどうやって勝つというのか……。
アルダモンとヴリトラモンの力を合体させた現時点の炎の闘士の出せる全力。ベルグモンのゾーンデリーターを素手で押し返すだけの力を持つ。
【後書き】
基本的に本作は女の子と十闘士の物語ですので、野郎は酷い目に遭うもの。一方で女の子を如何に活躍させるかに注力させて頂いております。主人公はやっくんと朱実ではございますが、実は環菜も裏主人公かもしくは影の主人公と言っても過言ではない。なので、どうせ自分のことだし今回のダスクモン(ベルグモン)戦も3話か4話使ってるんだろうなぁと思っていたら、実は2話で終わっておりました。むしろ読み返して自分でビックリ! そして例によって青臭さで悶死。
今回で十闘士とはそもそも何者なのかという点に関しては、おおよそヒントを出し終えました。拙作の【コテハナ紀行】も読むと、より見えてくるものがあるかもしれませんよ!?(宣伝)
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