・前回までのあらすじ
互いのことをよく知りたいという夢の発案で開かれた親睦会で、夢と八雲は互いの意見をぶつけ合い対立する。夢は己の表現の手段について良くなかったことを詫び、皆謝罪を受け入れるが、肝心の八雲との対立は解決されないままだった。
闇の世界出身のデジモン・ツカイモンを連れる最年長の八雲について、夢は分からないことだらけだけれど話し合いたいという意思を見せるが、八雲は…。
※虐待に関する描写があります。
【 第四話・一 】
日曜日、親睦会を終えた帰路の電車で八雲は大きくため息をついた。電車はこのまま二十分、各駅停車しながら走る。夢との話し合いは八雲からすれば正直話し合いとも呼べない言い合いで、気持ちが疲れてとにかく落ち込んだ。夢の言いたいことは分かる。ただ八雲からすれば、夢の言動は他人をコントロールしようとしているようにしか思えなかった。
からかうのをやめるように進言した方がいいとか、デジモンを傷つけたくないから戦わない方がいいとか、自分でする分には自由にしたらいい。ただどうして周りにも同じような振る舞いをするよう言えるのかが分からない。正義感ゆえの言動なのだと理解はしている。彼女はきっとまっすぐに育てられてきたのだろう。苦しみに塗れた日々を送ってきた八雲には、あまりにも眩しすぎた。
八雲の両親は去年、離婚した。理由は一意に母にある。八雲は母から長年の育児放棄と精神的な虐待を受けてきた。綺麗な包み紙に包まれた暴力は八雲の心の隅々まで行き渡り、時々上げる人のものとは思えないほどの強烈な叫びに、八雲は毎度心臓を粉々にされていた。
母は父の収入をどこの誰とも知れない人間に注ぎ込み、父を辟易させていた。有名ストリーマーへの投げ銭であったり、エヴォリュシオン内での仮想恋愛であったり、現実の地下アイドルであったり、ホストであったこともあったけれど、父の稼ぎはともかくそうして父も八雲も愛さない誰かのところへ注がれ続けていた。それでも父は、まさか八雲が少しも愛されていないとは知らず、ただ自分が耐えれば良いと考え耐えていた。別れないのが八雲のためになると思っていてくれていたのかも知れない。そんな父の優しさがその時の八雲にはひたすらに裏目であったのだけれど。
母は度々八雲を何時間も拘束し綺麗な暴言を吐きかけ、父が帰ってくると途端に顔色と声音を変えて八雲をその胸に抱いた。柔らかくて気持ちが悪かった。どんな言葉だったのかは、具体的にはもう覚えていない。そうして、母からの虐待は丁寧に包まれ、熨斗をつけて、隠匿されていた。
母も最初からそうであったわけではない。曰く、結婚した当初は全くそんな気のない女性であったらしい。父と母との間で少しずつ何かがズレて、父も昔の母に戻って欲しいと祈り続けて、それでも、父が懸命に差し伸べた手は全て最初からないものみたいに扱われ続けた。八雲にとって母は昔からそうした女性であったので、頬を高く打たれ甲高い声で怒鳴りつけられてもどんな感情も今更沸かなかったのに、父は、八雲に対する母の真の姿を初めて見たその瞬間、明確に壊れてしまった。冷たくなっていく父の瞳、八雲の細腕を引く父の力強さ、隠し事がバレてしまったかのような後ろめたさと、やっと解放されるという喜びが八雲の記憶にずっと残っている。小学五年生、今の拓海や朝陽や夢と同い年の頃のことだった。
それから少しの別居期間を経て、父と母は離婚した。どうして父と生活できているのかは、八雲はよくは聞かされていない。そのため、母が八雲を手放したのか、父が八雲だけは離すまいと足掻いてくれたのか、それすら知らない。母との生活は冷たく、まるで沼の深いところに腕を引いていかれるかのような日々だった。父の前にいる時の母はそれはもう楽しそうに笑い、八雲のこともきちんと気にかけているように完璧に振る舞っていた。だから父が八雲に関心を寄せなかった故に起きた悲劇ではなく、愚かな母が妙なところでだけは聡かったからこその悲劇だったのだ。一緒に暮らしていた八雲には、それがよく分かっていた。
父は今、あの頃からすれば信じられないほど毎日穏やかに笑ってくれている。ひどく痩せていた体は少しずつ力を取り戻しているし、八雲も段々、誰かの顔色を伺ったりやりたいことを我慢する必要がないのだということを自覚し始めていた。今こんなに父と自分は幸せなのに、自分はいつまで両親の離婚に巻き込まれた不幸な少年として扱われるのだろう。そうして他人を自分の尺度と色眼鏡だけで見ることは悪ではないのだろうか。世間からすれば後ろ暗いことかもしれないけれど、八雲は父の決断を素晴らしいものだと思っている。母の愛は外側から見れば完全無欠だったのかもしれないけれど、八雲から見れば欠陥だらけで、愛とも呼べない醜悪なものだった。それでも『正しかった』だろうか。八雲はずっと、そういったことを考え続けている。
星埼へは中学校から入った。部活動を雅楽部にしたのは、どうしても音楽がしたかったからだ。音楽を聞いている時だけは、母は八雲を放っておいてくれた。だから今度は、逃げ場ではなく誠実に音楽に向き合ってみたかった。
楽器にいつでも触れられる環境に身を置くのは何かとお金がかかることを知っていたけれど、言わないでおく方が父を悲しませることを知っていた。雅楽部を選んだのは、多彩な部活動がある星埼で、他ではできないことがしたかったからだ。音楽ができる部活で一番女子が少ないのが雅楽部だった、という理由も、なくはないのだけれど。
母と離れて暮らすまでは平気だったのに、今の暮らしになってから急速に女性が苦手になった。八雲が思春期に差し掛かっている少年であることはまるで関係なく、女性のそばにいるのは、八雲にとって息ができなくなるほどつらいことだった。
幸いというべきか、夢は八雲より年下で、女性として見ることができないほど幼かった。だからデジモンと出会った少年少女らとの会話には差し支えない。夢との出会いも、デジタルワールドへ入り込んでしまったことも、今の八雲にとっては望まぬ事故だった。巻き込まれてしまったがゆえに背負う必要のない責任を負うことになったし、父への不要な隠し事が生まれた。その上、夢は八雲とは決定的に波長の合わなくて、会話に息苦しささえ感じる。一点の曇りもなく育てられた彼女は八雲にとっては眩しすぎて見ていられない。彼女の言う正義も善性も、八雲の何をも救いはしなかった。
「はぁ……」
車内アナウンスが最寄駅への到着を告げ、八雲はそっと座席から立ち上がる。鞄にはツカイモンが入っていて、ぬいぐるみのふりをしていた。
駅から十五分、街灯のどんどん少なくなる道を奥へと入ると、今八雲と父が暮らしているマンションがある。家事は父と分担していて、日曜日は必ず父の手料理が振舞われた。狭い机いっぱいに並ぶ少し不恰好な父の手料理が好きだ。母と暮らしていた頃から料理をしていた八雲と違ってまだ不慣れでムラも目立つが、八雲への愛がこれでもかというほど籠っていることが端々から伝わってくる。味だって悪いわけじゃないし、面倒だろうに品数も揃っていて食べ応えは抜群だ。自宅の扉を開けるなり飛び込んでくる、ほの甘いタレの香りに八雲は目を細めた。
「ただいま、父さん」
「おかえり八雲。もう少しでできるからね、ちょっと待ってて……」
自室へ入りツカイモンに買い置きのパンを与えると、八雲はリビングへと向かった。料理はもうほとんど出来上がっている。配膳を済ませようとキッチンへ行くと、父は悪いねと言ってばつの悪そうな笑みを浮かべた。手を合わせ箸を手に取れば、父は早速八雲に話しかけてくれる。細々としか会話の続かない父と自分だが、八雲にとっては確かな癒しの時間だ。
「今日はどうだった?」
「ん……ちょっと、疲れたかな」
「そうかあ。部の人と遊んできたんだよね。たくさん遊んだのかな」
「んー……ちょっと気の合わない人がいて、話が平行線すぎて、今後一緒にやっていけるのかなって」
デジモンとの出会いという説明し難い出来事で繋がったことは素直に話せなくて、部活の同級生と遊んでくると父には説明していた。遊んで帰ってきたというのに声は驚くほど弾まない。理由は分かっているし、父の前ではそういう気持ちを隠さないように努めていた。
「八雲、無理はしないようにね。ほどほどの距離感でお付き合いするのも手だから」
「うん。しばらくそうする。ありがとう」
テレビの音もない静かな食卓を、父とふたりで囲む。夢との会話でぐちゃぐちゃに揺れた心が静寂を取り戻していく。不安だらけの八雲だけれど、今だけはそんな気持ちを丸々忘れていられた。
ツカイモンとの日々を、八雲は正直楽しめないでいる。妙な同居人のことを父に隠しておかなければならないせいで、四方八方に気ばかり遣って休まらない。だから尚更、父との食事の時間は八雲の少ない安らぎのひとときだった。一体自分がツカイモンの何になれるというのだろう。こうして共に過ごしていても、することといえば精々父の遅くなる日に一緒に食事をすることくらいで、普段はツカイモンも八雲もそれぞれの時間を過ごしている。
やっと平和な毎日を手に入れられたから、変化するのは怖かった。それでも八雲があの時ツカイモンと共に歩んでみようと思えたのは、彼女の姿が母とは真逆にあるように思えたからだ。ひとりでも修羅の道を歩み闇の世界という混沌の頂点に立とうという彼女の強烈な野望と独立心が八雲を引きつけた。彼女のそばにいることで、女性への恐怖や母の幻影を振り払って前に進めるのではないかという、ほとんど利用するような理由ではあったけれど、ツカイモンもそれを受け入れてくれた。闇の女王になるために人間の力が必要なツカイモンと、ツカイモンといることで過去を振り払いたい利害関係の一致……これが、今八雲とツカイモンが一緒にいる理由だ。
とはいえ、こんな互いに干渉し合わない生活の中で、どうツカイモンと絆を結んでいけばいいのか八雲には分からない。今日の三人の様子を見るに、他の皆はデジモンとの生活を楽しんでいるようだった。デジタルワールドへ行くことへも肯定的だし、デジモンとの絆をまっすぐに繋いでいるように見える。自分は皆と同じ道は歩めない。そう実感させられてばかりで少し苦しい。
それから他の皆がデジタルワールドへ行く事が八雲にとっては不安の材料でもあった。ツカイモンから耳にタコができるほど『危ない場所である』ということを聞かされているし、今日の拓海の話でも理由も分からないまま急に襲われるような事があり得るような場所なのだということが分かった。年上として、自分には彼らを傷つけないようにする責任があると思う。行く事自体を制限できた立場ではないので、せめて彼らが自分の知らないところで傷つかないように常に同行したかった。それぞれに旅立つ理由があり、戦う理由がある。それが分かっているからこそ、八雲は彼らの気持ちも自分の不安もどちらにもきちんと向き合いたかった。この気持ちが伝わったかどうかいまいち自信が持てないけれど、たとえ疎ましく思われても、八雲は拓海たちに傷ついて欲しくなかったのだ。
八雲は、理由があるのならデジタルワールドへ行くことも致し方ないと思っている。あちらへ行かなければ叶わないことがあることだって分かる。それぞれにデジモンといる理由があり、デジモンと叶えたい夢があるのだから、そのために必要ならばある程度の危険は覚悟するだろう。八雲だって、デジタルワールドの内情についてはしっかりと知っておきたい。光の世界と闇の世界の間に争いが起こりそうになっているというけれど、今のところ部外者である八雲にはどちらの言い分に利があり、また本当に戦わなければ解決できないほどの軋轢が生まれているのか分からない。夢とプロットモンにとっては闇の世界の言い分なんて信じられないかもしれないけれど、八雲は自分の目で本当のことを見てみたかった。それが、八雲の思う、八雲の個人的な正義であった。
「押し付けがましいよね、傷ついてほしくないなんて。ほっとけって、感じだ」
「いいんじゃなぁい? たまにはそれでも。それより八雲がどうしたいか、でしょ?」
「僕が……」
デジモンとの絆とはなんだろう。どうしたら絆を結んで、強くなれるのだろう。自分とツカイモンとの間にもいつか生まれるのだろうか。自分は、どうしたいのだろうか。頭の中がぐちゃぐちゃで何も分からないから、少しだけ聞いてみてもいいだろうか。デジタルワールドへ行くことについても含めてもう少し話がしたいと思っていたし、ちょっとだけ休憩したらまた考えよう。静かに目を閉じる。まだやるべきことは残っているのに、八雲はそれから三十分、座り込んだまま動けなくなった。
【 第四話・二 】
指先に、まだ爪弾いた震えが残っている気がした。きっと緊張で震えているだけだけれど。八雲は雅楽部では和琴と箏を担当している。どちらも百九〇センチほどある大きな楽器だ。中学に入ってから始めてまだ二ヶ月の初心者だが、八雲は雅楽も琴も大好きだった。拓海とは先日音楽の話で盛り上がれて楽しかった。音楽が好きと言ってもその嗜好は多岐に渡るため、雅楽に興味のない人も多い。そんな中、拓海はとても興味深そうに聞いてくれ、質問までいくつもしてくれた。彼が聞き上手なだけかもしれないけれど、そうして八雲の好きなものを否定せず拾い上げようとしてくれるところがいいと素直に思った。八雲は以前から音楽が好きだったので、ジャンルもシーンも問わずなんでも聞いた。だから拓海が好きだという音楽も、八雲が今向き合っている雅楽とは方向性が違うけれど興味が持てた。朝陽や夢が拓海と接する時の様子を見るに、拓海は八雲だけでなく他のふたりにもそういった姿勢でいるようだ。そんな、ひとりひとりに誠実に向き合ってくれる拓海が相手だから、今日は少し話がしたいと思ったのだ。
週の明けた火曜日、親睦会の日の二日後だった。今日は拓海とこの後通話する予定がある。拓海の方も放課後用事があるとのことだったので少しだけ部活に顔を出して、それからまっすぐに帰宅した。父の帰りの遅い日なので、家には自分ひとりだ。
昨日から悩みに悩んで、今日放課後通話できないか、と個人的にメッセージを送ると、拓海はもちろんと言って返してくれた。スマホに向き合い、大きく深呼吸をする。電話を取るのは少し苦手だ。時間ちょうどにかかってきた着信を取り、スピーカーに切り替える。ビデオはオフなので表情は伺い知れない。
「八雲さん、お待たせしてごめんなさい」
「ううん、全然。こちらこそ突然ごめん」
いいんです、と優しく返してくれる拓海の心遣いが胸に沁みる。少しばかり雑談をして互いの緊張を解すことにした。星埼の小学校の雰囲気は何も知らないので、拓海の話は八雲にはとても新鮮に感じられた。
「その、拓海くん、聞いてもいいかな」
「あ、うん」
「拓海くんはこの間デジタルワールドに行ったんだよね。それがどうしてか、聞いてもいい?」
電話越しの拓海の息が僅かに揺れる。威圧感を与えないよう言葉と話し方に気をつけているつもりだけれど、少し怖がらせているかもしれない。謝らないと、と思った瞬間、拓海の震え揺れながらもまっすぐな声が八雲に届いた。
「エリスモンは強くなりたがってる。同じ村に意地悪をしてくるデジモンがいて、対抗するために強くなりたいって言ってたし、エリスモンには世界中を見て回りたいっていう夢もある。俺はそれを応援したいって思う。それから、エリスモンって好奇心が強くて色んなものを見るのが好きで、こっちの世界でも俺の部屋のもの嗅いだり触ったり……そんなことばっかりで。こっちの世界で過ごすのは楽しんでもいるけど、結構ストレスでもあるみたいだから。だからできるだけ向こうで過ごせる時は過ごさせてあげたいと思って……こんな個人的な理由じゃ、その、だめ、かな」
「ううん。どんな理由でもいいんだ。ただ、僕はきみたちにあんまり危ない目に遭って欲しくない。だから向こうでは複数人で行動することと、事前の連絡を徹底したい。そう思っている。ツカイモンから聞いたけれど、戦うことはある種のデジモンの本能でもあるらしい。だからこっちはあまり制限するような真似をしたくない。この気持ちは譲れないから、この前少し、夢さんにも反発してしまった」
拓海の言葉のひとつひとつに嘘は感じられない。誠実な人だと思う。怖い気持ちを確かに感じながらも冷静に言葉を選ぶ拓海の在り方が、やはり八雲には心地よかった。だからそんな拓海に八雲も答えたくて、優しく的確に気持ちを伝えていく。まっすぐに伝えればその通りに受け取ってもらえることがとても嬉しく思えた。母には、少しも正しく受け取ってもらえなかったから。
「そうか……エリスモンも、戦って相手を倒すことに違和感は感じていないみたいだった」
「朝陽くんが向こうへ行く理由は何か聞いてる?」
「朝陽、あんまりヴォーボモンとも一緒にいられないみたい。だから一緒に過ごせる時間を作りたいっていうのと、この間は家に居場所が無くて、って言ってた。ヴォーボモンとしたいことが、たくさんあるみたい」
思っていた通り、拓海にも朝陽にも、きっと夢にもそれぞれデジタルワールドへ行く理由がある。それならば彼らを心配する八雲ができることはひとつだ。一緒に行って、彼らを守る。本当は背負わなくたっていいはずの責任だったけれど、八雲はもうすでに覚悟を決め始めていた。
「うん。それなら尚更、きみたちがデジタルワールドへ行く時には同行したい。危ない目に遭わせたくないし、僕もデジタルワールドについて知りたいことが山ほどあるから。だからもしよければ、これからは連絡して欲しいな。あとで改めてメッセージしておくけど。それから……夢さんは戦うってことには反対みたいだけれど、僕はやっぱり戦うなとは言えない。もちろん無謀な相手にわざわざ挑めって言うわけじゃなくて、戦うことにも理由があるってこと。それを頭ごなしにどうしても仕方がない時だけ、なんて、言えない」
「……八雲さん、夢が苦手? この間のこと、納得してない?」
「……うん、まあ。いい子なんだって分かってるけど」
誤魔化すような苦笑いで拓海に答える。彼女への個人的な苦手意識は、今後自分で解決していけばいいことだ。拓海はそれ以上追求せず、必ず連絡すると八雲に約束してくれた。話したかったことは話せたけれど、八雲はもうひとつだけ拓海に質問することにした。
「拓海くんは……エリスモンとの絆ってなんだと思う? どうしたらデジモンとの絆を繋いでいけるんだと思う? ごめん、突然。でも、僕にはまだ分からないから、よければ教えて欲しい」
「えっと、うまく、言えないし、正解はないんだと思うけど……でも、少なくとも俺は、エリスモンと俺が、互いについて考えることをやめないでいることが、絆を繋ぐってことだと思う。エリスモンがしたいこと、俺ができること。俺がしたいこと、エリスモンができること。それってなんだろうって、考えて……分からなくても、とにかく考えていくことが、大事なのかな、って。それで失敗しても笑って許し合うのが、俺とエリスモンの形かな、なんて」
「とにかく、考えてみる……。それならきっと僕にもできる、けど……。そもそも絆って、なんだろう。どうしたら自分とデジモンとの間に絆があるのだと思える?」
「俺は、エリスモンといるのが楽しいって、エリスモンのためにしてあげたいことがあるって、そう思えることを絆だと思ってるけど……でも、これも人それぞれだと思う」
「例えばだけど……利害関係の一致がある者同士でも、絆を持てると思う?」
「それも絆なんだと思う。少しクレバーすぎる気もするけど、それでも。八雲さんは、きっとツカイモンのことも自分のこともたくさん考えてる。実際の行動が一緒だとしても、少しだけでも相手を思う気持ちがあれば『利害関係の一致』が『絆』に名前を変えるんじゃないかって思った。例えば、だけどね」
毅然とした、透き通るような拓海の声が鼓膜を細く薄く揺らす。真っ暗だった道に標の光が灯るように、拓海の言葉が八雲の胸に落ちた。それがどんな形であれ、小さな絆の芽は八雲の中にも芽吹き始めている。本当にそれを信じていてもいいか分からないけど、拓海が真剣に答えてくれたことも、その言葉自体も、とても嬉しく暖かく思えた。
「……ありがとう、すごく、気持ちが軽くなった。僕は少し、表面的なことに囚われすぎていたかもしれない。大切なのは本質的な部分なんだって思えた。本当に……ありがとう」
電話越しに照れた拓海の声がする。長々と話に付き合わせてしまったことを詫び、通話を切ると、ツカイモンがじっと八雲を見上げているのに気がついた。吸い込まれそうなほど綺麗な、月のような瞳の中に、今初めて美しさを見たような気がする。ふたりの間に相変わらず言葉はない。互いが気を遣うことなく気ままに過ごすし、顔を合わせない間何をしているのかなんていちいち詮索したりしない。それでもこの関係を絆と呼んでいいのだということに、八雲は静かな喜びを感じていた。
拓海たちに対してもそうだ。自分が彼らのためにしてあげられることがなんなのか、彼らが八雲にどうしていて欲しいのか、ちっとも分からない。それでもこうして拓海たちのことを考えて何かをしようとしているこの気持ちが彼らとの絆に繋がるのだということが、初めて、仲間として嬉しく思えた。
夕飯の支度をする前になんとか覚悟を決めて、グループチャットへ改めて自分の意見を書き込んだ。戦うこと、についてはあえて有耶無耶にした。自分がとても皆を心配に思っているので、八雲のために皆のデジタルワールド行きに同行させて欲しい、と送信すると、程なくしてまず朝陽から返信が来た。心遣いに対する礼と、同行を快く受け入れる旨の書かれた返信に一安心する。夢からの返信は届いてもすぐ読む気にならないと思ったので、スマホをほったらかしにして家事と課題に没頭した。日もすっかり暮れた頃にスマホを見ると、夢からは『ありがとうございます。よろしくお願いします』とだけ、短く投稿されていた。
【 第四話・三 】
毎日、胸に不安と覚悟を抱いて生きている。思考は同じところを何度も巡った。守りたい、だが守れるのだろうか。それでも守るのだ。自分にその力があるだろうか。そうした堂々巡りを繰り返し、やがてそれが無駄であることを悟る。どんなに不安でも自信がなくても、やると決めたのだ。だからやり遂げたい。責任とはそういうことなのだと思う。拓海がくれたのは、八雲の不安や疑問の解決ではない。小さな一歩を踏み出すための勇気だ。自分がどうしたいのか、何をしたいのかはまだ分からない。だけれど、自分より小さな子供達にはたくさんの夢や希望や目標があるのだから、それを守ることくらいはしてあげたかった。
そうした日々の中、ゲートが開いたのは、きっちり一週間後の火曜日だった。部活動のちょうど休憩時間だったので、忙しなく返信を打ち込み、挨拶を済ませて楽器の片付けをする。今日は全員集合するらしい。今胸に走った緊張は、責任感故だろうか。それともまだ彼らと顔を合わせることに慣れていないからだろうか。それとも、夢のことを、怖がっているのだろうか。ツカイモンはいつも学校に連れてきているので、鞄を掴んでそのまま部室を飛び出した。小学校の校舎の方へ回って、人気のない校舎裏に集まっている三人と合流する。デジモンたちもすでに集合していて、移動は大変ではないのかな、なんて少し思った。
「ごめん、待たせた」
「ううん、大丈夫。じゃあ行こうか」
八雲は大きく深呼吸をする。彼らを守ること、デジタルワールドのことを知って事実を確かめること、それが自分の目的で、デジタルワールドに行く理由なのだともう一度頭の中で唱える。正直なことを言えば頭の中は不安でいっぱいだ。拓海がくれた言葉は大切に持っているけれど、彼らを守るだけの力はまだ自分の中にはない。夢ともうまくやっていけると思えない。それでも八雲は光の中へと足を進めた。それが自分にできる精一杯だから。
久々のデジタルワールドだ。草木の揺れる音がする。不自然にも思えるほど青い空と、あたり一面に広がる絵に描いたような自然に気がおかしくなりそうだ。
「夢は戦争を止める方法が知りたいんだよな? なんかそういうの調べられるとこないのかなー?」
「プロットモンは、光の世界の中に図書館があるって言ってた。だから今度行ったら読みに行こうねって約束してたの。でも……地図によると、ここから光の世界へ行くにはかなり距離があるみたい」
「どれどれ? うん、確かに……歩けそう?」
「がんばる」
夢の言葉を信じることにしたのか、拓海はじゃあ行こうと言って地図を頼りに歩き出した。朝陽は地図を見る拓海の隣で周囲を見渡しながら歩き、夢がその後ろに続いた。なんとなく隣に並べなくて、皆の後ろを歩調を合わせて歩く。開けた場所であるため、周囲への警戒は怠りなくない。そうでなくても、既にあちらこちらの茂みから異様な殺気を感じる。何度言われても心の底から信じることはできなかったけれど、戦いに飢えたデジモンが山ほどいるというツカイモンの言葉は過不足なく真実であることを自分の肌で実感した。それぞれがそれぞれの理由や目的を抱きながら、歩は進んでいく。
そうして何十分と歩いた頃、いつの間にか八雲の隣へ移動していた朝陽がそっと八雲に話しかけた。今度は夢が地図を見ていて、拓海が周囲に気を配っている。
「八雲、俺たちのこと気にしてくれて、ありがと」
「朝陽くん……いや、うん。僕が勝手に心配してるの、お節介じゃないといいけど」
「お節介なわけない! 一緒に戦えたら心強いよ。この前だって、拓海とエリスモンと一緒だから頑張れたし。怖かったけど、みんなとなら頑張れるって気がする」
「朝陽、おれもおなじ気持ちだぜ!」
「そうか……凶暴なデジモンだったの?」
「もー、なんてゆーか、やる気満々って感じ! なんで挑んでくんのかは、分かんない」
「そういうモノなのよ、覚えておくことね」
そう言ってツカイモンは澄ました顔をしている。ツカイモンには闘争本能なんてあるように見えないけれど、彼女も見境なく戦いたがったりするのだろうか。そんなことを考えながらなおも歩くと、不意に、周囲から一斉に気配が消えた。彩度の高い空と草が広がるばかりの場所に、一瞬の静寂が訪れる。静寂を切り裂いたのは、『降ってくる』女性の悲鳴だった。
「あああああああ、いやぁああ〜!!!」
「よっ……と……うん、ナイスキャッチ、僕」
「し、し、し、死ぬかと思った……」
「殺すわけないじゃないか。きみは僕の『パートナー』なんだから。……あ、やあボクたち。はじめまして」
「……!」
女性を追うように降ってきて着地したのは、今まで八雲たちが見たこともないほど大きなデジモンだった。二メートルはゆうに越えているだろう長身を青いストライプのスーツとグレーのコートに包んでいる。人の形こそしているが背中に生えた羽根や被った何かの頭部の毛皮がそれを人だとは認識させてくれない。女性はスタンダードな制服姿で、今はデジモンの腕の中に雑に抱かれていた。
「僕はきみたちにすごく興味があったんだ。デジタルワールドにやってきて、デジモンとパートナー関係を結んだ人間がいるって、噂になってたからねぇ」
「あ、あ、あの、あなた方は……?」
そのあまりの巨躯と堂々とした態度、携えた一挺の銃に恐怖しながらも八雲は尋ねた。
「ああ。僕はアスタモン。そうだね……いわば、探偵、ってとこかな?」
放心状態の女性の抱き方を適当に変えながら、アスタモンはそう言った。その微笑みの奥で何を考えているのかは、定かではない。
続
利害関係が絆に変わると言い切れるところが素敵。夏P(ナッピー)です。
デジモンアニメお馴染みの家庭の不和、その中でも02ビギニングが記憶に新しい虐待とは。そしてこちらの家庭は行き着くところまで既に行ってしまった……しかも母親の方の問題に関しては、暴力云々もそうですがどこかずっと現代的でうすら寒さを感じるものでした。親としては失格ではあるけれども、オタクとしては一厘ほどは気持ちはわかるこのバランス。でも父の前ではそれを隠して裏では息子の心を苛ませていたと考えるとやはり親失格だと言わざるを得ないのでした。ウッコモンはどこだ!
前回の夢サンの話がこう繋がるんですね! 拓海クンの台詞はまさに雲間から射す日光のようにハッキリ道を照らすようでした。八雲クンはこう見えて年上であるからと少し気負いがあったのでしょうか、でも年下に諭される、何かに気付かされることだってきっとあるんだと思う。そこからツカイモンと真の意味で初めて向き合った流れは印象的でした。そういえばツカイモンに関しては三人称“彼女”で固定なのですね。てことは、進化したら……?
とりあえずメイン四人の個別回が一段落した……と思ったら新キャラ!? 登場人物紹介確認してこなきゃ!
それでは今回はこの辺で感想とさせて頂きます。