「おいで。素敵な呪文を教えてやろう」
*
魔女の名前はキサラといった。
キサラは鬱蒼とした森の中に家を構えている。……なんて事は無く、聞こえの良い呼び方をすると「都会のベッドタウン」というやつにあたる、中途半端な田舎の住宅街で、この手の町にありがちな、不必要に広い庭の付いた一軒家で暮らしている。
年齢と共に手入れの行き届かなくなったガーデニング趣味の名残達が、いよいよ隣家の柵にまで絡みついていて、内心快く思われていない事をオレは知っている。
ようするに、キサラはそういう老婆だった。
「おいキサラ。リュートってのは、何だ」
「弦楽器だね。ボディの部分が、ビワを半分に切ったような形をしているんだ」
「そいつはイカガワシイ音がするのか」
キサラは一度閉口し、骨張った指を顎に添えてしばらく思案したかと思うと、
「そう書いてあると思うなら、そう訳しておきな。みだりに深い意味に触れないのも、奥ゆかしさだ」
「昨日は「言葉の意味を深く理解してから訳すよう」って言ったじゃねえか」
「ンなもん、時と場合による」
*
この時点で作者は「ノベコンに提出するのはキツいかもしれんな……」と思った。主人公が辞書を片手に翻訳している戯曲の名は、『リチャードⅢ世』、正式名称『The Tragedy of King Richard the Third』、薔薇戦争を題材にしたシェイクスピアの歴史劇3部1部作、その最終章である。
ご存知の通り、シェイクスピアの死後からは余裕で70年以上が経過している。なので、シェイクスピア作品を引用しても、著作権保護法にしょっぴかれる事は無いのだ。
ただし、これはあくまで原文の場合であり、翻訳されたものは訳者に著作権が発生するため、公的な作品でシェイクスピアを引用したければ方々に許可を取るか、自分で訳す必要がある。
作者はノベコン出禁の既存長編で『リチャードⅢ世』を引用している。白水uブックス版だ。だがせっかくなら自分で訳したものを使ってみたいなぁと思い立ち、今年の4月上旬ぐらいからちょっとずつ原文を訳しながら涙目になっている。『さよならを訳して』は、その体験を執筆に落とし込めるんじゃなかろうか! と書き始めた話であった。
それがどうして、冒頭で躓いたのか。
とりあえず、作者が(英語が出来なさ過ぎて)泣きながら訳した『リチャードⅢ世』冒頭の、主人公グロスター公リチャードの独白を見て欲しい。
今、不満の冬は去りヨーク(※主人公が所属する一族みたいなモンだと思って下さい)の太陽が降り注ぐ栄光の夏がやって来た。
我が一族の頭上で不機嫌を拗らせていた雲は皆、海のように深い胸の内へと沈んだのだ。
今、我らの眉間では勝利の花輪が跳ね踊り、
我らの傷付いた腕は記念碑の建造に手を取られ、
いかめしい警報の鐘も今となっては陽気な集いの合図でしかなく、
恐るべき軍人達の足並みも娯楽の類に向かって歩みを進めるようになってきた。
冷酷な顔つきの戦神はようやく表情を綻ばせ、
軍馬に跨がり残忍な敵の魂を震え上がらせていた男達も、打って変わって淫らなリュートの音色に合わせてご婦人方の部屋で飛んだり跳ねたり忙しない。
だというのに、この俺ときたら、悪ふざけのように醜い姿。鏡を見つめてうっとり出来るような具合でもない。
踏みつけられたかのように粗末なナリの俺は、
移り気な美女の前を堂々ともったいぶって歩こうにも、この俺は、
肉体の均衡を剥奪され、
自然という名の詐欺師に顔立ちを歪められ、
出来損ないの未完成のまま、
驚く程半端な仕立てでこの世で産声を上げた。
酷く不出来で流行もしない姿のこの俺を前にすると犬も吠える。
そんなものだから、俺はか細く平和を歌う笛の音に喜びを見出せる手合いでも無い。
せめて、陽の光に照らし出された己の影までおそろしく不格好だと思わず口ずさんでしまうような出来で無ければ。
そうであれば、恋人をこさえて「幸せにするよ」とおべっかのひとつでも使う事が出来ただろうに。
いいさ。決めたぞ、俺は悪党になろう。
悪党になって、張りぼてに過ぎないこの世の楽しみを憎んでやる。
お解りいただけただろうか。
大分マイルドに訳したのだが、まあ、その、はい。『リチャードⅢ世』の主人公グロスター公リチャードは、2012年に発見された遺骨からも強い脊椎側彎症――『ノートルダムの鐘』のカジモドと同じアレである――を煩っていた事が判明している。もう冒頭1ページ目から応募規約の「中傷的」と「差別的」に引っかかるのである。その上「淫らなリュート(意味深)」である。念のためリュートの音色をY○uTubeで確認したところ、とっても綺麗な音色でした。
作者は頭を抱えた。頭を抱えた末、没に踏み切ったのだ。察して欲しい。
で、何故こうも長々と『リチャードⅢ世』について前置きしているのかというと、シンプルに、この話が『リチャードⅢ世』でなければ成立しないからである。
その辺を念頭に置いてもらって、あらすじ。
*
『さよならを訳して』
世界観:舞台はリアルワールド。デジモンがある程度認知されており、所謂“選ばれし子供”的な存在がちらほらと居て、基本的にはデジモンと友好的な関係を築けているが、ウィルス種がDW・RW問わず暴れる事が多いため、毛嫌いされている。
主人公はブギーモン。
身体にイレズミがほとんど無い――ようするに、呪文をほとんど扱えない、落ちこぼれ。
にもかかわらず、自分の“運命の子供”(※説明に便利なので使っていますが、上述の“選ばれし子供”含め実際の作品ではもっと別の表現を考えるつもりでした。あと、選ばれし子供の死=パートナーデジモンの死システムはこの世界には無いです)の少女と出会い、その時世間で大暴れしていた究極体のウィルス種の討伐に手を貸す事になる。
戦力になれないなりになんか色々あって勝利に貢献したブギーモンとそのパートナーだったが、見るからに悪魔の姿をした彼と彼を連れた少女への世間の目は冷たく、最終的に耐えられなくなった少女は、ブギーモンに「さよなら」のひとことを残して、「二度と会えないところ」に行ってしまう。(構想の時点でアウトではないかと作者は思った。だがとりあえず書いてみて、やはりアウトだなと思った)
少女との「お別れの場所」にすら入れてもらえず、それでも近くに潜んでいたブギーモン。と、そこへ少女の祖母・キサラが現れる。
彼女は自らを「魔女」と名乗って、「素敵な呪文を教えてやろう」と一方的にブギーモンの手を引いて、彼を自宅へと連れ帰った。
しかしキサラがブギーモンに与えたのは、ノートと筆記用具、1冊の辞書、そして、『リチャードⅢ世』の原文。
キサラは翻訳ソフトの使用を禁じた上で、『リチャードⅢ世』の第1幕・第2場に存在するセリフ「Bid me farewell」――直訳で「さようならを言って」の翻訳を命じる。(このシーンは所謂プロポーズ直後のシーンで、該当のセリフは訳者によってかなり解釈が分かれている。気になる方は読んで欲しい。新潮文庫版なら新品でも460円税別だ)
割と傍若無人なキサラに反発を繰り返し、世間の目に歯噛みし、快晴名物のクソモブにも苦しめられる中で、ブギーモンは歴史にそうあれかしと望まれた醜い王に自分を重ねながら、少しずつ翻訳を進めて物語を紐解いていく。
しかしそんな中、キサラが病に倒れる。
年齢の事もあって、先は長くないキサラのために、ブギーモンは翻訳を急いだ。
それから長い月日が流れ、1人の人間がDWのダークエリアにある大図書館を訪ねた。
その図書館の本は全て強欲の魔王バルバモンの蔵書であり、にもかかわらず、全ての本が人・デジモンを問わず、ひとつの簡単な条件を満たせば、とある3冊のノートを除いて誰にでも閲覧する事が出来る。
何故、未だ世間から嫌われ恐れられる、ウィルス種の頂点である魔王がそんな真似をするのか。意を決して取材に訪れた人間に、バルバモンは快く応じる。「簡単な条件」だけは、記者にも課しながら。
その条件とは、「Bid me farewell」をどう訳すか、自分なりの解釈をバルバモンに教える事。
彼はただその訳だけを、魔王の座に至る程に、貪欲に求め続けているのだという。
記者の訳を聞いた後、バルバモンは少し長くなると前置きしてから、求められた話を始める。
「魔女の名前はキサラといった」と彼が振り返った視線の先には、強欲の魔王にしては質素な棚の上に、揃って笑顔を浮かべる老婆とその孫娘の写真を収めた小さな額縁と、その写真に備えるようにして、ボロボロのノートが3冊置かれていた。
*
ちなみに3ヶ月かかってリアル『リチャードⅢ世』の翻訳進捗は全体のちょうど半分です。
誰か助けてくれ。
【嘘言】
大変面白く読ませて頂きました! 夏P(ナッピー)です。
シェイクスピアお好きな……自分の中では30年ぐらい前の映画のイメージが強いですが。ていうか、世界観がめっちゃデジモンプレセデントではないかコレ!? ブギーモンの経歴もリブートされたヴァンデモンのようだ……選ばれし子供の名称を置き換えたのはノベコン対策でしょうか。
最後に三冊の本が描写されるのは良かったですね。まさしく「私はやり遂げましたよ」という奴、バルバモンの課した命題でタイトル回収も完璧。最後まで追ってようやく気付きましたが、そもそも“彼女”の遺した“さよなら”の意味を追う話だったんですね~。冒頭、「深い意味に触れないのも奥ゆかしさ」とも「言葉の奥を深く読み取るように」とも相反する両者を並列で語っていたのも、ラストシーンの「明確だけど敢えて深くは語らない」という〆の為だったか……。
てっきり“さよなら”した“彼女”はどこかで洗脳されて魔女と化して襲い掛かってくるものかと思いましたがそんなことは無かった。
それでは今回はこの辺りで【嘘言】とさせて頂きます。
【追伸】(嘘言外)
すげーナチュラルに「この時点で作者は『ノベコンに~」と繋がったので、てっきりノベコンに投稿する小説を書いているデジモンとパートナーをメタフィクション的に描いた作品だと思っていた。
むしろヨークのかっこ書き解説辺りまで全く気付かなかったかもしれない。
……
…………
………………
名物のクソモブて。
【嘘言】
大変面白く読ませていただきました。
古典を使ったお話は時代の違いでなんでもなかったはずの表現が地雷原になりますからね。キャラに駄目だと言葉にさせるのも一つの手ですけれど、それはそれで意識させることにもなりますし、難しいところですね。ノベコンに出すにはあまりにリスキー……
しかし、魔女と少女の関係、なぜ訳すのがリチャード三世なのか、ただ読むだけでなく訳さなければいけなかったのはなぜなのか。明かされた時には思わず膝を打つとともに涙がこみ上げてきました。
それにしても毎度のことながらモブが、その、どうしてあんなに生々しく醜いんですか?ちょっと思い出すだけで眉間のしわが取れなくなりそうです。だからこそのところもあるのですが……
ではではこの辺で、企画に参加していただきありがとうございました。