崩壊した地上。コンクリートの建造物が散らばるそこは、さながら現代の荒野だ。
そんな荒野を、私は駆ける。積もる雪を蹴散らし、散らばる瓦礫を蹴飛ばしながら、重い……あまりにも重すぎる武器を手に、ただ一人で。
本当ならば、何かを考えている余裕なんて、とてもありはしない。けれど、それでも、私はなんて愚かだったのだろうと、そんな思いがどうしても頭から離れない。
考えることを、やめられない。
――そう、私には解っていた筈だった。
『正義』なんてものは、人の数だけ、組織の数だけ存在する。
そして同じように、誰しも己が心に抱く『正義』に従って行動しているということを。
だから、きっと誰が悪いわけでもない。誰に責任があるわけでもない。
ただ、敢えて言うのなら。
私自身が『正義』である事と、私自身の『正義』に従う事は、似ているようで全く違うという、そんな当たり前の事で。
理解したようで理解していなかった私が愚かだったことは、言うまでもない。
そしてそれは、わかりにくいようで、気づいてしまえば単純なこと。
……きっと、たったそれだけの事なんだろうと、今は思う。
●
廃墟ビルの一角の、埃っぽいワンフロア。普段なら寝そべるなんて絶対にお断りの場所。
けれど私はそこに寝そべると、床に設置しておいたライフルのスコープをのぞき込む――いや、眼そのものをスコープとリンクさせる。
戦闘補助システム、限定起動。
味覚及び嗅覚の処理を遮断、高速演算機能を優先。
高速演算機能、測定機能、共に異常なし。
狙撃体勢、オールグリーン。
一瞬のブラックアウトの後、再び開かれた視界は通常のものとは大きく異なっていた。
拡張された視界に映るのは、狙撃に最適化された世界。風速、温度、湿度、対象の行動予測と距離の変化……それらの情報が、表示されると同時に狙撃に必要なデータとして私の中に組み込まれる。
そんな世界の中、人々と恐竜が躍る。班長と仲間たちが、デジモンと戦っている姿だった。
赤い恐竜のようなデジモンが吐く炎を避け、班長がその手に持った槍で目を潰す。痛みに暴れた恐竜が班長を襲おうとするのを、隼が薙刀で斬りつけ、玲香が銃を撃ち込み注意を引く。その刹那に班長は離脱して、恐竜の背後へと回っていた。
恐竜は三方を囲まれた事に気づいて警戒し始めたのか、動きを止めてまるで牽制するかのように忙しなく周囲を見ていた。だがそれは飽く迄近距離へのみのもの。
チャンスだ。
カチンと、脳内が切り替わった。各義肢のコアと脳がリンク、瞬間的な情報処理速度の増大で、相手の動きがスローモーションになったかのように見える。
狙いは脚――その付け根。
対象距離測定、風速測定――完了。
地球の重力、自転を考慮の上弾道計算――完了。
弾道および対象の行動予測を表示。
ここ。
無意識と意識の狭間で弾き出された答えに従い、引き金を引く。直感のようでもありながら、確かな計算によって弾き出された、最適な位置とタイミングの狙撃。
太く長い銃身を、ライフリングに従って高速回転させられた弾丸が走り、打ち出される。閃光と共に、私の手は確かな手応え。即座にレバーを引き、薬莢を排出。薬莢が固い地面に転がり、乾いた音を立てた。
拡張された視界の先、音を置き去りにして空を引き裂く弾丸は、私の狙いと寸分違わず、恐竜の足、その付け根へと吸い込まれてゆく。肉を貫く湿った音が、聞こえた気がした。
あらゆる常識を凌駕し、無視する特殊電脳生命体――デジモンの急所の位置は、種によって、個体によって様々だ。人間のように、頭を撃ち抜けばほぼ確実に殺せる、なんて簡単な場所は存在しない。
だがそれでも、何かの形を模すのであれば、その構造上の弱点からは逃れ得ない。
足を壊せば、動けなくなる。腕を壊せば、武器を持てなくなる。目を潰せば、視界を失う。
それがデジモンという存在の、恐らくは唯一の弱点なのだと私は思う。
まあそれにも例外がいることにはいるが……。
とはいえ、少なくともこのデジモンが異なっていることは、データベースからも明らかだ。事実、恐竜は私の一撃で体重を支えきれなくなったのか、膝を突いている。声は聞こえないが、きっと苦しげに呻いているのだろう。
そして、私の仲間達がその隙を逃すわけも無い。苦し紛れに吐き出される炎を躱し、班長が腕を斬り落とす。片方の目を玲香が射貫き、隼が喉を斬り裂く。
だがそれでも電脳核は貫けなかったのか、息の根を止めるには至らない。動きこそ鈍っているが、その顎や爪、そして炎が、私たちの機械に置き換えた体すら容易に壊すだろう力は未だ十分に備えている。
その時、タイミングを計ったかのような通信が入った。
『電脳核走査完了。視界と同期させます』
来た。
「了解」
通信と共に、視界が切り替わる。スコープとリンクし、恐竜型のデジモンを映し出していた視界に、デジモンの電脳核の位置が表示される。位置は腹部。十分狙える場所だ。
動きを止めたとはいえ、不用意に近づけば何が起こるかはわからない。ここは、私がやるのが一番良い。
それが、私たちの班のいつものパターン。
「了解――散って」
前半は分析官へ、後半は前線で戦う仲間達へ。
仲間達は私の言葉に即座に散った。狙いを素早く定め、引き金に指を掛ける。
再び拡張された意識で弾き出された弾道は、真っすぐに腹部の電脳核へと吸い込まれていくことを示している。
デジモンは既に動くことはままならない。そしてたかだか2kmもない彼我の距離。外す筈がない。
だがそれでも私は一度深呼吸をし、そして一瞬だけ体内通信を切って小さく呟いた。
「今、終わらせるから」
言い終わると同時、引き金を引く。
放たれた弾丸は、狙いを外さず核の中心を貫く。その瞬間、恐竜型のデジモンは崩れ落ち、その活動を停止した。
私はふう、と一つ息を吐いて立ち上がる。
『対象、反応の消失を確認。第三戦闘班は合流後、4番ゲートから帰投してください』
「了解」
私は短くそれだけ返すと、手早く片づけた愛用の得物、長距離狙撃用ライフルの収納ケースを担ぐ。
D.C.H所属の戦闘官の中でも、殆ど使う者がいない狙撃銃。それをとやかく言う連中もいるけれど、それでもこれは私――篠宮天音が選んだ武器だ。
デジモンを殺す為……いや。
私の『正義』を、成す為に。
●
「お疲れ、篠宮」
支部に帰還し、ライフルと自分のメンテを行ってから予定通りカンファレンスルームに向かうと、そこには既に先客がいた。
旧北海道中央地区に坐するD.C.H第一七支部、その第三戦闘班班長を務める野宮悟その人。つまりは、私の直属の上司にあたる。
齢40も半ばを数えながらも現役として前線に出続ける、なかなかに珍しい人だ。
一応の礼儀として、私は軽く頭を下げる。そんな堅苦しい関係でもないけれど、まあ人の目もあるし、ね。
「お疲れさまです、班長。玲香と隼は?」
「あいつらはまだメンテ中だ。炎避けるんで無理に体捻ってたからな」
そういえば、序盤の方でそんな事をしていた覚えがある。突っ込みすぎて、危うく炎の餌食になるところだったっけ。あれは、正直かなり危うかった。
まあ、避けるところは二人ともさすがだけれど。
「そこは、ブリーフィングで注意しておいた方がいいですね」
「まぁ積極的なのは良い事だがな。行き過ぎちゃ拙い」
「ええ」
「んで、あいつらのことはとりあえず置いておいて、だ」
そう言うと、班長は私の背中の方を軽く顎で示す。
「先週、ライフルを新調してただろ。調子はどうだ?」
「ええ、特に問題はないですね。元々同じモデルの上位互換ですから」
それに、と私は肩にかけていたライフルの収納ケースをドン、と床に置いて軽く叩く。
「コレに換えてから射撃訓練もかなりしましたから。ま、問題ないですよ」
「まあ、今日の戦いで問題なさそうなのは見たがな。それなら良かった」
そう言って、班長は豪快に笑う。おおざっぱそうに見えるが、これでなかなか細かい気遣いができる人だと評判だし。
……やっぱり、長年前線を張って部隊を纏め続けているだけのことはあるのかなぁ。そういう所は、私と大違い、かな。
私はそれすら、上手くいかなかったし。
そんな事を思いながら椅子に腰かけると、ふと班長が遠い眼をする。
「しかし……篠宮がこの支部に戻ってきてもう5年になるか」
「もう、それくらいになりますね。そういえば」
もう5年。
まだ5年。
どっちにも取ることはできるけれど……私としてはやっぱりもう5年、という感覚だ。時間というのは思ったよりも早く過ぎるものだと、最近は特にそう思う。
でも、そんなことを急に聞くなんて。
「それが、どうかしたんですか?」
私が聞くと、ああ、と班長は苦笑しながら頭を掻く。
「いや何。今日のデジモン、確かお前が帰って来た時に最初に討伐したのと同じヤツだろ? だからつい、な」
「あー、えーっと……そう、ティラノモン。そういえばそうでしたね」
そういえばそうだった。あのティラノモンと名付けられたデジモン、私がこの支部へと戻ってきて、この第三戦闘班に所属して、最初に討伐したデジモンだった。
ホント、班長は細かいことをよく覚えてる。まぁ、そういう人だからこそ、やっていられるのかもしれないけど。
「最初は狙撃なんてスタイルでやっていけるもんかと思ったが、それが今やウチのエースだ。いやはや、やっぱり大したモンだよ」
私はそれに思わず苦笑する。それはどこでも言われ続けてきたコトだ。
かつて、戦闘官となることを選んだ私だが、数年前までしばらく別の所にいた。紆余曲折を経てこの支部に戻ってきたけれど、それでもこの狙撃銃を手放すことはなかった。
それが、私が戦闘官を続ける理由でもあったから。
「まあ、それが私のやり方ですし。結果を出している以上、誰にも文句は言わせませんよ」
ちょっとイヤな感じになったかなと思ったけれど、班長はそれもそうだ、と軽く笑ったのみだった。この人ともいい加減長い付き合いだから、私のそういうところもよくわかってくれているんだろう。
本当にいい人だと、心からそう思う。
そう、私は、だからこそ。だからこそ……――
「おお、そういや今日はもう少しで勤務時間も終わりなわけだが。篠宮はどうするんだ?」
思考が堕ちて行きそうになったその時。思い出したように言う班長に、私はどきりと胸が跳ねるのを感じ、現実へと引き戻される。
咄嗟のことで、反射的に視線が下がってしまうのは、どうしても避けられなかった。
けれどそれでも、声色だけは変わらないように意識して、私は言う。
「そう、ですね。とりあえずはその、上に」
その言葉に、班長の……悟さんが一瞬言葉を詰まらせる。だけどそれは、本当に一瞬のことで、彼はすぐに言葉を継いだ。
「――それもそう、か。いやその、悪いな、俺も用事がなければ一緒に行くんだが」
「そんな、気を使わないでください」
「いや。湊君にはよろしく言っておいてくれ」
「ええ、それは必ず」
声色は変わらなかった……変わっていないと思う。でも、私の表情が沈んだことに、きっと悟さんも気づいたのだと思う。でもそれに見てみないふりをしてくれるのが、彼の良い所だ。
それを、私はよく知っている。
そう、知りすぎているくらいに。
気まずい沈黙が場を満たしそうになった、丁度その時の事だった。
「あれ、班長に天音先輩。もういらっしゃってたんですね」
「お、マジだ。遅れたちゃんた感じスかね?」
その声に、ふっ、と空気が緩むのを感じた。
彼らの明るい声が、今は救いだった。私も悟さんも――班長も、そっと息を吐きだし、そして彼らの方に向き直る。
「や、玲香に隼。私達が整備に時間かかんなかっただけだから、気にしないで」
「だがまぁ、それとは別にお説教はあるからな、覚悟しておけよ」
げ、と隼が思いっきり顔をしかめる。その表情を見るに、どうやら彼も自覚はあったらしい。思わず、その頭を軽くひっぱたく。
「痛って! 何するんスか姐さん!」
「自覚があるならあんな危ないタイミングで踏み込まないの」
「いや~、自分でもあれはちょっとヤバいかなぁと思ってたり思ってなかったり……」
「なら踏み込むんじゃないの。アンタの武器は薙刀、間合いが持ち味なんだから。それに玲香も、隼に釣られちゃダメだよ。こいつ抑えないと」
「うぅ、すいませんでした……」
しょぼんと、玲香が項垂れる。先輩としては叱らなきゃいけないんだけど……ああもう、可愛いなぁ。思わず撫でてあげたくなる。
「ま、詳しくは本格的なブリーフィングで、だ。さ、部屋に行くぞ」
その言葉に、私達は三者三様に返事を返す。
性格はバラバラで、年齢もバラバラで、おまけに戦闘スタイルも全く違う。
それでもこうしてやってきているのが、私達、第十七支部の第三戦闘班だった。
○
特殊電脳生命体――通称、デジモン。
それは、人類が高度な人体の機械化技術を開発し、普及させていく過程で現れた、ある種のコンピューターウィルスの……そして、それにより変異させられたモノの名だ。
発生源は未だ明らかに明らかになっていないそのウィルスは、義肢や機械のコアに感染すると、接続されているものを変貌させ、ヒトであれば肉の、機械であればメカニカルな卵――後にデジタマと呼ばれる形態をとった後、異形へと生まれ変わらせるという前代未聞の特徴を有していた。
そして何より最悪だったのは、そうして生まれたデジモンはありとあらゆるモノを喰い、より強力な形へと姿を変える――進化する、という特徴だった。
ありえないような能力を持ち、あらゆるものを喰らうデジモン達の対処にあたった既存の兵器は瞬く間に感染しデジモン化。
そして義肢を導入していた人々や市中の様々な機械も徐々にデジモンへと変貌していった。
その結果、地上は瞬く間に荒廃することとなる。
そうして人々はデジモンの脅威から逃れるため、そしていずれデジモン達を駆逐し、生活圏を取り戻すため、当時災害対策用として建設が進められていた、地下都市へと逃げることを余儀なくされた――。
○
「……そしてそれから数十年。未だデジモンは跋扈して、世の中は荒れたまま、かぁ」
「や、湊。来たよ!」
「あ、姉さん! 来てくれたんだ!」
私が、扉を軽くノックして白い部屋に入ると、少年――私の可愛い可愛い弟の篠宮湊は、パタンと本を閉じて、ベッドに座ったままこちらに笑顔を向けた。
うーん、やっぱ湊の笑顔を見られるだけで元気が出るなぁ!
「ゴメンね、なかなかこっち来られなくて。来るにもいろいろと厳しくてさ」
「わかってるって。姉さんは皆を守る戦闘官がお仕事なんだから仕方ないよ」
その言葉に、胸がチクリと痛む。
「……うん。ホント、ゴメンね」
「いいんだって、もう」
けれど湊は、屈託なく笑う。ホント、優しい子だなぁ湊は。
私に似なくてよかったよかった。
「それで、何読んでたの?」
「ん? これこれ。こないだ、姉さんが買ってくれたじゃん」
そう言って湊が机の上に示したのは、『特殊電脳生命体――謎に満ちたその存在――』というタイトルの分厚い本だった。そういえばこの本、前回来た時にねだられて買ってあげたやつだっけ。
……それにしても。
「湊、ホントにデジモンに関すること、好きだねぇ」
そう、この子は昔からそうだった。デジモンという存在が気になって仕方ないようで、昔からそういう文献や、資料を欲しがっていた。
そしてその理由を聞くと、湊はいつも決まってこう言った。
「だって、気になるじゃん。これだけ科学技術が発達してるのに、全く解明できないことがあるなんてさ! 未だにどうして発生したかもわかってない。どんな原理で不可思議な力を扱うのかもわかってない! 科学的なものから非化学的なものが生まれるなんて、もうこれ以上ない不思議だって!」
「どうどう、分かったから興奮しないの」
目を輝かせて興奮気味にしゃべる湊に、思わず苦笑する。
ホント、こういうところは私ととことん似てない。湊は昔から、どうやら気になったことは調べて、追及したくなる質らしい。姉バカかもしれないけど、研究者とかそういうの、向いてるんじゃないかな、なんて思ったりもする。
「あはは、ゴメン。でもさ、姉さんならよくわかるでしょ? デジモンと間近に接してるわけだし」
「ん、まぁ確かに、ね」
確かにD.C.Hに勤めている身としては、デジモンの非常識さを目の当たりにする機会は多い。だからこそ湊の言いたいことはわかる。
けれど、だからこそ、無邪気に謎を追求したがる湊を、心配に思ってしまう瞬間もある。
湊はデジモンがどういうものなのか、どんな惨劇を齎すのか……それを、目の当たりにしたことはないのだから。
そんなことを考えた時。
「湊くん、そろそろ検査の時間で――あら、天音ちゃん」
「あ、どうも。湊がいつもお世話になっています」
「いえいえ。むしろ湊くん、いつもいい子で助かってますから」
にこりと微笑む優し気な初老の女性――もう長年、湊がお世話になっている看護師の岩澤さん。この人がいなければ、私たち姉弟は、というか私は、いままでやってこられなかったかもしれない。それくらいの恩人だ。
静かに頭を下げる私に、岩澤さんはわざわざ気づかないふりをして、湊の方に向き直った。
「よかったねぇ湊くん。『正義の味方』のお姉さんが来てくれて」
「ちょ、岩澤さん!?」
岩澤さんの口から飛び出た言葉に、思わず私は目が点になる。
私が……正義の味方? どういうこと、という目を湊に向けると、少し気まずそうにしながらも、どういうことか喋ってくれた。
「いや、ほら。ここの院内学級、あるでしょ?」
「ああ、うん」
湊はもう出る年ではないけれど、昔は出ていた。だから今でも顔を出すときがあるとは聞いていたけれど。
「そこでさ、最近ここに来た小さい子が、デジモンが来るんじゃないかって怖がってて。だから姉さんがD.C.Hに勤めてること、話したんだよね」
「……ははぁ」
なるほど、だんだん読めてきた。
「そしたらもう、それ以来姉さんの話をせがまれるようになっちゃって。だからその、誇張して話したりしてるうちに、なんかこう、姉さんはすっかりこの街の皆を守る、正義の味方の戦闘官ってことに……」
「……なるほどねぇ」
自分がそんな風に扱われてると思うと頭が痛くなるけれど、ここの環境を考えれば仕方なくはある。病院という特殊な環境だということを抜きにしても。
それにしても正義の味方……ね。
「……まったく。お願いだからほどほどにしてよ? 病院、今以上に来辛くなっちゃかなわないからさ」
「はぁい」
すこし落ち込んだ様子を見せる湊に、私と岩澤さんは顔を見合わせて苦笑する。まぁ湊に悪気なんてあるわけもなし、ちょっとむず痒いだけだからいいんだけどね。
と、どうやらそこでタイムアップだったらしい。
「じゃあ、天音ちゃん。せっかく来てくれたけど、湊くんそろそろ検査に……」
「あ、すいません。それじゃ湊、またあとで」
「うん。姉さん、今回はどれくらい?」
「短くて悪いけど、明日まで」
私の言葉に、一瞬目を伏せるけど、湊はすぐに笑顔をこちらに向けてくれた。
悪いのはこっちなのに……気を使ってくれちゃって。
「わかった。それじゃ、後で。今日はここで晩御飯食べてくから」
「あ……うん!」
本当に嬉しそうに、それこそ華が咲くように笑って、湊は岩澤さんが押す車いすに乗って検査室へと向かっていった。
廊下の角を曲がるまでそれを見送って、湊の部屋へと戻ると扉を閉める。
そして私は、背中を壁に預けると、ずるずると座り込んでいった。
それしか、できなかった。
「正義の味方、かぁ」
正義の味方。セイギノミカタ。確かに、そうやって言われることは、幾度もあった。
けど、その言葉は、私にとってどうしようもなく重い。
私の目的はそんな大層な物じゃないから。平たく言ってしまえばお金が必要だからという、最も単純にしてあたりまえの理由なのだから。
――湊は、今の医療を以ってしても完治が難しい病だ。
高度な機械化技術が発達し、義肢のみならず内臓の一部さえ代替可能となった現在でも、治せない病は存在する。
脳や脊髄などの中枢神経系に起因する病は、その最たるものだ。
湊は、中枢神経に異常があり、ほぼベッドから降りられない生活を送っている。原因は不明。病名すら、まともにないような有様だ。
その治療には、莫大な費用がかかる。普通の人間には支払うことが難しいほどの。
だから私は、D.C.Hへと入った。湊を助けるために。湊に生きてもらうために。
ただもう一度私と並んで歩きたいと、そう湊が言ったから。
「……っ」
それを嫌だと思ったことはない。負担に思ったことはない。湊はまさしく、私の生きる意味なのだから。
でも……いや、だからこそ、私に『正義』という言葉は、重い。
どんなに言いつくろっても、所詮お金の為に働いている、私には。
――そんな私の一体どこに、『正義』があるというのだろう?
そう、思わずにはいられなかった。
それに、憧れたことがあるからこそ。
●
久々の非番から、数日後のこと。
「あ、先輩!」
「玲香?」
司令部の方に顔を出してみると、ちょうど分析官と話していた玲香がこちらに手を振ってきた。
私に気付いて頭を下げてくる他の分析官や事務官に軽く手を上げて答えながら、玲香の方へと速足で向かう。いつもならほんわかしている玲香の顔が、わずかに緊張しているように見えた。きっと、何か緊急性の高い案件が起きた
「玲香、どうしたの?」
「それが、電力街の方が妙みたいなんです。先ほどから、守備隊と連絡が取れません」
「……電力街が?」
その言葉に、私は顔が強張るのを感じた。なんで、どうしてあそこが。
――電力街。それは地下に都市機能が移行してなお、電力を賄うために形成された地上の街のことを指す。
地下水脈を利用した水力発電、地熱を利用する地熱発電など、地下で可能な発電施設は存在する。だが、それでは地下の生活にはとても足りない。効率的、かつ大規模に電力を得るには、太陽光発電と風力発電が欠かせないのが、未だ覆せない現実だった。
そうした施設で働く人々やその家族のために形成され、手厚く保護されている街。それが、電力街なのだ。
私は、それをよく知っている。
きっと、この場の誰よりも。
「それで、守備隊と連絡がとれなくなったのはいつ?」
「30分ほど前です。定時連絡に応答がなく、以降連絡を取ろうとしていますが……」
かぶりを振る分析官。30分も連絡がとれない。それは確かに異常だ。
「前提として、電力街は無事なんだよね?」
「はい。電力供給には異常はないと、既に報告を受けています」
ならひとまずは安心。となると、他に考えられるのは。
「……通信のみが、途絶してる?」
「はい。私も、その可能性が大きいんじゃないかって」
「ジャミング個体か……厄介だね」
昨年、D.C.Hの本部が壊滅寸前にまで陥ることとなった、通称『東京事変』。その際に初めて確認されたのが、ジャミング個体と呼ばれる、周囲の通信を一切途絶させる個体だった。
分析官のリアルタイムな分析や情報のバックアップを受けて埒外の力を持つデジモンと戦う私たちにとって、それはかなり厄介な特性だった。
「ですので、調査と警戒のために戦闘班を送ろうかと編成を見直していたところだったんです。今のところ、手すきなのは第四戦闘班と――」
「いや、私たちが行くよ、玲香。溝渕分析官、そのように通達を」
「え? あ、はい、先輩!」
「篠宮戦闘官!? ちょっと待って、」
「いや、行かせてやってくれ、溝渕」
いつの間にか私たちの背後にいた班長が、分析官の肩を軽く叩く。
私は班長に小さく頷いて、出撃準備のために部屋へと向かう。班長――いや、悟さんが、どんな顔をしているか、手にとるようにわかる。
きっと何か、痛みを堪えるような顔をしているはずだ。あの人は、優しいから。
扉へと向かう私の背後、悟さんの声が届く。
「あの電力街はな。あいつの故郷で、大事な場所なんだ」
玲香と分析官が息をのむ音を置き去りに、扉が閉まる。
――あの場所を奪わせはしない。絶対に。
そう決意して、私は廊下を駆け出した。
うおおおおおおおおおおおおお久しぶりですぜえええええええええええええっと!!(CV水木一郎) そんなわけで夏P(ナッピー)です。
Twitterでお見かけした時点で狂喜しましたが、やっぱりアレだ! タイトル見た時点で「……もしや?」となりましたが忘れもしない、俺がデジモン創作家の皆様の中で一番最初に書籍化したのを買わせて頂いた奴!! ワハハハハハハハ!! 今もキチンと我が家にあるぞ!!
世界観確認も込めて久々に読み返そうと思いましたダー〇ィ〇イバー。しかし読切だとぉーっ! いや待てこれはフリだ、ジャンプの読切で好評を博したら連載に繋がるような奴だ! モロに俺達の戦いはこれから、というか登場人物皆“それっぽさ”全開で終わってるじゃないか!
そして余談ですが、俺は十年前から変わらず湯浅さんの書くお姉さん系の女性キャラが心底好きです。
それでは。