『金魚が空を泳いだ村』
最初の金魚が誰のものであったのか。覚えている者は、もういません。
ただ、誰かのデジモンが、それはそれは見事なファンクンモンに進化したものだから。
それで、村興しをしよう、と。そういう話に、なったのです。
村は山の奥深くにありました。
多くの山間の集落と同じように、緩やかに人の数を減らし、滅びの時を待つばかりの村でした。
ざあわ、ざあわわ。音色の心地よい風以外は、とても静かな村でした。
春には桜の花筏。
夏には棚田の若い稲。
秋には紅に色づく葉。
冬には茅葺き屋根の雪化粧。
ざあわ、ざあわわ。風が季節の彩りを運ぶ、ひどく綺麗な村でした。
だけれど村の人々は、ずっと見知っているために、村が美しい事を知りません。
だけれど外の人々は、村の美しさを知っていても、大抵、遠巻きに眺めれば、それだけで満足してしまいます。
むかしむかしのお話の、挿絵そのままの村でしたが、こんなご時世ですものね。世界中全てと繋がる窓は、村にもちゃあんと、開いていたのです。
いくら桜が華やかでも。
いくら稲の穂が鮮やかでも。
いくら紅葉が艶やかでも。
いくら白雪が目映くても。
窓から覗いて、綺麗だな、と。
それでおしまい。おしまいなのです。
誰も村には寄りつきませんし、村の中さえ誰彼も、外に出たがる有様でした。
だけれどある時、そんな時。
村の誰かのデジモンが、ファンクンモンに、なったのです。
桜のように華やかで。
稲の穂のように鮮やかで。
紅葉のように艶やかで。
白雪のように目映くて。
ざあわ、ざあわわ。風に乗り、空を泳いだこの大魚は、挿絵の村の人々さえ知らない、絵にも描けない美しさ。
窓の外から覗くだけでは、とても心を満たせない、それはそれは見事なファンクンモンでした。
どうだ、どうだ。うちの村では、金魚が飛ぶぞ。
薄紅の鰭が桜と舞うぞ。
青い鱗が稲穂に光るぞ。
紅い瞳が銀杏に揺れるぞ。
雪に落ちるぞ、白い影が。
昼はお天道、夜は月光。髭を鱗をお頭を、飾ったこがねが、きんらら、きらきら。
鯉よりずうっと大きいが、金魚と呼ぶ他あるまいよ。
さあどうだ。うちの村では、金魚が飛ぶぞ。
村の人々が窓を開いてファンクンモンを見せると、たちまち外の人々は、これのとりこになりました。
見せろ、見せろ、見せてくれ。
金なら払うぞ、いくらでも。
髭や鱗やお頭に、きんらら、きらきら、輝くこがね、それだけの話ではありません。
ファンクンモンは、すっかり金の魚です。
だけれど外の人々も、どれだけ綺麗で美しくても、同じものばかりは見ていられません。
だけれど一度は、外の賑わいを知った村。ざあわ、ざあわわ。風が奏でる音色なんて、今更思い出したくはありません。
2体。
3体。
4体と。
それはそれは見事なファンクンモンが、次々新たに、村の空を泳ぎ始めました。
一度そうなると知りさえすれば。
同じようにやりさえすれば、村の人々のデジモン達は、揃ってファンクンモンになれたのです。
外の人々は、村の存在を思い出しました。新たに知った人もいます。
みんなこぞって村に来て、綺麗だ、綺麗だとにこにこにこにこ。
みんながみんな、笑顔で空飛ぶ金魚を褒めそやします。
村の人々も、大喜びです。金魚のいない惨めな空なんて、もう二度と思い出しませんでした。
茅葺きの屋根を取り払い、金魚を見上げる広場が出来ました。
夜には春の花より秋の木の葉より、咲き乱れるような灯りが色とりどり、昼より明く鮮やかなほど。
往来には綺麗な金魚を楽しみながら、たくさんの誰かがぽいと投げた、綺麗でないものがころころ転がっていましたが、空を埋め尽くす大きな金魚達が、ほうら、こんなに綺麗なのです。だぁれもそんなの、気にしません。
だけれど、ファンクンモン達が、それはそれは見事なものだから。
窓の内から、心ない人が、醜く酷く汚い真似をする事もありました。
余所で見たファンクンモンの方が、見事だったと言う人もいました。
昔此処で見たファンクンモンの方が、見事だったと言う人もいました。
鰭にきずがあるだのと。
鱗に輝きが無いだのと。
瞳が濁っているだのと。
影が細っているだのと。
だけれど、やっぱり空の金魚が綺麗なお陰で、だぁれもそんなの、見向きもしません。
そんなきんらら、きらきら。こがねの日々が、いつまでも続くと、うきうきと。みんなが心を躍らせていました。
きっとその日も、誰しもが。そう思っていた日のひとつなのです。
ええん、ええん。
わああん、わああん。
誰に聞こえていた訳でもありませんが、女の子が1人、泣いていました。
女の子の父親はカンカンです。母親は、少し離れたところで、やっぱり怒った顔をしています。
「どうしてファンクンモンじゃないんだ」
父親の声は、がらがら雷みたいです。
「そんな事を言ったって」
しゃくり声をあげる女の子の後ろでは、青々したつる草が絡まって、人の形になったようなデジモンが、女の子の肩を抱えて、険しい表情を浮かべています。
「この子はそもそも、植物型だったんだもの。魚になんて、なれないよ」
「そもそも植物型に進化させたのは、お前の努力が足りなかったからだ。これからお父さんとお母さんが、どれだけ村で白い目で見られるか、お前、ちゃんと考えたのか」
「そんな事を言ったって」
女の子がまたしゃくり声をあげて、つる草のデジモンは、きゅ、と女の子の肩を抱く力を少しだけ強めました。
「昔なら、きっと喜んでくれたじゃ無い。この子の力は、木を間引くのにも、稲を刈るのにも、とっても向いているのだから」
「いつの話をしているの、時代遅れで、恥ずかしい子」
母親が吐き捨てます。
そうして、父親も母親も、女の子に呆れて、揃って広場の方に行ってしまいました。
だってそちらの方を向けば、自分達が手塩にかけて育てたファンクンモン達が、あんなに綺麗に空を泳いでいるのですから。
美しいものを見ていると、嫌なことなんて忘れて、心が豊かになれるのです。
村の人も、外の人も。
この泣いている女の子以外はみんな、みんな。溢れるほどの嬉しい気持ちで、空飛ぶ金魚を、眺めていました。
そんな時です。
あっ! と誰かが、声を上げて。金魚で埋まった空を指しました。
誰かの指の向こうでは、ファンクンモンの1体が、ぴたりと動きを止めていました。
鰭も、口も、そして、瞳も。ちっとも動いていないのです。
髭だけは揺れていましたが、それは風が吹いているから。
その風が、ざあわ、ざあわわ。ひときわ大きく吹いてみせると、大きな金魚がぐぅるん、ひっくり返ってしまったではありませんか。
真っ白なお腹が、柔らかそうです。
柔らかいから、おいしそうだと。そう思ったのかもしれません。
空をゆらゆら泳いでいたファンクンモン達が、一斉に。ひっくり返った1体へとおどりかかりました。
魚ですから、その様は、池に餌を投げ込まれた鯉にも似ていました。
我先に我先に。鋭い嘴状の口が、白く柔らかいところから、仲間の肉を毟り取ります。
千切れた鰭がはらはら舞います。桜のようです。
脆くなって砕けた鱗がばらばら散ります。若い稲穂を撒いたかのよう。
啄む度に無数の赤目がゆらゆら揺れて、秋の落ち葉にちょうど似て。
やがて全てがふんわり、ふんわり。雪みたく降って注ぎました。
誰かが、悲鳴を上げました。
お腹が膨れて、元気が出たのでしょう。
ファンクンモン達は舞い踊る残滓からさぁっと離れ、今度は自分達が花びらみたくなって、それぞれ同じように別々の、見物客達におどりかかりました。
しゃぼんの玉が、数珠連なり。波打ち際じみて広がります。内からどんどん叩いても、こわれてきえたりなんかしない、立派で大きな、泡の玉が。
それからは、ほうら。秋の夕日に照る山の、もみじのような有様で。
だけど時には、きんらら、きらきら。つららがかんから降ってきて、季節がそろって、いっぺんにやって来たかのような、どんちゃん、お祭り騒ぎです。
金魚達は初めて村の空を、それそれは自由に泳いでおりました。
しかし可哀想に、先の女の子。
金魚を育てられなかったものだから、みんなの仲間に入れません。
仕方が無いのでつる草のデジモンは、女の子を抱えて、ざあわ、ざあわわ。風の速さで山を下りました。
ええん、ええん。
わああん、わああん。
女の子は天を裂いてしまいそうな、大きな声で泣きわめいていましたが、ファンクンモンと違って、木々に溶け込む森の色。アヤタラモンという名のそのデジモンは、魚にも人にも見向きもされません。
そうして1人と1体は、麓に辿り着いたのです。
それから、長い年月が流れました。
女の子だったその女性と、変わらずつる草のデジモンは、金魚が空を泳いだあの村の、それまでとそれからを知りたいと。そう願った人々に付き添って、久方ぶりの里帰り。
山の奥深く。
村はどこにも、ありません。
金魚はどこにも、おりません。
朽ち木か破片か、判別できない断片ばかりが残されて、あとは、ざあわ、ざあわわ。風の音色が踊るだけです。
「理由は、ひとつではないでしょう。きっとひとつでは、済まなかったでしょう」
窓を開いて景色を届ける黒い箱と、窓の向こうに音を届ける黒い棒。しかと正面に見据えて、女性はしゃんと背筋を伸ばしています。
「だけど、理由の一つに、これだけは。きっと間違いありません」
しかしふっと、顔を歪めて。
女性はそうっと、まなじりを指の腹で撫でました。
もうけして、声を上げては、そうしませんでしたが。
「たとえ空を泳げたとしても、魚は水を泳ぐものです」
泡の欠片が、薄紅の頬を伝って落ちました。
金魚たちは、今頃何処で、きんらら、きらきら。それはそれは見事に泳いでいるのか。
ざあわ、ざあわわ。風が知らないと言う以上、もはや誰にも、わかりません。
おしまい
じ、自分の育てた金魚に滅ぼされるとは……これもサイヤ人の定めか。夏P(ナッピー)です。
童話か絵本のように綴られる物語。挿絵に描かれる村と書かれた通り、ちょっと寓話染みた不可思議なテンポで読み進めることができましたが、結末はやっぱりこれだよ! 元々お金にならずとも村には四季それぞれに美しいもの素晴らしいものがあったはずなのに、金(に成る)魚が現れた途端歪んでしまったと。
ファンクンモンってあんなオシャレなデジモンに怖い設定あったかと思ったら「飛んでいるデジモンを一呑み」なんて凶悪な文言があって戦慄にして驚愕。一体が無防備なお腹晒した途端、速攻で食欲に突き動かされて共食い始めるレベルで野生の本能が覚醒するとはピラニアかアメリカザリガニか何かか……無数の赤目と表現されていましたが、一斉に大量の同胞によって食い散らかされた金魚は、それはもう青空の下で金の鱗を赤い血で錆び付かせたことでしょう(金が舞う青空と書いて錆)。
てっきり村人達も皆でウワアアアアと食われていった=ファンクンモンという形に自分達を縛り付けていたテイマーがいなくなった=ファンクンモン達は初めて自由になったという意味合いで捉えてしまい、血生臭すぎだろと戦慄したのですが、孤籠泡のシャボン玉で人間達を閉じ込めたに過ぎないってことでしょうか。いや元々の解釈だとテイマーにもデジモンにも救いが無さ過ぎるっていうか……。
女の子は逆にアヤタラモンというファンクンモンでないデジモン=村の昔ながらの在り方を保っていたから巻き込まれずに済んだと。サラッと済まされていますが、逃走までにシャボン玉軍団VSアヤタラモンの激闘があったのでしょう……。
ラストシーンは物悲しさの中に僅かばかりの希望……は無いなコレ、アレな田舎でしたが地図から消えてしまう程では無かった……というのが女の子改め女性の感慨なのでしょうか。
なんか色彩艶やかでオシャレなデジモンというイメージであったファンクンモンの見方が変わる、不思議なお話でした。
それでは今回はこの辺りで感想とさせて頂きます。