序 ロードスター/拳銃/芋虫の血のこと
(BGM:えーと、なんか適当に。ほら、あれ、ムーディな? ジャズとかそういうの)
サンセット・ブルーバードの道路はいつになく静かだった。あるいは僕がいつもの喧騒に気づかないだけだったかもしれない。なにしろ、黒のコンバーティブルのハンドルを握りながらも、頭の半分は眠っているのだ。二日前の夜はホテルの一室でコカインの売人の股座を蹴り上げていたし、昨日の夜はマキャルヴィ警部補のクソッタレに取調室で証人の身柄確保に関する法律を教えてやっていたのだ。前に髭を剃ったのが何年も昔のことに思える。熱いシャワーと暖かなベッド。僕はそれを神に祈った。聖書の文句のことを考えるのは睡魔と取っ組み合いをしてる時だけだ。 こちらのそんな願いを踏みにじるように、緑のロードスターは私の家から逆方向の郊外に向けて、癇癪を起こしたハチドリみたいなスピードで走っていた。対向車線のトラックがクラクションを鳴らすのが少なくとも三度、僕の頭を現実に引き戻した。 いい加減に車通りも減り、夜の薄闇の中にロードスターを見失なったかと思った時、通り過ぎたログハウスの脇に緑色の車が止まっているのに気づいた。そのまま100メートルばかり車を走らせ、道の脇に停めた。車を降り、ダッシュボードから拳銃を取り出す。意味もなく拳銃を持ち歩くのは嫌いだったが、この疲れ切った体では殺人犯人相手にボクシングは到底できない。 ログハウスの前までくると、今まで追っていた緑のロードスターを眺めた。これと同じものを僕は前にも見たことがある。あのコカインの売人を蹴りつけたホテルでだ。 建物の脇に回り込み、体を屈めて窓の下に頭を当てた。室内には明かりが灯っており。低いバリトンの男の声とヒステリックな女の声が交互に聞こえてくる。 「やめてよ、本当に知らないんだったら。わたしはあの男がそんなことしてたってことすら…」 「嘘をつくな。おめえはこの三年間、シェリダンの女だった。あの野郎が俺たちのコカインを黙って持ち逃げしようとしてたことに、気づかないはずがねえ」 女のヒステリーに拍車がかかる。 「“シェリダンの女”ですって! 言っておくけど、最初の半年を除いたらあの男とは家の中で顔を合わせたこともないわ。あいつがまだあんた達みたいなゴロツキとつるんでると知ってたらなおさら…」 女の言葉はどんどん甲高くなり、何を言っているのかもわからなくなった。そろそろ潮時だと僕は思い、玄関に回り込んだが、遅過ぎた。銃声が夜の闇に響いた。私はドアを開け、部屋の奥に進んだ。もうノックは必要ないだろう。 部屋の奥には、血だまりが広がっていた。頭に穴を開けた男が倒れている。彼はもう、ギャングの威光を借りて自由に駐車違反をすることもできないのだ。 リボルバーを持った女は、部屋に入って来た僕に気づくと明るい声をあげた。たった今男を一人撃ち殺した女にしては、彼女はあまりに美しかった。 「サナエじゃない! あんたが来てくれて助かったわ。この男、私がギャングのコカインを隠し持ってるなんて言うのよ」 「それはスレイターのところから盗まれた、三万ドル分のコカインのことか?」 自分の境遇に、或いは美貌に見合うだけの優しさを僕が見せなかったのが気に入らなかったのだろう。女は不機嫌そうに口を尖らせた。 「そんなの、私が知るわけじゃないじゃないのさ」 「いいや、僕は知ってると思うね」そして、男の死体に目を向けた。なんのためらいもなく、五発撃ち込まれている。女のリボルバーの弾倉には、入っていて一発ということだ。 「随分殺し方が手慣れているな。無理もないか、この一週間で他に二人も殺してるんだから」 女が銃を僕に向けるより早く、僕は女の手めがけて一発撃った。血飛沫が飛び散り、悲鳴が上がる。手を撃ち抜かれた状態で見てみると、そこまで美しい女だとは思えなかった。 「もう諦めた方がいいぜ。コカインと一緒に自首すれば、警察もいくらか優しくなるさ」大量のコカインという証拠があれば、グレアム警部はスレイター・ギャングを永遠に葬ることができる。もっとも、それだけで三人殺した女が電気椅子を逃れられるとは思わなかったが。 「どうしてこんなことするのよ!」止血のためにハンカチを持って近寄る僕に、女は叫んだ。 「私だって、好きでやったんじゃないわ! 仕方なく…」 「仕方なく? 君の足元に転がっている男は君をまだ痛めつけようとはしていなかった。他の二人もそうだったんだろう。そのうちの一人は、僕の友達だった。虫も殺せないような男だ」 女が僕を睨みつける。 「ハルカワ・サナエ、とんでもない冷血男ね。あんたの手に噛み付いたら、何色の血が流れるかしら」 「きっと赤いさ。あんたの血だって、ちゃんと赤いぜ」 外からサイレンの音が聞こえて来た。僕はため息をつく。依頼人に、この女の母親に事の一部始終を語るという大仕事が、まだ残っているのだ。

あとがき(当サイトの前身となる掲示板に掲載したものを抜粋)
どうも、マダラマゼラン一号です。「木乃伊は甘い珈琲がお好き」第一話を読んでくれた皆さん、ありがとうございます。
どうしてわざわざミイラを木乃伊と漢字表記するのか? 作中で執拗に漢字で書かれる珈琲はカタカナじゃダメなのか? 前作「六月の龍が眠る街」といい、どうしてこう長くてまどろっこしいタイトルなのか? 気にしてはいけません。なぜなら意味なんてないから。
昔から、ミステリーが大好きでした。小学校の頃はシャーロック・ホームズやポワロに憧れ、中学に上がると憧れの対象はフィリップ・マーロウやリュウ・アーチャーといったハードボイルドなヒーローに移りました。
そんなわけで、ハードボイルド・ミステリを昔から書きたいと思っていたのです。というか、書いてました。実際、この作品のプロローグの春川くんの夢のシーンの文は中学二年生の頃に書いていた小説を殆どそのまま持ってきたものです。ああいうのを、大真面目に延々書いてたわけです。思い出すだにイタい。
しかし、自分の中で納得のいくものはいつまで経っても書けませんでした。昨年デジモン小説を書き始めてからも、ハードボイルド感、ミステリー感を作品の中に出そうと奮闘してきましたが、なかなか上手くいきません。もう自分にはミステリーは無理なのかと半ば諦めていました。
そんな矢先、Twitterでデジモン小説の先輩であるぱろっともん氏(現在nextで「それは悪魔のように黒く」を連載なさっています)に僕をモチーフにしたキャラクターを「それは悪魔の~」の世界観で作っていただくという機会がありました。
そして出来上がった設定を見てびっくり仰天、そこに居たのは、学校そっちのけで喫茶店に篭ってミステリーを読み耽り、全く向いていないことを自覚しているにも関わらず探偵を自称するアイタタタな少年でした。そのまんま高校の頃の僕です(流石に高校で自称探偵はしてない。中学まで)。
そして、僕の高校生活の実態を見抜いてしまったぱろっともん氏の慧眼に恐れ慄くと同時に、「これなら書ける!」と思いました。ハードボイルドな探偵は書けなくても、ハードボイルドになりたいズッコケ高校生なら書けると。そうやって生まれたのが本作の主人公、春川早苗君です。
また、ぱろっともん氏の許可をいただいた上で、パートナーのマミーモンやキーキャラクターの喫茶店のマスターなどのキャラも氏の作った設定から頂いております。しかし、本作の世界観は「それは悪魔の~」とは異なるものですので、ご了承ください。
長くなりましたが、僕の趣味と苦い記憶と黒歴史を詰め込んだ作品になっております。今回は導入で終わりましたが、次回から本格的にミステリーが展開していくので、皆さんも春川君と一緒に謎に挑んでいただけたらと思います。