※タイトルにもある通り、本作は『後編』です。下にURLを載せておくので、先に前編を読んでからこちらに目を通してくださると幸いです。
・「私が元気になったワケ」前編
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私がおじいちゃんがあまり好きではない。……というのは以前の話だが、おじいちゃんの舌打ちだけは今でも嫌いだった。テレビを観ている時や新聞を読んでいる時にしょっちゅう鳴らすし、何よりそれが怖かったせいで私は幼い頃からおじいちゃんを怒らせないよう気を使い、こうして今に至るまで人の顔色ばかり伺って育ってきたのだから。それでも今回に限っては、その舌打ちに感謝せざるを得なかった。
山の麓に着く頃には、暗闇とオーロラは空全体の四分の一ほどに至るまで広がっていた。顔を上げて改めて見えるその異様なはずの光景に、私は一瞬心を奪われた。
「綺麗……」
ぶつかり合う闇と光。
凝縮された闇の珠は、弾けて広がり夜空となって。
ねじ曲げられた光の波動は、水中を揺らめく絹のようにうねるオーロラとなって。
後光を浴びて輝く六枚の翼を持った巨鳥は、羽ばたく度に細かい光の粒子を星のように散りばめていた。
突然、巨鳥と激しい撃ち合いを繰り広げていたもう片方の怪物が、戦いを中断し私の目の前に降り立った。背丈は二メートル程度しかなく、旅客機ほどはありそうな巨鳥と比較するとあまりにも小さかった。
「『BAN-TYO』トノ接触ヲ確認……。摘出フェイズニ移行……」
怪物は感情の伴っていない声でそう繰り返すと、私の方へゆっくりと歩み寄り、後退りする私を岩壁まで追い詰めた。
ここで私は人生初の『壁ドン』をされたわけだが、脳内に浮かんだ感想は「何コイツ! いきなりカッコつけちゃってさぁ!」だの「この人……綺麗な目してる」みたいな少女漫画的なものではなく、ただただ「あ、コレ私死んだわ」という諦めだけであった。呼吸も忘れて立ち尽くす私を前に、怪物の黄色い絵の具で塗り潰したようなぼんやりと光る目が見開かれた。
「……お前、もしかして……桃子か」
「……はい」
放心状態でそれだけ答えた私は、安堵の深呼吸と共にその場に座り込んだ。
「も~~~~~! ビックリしたじゃん! また私の驚く顔が見たかったワケ? ホント最っ低!」
「元気そうじゃないか、ちょうど良かった。あの鳥を追い払うから、桃子、お前も手伝え」
おじいちゃんが指差す先では、先ほどの六枚の翼を持つ巨鳥が何事も無かったように優雅に空を舞っていた。
「それは別に構わないけど……なんでおじいちゃん、あの鳥と戦ってるの?」
「理由はそのうち教える。俺が引き付けるから、援護は任せたぞ」
おじいちゃんはそれだけ言うと、また巨鳥のところに飛び去ってしまった。
いきなり戦いを手伝えと言われて、困惑しなかったわけではない。けれど、久しぶりに会えたおじいちゃんが私を頼ってくれた事実に、むしろ気持ちは高揚していた。
「ティアーアロー!」
ノリノリで技名を宣言すると、空気中の水分が瞬く間に凍り、手元に氷の弓が形成された。続いて背中の突起からこれまた氷の矢を取り出し、巨鳥に向かってキリキリと引き絞る。弓矢なんて生まれてこの方触ったこともなかったが、使い方は『レキスモン』の本能が教えてくれた。
二体の攻撃が止み、おじいちゃんが距離を離した。今だ。
「そこっ!」
自らを鼓舞するように短く叫び、矢を放つ。……一本ではどうにも心許ないので、二発、三発と続けて放った。少し待ってみるが、反応は無い。それどころか、巨鳥は私が矢を放ったことにすら気づいていないようだった。もしかしたら外れたかもしれない。
おじいちゃんが突然攻撃を中断し、私のところに戻ってきた。
「桃子、なんか別の攻撃無いか?」
「グローブからシャボン玉出せるけど……」
「ふむ、催眠効果か。上出来だ、次はそれを試してみな」
私が説明するより先にシャボン玉の効果を当てられてしまったので、私は肩をすくめた。どうやら、私のスリーサイズを言い当てようとした時の分析能力は健在らしい。
「え、でも眠るかどうかわかんないよ?」
私の不安をよそに、おじいちゃんはまた巨鳥のところへ向かってしまった。私はため息をつきながらも、とりあえず言われた通りに試してみることにした。若干ヤケクソ気味に掌を合わせ、続けて前に突き出す。
「ムーンナイトボム!」
きちんと技名を宣言したからか、『BAN-TYO』の時とは比較にならないほど大きなシャボン玉がすごいスピードで飛んでいった。最早シャボン玉というより水の大砲だ。大きい分反動も強いが、おかげで今度はちゃんと巨鳥に当たるのが確認できた。よろけそうになりながらも、私は巨鳥の反応を確認した。……ダメだ、やっぱりこちらに気づいてすらいない。
おじいちゃんが突然戦いの手を止め、私の前に着地した。いちいちヒーロー着地で登場するの、悔しいけどカッコいいわ。
「桃子、それじゃあダメだ」
「ほらー! だから言ったじゃん、眠るかわかんないって!」
「そうじゃねぇ、お前の心持ちがなってないんだ」
「心持ちぃ?」
「そうだ、あいつを敵だと思うな。そうだな……寝付きの悪い赤ん坊だと思え」
「……、……はぁ!?」
理解が追い付かなかった。
「え、おじいちゃん大丈夫? 頭打った? それとも痴呆? 認知症? アルツハイマー?」
「それともっと近くで撃て。今のお前には愛情が足りん。『ねぐれくと』だ」
「ごめんちょっと何言ってるかわかんない」
「その二つを意識しろ。いい加減終わらせてくれや、年寄りを働かせやがって」
おじいちゃんは吐き捨てるようにそう言うと、また飛び去ってしまった。ああいうのを老害というのだろう。おじいちゃんじゃなければ蹴り飛ばしてやるところだわ。
そもそも自分からケンカ吹っ掛けておいて、私を頼った上に早くしろだなんて、厚かましいにもほどがある。……と思ったが、よくよく考えれば自分も『BAN-TYO』にケンカ売っておきながら最後はネイビーさんに助けてもらったのだった。ああ、私間違いなくおじいちゃんの孫だわ。
おじいちゃんとの共通点を自覚し、私は恨めしくも少し嬉しくなった。仕方がないので、私と似た考えを持つおじいちゃんの意見に、今回ばかりは従ってあげるとしよう。
険しい岩がゴロゴロ転がっている山道も、今の私は十跳び足らずで登覇してしまった。周りを見渡せばもっと高い山はいくつもあったが、これだけの高さがあれば上空の巨鳥にも手が届くだろう。吐く息が真っ白になるほど気温は下がっていたが、『レキスモン』の体にはむしろ快適なようだ。麓にいた頃よりも元気が湧いてくる。入念にストレッチをしながら、私は山を登る途中で思い出したことをもう一度頭に思い浮かべた。
──────────
……そう、あれは確か私が五歳の頃。お正月に家族でおじいちゃん家に遊びに行った時のこと。
薄着で寒空の下近所を探検していた私は、案の定その日の夜に高熱を出したのだ。次の日には帰る予定だったのだが熱は下がらず、仕事のあったお父さんと体の弱かったお兄ちゃんは先に帰ることになった。だがお兄ちゃんがあまりにもぐずるのでお母さんも着いていき、私はおじいちゃんの家に一人預けられた。
寂しくはなかった。家族にうつしちゃいけないことは子供ながらに理解していたし、明日には必ず迎えに来ると言われていたから。どちらかというと怖かった。当時おじいちゃんが暮らしていた家はだだっ広い木造で、廊下や階段は歩く度にギシギシと音が鳴るし、家の周りは街灯一つ無いから夜は真っ暗だし、暖房も無いからとにかく寒いし、おまけに家の主はおじいちゃんときた。RPGのラストダンジョンに、勇者が一人閉じ込められるようなものだ。
寝ようとしても、発熱時特有のハエトリソウに似たバケモノに食べられる夢や、変なモヤがグルグル渦巻く夢を見てしまってなかなか眠れない。寒かった寝室を出て、月明かりを頼りに家の中を進んでいくと、書斎で正座しているおじいちゃんと鉢合わせしてしまった。だがおじいちゃんは怒るでもなく寝かしつけるでもなく、ただ一言「おいで」と言って私を書斎に招き入れたのである。
「桃子、お前やおじいちゃんの名字になっている『望月』が何を表すか、知っているか?」
向かい合って正座した私におじいちゃんはいきなり聞いてきた。答えになりそうな返答こそ浮かんでいたものの、間違えて怒られることを恐れた私はガタガタ震えることしかできなかった。それでもおじいちゃんが「言ってみな」と言うので、消え入りそうな声で「おもちつき……」と返した。おじいちゃんは否定せず、ゆっくりと頷いた。
「正解はあれだ」
おじいちゃんが振り向き、窓の外を指差した。その先にあったのは満月だった。
「丸く輝く満月を、昔の人は『望月』と呼んだそうだ」
「おじいちゃんもそう呼ぶの?」
その時、初めて私はおじいちゃんに質問をした。ただただ純粋に疑問だった。振り返ったおじいちゃんは僅かに目を見開き、「……そのうち教える」とだけ答えた。普段は怖かったおじいちゃんの顔が、この時だけはお母さんよりも優しく見えた。その後、おじいちゃんは「これを食べておやすみ」と、私に桃を剥いて食べさせてくれた。
とはいえ優しく見えたのはその夜だけだった。熱が下がった次の日、おじいちゃんが車で家まで送ってくれたのだが、車内ではお互い一言も発しなかった。代わりに、寝かさんとばかりに大音量の演歌だけが延々と流れ続けていた。
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いざ思い出そうとすると、意外に詳細に覚えているものだ。なぜ私が今の出来事を思い出したのかというと、私に赤ん坊の頃の記憶などなく、ましてや私に子供がいるはずもないからだ。つまりはおじいちゃんの言っていた「寝付きの悪い赤ん坊に接するように」というお題に最も近かったのが、今の記憶なのである。
両手を合わせ、間隔を少しずつ広げていく。掌に形成されたシャボン玉は今の私の顔よりも大きく、人間の頃の私の顔よりも大きく、そしてついには大玉転がしの玉ぐらいの大きさにまで膨らんだ。そしてそれを掲げたまま、巨鳥に向かって跳躍した。
「これ食べて! おやすみーーー!」
当時のおじいちゃんの台詞をそのまま叫んだのは我ながらナンセンスだと思う。それでもなるべく笑顔で、声は明るくハキハキと、できるだけ近づこうと頑張った。
こちらに気づいて振り向いた巨鳥が大口を開け、けたたましい鳴き声を上げた。その様子がエサを待つ雛鳥に見えなくもないこともない。……うん、顔だけで私の身長ゆうに越えてるのに雛鳥はないわ。巨鳥が喰らいつく直前、私は体を捻ってシャボン玉と一緒に食べられるのを回避した。あれだけけたたましかった鳴き声が嘘のように止み、巨鳥のまぶたがスーッと閉じていくのが見えた。
「ホントに……ホントに成功した!?」
後でおじいちゃんに疑ってしまったことを謝らなければ。そう思ったのも束の間、空を飛ぶ手段を持たない私は頭からまっ逆さまに墜ちていった。胸のメダルが光って落下速度がゆっくりにならないかしら。この期に及んでそんなふざけたことを考えていた私を、何者かが優しく受け止めた。ここで私は人生初の『お姫様抱っこ』をされたわけだが、脳内に浮かんだ感想は「なんで着地のこと考えずに飛び出したんだろう……?」という、自身の軽率な行動に対する疑問だけだった。
「ようやくケリをつけてくれたか」
満月のように黄色くぼんやり光る目と、私の目が合った。
「おじいちゃんが言ってたこと、本当だったね」
「俺が嘘つくと思うか?」
「いやさっきのはだいぶ疑わしかったよ! 自覚無いの?」
「伝わったんだからいいだろう」
さっきまでの素直な気持ちはどこへやら。おじいちゃんの悪態から始まったいつもの言い合いをしているうちに、私はすっかり謝ることを忘れてしまった。
おじいちゃんは私を山の中腹で降ろし、この辺りで一番高い山の頂を指差して言った。
「よし。桃子、ハイキングに行くぞ」
「……はい?」
「この間話しただろう。ほれ、スケッチブックと鉛筆も持ってきたぞ」
おじいちゃんがどこからともなく取り出したそれらを、私は思わず二度見した。よく見たら、それは普段私が使っているものと同じ製品だった。奪い取って中身を確認するも、全て白紙。危ない危ない、さすがにこちらの世界にまで私の絵を持ち込まれたら、おじいちゃん相手と言えど何をするかわかったもんじゃない。
「おじいちゃん……まさか、そのためだけにあの鳥追い払ったの!?」
そう、私は気づいてしまった。恐らく元からこの山脈で暮らしていたであろう巨鳥は、年寄りの道楽のために攻撃され、挙げ句の果てに無理矢理眠らされたのだ。そういう意味では、事情を聞かされず巻き添えにされた私も共犯者というよりは被害者である。当の容疑者は自慢気に佇んでいた。
「動物虐待! 愛護団体が黙ってないよ!」
「俺は山に下見に来ただけだ。先に攻撃してきたのは向こうなんだから正当防衛だろう」
「縄張りにズカズカ入って来られたら誰だって怒るでしょ……!」
特大ブーメランだ。いきなりキックをかました誰かさんはもっとタチが悪い。
「ここは強い奴がルールの世界だ。それこそ不平不満を言うだけなら誰でもできる」
巨鳥と互角に渡り合ったおじいちゃんが言うと妙に説得力がある。どうせこれ以上責めても自分の首を絞めるだけなので、私はそれ以上言及しなかった。
ハイキングは三十分ともたずに終わってしまった。山道は岩だらけでとても道なんて呼べるものではなかったが、今の私達が通れないはずもなく。邪魔な岩を蹴ったり砕いたりしているうちに、二人の後ろには自然と道が出来上がっていた。まあ、おじいちゃんにとってメインは私がこれから描く絵の方だろうし、私も別に山登りが好きというわけでもなかったので、そこまで気にしなかった。
雪と氷に覆われた山頂に腰を下ろし、私はスケッチブックへと鉛筆を走らせた。せっかくだから、青空と夜空を一緒に描いてやろうと、二つの空の境をキャンバスに仕立ててみた。タイトルは『白昼の夜空』。さっきの表現、我ながら結構気に入っていたのよね。
寒さのおかげで頭も冴え渡り、あっという間に描き終えてしまった。時間もあるので、色々な角度から二枚、三枚と続けざまに描き続けた。描き終えたスケッチブックをおじいちゃんに手渡すと、おじいちゃんはそれら一枚一枚にじっくりと目を通し始めた。
「そう言えばおじいちゃん、人間の姿のおじいちゃんが入院してたなんて知らなかったよ。どうして教えてくれなかったの?」
絵を描き終えた私は特にすることもなかったので、久方ぶりに会えたおじいちゃんに積もる疑問をぶつけることにした。おじいちゃんは絵から目を離さずに答える。
「そりゃ聞かれなかったからな。俺の体はどうなった?」
「……ついこの前、息を引き取ったの。お葬式も済ませたけど、お母さん達はみんな混乱してた」
「そうか、やはりな」
「ねえおじいちゃん、私ね、おじいちゃんがまだ生きてることをお母さん達にも伝えた方がいいと思うの。直接おじいちゃんの声を聞けば、みんなも安心すると思うから……」
おじいちゃんは絵を全て見終わる前にスケッチブックをまた何処へとしまい、こちらへ向き直った。
「桃子、お前はそろそろ帰れ」
「え? 突然どうしたのおじいちゃん。私、このままおじいちゃんと一緒にこの世界に残るつもりだったんだけど」
「さっきも言っただろ、この世界は強い奴がルールだ。お前じゃここで生きるには力不足だよ」
散々私の手を借りておきながら力不足とは。おじいちゃんの掌返しも呆れたものだ。
「大丈夫だって! さっきもあんなに大きい鳥をやっつけたんだもん、私達が力を合わせればどんな敵が来てもへっちゃらだよ!」
「力を合わせれば……か。お前、俺が本当の『おじいちゃん』だと、まだ信じているのか?」
「……え?」
「考えてもみろ。人間の体は既に死亡、こちらの体に移った意識も、死にかけた際に一度途絶えている。そんな状態から進化し復活したこの体に、まだお前の言う『おじいちゃん』の意思が残っている確証がどこにある?」
私は言葉を失い、その場に呆然と立ち尽くした。そんな、それじゃあ今まで私が話していたのは……
「『ダークマター』は新たな人格を目覚めさせた。俺がお前のことを知っていたのは、この体にこびりつくように残っていた『おじいちゃん』の記憶を読み取ったに過ぎない」
「……騙したの? 私を……」
「『騙した』? 人聞きの悪いことを言うねぇ。俺はただ『おじいちゃん』の記憶にケリをつけたかっただけさ。お前が俺の前から姿を消せば、俺は改めて『ダークドラモン』として新たな生命を謳歌することができる。しかしおかしいな、桃子はもっと素直に『おじいちゃん』の言うことを聞くもんだと思っていたが……。帰らないと痛い目に遭うぞ?」
おじいちゃんの声を持つ化け物は、右腕に装備された歪な形状の装置から伸びる槍をこちらに向けてきた。
「気安く……私の名前を出すな!」
おじいちゃん、前に言ったよね。家族に刃物を向けるのか、危ないから早くしまえって。あの時はおじいちゃんが化け物だって勘違いしてたけど、今度はそうじゃないって確信が持てた。私に凶器を向ける偽物のおじいちゃん、『ダークドラモン』は、私がこの手で倒す! おじいちゃんの尊厳は、私が守るんだ!
「ムーンナイト──」
技名を宣言しようとしたその時、いきなり視界がガクンと傾いた。後ろに回り込んだダークドラモンに足払いをかけられたのだと気づいた頃には、背中の突起を掴まれ蹴り飛ばされていた。突起は無惨に引き千切られ、ブチブチと音が鳴る。
「あぐっ……!」
背中に激痛を感じた私は呻き声を上げた。だがダークドラモンは、痛みに膝をつくことすら許してくれない。即座に目の前まで回り込み、今度は私の首を掴んで仮面を引き剥がした。
「あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙っ!」
紙を裂いたような軽い音が響く。今まで味わったことのない痛みに、私は耐えきれず絶叫した。焼けるように熱を帯びた顔に、極寒の大気を伴った強風が容赦なく吹き付ける。あまりの痛みに意識が飛びかけたが、ダークドラモンに首を掴まれたまま地面に押し倒され、半ば無理矢理に覚醒させられた。最後にダークドラモンは、右腕の装置から伸びる槍に巨鳥に放ったのと同じ闇を纏わせ真っ黒に染めあげると、それを私の眉間に突きつけた。
「反抗期は終わりだ、桃子」
抵抗しようと思えばできないことはなかった。グローブは無傷だし、両手はフリーだ。それなのに、私は「ムーンナイトボム」のムの字も言葉にできなかった。正確に言うと、目の前の化け物が放つ重圧に押し潰され、私の息が止まったのだ。呼吸を忘れたとか、首を絞められて息ができなくなったのではなく、自然と息が止まってしまったのだ。元々低かった体温がさらに冷たくなっていくのを感じる。
ダークドラモンはそんな私の様子に気づいたのか、首から手を離して、三歩ほど後ろに下がった。
「これで動けるな?」
「動く」。今の私にとって、その言葉が表す意味は一つだった。ダークドラモンに背を向け、一目散に駆け出す。大地を駆ければ脱兎の如し。途中、後ろからいつものおじいちゃんの声で「いい子だ」と聞こえた気がしたが、私は振り向かなかった。こんな時に幻聴なんて、それもおじいちゃんの声でなんて、どうかしてるとしか思えなかった。
麓まで降りたところで、私はその場に座り込んだ。動く気力すら湧かない。
怖かった、悲しかった、悔しかった。何よりも、あれだけ強い意志を持っていたはずなのに、ちょっとケガして脅された程度で逃げ出した自分が情けなくて、腹が立った。
おじいちゃんに会えないのなら、ここで野垂れ死んだって構うもんか。いっそ、岩に頭でもぶつけて死んだ方が良いのではないか。そんなことを考えていると……
「桃子様ー!」
遠くから私を呼ぶ声が聞こえた。ああ、そうだった。今の今まですっかり忘れていた。私、ネイビーさんの言うことを無視してここまで来たんだ。馬鹿だなぁ、ちゃんと素直に避難していれば、D-ブリガードの人達に任せておけば、こんな惨めな気持ちにならずに済んだのに。
「桃子様ー! どこですかー?」
相変わらず声は聞こえるが、まだ遠い。いい人だなぁ。緊急事態だっていうのに、おじいちゃんじゃなくて私なんかを捜してくれている。もう私の存在に価値なんて無いのに。
「桃子様!」
いつの間にか、声はすぐそこまで来ていた。
「ひどいケガだ……。早く手当てを!」
「ごめんなさい……」
隊員に指示を出そうとするネイビーさんを引き留め、私はポツリと謝罪の言葉を漏らした。
「いえ、こちらこそ到着が遅れてしまい申し訳ありませんでした。太陽が隠れた影響か周辺の気温が急激に下がり、車が雪に埋まってしまったので途中からは徒歩で……」
「そうじゃ、ないんです……」
嗚咽を上げる私を見て、ネイビーさんの言葉が止まった。
「私が、ネイビーさんの言うこと聞かなかったから……。私ならおじいちゃんを連れて帰れるって、うぬぼれてたから……」
「ネイビーさんが謝る必要はない」と言いたかっただけなのに、涙を堪えながら言い訳を並べるせいで支離滅裂になってしまう。
「……ともかく、今はご自身の体を大事になさってください。それに……」
まだ漆黒に覆われた上空を見上げ、ネイビーさんが続けた。
「『シクステッド・ブルー』を止めてくださったのは貴方でしょう? 我々には手の打ちようが無かったので、大いに助かりました」
その一言で、私はとうとう耐えきれずにわんわん泣き出した。そしてそれはネイビーさんを困らせてしまったようで、おろおろと慌てた様子を見せた後、考えに考えた末私の頭を優しく撫でてくれた。
怒られると思ってた。労ってくれるなんて思ってもいなかった。安心しきった私は、山頂にダークドラモンがいることを伝えるのも忘れ、ネイビーさんに頭を預けたのであった。
前編のヒヤッヒヤの引きを読んでからというもの、結末が気になってそわそわしておりました。
ヴァロドゥルモンvs.おじいちゃん/ダークドラモンの熾烈な戦いが、まさか文字通り野鳥を追っ払うようなノリで行われていたとは……! 再会から程無くして共闘にもつれ込む時のやり取りが「実にこの2人らしい」と感じ、この時点では安心していました。していたんですが……。
自分の記憶と意識が失われつつあることを悟っていたおじいちゃんが桃子に牙を剥くシーン、あれはおじいちゃんにとって桃子の命と彼自身の尊厳が懸かった重大な局面だったのですね。「家族に刃物を向ける」場面という点で、桃子が包丁を握ったあの時と対称的ですが、桃子はおじいちゃんの尊厳を守る覚悟を、おじいちゃんは桃子を傷つけてでも守る覚悟をぶつけ合う、いわば2人の衝突のピークであったように僕には思えました。
こちらの後編では、桃子とおじいちゃんのフルネームとそれにまつわるエピソードが明かされましたが、「そうかそれでレキスモン……!」という納得をはじめ、物語のラストに至るまで重要な役割を果たしていると分かり、やられたなあ、と思いました。2人がこの思い出に立ち返ったからこそ、互いの想いを伝え合い、互いに別れ際の未練を断ち切れたということでしょうか。
大切な人との別れを乗り越え、ポジティブに現実と向き合う桃子を見ていると、そうやって確かめ合った思い出が支えになっているのかも知れない……という感じがします。そうであったらいいな、と。
おじいちゃんの生の涯に、そして桃子とおじいちゃんが共にした日々の先に「残された」ものが輝いて見える、心温まる3部作でした。
月並な表現ではありますが、とても面白かったです。