前回までのあらすじ
自身の抱える責任の重さや立場について思い悩む八雲。先輩として、年上として、子供達に対し何をするべきか葛藤する。みんなの前では大人でいないといけないけど、自分はまだまだ子供なのだと言うことを日常生活を送る中で思い知り自己嫌悪していた。
『どうして戦うのか?』『どうして八雲はここに立つのか?』そんな疑問に答えをくれたのは、パートナーであるツカイモンだった。責任や義務だからではなく、八雲がそうしたいと思っているから。シンプルな答えは八雲の胸に沁み、ツカイモンはついにセーバードラモンへの進化を果たした。
一方で、澪とバアルモンというひと組のデジモンと人間とが四人の様子を窺っていて…。
・おしらせ
デジモン創作サロンで金冠をお読みいただきありがとうございました。十話を持ってサロンでの連載を終了し、続きはサイトで連載を行います。【 https://mushi-island.deca.jp 】
作品投稿・交流の場を用意してくださったイグドラ・シル子さんと、これまでこちらで金冠を読んでくださった方々に御礼申し上げます。
またデジモン創作を投稿する場所などができた暁には、そちらにも顔を出すかもしれません。もしお読みいただける方がいらっしゃいましたら、引き続き月一更新を目指して執筆を進めていきますので、よろしくお願い致します。(1月の更新はお休みです)
【 第十話・一 】
闇の世界の空気は少し苦手だけれど、バアルモンのマントの中にいるから決して苦ではなかった。苦であったとしても、それを口に出すことはないけれど。いつもこうして、彼の腕の中に収まるようにして移動している。三メートル、バスケットボールのゴールほどの長身と右腕が丸々銃になっている物々しい姿に最初はやはり恐怖を覚えたものだ。それが今では、むしろ澪を安心させる。厳しく、無口で、愛想もない彼だけれど、彼と一緒なら、どんな困難でも乗り越えられると信じていた。
雨野澪は考えていた。あんな小さな少年少女が、どうしてデジタルワールドにいるのだろう。迷い込んできてしまったのだとしたら危険なので一刻も早く家に帰してやらないといけないけれど、それにしてはそばにいるデジモンたちと随分親しげにしていた。それにあの黄金の光は、澪の目から見ても特別なもののように思える。何か澪の知らない力によって、この世界に招かれた存在なのかもしれない。光に包まれた瞬間、デジモンは進化をしていた。更に、一度進化を果たしたはずのデジモンが元の姿に戻ってもいた。バアルモンにも、あの光があれば。一瞬よぎった考えが口から出ることはなかった。
「ねえ、あの子達……」
「喋ると舌を噛むぞ」
「進化、してたね」
「フン。頼まれてもせんぞ」
「分かってる」
冬の冷たい風に目を細めていた頃のことである。澪の心は暗闇にあって、それでもなお光を求めて足掻いていた。そうして知ったのは、澪の心をどん底へ突き落とした事故が事故ではなかったということだった。多くの犠牲を出した事故が故意に引き起こされたものであると知った時、澪はまさかそんなはずはないと思った。それでも本当にそうだったら。どこかに何かの糸口があるのなら、探さずにはいられなかった。個人的に調べを重ねていった時、澪はデジモンと、デジタルワールドの存在に行き着いたのである。
ただ、そんなことが分かったところで、澪には向こう側とコンタクトを取る術がない。その頃には、もう桜の蕾はいじらしくなって、澪の高校卒業がすぐそこへ差し迫っていた。受験は澪にとってはそう難しいものではなかった。彼と同じ大学へ通いたいという夢は、儚く潰えてしまったのだけれど。
行き詰まりを感じながらも大学入学の準備と調査を並行して続けていたその日、澪はエヴォリュシオンにいた。デジタルワールドがどういうものか詳しくは分からなかったけれど、この場所が、澪の知る限り一番デジタルワールドに近い場所だったからだ。とはいえ何かの成果が上がったことはそれまでなかった。だけれどこの日はそうではなく、澪の目の前に、柔らかな歪みが浮かんで現れたのである。澪はその歪みに導かれるように手を伸ばした。それが何であっても、自分がどうなっても構わなかった。
歪みの向こうはやけに荒涼としていた。今だから分かるけれど、あそこは闇の世界に程近い、狭間の世界の小さな村の跡地のような場所だった。バアルモンはその時、瓦礫の山の中ほどに座ってこちらを見ていた。中々感情を表に出さない彼だけれど、その時は驚きの感情が滲んで見えた。彼がデジモンであることも、恐らくはこちらに危害を及ぼしうる存在であることもすぐにあたりがついた。だから最初は警戒と恐怖の感情を抱いていたけれど、だからと言って、自分には彼をどうすることもできないだろうと思った。
澪は弱い。なんの力もない。精々デジタルワールドの存在を突き止めて、どうやらあの事故にはデジモンが関わっているのだろうことを掴むので精一杯だった。拳を振るうこともできず、銃の引き金を引くことすらできない。澪は弱い。彼と対峙したその時、それがとにかく悔しくて、悲しかった。目的のためならなんでもする。そう誓ったはずなのに、今の自分は何も成し遂げてはいない。だから澪は逃げなかった。どうすることもできなくても、逃げなかった。
『ねえ、貴方デジモン?』
『……人間、か』
バアルモンは瓦礫の山を降りて、興味深げに澪を見た。その巨体に一瞬気後れしたけれど、それでも澪は、努めて堂々と立ち振る舞った。
『力を、貸して欲しい。なんでも払う。だから、』
バアルモンの目が、澪をじっと見下ろす。逆光に入った瞳だけが光って見えて、デジモンというより怪異のようだと思った。バアルモンは呼吸を忘れるほどの沈黙の後、静かに答えた。
『いいだろう。……貴様の、魂と引き換えならば』
そう言ってバアルモンは、マントの裏から赤い本を取り出して見せた。よくは分からないけれど、あれが彼の力なのだろうか。
『誓え。力を授かる代わりに、最後には魂を差し出すと』
『誓う。だからお願い。私に力をちょうだい』
『名を』
『……雨野、澪』
そう澪が答えると、バアルモンはそっと本をしまった。今のが何か、契約の儀式のようなものだったのだろうか。澪がどうしたらいいか分からず彼を見上げると、バアルモンはマスクに籠って聞こえない声を一層ぼそぼそとさせて何かを言っていた。よくは聞き取れなかったので、現在に至るまで聞き返したことはない。貴方の名前は、と澪が尋ねると、彼は少しだけ声を張って、その名前を教えてくれた。本来は嵐と雨の神とされ、聖書では一般に悪魔とされたものと同じ音。その威厳のある名の由来と響きが、澪の心を少しだけ癒してくれた。何故だかは分からない。だけれどその時、澪は彼を失った日以来、初めて心の底から笑うことができたのだった。
バアルモンはそれから、澪に力を授けるべく様々な稽古をつけてくれた。ナイフ等を用いた近接戦や、ライフル、ショットガンの使い方、体づくりが主な内容で、澪は弱音一つ吐かず励んだ。あの日の本は、あれ以来一度も取り出されたことはなかった。
それからバアルモンは澪にひとつの端末をくれた。『B-qlb(ビー・カラブ)』という名のその端末は懐中時計のようなレトロな形状で、蓋の部分にはオリエンタルな雰囲気の彫り込みがなされ、小さな宝石がひとつ埋め込まれていた。これは現実世界とデジタルワールドの境界の揺らぎを察知し通知してくれるものらしい。わずかな揺らぎだとしても察知できれば、バアルモンがそのままゲートをこじ開けてくれる。どういう理論で作られたものなのかは、教えてもらえなかった。
今ではもう、ある程度とのデジモンとならサシで渡り合うこともできる。大事な人を失い泣き続けた弱さを悔いて感情を仕舞い込むこともできるようになったし、口だって随分達者になった。銃の扱いも熟達したものだ。澪が強くなるのは、もう自分のためだけではない。バアルモンが進化を望まないのなら、その分だけ自分が強くなりたいと思ったからだ。
闇の世界の建物の屋上を走り抜け、子供達の動向を追う。澪がこうしてバアルモンの腕の中に収まることが多いのは、彼の声があまりにボソボソとしていて、隠されると何も聞こえなくなるからだ。少しでも頭の位置を近づけようとすると、どうしてもこの形以外の選択肢がなかった。どうにも危なっかしい子供達を気にしている時間など澪にはないはずなのに、どうしたって気に掛かる。バアルモンは澪のそんな気持ちを知ってか知らずか、少し彼らの様子を見てみないかという澪の言葉に何も言い返さなかった。常に厳しく愛想のない彼だけれど、そんなところをいいと思えた。
「何もないといいよね。少し……話だけでも、できたらいいけど」
「……現実世界なら事案だぞ」
「ふふ、分かってるよ」
澪は今年で十九歳になる。まだ発展途上の子供達とは違う。彼らがどうしてここにいるのか、それは澪にはまだ分からないけれど。それがもし、まっすぐな信念と覚悟によって作られた目的であるのなら、澪は澪として、陰ながら応援したいと思っている。
【 第十話・二 】
移動中の言葉は少なくて、拓海は見慣れた姿に戻ったパートナーを抱きながら歩いた。先頭を八雲とツカイモンが、拓海の後ろに夢たちと朝陽たちが続いている。ヴォーボモンはツカイモンと話したそうにしていたけれど、今はお預けだ。戦いで消耗したし、精神的にも皆堪えている。拓海もそうだ。弱肉強食の世界であること、躊躇ったら死ぬことくらい分かっている。それでも喜んでデジモンを殺したいなんて思っているわけではないので、この気持ちにもうまく折り合いがつけばいいと思った。
ツカイモンの知り合いの家を目指して歩いているけれど、闇の世界の建物はどれも同じような見た目をしていて見分けがつかない。堅牢な作りの扉と壁はどれも地味な色で、赤と紫の混じるおかしな空の色と相まって気が滅入る。元気なのは、この場所出身のツカイモンといつでも元気なヴォーボモンくらいなものだ。エリスモンは、今は好奇心より怯えの方が勝ってしまっている。
「もう少しよ。ちょっと変わったコだから、覚悟してね」
振り返りながらそう言うツカイモンに頷いて答えると、エリスモンの少し冷たい鼻先が拓海に触れた。闇の世界は狭間の世界とはまた違った緊張感のある世界だったけれど、それでも拓海はまっすぐ立たないといけない。さっきみたいなことがまた起きないとは限らないのだから。
それからまた少し歩くと、石畳の敷かれた道は段々獣道のようになってきた。鬱蒼とした木々が繁り、光源が乏しく薄暗い。そのくせ妙に暑くて、不思議な不快感のある場所だった。ツカイモンによると、この辺りは狭間の世界にある火山が蓄えたマグマ溜まりにほど近い場所なのだという。
「ツカイモン、まだ着かない?」
「あともう少しよ。森の奥に大きなお屋敷を構えているの」
「そうか。皆、あと少しらしいから、大変だけど頑張ろう」
八雲の優しい声かけが胸に沁み、拓海は少しだけ思考する余裕を取り戻す。……こんな場所に住んでいるのはどんなデジモンなのだろう。全く想像がつかない。慎重に歩を進めていると、森の奥にゆらゆら揺れる明かりが見えた。その明かりは見るからに立派な、煉瓦造りの塀と門扉を照らしている。
「ここよ」
ツカイモンの声がして、拓海は足を止めた。鬱蒼とした森には似つかわしくない、豪奢な門扉の奥には、見上げるばかりの巨大な屋敷がそびえている。これが本当に個人の屋敷なのだろうかと思うほどだった。ツカイモンが門扉を開く前に、ひとつの人影がランタンとバスケットとを携えてこちらへやってきた。
「あら! あらあらあらあら!! 誰かと思えばわたくしのオモチちゃんじゃない!」
「久しぶり、シャペロモン。ごめんね? あたしはもう八雲のものなの」
「んふふ、相変わらず冗談が好きなんだからぁ。もし時間があるのなら、美味しいお茶でも淹れましょうね。後ろの皆さんは?」
「今日は貴方を訪ねてきたのよ。それも後で説明するわ。他の子達には温めたミルクでもあげてちょうだい」
見た目はまるで童話の赤ずきんのようだったけれど、ランタンが照らした手は明らかに人のそれとは違う。まるで人形のように不自然な関節がついていて、バスケットはこちらを見てにやりと笑ったように見えた。
シャペロモンの屋敷は、外の薄暗さとは対照的だった。とにかくポップで目に痛いほど色も光も明るい。イエローの壁にはカラフルで幾何学的な色々と飾られている。柱はクリスマスの飾りを思わせるストライプで、エントランス中になんとも形容しがたい彫像が並べられていた。天井からはたくさんのランプが提げられて、揺れるたびに灯りの色が混じり合う。こんなに明るいのに、外に少しも漏れていないのが不思議だ。エントランスから伸びる左の廊下の先にある、客間だという部屋に一同は通された。それなりの大所帯なのに少しも狭苦しくない。客間はエントランスより少しばかり落ち着いた趣でピンクの質のいいソファとダークブラウンのローテーブルがとても上品な雰囲気だ。壁にかけられた赤い獣の剥製のようなものはレプリカだろうか。
「まさかオモチちゃんがここに来てくれるだなんて、思わなかったわぁ! ああ、わたくしのオモチちゃん……もうどこにも行かないでね!」
「行くところがあるのよ。そのために話を聞きにきたの」
「残念だわ。でも必ずいつか、わたくしだけのオモチちゃんにして差し上げますからね」
「ふふ、できるといいわね。ねえシャペロモン、要件を聞くけど、秘宝の話を聞いたことはない?」
「秘宝! 秘宝ね! あの、願いを叶えるって噂の秘宝でしょう!! かぼちゃんに探させたけど、ちーっともダメだったの!」
話はツカイモンとシャペロモンのふたりだけで進行していく。そもそも、シャペロモンはツカイモン以外にまるで興味がなさそうだ。シスタモンの時も思ったけれど、一個体への執着や愛着のために周りが見えなくなってしまうデジモンが度々いるのが、拓海はなんだか不思議だった。シャペロモンと話すのは疲れてしまいそうなので、ここは話し慣れているだろうツカイモンに任せておく。その後もシャペロモンのマシンガントークはあちこちに脱線しながらなんとか進んだけれど、そっと打たれたノックの音が彼女の口を止めた。
「失礼致します。お茶をお持ちしました」
「入って」
入ってきたのは、紳士的な装いにジャック・オ・ランタンが乗ったようなデジモンだった。その姿を見たツカイモンは目を見開き、それから久しぶりねと静かに言った。
「おや、ツカイモン。お久しぶりですね。私、しばらくお会いしないうちに、このような姿になりました。これもシャペロモン様がこき使ってくださったおかげです。今の名は、ノーブルパンプモンと申します」
「あらぁ〜! わたくしのお陰ですって! よく分かっていてとってもいい子だわ〜!」
ノーブルパンプモンは拓海たちの前にはホットミルクを、ツカイモンとシャペロモンの前にはブラックコーヒーをそれぞれ置きながら軽く答えた。やり取りに少し圧があって、怖い。オモチちゃんが秘宝探しをしているみたいよ、とシャペロモンが言うと、ノーブルパンプモンはやれやれと首を横に振った。
「シャペロモン様の命で闇の世界中を探しましたが、残念ながらどこに見つけることも叶わず……。あるとするなら、外でしょうねえ」
「な、何か情報だけでもないか、知りたいんだけど」
拓海が思わず発した一言を受け、ノーブルパンプモンの首がこちらを向いた。表情が窺えないので何を考えているか分からなくて恐怖に呼吸を忘れる。そんな拓海の気持ちはまるで関係なく、ノーブルパンプモンは顎に手を当て記憶を辿るような仕草を見せ、シャペロモンに視線を送った。
「オモチちゃんはどこでその話を?」
「それはこっちのセリフよ。シャペロモンは、どこで聞いたの?」
「わたくしは、アレから聞いたの」
そう言ってシャペロモンが指さしたのは、壁にかかった獣の剥製だった。
「いつも通り靴を仕立てようかと思ったのだけれど、面白い話を教えてくれたから剥製にして、ここに飾ったのよ。わたくしのワンちゃん、可愛いでしょう?」
「そう。つまり、この世界のデジモンの中ではにわかに噂になり始めてるってわけね。光の世界では誰も知らなかったから、噂の出どころはこっちの世界かもねえ。あたしたちが初めて聞いたのも、アスタモンの口からだったし」
「ああん、オモチちゃん、わたくしにナイショで外に行ってたの!? だめよ、だめ、危ないわ!」
「大丈夫よ。八雲がいるもの」
「オモチちゃんが無事なら、いいのだけれど……。そうそう、その秘宝なんだけどねえ、わたくしの聞いた話によると、この世界の昔の昔の昔の昔……ずーっとずーっと昔にいたデジモンが遺していったものなんだそうよ。だから森のおじさまなら、何か知っているかもしれないわね。前の前の時代から生きているお方だから」
前の前の時代……ということは、ラジエルモンが語ってくれた『終焉の日』を生きて乗り越えたデジモン、ということだろうか。生き証人であるのなら、闇の世界から見た『終焉の日』に至るまでのことを聞けるかもしれない。どちらの目線でも話が聞きたいというのは、八雲が以前から時々零していたことだ。それに、それ以前のデジタルワールドも知っているということは、以前光の世界でノワールが言いかけた言葉の答えも、少しは見えるかもしれない。『争いをもう二度と繰り返さないために、過去の歴史を学びたい』という夢の思いは、拓海も同じく持っている。拓海は皆さえよかったら、秘宝にはこの世界の平和を願うつもりだ。でもそれが一時のものになったら何の意味もない。永遠の平和なんて夢物語かもしれないけれど、何もやらずに諦めたくはなかった。以前の拓海なら自分だけの問題だからと口を閉じてしまっているところだ。隣に座る朝陽の顔をちらりと
見やる。彼の顔にはいつも頑張る気力をもらっている。最後に拓海の背を押したのは、パートナーの小さな手だった。そうだ、少しずつ変わるんだ。仲間と一緒に、頑張りたいから。
「もし、よければ……その人のいる場所を教えてくれないかな。秘宝のことも、昔のことも、俺は知りたい。それで……誰も悲しまずに済む世界を、作りたい」
「……ふふ、いい目。女王になるって宣言した日のオモチちゃんにそっくりよ。地図は持ってる? データを送ってあげるわ」
D-Venereの地図を起動し、送られてきたデータを反映させる。ほとんどが深い森であることしか分からなかった周辺の地図に、一本ピンが立った。
「ここがおじさまのお屋敷よ。お優しい方だから、安心していってらっしゃいな」
シャペロモンの声は、先ほどまでのテンションの高さを感じさせない穏やかで優しいものになっていた。ひらひらと振られた手の不自然な関節が揺れ、傍に置かれたバスケットはすっかり寝息を立てている。空になったホットミルクのマグを置くと、拓海は立ち上がった。
「色々、ありがとう」
「またオモチちゃんたちと一緒にいらっしゃいね」
拓海たちはノーブルパンプモンに送られ、シャペロモンの屋敷を後にした。ツカイモンはふうとため息をついて、相変わらずねあの子と小さく呟く。
「拓海、あなた、自分のこと少しは言えるようになったじゃない。見直したわ。八雲も説教の甲斐があったわね?」
「説教って……。まあ、ただのお節介だったかもしれないけど」
「そんなことない。八雲がああして言ってくれたから。それに……皆がいてくれるから」
振り返ると皆がいる。一つの目標に一緒に向かえる仲間がいる。その中で得たいものも、課題も、秘宝にしたい願い事も違うけれど、信頼できる仲間がいることが拓海にとってはとても嬉しいことだった。
【 第十話・三 】
眩しい屋敷を出たせいで、先ほどよりずっと森が暗く感じる。スマホの明かりだけが頼りだけれど、つけていると尚更目立ってしまって何度もデジモンに襲われた。かと言って明かりがないと、絶妙な薄暗さに心の拠り所も平衡感覚も失ってしまいそうだ。さすがにメタルファントモンレベルのデジモンとは遭遇していないが、戦闘が続くとデジモンたちの顔にも疲れが見え始める。まだ随分距離があるので、心配事は増えるばかりだ。
それからもうしばらく歩いていると、遠くからうっすらと汚れた水の匂いがして、足元も次第に水気を帯びてきた。茂みの中に見えるものが、植物なのかデジモンなのかいまいち判然としない。熱源が近い場所ということも相まって、植物も見たことのないようなとりどりの色を見せていた。妙な温度と湿度に思考が濁る。湿地という表現がしっくり来るだろう。静かな森の中で耳を澄ますと、水の音や、生き物の呼吸まで聞こえてきそうだ。ぬちゃ、と鳴る自分の足音がなんだか少し気持ち悪い。ともかく、この暗さと不快感が拓海たちから言葉を奪った。そうした空気を打開するのは、いつも朝陽の一言だった。
「どこかで休めたらいいけどなー、どっかないかなぁ?」
「地図、確認してみようか」
一度立ち止まり、八雲のスマホを全員で囲んだ。地図を拡大して、もう一度よく見てみる。件のおじさまの屋敷まではあと半分と言ったところだろうか。地図の道は枝分かれすることなくまっすぐ伸びていたけれど、道中広場のようになった部分があるのに気がついた。その内の約半分ほどの面積に、作られたような綺麗な長方形が描かれている。これはもしかしたら、小屋のようなものがあるのだろうか。皆同じ考えのようで、ひとまずここまで行って休憩しよう、という運びとなった。これまでの道のりを思えばそう遠くはない場所だ。そう思えば気力も少し湧いてくる。『拓海、頑張ろうな!』と無邪気に笑いかけるエリスモンが、今の拓海を何より癒してくれた。
森の木々は深く、背はどこまでも高い。派手な色の花も今は気味が悪いだけだ。そうしてそろそろだろうと思い始めた丁度その頃、急に道が開け、大きな広場と予想通りの木造の小屋が目に入った。古そうではあるが壁も天井も健在で、煙突も見えるので中で火を焚くこともできるだろう。皆の表情にも安堵が見えた。だけれど、その感覚は長くは続かなかった。広場の中程まで進んだ時、突如として森の方から大量のデジモンが飛び出してきたのである。周囲の暗さに紛れる暗褐色の体とニヤついた目つき、大きな羽がなんとも嫌なものを想起させた。
「ゴキモン、ね。動きが早くてしぶといわ。さっさと済ませちゃいましょう」
ツカイモンはそう言いながら、早速進化しセーバードラモンの姿になる。森の中なので高く飛べはしないが、広さのある場所なので動きに難はなさそうだ。セーバードラモンはまっすぐにゴキモンの群れへと突っ込んでいき、その爪で次々と敵を打ち倒していく。皆、体力的にも気力的にも余裕はないが、ここが踏ん張りどころだろう。
エリスモンはフィルモンとなり、『クリムゾンスラッシュ』で敵の密度の高いところへと切り込んでいった。ラヴォーボモン、テイルモンもそれぞれ必殺技を繰り出していくが、聞いた通りの素早い動きで絶妙にかわされ急所を捉え切ることができていない様子だ。ゴキモンたちは一体一体の力こそ大したことないものの、複数体で連携を取ってフィルモンたちを翻弄した。セーバードラモンの大きな羽ばたきで吹き飛ばしても、それ以上のペースで増援が押し寄せる。体の小さいテイルモンは物量で押し切られてゴキモンの体の下に沈みかけては、渾身の『ネコパンチ』で飛び出してくるというのを繰り返す羽目になった。フィルモンやラヴォーボモンも、前方の敵に気を取られている隙を確実に狙われていた。
一体一体の攻撃力こそ大したことはないようだが、数とこれまでの体力の差が次第にフィルモンたちを追い詰めた。それぞれそれなりの数のゴキモンを倒してはいるのに援軍が来るペースの方が遥かに早く、これだけではこの数には勝てない。その結論に至らざるを得ないだろう。
「フィルモン、一度戻って! 体勢を、」
懸命に声を張り上げるが、同じくらい懸命に戦っているフィルモンには声が届いていないようだ。諦めずに声を上げながらどうするべきか考える。この軍勢がどれほどいるか想像もつかないし、これ以上戦いを続けても消耗するだけなので逃げるべきではあると思うが、それを実行するのが想像以上に難しい。木々を突き破って空へ逃げれば逃げ切れるだろうか。それならばとまっすぐ敵の群れの中へ飛び込もうとしたその時、目の前に一体のゴキモンが現れる。動きは見ていたつもりだけれど、高い身体能力を持つ相手の隙を突くことは拓海では不可能であるようだ。スナリザモンの鉤爪が食い込んだあの時のことを思い出し、デジモンの攻撃に身構え目を瞑る。視界が暗くなった瞬間、聞こえたのはゴキモンのつんざくような悲鳴だった。一体何が起きているのだろう。考える間もなく事態は急転した。
木の上から銃声が響き渡り、広場中に弾が落ちていく。まるで流星群のようだ。銃の放つ閃光を探して辺りを見渡すと、その主は木の中を自由自在に移動しているようだった。思わぬところから銃弾が直撃したゴキモンたちは突然のことに何が起こっているかも分からないまま悲鳴を上げ倒れ伏し消える。逃げ出していく者もいたけれど、どこからか飛んでくる銃弾がそれを許さなかった。
「きみたち、下がってて」
薄紫の髪を濃紺のリボンで一纏めにした、軽装の女性が木陰から飛び出した。突然のことで顔は見えなかったけれど、その声は冷たくて凛々しかった。女性は現れた増援を見たこともない大きなデジモンと共に次々と打ち倒していく。厚めのソールの靴から繰り出される蹴りは重く、その所作に一切の迷いはない。
女性はショットガンを手放し代わりに手にしていたナイフと体術で、デジモンの方は長い腕と見たこともない武器を駆使して、凄まじいコンビネーションでゴキモンの群れを打ち倒した。後ろを向いていても互いの動きが分かっているかのように緻密な動きが、数で圧倒しているはずのゴキモンを完全に翻弄している。フィルモンたちに迫る手を素早く追い払い、こちらが戦いに集中できるようにすらしてくれている。かなり戦い慣れているようだ。
「バアルモン、」
「分かっている」
ゴキモンの勢いが次第に弱まり、フィルモンたちだけでもなんとか対応できるようになってきた頃、女性はデジモンに手渡されたスコープ付きの銃を、デジモンは自らの右腕を森の奥へと向けた。一発だけ、全く同じタイミングで銃声が重なり弾が飛ぶ。数瞬の後、森の奥からは何かの悲鳴が響き渡った。その声を聞いたゴキモンは酷く怯えた顔をして森の奥へ逃げ帰って行く。女性は、今度は逃げて行く背中を撃たず見送った。
ふぅ、とため息を吐きながら、女性は髪を束ねていたリボンを解き結び直す。前髪と後ろ髪を綺麗に分けてリボンは結ばれ、そのひらひらと揺れる端は頭の横にそっと流された。軽く巻かれたボブヘアは、あれほどの戦闘の後なのに少しも乱れてはいない。
「あなたたち」
さっきは見えなかったその瞳が、拓海の方を静かに向いた。声と同じく冷たいアイスブルーの、凛々しい瞳だった。身長は女性としては少し高い。お姉さんといった感じの容貌だ。
「こんなところで、何しているの」
「あの、えっと……」
「……私は雨野澪。こっちはバアルモン。怖いデジモンではないよ」
バアルモンは、かろうじて見える瞳でじろりとこちらを見た。怖いデジモンではない、と言ってもこの巨躯と目つきは中々圧がある。彼はフンと鼻を鳴らすと拓海から目を逸らした。白いマントで全身を包んでいるが、こちらにも土埃ひとつついていない。
「ふふ、怖くないなんて言っても説得力ないね」
「澪、さん……俺たち、あの、秘宝を探してて、」
「ああ、目的は同じなんだ。それでも、ここに来る以上ああいう戦いは避けられない。遊びのつもりなら、二度と来ないで。でももし遊びのつもりではないのなら……もう少し、戦い方について考えた方がいい」
透明な声と突き放すような言葉は少し冷たい感じもあるけれど、言葉の端々に彼女の優しさを感じた。じゃあ、と言って踵を返す澪を拓海は引き留めた。ああしてパートナーとも仲間とも、本当に信じ合いながら戦えたら、もっと強い絆に気づけるだろうか。そう思ったから、少し話を聞いてみたかった。拓海の目には少なくとも、澪とバアルモンが強い絆で結ばれているように見えた。
「……まあ、こんな森の中に子供を置いてどこかに行けるほど、私も薄情ではないから。いいよ。休憩の間だけ、少しお話ししましょうか」
戦闘を終えた森の中は、先ほどよりずっと静かだ。気温と湿度にやられて濁っていたはずの思考はいつの間にかクリアになって、手先まで血液が迸っているのを鮮明に感じる。それは拓海にとって、澪とバアルモンの戦い方や絆の形が、あまりに美しかったからだ。
続
お正月挟んで遅くなりました。夏P(ナッピー)です。
前回の澪さんとバアルモンさんの話の続きから。こっからストーキングもとい接触の方法を探るような感じでついてくるのかなと思いましたが、意外や意外、その話の内に助太刀する形で巡り合い完了。バアルモンに進化ってことはつまりそういうことなのでしょうが、生身の人間を鍛えるなんてピッコロさんみたいなことまでしていたとは。というか、女子高生(当時)を鍛え上げて生身のまま大抵のデジモンに太刀打ちできるまで強くするとは大した指導力。ジェネリック的にマサルの兄貴を生み出してしまった。
ツカイモンは出身地が出身地なだけに顔が広いのか、シャペロモンと知り合いというアニメだったらこの赤ずきんちゃんが敵なのか味方なのかなホラー回で一話使えるような展開。剥製の件も含めて敵になり得る可能性は孕んでいるように思える。ところで執事ポジのノーブルパンプモンはデザインカッコいいので、仲間ポジションとしてちょっとついてきたりしないかなと思いましたが完全ゲストでした。無念!
薄暗い世界はエリスモン達には苦痛になるのか、ゴキモン軍団にまさかの苦戦。澪さん&バアルモンの加入回という向きもあるっぽいのでさもありなん。しかし拓海視点で戦い方の称賛が入るってことは、今後彼女らを真似る形で生身戦が入ってくるのでしょうか。しかし小学生中学生に銃火器は……?
本サイトでの投稿は今回までのこと。お疲れ様でした。またサイトまで伺うことがあるかと思いますがその際には宜しくお願いいたします。