この臭いを間違えることがあろうか。
地平線まで広がる荒野で不意にぶち当たった臭い。それにこれという目的もないままに歩くばかりだった身体が一瞬びくりと硬直し、次いで身体中の神経が震えるような感覚に襲われる。むしろ、この時のために今の今まで歩いてきたと言った方が正鵠を射ているかもしれない。
この時をどれほど待ち望んだことか。
風に運ばれてきたのは、己のデータに底なしに深く刻み込まれた奴の臭いだ。どこまでも憎き奴の。
逸り奮い立つ心を抑えんと、その場で大きく地蹈鞴を踏む。焦るなと己に言い聞かせる。しかし興奮は鎮まる気配を見せず、むしろ出口を求めて体の中を暴れ巡る。衝動を抑えることができず、猛るがままに一声大きく咆哮を上げた。浩々たる荒野の只中で、俺はここだと宣言するかのように。大気が痺れたかのように震え、そのことが恍惚となるほど心地よかった。その瞬間だけ、世界の中心に立ったような気分だった。
そうして、ようやく一つ息をつく。興奮に心は熱されたままだったが、衝動の波はひとまず抑えられたようだった。幾らか冷静になった思考回路で頭の中を整理する。
臭いを捉えられたことを経験則に当てはめると、奴はそう遠くないと考えられた。少なくともこの荒野で今の咆哮が聞こえない位置にいるということはないだろう。互いに互いの存在に気づいているという前提を立てる。恐らく互いの正体にまで。
聞こえたからといって即ち逃げられるとは思わなかった。奴はそのような存在ではないという確信があった。俺が奴を追い求めるように、奴も俺を倒そうとするだろうという確信が。
互いに相見え、そして戦い合うことを望んでいる。シチュエーションとしては文句なしだった。まさに望むところだ。想像するだけで居ても立ってもいられず、まだ少し落ち着いていろと己を右腕で殴りつける。些か冷静さを取り戻し、そして俄然やる気が満ちる。待ちに待ち、探しに探した機会を前にして、勢い込まずにいられる道理が無い。
闘志が滾り、覇気が漲る。敵愾心が燃え盛る。やはりじっと立っていられない。憎き憎き奴を思うと、そこにないはずの右目が張り裂けんばかりに痛む。
憎悪の念を力に変え、復讐の誓いを闘気と成す。痛みも志気のスパイスだ。抱く感情と感覚の全てを混沌とした坩堝に放り込み、そして戦いのためのエネルギーとして出力する。己の全てをこの時に懸ける覚悟があった。
もう一つ、咆哮を上げる。明確な意志を乗せて大気を震わせる。伝わっているかはどうでもよく、ただこの沸き立つ意志を己に刻み込めればよかった。それで上等だ。
そして駆け出す。衝動のままに。
「レオモン……倒す!」
サイクロモンとしての全てを賭して。
*
「『ハイパーヒート!』」
「『獣王拳』!」
高熱線『ハイパーヒート』を放つと同時に、レオモンの拳から闘気の塊が放たれる。互いが空中でぶつかり合い、辺りが激しい爆発音と閃光に包まれる。濛々と煙が舞い上がり、視界がまるで塞がれる。
しかしそれに怯んでいられる状況ではなく、そして固より煙が晴れるのを待っていられる性分でもない。忘れようもないあの気配さえ捉えられれば充分と、視界の塞がれた只中へと突進する。
あわよくば視界が利かないのを利用して不意を打てればとも思ったが、しかしそう上手くはいかない。煙の中、殆ど第六感で危機を覚え、咄嗟に何か迫りくるものをかわす。何が危険なのか、一体何故そう感じたのかなど考える余裕はあらず、ただ何かが危険だと信号を発した己の勘に従って身体を捻る。直後、顔のすぐ隣を獣王拳の熱気が行き過ぎた。熱気にテクスチャの焦げる臭い。何もしないでいれば直撃は免れえない軌道だった。
それに安堵の息を吐く暇はない。体勢は些か崩れてしまったものの、ここで攻撃をかわしたということは相対的に有利なのはレオモンでなく自分だ。せっかく相手の算段を狂わせたのだ、まだ充分に残っている余勢を今駆らずにいつ駆ろう。
気配は近い。姿は見えないが、おおよその見当をつけて思いきり右腕を振り上げる。この時のためだけに強化されたと言っても過言ではないこの腕を。
「『ストレングスアーム』!」
直前、一瞬目視するに叶った影に向かって真っ直ぐに。当たらないはずがなかった。
しかし聞こえるは肉体を貫き通す音でなく、爪が何かに受けられる硬い音。見遣れば彼の刀『獅子王丸』で攻撃が受けられていた。
しかしこの強化された腕からの重い一撃、易々と受けられるとは思えない。さしものレオモンといえど、刀一本で止めきれる攻撃でない自負はあった。
レオモンもそれは知っているはずだ。――つまり。
一瞬の判断でサイクロモンは自ら勢いを逸らし身を転ばせる。自ら攻撃の手を弱める。レオモンに攻撃を受けきられることを危惧してではなく、勢いを利用し受け流されるのを嫌って。
予見は正しかったらしく、瞬時の後に獅子王丸がいなす所作で翻り、素早い一撃が返される。しかしサイクロモンは転びにいった勢いで尾を振るい、その一撃を薙ぎ払う。あわよくばレオモンまで薙げればと思うも流石にかわされる。金属化された尾が空を切る。
即座に受け身を取り、一度レオモンから距離を取らんと後ろに数歩駆け下がる。体勢を立て直す。レオモンも追撃を仕掛けるでもなく、一歩二歩と軽やかにステップを踏み距離を空ける。互いに仕切り直しだ。
煙も既に晴れかかっていた。互いに互いを睨めつける。視線に含まれるは、闘気、憎悪、殺意、――諦観。
「どうしても戦わなければならないか」
「戦わずにどうするってんだ」
やにわにレオモンから投げかけられる問い。それに対して即座に返す。
「お前だって戦わなきゃならねぇってことはわかってるはずだろ?」
「だが……しかし」
「しかしも糞もねぇ。俺はレオモンに右目を潰されてんだ。それだけで充分だろうが!」
何を今更と怒りが募り、右腕で大地を思い切り殴りつける。砂煙が巻き立つ。
風に流れた砂煙を払う仕種を見せながら、しかしレオモンは煮え切らない様子を見せる。
「レオモンとして、私はお前と戦わなければならないのかもしれないが。しかし、お前もわかっているだろう。私も、そしてお前も――」
「それがどうした」
レオモンの声を掻き消すように、声を張る。その理屈はわかっている。わかった上でだと宣言するように。
「お前は逃げなかったじゃねぇか。戦わなきゃなんねぇって感じたんだろう? 本能がそう言ったんだろう? だったらそれでいいんだよ、それで充分だ。所詮俺たちは植えつけられたデータに正直にしか生きられねぇ生き物なんだからよ!」
なおも何かを言わんとするレオモンを無視し、大地を蹴る。一気に距離を詰めにかかる。今ここでハイパーヒートを撃ってもどうせ当たらない、ならば単純に殴りかかりに行くだけだ。
まだレオモンは微妙に心の決まらない表情だったが、一気に接近してくるサイクロモンの姿に覚悟を決めたようだった。応じるように獅子王丸が鈍く光る。
そうでなければ。思う。そう来なければやっていられない、やっていけない。
すぐに腕の攻撃圏内に入る。右腕を大きく横に振り、そのまま打ち付けると見せかけて身体を回転させる。尾を横薙ぎに払う。金属の弾かれる音が響き、獅子王丸に受け流されたことを知る。関係ない。そのまま回転する勢いに乗せて巨大な腕を更に振るう。
しかし軌道を読まれる。宙に跳躍してかわされる。そのまま防御の行動が追いつかないうちに、獅子王丸の一撃を右腕に浴びせられる。鮮血が舞う。
「……そう来なくっちゃなぁ!」
血の臭いすら原動力だ。幸い傷は深くはない。怯むことなく右腕を更に振るうが、しかし素早く距離を取られ、宙を振るっただけで終わる。
ここで距離を取り直すのも一手ではあったが、ただ一撃を与えられたまま仕切り直すことは自尊心に少なからず傷を付ける。そして一旦退いて状況が好転する保証もなく、その機を狙われている可能性もある。
判断は一瞬で済ませた。口内にエネルギーを溜める。そして一息つく暇も与えずに撃ち出す。
「『ハイパーヒート』!」
熱線が吐き出され、爆音が上がる。確実に避けられるタイミングではなかった。撃つタイミングを早めた分威力こそ抑え目になったが、それでも無傷という訳にはいかせない。どのような状態なのか立ち上る煙に隠れ判然とはしなかったが、追撃をかけるべくもう一度駆け出す。
煙が晴れだす。レオモンはそこに立っていた。腕から少しばかり血を流してはいるものの、熱線の直撃を受けた感は見て取れない。
「……直前にでも『獣王拳』で相殺したか。やっぱりやる気じゃねぇか!」
「私もみすみす死ににいくような真似をしたいなどとは思っていない」
挑発気味な声をかけると、いやに冷静な声が返ってきた。この追撃は悪手だったかと思うが今更やめられるものでもない。
走りながら口を大きく開ける。そして右腕を構える。『ハイパーヒート』はそう連発の利く技ではないが、ブラフとして少しでも惑わせられれば御の字だ。レオモンが獅子王丸を構えるのを一瞬逡巡したらしいのを見逃さず、さらに勢いを乗せて猛進する。腕を振るう。
刀と爪が触れ合う。硬いものがぶつかり合う音が響くが、音質は軽い。音に力が無いのは、腕に元から力を籠めていないからだ。
判断が一瞬遅れたにしろ、受け流すくらいはできると踏んだのであろうレオモンの裏をかく。流せるだけのエネルギーは端から腕には籠められていない。
そのままスパイクの生えた肩に全力を籠めて、思い切り体当たりしにいく。ありったけの勢いを乗せたタックルをぶつける。復讐も敵も、そして己が設定をも、全てを打ち砕かんとする意思の下に。
――そして。
地鳴りのような響きと共に、砂煙が濛々と立ち上った。
*
「……勝負あったな」
そう言うレオモンの獅子王丸は正確にサイクロモンの喉に目がけて今衝き立てられんとしており、サイクロモンは仰向けに転がってただそれを甘受するだけだった。転がりながら、元から望みのある賭けではなかったのだろうと思う。
体当たりの威力はレオモンには到底耐えられないほどである自信はあった。しかし代わりにレオモンと比べればあまりにも自身は鈍重だった。それでも、惜しい線までは行けていたとは思うが。
動揺させることまではできたが、あと一歩足りなかった。この身体はレオモンの尻尾を掠めるくらいはできたのだろうか。感覚が無い。
体当たりはかわされた。目標を失い完全に体勢の崩れたところに、まず獅子王丸の一撃をもらう。右腕が使い物にならなくなる。焼けるような痛みが走るが、しかし一瞬でもその痛みに気を取られたのが腹立たしい。そのまま起き上がる間も与えられないまま、喉元にいつでも下せる死の宣告をぴたりと突き付けられた。その一手に身動きを封じられた。反撃をしようにも、あらゆる一手がレオモンに届く前に、獅子王丸がその芽を切り払う。
詰みだった。それを客観視できないほど冷静さを欠いてはいない。
「やるなら一思いにやれ」
せめてもの矜持とばかりに、低い声で言う。声は震えない。仕掛けたのは自分だ、この結末を認められないと駄々を捏ねる資格もない。
しかしレオモンは動かない。微動をも許さない鋭い緊張感をもって獅子王丸を喉元に衝き立てんとしながらも、しかし最後の一手を打とうとしない。
「これで勝負があった。そうだろう?」
獅子王丸を直下に下す代わりに、レオモンは問うた。それにどうしようもないほど苛立たしい感情が湧き上がる。ここまで来てまだ手を下さないというのか。
「やるならさっさとやれって言ってんだろうが! 殺すぞ!」
怒声を放つが、しかしレオモンの表情は難しい顔のまま動かない。
「……提案がある」
少し逡巡するような様子を見せながら、レオモンは言葉を続けた。
「ここで勝負があったということにしよう。私が勝つという決着が付いた。――それで満足しないか。ここで敗北を飲んで見逃されてはみないか」
「――手前ェふざけんな!」
反射の域で哮る。勢いに獅子王丸が喉に浅く刺さり、血が首を伝う。しかしその感覚も何も今はどうでもいい。
「俺はレオモンに片目を潰されてんだ。そのレオモンと戦って負けて、そのまま引き下がれだぁ? どういう口してたらそんなこと言えるんだケダモノさんよぉ! そんなことするくらいならここで今殺される方がお望みだ。殺せよ、さっさと殺せっつってんだろ! もう片目潰してんだ、今更何を躊躇うことがあるってんだ!」
右目の仇を前にして諦められる道理が無い。復讐を果たさぬままの敗走を忍ぶくらいならば、復讐に走って散る。復讐を果たすためだけに生きてきたというのに、ここで逃げの辛酸を舐められるはずがない。それはレオモンも知っているはずだ。
サイクロモンが復讐に向かってしか生きられないデジモンであるということくらい。
「……私が、お前の片目を潰した、か」
「そうだろ」
「そうであるかもしれんがな」
何かを含むような言い方をし、レオモンは一旦口を閉じた。何が言いたいと返すより前にしかしレオモンが再び口を開く。
「お前もわかっているのだろう? 本当は気づいていて、直視していないだけなのだろう? 自身の誤りに」
「俺は何も間違ってねぇよ」
「本当にか?」
「ああ」
「誓ってか?」
「何度も言わせんな。殺すぞ」
レオモンはその言葉には何も返さず、代わりに大きく一つ嘆息をついた。諦めの混じった、しかしまだどこか諦めきれないような風情で。
「……まったく、生きにくい世界だ。生かしにくい世界だ。こんな雁字搦めの世界に一体誰がしたのかと思うよ」
不意に誰にともなくそう呟くと、レオモンは視線を確とサイクロモンの方に向けた。
「最後だ。はっきりさせておこう」
最後か、或いは最期か。レオモンはそう切り出した。
「私はレオモンだ。レオモンは確かにサイクロモンの右目を潰した。それはサイクロモンであるお前は勿論知っていることだろうし、レオモンである私もまた知っていることだ。そこで、しかしだ。私という一個体としてはの話をすると――」
そこで言葉を掻っ攫う。まどろっこしい。
「――お前がサイクロモンに出くわしたのは、俺が初めてだって言いたいんだろ?」
一瞬レオモンの見せた怯むような表情が小気味よかった。戦い方見てりゃあわかると小さく付け足す。
「……わかっているなら、なぜ」
「訊く必要なんざねぇだろ。そりゃあお前もわかってることのはずだろ。わかってるならお前こそ何で訊くんだって話だろうが」
「しかし」
「だからしかしも糞もねぇって言ってんだよ、物わかれ! わかった上でこうなんだ、わかっててもこうしねぇと生きていけねぇ種族なんだよ俺は!」
堪えきれずに怒声を上げる。しかししかしと据わりきらないレオモンの腰に業腹な思いが沸騰する。
「もがいたって何にもならねぇ、自分を否定して辛いだけだ。だったら諦めねぇと仕方がねぇだろうが! 俺がサイクロモンだってことを否定したらそりゃあ俺が俺自身を否定するってことになるんだ。俺を否定して俺が生きてける道理があるかよ!」
わかっている。しかしだからといってどうしようもない。サイクロモンである限りこの軛から逃れることはできない。
「俺だってなぁ!」
上げる声が止まらなかった。――誰かに聞いてほしかったのかもしれなかった。
「レオモンに出くわしたのはお前が初めてなんだよ!」
*
成長期から成熟期への進化の瞬間は今でもよく覚えている。
ガジモンからサイクロモンへと進化したあの瞬間の充足感。満足感。漲る力は成長期の頃とは桁が違った。眼前の敵など例外なく薙ぎ払えるという自信に満ち満ちていた。望みに望んだ進化に舞い上がるような気分だった。
しかし、違和感もあった。これまでの自分にはなかった感情が頭の中に巣食ったような感覚が離れなかった。誰か、何者かに対する恨みのような。
(――レオモ、ン?)
無意識のうちに浮かび上がってきた単語は、知らないデジモンの名前だった。知らないはずのデジモンの名前だった。
それなのに、どうしてこうもリアルにイメージできるのか。まるでずっと前から知っていたかのように。昔からずっと追い続けていたかのように、求め続けていたかのように。
まるでレオモンを倒すためだけに生きてきた存在であるかのように。
一度気づいてしまった復讐心に宿った火は爛々と燃え、消そうとも思えないほどに赤々と輝いて。どこを見ていようともその火が常に視界に入ってくるかのようだった。
それに対して、――ああ、こういうデジモンに進化してしまったのだなと。
ただそう諦観するだけだった。
初めから存在しない右目は、そのレオモンという輩に潰されたものだと設定され。
初めから醜いほど巨大な右腕は、そのレオモンという輩を倒すために強化したものだと刷り込まれ。
憎い憎いと憎悪の念を植えつけられ、ただひたすらにレオモンを倒すことを求める存在に変容せしめられ。
それでもしかし、自身がサイクロモンである以上それは事実であり、焼き付けられた記憶だった。どう生きてきたかということに関わりなくそう設定されたのだとわかっていながらも、それが自分だと納得しなければならなかった。
サイクロモンとしての設定を甘受しなければ、どうしてサイクロモンとして生きていけよう。この設定まみれのデジタルワールドで。設定なくして存在を確立させることもできないというのに。
せめてあくまでサイクロモンとして、この世界をせいぜい楽しく生きるしか。
ならば。どうせならば。最後まで。
――最期まで。
咆哮を上げて、レオモンの元へ駆けた。
サイクロモンでなければどうしてそれを望んだだろうか、などと考えても仕方がない。イフの話をしても現実にイフは通用しない。サイクロモンとして望んだのだから、それは自身が望んだことだ。自分はサイクロモンなのだから。それが確かな現実だ。真実だ。
初めて出会うレオモンの姿を思い描きながら、やはり相手も初めてサイクロモンに出会うのだろうかなどと考える。
しかしどうであろうと関係ない。レオモンはサイクロモンの右目を潰した。そういう設定なのだから。そういうデータを構成要素として持つデジモンなのだから。
それが事実になり、真実になる。実際に起こったことであるか否かは関係ない、少なくとも自分にとって真実であれば問題ない。自身の設定と乖離しては生きていけない自分にとって。
本能はこれほどまでにレオモンの血を求めている。レオモンの肉体を掻っ裂き、貫き、消滅せしめることを望んでいる。猛りに猛り、己の行動も制御できないほどに逸っている。レオモンの存在を知覚し、その衝動を抑えきれない。
それが自分だ。他の何者でもない。
だから何も悩む必要はない。考える必要もない。自分は自分を生きればいい。自分にとっての真実に正直に。
遠目にレオモンの姿を捉え、神経が一層昂った。間髪を容れず口を開き、エネルギーを溜める。レオモンが迎え撃つ態勢を整えていることを視認する。構わず放つ。刹那、狼煙のように煙が上る。後戻りできない報復が始まる。
それでよかった。
後戻りなどする気もなかった。
*
「お前はレオモンに実際にその目を潰されてはいない。それならその復讐も虚しいものだとは思えないか」
「そう思って生きられるような世界じゃねぇよ。虚しくなんざねぇ。レオモンにこの目は潰されてんだ」
「それはそういう設定というだけだろう」
「それで充分だろうが。俺はレオモンにこの目を潰されたっていう設定で、お前はサイクロモンの片目を潰したっていう設定で、それが俺たちにとって真実なんだろうが。違うなんざ言わせねぇ」
「違いはしないかもしれないが、しかしそれが正しいと思うのか!」
「だから正しいんだよ!」
「お前は……それでいいのか。そのつまらない意地のせいで殺されてもいいのか!」
「そういう風にできてんだから仕方ねぇだろ、俺がどう意地張ろうが俺の勝手だろうが! そういうデジモンなんだ、俺は俺である前にデジモンなんだよ、サイクロモンなんだよ!」
言い募る。どちらが間違っているということではないのは疾うにわかっている。ただ己の主張は曲げられない。死んでも曲げられない。
「俺の人生だ、俺が生きたいように生きるもんだろ! 俺の人生を俺以外の目線で見たって仕方ねぇだろ! 人生を客観視したって仕方ねぇ、俺にとってどうなのかってのが全てなんだよ!」
死線がこれほどまでに近いのに、これほどまでに饒舌になれるのを頭の片隅で不思議に思いつつ、しかし言葉は流れ出るように繋がれ続ける。
「俺にとって、俺の片目を潰したのはお前だ、レオモンだ。だからお前に復讐する。サイクロモンの俺は復讐するんだ。それがサイクロモンとしての設定で、俺が墓場まででも引っ提げてく意地なんだよ!」
すごむほどの勢いでレオモンに対し嚇す。無意識の内に上体が動き、喉に獅子王丸が再び突き刺さる。先程よりも深い。
しかし獅子王丸が深く刺さり、温い血が流れる感覚が首を伝おうが関係なかった。重要なのはそこではなかった。
ほんの一瞬。己の意思に反して深々と刺さった獅子王丸に、レオモンの気が逸れた。
それに迷いなく口を開ける。溜めは最小限でいい、放つことに意味がある。
互いに一瞬の判断だった。レオモンも瞬時後にはサイクロモンの挙動に気づく。あるかないかの判断に迷うほど溜めを短く切り上げた『ハイパーヒート』が放たれる寸前、レオモンは身をサイクロモンの上から退く選択肢を採った。
サイクロモンは素早く起き上がり、レオモンの方を即座に睨む。おおよそ必要ないほどの距離をサイクロモンから取ってレオモンは立っていた。
体勢を整え、臨戦態勢に入る。それを認めてレオモンは軽く息を吐いた。
「……まだ、戦うか」
「決まってんだろ」
「その怪我でまともに戦えると思っているのか」
二度も獅子王丸の刺さった首からは血が止まることなく流れ続けていた。痛みは忘れてしまったのか感じなかったが、致命傷たり得る傷なのかもしれなかった。加え、右肩には大きく刀で切りつけられた傷がある。右腕は無駄に巨大で邪魔な飾り物と成り変わっている。
それでも。
「……関係ねぇな。俺はレオモンを倒す」
宣言する。レオモンに、そして自身に。
「そうか……」
言い、嘆息をつき、レオモンはサイクロモンを睨み返した。迷いの消えた、毅然と据わった視線だった。
――そうでなければ。
「覚悟はできているか」
「できてなかったのはお前だろうが」
そう言いながら、歯を剥いて笑う。せいぜい不敵に見えるように。虚勢を張れるだけの威勢はある。
そして意地がある。
口を大きく開く。接近戦などやっていられる身体ではない。だからといって当たるとも思えない攻撃だが、手を拱いているよりはましだ。既に手を拱くことすらできないが。
一撃を放つ。
――応じられる。
「――『ハイパーヒート』!」
「――『獣王拳』!」
*
この世界を俯瞰した時に、何が正しいのか。何が真実なのか。それは問題でない。
この世界では正義すら改竄される。世界の在るがままに。それは自身にとっての真実についても然りだ。
それを俎上に載せても虚しいばかりで。まるで賽の河原に立つようなことで。
過程を疑ってもどうしようもない。改竄された結果が出力されるのだから、それに過程を適合させなければ矛盾するのは自己だ。
過程が結果を産むわけではない。結果が過程を作りだす。そう認識しなければ生きられない。全てが絶対的ではないということを前提に。
正義も真実も等しく相対的だ。己にとってどうであるかが柱だ。そう生きられなければ現実と精神が乖離し、この世界での敗者として滅される。
だからそう生きるしかない。そう生きなければ最早自分は自分でない。サイクロモンである俺はサイクロモンとして生きなければならない。相対的な真実に基づいて。
ならば、最後までせいぜい意地を張ろう。最後まで意地を張って生きよう。
俺は俺らしく。
最後まで。
レオモンが肉薄する。左腕を振るう。難なくかわされる。獅子王丸が迫る。
かわせない。
それでも、俺は俺らしく。
最後の最後まで。
――最期まで。
どうも、ご無沙汰しております。ナクルです。
サロンへの新規投稿ができなくなることを受けて、何か爪痕をもう一つくらい残しておきたいなと思い、過去作を引っ張り出してきました。
何を投稿させていただこうかなと思案していたのですが、やっぱり、自分の名刺はこれなのかなと。古い作品なのですが、知っていただけていたのならば僥倖です。
古いって言うけどどんだけ古いんだ? と思って遡ってみると、本作は2011年にオリジナルデジモンストーリー掲示板NEXTに投稿した作品のようです。2011年て。太古か。化石か。
読み返してみると校正したいところがあったりあったりあったりするのですが、敢えてほぼ当時のままで投稿させていただいております。何の因果か、ラジオドラマ化していただいたりしちゃってる作品なので、当時の空気感を残しておきたいなという思いもあり。
なのでちょっと恥ずかしかったりするわけなんですが、まあ、若さということでひとつ。
爪痕を残すっていうのにはちょっと投稿時期がまだ早くないか? と思われるかもしれません。これには理由がありまして。
ちょっと僭越ながら宣伝をさせていただきたく。
というのも。
デジモン創作サロンへの新規投稿の停止が発表されたことを受けまして、後継となるサイト『オリジナルデジモンストーリー投稿サイト スクルドターミナル』を立ち上げました!
本格運営は4月1日から、既発表作品は3月1日から投稿解禁のスケジュールを予定しております。
こじんまりとしたサイトとはなりますが、みなさんと楽しくデジモン創作ができる場になればと思っていますので、よろしければ覗いてやっていただければと思います。
詳細は下記から!
宣伝失礼いたしました。
それでは、デジモン創作サロンへの新規投稿期間はあと1か月余りとなりますが、引き続きどうぞよろしくお願いいたします。
叶うならば、新天地でもまた相まみえられますよう。
ではでは。
ナクルでした。