※注意
この話には、拙作短編『螺旋の蝶』のネタバレが含まれています。実質続編のつもりでした。
もし未読の方で今度読んでやってもいいぜ! という方は、どうかご注意ください。
*
河童が生まれた事にしようと、誰かが言った。
*
「緑色の肌を持ち、は虫類的な見た目をしている河童というのは、実は関東独自のものでね」
配られたレジュメ自体は白黒で印刷されていたが、並べられた絵の違いは一目瞭然である。
方や、頭に皿があり、嘴があり。甲羅を背負い、指の間には水かきを生やした、所謂パブリックイメージの河童。
方や、全身が毛むくじゃらの、河童というよりは類人猿を想起させる生き物。
「基本的に西日本では、河童に該当する妖怪は、カワウソと混同されたと思わしき姿をしている。一方、柳田国男によって有名になった遠野――岩手県南東部の河童は、姿形こそは虫類型だが、その肌は赤いとされている」
経済の中心が関東である以上、仕方の無い事かもしれないけれど、と前置きして、教授は教室前方のホワイトボードに描いた、愛らしい丸顔の河童、その隣をペン先でトントンと叩いた。
「こういった地域差が、企業のマスコットや子供向け番組のキャラクターのイメージによって塗り潰され統一されてしまうのは、少々由々しき事態であると我々民俗学者は考えている。……だが、同時に。現代の幼い子供が「河童」に触れる入り口のひとつが、目を引く鮮やかな緑色をした可愛らしいキャラクターである、というのもひとつの事実だ」
教授が私達に向き直って、教室一帯をぐるりと見渡す。
穏やかな年の重ね方を感じさせる、優しい眼差しだ。
「僕の講義に興味を持ってくれた子達の中には、そういったきっかけを原点に持つ子もいるんじゃないだろうか」
その眼差し通り、教授は「優しい」と評判の人だ。
仏の卯田将勝(うだ まさかつ)。
出席日数さえ足りていれば、テストの点が悪くても単位をくれる。この人が卒論の担当になれば、まず落ちることは無い。そもそも教え方が丁寧。と、真面目とは言い難い若い盛りの学生達に有り難がられている、民俗考古学の老教授。
だから、実際のところ。ここに居る大半は。単位目的でこの講義を取っているのかもしれないのだけれど。
だけど―――それでも、いいのだろう。
「最終的に真実の扉を叩くのは、それを知りたいと望んだ者だけだ。そこに辿り着くための入り口は、何だって構わない」
その時一瞬だけ、私は卯田教授と目が合った。
彼は続けて、隣に居る私のゼミ仲間に視線を流して、それから、誰とも目を合わせている訳では無い、教師としての視線で全体を眺める。
「だから、僕の講義が若い君達の選択肢をひとつでも増やすきっかけになれば、と。今はただ、そう願っているよ」
そうして卯田教授は、「それじゃあ話を戻そうか」とどこかはにかむように薄い唇に弧を描いてから、またホワイトボードの方へと向き直る。
その間に、私はゼミ仲間―――三ヶ木星里奈(みかげ せりな)の方を向いた。
彼女はきっと、卯田教授がこちらを見た事になど、まるで気がついていないだろう。
星里奈は視線を落として、レジュメ―――河童の絵に続く彼らについての説明文、その内の一行を紙に穴を空けんばかりに凝視し続けているのだから。
その横顔は青く、噛み締めた唇は僅かに白んでいる。まるで、古文書に恐ろしい一文を発見した、ホラー小説の主人公か何かのように。
「星里奈?」
小声で呼びかけると、彼女ははっと顔を上げて、私の方へと向き直った。
「ごめん、優華(ゆうか)」
特に謝る必要も無いのに謝罪の言葉を添えて、星里奈が私の名前を呼ぶ。
「大丈夫だよ」
私はその理由を追及しないまま、星里奈を宥める言葉を選んだ。
「大丈夫。卯田教授は、何を聞いてもバカにしたりしないから」
「怒ったりも?」
「教授を怒らせられるなら、それはもう才能だよ。自慢していいと思う」
本当は、教授はあれでいて、誰よりも大きな憤りを抱えているような人だったけれど。でもそれは今星里奈に教える事でも無いし、誰に知らせる話でもない。
彼女には助けが必要で、彼女を助けられるのは、私の知る限りでは、教授の他にいないだろうから。
私は先程までの星里奈と同じように、レジュメへと視線を戻し、落とす。
絵に続くのは、教授が先に上げた遠野物語の第55段。母娘二代に渡って河童の子供を産んだ話。
「父親」に似て人に似なかったその子供は、切り刻まれて樽に詰められ、地中に埋められたと、そんな物語。
それは、貧しい農村における「口減らし」の口実だったのでは無いか、と。
星里奈の目に付いたのは、現代人だからこそ「残酷」だと蔑める、その一文だったのではないだろうか。
*
「チョコレートでも食べるかい?」
「えっと、その」
お礼と一緒に、先んじて私がチョコレートを手に取ったのを見て「じゃあ、私も、遠慮無く」と、遠慮がちに、星里奈は一番皿に盛られた数の多い包装のものを選んで手に取った。
隙が無いぐらい身だしなみを綺麗に整えている星里奈を、私も最初は近寄りがたく思っていたのだが、ゼミで合同発表を行って以降、周囲を気にし過ぎているのではとむしろこちらが心配になってしまう程度には、彼女は自分にも他人にも気を配ってしまう人種である。
きっと、幼い頃からそうだったからこそ、世界のちょっとした違和感に気がついてしまったのだろう。
「それで、僕に聞きたい事というのは」
星里奈が小さい口でチョコレートを頬張り、その甘さと香りに一息ついたタイミングを見計らって、卯田教授は威圧感を与えないよう軽く身体を傾けながら、星里奈の顔を覗き込む。
本来は講義の受講者ですらない星里奈の立場をいちいち追求したりしない辺り、流石である。この人の善性は、きっちりとした計算の上に成り立っているものだから。
それでも緊張気味に、深呼吸のように「ええと」と声にならない声を挟んで、一度、ちらりと卯田教授を紹介した私の方を確認して。それからようやく意を決したように、星里奈は言葉を絞り出した。
「私、河童を見たんです。……この前、地元に帰った時に」
弱々しく続ける毎に星里奈の言葉尻は萎み、比例するように彼女の頬は赤らんでいく。
だがやはり、というか。卯田教授はうんとゆっくり相槌を打って、星里奈の話を妨げるような事はせずに、続きを促した。
下手に疑問符を挟んだりされなかったお陰で、少しだけ気持ちが楽になったのかもしれない。もう一度深呼吸を挟んで、彼女は改めて口を開いた。
「最寄り駅から実家に向かう時に、川伝い……川って言っても、ちゃんと舗装された、とても河童なんて出てきそうにないところなんですけれど。とにかく、そういうところを歩くんです。河童はその中の、ちょうど河川が田んぼと住宅街の境目になっているような辺りにいました」
星里奈が見たという河童は、彼女の数メートル先からガードレールの隙間を這い出して、河川敷からぬっと現れたのだという。
「見た目は、先生がさっき取り上げていた、関東風の河童でした。緑色で、黄色い、アヒルみたいな嘴があって、甲羅を背負っていて……でも、一般的なイメージの河童よりも、随分と、なんというか、ふくよかで。最初、着ぐるみか何かだと思いました」
思ったんですけれど。と、卯田教授の顔色を伺いながら、星里奈は更に続ける。
「でも、人の入ってる質感じゃなかったんです。こう、着ぐるみ特有の、だぶつき? ごわごわ感? そういうものが、全然無くて。全身に無理のない張りがあって、指も3本しか無くて、おまけに水かきまでついているのに、動いても、全く違和感が無かったんです」
熱と勢いを持ちかける度に、星里奈は青ざめた顔でぐっと堪えて、慎重に言葉を選んでいるようだった。
少しでも嘘っぽくない言葉を、と腐心しているようだが、私には、河童の詳細を訴える彼女の顔のこわばりを見れば、それだけでも信用するには十分なように思えて。
「私、びっくりして、その場から動けなかったんです。でも、目はそらせなくて」
そうしている内に、河童はこちらに歩いてきました。と、彼女は続ける。
「ペタペタ音がしました。濡れて張り付いたものが剥がれて、また張り付いて。そういう音です。近くに来た河童は私より少し大きいぐらいで、でも幅もあるせいか、威圧感がありました。目は、丸いけれど球形って感じじゃなくて、それも、なんだか怖く思ったような気がします」
「近付いてきたということは」
と、ここでようやく、卯田教授が口を開いた。
「河童は、君に何かしたのかい?」
星里奈は首を横に振った。
「触られたりはしませんでした。ただ」
「ただ?」
また、一度押し黙って、俯いて。
結局、顔を上げないまま
「「アリアじゃない」って、そう言ったんです。男の声で」
消え入るような声で、星里奈はそう、呟いた。
「アリア?」
「……。……妹の名前です。三ヶ木亜里明。私が地元に帰っていたのも、妹のためでした」
「妹さんの」
「13回忌だったんです」
卯田教授が口を噤む。
星里奈は、自分の肘を抱えて震えていた。
*
松崎村の川端の家にて、二代まで続けて河童の子を孕みたる者あり
生れし子は斬り刻みて一升樽に入れ、土中に埋めたり
遠野物語55段より
作者は思いました。「口減らしの口実として河童という事にされた子供達の詰まった樽=樽みたいな体型のジャンボガメモン、みたいなホラー、ノベコン用に書けねぇかな」と。
作者は気付きました。「ダメに決まってんだろ」と。
~登場人物紹介~
・野崎優華
語り部。以前後述の卯田教授に巻き込まれて因習村で酷い目に遭った大学3年生。
その一件で卯田教授の正体を知っており、自身もパートナーデジモンとしてゴツモンを連れている。
ゼミ仲間の星里奈が見た「河童」がデジモンだと思い、卯田教授に相談を持ちかける。
ちなみにゴツモンの進化ルートはゴツモン→ゴーレモン→アンドロモン。究極体になるとしたらピエモンかなと思っていた。
・卯田将勝
民俗考古学の教授。正体はクワガーモンであり、因習村のご神体にされていた幼馴染みを解放したいと願った男のスワンプマン。
「河童」がガワッパモンだと気付き、優華と星里奈と共に調査に乗り出す。
考古学パゥワーによりゴーレモンの作り方を知っており、生成したゴーレモンとジョグレスする事でメタリフェクワガーモンに進化できる。
・三ヶ木星里奈
優華のゼミ仲間。出身をクソ田舎にしたかったが規約により田舎ディスりを封じられた作者によりほどほどの田舎出身となっている。
妹の13回忌に遭遇したガワッパモンと遠野の河童伝説を結びつけ、妹は地元そのものに殺されたのでは? と疑いを抱き、作者はこれではクソ田舎ディスりからほどほどの田舎ディスりになっただけでは? と訝しんだ。
・三ヶ木亜里明
星里奈の妹。癇癪が酷く、虚言癖があり、星里奈との姉妹仲も悪く、両親も手を焼いていた。12年前に行方不明になり、その後死体で発見された。
実は選ばれし子供的なアレであり、ガワッパモンとはパートナー同士だった。それ以外の設定はふんわりしており、作者にもわからない。
・ガワッパモン
亜里明のパートナーデジモン。亜里明の死後も彼女を探し続けていた。
この地域ではカメモン系列のデジモンが出現しやすく、「幼くして亡くなった子供を彼岸に導く存在」として祀られており、一部の住民は彼らが実在している事も把握している。
多分江戸時代の頃とかには逆に、ガワッパモン達に選ばれた子供は「河童の子」と恐れられ、殺害されていた。その事を知った「パートナーデジモンを無くしたガワッパモン達」のデジクロス体・ジャンボガメモンによって村が壊滅しかけた事もある。
最終的に亜里明の死を知ったガワッパモンも暴走。過去のガワッパモン達のデータをも吸い上げ、ジャンボガメモンに進化する。
基本戦力がアンドロモンとメタリフェクワガーモンの状況でジャンボガメモンってどうすればいいんだろう。
編集担当快晴による総評「どうしてこれが通せると思ったんですか」
【嘘言】
大変面白く読ませて頂きました! 夏P(ナッピー)です。
完ッッ全に続編じゃないか! というわけで、思わず螺旋の蝶を読み返してきてしまいました。大切な幼馴染を返せ!!
既に前振りが為されている通り、まさか西日本代表の河童デジモンとしてヤツが現れ、ガワッパモンとの東西河童対決が繰り広げられる日が来るとは……どちらも同時に進化してシャウジンモンVSサゴモンのバトルになったのもまた熱い。それを解説しながらも、教授が超長文で日本国内において西遊記の沙悟浄が河童に見立てられることに対する見解を語ってくれたのは見事でした。こういう雑学を読むのが楽しいと思う派です。
それはそうと教授は人間ではなく、主人公もまた既にちょっと非日常に足を踏み入れてしまっているわけですが、そんな中でも大学の授業(その中でも緩い授業)の空気感がとても好きです。民俗学って面白いですもんね、自分も大学入った時に最初に入りたいと思ったサークルがそこでした(※どこぞの思想家に乗っ取られていて大変なことになりましたが)。
ガワッパモンは見た目こそ最大公約数的な意味での“河童”ですが、水星爬虫類でも両生類でも哺乳類でもない“サイボーグ型”なので、例えば進化前にディープセイバーズ所属のコエモンだったりギザモンを結びつけることで、類人猿タイプの河童の要素をそこに見出すこともできるかもしれませんね。まあ如何に究極体だろうと河童なので馬には負けるのでしょう、そこはしゃーない。
前回も異種婚姻譚でしたが、今回もまた河童と結ばれた親子の話。異種婚姻そのものをデジモンとのパートナー関係に見立てているような形でしょうか。
それでは今回はこの辺りで【嘘言】とさせていただきます。
……
…………
………………
クソ田舎ディスは良くないのでそこそこの田舎て。
(結局酷い)
妹ちゃんがあうんしたのは恐らく悪性デジモンが他に存在しているんだろうなー。尻子玉狙いの他ガワッパモンがいたのかもですが。
個人的な希望ではございますが、この民俗学や伝承の観点からデジモンと絡めて紐解いていくのは凄く楽しいので是非(ノベコンでなくとも)シリーズ化して頂きたいと思う次第です。その場合、教授が普通の人間化しちゃいそうですが。