※2016年作
深夜零時になった。デジタル時計の文字盤は真四角の「0」を4つ並べ立て、「明日」だったものが「今日」になった事を機械的に示す。狭い室内に所狭しと並べられたディスプレイは、まるで映写機のように2つの影を壁に映し出す。影は活動開始だと言わんばかりに蠢き、静かな映画館のようだった部屋は、彼らの仕事場へと変化していった。
「いいか? 絶対に、絶対に手筈通りにやれ……絶対に!」
片方の影は大まかな形こそ人のそれだが、肩から伸びる8本の触手、紙のように薄い上、胴体とくらべるとアンバランスな大きさの手足、決まった形を持たないかのように蠢く頭髪など、身体を構成するパーツは人外のそれであった。彼はその巨大な手を用い、もう1つの影に何やら指図をしているようだ。
「オーケーオーケー、ちゃあ~んとお望み通りにやってみせるよ! ひっひっひ」
もう1つの影は、人間の少年のような……否、「ような」ではなく、影の主は本当に人間だ。その少年は、乾いた土のような色の髪を逆立て、眉と口角を不敵に釣り上げている。光を反射する眼鏡とチェック柄のシャツが、彼をまるで「この手の仕事」のプロであるように見せていた。こう話している間にも、その手はキーボードの上をせわしなく、迷いなく動き、見ていると仕事ぶりに対する期待が高まってくる。
「ふん。期待はしないでおくからな。だが絶対にしくじるな」
人外の男は言うが早いか、夜の闇に溶けていった。だがこの情景は彼らの素性を知る者であれば全く違ったものに見えてくる。彼は闇の中ではなく画面が映し出す世界の奥の奥へ、消えたのではなく潜り込んでいったのだ。
「流石は捻くれた人間の子供の溜まり場だ! 安っぽく、それでいてドロドロした感情が、そこらじゅうにデータの泥となって渦巻いている!」
彼が浮かべている笑みは、幼い心の持ち主を嘲っているようにも、この現状を興味深く感じているようにも見える。恐らく両方だろう。彼の体は重力を感じさせない動きで、道筋が分かっている迷路を奥へ奥へと進んでいった。
「だいぶ進みやすくなってるだろ? ボクって天才!!」
「いいから黙ってやれ」
少年に対して語り掛ける口調は、独り言に比べて随分辛辣だ。だが少年は気にしていないのか、ニヤニヤと笑いながら自分の作業を進めていく。男の巨体が消えた後の部屋は、その代わりに大量のキーボードで埋め尽くされていた。少年は殆ど手元を見ずに、それらのキーボードを用途に合わせて使い分けている。
空中を滑るように進んでいた男は、早くも最奥部の一歩手前まで来たようだ。男はほんの少しだけ立ち止まると、再び目的地へと進んでいった。そして、彼は入口に扉が無い部屋に辿り着き、体を滑り込ませるより先に触手を伸ばす。だがその時だった。バチバチッッという耳をつんざくような音と共に、焼けるような痛みがケーブルに似た触手を通じて男を襲った。見ると、何も無かった筈の入口には、橙色で半透明の壁が立ち塞がっていた。不規則に直線が並んだ模様の壁は、外部からの物理的な介入を拒んでいる。
「ぐっ……! 嫌な意味で予想が的中だな!」
男は空間に穴を開けたかと思うと、それを通って少年がいる部屋に姿を現した。少年は1本の触手でぐるぐる巻きにされ、男の眼前まで一気に持ち上げられた。男は仮面の奥にある目で少年を睨み、怒鳴りつける。
「絶対に手筈通りにやれと言っただろ!! 今度は何をした!?」
「くっくっく……やぁ~っと気付いたか……そう! 実はなんと! このボクがこっそりスペシャルコマンドを……」
「何がスペシャルコマンドだ! 適当な事やってるだけの癖に!!」
男は少年を拘束したまま、1組のディスプレイとキーボードと向かい合う。彼は大きく薄っぺらい手で器用にキーを押しながらも、ぶつくさと文句を言い続けていた。その口元は苛立ちで歪み、使っていない触手もどこか不機嫌そうにうねっていた。
「お前はいつもこうだ! やれと言われた事は出来るのに、余計な事までやらかしてくれる……」
「おっ! 今の前半部分! 珍しくグラビモンに褒められたラッキー!」
「黙れバカ睦月!!!」
デジタルモンスター、略してデジモン。現実世界(リアルワールド)に生息するどの生き物とも違う、電脳世界(デジタルワールド)の住人。全く別の存在でありながら、ヒトと表裏一体の存在。そんな彼らだが、近年デジタルワールドで起こった戦争の影響により、本来インターネットを通じてしか交わらなかった2つの世界が交わるようになったため、リアルワールドに姿を見せるようになった。
人間の中でデジモンを知る者は少ない。デジモンが人間の居住区に現れ、本能のままに行動しようものならば、たちまち大混乱が生じる事は想像に難くない。
70億人を超える地球の人類には対となるデジモン、即ちパートナーが存在する。人はデジモンに力を与え、デジモンは人を警護する、一種の共生関係にある。運よくパートナーと巡り合えた者、もしくは利害が一致する存在と出会えた者は、デジモンが起こす様々な事件を解決、隠蔽する事によって自らの利益に還元していた。
ここにいる睦月とグラビモンも、この世界に少数ながらも存在する「パートナーと出会えた」者達の中の1組だ。
「元より強固な防御プログラムになっているぅ……? 何をどうしたらこうなるんだ!」
本来はコンピュータの向こう側で活動するデジモンがキーボードをカタカタといじっている姿は、なんともおかしな光景だった。だがこの状況を作り出した張本人は、そんな事にも自分が宙吊りになっている事にも意を介さず、ケタケタと笑い続けていた。
「どうグラちゃん! 捗ってるぅ!?」
「お前のせいで捗ってない。全く、情報操作は何よりも鮮度が大切だというのに……そして私はグランドチャンピオンシップではない! どこぞのデカブツのような呼び方は止めろ」
彼らが夜な夜な行っているのは、「デジモンが現れた」という記憶を含む情報の操作だ。掲示板の書き込みを削除し、光の信号で記憶を消去するためのプログラムを忍ばせるなど、少々倫理や法律の観点で問題がある方法を取ってはいるが、彼らのおかげで混乱は殆ど生じていない。今夜はとある中学校の校庭で、デジモン同士の抗争があったらしい。夜中の話とは言え、校庭という目立つ場所で行われたそれの目撃談は、その地域の掲示板や中学の学校裏サイトへ続々と寄せられている。そこで、彼らの出番だ。
「何故だ、何故あそこまで高い技術を持っているというのに肝心のおつむはどうして……」
グラビモンは一般的には一流の軍師とされているデジモンだ。ここにいる彼も、種族の名に恥じない頭脳と残虐性、そして好奇心を持ち合わせていた。先ほど彼が道中で見せた姿が彼の本来の性格であり、彼が他者に見せたい姿だ。
「また褒められた! 今日のグラビモンはレアだ! URだ! 星5!!」
パートナーである睦月は、言ってしまえば馬鹿であった。馬鹿と言っても色々なタイプが存在するが、彼はお調子者で自信過剰、更には自分を天才だと思い込んでいるために自分がやっている事は大変素晴らしい事だと勘違いしているという面倒な人種だった。馬鹿というよりは実力が伴わないナルシストのようにも見えるが、この性格が原因で授業を全く聞かないか間違った解釈のまま突っ走るため、結局は馬鹿の部類に入るのであった。とにかく彼は、性格に難があった。パートナーがああなので、グラビモンは調子をいつも狂わされ、気が付けば柄にも無く怒鳴ってしまうのだ。精神的苦痛がピークに達したグラビモンは、遂に喋るのを止めてしまった。
グラビモンの手が止まった。どうやら睦月のスペシャルコマンド、又の名を「心赴くままにキーボードを打っただけ」のせいで出来た余計な仕事を終えたらしい。
「やったねミッションクリア!」
「……振り出しに戻っただけだ」
「そう言えば、明日っていうか今日ってビッグデスターズの会議?」
「疲れたから行かない。どうせ行ったってザミエールモンとスプラッシュモンしか来ない」
もはや怒る気力さえ奪われたグラビモンの返事は静かだった。その時だ。グラビモンは画面の向こうの何かに反応し、一気に警戒態勢に入る。
「おやおやぁ? お客様のお出ましかな?」
グラビモンの口角が再び吊り上がる。声色には歓喜の声が混ざっていた。
そもそも人間が作ったサイトへの侵入に、デジモンの手助けなど必要ない。外部からのハッキングで事足りてしまう。事実、睦月は並行して多くのサイトに侵入、情報操作を行っていた。では、グラビモンは一体何のために自ら行動していたかというと……
「来た!」
グラビモンは待っていましたと言わんばかりに空間に開けた穴へと飛び込んだ。行き先はデジタルワールドにおいて最も学校裏サイトの影響を受ける座標、彼が先ほどファイヤーウォールに行く手を阻まれた場所だ。
デジタルワールドとリアルワールドは表裏一体、リアルワールドで大きな出来事があれば、インターネットを通じてデジタルワールドでも何かが起こる。その変化に引き寄せられたり利用しようと考えたり等して、こうした場所にデジモンが集まる。今回は「中学校という場所」で、「事件が起こったという情報」が、学校裏サイトという「事件現場と密接な関わりがある上に多くの人間の感情が籠められている」場所の影響を受け、デジタルワールドでも変化が起ころうとしていた。
「……んん~? 何だ、またクラモンか。やはり大物をおびき寄せるにはもっと大規模な事件でないと……校舎が倒壊するとか、500人の全校生徒が一斉に行方不明になるとか、関係者が皆発狂するとか、いっそ田舎の学校で終わらずに、事件が次へ次へと連鎖……」
何やらミステリー小説じみた危険な思想が聞こえてくるが、彼は少なくとも人間界でテロリズム的行為をするつもりはないようなので安心してほしい。
ここに現れたクラモンというデジモンは、デジモンが起こす事件を解決しようとする者ならば一度は耳にするデジモンだ。インターネットに蔓延る人間の暗部から生まれたデジモンで、1匹1匹は対して強くないものの爆発的に増殖し、ネット上で悪さをする。種族不明のデジモンで、そういった意味ではグラビモンと同類であるとも言える。
「ふ~む、今日は兵を置いてきてしまったからなぁ。大規模な作戦は今後に取っておくか……睦月! いつもの『アレ』だ!」
「オォ~~~ッッッッッケーーーーーイ!! ボクの天才的頭脳に任せといて!!」
身体の自由を取り戻していた睦月は、再び指をわきわきと動かし喜々としてキーボードを打ち始めた。
「#$%&’(△1001○□?>’$&’%!!!!」
1匹のクラモンが言葉とは言い難い声を発すると、その場にいたクラモン達が一斉に集まり始めた。クラモンの最も厄介な点は、増殖した上で合体し、あっという間に究極体にまで進化してしまう所だ。放っておけば取り返しのつかない事になってしまう。だが、グラビモンは動かない。それどころか別の作業に没頭してしまっている。
「10……31…………63………………」
クラモンは瞬く間に部屋を埋め尽くし、クラモンからツメモンへ、ツメモンからケラモンへと進化していく。だがグラビモンは全く動じていない。やがてケラモンがクリサリモンに進化し、残るクラモン達はより多くの「自分たち」を「自分」へと送るために、分裂の速度を上げた、筈だった。
「‘*?(’&$%&%(%’”……!!!????」
クラモンの分裂が、どうしたことか突然ストップしてしまった。正確には完全にストップした訳ではなく、1,2匹ずつ、ぽつぽつと湧き出していた。つまり、分裂速度が著しく落ちてしまったのだ。驚いたクラモンとクリサリモンは、軽いパニック状態に陥ってしまう。
「1565550……1565551……どうした? 気にせず進化を続けろ?」
この空間において、グラビモンだけが平常心を保っている。彼は相変わらず何かを数え続けていた。クラモンに異変が起こるまでは8本の触手も使っていたのだが、今は手だけで何かをカウントしている。
「『どうして分裂が出来ないのか』? ちゃんと出来ているだろう? …………人の話を理解できる知能があるか分からないが、一応説明だけはしておこう。アレにお前たちの増殖を抑えるプログラムを打ちこませた。それだけだ」
グラビモンは「アレ」と言いながら上を指さした。「アレ」というのは勿論、外からパソコンを操作している睦月の事だが、クリサリモンが知る由もない。
「今使わせている『リアルワールドからインターネットを通じてデジタルワールドに干渉する』技術は私が編み出したもので、奴は少しも理解していないがな。睦月の物分かりがもう少し良ければ……あそこまで『宝の持ち腐れ』を体現している例は初めてだ! 全く、機械にやらせた方がよっぽど効率がいい」
一方的に話しているだけのグラビモンは、クリサリモンにとって恰好の的だ。今なら倒せると言わんばかりに刃のついた触手を伸ばす。刃はグラビモンに肉薄、だが、本当に後少しという所でグラビモン自身の触手に絡め取られてしまった。まだ成熟期のクリサリモンにとって、グラビモンは格上のデジモン。しかもクリサリモンは言わば「繭」の状態で、自力では移動できない。グラビモンが少し力を入れれば簡単に引きずられてしまうだろう。クリサリモンが慌てて振り払うと、絡み合っていた触手はあっさりとほどけた。
「早まるな。今飛び掛かっても勝ち目は万に一つも無い。私の見立てでは、後500体ほどで進化出来るぞ? 大人しく待ってみては如何かな?」
グラビモンが自分達の感覚でしか分からない筈の事を言い当てたのに驚愕したのか、感情というものを感じさせなかったクリサリモンの瞳が、ほんの少しだけ揺らいだ。この得体の知れないデジモンの指示に従うのが得策だと判断したのか、クリサリモンは本物の繭のようにピタリと動かなくなった。
クリサリモンが微動だにせず分裂・合体に専念するようになってから1時間45分ほど経った。グラビモンは欠伸を噛み殺しもしなくなり、睦月に至っては真夜中だろうとお構いなしにスナック菓子に手を付けていた。
「そろそろか」
グラビモンが呟くのと同時に、クリサリモンの硬い外皮がひび割れ始めた。より硬く、よりスマートな形状の殻。細く長く、それでいて重厚な金属音を立てて動く手足。増殖した自身を取り込み強化する事に成功したクリサリモンは、無事にインフェルモンへと羽化――進化したのだ。
「クラモンを見つける度に進化に必要な頭数を数えて統計処理をしてきたが、そろそろどこかの学会に持ち込んでもいいくらいになってきたな。他人に教える気は無いがな。ああ、誤解を生む前に言っておくが、これは作戦ではなく私の趣味だ」
再び、いや、進化前より遥かに高い機動力を手に入れたインフェルモンは、蜘蛛のように壁を伝ってグラビモンに襲い掛かる。ガシャガシャガシャンと耳障りな音を立てて急接近すると、口内にある銃口から高密度のエネルギー弾を発射した。一人で喋っていただけのグラビモンは、流石に直撃は不味いだろうと右方向に旋回する。的を外れた弾は壁に着弾し、壁は高熱と爆風で粉々になってしまった。弾は貫通して1,2枚先の壁も破壊したらしく、煙が晴れると本来繋がっていない筈の通路が繋がってしまっているのが見えた。
「ディアボロモンになるまで待っていたいのだがなぁ、ここは狭いし何より眠くて頭が普段の90%しか働かない」
グラビモンは無残に散らばった壁の破片や『ヘルズグレネード』の威力には興味が無く、わざとらしく欠伸を繰り返している。さり気無く自分の能力を自慢するというおまけつきだ。インフェルモンはお前の話こそ興味が持てないぞと言いたげに再びヘルズグレネードを発射した。グラビモンはそれも頭髪や触手を揺らめかせながら躱す。空中を泳ぐように浮かぶ姿は、彼のビジュアルも相まって幽霊、見るものによってはリーフィーシードラゴンのような鰭の長い魚に見えるだろう。
「ワカメ被ってる一反木綿が飛んでる!!」
「黙れ馬鹿! クラモン増殖の完全な妨害、破壊された箇所の修復、地形データの改竄! やれ!」
「アイアイサー!!」
睦月はナイトクラブでハイになっているDJのように、ノリノリでエンターキーを押す。すると、少しずつ続いていた筈のクラモンの増殖はぴったりと止まってしまった。インフェルモンは強化の手段を失ってしまったが、完全体に到達できただけでも御の字だと判断したのか構わず攻撃を続けた。インフェルモンの跳躍力は思わず睦月が目を見張るほどで、狭い室内の中ではグラビモンの「飛べる」という利点を打ち消してしまっていた。インフェルモンはミサイルのように、グラビモンへの突撃を試みる。
「ヘイ!」
キーボードがより激しくカタカタと鳴き、その直後に地面の一部が円柱状にせり上がってインフェルモンの突撃を食い止めた。空中で動きを止められたインフェルモンは落下していくが、宙返りをして綺麗に着地した。インフェルモンの殻の硬さは中々のもので、勢いよくぶつかっても殆どダメージを受けていない。
「猫みたい!」
「お前の頭の悪そうな比喩を聞いてると、私まで馬鹿になりそうだ……毎回思うが、中身は慣性の法則でぐちゃぐちゃにならないのか? 中に何らかの緩衝材が入っているのか、それとも……」
「慣性! ボクは慣性大好きだよ! 慣性って言えば天才らしさがアップするからね!」
「理科のテストで20点を取っておいて何を言ってるんだこいつは?」
彼らに地形そのものを変える手段があると分かった後も、インフェルモンは突進を続けた。インフェルモンが跳躍する度に床からも壁からも円柱が伸び、徐々にスペースを奪っていく。いくら細いとは言え巨体であるグラビモンの逃げ場は失われ、インフェルモンは良い足場が出来たとばかりに縦横無尽に動く。
「あっれ~~~!!!??? ハメられちゃった!? 土神将軍策に溺れちゃった!!??」
「う~~~む、そうかもしれないなぁ~~~?」
言葉とは裏腹に、2人の顔と声には喜びの色が混ざっていた。そこへインフェルモンのヘルズグレネードが飛んできて、グラビモンの右肩を掠める。布状の腕からは出血は無く、代わりに布の切れ端のように腕の一部だった物が散っていく。
「ぐぅっ!」
右腕を押さえ、苦悶の声を上げたのはグラビモンではなく睦月だった。だがそれも一瞬で、彼の顔にはすぐに悪役のそれのような笑みが戻ってくる。
「いい加減眠いからカタをつけるぞ」
「OK! ボス!! あ、将軍の方がよかった?」
睦月は床に置いていたデジヴァイスを手に取った。彼のデジヴァイスは円形で、蓋をスライドさせると液晶画面やボタンが現れる仕組みになっている。彼は左手でデジヴァイスを、右手でキーボードを操作する。
「△△○□#’&*‘@××!」
今度のヘルズグレネードは、グラビモンを真正面に捉えた。グラビモンが避けようにも、そこかしこに柱があるため避けきれないだろう。だがグラビモンは涼しい顔のままだった。後数メートルで着弾という所で、8本の触手が一斉に持ち上がった。
「オクタグラビティ」
触手の金属部分が怪しい色に光った。その時だ。既に発射され、間に遮蔽物も無いためもう変化しない筈の弾道が、突然捻じ曲げられた。弾は地面へと引き寄せられていき、着弾。そこにあった柱はへし折れ、床にはクレーターが出来ている。
「%&△!?」
インフェルモンは再びエネルギー弾を発射した。だが、今度は発射された時点で弾は勢いを失い、自らの重さに耐えられなくなったかのように地面に落ちた。何度も何度も力を込めて発射するが、弾を敵まで届けるほどの速度を得るには至らない。足場を跳び回り、位置や角度を変えようと試みるも、結果は常に同じだった。気が付けば、落ちていくエネルギー弾に当たって崩壊した柱も増え、空間が広くなっていた。
「お前のヘルズグレネードに掛かる重力をいじった。今のお前の力では、弾を私まで飛ばす事は不可能だ。所で……そんなに『高い所』にいて大丈夫か?」
グラビモンが床を指さす。高威力の、しかも元より重くなったエネルギー弾を浴び続けた床は、削られに削られ深い穴が出来ていた。その分あまり高くなかった天井が高くなり、今インフェルモンがいる足場から落ちただけでもかなりのダメージを喰らうだろう。
「ああ、落ちなきゃ平気だと思っているかもしれないが、その脆弱な足場がいつまで支えてくれるかな?」
グラビモンの触手が光る。すると、インフェルモンは自身の身体が徐々に重くなっていくのを感じた。このままでは動くこともままならなくなるだろう。やがてインフェルモンは自分の身体を支えられなくなり、ガシャンと音をたてて腹を地面――正確には円柱の上だが――に着けてしまった。
「そもそも、その足場はあまり丈夫に作っていないんだ。いつかは重さに耐えられなくなる。ああ、いつかというのは……今だ」
「今だ」という言葉に合わせ、突然インフェルモンに大きな圧力が掛かった。いきなり重くなったインフェルモンに耐えられなくなった柱は崩壊、勢いを殺してくれる障害物が無い所へとインフェルモンは落ちていく。高さと重さが相まってその落下速度は凄まじく、浴びる風だけでも人間であれば無事では済まないほどだ。このままでは墜落し、外皮は粉々に、内臓はそこらにぶちまけられてしまうだろう。インフェルモンは機械的であまり柔軟ではない思考を持つが、それでも死への恐怖は生物の本能として持っている。必死に足掻くが、どこにでも張り付いて移動できる手足は空を切るばかりで意味を成さなかった。
イヤダ!シニタクナイシニタクナイシニタクナイシニタクナイ…………?
落下していた筈の身体は、白くて柔らかい布のようなものに受け止められていた。いつの間にか重さも元に戻っており、インフェルモンは自分の命は一先ずは救われたのだと理解した。
「そう言えば、まだ取りたいデータが沢山あったのをすっかり忘れていたよ。このまま殺すのは忍びない。お前は実験材料として、私が飼うことにしよう。た~っぷり長生きさせてやろうなぁ」
インフェルモンを救ったのは、グラビモンその人だった。彼は菩薩のように穏やかな笑みを浮かべ、インフェルモンを受け止めた大きくて白い手でインフェルモン全体を包み込んでいく。インフェルモンは命の保証だけはされた事に安堵し、静かに眠るように目をつぶった。
「…………ハイグラビティープレッシャー」
グシャア!!バリバリバリッ!パラパラ……ゆりかごの中の赤子のように眠っていたそれは、今やただの金属片と化してしまっていた。
「思ったよりも強度が低かったな。他の個体だとあと数十秒は長生き出来ていたが……緩衝材は今回も無し。やはり何らかの形で慣性の法則が働かないようにしているのか……」
デジコアごと押し潰されたインフェルモンに、グラビモンの好奇心を駆り立てるようなものは残っておらず、デジコアごと押しつぶされた亡骸はあっさりと掌から払われてしまった。その様子は、虫を捕まえた子供が力加減を誤ってそれを潰してしまい、それきり興味を無くしてしまう様子に似ていた。グラビモンは自分が捨てた殻を一瞥すらせず、空間に穴を開けてパートナーの自室へと戻っていった。
「お帰りグラちゃん! ハイタッチイエーーーーイ!」
グラビモンは手ではなく触手を差し出した。それでも睦月はお構いなしに手と触手を打ち合わせる。
「今回は駄目だったな。折角用意した円柱をこちらは何一つ活用出来なかった。あれでは本当に策士が策に溺れただけみたいじゃあないか! やはり眠いと判断力が落ちて良くない」
任務自体は成功したにも関わらず悔しがっている辺りがグラビモンらしいといったところだろうか。
「ねえ! エネルギー弾に重さって元々あるの?」
「リアルワールドの常識で考えるな! デジタルワールドにはリアルワールドと同じ物理法則は無いと思え!」
「何か慣性がどうとか言ってたけど分かったもう聞かない!!」
「それよりも、復元作業だ復元作業」
「ダイジョーブ、もうバッチリさ! 完璧に元の姿だよ!」
この無駄話の間に、睦月は作業を終わらせていたらしい。インフェルモンと同じくらい無残な姿になっていた部屋は、元の静けさを取り戻していた。穴は塞がれ、柱は引っ込み、空間を分ける壁は無くなり、地面を覆い隠す床も無くなり、草は生い茂り、花は咲き乱れ、風は花の匂いを運び、川はさらさらと流れ、鳥デジモンが声高らかに歌う、そこに文明が出来る前の、静かな姿へと…………
「はあーーーーーーーーーーーーーーー!!!!????」
グラビモンは急いで睦月を拘束し、キーボードを叩き割りそうな勢いで打ち始める。
「何をどうしたらこうなる!? 何をどうしたらこんなに大規模に地形が変化する!?」
「これは流石にボク自身も予想出来なかった……ボクは……ボクには、ボクさえも知らない才能が眠っていたというのか……!」
「ああそうだな。お前は天才だ。偉大なる発見者だ。デジノーベル賞はお前の物だ。どうやってこれをやったか覚えてさえいればな」
グラビモンの声は完全に死んでいた。グラビモンの眠らない夜は明け、そのまま眠れない朝へと突入してしまったのであった……。
ここはデジタルワールドの何処かにある秘密の会議場。ここでは恐るべき組織による秘密の会議が行われていた。今は身体の殆どが水で出来た男の姿をしたデジモンが、肘を立て、口元で手を組み……否、目を両手で覆いながら仲間達の到来を待ちわびていた。
「よう、スプラッシュモン」
緑の三角帽を目深に被り、背中に巨大な矢を背負っている狩人然としたデジモンが、自動ドアから暗い会議室へと入ってくる。親し気に声を掛けられた水のデジモンは、ゆっくりと顔を上げた。
「……ザミエールモンか」
「おい待て、今日は俺とお前しかいないのか!?」
スプラッシュモンと呼ばれたデジモンは、無言で頷いた。
「ドルビックモンは?」
「領地拡大のための戦いが長引いてるらしい」
「またかよ。ネオヴァンデモンは昼間だから来ないとして、オレーグモンは?」
「そろそろ会議だというのを忘れてうっかり航海に出たらしい」
「あいつのうっかりはマジでうっかりなんだよなあ……」
「グラビモンについては私は何も聞いていないが、お前は何か聞いていないか?」
「『睡眠欲が知識欲に勝ってるくらい眠いから行かない。どうせ行ってもお前とスプラッシュモンしかいないだろ』……だと。予言的中だな」
「流石軍師様といったところだな。私もそのくらい頭が良ければ部下が増えるかなあ……」
ザミエールモンとスプラッシュモンは、お互いに深い深いため息をついた。
「今回は誰も無断欠席しなかっただけマシだな」
「ああ、そうだな。(一番無断欠席の回数が多いのはザミエールモン、お前なんだがな)」
ザミエールモンはスプラッシュモンの一つ置いた隣の席に腰を下ろした。場の雰囲気は会議室というより、完全に真夜中のバーのそれになっていた。因みに、今の時刻は先ほど会話に出てきた通り、昼だ。
「逆に、お前はよく来れたな」
「今日は上手くチビどもを撒けたんだ。ったく、狩りなら狩りって言うってーの! 『もしかして狩り? 狩り?』じゃねーよ! 狩りに行きたいのはこっちだ!!」
ザミエールモンは、そこにある事になっているコップを打ち付ける。
「相変わらずアットホームな職場だな……いいよな温かみのある組織……。私はな、今日はな、シャコモンに引き留めてもらえたんだ……『スプラッシュモンいっちゃやだー』って……シャコモンは可愛い奴だよ。私の事を愛してくれる……」
「相変わらずお前んトコは保育園なのか?」
「ああ。漂流してくる幼年期・成長期はどんどん増えるのに、求人広告を見て来る奴は全然いないんだ。やっぱり基地を深海にしたのはまずかったかなあ……アクセス最悪だもんなあ……オレーグモンやネプトゥーンモンの方が人望あるしなあ……でも、陸の水辺って大体強いデジモンが押さえてるし何より目立つんだよなあ……」
スプラッシュモンの顔からはみるみるうちに生気が失われていく。
「元気出せよ色男……こいつは俺の奢りだ……」
ザミエールモンは、どこからか小瓶を取り出し、カウンターという事になっている机の上に置いた。中には黄金色に輝く糖度が高そうな蜜が詰まっている。
「デジアカシアのデジハニーだ。上手いぞ」
「いつも悪いな……お前も飲め」
「飲めってお前、そいつ酒じゃなくて水じゃねえかわっはっは」
「只の水じゃない。ドリッピン入りだわっはっは」
「なんだそれ劇物じゃねえかわっはっはっは」
「それを言うならデジハニーだって劇物みたいな物だろわっはっはっは」
「それもそうだなわっはっはっは」
「わっはっはっは」
「わっはっはっは」
「わーはっはっは……」
疲れ切った2人の男の乾いた笑い声は、暗い会議室にいつまでもいつまでも……とは流石にいかないが、それなりに長い時間響き渡っていた。
ラッパーの次はアッパラパーかよ! 夏P(ナッピー)です。
ラッパーと同一世界観ということで私こーいうの好き! 2016年作ってことはこの時点だとまだクロスウォーズデジモンに世代設定無かった頃かしら? ザミエールモンとスプラッシュモンしか参加してないと言われて「んんん完全体の奴らしかおらんじゃん」と思いましたがこれは偶然か。
クラモン(インフェルモン)生き残ったと思ったら即あうんで酷い。睦月氏とグラビモン凸凹コンビだけど随分と饒舌な辺り実は楽しんでそうなグラビモンに草。
ここから連載ということでこちらは読切扱いではなく序章扱いになるのか。
では連載の方もお待ちしております。