注:本作は、かつて別所にて、オリジナルデジモンが登場する作品を書こう、という企画のもとに執筆した作品を、改稿したものになります。
そのため、メインになるのは作者が創作したオリジナルデジモンとなります。
その点をご理解の上、お読みいただければ幸いです。
蒼き空に映える、天を衝かんとするほどに高く、険しい山嶺。そんな中でも一際高く、雲海を眼下に臨むほどの山の頂上に、普通ならあろうはずのない1つの建物が座していた。大理石のようなもので構成された、白亜かつ荘厳なる建物――まるで、神殿のような。
荘厳な建物に相応しく、流麗でありながらも豪奢な彫刻が施された重厚な扉を、1つの影が押し開ける。
「今、帰った」
扉を開けると同時、決して大きくはない、しかし低くよく通る声でそう言ったのは、紅き鎧を身に纏い、雄々しき黄金の鬣を揺らす、1体のデジモ。背中に掲げた太陽のような光が、薄暗い神殿を明るく照らす。
「おかえりなさいませ、アポロモン様」
太陽の如きデジモン――アポロモンの声がすると同時、何処からか1体の女性型デジモンが姿を表し、その目の前にさっと跪く。薄紫のベールを纏い、白を基調とした中にベールと同じ薄紫のラインが走るドレスを身に纏う姿は、さながら古の貴人と言った様相だ。まるで装飾品か何かのように肩に纏った巻物と、その傍に携えた身の丈ほどの鉄筆がなければ、ではあるが。
そんな女性型デジモンに、アポロモンは鷹揚に頷きを返しながらも、苦笑を滲ませる。
「うむ。だが跪かずともよいと言っておろうに、カリオペモン」
「そうは参りません、アポロモン様、いえ、我が主。こうして貴方様にお仕えすることこそ、我らの存在意義なのですから」
頭を垂れたまま頑なな様子を崩さない薄紫色が映えるデジモン――カリオペモンにやれやれと首を振りながらため息を漏らし、アポロモンは神殿の奥に用意された巨大な椅子へと向かう。
カリオペモンも、アポロモンが自らの目の前を通りすぎるのを確認してから鉄筆を手に立ち上がり、その後に続く。豪奢な黄金の鬣を揺らしながらゆったりと歩くアポロモンの背へと、恍惚としたような、信仰のような、ベール越しでもはっきりと分かるほどの感情を込めた視線を向けながら。
やがてアポロモンは大理石への椅子へとたどり着き、そこへと静かに腰を下ろす。同時に再び跪くカリオペモンに口の端へ苦笑を浮かべながらも、さて、とアポロモンは軽く手を叩いた。
「それでは、戦況を聞くとしよう。俺がディアナモンとやり合っている間の采配は任せていたが、どのような様子だった」
先般、急激に増加していたディアナモン率いる一軍による、アポロモン領ピエリア市への侵攻。普段は小規模なものが多くカリオペモン達で対処していた。しかし、宿敵であるディアナモンが直接出てくるという話を聞きつけたアポロモンは、部下たちの忠告も聞かずにカリオペモンへと采配を任せて飛び出していったのだった。
部下としてみれば、困ったところなのかもしれない。だが普段は冷静沈着ながら、まるで太陽のような烈しさをも持ち合わせているところこそ、主の魅力だとカリオペモンは常々思っていたりする。
が。今はそんな思いを表に出すことなく、はい、と短く答えてから淡々と戦況を述べていく。それこそが主人が自らに求める役割だと、理解しているが故に。
「主様がディアナモン様率いる軍隊と交戦している最中、別の場所より領内へとディアナモン配下の者共が進入してまいりました」
「ほう? いかにもディアナモンの奴らしい。別動隊を用意していたのか」
「はい。小隊規模の舞台でしたが、ディアナモン子飼いのクレシェモン達を中心とした部隊でしたので、油断できないと判断。そこでエウテルモン、エラトモン、クレイオモン、ウラニアモンを派遣致しました」
何も、カリオペモンの「姉妹」とされるデジモン達。変わり者も多いが、究極体として、そしてアポロモン直属の配下として、完全体の部隊を相手にするには申し分ない力を持っている。
それをもちろんわかっているからこそ、アポロモンもふむ、と軽く頷いてみせた。
「九神の内、それだけが揃い踏みとは。結果は聞くまでもなかろうな」
「はい。クレシェモン達は無事排除に成功。領内のデジモン達にも被害はありません」
「それは重畳。采配見事だ、カリオペモン」
「勿体無いお言葉にございますーーと、失礼。ポリュムモンから、今知らせが」
肩にかけている物とは別、腰に下げていた巻物が、淡く光っていたことに気づいて、カリオペモンはその巻物を手に取る。元来、「姉妹」の1人であるポリュムモンの持ち物であるそれは、ポリュムモン自身が大元たる巻物に記した物語を即座に共有できるという機能を有したものだった。
主人たるアポロモンもそれをよく理解しているゆえに、頷きながら先を促す。
「ふむ、《物語》を司るが故の力か。いつ見ても便利なものよな。して、知らせは?」
はい、と言いながらポリュムモンよりの知らせに目を通していたカリオペモンだったが、その内容を理解したと同時、勢いよく顔を上げる。そして――彼女にしては珍しいことに――その勢いのままに目の前の主人へと、喜色を隠さずに告げた。
「主様、朗報です! 以前メルクリモン勢に奪われたヘリコン山の奪還に成功したとの知らせです! テルプシモン、メルポメネモン、ポリュムモン、タレイアモンに対処を任せていましたが、メルクリモンが離れた隙をつき、メルクリモン側の軍勢を排除したとのこと!」
「そうか、ヘリコン山を取り戻したか!」
カリオペモンの言葉に、アポロモンが膝を打って立ち上がる。その声は今までと大きく異なって嬉々としており、アポロモンの纏う炎も明るい色を湛え激しく燃え上がっていた。恰も、感情を写す鏡であるかのように。
「ヘリコン山の神殿奪還に成功は、オリュンポス山への足がかりとなる! 九神達よ、よくやった!」
「お褒めに預かり、光栄です。姉妹達もきっと同じでしょう」
優雅に一礼をし、そう言うカリオペモン。しかし彼女の声も、先ほどより落ち着いているとはいえ喜色を隠すことはできずにいた。
アポロモンはひとしきり喜びの声を上げたかと思うと1つ息をつき、居住まいを正して再び椅子へと座した。
「さて……オリュンポス山への道が近づいたのは良い事だが、まだやらねばならない事も多い。悪いがカリオペモン、姉妹の幾人かを引きつれ、出征に出てくれるか。マルスモン領付近に不穏な影が、先見に出たのでな」
「マルスモン領付近……というと、あぁ、なるほど」
アポロモンの言いたいことを察したカリオペモンは納得したように頷き、後を引き取るように続けた。
「マルスモン領とも接していて、ヘリコン山に近い場所……ヘリコン山を奪還した以上、今、あの場所に何か起こるのは避けたい、と」
「うむ、左様。頼まれてくれるな――《ムーサ九神》が長姉、《叙事詩》のカリオペモンよ」
アポロモンの目には、先刻までの歓喜とは違う烈しい光が宿る。まるで過酷に大地を照らし、全てを焼き尽くす太陽のような、そんな光。
だがそんな視線を受け、カリオペモンは静かに頭を下げる。
「何なりと、我が主」
●
デジタルワールド内、オリンポスエリア。
そこは、四聖獣エリア、大罪エリア、十闘士エリアなどと同様に、デジタルワールド内に存在するエリアであり、デジタルワールド内でも最大の容量を誇るとされるエリアだ。
そこは、オリンポス十二神の住まう地として、イグドラシルが作り上げたエリアであった。かつてオリンポスエリアを訪れた《選ばれし子供》は、まるで古代ギリシャのようだと言って目を輝かせたと言われているが――それはさておき。
そんなオリンポスエリアでは、十二柱の神々がそれぞれ都市を築き、土地の奪い合いを繰り広げていた。《全ての始まりの地》と言われ、手にすれば全てを得られるとされる、オリュンポス山をその手中に収めんとして。
いつからそう言われていたのかは誰も知らない。過去に手にした者がいたのか、伝説として語られ続けてきたのか――はたまた、十二柱の神々も含め、イグドラシルによって『争い続けるように』創られたのか。
真偽は定かではない。だがそうした現状から、オリンポスエリアは他のエリアからこう呼ばれているのだ――『終わり無き闘争の地』、と。
それが、オリンポスエリアの別称、或いは蔑称だった。
●
「……エラトモン、いる?」
カリオペモンは、アポロモンの館の廊下を歩みながら、どこへともなく声をかける。そうすれば、自然と答えが返ってくると、知っているから。
すると案の定、返事の代わりに流麗で美しく、それでいて情熱的な、そんな竪琴の音が響いてくる。聞こえてくる方向は談話室の方だった。
それを確認し、談話室へ向かうと、果たしてそこには。
「相変わらずいい音色ね、エラトモン」
「はぁい、姉様。お呼びかしら」
カリオペモンの言葉に、ふわりとした春風のような声で答えると同時、手に抱えた竪琴での演奏を止めたデジモン――エラトモン、と呼ばれたデジモンは、ゆらゆらと手を振る。
「私に何か、用事なのでしょう?」
そう言い、ベールから覗く口元に笑みを浮かべるエラトモン。カリオペモンとよく似た意匠のベール、そして白を基調にしたドレスを身に纏っているのは、「姉妹」とされる所以か。だが異なっているのは、ベールの色、そしてドレスに入ったラインが鮮やかな若草色であることと、長い金髪を高い位置で括っていること。
そして。
「ええ。けど、エラトモン。背中のそれがあるのに、やっぱり手元の竪琴で弾いてるのね?」
その背には、手に抱えたものとは別の、大きな黄金の竪琴が浮かんでいることだった。
そんなエラトモンは、カリオペモンの言葉を受けて、エラトモンはあは、と笑みを浮かべながら背後の竪琴を撫でる。
「確かにコレは、《独唱歌》たる私の象徴、私の力だけれど。好きな調べくらい、自分の手で奏でたいじゃない? なんの力も込めないで、意味すら持たず、ただ自由に、ね」
撫でるようにして手元の琴を奏でると、美しい音色が溢れ出す。ただ無作為に鳴らした筈のものなのに、それだけで、聞き惚れる程に美しい、そんな旋律だった。
「ふふ。なるほど、アナタらしい」
「姉様はそう言ってくれるから好きよ。それで、と……一体ご用は何かしら、姉様。私に用事なのでしょう?」
「ええ、その通り、アポロモン様からの命令よ」
「あら。ということは、また出征、てトコロかしら」
膝に抱えていて竪琴を床に置き、立ち上がるエラトモン。その口元は、先程とは異なり僅かに引き締まっていた。明るく陽気に見えても、アポロモン率いるピエリア市の戦線を支える者であり、ムーサの一柱としてアポロモンに仕える自覚が、そうさせるのだろう。
「その通り、遠征よ。それで……他の子達は?」
「タレイアの姉様達は、そのまましばらくヘリコン山の防衛につくって、さっき連絡がなかった?」
エラトモンのその言葉に、ええ、とカリオペモンは頷く。確かに、先ほど追加でそのような連絡が入ってきていた。だが。
「……メルポメネモンは? あの面倒臭がりな子なら、帰ってくるかと思ったのだけれど」
九神が一柱、《悲劇》のメルポメネモン。極度に面倒臭がりで、出不精な性格だからこそ、アポロモンからの命令でなければ即座に帰ってくるものと踏んでいたのだ。カリオペモンも、出征に出向かせるのに苦労した。
そんなカリオペモンの思案顔に、エラトモンはあはは、と笑う。
「出征前に聞いたのだけれど、タレイアの姉様がちょっと『餌』をね」
「餌? って、まさか」
「そのまさか。十闘士エリアの、風と水の闘士達の映像データを、少しね。まぁ、メルぽんの力は防衛に持ってこいだから、丁度いいんじゃない?」
その言葉に、カリオペモンは深くため息をつく。アポロモンは他エリアとの交流を禁じているわけではないが、それでも立場上、慎重になるべきだと、カリオペモン自身は思っているが故に。
「全く……まぁ、確かにあの子の力は役に立つから、今回はタレイアモンのお手柄、ということにしておきましょう」
デジモンでも頭痛はするのだろうか、ベールのかかった頭を片手で揉み解すカリオペモン。九神を統括し、アポロモンに代わり采配を振るう身として苦労が多いのが、それだけでよくわかろうというものだった。
「あの子の力は私も少し当てにしていたのだけれど、まぁいいわ。他の子達は?」
「クレイオとエウテルの姉様達なら、フィールドワークだー!とかなんとか言って、飛び出して行ったけれど」
「……大方、クレイオモンが嫌がるエウテルモンを護衛に引っ張って行ったんでしょう」
「あは。大当たり」
もう、ため息も出なかった。姉妹達が自由で奔放なことは、カリオペモンにとっては今更いうまでもないことではあるのだが。
だが、それに。ただ自由奔放なだけではないことは、カリオペモンも重々承知している。
「……《歴史》のクレイオモン、だものね。自らの存在意義には、抗えないんでしょうね」
「私だって、謳うことはやめられないもの。それにクレイオの姉様なら、案外見つけてくれるかもしれないじゃない? このエリアの謎の答えとか、ね」
「そうね、あの子なら、あるいは……」
何故、神々は争うのか。
オリュンポス山にある力とは、何なのか。
そして。
一体いつから、私たちは戦っているのか。
そんな、このエリアの宿痾とも言えるモノへの、答えを。
それはひょっとしたら、勝利よりも遥かに、価値のあるものかもしれなくてーー。
「姉様?」
思わず飛びかけた思考が、エラトモンの声に引き戻される。余計な考えを追い出そうとばかりに軽く頭を振って、再びエラトモンの方を向く。
今は、アポロモンの命令を遂行するだけ。そう、自分に言い聞かせて。
「……何でもないわ。でもそうなるとなると、残っているのはエラトモンとウラニアモン、ということかしら」
「えぇ。もちろん、コロナモン達や他の子らはいるけどね?」
「そう。なら、とりあえずはエラトモンとウラニアモンにお願いすることになるわ。余程のことがなければ、それで十分でしょう」
「ウラニアちゃんの力がハマれば、私たちなんて敵わないものねぇ。それに……」
「ええ。今なら、星の巡りがいい」
末の姉妹神の姿を思い浮かべ、カリオペモンとエラトモンはそれぞれ頷く。ウラニアモンが力を発揮する場を整えてやれば、負けることなどまずないはずだ。それを二人とも、よくわかっているから。
そんなやりとりの後、さて、と言うと同時にエラトモンが立ち上がる。
「それじゃ、ウラニアちゃんを呼んで来るわ。私たち二人で、コロナモン達を連れていけばいいかしら。場所は、えっと……」
「ああ、いえ。今回はコロナモン達は休ませましょう」
「あら。てことは」
「ええ」
驚いたように口元に手を当てるエラトモンに頷いて、カリオペモンは手にしていた鉄筆を軽く地面へと突き立てる。
彼女の象徴であり、力の証を。
「アポロモン様の勅命よ。私も出るわ」
●
深夜。アポロモン率いるピエリア市領西端、マルスモン領と接する土地に、カリオペモン達の姿はあった。エレウテル丘と呼ばれるその地は、度々アポロモン勢とマルスモン勢が争ってきた場所でもある。
カリオペモン達は、そんなエレウテル丘の中でも小高い一箇所に陣取り、月明かりと星々の明かりの下、辺りを見下ろしていた。
「やはりアポロモン様が警戒する通りなら、この辺りからの侵入が一番ありそう、かしらね」
カリオペモンは、吹き荒ぶ風にはためくドレスを抑えながらそう言う。ドレスを抑えた手と反対に持った鉄筆で、軽く地面を突きながら。
そんなカリオペモンに頷きながら、エラトモンは後ろを振り返る。そこにあるのは、険しくも雄々しき山容ーーついに取り戻すことが叶った、ヘリコン山の姿。
「ヘリコン山へも侵攻しやすく、特に要害もない場所。確かに、この辺かしらね?」
「でっ、でも。本当に来るんでしょうか……? いくらアポロモン様でも、警戒しすぎなんじゃ……」
カリオペモン、エラトモンにの後ろに立ち、おどおどとした様子でそう言ったのは、前に立つ二体より小柄な、人間であれば子供と言っても差し支えない背格好のデジモンだった。やはり二体と同じ意匠のベール、そしてドレスを纏っているが、ベールの色やドレスを走るラインは、まるで星空のような濃紺だ。
だがそれよりも特徴的なのは、背後に浮かぶ、金属で出来た、大小様々な幾つもの環だろう。目盛の刻まれたその金属環が、背格好の割に重々しい印象を与えている。
上目遣いに二体を見やるそんなデジモンへ、カリオペモンは振り向いて視線を向けた。少しだけ、意外な思いを込めながら。
「あら、どうしたのウラニアモン。アナタがアポロモン様の仰ることを疑うだなんて」
そのデジモンーーウラニアモンは、九神の中では内気で、今まで一度たりとも主人であるアポロモンの言うことに異を唱えるなどということはなかった。だからこそ、意外に思ったのだった。
カリオペモンに責めるような意図はなかったのだが、ウラニアモンはそんな色を感じ取ったのだろう、慌てたように手を振りながら言葉を継ぐ。
「いっ、いいえ……! 疑っているわけじゃ……! ただ、その……」
「その?」
「エラト姉様は昨日の闘いでご活躍されたばかりだし、カリオペ姉様だって采配や防衛でお忙しくてお疲れなのに、前線なんて、って……そう思って、つい……」
そう言い、ウラニアモンは恥ずかしげに俯いて手を組む。姉達を心配して出た言葉だったことを理解して、思わずカリオペモンとエラトモンは顔を見合わせ、苦笑する。
「もぉー、ウラニアちゃんったら可愛いんだから! そんなこと気にしてたのね」
「ふふ、心配してくれてありがとう。けれど大丈夫。そもそも疲れているわけではないけれど……たとえ疲れ、傷ついていようと、我ら《ムーサ九神》は、アポロモン様のためであればどんな障害であろうと打ち破る。それはアナタも同じ、でしょう?」
「……はいっ!」
ウラニアモンが小さな体で力強く頷くのを見て小さく微笑み、さて、とカリオペモンは気持ちを仕切り直す。そして鉄筆を手にしなおし、地面へと何かを書き付け始めた。デジモン達の文字で、まるで、そうーー魔法陣のような何かを。
アポロモンの先見によれば、敵が来るとすればもう少し先のこと。それならば、準備を進めなくてはいけない。これは、そのためのものだった。
そんなカリオペモンの様子を、ウラニアモンは興味深そうに眺めていた。
「あの、エラト姉様。これがカリオペ姉様の……?」
「ああ、そっか。ウラニアちゃんは見るの、初めてよね」
「あ、はい。カリオペ姉様は、神殿の守護と私達の采配で手一杯で、ご一緒したことがあまりないですから……」
その言葉に、やはりエラトモンはほほ笑む。
「ふふ。それじゃあ後で楽しみにしてるといいわ。単純な威力じゃアナタに敵わなくとも、神殿の守護を姉様だけで担っているのは伊達じゃないのよ? だから今は見守りましょう」
「は、はい」
少し緊張したように、こくりと頷くウラニアモン。そんな様子にくすりと笑みを浮かべて、エラトモンはウラニアモンの頭を撫でる。
「いざ戦闘になったら、今度はアナタを守るから。その時はお願いね、ウラニアちゃん」
「わ、わかりました。その時は、おまかせください……!」
そんな二体のやり取りを微笑ましく思いながらも、カリオペモンは地面へと文字を刻み続けるのだった。
●
カリオペモンが地面へと文字を刻み始め、1時間ほどが過ぎた頃。辺り一体を文字で埋め尽くしたかという頃合いで、ようやくカリオペモンはその手を止めた。
気ままに竪琴を奏でていたエラトモンは、その様子を見て演奏の手を止める。
「あら、準備は完了?」
「ええ、これだけあれば十分でしょう」
「姉様の力は確かに強力だけど、手間だけは避けられないわねぇ」
「こればかりは、ね。アナタ達を強化するだけなら、わけはないのだけれど」
そんなやり取りをしていると、丘の先に立ち辺りを見ていたウラニアモンが、あの、と声を上げる。
「木々が揺れています。それも向こうから、こちらに向けて。だからその、きっと……」
「……来たのね。ありがとう、ウラニアモン」
ウラニアモンの言葉を受けて、カリオペモンとエラトモンも丘の先へと移動する。見てみれば、確かにマルスモン領からこちらに向けて、木々が揺れ続けていた。確かに、ある程度の集団がこちらへ移動している、その証だろう。
3体はそれぞれに頷きあって、その様子を見守る。いつでも動けるよう、あるいは即座に反応ができるよう、準備をしながら。
果たしてそれから更に30分ほど過ぎた頃。
「来ました……来ました、けど……」
「えぇ。来たわねぇ……でも」
「アポロモン様の先見も、ここまで見えていたのか、いないのか」
森を抜け、姿を現したデジモン達の一群を見て、三様に驚きを露わにする。デジモン達ーーアシュラモンやグラップレオモンを中心とした一群なのは想像通りだ。だがその先頭に見えたデジモンにこそ、3体は驚愕を隠せない。
何故なら、そこにいたのは。
「マルスモン……!」
獣頭に、鍛え抜かれた紅き肉体。そして両腕に嵌められた、巨大なリング。その出で立ちと雰囲気から、自然に武人という言葉が浮かぶような、そんななデジモン――オリンポス十二神が一柱、マルスモンだったのだから。
「まさかマルスモン本人が出てくるとは……これは、想定外ね」
カリオペモンがそう漏らした時、先頭に立っていたマルスモンがこちらに視線を向ける。見つかった。それ自体は驚くべきことではない。十二神の中でも闘いに長けたマルスモン故に、気配などにも聡いと、アポロモンから聞いているからこそ。
だが。
「ふぅむ。その様子だと、アポロモンの先見では、儂までは見えなかった、というところかね」
「なっ……!?」
視認はできこそすれ、会話などできよう筈のない距離。にもかかわらず、普通に声が届いたことには驚きを禁じ得なかった。その様子すら見えているし聴こえているのだろう。再び、マルスモンの笑い声が届く。
「はは、驚いておるわ。無限波動の応用、という奴でな」
「……成程ねぇ? 音の波を無限波動で減衰させずに届けている、というところかしら」
「ふむ、察するに《独唱歌》のか? 音を司るだけに理解が早い」
「……それはどーも」
いつも陽気なエラトモンには珍しく舌打ちでもしそうなほどに不満そうにそう言って、静かに後ろへと下がる。背中の竪琴が僅かに光を湛えているところを見るに、何が起きても即応できるよう備えてくれているのだろう。
それを理解して、カリオペモンは一歩前に出る。
「それで、です。マルスモン様。一体こちらには、何用で?」
「それは愚問、という奴であろうよ。《叙事詩》の」
「引いてはいただけない、と?」
「うむ。オリュンポス山を手に収めるまでは止まらぬ。それが、我ら十二神が抱く業であればこそ」
「であれば、相応の対応とさせて頂きます。賓客としてではなく、ね」
カリオペモンが敢えて挑発的にそう言うと、ほう、と感心したようなマルスモンの声が届く。
「こいつは言いよるわ。多くないとはいえ完全体の一群に、儂がおる。だがそちらは究極体とは雖も三柱……それでもその物言い、まずは褒めておこう」
マルスモンは不敵に笑むと、余裕染みた声で言葉を続ける。
「だが、噂どおり九柱揃っているならば兎も角、ただ三柱でこの者らと儂を相手取るのは如何にアポロモンの腹心たる《ムーサ九神》とはいえ、無為無謀というモノであると思うがな」
その言葉は、客観的に見れば正しいと言わざるを得ない。数は千に満たないと、軍としてはそう多くはないとはいえ、完全体を中心としてオリンポス十二神が率いる一群。
だがそれに対する側は、究極体とはいえ三体。それを無謀といわずしてなんと言うのだろうか。
だがその言葉を受けてなお、カリオペモンは笑みを見せる。
「我ら姉妹、マルスモン様とこうして干戈を交えるのは初めてでしたね」
「……ふむ。だが、それがどうしたというのか?」
声に、僅かに警戒の色が含まれる。その様子を理解して、カリオペモンは敢えて朗々と告げる。
「お見せいたしましょう、我が力。アポロモン様がこんな少数でも派遣したその意味を、存分に味わって頂きます」
その言葉に、マルスモンが何を返すよりも早く、カリオペモンは鉄筆を地面へと突き刺した。それは丁度、先刻まで己が描いていた魔法陣のちょうど起点にあたる場所。
そして。
「今こそ来れ、語られしモノ達よ」
その言葉を発した瞬間。地面に突き刺した鉄筆が、溶けるように地面へと消える。そして次の刹那、地面に刻まれた魔法陣が、星月の灯りを打ち消さんばかりの勢いで光を放ち始める。
赤、青、緑……極彩色の光たちが乱舞する様は、さながら光の洪水だ。
「『無限波動』ッ!」
その時、マルスモンが動いた。それまで音の伝達に使っていた波動を、攻撃へと転化させカリオペモンへと向かわせる。即座に危険と判断したのは、戦の神と言われるだけあるのだろう。
だが、しかし。
「させないわ。『メロディア・アルパス』!」
エラトモンが、背後に浮かぶ竪琴を掻き鳴らし、強烈な音の衝撃波を放つ。自然発生するものよりも格段に強化されたその一撃は、同じく波の性質を有する無限波動とぶつかり、消滅させる。
余波で吹き飛びそうになるウラニアモンを抱き止めながら、エラトモンは笑う。ただしいつもの陽気な様子ではなく、酷薄に。
「お生憎様です。オリンポス十二神の皆様には及ばずとも、我らとて究極体。予測できる攻撃を、防げない理由があるとでも?」
「小癪な真似を……!」
標的を変え、まずはエラトモンへと攻撃しようと構えを取る。素早い判断は、流石と言わざるを得ないだろう。
だが。
「遅い。顕われ出でよ――『イストリエス・イローン』!」
カリオペモンが、その言葉を高らかに宣言した瞬間。
魔法陣の光の洪水が、より一層激しく大きくなる。極彩色の光が夜を塗り潰して辺りを染めて行き、そして。
「光が……!」
「大丈夫、すぐ収まるわ、ウラニアちゃん」
エラトモンの言葉通り、夜を塗り潰した極彩色の光はやがて収まっていく。だが、そうして星月の灯りが照らす夜へと戻った時。
カリオペモンの、そしてエラトモンとウラニアモンの背後には、『何か』がいた。
大量のーーそれこそ、マルスモンの引き連れる軍勢にも伍するだけの数はあろうかという、『何か』が。
「これは……ッ!」
それが正しく『何』であるかを瞬時に理解したのだろう。マルスモンの驚愕の声が届く。そして声こそ届かないが、アシュラモンやグラップレオモン達が動揺して見てとれた。
それを目にし、エウテルモンは口の端に笑みを浮かべる。
「私は《叙事詩》のカリオペモン。叙事詩に――英雄譚に語られしモノ達を具現化することができるのです……勿論、相応の準備は必要ですけれど。この世界で一番の英雄譚といえば……何かもう、お分かりでございますわね?」
マルスモンには見えているだろうと、カリオペモンは自らの後ろに不気味なまでの静けさで控える軍勢を指し示す。
星月の灯りを受けて鈍色に光る体躯に、たとえ夜闇であっても目立つであろう赤く光両眼。そしてその手には、クロンデジゾイドで作られた強靭な槍が握られている。
デジモンではない、けれど機械型のデジモンに似た『何か』。
カリオペモンの言葉に、マルスモンは驚愕とも呻き声ともつかぬ声を漏らす。
「選ばれし者とその仲間達が作り上げた、《機械兵》か……!」
「そう。かつて全てのエリアを侵食せんとした大罪エリアの魔王達と戦うために呼ばれた選ばれし者達が、それでも力が足りずに作り上げた人工デジモンの成れの果て……マルスモン様は、よくご存知のはずですね?」
《ムーサ九神》がその存在を自覚するよりも遥かに以前。選ばれし者と呼ばれた人間達と、大罪エリア以外の全てのエリアのデジモン達が団結して戦ったという『大戦』。その戦いでオリンポスエリアの軍勢を率い、共に戦ったのがマルスモンだと、そう聞いていた。
アポロモンから聞いたその『英雄譚』に、間違いはなかったのだろう。マルスモンは頷きながらも、しかし不審そうに声を上げる。
「……だが何故動く。こいつらの動力はデジソウルであろう。人間が居なくては、動かすことなど……」
そう言ったマルスモンの声に、エラトモンは失笑を含んだ声を返す。竪琴を輝かせ、警戒は解かぬままに。
「マルスモン様、姉様の力は、この世界に存在する英雄譚からありとあらゆるものを具現化する力なのですよ? そんなの、単に動いている時の機械兵を具現化すればいいだけの話じゃない?」
その言葉に、沈黙するマルスモン。だがその眼は、戦意に燃え上がっている事がはっきりと見て取れた。両者に軍勢は揃い、最早互いの指揮官同士の戦いで決着がつく状況ではない。
この先にあるのは、最早軍勢同士の衝突のみ。
「ではマルスモン様、そろそろ始めましょうか」
「……油断した儂の不覚、か。よかろうとも」
カリオペモンは己が手を掲げると、マルスモンも応じるように己の手を掲げる。
そして。
「「全軍、進め!」」
その怒号と共に、片方は歓声を上げながら、そしてもう片方は不気味なまでにただ静かに、進軍を開始した。
マルスモンは戦の神らしく、自ら先頭に立ち、地面を駆けて行く――カリオペモンの予想通りに。その様子にほくそ笑みながら、カリオペモンは静かに声をかける。
「ウラニアモン」
「は、はい」
「準備をお願い。星の巡りは、万全ね?」
「はい。お任せください、姉様」
そう言うと、ウラニアモンは手を前に掲げ、静かに唱える。
「輝く星月に希う。どうか我に力を貸し与え給え――星天同期、開始」
その言葉と共に、幾重にも重なりウラニアモンの背後に佇んでいた金属環が、ふわりと静かに動き、彼女の手の先へと移動する。そして大きさの違う金属環は立体的に組み合わさっていく。球体を――天球儀の外輪を、形成するように。
ウラニアモンの手の先に浮かぶ、中央のみが欠けた天球儀。その欠けている筈の中央に仄かな光が宿るのを見て、カリオペモンは一つ頷き、そして戦場を見やる。
早速戦場を駆けるマルスモンの目には、最早機械兵達しか映っていないようで、こちらに必要以上の注意を払っている気配はない。進軍を開始してから向こう、叫んでいるように見えるマルスモンの声がこちらに届いてはいないのがその証拠だろう。
最早無限波動を使っている余裕は無くなるだろうと踏んでいたが、その予測は正しかったらしい。
「ここからが勝負です、マルスモン様」
アポロモンのためにも負けられない。そんな思いを込めて、カリオペモンは静かにそう呟いた。
●
「……あまり旗色がよくないわね、姉様」
「ええ、そうね」
戦闘が開始してから暫くの事。エレウテル丘から眺めていたカリオペモンとエラトモンは、そんな言葉を呟き合う。
眼下では、激しい戦が繰り広げられていた。色とりどりのデジモンの波と鈍色の波が互いにぶつかり合い、争っている。波の衝突点では、クロンデジゾイドの槍とデジモン達の技が、常にぶつかり合って火花を散らしている。
戦闘開始当初、見立てではほぼデジモンと同数程度だったはずの機械兵は、いまや明らかにデジモンより数を減らされていた。
「流石に戦の神の名は伊達ではない、という事ねえ……っと!」
その時、マルスモンか、はたまた軍勢のうちの誰かか。好機と見て放たれたのだろう攻撃を、エラトモンが竪琴を掻き鳴らし音の衝撃波で弾く。先ほどから徐々にその回数が増えていることからも、劣勢なのは明らかだった。
「ありがとう、エラトモン」
「いえいえ、これくらい。姉様とウラニアちゃんを守るのが今回の私の仕事、でしょう?」
「ええ」
そう言いながらも、視線は最前線で拳を振い続けるマルスモンへと向いている。
マルスモンは、完全体にも引けを取らない機械兵に囲まれてもなお、怯んでいる様子は見られない。槍を拳で弾き、確実に攻撃を叩き込み、機械兵を壊していく。派手な技などは一切使わない。だがそれだけに、技量と地力の高さがわかる、そんな戦い振りだった。そしてそんなマルスモンに鼓舞されて、配下たるデジモン達の士気が高まっているのが、明らかに見てとれた。
「流石に一筋縄ではいかないわねぇ」
「ええ。でも……」
そう言って、カリオペモンは後ろを向く。そこには、天球儀に力を注ぐようにしながら、手を掲げつづけるウラニアモンの姿があった。
一見、開戦以降何もせず動いていないようにも見える。だが天球儀の中央に宿る光は、最初とは比べ物にならないほどに力強く、そして美しい輝きを湛えていた。
まるでそれこそ、天にて煌めく星月の灯りを凝縮したように。
「……準備は完了、でいいかしら」
「は、はい姉様。ご指示いただければ、いつでも」
緊張しているのだろう、張り詰めたような声でそういうウラニアモンに、安心させるように微笑み、頷いて見せる。
「それは重畳。アナタの力、頼らせて頂戴ね」
「は、はい!」
緊張も、少しはほぐれたのだろうか。張り詰めた様子が少し抜けた、力強さすら感じる返事なのを聞き、カリオペモンは戦場に向き直った。
見れば、劣勢なのは変わらない。このままであれば、あえなくカリオペモンが顕現させた機械兵は壊滅するだろう。そうでなくとも、彼女の力も限界に近い。あれだけの数の機械兵をこれ以上維持するのは、厳しいものがあった。
現状、こちらにある手札はウラニアモンの一撃。それを、確実に決める必要がある。
「……ならば」
そう呟くと、彼女は手を振る。
顕現させた機械兵は、ある程度であれば彼女の支配下だ。これだけの数となれば精密操作は不可能。しかし逆に軍勢の大まかな動きであれば――陣形の操作くらいは、可能だ。
「あら、機械兵の動きが」
カリオペモンが手を振ると、エラトモンが呟いた通り、機械兵の動きが変化した。今までは広がり面で相手にしていたものが、段々と収束し、やがてまるで錐のような陣形へと変化していった。
敵は統率の取れた、しかも突然の動きの変化についていけない。マルスモンだけは対応しようとしていたが、それでも軍勢の中であれば限界がある。それに何より、指揮官が前線に出ている、その弊害だ。
その様子を見て、カリオペモンは頷く。
「相手の陣は翼を広げたような形……ならば錐で相手の陣の中心に切り込ませれば」
その呟きの通り、錐のようにした陣形で相手を衝いていった。薄く広がっていた相手の陣形は、収束が間に合わず陣が薄い。対して機械兵側は、たとえ先頭が倒れようと後続が繰り出し、敵の陣を斬り裂いていく。
その結果。
「切り込んだ……けど、マルスモン様達の軍勢に、囲まれて」
「ええ、それでいいの」
エラトモンの言葉に頷きを返す。
「こちらが陣に切り込んでいけば、薄く広がった相手側はこちらを囲うように収束していくでしょう。何せ、こちら側の数が少ないのだから――」
「包囲殲滅が、一番効率いい、ってワケね」
「そういうこと」
はたしてカリオペモンの言葉どおり、相手の陣は徐々に収縮していった。少なくなったが故の無謀な行為だと思ったのか、マルスモンも怪しんでいる様子はない。
だがマルスモンは気付いていない――というよりも、気付きようがないのかもしれない。何せマルスモンは、生きたデジモンを率いている。だからこそ、気付く余地がないのだ。
これから、カリオペモンがとろうとしている、一手に。
そんなカリオペモンの思いを余所に、マルスモン側はどんどんと包囲を作り上げていく。そして果たして、ほぼ機械兵たちの包囲が完了したように見えた、その瞬間だった。
「今よ! ウラニアモン!」
「はい!」
カリオペモンの言葉に鋭い返事を返し、天球儀を支えるようにし続けていた手を上空へと掲げた。すると、天球儀もふわりと持ち上がり、そして。
「星月の光よ、天より来たれ――『アステーリ・クスィフォス』」
静かに、ウラニアモンがそう告げると、天球儀の光が天へと真っ直ぐ伸び、そして。
「……ッ!」
その光が、天に届いたと思ったその瞬間、星が、月が、信じられないほどの強い輝きを放つ。まるで一つ一つが、極小の太陽にでもなったかのような輝きを。
明らかに異常なその様子に、戦場にいる者達皆が、一体何が起こったのかと手を止めて天を見上げる。機械兵と直接渡り合っている者達以外、全て。
何が起きたのか分からず困惑だけが広まる中、ただ一体のみが、声をあげる――あげようとした。マルスモンのみが。
「いかん、皆――!!」
「もう、遅い」
次の瞬間、星月とは思えぬほどの輝き収束し、大地へと降り注いだ。
「――!!」
相手のデジモン達の、形容しがたい叫びが辺りに満ちる。
その光は、無音の衝撃をもって、文字通り大地を穿っていた。鮮烈に、同時に残酷なまでに、辺りの全てのデジモンを、地形を、全てを蹂躙して吹き飛ばし、消し飛ばしていく。
天より降る華麗にして苛烈な光の剣の如き一撃。それはまるで、天罰であるかのような、そんな有様だった。
「……時間をかけた天球儀との同期に、星の巡りの良さも必要とはいえ。やはり凄まじいわね」
カリオペモンが、星の光が降り注いだ場所を見つめ、そう呟く。その場所には大きな穴が穿たれており、茶色い土が露出していた。正に、光の剣が突き刺さったが如く。
そこに動くものは、ほとんどいない。動けていても、殆どは死に体、といった有様だった。
「アポロモン様が言ってたわね、強い力には必ず制約が伴う、って。だからこそ、ウラニアちゃんは1人で出立させられないワケだけど」
ウラニアモンの技の発動には時間が掛かる。それ故に、誰か常に守るものと時間稼ぎをするものが居なくてはならない。その役割を果たしたのが、エラトモンであり、カリオペモンなのだ。
「強力、というワケではないけれど。そこは私も同じ、と言うことかしらね」
結果的に時間稼ぎの役割に回ったカリオペモンだったが、自身の力も万全を期するには事前の準備が欠かせない。それが悩みの種でもあり、普段は神殿の守護に徹している理由の一つでもあった。自陣で備えるのであれば、準備はいくらでもできるが故に。
「とにかくエラトモン、今回は負担をかけたわ。ありがとう。それに、もちろん、ウラニアモンも」
「いえいえ~。それが私の役目ですから。姉様やウラニアちゃんみたいなことは、私にはできないもの」
陽気に笑うエラトモンに対して、ウラニアモンはそんな、と驚き恐縮したように両手を顔の前で振っていた。構築した天球儀の方は、いつの間にやら、再び金属環となってウラニアモンの背中に浮いている。
「わ、私なんて! 姉様達に守ってもらわなきゃ何もできない、お荷物で……だからその、そんな過ぎたお言葉は……!」
「あら。私も護衛無しに力を発揮できないけど、役立たず、ってことかしら?」
「そっ、そういう意味じゃあ……!?」
揶揄うような言葉にどう反応すればいいかわからなくなっているのだろう、あわあわとしてしまうウラニアモン。そんな様子を見て思わず笑みを浮かべつつも、カリオペモンはウラニアモンへと近づいてその肩を軽く叩く。労うように、優しく。
「冗談よ。アナタは立派に自らの仕事をしてくれた。だからそれには、しっかりと胸を張りなさい。ね?」
そんなカリオペモンの言葉に、顔を上げたウラニアモンが何かを応えようとした、その時だった。
「ふむ、《叙事詩》のが言う通りよ。この儂に手痛い一撃を与えたのだ、誇るがいいわ」
「なッ……!」
届いた声に、慌てて星の剣が墜ちた跡へと視線を向ける。あの一撃で滅し得なかった者達がうめくような姿がちらほらと見える、その中心。
そこに、紅い影が立っていた。
「マルスモン様……さすがに、滅したとは思っていませんでしたが」
「私の力……効いてない……?」
愕然としたようなウラニアモンの呟きの通り、見る限り目立った怪我はないように見える。無限波動を使った会話から聞こえた声にも、傷ついたような様子は、まるでなかった。
だがそんな呟きに、いや、とマルスモンの声が届く。
「これでも、傷を負わぬようするのが精一杯でな。我が配下を守ことすら能わず、力を使い果たしたわ。天晴れよ」
「それもこれも、そちらの油断のせいだと思いますけど?」
あえて、だろう。挑発的にそういったエラトモンに対し、しかしマルスモンは呵呵と笑う。
「いや全く、返す言葉もない。アポロモンの先見を効果的に用い、事前に準備し、そして我が軍勢と伍してみせた。最後の《天文》による一撃は些か反則染みた手ではあろうが……うむ、それも含め見事、としか言いようがない。儂を信じてくれた配下達には、悪いことをしたが、な」
「……マルスモン様」
相手の軍勢を壊滅させたことに、後悔や罪悪感があるわけではない。これは神々の戦争であり、お互い明日は我が身であればこそ。
だがそれでも、慚愧と寂しさを滲ませるマルスモンの呟きを、理解できない、というわけではない。
そんなカリオペモン達の思いを知ってか知らずか。マルスモンがさながらクレーターのようになっているまさにその中央で、首を振るのが見えた・
「言っても詮無いことよな。いや、素直に詫びよう。儂は《ムーサ九神》の力を舐めていた。それ故の敗北よ。此度は引こう。必ずや、ヘリコン山は、そしてオリュンポス山は、我が手に収めるがな」
背を向け、辛うじて息のある配下の者達に声をかけながら引いていくマルスモン。そのあまりに無防備な様に、思わず、といった調子でエラトモンが声をかける。
「私達が今、アナタ様に襲いかかるとは、思わないのかしら?」
だがそんな声に、軽い笑いと共に答えが返ってくる。
「《叙事詩》の召喚が再度できるのであれば、とっくにやっておろうよ。《天文》のあの一撃とて同様。天球儀、か? あれで準備をする必要があるのだろうて」
「……まだ、私がいますけど?」
「《独唱歌》の。貴様は竪琴と声で音の壁を作り、技の余波を防いでいただろう。それに戦いの最中も、儂や配下どもの技を正確に防いでおったろう。それにかなりの力を使ったように、儂には見えるがな」
背を向けながらもそういうマルスモンの見立ては、どれも正確だった。返す言葉もなく、カリオペモン達は首を振るしかなかった。
そんな様子をまるで見ていたかのように、マルスモンは言葉を告げる。厳かに。そしてどこか、楽しそうに。
「アポロモンに伝えろ。次は直接闘いに行く、と」
「……確かに、承りました」
その言葉には振り返らず、静かに領地を歩いていくマルスモン。その姿が、たとえ全力を使い果たしたという後であっても、このエリアの最高峰たる十二神が一柱としての威厳が、確かにそこにあった。
そんな姿を目にして。カリオペモン達は、自領へと去っていくその背中に、自然と頭を垂れていた。
●
エレウテル丘周辺を少々見て回った、その帰り道。
カリオペモン達は、疲れ切った様子で、しかしどこかやり切ったという達成感を滲ませながら、雑談に興じる。
「流石はオリンポス十二神が一柱……とんでもない強さだったわね」
「本当よぉ、ウラニアちゃんの一撃で怪我らしい怪我もなしって……それで力を使い果たしたとはいうけど。本当にもう、信じられない」
姉妹神とされ、その力をよく知るからこそ、マルスモンの尋常でない力を、よく理解できた。もし直接襲い掛かられていたら、などと考えたくもなかった。
もちろんそのための、カリオペモンの準備ではあったのだが。
「他の十二神の方々とも、直接闘ったことは殆どないけれど、まぁ、同じようなことになると思った方が良さそうね」
「そうですね……アポロモン様も、無傷でしたし」
ウラニアモンがボソリと言ったその言葉に、カリオペモンとエラトモンは凍りつく。
「え、ウラニアモン、貴方、主人様にこれ放ったの?」
「え、ええっと、アポロモン様がやってみろ、って……でも結局、炎で大気の温度を上げて、光を屈折させられちゃいました。あの方は太陽の化身ですから」
その答えに、カリオペモンとエラトモンは、一瞬言葉を失わざるをえなかった。
「大気の温度を上げて屈折率を変える、ね。言うは易し、行うは難し、のはずなのだけれど……やはりあの方も一柱という事かしら」
そう言うとカリオペモンは溜息をつき、姉妹2人のほうへと向き直る。
「さあ、とにもかくにも帰りましょう。主様も報告を待ち望んでいる筈だわ」
「そうねぇ。私はゆっくりと寝たいわ」
「わ、私はまたカリオペ姉様に物語を聞かせて欲しいです!」
三者三様の言葉を述べながら、自領へ向け歩みを進めるカリオペモン達。
彼女達の、そして《ムーサ九神》の名が、アポロモンの腹心として後世に語り継がれるようになるには、あといくばかの時間が、必要だった。
あとがきらしきもの。
オリュンポス神族の長であり三代目神々の王「ゼウス」と、ティタン神族のエレウテル丘の守護者、記憶の女神「ムネモシュメ」が9夜を共にし、9姉妹神の「ムーサ」達が生まれた。
彼女らはヘリコン山とオリュンポス山に程近いピエリアという地に館を構え、太陽や音楽の神「アポロン」に仕えている。
神々の宴の際にはオリュンポスの山頂へと馳せ参じ、アポロンの奏でる竪琴に併せて歌を紡ぐ。
詩人や音楽家達にインスピレーションを与えるのが、この神々の仕事である。
――志方あきこ「Istoria~Musa~」より引用
はじめましての方も、そうでない方も。
湯浅桐華と申します。Musa―女神達の饗宴―、お楽しみいただけましたでしょうか。
冒頭にも書きました通り、この物語は、もう随分と以前、オリスト掲示板NEXT時代に、オリジナルデジモンで小説を書こう、という企画に投稿させて頂いた作品を改稿したものになります。
当時の原稿は諸事情で殆ど紛失しているのですが、先日このデータは運よく発掘できたので、改稿してみようかな、と思い至った次第です。
結構お気に入りだったのです。ええ。
ちなみに分量は少し増えました。
……嘘です倍以上になってます。やりすぎたネ!
ご存じの方も多いように、デジモンは、昔から各地の神話などをモチーフにした存在がとても多いように思います。
そんな中でも(デジモンに限らず)オマージュ元として扱われることの多いギリシャ神話には、ムーサ、という芸術を司る女神たちがいます。
正確には、実は9人とは決まっておらず、4人などの場合もあるのですが、今回は恐らく最も著名なヘシオドスによる9人の設定を借りた形になります。
オリジナルデジモンではありますが、デジモンにアポロンをモチーフにした存在が居るのなら、彼女たちをモチーフにした存在がいてもよいのではないか。そんな発想に基づいています。
デジモンとして扱う際に一つ魅力だったのは、それぞれ司る分野と持ち物が決まっている、というものでした。
今回はそれを出来る限り活かせるよう、物語を構築したつもりです。
少しでもお楽しみいただけたのであれば、何よりです。
ちなみに、今回改稿している最中のBGMは、上でも引用させて頂いた志方あきこ氏のアルバム、「Istoria~Musa~」でした。
ムーサの女神たちを題材にした楽曲のアルバムとなっており、とても素晴らしい音楽群となっております。
興味があればぜひ。
今回は3柱に焦点を当てましたが、残り6柱にも設定はあったりするので、もしお許しいただければどこかで描ければ、など。
さて、長くなりましたので、この辺で。
少しでもお楽しみいただけたのあれば、幸いです。
それでは、またお目にかかれることを祈って。
オリデジ企画、そーいやあった気がする! 夏P(ナッピー)です。
カリオペの時点で明らかでしたがムーサ9柱だ! 自分は実は4柱のイメージが強かったですが、ギリシャ神話モチーフのデジモンは多くとも、あまり掘り下げられたり物語の軸として使われることも少ないので、オリンポス中心の世界観というだけでもグッと来る。司る属性と持ち物は正直それぞれこんがらがっていたので、ちょいちょいWikipedia頼りに照らし合わせていたのは内緒だ!
主役の彼女ら、究極体なのですね。なんとなく十闘士辺りと同じノリで、究極体は飽く迄も主である十二の柱のみで仕える彼女達は完全体なのかと思っていましたが、マルスモン様の言で究極体と明言された時はえーとなりました。というより一度読み返したら、かなり冒頭の方で姉妹全員究極体だと明かされていたッッ。そしてカリオペモン「それは重畳」口癖なのか実は。
志方あきこのアルバムめっちゃ懐かしいですが、もう干支一周以上前だった。
マルスモンとの軍勢とのバトルというか団体戦、この理詰めで進む感じが実に湯浅さん。そこを耐え凌いだマルスモンは流石というべきか、てかオリデジだけあってしっかり元ネタから連想できる能力や技名にされてるんですね。これ他の六姉妹だけでなく、各柱の軍勢の中に(まだ拾われてない)神話モチーフのオリデジがいる感じでしょうか。元ネタから考えると、この先オルフェウスモチーフが何がしかで出る……?
世界観や元ネタの扱い方がしっかり明確にされていると、こういった楽しみ方もできるな……と改めて思うのでした。
……
…………
………………
オイ。
湯浅さんの作品なのにレオモン族が死んだが!?
それでは今回はこの辺りで感想とさせていただきます。