※この小説は、QL氏主催の魔王型デジモンを題材とした小説アンソロジー『皇魔業臨書』への寄稿作品です。筆者は傲慢の魔王ことルーチェモンを担当いたしました
「救世主さま! お目覚めになられたのですね!」
敏郎少年がまどろみから目覚めた時、彼は彼の知らない場所に横たわっていた。
彼の下に敷かれていた煎餅布団は見当たらず、代わりに柔らかな葉と白や黄色の小さな小さな花で構成された草原があった。草原といっても大した広さはなく、畳六畳分あるか無いかといった具合であった。
ではここは屋外なのかと言えばそうではなく、小さな草花は大理石の床の上から生えていた。周囲にはギリシャの神殿を思わせる柱が連なっている。
続いて敏郎は自分が人の頭くらいの大きさの、大きな卵を抱えている事に気づく。卵は山吹色の下地の上に、より濃い橙色でコミカルな渦巻き模様が描かれていて、要するに明らかに自然物とは思えない代物だ。
ここでやっと敏郎の意識が完全に覚醒した。寝ている間に見知らぬ場所へ放り出されたと気づいた敏郎は、軽い恐慌状態に陥った。
そんな敏郎を落ち着かせたのは、これまた彼の知らない声だった。
男のそれにしては高く、女のそれにしては低い声。穏やかでありながら威厳を孕み、無邪気な声色の筈が仙人のように達観した、二面性を孕んだ声だ。
不思議な声は確かに敏郎を落ち着かせたが、声の主の容貌は敏郎を再び驚嘆させるに値するものだった。
端的に言えば、それは人ではなかった。背中に何枚もの――敏郎は敢えて数えなかったが、実際は頭に生えているものも合わせて十四枚あるらしい――翼を生やした人間がどこにいるというのだ。
敏郎にはそれが何者なのか皆目見当もつかないが、どこまでも清らかな漆黒の蝙蝠の翼と、何色も寄せ付けない純白の鳥の翼のおかげで敏郎にもそれが「堕天使」と呼ばれる種族である事は辛うじて理解できた。
「ご安心ください! あなたからのご質問には全て私がお答えします!」
満面の笑みだ。営業スマイルではとても再現できないような、本気で何かを喜んでいる時に浮かべる笑みだ。しかも目が、あちこちからライトでも当ててるんじゃないかと疑ってしまうほど輝いている。悪意の欠片も見られないが、それが逆に不安だ。
敏郎は全くもって安心できなかったが、とりあえずは「ここはどこか」と尋ねてみることにした。すると堕天使は「ここは『デジタルワールド』と呼ばれる世界、敏郎さまにとっては所謂異世界ですね!」と答えた。
真っ先に「なんでこいつ俺の名前を知ってるんだ」と思ったが、本命の問いと比べたら大した事ではない。続いて「なぜ自分は異世界なんかに呼ばれたのか」と尋ねた。堕天使の発言の真偽を先に尋ねようかとも思ったが、彼の翼が明らかに生物の体の一部としての動きを見せていたので、「これは嘘だ」と認める事を諦めた。
「それはですね! なんと、あなたが『救世主』に選ばれたからなのです! 私が選びました!」
金髪の美丈夫は瑠璃の瞳をこれでもかと見開き、輝かせながら言う。堕天使の割には随分と明るい奴だと敏郎は思った。好青年である事は確かだが、フレッシュ感が振り切れ過ぎているというか、胡散臭さが無いのが逆に胡散臭いというか、兎に角、敏郎が今まで会ったことのない人物であった。
そっかそっかー。俺は救世主かー。って納得できるかーい。なんで俺やねーん。
「それはですね、あなたが十二歳という若さでありながら賢く、活発で、更にもっと幼い頃に失われるはずの好奇心を持ち合わせ――」
以下、敏郎への賛美の言葉が延々と続くため割愛。
敏郎は褒められるのは嫌いではないし、寧ろ好きな方ではあるが、この度「見知らぬ人間から一方的に長々と褒められたら怖い」という新たな知見を得た。
「ああっ、そんな不安そうに見つめないでください! 庇護欲をそそらないでください。これ以上あなたを守りたくなったら私、あなたを壊したくなってしまいます!」
突然、堕天使が叫んだ。
彼は目尻を下げ、涙を浮かべて震えながら訴えてくる。がっしりした両腕で自分自身を押さえつけている様子は、敏郎に確信を抱かせた。
あ、こいつやっぱりヤバい奴だな!
「ああ! 違うのです」
何が違うというのだ俺は何も言ってないぞ。
「私、守るべきものや愛するものに、破壊衝動を抱いてしまう生き物なのです。そういう風にできているのです」
はて、「できている」とは?
「犬は喜ぶと尾を振るでしょう? 猫はリラックスすると喉を鳴らすでしょう? カエルのメスはより大きな声のオスに惹かれるでしょう?」
最後のは初めて知った。
「そういうなのです。私にはどうする事もできないのです」
そうだったのか。それは悪い事をした。
正直、恐怖は払拭できなかったが、それが悪意によるものではないと分かり胸を撫でおろす。
「ああ! 申し遅れました。私、ルーチェモンと申す者です。ここら一帯の領主……とでも申しておきましょうか」
この後、ルーチェモンの説明はこう続く。
この世界、『デジタルワールド』は『デジタルモンスター』と呼ばれる生物が住む異世界で、ルーチェモンもその一種なのだそうだ。そしてこの世界には、時々未曽有の危機が訪れるのだという。危機を脱するには人間の子どもの助力が不可欠で、今回選ばれたのが敏郎なのだという。
ここまでは(これが実際に起こった出来事だという点を除けば)アニメや漫画にありがちな冒険譚のあらましにそっくりだったので、敏郎もすんなり受け入れることができた。
という事は、今自分が抱えているこの卵は、自分の相棒であるデジタルモンスターが生まれてくる卵という事か。
「その通りです救世主さま! 流石は我らが救世主さま、なんて聡明なお方!」
アニメにありがちな話を自分の状況に当てはめただけなのだが、ルーチェモンがベタ褒めしてくれるので言うに言い出せなかった。
次は卵の孵し方を訊ねてみる。
「その子は特に温めてあげる必要はありません。その代わり、たくさん撫でてあげてください。この子はあなたからの愛情をもらって孵るのです」
愛情か。出会ったばかりで愛情はまだ抱けてないけれど、いつかは生まれてきた君と仲良くなれたらいいな。
敏郎は願いをこめて卵を撫でた。少し、ざらざらしていた。
「さて、次は城内をご案内いたしますね!」
●
敏郎はどうやら、ルーチェモンの居城、その中の一部屋に招かれていたらしい。中庭でもないのに床に直接植物が植えられているなんて、不思議な部屋だったなあと敏郎は思う。
「あそこは元々、召喚の儀式のための部屋なんです。お呼びした救世主さまを怖がらせてはいけないと思って、自然が沢山のお部屋に作り変えたのです!」
う、うん? うーん。人間とデジモンの感性は少しずれているのかもしれない。
わざわざ自分のためにやってくれたのか? とルーチェモンに尋ねる。すると、彼は大きく頷きながらこう言った。
「ええ! ……と言いたいところですが、あのお部屋は先代の、そのまた先代の更に先々代の救世主さまの頃からご用意してあるお部屋なのです」
そう言えば、自分以外にも人間がこの世界に来ていたと取れる発言をしていたような気がする。ついでに、自分の前に何人ほど着ていたのかも聞いてみる。
「えー、あなたが十四代目ですから、十三人でございますね!」
多いような、少ないような。などと考えているうちに、ルーチェモンの足がとある部屋の前で止まる。
「ささ、こちらが救世主さまのお部屋です!」
相変わらずのオーバーリアクションで通された部屋には、そんじょそこらのホテルとは比べ物にならないほどふかふかのベッド、広い学習机、そしてファンタジーな世界観にはそぐわないテレビ。生活に必要な家具は一通り揃っていた。
ナチュラルに部屋が用意されているが、つまり元の世界に返す気は無いという事か。
とは思うものの、言ったところで帰れる保証も無さそうだと敏郎は黙ってルーチェモンに従う事を決めた。
万が一笑顔の裏に隠された悪意があったとしても、敏郎にはどうしようもない。
自分はピンチに陥ると逆に冷静になるタイプだったのか。敏郎はまたも新たな知見を得た。
その後、敏郎はルーチェモンと共に城内を見て回った。それなりに広い城で施設も充実しており、特に敏郎の興味を引いたのは図書室だった。その図書室が誇っているのはその蔵書の数。国立図書館もびっくりの充実度だ。
尤も、字の本にあまり興味の無い敏郎は「これだけあれば、マンガもあるかもしれない」と期待しているだけなのだが。
●
敏郎はルーチェモンに連れられ、城下町を訪れる。その腕の中に、いずれ生まれる相棒を抱えながら。
「ルーチェモンさまだ!」
「ルーチェモンさま、ご機嫌麗しゅうございます!」
「坊や、ルーチェモンさまにご挨拶なさい」
恐竜、ロボット、人面樹とバラエティ豊かな住民たちが、ルーチェモンの姿が見えたと同時にどっと歓声を上げた。
町は活気に溢れ、住民たちは皆、笑顔を浮かべている。どうやらルーチェモンは優れた統治者らしく、それは住民が彼を歓迎している様子からもはっきりと感じ取れた。
町には円形の広場があり、ルーチェモンはそこに住民を集めた。彼は演説用の台から高らかに声を上げた。
「皆さま! 本日は私から、皆さまに良いお知らせがございます!」
ルーチェモンは敏郎に、台を登ってくるよう合図する。そして言われるがままに台の上に立った敏郎の肩に手を添え、叫ぶ。
「遂に! 救世主さまが我らの世界においでくださったのです!」
広場は一瞬静まり返り、徐々に「あれが?」「救世主?」「人間ってああいう形してたんだ」と小さな話し声が聞こえ始めた。そして――
「救世主さまばんざーい!」
――ルーチェモンが姿を見せた時のそれとは比べ物にならないほどの歓声が町中を包んだ。
「救世主! 救世主!」
敏郎は困惑と照れを隠せなかったが、それでも期待に応えようと手を振った。すると「救世主」コールはまた一段と強くなり、敏郎は気圧されてしまった。故に、彼は腕に抱えた卵が震え始めていた事に気付かなかった。
自分の胸元から眩い光が放たれた時、初めて敏郎は卵に変化が起こったと気づく。卵の殻は光と共に消え、代わりにぼたもちのように丸く、真っ黒な生き物が腕の中に収まっていた。
「ボタモンだ……」
「救世主さまがお生まれになった……」
それを見た町人たちが再びざわつき始めた。そして今度は新しい生命、ボタモンの誕生を祝う声が町中から上がった。
「おめでとうございます!」
「今日は宴だ!」
「酒だ酒! お二人の救世主さまにはミルクかジュースをお持ちしろ!」
「おめでとうございますぅー‼」
一番最後の「おめでとう」は、町人に負けないくらいの声の大きさでルーチェモンが言い放った「おめでとう」である。感動のあまり涙さえ流していた。表情は例の笑顔のままだが。
敏郎は困惑しきりだが、これから自分の大切な友達になる赤ん坊を祝福したい気持ちもある。「おめでとう」を、敏郎もそっと呟いた。
●
ある日、敏郎はボタモンと二人で城下町を訪れていた。
「よっ、敏郎! 元気か?」
昼間から酒を飲んでいるウッドモンが、親し気に声を掛けてきた。
敏郎とボタモンが「救世主」と呼ばれたのは結局一瞬だけで、宴が終わればすっかり名前で呼び合う仲になっていた。ルーチェモンだけが律義に「救世主」と呼んでいる。
「お前も呑むか?」
未成年飲酒の誘いを断り、足早に住宅地へ向かう。目的地はサンフラウモンの家。彼女が家庭菜園で作った野菜を敏郎とボタモンにも食べてほしいと言うので、今から取りに行こうという訳なのだ。
この町はあらゆる建築様式の建物が入り混じっている。地中海の伝統的な建物のように、真っ白な家がサンフラウモンの家だ。
「あら~、敏郎ちゃんボタモンちゃん! もう来たの! あら~、足が速いのね~元気なのね~」
サンフラウモンは田舎のおばあちゃんのように敏郎を褒めちぎりながら、カゴ一杯の野菜を持ってきてくれた。サクラ鳥大根に挑戦ニンジン、ヘビーイチゴにエトセトラエトセトラ……。家庭菜園でもこれほど多くの野菜を育てられるのか、と、敏郎は感心した。ちなみに、敏郎がデジタルワールド特有の野菜の名称を知っているのは、ルーチェモンから「デジタルワールドの救世主さまにはデジタルワールドの知識が必要不可欠ですよね!」とみっちり仕込まれたからだ。
サンフラウモンの後から、十体ほどの幼年期たちがぽてぽてとついてくる。実は彼女の職業は保育士で、自宅を保育所代わりに幼年期たちを育てているのだ。
最初はサンフラウモンが自ら城に出向こうとしていたのだが、子どもたちの世話で忙しかろうと敏郎が自分で取りに行く事を決めて今に至る。
●
野菜を抱えて城へ戻ると、ルーチェモンの書斎が大量の手紙に埋め尽くされていた。扉を開いた瞬間、手紙が雪崩のように崩れ落ちて敏郎とボタモンは危うく生き埋めになるところだった。それにも関わらず、部屋の中は手紙がぎゅうぎゅうに詰まったままだ。
「救世主さま! お帰りなさいませ!」
手紙が喋った。違う。手紙の中に埋もれたルーチェモンが喋った。
「こちらはですね、住民の皆様から頂いたお手紙なのです!」
敏郎は「そんなに⁉」と驚いたが、ルーチェモンは王なので、住民からの意見はいくらでも集まってくるのかもしれない。
「はい! こちらが救世主さまの分です!」
どちらだ。と思いながらもルーチェモンが差し出した手紙の束(推定)を受け取った。他の束と混ざらないよう、慎重に手紙を開く。
『きゅうせいしゅさま、がんばってください』
『ボタモンくん、またあそぼうね』
『全然知らねえ世界で不安がってる敏郎! 文通しようぜ! 文通が何なのかわかんねえけど! ムーチョモンが「敏郎と仲良くなりたいなら文通してみれば?」って言ってたんだ。おめえともっと仲良くなるために、まずは手紙で文通についておめえに聞いてみるぜ~!』
それは、敏郎とボタモンに向けられた友愛と応援のメッセージだった。
まだ救世主としての自覚が無かった敏郎だが、それでも、住人からの手紙は彼の心を確かに打った。
敏郎が受け取った分は全体のほんの一部。残りの手紙は全てルーチェモンに宛てられたものだ。
現地民はこの怪しい好青年を本当はどう思っているのか。気になった敏郎は、ルーチェモンには悪いと思いながらも、書斎からはみ出た手紙を一枚選んで封を切る。
『私はエルト村のルナモンです。我々の村とエルドラディモンを救ってくださった王様に、どうしてもお礼がしたくて手紙を書きました。私たち村民は、暴れ狂い村を荒らすエルドラディモンを祟り神として扱ってきました。いずれはエルドラディモンを討伐しなければいけないとも思っていました。しかし、王様はエルドラディモンが暴れていた原因は病とそれに伴う痛みだと突き止め、エルドラディモンを治療し、私たちとエルドラディモンの両方を救ってくださいました。しかも、荒れた村を復興するために援助もしてくれました。こんな田舎の村も救ってくださるなんて、あなたは良い王様です。あなたが王様の世界に生まれることができて、本当に嬉しいです』
この他にも封を切ってみたが、その殆ど全てに、ルーチェモンの行いに対する感謝の言葉が書かれている。
そして敏郎は気づく。ルーチェモンは優れた統治者であり、彼が治めるこの世界は素晴らしい世界なのだと。あの笑顔にも歓声にも、偽りのものは何一つ無いのだと。
この時、敏郎の心に一つの願いが生まれた。救世主として呼ばれたからには、この素晴らしい世界を守り抜きたいと。彼が使命感と呼ばれる感情を抱いた瞬間である。
「遂にお目覚めになられたのですね!」
まるで心を読んだかのように、突然ルーチェモンが手紙に埋もれたまま声を上げた。
「その意気です救世主さま! 私も精一杯サポートさせていただきます! まずは人の手紙を勝手に読まないところから始めましょう!」
何でもお見通しだから優れた統治者になれたのかもしれない。敏郎は反省しながらも訝しんだ。
●
敏郎とボタモンは、町の闘技場に来ていた。デジモンの戦い方というものを学ぶためだ。
ルーチェモン曰く「この世界のデジモンは半分が戦い好き、四分の一は戦いが嫌い、残りが戦いに興味は無いが得意ではあるデジモンで構成されている」らしい。
敏郎は半信半疑で建物の扉を開けたが、中から吹き出す熱気、それと同時に目に入った光景は、敏郎の認識を改めるに足るものであった。
デジモンたちが戦っている。町で普通に歩いているような、どこにでもデジモン達が、あちらこちらで火花を散らしている。
更に、それを別のデジモンが観客として、ドリンクやスナックを食しながら観戦している。この国ではデジモン同士のバトルが、娯楽として扱われていた。
敏郎が観客席の隙間をおっかなびっくり歩いていると、上から聞き覚えのある声が降ってきた。
「なんだ敏郎じゃねえか! お前も呑みに来たのか? それとも賭けに来たのか?」
声を掛けてきたのは、いつもお馴染み酒飲みのウッドモン。敏郎とボタモンはウッドモンの隣に座る。
「おい、子どもを賭けに誘うなよ」
「細けえ事言うなよスティングモン。まあ、いいじゃねえか。おっ、始まるぜ。見てな。今、あのマタドゥルモンがメタルグレイモンをぶっ倒して俺が1000bit手に入れるから」
「たった1000しか賭けてないのかよ」
「うるせえ! いいか、敏郎? デジモンってのは必ずしもデカい奴が勝つ訳じゃねえ」
円形のバトルフィールドの中で向かい合う二体のデジモン。メタルグレイモンは機械化されたドラゴンといった具合の容姿で、その印象に見合った大きな体躯だ。一方、マタドゥルモンというデジモンは(大まかな形は)人間に似ていて、とてもメタルグレイモンに勝てるとは思えなかった。
しかし、ゴングが鳴った瞬間、マタドゥルモンが目にもとまらぬ早業で、メタルグレイモンの顎に蹴りつけた。
メタルグレイモンは何もできないまま、ふらふらと地面に倒れ伏す。
「見たか敏郎? あれがデジモンの戦いだ。どんなデジモンにも、どんな相手とでも戦えるくらい強い力が備わってんだ」
敏郎は改めてマタドゥルモンを見た。彼の腹をよく見るとしなやかな筋肉がついており、きっと手足の筋肉もそれなりに発達しているのだろう。
「敏郎もボタモンも、鍛えりゃグレイモンやマタドゥルモンになれるかもな!」
敏郎はふるふると首を横に振る。敏郎はウッドモンに「自分は人間だから進化はしない」と伝えた。
「マジか。デジモンと人間って、見た目から何まで全っ然似てねえんだな」
「そうか? 俺は真っ先にルーチェモンさまに似てると思ったぞ。顔と手足の形がそっくりだ」
そう言えばルーチェモンも闘技場に来るのかと聞いてみると、今度はウッドモンとスティングモンが真っ青になって首を横に振った。
「ルーチェモンさまと戦ったりなんかしたら、この町の連中が全滅しちまうよ!」
さっきのウッドモンのセリフとは何だったのか。敏郎はやれやれと肩をすくめた。
●
ある日、図書館を物色していた敏郎は、『ロイヤルナイツ』と呼ばれる集団に関する書籍を発見した。
ロイヤルナイツというのは、デジタルワールドを守護する役割を与えられた騎士の集団らしい。ヒロイックな鎧に身を包んだナイツは、敏郎少年を熱中させるほどの魅力を秘めている。正確には、敏郎はまだまだ格好いい騎士に熱中になる年頃である。
ロイヤルナイツに関する蔵書は、それだけで広い部屋の半分を埋めてしまうほどの量があり、敏郎をその質量で以て圧倒する。もう半分は『七大魔王』と呼ばれる悪のデジモンを題材にした本が埋めていたのだが、敏郎はそちらには興味を引かれなかった。
敏郎はロイヤルナイツに関する本の中でも短く、物語形式の本を何冊か選び、それを持って城下町に飛び出した。
「あら~! 敏郎ちゃんいらっしゃい!」
「としろーだ~!」
「としろー、ほんもってるー」
サンフラウモンの家に着くと、たちまち幼年期デジモンたちが敏郎を取り囲んだ。中にはツノモン――ボタモンが進化した姿だ――もいて、大勢の友達と一緒に読み聞かせを催促してくる。
敏郎は絵本を開き、読み聞かせを始めた。
これは、デジタルワールドを守ってくれる、とーっても強い騎士さまのお話。
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愛していたんじゃ、なかったのか。
否。これは愚問である。奴は全てを愛しているのだ。愛しているから壊すのだ。初めから分かっていた事だ。
今、自分たちがいる場所、城の最上階の空中庭園からは城下町が一望できる。暗黒の空の下には今も大勢のデジモンたちが生きている。
町の人々は苦しみながら死ぬのだろうか。眠るように穏やかに消えるのだろうか。どちらだって同じだ。
今自分たちが考えるべき事は、彼を倒して世界を救う事のみ。これが終わったら帰れるとか、邪念は捨てろ。救う事だけを考えるんだ。
敏郎と相棒の決意は固まった。グレイドモンは剣を抜き、傲慢の魔王へと黄金の切っ先を向ける。彼の翼が僅かに動いたのを合図に、戦いの火蓋は切って落とされた。
「私の世界に『七大魔王』という概念があった頃、彼らは各々が背負った罪科に従い、デジタルワールドを幾度となく破滅の危機に追い込みました」
ロイヤルナイツ――今は失われた概念である――さえも凌駕する剣技を以て魔王に肉薄する。確かに魔王の胸に届きかけたその剣は、小型の暗黒球によって軌道をずらされ羽の数枚を散らすに留まった。
「彼らの破壊に愛などなく、私にはそれが我慢なりませんでした」
グレイドモンは一度距離を取り、再び突進する。それをルーチェモンは避けようともしない。
二振りの剣は十字の軌跡を描く。グレイドモン必殺の一撃である。しかし、それはルーチェモンの眼前に張られた薄い膜を破る事さえ敵わない。圧倒的な力の差が、グレイドモンと敏郎に真の危機感を抱かせる。
「ですから、私は七大魔王という枠組みを無くしたのです。だって、必要ないでしょう?」
ルーチェモンは両手と翼を広げ、ふわりと浮かび上がる。それぞれの手には光と闇、相反する性質の魔力が込められていた。
「『この世界の愛を全て自分の物に』という強欲な願い! 『他の魔王が我が世界を破壊するとは腹立たしい』という怒り! 破壊を独占する魔王と愛を独占するロイヤルナイツへの嫉妬! こうして手に入れた世界を何度味わい尽くしても止まぬ暴食! そして何よりこの愛欲! 七つの大罪その全てが私の中にある! 世界の均衡を憂う必要は何一つありません!」
嗚呼、その姿は正しく傲慢の魔王。
「ロイヤルナイツも必要ありません。全ては私が守るのです。三大天使も不必要です。そもそも彼らの力の源はなのですから。イグドラシルとかいう管理システムも滅しました」
金糸の如き煌めきの髪の毛も、どこまでも清らかな漆黒の蝙蝠の翼も、何色も寄せ付けない純白の鳥の翼も、そして曇りの無い瑠璃の瞳も、その全てが、敏郎とグレイドモンに「悪はこちらだ」と錯覚させる。だが、そんなものに惑わされようとも成し遂げる意思だけは譲れない。
「後は私一人を残すのみ。さあ、救世主さま。傲慢の魔王を打ち滅ぼし、世界をお救いくださいませ!」
自分じゃ努力もせず、十二歳の子どもに自分の欲の処理を押し付けるってか。それがお前の「怠惰」だな。グレイドモンはぼそりと呟いた。
●
ルーチェモンは傲慢極まる愛に基づいた救済願望と破壊願望を持ち合わせていなければならない。
歴代のルーチェモンの中には「死こそが救済である」と折り合いをつける者もいた。だが当代の魔王はそれを思考停止と見なした。
破壊願望を満たせば救済願望は満たされない。だが破壊願望を抱かない愛など愛ではない。
故に彼は「救世主」を用意した。「ルーチェモンが選んだ」という肩書を持ったそれに、破壊者たる自身から世界を救わせようとした。ルーチェモン自身は破壊者に徹しつつ、救世主に自己投影する事でメサイア・コンプレックスを満たそうとした。
護界騎士を排し、七大魔王を滅し、破壊も救済も全て自己完結させた。
愛故の傲慢さがこの世界の理であった。
●
一体俺はどうなっている。そうか。『デッド・オア・アライブ』が直撃したのか。とりあえず、生きてはいるようだ。
グレイドモンは破壊し尽された我が身を顧みず、身を挺して守った敏郎を振り返る。
余波も衝撃も消しきれず、敏郎も満身創痍であった。
だが、二人ともまだ息はある。立ち上がる「意思」がある。
ルーチェモンには傷一つない。相変わらず爽やかすぎて胡散臭い眼差しをこちらに向けている。ああ、俺たちに期待している目だ。
そこまで言うなら見せてやろうじゃないか。俺たち救世主の力を。
敏郎とグレイドモンは傷ついた体に鞭打って、互いの拳を突き合わせた。
●
かつてこの世界には、ロイヤルナイツと呼ばれる聖騎士団が存在した。
その中で特に皆の尊敬を集めていた者。十二の騎士の殿を務める者。
二つの高潔な魂から、あまねくいのちの祈りを受けて生まれた戦士。
●
魔王を討伐し、世界に平和をもたらす事は敏郎とグレイドモンの悲願である。全世界のデジモンたちの悲願である。そして何より、他でもないルーチェモン自身がそれを何より望んでいる。
ならば彼の騎士がそれに応えぬ道理は無い。
敏郎とグレイドモンの体が溶け合い、一つとなりて降誕するは白き鎧の聖騎士、オメガモン。
「……久しいですね。オメガモン」
ルーチェモンが呟いた。祈りの光を浴びて輝く聖騎士は、彼にとって数千年ぶりの、の輝きを放っている。
「嗚呼、救世主さま! 私が待っていたのは正しくこの輝き! あなたは紛う事なき救世主! 私の目に狂いはありませんでした!」
いくら聖騎士の体を得たと言えど、その素体は両者共にほぼ限界だった。オメガモンの姿も長くは維持できないだろう。
決めるなら、一瞬で。そのための力を両手に籠める。
「会いとうございました……あなたさまに会いとうございました……。さあ! その何者も折る事のできない剣で! 私を貫いてください! 世界を侵す魔王の業に終止符を打つのです!」
言葉とは裏腹にルーチェモンは防御の手を緩めない。何重にも張った魔法盾がオメガモンの行く手を阻む。
だが、それがどうした。
我こそが希望背負いしロイヤルナイツ。傲慢の魔王何するものぞ。
グレイソードの前に敵無し。左手で一薙ぎしただけで、クロンデジゾイド並に強固な壁は薄く軽くスライスされる。グレイドモンでは傷一つ付けられなかったルーチェモンの胸に、一筋の紅い線が走った。
「至近距離での戦闘は私の得手ですとも!」
デッド・オア・アライブと双璧を成す脅威。楽園をも破壊する悪魔の乱舞。
まずは拳を一撃、オメガモンに叩きこもうとしたルーチェモンはある事に気付く。体が動かない。まるで凍ってしまったかのように。
そしてやってくる、熱と錯覚するほどの寒さ。
痛点を刺激して病まない冷気の発生源は、今まさにルーチェモンに突き付けられているオメガモンの右手。
発射されるよりも前から人知を超えた冷気を放っていた弾丸が、ルーチェモンの胸を貫いた。
ルーチェモンはぽかん、と口を開け、胸の開いた穴とオメガモンの顔を見比べる。彼が「何が起きたか理解できない」と感じているのを、オメガモンは初めて目にした。そんな顔をするのは今まで自分の役目だったのに、と、感慨深ささえ感じていた。
「……救世主さまにお会いできた事、私が生きてきた中で一番、嬉しゅうございました!」
ルーチェモンはたったそれだけの言葉を言い終わると、いつもの笑顔のまま、すうと静かに消滅した。
どうだ。一矢報いてやったぞ。これで少しは満たされただろ。じゃ、後は任せたぜ。次の『救世主』さま。
オメガモンは力尽き、地面に崩れ落ちるように倒れる。オメガモンの肉体を維持するためのエネルギーも尽き、二人は再び敏郎とグレイドモン、二つの個に分離した。
視界が霞んでいく。息をするのも辛い。だが、満足だ。
敏郎は消えゆく意識の中で、偉大なる紫紺の竜が飛び立つ様を見た。
自分自身を、胎児を抱くように抱えた竜が、巨躯と贖罪の炎で世界を塗り潰すのを見た。
●
生まれたての世界に朝日が差す。
●
「救世主さま! お目覚めになられたのですね!」
苺がまどろみから目覚めた時、彼女は彼女の知らない場所に横たわっていた。
彼女が慣れ親しんだふかふかのベッドは見当たらず、代わりに柔らかな葉と白や黄色の小さな小さな花で構成された草原があった。草原といっても大した広さはなく、畳六畳分あるか無いかといった具合であった。
ではここは屋外なのかと言えばそうではなく、小さな草花は大理石の床の上から生えていた。周囲にはギリシャの神殿を思わせる柱が連なっている。
続いて苺は自分が人の頭くらいの大きさの、大きな卵を抱えている事に気づく。卵は桃色の下地の上に、赤色でラブリーなハートマークが描かれていて、要するに明らかに自然物とは思えない代物だ。
十五巡目の世界が、始まった。
(終)
七大罪全てを一人で包容するがゆえの傲慢。
傲慢であることの証明の仕方が上手くて思わず唸りました!
始めて見る性格口調のルーチェモンで面白かったです!
両手に武器とマントの完全体グレイドモンは、オメガモンに通ずるビジュアルをしていると思うので、進化先がナイスでした!マタドゥルモンノルマの安心感やばいですね!
執筆お疲れさまでした😊!