
ゴールデンウィークが終わって、尾池の生活はまた少し変わった。
尾池は科学部に入ってまだほんの一ヶ月ぐらい。だけど、幽谷はセクハラはともかくそんな悪い人とは思えないし、硯石に関しては文句なしのいい人に思えていた。
部員がほとんどいないことや何故か部内で事件をおさめようとすること等の謎はあるとはいえ、科学部は尾池にとって結構落ち着ける居場所だった。
でも、少し謎が放置していられない気になってきた。
個体の大きさというのは自然界においては影響力の大きさである。
南極までもが温暖な気候であったジュラ紀、大型竜脚類はただ食事をして移動するだけで虫の住処になり、その虫を狙う小型の翼竜にとっても住処であり狩場であり繁殖地にもなり、挙句森を開拓して草原を維持する働きも持っていたという。現代においてもゾウは近い働きを持っているし、その影響力というのは動物の分類にあまり関わらないものなのだ。
当然、それは外来種でも変わりはなく。人間を遥かに超えるサイズに成長する生き物がばら撒かれるというのはとんでもない大惨事である。
でも、幽谷と硯石は積極的には動かない。level5の存在も何もかも知ってましたと言わんばかりの落ち着き方だった。尾池自身、何かを隠されていることはなんとなく感じていたし、まだ一月ほどの付き合いなのだから仕方ないとも思う、でも、今はもう知りたくなってしまった。
「二見先生って、顧問だから去年までの科学部についても知ってますよね?」
尾池が頼ったのは科学部の顧問の二見瑠璃だった。
「んー……ちょっと場所変えよっか」
黒髪を少し揺らし、二見はそう言って尾池を職員室から旧校舎の旧科学準備室に連れて行った。
放課後の旧校舎、しかも旧科学準備室は普段は使われない教室である。既に薬品棚に物はないはずでもあるその教室は、電球も新しいものであったし部屋に埃も溜まっていなかった。
「実はね、一人で集中して作業したい時とかこっそりここ使ってるの。冷蔵庫はないけど、ケトルも置いてある」
ちょっとした隠れ家みたいなと微笑み、二見は尾池に個包装の塩大福を一つ渡すと、置いてあった電気ケトルを使ってお茶を入れた。
「あ、どうも……」
尾池がとりあえずと一口かじる。塩気が強過ぎるなと感じた。
「……さて、去年までの科学部についてだけど、実はあまり知らないの」
「そうなんですか?」
尾池が首を傾げると、二見は一度深く頷いた。
「私も正確には臨時顧問だしね。正式には今年の四月に赴任したばっかでこの学校では尾池さんと同じ一年生だから」
「あの、でも……引き継ぎみたいな事とかしたんじゃないんですか?」
二見は、自分の分の大福を一口齧ると微妙に眉を顰めた。
「……そうしたこととか去年の不思議だったから、一応場所を改めたの。私ね、前任の先生に会ってないし、会いにも行かせてもらえないし、他の先生に聞いても誰も教えてくれないの」
「え……」
「まず、赴任前の三月中からちょこちょこ仕事してたんだけど、その最中から科学部の臨時顧問になることが決まっていたの。私、科学教師じゃないし、他に科学教師いて、大学出たての新米に。この時点でおかしいでしょ?」
こくこくと尾池は頷いた。
「しかも、基本的に仕事は部員の方が把握してるでしょうから、求められたら応じる感じでやってくださいというふわふわした指示。それで、じゃあ前任の先生に挨拶行きたいですって言ったら何故か怒られて、他の先生達もだんまり。なんか悔しくてネット上で去年の科学部の記事を探したの。そしたらそれも不発、部員や顧問が映っている写真は軒並みネット上から削除されてたか、データが壊れていた」
「削除……? データが壊れていた……?」
なんか黒塗りみたいになっていて幽谷さん以外はまともに見れた状態じゃなかったのよと二見は言った。
「そんな感じで不気味だなぁと思いつつ、私もちょっとムキになって、図書室と図書館行って地方新聞なんかも調べてみた。そしたら、どっちも保存されてた新聞の写真が切り抜かれてた」
「えぇ……」
「私も流石に怖くてそれ以上調べなかったの」
残念残念と言いながら塩大福の残りを食べると、お茶でぐっと流し込んだ。
「そういえば、怖かったと言えば、幽谷さんも少し怖かったなぁ」
「というと」
「実はね、正確に言うと履歴上の前任者自体はまだ学校にいるの。科学の水谷先生。でも、幽谷さんが顧問として認めなくて顧問としてはほとんど何もできなかったらしいの。鍵閉じて理科室入れないようにしてても気づいたら中にいたりしてね」
多分、火夜に中から開けさせたんだろうなと尾池は思ったが言わないことにした。
「私が顧問になった時、幽谷さんに会いに行ったら、私が去年まで東京で大学生していたなんてこともバレててね、よろしくお願いしますね。ってちょっとおどろおどろしい笑顔で言われちゃって」
尾池に向けて二見はどこか恐ろし気な笑顔を作って見せた。
「水谷先生の前の先生は、いつまで顧問してたんですか?」
「えっと……去年の九月頃までかな? それから水谷先生が担当しようとして追いやられて、他の先生がという話も出たらしいけど幽谷さんが拒否し続けて、それから硯石君が入部して……三学期終わりになって私が臨時顧問に。なんか不思議でしょ?」
「え、あの、副部長は前からいた部員じゃないんですか?」
「うん? そうね……聞いた話だと科学部は一度一人きりになっていたって話だからそういうことになるかな」
尾池が驚いたように言うと、二見は一度口元に手を当ててからそう返した。
「副部長は部長から追い出されなかった、って事ですよね」
「うん、そうなるね」
「……なんでなんでしょう」
幽谷が水谷先生や他の先生を追い出して、二見先生は受け入れたことに関して、尾池はその時点で一つの仮説を立てていた。
それは、幽谷が科学部に去年起きた何かの原因をその時点で学校にいた誰かの仕業であると考えていたのではないかというもの。そう考えると、東京から来て去年の時点でこの地域にあまり繋がりがないと考えられる二見先生が受け入れられた説明がつく。
ただ、硯石に関しては違うように思えた。二年生であるし、地元に親戚もいる。その上何があったか一人残った幽谷に対してアプローチもかけていく。
昨年何が起こったかに関係していないと思われるから受け入れられたのか、それとも関係していると考えられて傍に置かれているのか。どっちにも尾池には思えた。
「そうね、尾池ちゃんの七美みたいな何かがあるからじゃないかしら?」
「え?」
「え?」
二見が当然のように言ったその言葉に、尾池が驚くとその驚き方に二見も少し驚いた。
「えと、あー……七美がどうかしました……?」
尾池がそう言って無理に笑みを作ると、二見は首を傾げて口元に手を置いた。
「えー……尾池ちゃんが七美のこと何か隠したいのはわかるんだけど。私が尾池ちゃんに鍵を渡してるってことは私が尾池ちゃんよりも早く学校来てるってことだからね?」
合宿中の生き物の世話してたのも私だしねと二見は逆に首を傾けながら微笑み、それに対してあー……と尾池が漏らすと、二見はふふふと笑った。
「毎日、尾池ちゃんのいる時しか理科室にいないのもバレバレだし、普通に七美を連れて帰ってるなら荷物が小さ過ぎるから、何かしらここにも不思議なことが起こっているのはわかっちゃうよ」
それもそうかと尾池は頷いた。
「あとはね、そういう生き物の相談を別のところから受けているの」
「へ?」
「科学部の部員募集のポスター知ってるでしょ? 異常に大きなタマゴを見つけた人歓迎、ってやつ」
そうだっけと尾池は首を傾げた。尾池は七美のことがあって、科学部という、好きに生き物を学校に置いておける立場を欲していた。その為、確かに科学部のポスターは見たが、活動場所ぐらいしかちゃんと見ていなかったのである。
「まぁ、とにかく科学部のポスターを見て科学部に興味がある生徒がいて、その子のところにも尾池ちゃんの七美みたいな? なのかはわからないけれど、不思議な生き物がいるらしいの」
といっても、科学部に入るのはまだ難しそうだけどと二見は言って続けた。
「教室まではいかずに保健室とか、こことかでプリントとか使って勉強してる子なんだけど、尾池ちゃん興味ある?」
「興味あります」
「よかった。じゃあ、話しておくね。彼も幽谷さんや硯石君に比べれば同級生の尾池ちゃんの方が話しやすいだろうし」
ふと、尾池の携帯にメッセージが届いた。
「あ、副部長からだ……」
話がある。今どこにいる? というたった一言だけのメッセージ。普段ならなんてことないそれなのに今受け止めるには少しだけ怖かった。
「私から話せることは大体言っちゃったし、行ってきたら?」
二見にそう言われて尾池は頷いた。
「……あ、そうだ、今日話したことはみんなには内緒にしてもらえますか?」
「もちろん。私が私物化してるのもね」
二見にそう言われて、尾池はまた頷いてお茶を飲み干しごちそうさまでしたと言うと理科室へと向かった。
「と、いう訳で尾池君も揃ったところで始めようか。今回は、メリーさんの電話だ」
幽谷が言うと、尾池はうん? と首を傾げた。
「童謡のやつですか?」
「もちろん違う。メリーさんの電話はね。ある少女が引越しの際、古くなった外国製の人形、「メリー」を捨てるところから始まる。するとその夜、少女に電話がかかってくる。「あたしメリーさん。今ゴミ捨て場にいるの…」少女が恐ろしくなって電話を切ってもすぐまたかかってくる。「あたしメリーさん。今タバコ屋さんの角にいるの…」そしてついに「あたしメリーさん。今あなたの家の前にいるの」という電話が。怖くなった少女は思い切って玄関のドアを開けたが、誰もいない。やはり誰かのいたずらかとホッと胸を撫で下ろした直後、またもや電話がかかってくる。そしてそれを取ると……「あたしメリーさん。今 あなたの後ろにいるの」という怪談系の都市伝説だね」
これは尾池もなんとなく知っていて、途中からは頷きながら話を聞いていた。
「さて、このメリーさんの電話。元と思われるのは日本人形の怪談だろうとされている。捨てても戻ってくる日本人形、しかし日本人形の需要も薄れて身近なものとは言い難くなってしまった。また、別の怪談として幽霊が電話をかけてくるものもあったらしい。そこら辺を合体させたもの、とも考えられているが実話でないとも限らないね」
「それで、今回はどんな事件なんですか?」
幽谷が少し楽しそうに言っていることに対して、やっぱりいつもと変わらないなと思いながら尾池は聞いた。
既に、去年の科学部がどうということは尾池の頭から抜けかけていたし、元から話を遮って幽谷に直接聞くつもりはなかった。
「今回はね、死人が出てる」
「一週間ぐらい前に隣の市で殺人があったの覚えているか?」
硯石に尾池はそう言われてもと首を傾げた。テレビは生物系のEテレの番組とかダーウィンが来た、NHKスペシャルぐらいしか尾池は見ないのだ。
「日本刀の様な長い刃物で殺された密室殺人事件。部屋に鍵は揃っているものの、凶器は見つからず、外部犯と見られるが盗まれたものもない。でも人間にとって密室であってもこいつらなら別だ」
硯石の言葉に幽谷も頷いた。今回はあまり尾池の出番はなさそうだ。
「そして、これからがメリーさんの出番。被害者は死ぬ前にある自殺幇助サイトにアクセスしていた。そこの名前が人斬りメリーさん」
「人斬りメリーさん?」
尾池が復唱すると、幽谷はその通りと頷いた。
「自殺したいけど勇気がないという人に対して、代わりに殺してあげますよというサイトでね。メリーさんの電話を踏襲したシステムを取っている」
「システム?」
「そう、ネット上で指定した日になった午前零時、電話がかかってくるんだよ。例えば、「私メリーさん、今なになに駅にいるの」みたいなやつがね。そしたら、依頼者は自分が家のどこにいるかをメリーさんに告げる。すると、その後数回に分けてかかってくる電話の中でメリーさんは徐々に近づいてくる。キャンセルする場合にはあなたの後ろにいるのと最後の電話がかかってくる前に、それ以前の談話で、やっぱりやめるとか帰って欲しいとか返す。先に密室を作っておきかつキャンセルしなければ他殺にしか見えない自殺が完成する」
「……その、部長達はその情報はどこから?」
人斬りメリーさんの時点で尾池にはあまりついていけていなかったが、内情にあまりに詳しくて尾池はついそう聞いてしまった。
「うちの父が県警の、幹部でね。父は口が堅いんだけど……県警の中には権力に弱くて、まぁ酔うと口が軽くなってしまい、不倫してることをぽろりと上司の娘に漏らしてしまったやつがいるんだな。数時間後に公開される様な情報の漏洩から強請って、今では殺人事件の捜査情報も入ってくる様になったと。いう感じだね」
バレたら懲戒免職は免れないね、ははははと笑う幽谷の目は口調と裏腹にひどくうんざりしている様だった。
「今回のは、アレらの事件として見ても、そもそもの事件自体も大分複雑だ。被害者なのか嘱託殺人による自殺なのか、メリーさんが殺人を本当に受け負ったという証拠もない。加えて、密室による不可能犯罪となれば、自殺ではないことは証明できても殺人であることを証明できない。保険金詐欺という話も今回のそれには絡んでいるのだけど、殺人とも自殺とも立証できない殺人であるならば不審死としか表現できない時に、保険金は果たして出るのか?」
「犯人自体は検討付いてるんですか?」
尾池は事件がどんなものとかには興味がなかった。どんな生き物が絡んでいるのかには興味があるが、被害者の意図や殺した側の動機はそれほどそそられない。
「サイトの運営者は突き止められているけれど、運営は誰とも知れない人間に乗っ取られてしまっているそうだよ。そっちからだと突き止めるまでには時間がかかるだろうね。でも、警察はすぐに逮捕できるつもりでいる」
「……突き止められないのに逮捕できるんですか?」
「依頼を受ければ出向いてくる。ということはだよ、警察側から依頼を出して出向いてもらうということもできるだろう。そう考えているわけなんだよ。危ないから何日まではこの辺来ちゃダメですよとか言われたし、やつの携帯のGPSで具体的な場所もあてがついている」
きっと幽谷の親がこれを知ったら卒倒するだろうし、世間にバレたら新聞の一面飾りそうだなとも思ったが尾池は黙って頷いた。
「じゃあ、今回はその場に乗り込むんですか?」
「そうだな、重忠が乗り込む。部長は関与が疑われない様に待機、尾池も待機。今回は警察と出くわしてもいいようにしておく必要がある。七美はレベル4にならないと陸上移動が困難だろう。適しているとは言い難いし、火夜も行動が幼いから避けたい」
硯石の言葉に尾池は頷きながら、少し残念に思った。行ったところで警察の前に姿は出せないから見られないだろうし、重忠は他よりも意思疎通はできそうだが細かい姿まではきっと伝えられないだろうと思った。
「まぁそういう感じで、今回はとりあえず犠牲者を増やさない方に舵を切ったのさ。さっきも言ったけど、これはアレらの事件として見てもなかなか不思議な事件だからね」
「……そうなんですか?」
幽谷の言葉に、尾池は七美の水槽の前で指をくるくると動かして遊びながらそう返した。
「そうだね。まず、サイトを用意しているのがおかしいし、当然のように日本語を操るのみならずメリーさんの電話をもじった物語も作っている。人間の文化に精通していないと起こり得ない事だ」
確かにと尾池は頷いた。
「もう一つ、殺された人間はただ殺されている。つまり、食事の類ではないという事。つまりは誰かの望みで人殺しをしていると考えられる訳だ」
「もみあげグレープゼリー?」
ただ食べる以外の理由自体は尾池も幾つか思いつく。縄張りを守るとか、自分を守るとか、百舌鳥の早贄の様に今は食べないで取っておくとか。しかし、これはそのどれにも当てはまらない様に感じた。
「かもしれないが、サイトを乗っ取っているならば安定して使える機材やそれを設置できる場所がある事になる。ただ人を殺したいならばこんな厄介な手順を踏む必要はない。人間社会に食い込もうというならば無償で行っているのが解せない。やつが関与してるかもしれないが、人間の協力者もいるはずだ。おそらくはその兼ね合いでこうなっている」
「人間の協力者。一体どんなやつなんだろうね、会ってみたいとこだね」
硯石がいい、少し楽しそうな調子で幽谷も続いた。幽谷の目は尾池には笑って見えなかった。
感想ありがとうございます。
四話は説明回だったので少しでも詰め込もうとしたらあんな感じになりました。ある意味現行作品の影響ですかね。
もみあげに対するこだわりは、多分なんか二人のツボに入っているんだと思います。部活も不穏だったり、尾池ちゃんの立場だとわけわからないという展開がこの後は続いていくと思います。
というわけで(?)こちらおまけのレギュラー女子胸囲上位陣です。シャミ研の黒松さんは普通な感じなので硯石姉の下に入ります。大体どの子も服を着たら裸の時より小さく感じる様には考えて描いてますが、部長は服のたわみの方が大きくなるぐらいの大きさです。副部長は男子ですが割と胸筋あるの脱いだ方が大きく見えます。
では、また次回も楽しみにしていただければ、幸いです。
追い付いた! そんなわけで夏P(ナッピー)です。
四話のサブタイトルが「魔王」だったので「そんな直球な名前の都市伝説あったかな……」と記憶を総動員してたら、いきなり下着の話が始まってホアーとなってたら、一気にスプラッシュモンやら何やらが現れてそのまま色ボケ魔王の存在まで示唆されてしまった。展開が早いわ!?
尾池ちゃんも聖剣も含めてこのもみあげに対する異様な拘りは何なの!? 地味ながら完全体がしっかり脅威として扱われてるのはニヤリでしたが、実は面白おかしくやってると思われた部活の方に焦点があたってちょっときな臭い感じに。最後の後書きの所為で(勝手に)スレンダー美人だと思ってた臨時顧問の脅威な胸囲ばっか印象に残ってしまいましたが、父親の部下を情報源としてるっぽい部長怖いぞ! あとまたもみあげに対する熱い拘りが発露されてる! 鼠ロリィタは後書きまで正体把握できませんでしたが姉の方か!
ではこの辺りで次回もお待ちしております。
警察が首切りメリーの逮捕の場所として用意したのは廃工場だった。先週潰れたばかりの工場であり、夜逃げした為設備もほぼそのまま。
ここの工場長という体で送られたメールもどうやら無事に受け取られたらしい。
警察がこの場所を選んだ理由には、人間が隠れられるサイズの機械の多さがあったが、それは重忠が隠れるにも都合がいいという事だった。
作業着の下に防刃服を着た警官は工場の奥、わかりやすい場所に座って首切りメリーが来るのを今か今かと待っていた。
犯人が奥まで歩いて行く前に、入り口から十分離れたら入口を閉じて取り押さえる。そういう目算である。しかし、おそらくそれは失敗するだろう。それは警察が想定しているような存在ではないからだ。
午前0時になると、静まり返った工場の中に着信音が響き渡った。
「もしもし」
『私、メリーさん。今駅前にいるの』
「俺は……工場の奥にいる」
そう言うと、電話はぶつりと切れる。ほんの数十秒でまた電話が鳴る。それに警官が出るとメリーさんはどこにいるのかを話す。それを何度か繰り返した。
そして、工場の前にいるという電話がかかってきた。工場の外で張っていた警察官が見たのは、工場の前に瞬きする間に現れた人影だった。
高さは170センチより少しあるかどうか。頭には丸い鼠に近い動物の耳を模した水色のフードを被り、スカートは骨組みが入っているらしく丸く膨らんでいて、ひらひらとした装飾が重なった袖口やスカートはロリィタファッションに見え、まさに人形の様であった。さらによく見ればその瞳孔も十字でカラコンか何かを入れたようだった。だが、警官の目を引いたのは申し訳程度に柄に装飾があるもののとてもアンバランスな太刀だった。
鼠ロリィタは、その姿をトランシーバーで報告する警察官の会話も聞こえていたが、一度首を傾げるに留めた。もしも止めるならば、連絡が入っていないとおかしいが、しかし連絡は入っていない。予定通りに遂行しろという事だと受け取った。
警察官の前で、鼠ロリィタは閉まっているシャッターの下に一センチ程の隙間があるのを見ると、そこを通れるサイズまで体を小さくした。それは先程瞬時に現れたのも同じで、駅から工場まで、協力者が電話をかける時以外はその体を目立たない程度に小さくしたり屋根の上などの人の死角を通って来ていた。
ただ、そんなことは警察官には預かり知らぬことで、その警察官には突然犯人が消えたように見えた。
鼠ロリィタは、七美達に比べて非常に体の伸縮が得意だった。
工場に入るとそのまま物陰へと移動し、壁をよじ登って梁の上まで辿り着くと、そこで一度伸縮を解いて深呼吸をしながら警察官達の位置を確認した。
重忠だけがそれに気づいて、すぐには飛び出せない位置でこそあるが上からも死角になる位置へと移動した。
また体を縮め、梁の上を通って工場長に扮した男性のすぐ上を取ると、背後に降り立って伸縮を解き合図を送った。
最後の着信音が鳴り、入り口ばかり見ていた警官達は呆気に取られた。
「ワ、たし、メリィ、さ」
鼠ロリィタが喋って初めて工場長役の警察官はその存在に気づいた。
手を柄に伸ばす速度も抜刀する速度も振り抜く速度も人間の領域で捉えられたものではなく、銃を構えようとする警察官のその動きが終わるまでの間に首が切られるのは避けられない。
ただそれはその場にいたのが警察のみであった場合。
石猿へと姿を変えた重忠の鈍器の様な尾が、抜刀しようとする鼠ロリィタのこめかみを強く打ち、首を折り曲げるのみならず体自体を壁まで弾き飛ばした。
「ア、う?」
鼠ロリィタを弾き飛ばして入れ替わるようにそこに入った重忠に警察官達は驚きと共に困惑した。
一方の重忠は落ち着いていた。
手ごたえから鼠ロリィタは瀕死に近いことはわかっている。機動隊を含む警察官達の持っている武器も厚い毛皮と岩に体を覆われた重忠には通じないことも知っている。工場の耐久性には多少の不安があったが、鼠ロリィタは首が折れているからそれも問題はない。
だからこそ、重忠は警察官が離れると落ち着きをもってその場でもう一段階変身をした。その体は工場の梁に届かんばかりの巨体になり、上半身と腕はクリスタルの様な透き通る岩石に覆われ、他もまんべんなく岩石に覆われて動く山の様だった。
その変身が始まったのとほぼ同時、鼠ロリィタの打ち付けられた横の壁に異様な音と共に穴が開いて、紫色の液体がどぷどぷと音を立ててあふれ出した。
溢れた液体の内半分程がその場で白いタイツに包まれた様な人の姿、水虎将軍の姿を取りもう半分は鼠ロリィタを包み込んだ。
重忠が水虎将軍の存在に気付いたのは、電話が鳴って鼠ロリィタが降りてくるのではなく鼠ロリィタが降りてから電話が鳴ったからだ。
連絡役がいる、または鼠ロリィタは自分の体と同時にサイズを縮小できる連絡手段を持ち歩いていることを推測でき、水虎将軍が体を分裂させても不都合がないことを重忠は知っている。
ただ、相性はあまり良くはない。工場は今の重忠が戦うには狭すぎる上、不用意に動けば警察官も巻き込んでしまいかねない。
「……ふむ、ここは互いに引くべき時の様だ」
これはプレゼントですと水虎将軍が言うと、重忠の前に巨大な水の球体が現れた。
重忠は仕方ないと言う様に一度頷くと、右腕を水球に向けるとその先端からビームを放った。
その熱に水はあっという間に蒸気となってその場に充満し、警察官達の目から重忠も水虎将軍も鼠ロリィタをも隠した。
その蒸気が晴れるとそこにはもう誰もおらず、警察官達だけが呆気に取られて立ち尽くしていた。
「そのまま帰ろうというのは虫が良過ぎないかしら、面白もみあげマン」
そうかけられた声に水虎将軍はゆっくりと振り向いた。
鼠ロリィタを抱えた水虎将軍がいたのは工場の側の民家の屋根の上。平時ならば誰がいるはずもなく乱入するにあたって当然そこに警察官がいないことも水虎将軍は確認していた。
「……はぁ、これから帰るところなんだがね」
月光を浴びて追跡者の金色の体が闇から浮かび上がってくる。それが何かをその水虎将軍は知っていた。
「私としてここであなたには死んで欲しい。どんな計画だろうと実行者がいなければ実を結ぶことはないでしょう?」
剣の獣はそう言って片手を振りかぶり、振り下ろした。水虎将軍がそれを避けると、体についていけなかった前髪が少し切られて地面に落ちた。
「……あのやたら動きのいいバブンガモンにお前に、薔薇騎士は小事にやたら手をかけるな? こちらの計画はほとんど解していないらしい」
「あら、それなら是非ともご教授頂きたいのだけど」
言葉を交わしながら剣の獣は数度腕を振るった。それを水虎将軍は体の部分部分を切られながら避けていく。
「答えは自ら掴み取るものだ。とはいえ、このままでは埒もあかない。取引しないか?」
屋根の上に幾らかの水虎将軍の体が飛び散って、月光を反射してキラキラと光っていた。
鼠ロリィタを抱え上げる腕も片方は二の腕の細さが半分程になり、追い詰められた様な有り様だった。
「取引?」
「私は逃げたい。君は私を追い詰め計画を頓挫させたい。そこで取引だ。私は計画についてヒントを渡そう。代わりにお前はこの場で私達を見逃す」
「その物言いが既に、下手なヒントよりもそのlevel4が重要であるということを教えてくれていると思うのだけど。応じる理由がどこに?」
剣の獣はそう言って、水虎将軍に向けてまた腕を振るう。
余力があるうちは引き出せても大した情報ではないだろうし、取引に乗るにしても今ではない。加えて、ある点から剣の獣は目の前の水虎将軍は本体でないと考えていた。
「では、交渉決裂ということで」
水虎将軍がそう声に出すと、ザアッという音と共に剣の獣の背後から多量の水が降りかかった。
土砂混じりのその水は剣の獣を包み込む様に球体を作り剣の獣をその場に閉じ込めてぐるぐると回る。
「我ながらワンパターンだな」
土砂混じりで目視もできない、体も安定しない、それでもと水虎将軍の声を頼りに剣の獣は腕を振ろうとして、踏みとどまった。
ここは民家の屋根の上である。もしも剣を振る方向を間違えれば当然家を切ってしまうことになる。
ならばとビームを放とうとして、剣の獣はまた一瞬戸惑った。今さっき聞こえてきたワンパターンという言葉、ビームで蒸発させれば辺りには湯気が立ち込める。それに乗じて逃げるというのはつい今さっき見た光景だ。
そこまで考えて、結局剣の獣はビームで蒸発させる方法を取った。それしかなかったのも確かであるし、迷えば迷うだけ時間が奪われて思う壺なことに気づいたからだ。
剣の獣が体勢を整えた時には既に水虎将軍はいなかったし、切り落とした筈の体の一部もなかった。さらに庭の方を覗き込むと池の水かさが派手に減って鯉がぴちぴちと跳ねていた。
それを見て剣の獣は舌打ちした。
剣の獣が斬ったものは基本的に繋がらない。でもそれは断面同士では繋がらないという形。水虎将軍の場合は、体のそれぞれの部分が他のほとんどの部分を代替できる為、断面に切られた瞬間は断面ではなかった部分を持ってくれば繋ぎ直せる。
知っていれば繋ぎ直すだろうと考えたから、剣の獣は本体ではないと考えた。しかし、水虎将軍はその勘違いを利用して、自分のかけらを撒き散らさせそれを通じてパイプがわりにして池の水を利用して逃走手段にしたのだ。
「見る限りは何の変哲もないlevel4だったけど……」
さっぱりわからないと剣の獣は忌々しげに吐き捨てた。