死んだように静まり返る、とある都市の一角。
私はそこにある建物の一部屋で、独り狙撃銃を組み上げていた。
「……っ」
側頭部に感じる鈍痛に漏れそうになった声を噛み殺し、苦鳴の代わりとばかりに垂れる血を拭う。血の量は大したことが無いし、眩暈もしない。だから問題ないと、そう断じる。体だって細かい傷に溢れているけど、そんなものはかすり傷以下だ。
ごめんなさい、ごめんなさいと、幾度も謝罪を頭の中で繰り返しながら。
数刻前までは人で溢れていたはずのこの建物も、あるのは噎せ返るような血の匂いだけで、既に人の姿はどこにも無い。隠れるには好都合だが、私がもう少し早く着けていればと、思わず唇を噛む。
だって、この街に人がいないのは。
この街の防衛戦力も、住民も、全部、全部全部全部。
デジモンに『喰われて』しまったからなのだから。
それも、人間より少し大きなだけの、たった一体のデジモンに。
たとえ一人であっても、無理でも無茶でも。私は彼らを守らなくてはならなかった。
助けなくてはいけなかったのだ。
それが私――D.C.H本部主席戦闘官、篠宮天音の仕事で、義務なのだから。
「……よし」
組み上がった狙撃銃に問題無いことを義眼でモニタリングし、銃を置いて床に寝転がってレンズを覗く――いや、銃と私をリンクさせる。
戦闘補助システム、限定起動。
味覚及び嗅覚の処理を遮断、高速演算機能を優先。
高速演算機能、測定機能、共に異常なし。
狙撃体勢、オールグリーン。
一瞬のブラックアウトの後、再び開かれた視界は通常のものとは大きく異なっていた。
拡張された視界に映るのは、狙撃に最適化された世界。風速、温度、湿度……その他狙撃に必要な情報の一切が表示されると同時に、私の頭へと組み込まれる。
そして最適化された視界の先に捉えたのは、一体のデジモン。
紫の仮面に光る三つの紅い瞳、ファーのついたジャケット、手に握る二丁拳銃。
そしてなにより、血に濡れた口元は、この街を喰い尽くしたその証。
「……ッ」
赫怒、罪悪感、憎悪。
狙撃の邪魔になる感情を無理やり抑え込んで、表示される弾道予測に集中して。
私は、引き金に手を――。
○
今から考えれば、それは文明の爛熟期とも言えただろう。
量子コンピューターやAIの進化によって、人々の生活は飛躍的に発展し、進歩していった。
義肢技術の発展も、その一つだった。機械技術や生体研究の進展によって、自在に動く義肢、或いは体内器官の機械への代替は、もはや机上の空論ではなくなっていた。
――だが爛熟したものは、やがて腐り落ちる運命にある。
特殊電脳生命体――通称、デジモン。
それは、人類が技術的発展を遂げていく中、突如として現れたある種のコンピューターウィルス……そして、それにより変異させられた『モノ』の名だった。
その特異なウィルスは、義肢や機械のコアに感染すると、接続されているものを変貌させ、後に『デジタマ』と呼ばれる形態をとった後、異形の『モンスター』へと生まれ変わらせるという常識外れの代物だった。
だが何よりも最悪だったのは、そうして生まれたデジモンはありとあらゆるモノを喰い、より強力な形へと姿を変える――『進化』する、という特徴だった。
初めて現れた当時、暴威を振り撒くその異形に、当時の技術の粋で対処に当たったものの、それらは瞬く間にデジモンへと変貌させられるか、あるいは捕食されていった。
そして義肢を導入していた人々や市中の様々な機械へも、『感染』は広まっていった。
その結果、地上は瞬く間に荒廃することとなる。
人々はデジモンの脅威から逃れるため、既存のネットワーク網は廃棄。災害対策用として建設が進められていた地下都市へと逃げることを余儀なくされた。
そうして地上は、地下で必要な電力や様々な資源の確保のために築かれた小規模なコロニー、『地上街』を除いて、デジモン達の支配圏となった――。
●
「……うん、滑り出しはこんなところかな」
主席戦闘官の仕事の一環として行うことになった、電力のための地上街、『東京電力街』のうちの一つへの慰問。そこで開かれることになっている、『地下の生活と地上街』という題目の講演会で喋る内容をファイルに纏めながら、私は一つ伸びをする。
本部の主席戦闘官とは、特殊電脳生命体対策本部――D.C.Hの実働部隊トップだけれど、意外とこういう仕事もあるようだと、就任してから学んだ。
「さ、お仕事お仕事」
少し面倒だと思わなくもないけれど、それが仕事なら粛々とこなすのみ。ため息をついてから原稿の編集を続けようとした、のだけれど。
「……体内通信、それも緊急回線?」
ウチの班の分析官からの緊急通信。事務仕事が後回しになるのを予感しながら、すぐに頷く動作で通信を繋ぐ。
『お休みのところ申し訳ありません、篠宮主席』
「いや、どの道仕事中。それより何かあったんでしょ、中野クン?」
『はい。先ほど、第二電力街の防衛班から救援要請が』
告げられた内容に、一瞬思考が止まる。だってそこは。
「それ、今度……!」
『はい。主席が向かうことになっていた電力街です……あの、他人事でないのは承知していますが、急を要しますので続けても?』
「ああ、うん。ゴメン、続けて」
そう言うと即座に執務卓を立ち、出動準備室へと向かう道を歩き始める。本来待機中でない私に連絡が来るのだから、そういうことなのはまず間違いない。知らず、私の足は駆け足になっていた。
『十五分前、第二電力街の防衛室から救援連絡が入りました――』
●
中野クンからの連絡は、詰まるところ最悪と言ってもいいモノ。
防衛室から救援要請が入るも通信は途中で途絶。電力街設備のモニタリングカメラなどを見る限り、デジモンの姿こそ確認できないもののかなりの被害状況にあるのは間違いない。
そして何より気掛かりなのは。
「……襲撃発生から三十分経つけど、カメラの類に人が映らない、か」
言うまでもなく、デジモンは人を、機械を、全てを喰らい、進化する。人が映らないと言うのなら、それは多分……。
『もう少しで電力街が見えてくる筈です』
「……ん。了解」
繋いだままにしてある体内通信から聞こえた中野分析官の声に軽く頭を振って嫌な想像を振り払う。今は地上をバイクで疾走中。考え事なんてしてるべきじゃなかった。
『それにしても主席、恐らく究極体級相手にお一人なのですから、無理はなさらず』
「大丈夫。第二戦闘班の到着まで粘ればいいんだから、私のスタイルならやりようはあるよ」
『トラップを仕掛けつつ移動し、相手を狙撃……ですか』
「そゆこと。一人ならそれが最適でしょう?」
要するに撤退こそしないけれど、一種の遅滞戦闘だ。そしてそれができると判断されたからこそ、緊急とはいえ単独出撃が許可されたワケだ。とはいえ本来なら、私は第一戦闘班を預かる身。いつもならあと二人、戦闘官がいるのだけれど。
「リリィは技研で試作機能の搭載実験中。タカの方はこないだの骨鳥……ベルグモンだっけ、あれに体を抉られ義肢修復中。そんな中、ウチしか即応できる班が居ないタイミングでこんな大事なんて……全く」
『……お察しします。第二戦闘班の岩澤班長も、状況を処理次第すぐ向かうとのことですので』
「ん、分かった。カズ達に、アテにしてるから早く来いって伝えておいて」
『了解です。間も無く電力街ですが、未だ対象の反応は街の中、に……』
不自然に、中野クンの声が途切れる。
「中野クン?」
『対象、猛スピードで移動中! 移動先は……まもなく接敵!』
その言葉に、急速に意識が切り替わる。彼の言葉には答えずにアクセルを握りながらも前を見据える。すると。
「――、デジモンが、バイク?」
思わず、間抜けな声が漏れる。
乗り物に似た姿のデジモンこそ、いくつも確認されている。だがそれでも、デジモンが乗り物を乗りこなしているなんて前代未聞だ。
けれどそんな衝撃もすぐに吹き飛んだ。明確にこちらを認識し、意図的に加速した紫色の仮面に金髪のデジモンは、ハンドルから手を離すと何かを取り出し、こちらへと構える――銃口の二つついた、巨大な銃を。
「――!!」
爆音とともに跳ね上がる銃口。猛スピードで進むバイクでは、もはや回避は不可能だ。
僅かに顔を反らして躱すも、掠ったせいで脳が揺れ、一瞬意識が闇に落ちる。一瞬でも、それは致命的だった。
あえなくクラッシュして、地面の上を無様に転がる。その刹那、モンスターマシンを操るデジモンとすれ違った。
一瞬の見間違いかもしれない。だけど確かにそのデジモンは、私を見てニヤリと笑みを浮かべていたような、そんな気がした。
●
そして私は即座にを立て直し、義肢のリミットを外して全速力で撤退、電力街へと逃げ込んだ。
だがそこに人の姿はなく、夥しい量の血、破壊の痕跡、それのみしか残っていなかった。
つまり第二電力街は壊滅。だがそれを成したデジモンはまだ生きて、こちらを追ってきている。
だから私は息を潜め、残ったトラップを仕掛けながら逃げ回り、建物の一角に潜伏した。
この大惨事を引き起こした原因を、倒すために。
愛しい弟の望む、正義の味方であるために。
○
引き金に手を掛けようとした、その刹那。何故かこの街へと向かうまでのことが一瞬にして頭を過った。思わず、引き金を引く手が止まる。
対象消失。
捜索および再計測を推奨。
一体何がとか、どうしてとか。そんなことを考えている余裕は無かった。
項が粟立つ。カンと呼ぶしかない感覚に従って銃を放棄し思いっきり地面を転がった次の刹那。天井を崩して現れた何かが、さっきまで私のいた場所を、黒く禍々しい長靴で踏み抜いた。
『主席!?』
「大丈夫、無事……はは」
『主席、何を』
「いや。走馬燈って本当に見るんだな、ってさ」
冷や汗を拭いながら立ち上がり、巻き起こる粉塵の向こうの影を見据え、構える。そこにいるのは、考えるまでもなく人より一回り程の大きさしかない、けれど危険極まりないデジモン。粉塵の煙幕の向こうで、紅い瞳がこちらを向く。まるでまだ生きているのか、とでも言いたげに。
「距離、500はあった筈なんだけど。つくづく化物だね、デジモンって」
そんなことを呟いた時、僅かな金属音が鳴る。考えるより早く横に飛び退くと、銃弾が先ほどまで彼女の背後にあった壁を撃ち抜く、いや、砕く。スラッグ弾かはたまた別の何かか。ともかく、即死級なのは間違いない。
さっきも今も、あと一瞬飛びのくのが遅かったら。そんな思いに僅かな冷や汗をかきながら、私は腰に手を回してバックアップガン――50口径の二丁拳銃を引き抜き、撃つ。
デジモン用に製造された特殊なホロウポイント弾をまさしく雨のように浴びせる。ダメージを負った義肢が反動に悲鳴を上げているる。けどそんなの構っていられない。そんな余裕は、ない。
だが。
「ッ!?」
デジモンは銃弾をまるでものともせず、握った拳銃を逆手に持ち替え、私へと殴りかかってきた。刹那に見えた傷を見る限り、効いてないわけじゃない。だが止まらない。
思考補助システムを起動している暇はない。私は咄嗟に合気道の要領でデジモンの腕を反らして距離をとりつつ側面に回り、距離から顎目掛けて撃つ。
だが躱された。顔を反らしただけで私の銃撃を躱したばかりか、そのまま片足が跳ね上がって私の頭を襲う。靴には棘、当たれば死ぬ。屈みながら頭上を通りすぎる足に右手側の銃衝ごと叩きつけるようにしていなし、左の銃で頭を狙い撃つ。
「……ッつぅ……!」
だがその腕を、崩れた態勢ながらデジモンがもう片方の足で蹴り飛ばしてきた。
腕が文字通り捥げるかと思うほどの衝撃。だけど、絶対に銃は離さない。そしてその勢いを無理に殺さず、むしろ乗るようにして体を大きく回転させ、再び両手の銃で狙い撃つ。
湿った音共にジャケットを食い破り刺さる弾丸。わずかに揺らぐデジモンの体。
けれど、それだけだった。
「クソッ、この化物……!」
思わず悪態をつきながら、再び放たれた弾丸を躱す。お返しとばかりに放った銃弾はあたらない。頭を狙ったこちらの銃口を見て、器用に避けていた。
狙撃銃があればどうにかなったかもしれない。けど、それはもう使えない。罠の類も撒いてきてしまって手持ちは殆どない。
なら。
「ふっ……!」
あえて、一歩踏み込む。そこは、銃はもとより紫仮面の両手両足の届く距離で、即死圏内。だがそれでも、私は踏み込んだ。先ほどまでの戦闘からして、このデジモンはただの獣ではない。攻撃を避ける、弾く、それを利用し攻撃する――偶に現れる、超常の力で暴れるだけではない、判断力を持った文字通りの『化物』だ。
だからそれを、利用する。
相手の銃弾を躱しながら懐へ踏み込み、即座に飛んできた右足をいなしながら躱すと、頭へ向けて銃口を向ける。相手はそれに即座に反応し、私の銃口を手で跳ねのける。それだけで右腕がはじけ飛びそうになる衝撃。
だけど予想通り。コイツに銃弾はさほど効かない。それなのに可能であるのなら、こちらの攻撃を、特に頭を狙った攻撃を、避けようとする。
手の衝撃で傾いだ体。だが倒れることには逆らわず、そのまま銃を離さないよう片手をつき、バク転の要領で後ろへと飛ぶ――飛びながら撃つ。
しかしそれも、紫仮面は事も無げに首を捻って躱していた。私の着地と同時に、銃を放つデジモン。私はそれを射線からずれながら前に踏み込んで躱し、下から顎目掛けて銃口を向けようと腕を伸ばす。
狙った位置だった。手をめがけて足を跳ね上げるには近すぎ、首を捻って躱すことも難しい至近距離。ならば来るのは。
「ここ」
こちらの銃を弾き飛ばそうと、銃逆手に握った相手の拳が迫る。私はその瞬間、両手の銃を手放して、片手で紫仮面のジャケットを、もう片手でファー付きの襟をつかみ、引き込むようにして、投げる。
――デジモンは異形で、化け物だ。だけどそれでも、一部の埒外を除けば物理法則の内にある。人の形に近いのであれば、人に働くのと同じ物理法則からは逃れられない。バランスを崩し、相手の勢いや重心を利用すれば、投げることだって不可能じゃない。
そしてその結果が、これだ。相手は初めて、自らの拳の勢い、そして重さを利用した投げを喰らい、苦鳴らしき声を漏らす。
相手が立ち上がるよりも前、私は動きを止めずにそのまま銃を拾い、そして。
「――!!」
撃った。
相手の頭部へと、至近距離から。避ける暇など与えずに何発も。
その一撃に、紫仮面のデジモンは、びくりと体を震わせて、動きを止めた。頭部への攻撃を徹底的に避けるなら、そこが弱点なんじゃないか。そう思ったけれど、間違いじゃなかったらしい。
「……はっ。I pay it gladly.ってね。人間の技、舐めるなっての」
私は緊張が解けて乱れる息を整えながら、おどけてそう言う。
狙撃手という立場もあってか、敵に至近距離で見えた時は常に死が鼻先にある。そんな恐怖には、どうしたって慣れられないし、慣れたらダメだと私は思う。だからこうやっておどけるのが、せめてもの抵抗みたいなものだ。
「さて。それじゃカズ達が来るのを待って、」
そう言って、デジモンに背を向けて下の階へと向かおうとした、その刹那だった。
『いえ主席まだです! 敵、反応が――』
通信が耳に入ったのは、そこまでだった。
音声をかき消すほどの銃声とほぼ同時、左の義肢に凄まじい痛覚のフィードバックが発生する。拡張視界には警告アラート。見なくてもわかる、左腕の機能は一瞬で死んだ。
痛みに出かかる叫びを必死に噛み殺し振り返れば、目前に紫仮面のデジモンの足が迫る。機械化され底上げされた視力でもなおつま先が霞むほどの鋭い蹴撃。不覚にも一度精神を途切れさせてしまった私には躱せない。動く右手で体を庇い、胴体への直撃を防ぐのが精一杯だった。
「ぐっ……あ……!?」
凄まじい質量を感じた瞬間、私は飛んでいた。
背中に痛みを感じたと思った瞬間、建物の外へと投げ出されていた。このまま落ちるか――そう思ったのも刹那のこと。想像以上の勢いで飛ばされていた私は、向かいの建物の壁を突き破り、突っ込んだ。
受け身を取る暇なんてまるでない。頭を守ることだけに精一杯で、私は強かに背中を打ち付け、無様に突っこんだフロアの床を転がって、反対の壁にぶつかりようやく止まった。
警告。
通信機能喪失。
加えて身体に深刻な損傷を確認。
生命維持に支障あり。
「そんなこと……警告されるまでもないっての……!」
無理に立ち上がったけれど、口からは血が漏れる。機械化した義肢は勿論、機械化してない内臓まで含めて、あらゆる部分が深刻なダメージを負っている。けれど、あのデジモン相手じゃ逃げられないのは間違いない。
「……Not without incident.ってコト? は、ははっ」
けど逃げるつもりも、毛頭ない。
一時的に痛覚フィードバックを遮断してなんとか立ち上がった瞬間、轟音と共に壁を砕き、黒い影が――紫仮面のデジモンが、飛び込んできた。
私が穿った首筋からは、血液のようなナニカが漏れてファーを濡らしている。500mの距離を跳躍して私の頭を踏み抜こうとした化物が、今はビルに飛び込んで来ただけでふらついている。口からは喘鳴のような音が漏れてるし、少なくないダメージを与えられているらしい。だけど、それだけだった。
血走ったように紅い三つの瞳がこちらを捉えたかと思った、その瞬間。まるで弾丸のように、デジモンがこちらへ飛び込んでくる。まともな回避行動など取れない私は、なんとか倒れ込むようにするのが精一杯だった。
これは完全にはかわせない。そんな私の直感は間違ってはいなかった。
だけれどある意味、甘い見立てだった。
「……、ぁっ」
倒れ込むようにしてなんとか直撃を避けた私の、機能の死んだ左腕。それをデジモンが掴んだかと思うと、次の瞬間。
それを捥ぎ取り、喰らった。
痛覚フィードバックは切っている筈なのに。それでもケーブルの切れる音と感触に、私の口から悲鳴が漏れる。機械化したときにとっくに慣れたはずの喪失感が、私を襲っていた。
だがデジモンはそんな私には目もくれず、鉄屑となった私の腕を咀嚼していた。血走ったような目のままに、必死としかし言いようのない様子で。
「……ッく。クソ、なんなの、一体」
私は這うようにして、なんとか距離を取る。案の定、追ってこないで喰い続けている。私の腕などあっという間に喰い終わり、今は周囲の瓦礫すらも喰らっていた。
そしてそこで初めて気づいた。ヤツが何かを喰う度に、穿ったはずの後頭部の傷が、他の僅かな銃創が、治っていくことに。
「再生……いや、質量の補填による修復? 反則でしょ……!」
思わずそんな声を漏らしなが這うように下がり、そこで残った右手に何かに当たる。
見てみればそこにあったのは二つの銃口が目立つ二丁拳銃、その片割れだった。
そもそも使えるのかとか、そんなことを考えるよりも早く、反射的にその銃を手に取って、私は。
「くたばれ化物――!」
ヤツの頭に向けて、絶叫と共に引き金を引く。
その瞬間、凄まじい反動に腕が跳ね上がる。弾道は頭からは外れ、だがそれでもヤツの右腕を文字通り消し飛ばした。突然崩れたバランスと銃撃の威力に、デジモンの体が傾ぐ。
「ハッ……ははっ、ざまぁ見な、よ。化物……が――」
だがそれで、終わりではなかった。
紫仮面がこちらに向いて倒れ伏したと思ったのもつかの間。びくりとデジモンの体が震える。そして次の瞬間、まるでマリオネットか何かのようにゆらり、と立ち上がった。
そして何か肉が裂けるような、そんな生理的嫌悪感を呼び起こす音がしたかと思うと、デジモンの背中を突き破り、ばさりと二対の巨大な漆黒の翼が広がった。
だが変化はそれで終わらない。あの銃で消し飛ばした右腕。体液らしきものがしたたり落ちていた右肩の傷口が、まるで巨大な肉芽のように――否、デジタマの如く膨らんだかと思うと、次の瞬間。
それは弾け右腕と一体化した巨大な鉄塊……恐らくは砲身らしき何かが現れた。
「さっきの捕食……まさか、進化?」
咄嗟にそう思ったが、これは何か異様だった。ただ進化したのではない。まるでデジモンが、意思をもってより強い姿を手に入れようとしたかのように見える、そんな違和感。
目の前で繰り広げられる異常事態に、私は体を動かそうとすることすら忘れていた。そしてそんな私を見据えるように、閉じていた眼を紫仮面が見開く。その瞳は、先ほどまでの紅ではなく、翠色の瞳だった。
そんな瞳に見入ってしまったその時。
悪魔が、吼える。
金属をすり合わせたかのように不快な、けれど獣の雄叫びの如く雄々しい……声を聴いた瞬間、コレは悪魔だとそう思わされるような、そんな咆哮。
咆哮と共に漆黒の悪魔が私へ砲身を向けたかと思うと、その刹那、砲身の先の空中に、魔法陣としか表現のしようがない何かが浮かんだ。
それを見て、まるで脊髄を氷の手でつかまれたかのような悪寒が襲う。あれはマズい。体を無理やり動かして、両足のリミッターを外しビルの外へと飛ぶ。
私が飛んだ、まさに直後。
闇色の焔が吹き荒れ、射線上にあったものすべてを消し去った。
「――、ハ」
ビルの外に飛び出して、無様に地面をゴロゴロと転がって、私の口から洩れたのはそんな乾いた笑い。
こんなの無理だ。なんとか倒したと思っても修復して進化して。考えてみればこの街一つ喰らった化物なんだから、一人でどうにか出来るワケなどなかった。
諦観を抱く私の前に、悪魔が舞い降りる。翼を羽搏かせて着地した瞬間、私を見定めてまるで苦しむように吼えた――砲腕、そして全身から、ドス黒い血のような何かを漏らしながら。
どうやらあの力、悪魔にも大きな負担だったらしい。なその力を使わせただけでも儲けもの、ってトコか。
「……なら、まぁ。カズ達の役に立つくらいは、ね」
悪魔が苦しむような声を漏らしながら私に近づいてくる。その体の傷口には、先ほどのような蠢く肉芽がいくつもできていた。修復か、進化か。いずれにせよ。
「私を喰らおうって? はは……ま、腹壊さないようにね」
もう、生き残る事は諦めた。
だけど、心残りは。
「湊……ゴメンね。お姉ちゃん、帰れないや」
弟に、そう詫びた時。
まるでその言葉が切欠だったかのように、悪魔が震え、体が膨張し、一部は破裂し、そして。
どさりと、悪魔は崩れ落ちた。
その光景が、何を意味するかなんて、私には分からなくて。喰われなくて済んだんだとだけ理解して、私の意識は闇に呑まれた。
○
――それから、数週間後。
「以上が、『第二電力街壊滅事案』の詳細です」
「……ふん。まぁ、よくも生き残ったものだ」
「ははっ。それ、私自身一番思ってます」
私は、D.C.H技術開発研究機関、通称技研の所長へと報告に来ていた。
あの後私は、やってきた第二戦闘班に救われて、即医療施設へと入れられた。義肢・生身問わず私のダメージはひどいもので、意識が戻るのに一週間かかったようだった。
内臓もいくつか人工器官になってしまったけれど……まぁ、それは命あっての物種、ってやつかな。そしてリハビリや再調整を経て、呼び出しに応じたというワケだ。
とはいえ私も、これに応じたのには理由があって。
「それで……あのデジモン、分析したんですよね?」
「ああ。バイク、武器も含めて、な」
技研の役目の一つは、討伐個体の回収・分析。だから、私が聞きたかったのは、最後のあの瞬間に何が起きたのか、だった。
「結論から言えば……あのデジモンの電脳核だが、焼き切れていた。そうとしか表現できん」
「……というと?」
「負荷をかけすぎたCPUが焼け付くようなものだと思え。貴様の記録や報告によれば、あのデジモンは街を一つ喰っていたのだろう?」
「ええ」
「デジモンは電脳核で体を制御している。その電脳核の処理可能な質量以上を喰らい、焼き切れた。おまけに貴様の記録の最後にあった、あの部分的進化と発揮した力。あれが制御を超えていたのだろう。つまるところは――」
「『自壊個体』……魔王型ですか」
「そういうことだ。魔王型と一人でやり合って生き残るとは。流石だな、首席戦闘官殿?」
「……死にかけてようやく、ですけどね」
魔王型。
それはいつしか、D.C.Hで呼ばれていたデジモンの分類だった。稀に現れる、討伐ではなく何らかの原因で自壊したデジモン。彼らは例外なく図抜けた戦闘能力を持ち、出現すれば災禍を引き起こすことから、いつしか『魔王』と、そう呼称されるようになっていたのだ。
「しかしこれで、こいつの名前も決定だ」
「……というと?」
「第二電力街を喰らい尽くし、壊滅させた大災害。究極体の枠すら超えようとした悪魔――『暴食』の魔王、ベルゼブモン」
「ベルゼブモン、か」
宗教に語られる悪魔からとったのだろう、その名前をなんとはなしに呟く。
そして。
「……もう二度と、見えたくはないですね」
「違いない」
アイツに喰われた感触を思い出して、左腕を、そっと抱いた。
This story is the END.
Thank you for reading!
【あとがき】
多分9999文字。やったぜ1万文字以内。
ここまでお読みくださりありがとうございます。
湯浅桐華と申します。
快晴様主催の常設企画、 #1推し に再び参加させて頂きました。
今度はベルゼブモンです。
周囲にあまり言ったことはありませんが、ベルゼブモン、大好きなんです。
アニメで見た時。カードゲームをやっていた時。その格好良さ、デザインのすばらしさに惚れました。レオモンとは違う方向でのハマり方かもしれません。
とはいえ身近に私以上の熱量を以ってベルゼブモンへの愛を叫ぶ方が何人かいたので、あまり公言していなかったのですが……。
以前この企画に参加したときに投稿させて頂いた作品、「戦闘官交戦記録:B-3345」の後書きでも申しましたが、デジモンにはパートナーとしての魅力、人ともに歩んでいく存在として魅力とは別に、やはりデジタル『モンスター』としての魅力もあると思います。
今回のベルゼブモンでもまた、七大魔王たるベルゼブモンの強大な存在としての魅力を描けていれば嬉しく思います。
とはいえ、です。
ベルゼブモンには負けてほしくないのです。
誰にも負けない、孤高の存在でいて欲しいのです。
ベルゼブモンの魅力の1つは、その『孤高』さにあると私は思っています。
だからこそ、戦闘官というサイボーグ相手でも負けて欲しくはない。
その結果、暴威をまき散らしたうえでの自壊、という形に落とし込みました。
強大すぎるゆえに敵わず、それゆえに自壊する……そのほうが間が抜けている、と感じる方もいるかもしれませんが。
これが私の中にある暴食の魔王たるベルゼブモン像である、と受けて取っていただければ幸いです。
実際カオスフレアとか、触れたらオワタ式なのでね。仕方ないね。
あともう一つ。この作品を書くにあたって最初に考えたことは。
ベルゼブモンにガン=カタさせたらカッコよくね?
でした。
そういうわけでチャレンジしてみたのですが、いかがでしたでしょうか。少しでも表現できてれば幸いです。
しかしガン=カタってカッコいいけど小説で表現すんのむっずいなぁ!
なおこの作品、やはり以前と同じく、以前私が投稿した作品の世界観に連なるものでもあります。
ですが、企画の規約通り、この短編の中で全てを完結させ、この話の中だけで物語が分かるように致しました。
分かる人にはわかる……という内容もありますが、そこはご愛敬、ということでお許しくだされば。
それではまたどこかで。
どうも地水です、そちらの作品読ませていただきました。 デジモンを題材とした荒廃した世界観でのSFホラーもの、とってもいいですね。今回の目玉デジモンであるベルゼブモン……なんというか自分の好きな怪獣王ゴジラじみた不死身の怪物じみて、とってもいいですね。特に最後は誰にも倒されることなく自壊するところは、個人的にVSシリーズのゴジラの最期と被ってとてもよかったです。
人間サイドの天音さんも、まあデジモンも戦うことになりますがやべえのなんの。最終的にはなんとか生き残ったようですが、それでもさらに身体をサイボーグ化させる羽目になるとは……。 こういうのもありなんだと再確認したところで、いい作品ありがとうございました。