「お嬢さん、賭けをしようか」
ガンマの言葉に私はいつものように頭を抱える。ベルとかいうティンカーモンはそれが自分に投げかけられたことも分からず、ただ間の抜けた吐息を漏らすことしかできない。そして発言者は堂々とした佇まいをしながらも、カウボーイハットの下から覗く視線からいやらしさを隠しきれてはいなかった。
「か、賭けって……?」
「そんなに怯えなくていい。なに、ゲームというにもシンプル過ぎるものさ」
リボルバーを向けられているベルからすれば自分の命をガンマに握られているのと同じこと。選択肢など無いに等しい状態で賭けの提案をされて笑えるはずもないだろう。そういうところがダメなんだとこいつに何度言ったことか。それでも奴は高まる劣情がなんだとか、自分が自分であるための矜持だとか訳の分からないことを言って耳を貸さなかった。何を言っても意味がないのなら後は死んだ目で分かり切った結末を見届けるだけ。
「サイコロを三つ振って出た目が大きい方が勝ち。ただそれだけだ」
「は、はひっ……あだっ!」
「あ、大丈夫? ごめんね」
サイコロを用意する権利はガンマにしかない。指で弾いた勢いが強すぎておでこにサイコロをぶつけられようとも、与えられたサイコロにどんなイカサマが仕込まれていようとも、ベルにはそれを咎める権利も度胸もないだろう。
「君が勝ったら私達は追わない。私が勝ったら……悪いけどここで仕留めさせてもらう」
「そんな……うぅ」
「ごめんね。こっちも仕事だから」
何をかっこつけて言っているのか。仕事ならこんなお遊びなんかせずに仕留めるのが筋だ。何一つ言い訳になってない。
灰皿を挟んで見つめ合う二体。片方の顔は緊張で青ざめ、もう片方の顔は興奮で赤らんでいる。精神状態を見れば既に勝敗は容易に予想できる。毎度のことながらなんて無駄な遊びだろうか。
「お先にどうぞ」
「えと……えいっ」
慣れない手つきでベルが放ったサイコロは三方に散りながらも灰皿のへりに当たって平底の上に全て収まる。出た目は右から四、四、五。目の合計は十三。合計値としては悪くない値だろう。ベルも悪くないと思ったのか大きな溜息を吐いたが、ガンマの不気味な視線に射すくめられてすぐに萎縮してしまった。楽しむのは結構だがそういうところが嫌われることをそろそろ自覚した方がいいと思う。
「では、今度は私の番」
柔らかなスナップを利かせて放ったガンマのサイコロは二、三跳ねた後に灰皿の底で独楽のようにそれぞれ回る。相手の精神をいたぶるのに特化した技術の賜物だけあって、たっぷりと焦らした後にゆるりと一つずつ出目を見せていく。
一つ目は四。二つ目も四。さらに数回転してから出た三つ目は――三。
「四、四、三で、合計は十一か。……おめでとう、君の勝ちだ」
「あえ、あ……やった……」
勝者を讃えるガンマの声は今まで最も晴れやかでその視線には一切の曇りもない。その甘さに絆されてベルはへたり込んで必死に涙を堪えている。あまりの茶番劇に私は反吐が出そうだったが、今更ガンマの趣向を咎める気は起きなかった。
「おいき」
「あ、えぁ、はい……」
ベルは立ち上がり危うげな足取りで十メートル程歩き、こちらが攻撃してこないことを確認した後、小さく会釈をしてこちらに完全に背を向ける。ベルはもう振り返ることなく一目散に逃げるだろう。だが私の足と手裏剣があればその背中を狙うことはまだ容易い。それよりも今ガンマが向けている銃の引き金を引いて電脳の核を撃ち抜く方が速いだろう。
「やっぱり……駄目だ」
銃声が短く響く。放たれた弾丸は一発。手慣れた愛銃を操るガンマが狙いを外すことはなく――二度の跳弾を経て弾丸は私の手元から手裏剣を叩き落とした。
「私と彼女の約束を反故にする気か?」
「堂々と私情を優先しないで」
手裏剣を拾いなおした頃にはもうベルの姿は見えない。ガンマ相手にこれ以上ぐちぐち言ったところでストレスが溜まるだけ。ただ一つ、どうでもいい事実は確認しないと腹の虫が収まらない。
「サイコロ見せて」
「なにゆえ?」
「イカサマの確認」
「ソンナコトシテナイカラー」
にっこり笑って詰めよればそそくさとサイコロと灰皿を懐にしまう。そのあからさまな態度が何よりの証拠。今更私の目が誤魔化せるとでも思っているのか。ベルに渡したサイコロはすべて四から六までの目しか出ない、いわゆる四五六賽。最初からベルに有利な状況を用意したうえで、ガンマ自身のテクニックで勝敗を演出した。なんて事はない。最初から自分が負ける出来レースを持ち掛けていだだけだった。
「お前らまた逃したのか! デリート許可の出てる指名手配犯って言っても成長期の筈なのに……あはは、理由を教えてくれないかなぁ?」
「こいつのいつもの悪癖です」
「性癖に従ったまでです」
バラン先輩がアシュラモン特有の三つの顔を使い分けて詰ってくるのを私とガンマは聞き流す。
都市で数百体をネバーランドに連れて行った犯罪者ピーターモン。そのサポートを務め、彼の逮捕後は単独で後を継いでいたティンカーモンのベルを見つけてデリートすることが、リボルモンのガンマとイガモンのイロハ――つまり私達に託された任務だった。そして、受諾した当初の予想通り、ガンマが性癖という名の私情を優先してあえなく取り逃がした。言い訳しようのない失敗だ。何より理由が酷すぎる。
ガンマ曰く、自分はウィルス属性のデジモンが好みだ。内に眠る危うさを隠しきれず、フェロモンのように醸し出されるのが堪らない。その前には悪逆の是非は関係ない。リビドーすら覚えるそのフェチズムを自覚してからは、どれだけ精神を研磨しようとも矯正する気すら起きなかった。
ウィルスバスターズに入った理由ももちろんウィルス属性と触れあう機会を求めたから。当然ウィルス属性以外も相手にすることはあるが、やはり一番多い標的はウィルス属性なので、こいつから見れば狙い通りの天職だそうだ。だが、雇っている側としては実力はともかくデレて勝手に逃がすこともままあるのでけして扱いやすいとはいえない。動機も動機なら実績も実績なので、そろそろ危機感を持った方がいいと思う。
「開き直るな! イロハもフォローしてくれないと組ませてる意味がないよぉ……ははは、相変わらず笑えないね君らは」
「でも私以外にこいつと組む奴います?」
「手裏剣で指すな。手裏剣を刺すな」
そろそろコンビの解消を提案されても仕方ないとは思うが、この色ボケを他の誰かに任せる気にはなれない。機密情報を漏らさないように目を光らせたり、任務を放置して部外者にコナかけないように手綱を握るのは大変なのだ。確かに私も多少漏れがある自覚はあるけど、本当にどうしようもないケースについてはちゃんと後でフォローも入れている。ああ我ながらなんて献身的で損しやすい性格なんだろう。
「もういい! 次の任務にいってこい!! これでも期待はしてるんだけど……ハハッ、次はないから」
どれだけ本気か分からない激励と警告を受けて、私達は次の任務に駆り出される。……概要を見る限り今回もこの色ボケはダメそうだ。
「もっと遊んでくれてもいいんだけど……」
敵のアジトの中心でガンマはいじけていた。アジトだったというのは過去形で、今は私とガンマとアジトでこき使われていた雑用係数名しかいない。何せ威嚇射撃一発で蜘蛛の子を散らすように離散してしまったのだ。標的が居なくなっても私達がアジトに残っているのは、彼らをみすみす逃した訳ではなく動く必要が無くなったから。ウィルス属性が多く色ボケが籠絡される可能性が高い以上、私達の役割は確保ではなく陽動と時間稼ぎと割り切った。慌てて飛び出した先にあるのは後詰めとして待ち構えている私達の同僚に確保されるあまりに呆気ない結末。策を重ねた不意打ちとはいえ物足りないとさえ思ってしまう。ガンマと同じ気持ちになるのは癪だけど。
「とりあえず……君達からも話を聞こうか」
残った雑用係から事情聴取をする役割を私達に割り当てたのは――というよりガンマに割り当てたのは、現場を仕切っていた者の采配ミスだ。つまり、バラン先輩の判断ミスだ。
そもそもテイルモン、ミケモン、ブラックテイルモンと似たようなデジモンが三種類居るからと一くくりにする考えが浅はか。特に似たビジュアルの中で能力や生態に特別違いがあるわけでないのなら、属性は真っ先に差異となる要素だろう。そんなデジモン達が三種類揃っていてウィルスが居ないと考えるのは楽観的過ぎる。別にウィルス属性だから見つけ次第始末しなければならないという訳ではないが、ウィルス属性に対して甘すぎる輩がこの場に残っているのは論外だ。きっとアシュラモンという種は頭が三つあるから知能も三分割されているのだろう。
結局のところ私が主張したいことは、ガンマの優しい声音がどれだけ私情の入り混じったものであろうと、事情聴取における追及が恣意的に甘くなろうと私達の責任ではないということだ。
「テイルモン、君はどうしてここに?」
「近くの村から出てきたら捕まって……」
「そうだったんだ。ミケモンの君もそんな感じで?」
「そうです。拉致されて、こき使われて、つらかった」
「となると、テトさんもか。大丈夫? 辛くなかった?」
「ふぇぇ、本当に怖かったですぅ~」
「おお、そうかそうか。でももう大丈夫だよ、テトさん。私達が護るからね。だから泣かないで、ね? よしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよし」
もう駄目そう。あからさまにブラックテイルモンに対する態度だけ違うから他の二体の視線が一気に冷めたものに変わった。というかナチュラルに名前聞いているし、がっつり抱きしめて頭撫でてるし。テトとやらが自ら身体を預けて縋っているのもあれだが、それを合法的に濃厚接触を楽しめる手段として利用しているのが浅ましい。むかつく。何よりこんな時間が続くことを考えるととても頭が痛くなる。本当に気が狂いそうだ。
「ガンマさん、また来ちゃいました~」
「いつでもいいよ~、テトちゃん。この後一緒にどうかな?」
ウィルスが事務所前で出待ちするウィルスバスターズの事務所。ゲシュタルト崩壊とともに何か大事なものが崩壊してしまいそうな字面を連想しつつ、夜の街へと消えていくガンマとテトを見送り、――私自身も夜の闇へと姿を隠した。
「今日のお店は私の行きつけなんだ。きっと気に入ると思うよ」
「そうなんですかぁ~。楽しみだなぁ」
何が悲しくて同僚のデートをストーキングしなければならないのか。心の底からしたくないけどしかたない。面倒だがガンマが余計なことを口にする可能性があるため放置するわけにもいかないのだ。怒りを捨てて、気配を消して、ただ静かに後を追う。隙を晒した瞬間に命を刈り取れる立ち位置を維持することで自分が優位に居るのだという自己暗示を重ねる。お前たちの楽しみは私が本気を出せばすぐに終わらせることができるのだと、慢心にならない程度の嗜虐的な感情を仕事人としての理性で飼い慣らす。
脳内お花畑が不浄猫を連れて入ったのはレストラン。確か時間ごとに担当シェフが変わる筈だったが、今週は一日単位でメインのシェフが変わる週間だと聞いた。そして今日の担当は……ライラモン。色ボケは何日前から今日は必ずこの店にすると決めていたのだろうか。
「今日のシェフなら……最初は卵焼きかな」
「卵焼き~? 珍しいですね」
「最初だからね。でもメインに負けないくらい美味しいから」
二体が席に着いたタイミングで音を立てずに入店し、彼らから離れた席にしれっと陣取り気配を消す。それにしてもどの口がメインに負けないというのか。寧ろ名前前提でチョイスしたメインだろう。
「本当に美味しぃ~。卵焼きってこんなに美味しくできるんですねぇ」
「それはよかった。まだまだ美味しいメニューがあるから楽しみにしてね。ところでこの卵焼きの名前なんだけど、恋愛卵焼きって言うんだ」
「へーそーなんですねー」
テト選手これを華麗にスルー。盛大に空振りしてる様は脳天にデッドボール食らうよりも痛々しい。少なくとも私はもう二度とガンマとこの店に入れなくなった。こいつの恥辱で別の店を探す羽目になるのは何度目だろう。もういっそ自分で弁当を持ってきた方が早い気がしてきた。
「今日も忙しそうでしたけど、お仕事大変なんですかぁ?」
「正直楽な仕事ではないね。でもみんなが安心して暮らすためには頑張らないと」
「尊敬しますぅ~。ガンマさん達がしっかり取り締まってくれるから、私達みたいに真面目に生きてるウィルスも安心できるんですよねぇ~」
「そう言ってくれると本当に嬉しいよ。ウィルスも悪いコばかりじゃない、君みたいに素敵なコも居るんだって、認められる世界が本当はいいんだ」
「素敵だなんて……嬉しいなぁ。もっとガンマさんのこと知りたくなっちゃぅ」
「私ももっと君のことが知りたいな」
おかしい。お気に入りの店だったのにあんまり味がしない。せっかくのぶあつい骨付きステーキなのに肉汁はもはやただの汁で、辛うじて楽しめるのは弾力のある食感だけ。この店で食べられる最後の食事の味を台無しにしてくれるとは。私情だけで判決を下せるのならあの二体には既に死罪を下していただろう。
ウィルスが事務所前で出待ちするウィルスバスターズの事務所。その状況が作られるより前に異分子を排除する。ガンマの退社予定三十分前に早上がりした私は事務所から少し離れたビルの屋上に潜んで標的が通るのを十分待った。
事務所へと向かうテトの足取りは淡々としていて、下を向く目は落ち込んでいるというよりはこの先で会う相手に対して興味がないようだ。そこにガンマに媚を売っていた愛らしさはなく、ただあらゆる情事をビジネスとして割り切る合理的な冷酷さがあった。――正直言ってこちらの方が私好みだ。遠慮なく倒すべき敵として対処できるのだから。
「んにゃっ!?」
屋上から凧を使って飛び降り、背後から急襲。反撃する間を与えずにその身体を攫って、予め目をつけていた近くの廃ビルへと突っ込む。誰にも邪魔をされない場所でじっくりと本性を暴いてくれる。
「う、確かあなたはイロハさん? どうしてこんなことを?」
「答える必要ないでしょう。私の前では媚売っても意味ないことだけ分かれば」
「ああ……そう」
四方をコンクリートに囲まれた部屋で私とテトが向かい合う。色目を使う必要がないと分かってすぐ相手に対する熱を無くすのは大いに結構。色ボケという邪魔者も今は居ない。正々堂々と真正面からお話しようか。
「裏は取ってる、か」
「もちろん。そういうのは得意な種族だから」
結論から言うと、テトはウィルス属性のテロ組織の工作員だった。さらにいえばこいつと会ったときの事件もこいつを侵入させるための陽動だった。威嚇射撃一発であっさり引いた理由もただそれだけ。あまりに杜撰な手管で情報を盗もうとするなんて随分私達も舐められたものだ。いや舐められていたのはガンマだけだろう。そうに違いない。
「なんであの色ボケに近づいた? 口が軽そうなカモにでも見えた?」
「ええ。あんたらの情報を取るのに使えると思ったけど」
「当てが外れて残念」
当然だ。ガンマがいらないことを言わないように立ち回りの指導や監視体制は徹底している。ほとんど私任せだけど。まあでも美人局の不服そうな顔を眺められるのは気分がいい。気の多い輩のお守りをさせられた甲斐がある。
「そうね。こんなところで本気を使う羽目になるとは思わなかったわ」
無意識に半歩下がる。直感的に手裏剣を掴む。テトの言葉が嘘ではないと理解する頃には奴の身体から溢れるエネルギーが光を放ち、その中で在り方を本来のレベルへと書き換える。獣そのものだった身体は頭身の高い人型に。ただしその容姿には獣の頃の面影が濃く残り、その辺りのバランスが独特な色気を出している。
ブラックテイルモンは力を抑えて迫るための仮の姿。本来の姿は幻惑的な獣人――バステモン。……なるほど、これはあの色ボケには見せられない。
「この際あんたの方が使えるかもね。――私の本気で虜にしてあげる」
「え、やだ。気持ち悪い。想像しただけで吐き気を催してきた」
「口にしないで。想像で留めて」
互いに嫌なら止めればいいと思う。ヘルタースケルター――魅惑の踊りで混乱させ操る技と聞いたことがある。そもそもそんな手段があるなら最初からガンマ相手に使えばよかったのに。……ああ、ガンマとテトだけの空間ができないように立ち回っていたから本来の姿を晒せなかったのか。だからってターゲットを私に変えるなんて節操がないと思う。
不必要な性癖を開拓させられるのは心の底から御免だ。本気でそういう関係性になりたいと言うのなら私にも手がある。
まともに直視してはいけないが、初動の一挙手一投足を逃すわけにもいかない。互いに動かない無音の緊張感。静寂の中で互いは動けずにいる。
「――随分、仲良くなったんだね」
どちらも我慢強いのなら動きがあるのはどちらでもない第三者。私の背後から聞こえた声は散々聴きなれたもので、振り返れば壊れたドアの奥にヤツが居た。――そう、ガンマだ。
「なんで来た?」
「もちろん。大切なものを守るために」
相変わらずの軟派野郎。気障ったらしい台詞を吐いていてもただデートをしたかっただけだろう。残念。もうそいつとデートをすることは許されない。これを教訓に己の性癖と上手く付き合って真面目に生きるべきだ。
「その姿もきれいだよ、テトちゃん」
「あ、ガンマさん。これは……イロハさんが急に」
「誤魔化すなんてもったいない。ありのままの姿もきれいなのに」
「……ッ、いつから!?」
「無粋なことを聞かないでくれよ」
……こいつはもう駄目かもしれない。すべて分かった上で同じことを何度も繰り返すだろう。いや、繰り返してきたから今のこいつが居るのか。
「あんたも、本当は……馬鹿にして……馬鹿にしてッ!」
テトの狙いが私からガンマに変わったことが分かったのは、奴が私の真横を通り抜けた後。踊りを技へと昇華するほどのしなやかさと足運びが生み出す瞬発力。距離が縮まるのは瞬きの間で、ガンマがバックステップがなければその爪はあいつの首を刈り取っていただろう。間違いなく次の一撃は確実にガンマの命を仕留める。――その確信を持って踏み出されたテトの一歩を、頭上から落ちる弾丸が貫いた。
「な、ンがッ!?」
意識の外から飛んできた弾丸にテトが対応できなかったのは仕方ない。跳弾を活かした不意打ちはガンマの得意分野。意表をついて驚いたところに畳みかけるのがあいつの黄金パターンだ。
ふらつく足元に正面から二発。左右の太腿をそれぞれ撃ち抜かれてテトは尻もちを着く。足運びが死んだ以上、テトはもう誰かを虜にする程の踊りはできない。一番懸念すべき手札が死んだのなら一安心。じっくりといたぶってから消去できる。
「あん、た……格下のく、せに……」
「君と相手するに恥じない程度には鍛えているよ」
ガンマを見上げるテトの目に宿る怒りはガンマ自身に対する怒り以上にこの状況の理不尽さに向けられている。だがそれは見当はずれの自業自得というもの。ガンマも力量だけならいつでも完全体になっていいレベルにある。それでもリボルモンという姿を維持しているのはガンマ自身が進化を望まなかったから。理由は「何か大事なものを捨てる気がする」ということらしい。その大事なことが何かはなんとなく聞かない方がいいと思ったので私は知らない。
テトを見下ろすガンマの視線は相変わらず慈愛に満ちている。雰囲気も同じくらいゆるいはずなのにテトが動けないのは、見えないプレッシャーが真綿で包み込むように囲んでいるからだろう。ただそのプレッシャーも与える側と与えられる側では少し認識が違う。シリンダーを解放して弾を一発だけ籠めなおす時も意識だけはしっかり向けている時もそう。テトからすれば逃げられないように圧を掛けているように感じられても、ガンマからすればただ単純に気に掛かっているからなのだ。
それにしても一挙手一投足が癪に触る。これ見よがしに左手で弾丸をつまんで見せて、シリンダーを手全体で隠すような大ぶりな動きでやっているのは何のパフォーマンスだ。ああ、本当に気持ち悪い。そして、本当に学習しない。
「テトさん、ゲームをしようか?」
「は?」
「好きなタイミングでストップって言って」
「なに言って……」
「いいから」
拳銃が壊れないぎりぎりの速さでシリンダーを回しながらガンマはくだらないゲームの開始を宣言する。意見を求めない強引さをどうしてもっと別のところで使えないのか。どうしてこんなかたちでしか自分の気持ちを表現できないのか。
「……ストップ」
「はい。――今から君のデジコアに向けて三回引き金を引く。一発だけ籠っている特注の弾丸が当れば多分君でも死ぬ。でももし全部外れて生き残ったのなら、逃げていいよ」
「あんた……どこまで私を侮辱して!」
「じゃあ始めるよ」
「聞いてるの!?」
「聞かないよ。ごめんね」
有無を言わせず、ガンマは引き金を引く。一発目――空砲。二発目――空砲。そして、三発目――当然、空砲。
「え……?」
「約束だ。逃げていいよ。私は君を追わないし、ここではイロハにも手を出させない」
「どこまで舐めて……」
ゲームはテトの勝利。だが、プライドが高そうなテトからすれば納得するしない以前の問題だろう。一方的に吹っ掛けられたゲームで訳の分からないまま結んだ記憶のない約束を遵守される。そのむず痒い感じが一生忘れることのできない傷を刻みつける。その傷に対する嫌悪感を理解し合えるのなら、テトとは本当に仲良くなれる可能性があったかもしれない。
「君とのデート楽しかったよ」
「……ちッ」
ゆるいプレッシャーから解放されるというよりは押し出されるように。テトは怪我を負った足を引きずって逃げていく。雑でも数名の仲間を陽動に使える程の工作員だ。放っておけば自力で応急処置くらいはしてしぶとく逃げ延びるだろう。
「ガンマ」
「なんだいイロハ」
残ったのは私とガンマ。不意の呼びかけに反応が遅れたガンマの左袖からシリンダーに籠めたはずの弾丸が落ちる。――案の定、百パーセント負ける賭けを挑んでいた訳だ。
手を出して仲間割れなんて御免だったのでテトがこの場を離れるまでは大人しくしていたが、そろそろ言っておきたいことが山ほど溜まってきた。今まで蓄積された鬱憤も糧とすれば三時間は一方的に愚痴を捲し立てられるだろう。だが、何よりも先に言っておきたいことがある。
「本当に向いていないと思う、ウィルスバスターズ」
「そうだね……そうかもしれない」
そして、何よりもやっておかなければならないことがある。
入り組んだ路地裏に潜り、建物を屋根伝いに走る。応急処置を済ませたテトの足取りは万全ではなくとも身軽で、郊外の森へと抜け出るのを妨害する者は誰も居なかった。
「くそ……クソ……クソ野郎がッ。お望み通り組織まで逃げ切ってやるよ」
必死に逃げるその表情には焦りよりもガンマに負わされた屈辱が刻まれている。無様な敗走。テトからすれば情けを掛けられ恥を晒して生き延びたようなもの。逃がした相手はそこから這い上がりまっとうに生きなおして欲しいと願っていようとも、実際にどう考えどう行動するかは逃がされた者自身による。
「絶対に私の手で殺してやる。いや、それよりも下僕にして一生踏みにじってやった方がいい。絶対に許さない」
恨んで復讐を誓うのが大半というか、逃がした相手は十中八九そう考えるのが過去の経験から私が学んだこと。
「逃がしたことを後悔させてやる」
「それは無理。何度繰り返しても後悔はしないから」
「――誰だッ!?」
「私、イガモンのイロハ」
私の声でテトの足が止まる。即座に警戒体勢に移るところは褒めてもいいが、足を止めるのは頂けない。先に痺れを切らして声を上げた私も私ではあるけど、今だけは自分に甘くなるのを許してほしい。この尻軽と会った時からこの時をどれだけ待ったことか。
「あなたには悪いけど、手を出せなかったのはあそこだけだから。残念だけど騙されたとは思わないで」
「冗談。あれで逃がすのは馬鹿だけよ」
「流石。その馬鹿の冗談で逃がされた奴の言うことは一味違う」
「姿を見せない陰湿な奴に言われたくねぇよッ!」
怒声を上げる程口論に熱を入れても意識は周辺への警戒を怠らず、流れるように動く足取りは音の方向を探っている。本当にもったいない。これだけの腕と可能性があるのならさらなる進化も望めただろう。ガンマに目をつけたのが運の尽きだ。
「見つけた。まずはあんたから殺す」
木々を巧みに避けながら走るテトの狙いはただ一点。イガモンは隠密を得意とする種であっても直接戦闘ならテトの方が分があると踏んだか。声が聞こえる方角へと真っすぐに走り、鋭く研いだ爪を振り上げる。最後の障害である大木をしなやかに避けた先で奴の最大の武器は一寸の狂いもなく狙った座標を貫いた。
「――ハ?」
木に刺さった自分の爪を見つめてテトは間抜けな声を漏らす。そこには私の姿もなく、代わりに大きめの藁人形が括りつけられていた。空蝉の術に使うようなビジュアルではあるがそのような術を使ったわけではない。予め中にスピーカーとマイクロフォンを埋めて木に括りけておいたのだ。
狙い通りの座標。爪が刺さって動けない獲物。こちらからすれば絶好のシチュエーションで、あちらかすれば絶体絶命のピンチ。――そして、私はあいつ程甘くない。
冷めた視線で標的を見据える。表に出さない憎悪も怒りも指の一点に籠める。真正面からケリをつける意地を張る気すらなくなった。ただ、そこに在るのが我慢ならないだけだ。
「がヒュ?」
視線を下ろしたテトの目に入るのは自分の胸から飛び出す光の矢。確実にデジコアを貫いているという事実を理解する頃にはそれは生命を維持する核の役割を放棄し、バステモンだったデータの塊を復元不可能なまでの塵に分解する。
私にとっての悪は滅びた。あいつの思いを知らずに与えられたチャンスを無下にする奴に下す慈悲はない。
むかしむかし、プチマモンというウィルス属性のデジモンが居ました。生きるのに困窮していたそのデジモンは盗みの常習犯で、下っ端とはいえウィルスバスターズにも目をつけられるようになっていきました。
そしてついにプチマモンはガンマというリボルモンに追いつめられ、死を覚悟しました。しかし、ガンマは一つゲームを持ち掛け、それに勝ったプチマモンを約束通り逃がしました。ガンマにとってはいつもの色ボケを起こしただけのことでしたが、プチマモンにとっては生きる糧になりました。ガンマの隣に立てるだけの存在になりたいと努力し、イガモンへと進化しました。
堂々とウィルスバスターズへと入隊して、望み通りガンマとコンビを組むようになったイガモンには一つ悩みがありました。それはプチマモンだった頃に向けてくれたような慈愛をガンマが向けてくれなかったことです。別に素っ気ないということでもなく、同僚としては寧ろ親身に接してくれてはいました。しかし、どこか物足りないのです。
自分の力不足なのかと思ったイガモンはさらに努力してエンジェウーモンへと進化できるようになりました。見た目も力も魅力的なものになっただろうと、ガンマに自慢しようとしたところで、エンジェウーモンは偶然ガンマの独り言を聞いてしまいました。
――ああ、ウィルス属性のコの成分が足りない。触れあって摂取しないと。
エンジェウーモンは静かにイガモンへと退化しました。ガンマがウィルス属性が好きな変態の色ボケであると分かったからです。
なんと滑稽な話でしょう。ウィルス属性であることを恥じて隣に立つに相応しい姿になったのにそれはあまり望まれていなかったのです。いっそプチマモンまで戻ることも考えましたが、種族としての能力以上に自分の努力を裏切ることに耐えられず諦めました。真面目でいいコだったのです。
真面目だからでしょうか。冷める感情の中でも熱を帯びるものが確かにありました。
――ガンマは変態でも相手の未来を思っているのは本当で、それに泥を塗ることは許せない。
今後の行動指針となったその感情を表すその言葉は決意であってけして妬みではありません。
あとがき
どうも、ペンデュラムZ発売記念の恋愛小説企画ウィルスバスターズ担当のパラレルです。そして、シリアスで切ない物語が続いた後にこんな話でなんというかすみません。まあ恋愛小説ってラブコメもありってことで……ラブコメか、これ? いや最初は前書いた抹消機構みたいなウィルスバスターズとウィルス属性の殺し愛的なのにしようと思ったんですけど……どうしてこうなった。
ところで■って伏字に使われるとのことで、一応タイトルの方にもカタカナ一文字入るようにしてます。そういうところにだけ拘るのが悪癖ですね。