前回までのあらすじ
妹との関係に思い悩む朝陽、飛びたいという夢を叶えられないヴォーボモン。ふたりの思いの根幹には『自由になりたい』という共通する願いがあった。夜葉との在り方を変えようと朝陽は足掻くが、うまく行かないことが朝陽を更に迷わせる。大事な妹を傷つけてしまった後悔が胸の奥で渦巻いた。
それでも朝陽は拓海やヴォーボモンと過ごし話す中で、何度だって挑戦していいこと、自分の気持ちを押さえ込む必要なんてないのだということを身をもって知っていく。後悔するかもしれない、傷つくかもしれない。それでもふたりで大空を目指したい。この気持ちが重なった時、ヴォーボモンは進化を果たした。
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【 第九話・一 】
七月である。八雲にとっては雅楽を始めて最初の夏だ。毎夏、星埼中雅楽部はコンクールに出るのがお決まりになっている。とはいえ八雲は一年生なので、コンクールではなく今は定期演奏会という保護者や関係者に向けた舞台の練習中だ。演奏曲目もそう多くはなく、基本と雅楽の魅力が詰まった曲をいくつか演奏する。本番まであと一月半、課題は山積みだ。
八雲が定演で披露するのは、管絃と呼ばれる種目である。歌や舞のない、楽器だけでの演奏だ。一般的に十六人で編成されるが、一年生の人数が足りず空いた穴にはコンクールに出場しない二年生が入っていた。他の音楽系の部活よりも部員の少ない雅楽部では、ある種それが例年のお決まりになっているようだ。先輩である二年生が本来主奏者として各パートを引っ張っていくはずではあるのだが、今年はどうにもそういった様子ではなさそうだ。
「一年さあ、真面目に演奏してたらそんな音にならないはずだよねぇ?」
「……すいません、先輩。教えてもらっても、」
「ひとりで覚えなよ。……不満あるなら出てけば? 一年が抜けたくらいで誰も困んないし」
「……っ」
同じパートの先輩の意向で練習を早めに引き上げた日、他のパートが練習する教室の前を通りかかった時にそんなやりとりが聞こえた。心臓が打ち手汗が滲む。思い出したくないのに、母の記憶が何個も蘇った。こんな時夢なら真っ先に部屋に飛び込んで、物怖じせず先輩を諌められるのだろうが八雲は違う。足が震えて動けない。結局その日はそのまま帰宅したけれど、それ以来、部活に出るたびに呼吸が少し浅くなった。
別の日、八雲は件の一年にさりげなく聞いてみることにした。先輩のああいう言葉は前からなのか、あの日だけなのか。自分にできることは何かないか。八雲のどの言葉にも、彼は大事にはしてくれるなという感情を滲ませながら笑って答えた。こうなると、八雲は何も、言えなくなる。雅楽部の練習は普段学生主導で行われていて、顧問は滅多に顔を出さない。演奏指導は時々来てくれる外部講師がしてくれていて、顧問はお飾りである。だからこそ尚更問題が表出してこない。嫌なことを言う先輩も合奏練習中にわざわざ言ったりはしないので、恐らく部内でこのことを認知している人すら多くはないのだろう。
パートは別でも一緒に同じ舞台を作る人たちの気持ちがひとつに向かない。少しでもいい舞台にしたいから、そんなことはやめて欲しい。でも八雲はこの場所では後輩なので、できることは多くない。それに、子どもっぽい態度だとは思うけど、そうしてギスギスしてしまう先輩の気持ちも決して分からないではなかった。コンクールに出て大きな舞台やよりよい賞を目指したい。そんな気持ちを叶えている同期もいるのに、自分は様々な事情から一年生の出る舞台に立たなければいけない。その悔しさは、想像せずとも伝わってきていた。定演組の先輩は定演の練習だけでなく、コンクールメンバーに欠員が出た時に備えコンクールで演奏する曲の自主練まで行っている。雅楽に真剣に向き合う気持ちは確かだ。
これで演奏会が上手く行くのだろうか。どうしたら同じ目標に向かって前を向いてくれるだろうか。一年生は皆、ただいい演奏会にしたいだけだ。どうしたら、この気持ちが伝わるだろう。
部活を終えるとまっすぐ学校を出て、電車の中でグループチャットを開きメッセージに目を通す。普段のやり取りは雑談もありつつ、次の探索では何をするか、各々が考えたことのまとめなど、デジモンに関する話で常に持ちきりだ。八雲も大事な連絡事項があれば適宜書き込むことにしている。デジタルワールドでの活動は、拓海の怪我が治るまでしばしのお休みとなった。あの時も自分がもう少ししっかりしていれば、なんて後悔がじわじわ胸を蝕んでいく。
流れるように秘宝探しをすることになった。あの時拓海は迷っていたし、本当はそうしたいけれど巻き込みたくないという思いを抱えているように見えた。八雲は拓海に恩を感じていて、そんな彼が迷うのなら今度は手を引かせて欲しいとも思った。自分は彼の何かになれただろうか。もらったものを返せただろうか。
八雲は、秘宝探し自体に興味があるわけではない。夢のように正義感が強いわけではないから、デジタルワールドとこの世界の平和が危ないと言われても自分が主体的にするべきことなのかこの期に及んで考えてしまっている。秘宝を見つけたところで解決できるのかどうかも分からないし、デジモンの問題はなるべくデジモン内で解決してくれないかななんて思うこともあった。光の世界と闇の世界、ずっと断絶され互いに争わんとしているふたつの世界が、今更手と手を取り合って歩んでいけるなんて、八雲はとてもじゃないが思えない。それでもそれを信じていないといけない気がして、どうにも肩身が狭かった。
八雲にとってはそんなスケールの大きい話よりもっと、今目の前にあることの方が実感を持って大切に思えた。ツカイモンと一緒に歩み、互いに強くなること。過去のトラウマを振り切り前を向くこと。彼女が夢を叶えるのを見届けること。その目標の達成のためにがむしゃらに歩むよりは、秘宝探しをする中で何かを見つけられたらいいと思った。拓海に何かを返したい、という思いと、秘宝探しをすることで得られるメリットのために、八雲は今皆と目的を共有している。こういう考えをするたび、薄情なやつだなと自分でも思う。秘宝に願いたいことも特にない。拓海たちがデジタルワールドの平和のために使いたいと思っているのなら、八雲はそれでも構わなかった。
アスタモンの言葉も信じきれない。だから共有する情報はあえて絞り、八雲がアスタモンと皆の窓口係になることで責任を引き受けようとしている。危ない目には遭わせないようにすると決めたからだ。秘宝や平和にそこまで強い気持ちがなくとも、自分にできることを模索しながら彼らと共に歩んでいきたい。朝陽も拓海も、八雲にとって少しずつ信頼できる仲間のようになってきた。夢のことだけは、相変わらず苦手なままでいるけれど。
一日を終え疲れた体をソファに沈めると、夕飯の支度をしないといけないのになんだか動けなくなって参った。先輩としても後輩としても情けなくて、決めたことすらできない自分が、本当に嫌になる。
それでも、頑張らないと。その思いだけが八雲に重く落ちた。
「あー……疲れた、もう何も考えたくない」
「八雲って……案外おバカなのね」
「今はそれでいいよ、もう……」
そう思うものの、心も体も思ったようには動かない。何もして欲しくないと思っている同期の気持ちを無視してまで自分の考えを押し通したいわけじゃないし、かと言ってこんな状況では八雲も演奏に集中できない。せっかく雅楽に出会えたから、長くこの縁を繋いでいたい。そう思っていても、何をしたって良い方向には転ばない気がした。
デジモンのことだってそうで、リーダーシップも秘宝や平和に対する明確なモチベーションもない八雲が前に出るのは良いことだとは思えない。それでも彼らの安全に関して責任を持つ必要が八雲にはあり、年長者としての的確な振る舞いをするべきだった。こんな様で、本当に彼らを守っていけるのだろうか。
母からの仕打ちを父に黙って過ごしていた頃より抱えているものの数も重さもないはずなのに、なぜだかどうにも持ちきれなかった。
「僕は他人事みたいな顔して正義っぽい振る舞いをしようとしている最低な人間だし、拓海くん……拓海たちに対しても、なんの役にも立てないのに先輩ぶろうとして何一つ上手くいってない、ダメなやつなんだ。当事者意識が欠落しているんだ。本当は皆と同じ気持ちになって、怒ったり、悲しんだり、前を向いていないといけないのに」
「八雲みたいに一歩引いてるのがいないと、あのコたち、踏み入れちゃいけないとこまで突っ込んでって自滅しそうじゃなぁい? だから、そういうのも中には必要なのよ。ま、あたしは八雲がしたいようにしたらいいと思うけど。あたしはあたしが闇の女王になれるンならなんだっていいのよ?」
「……まあ、そうかもね。中心になって引っ張ってくのって柄じゃないし、皆の方が向いてるよ……。僕はきみみたいに冷たくなりきれないし、そのくせ、いい先輩と思われたくて表面的な行動しかできずにいる。そういうのがカッコ悪くてだめだ。自分で決めて、自分でやらなくちゃ」
やらなくちゃ。なんでも自分で決めて、自分で頑張らなきゃ。そうでないと自分の状況は改善しないし、もう助けられるばかりの自分でいたくない。八雲はソファに身を沈めたまま、自分の手を引くある日の父の温もりを思い出していた。
【 第九話・二 】
ある日朝陽から送られてきたのは、見たこともないデジモンとのツーショットだった。彼のパートナーであるヴォーボモンが進化したデジモンだと聞いて、焦った気持ちが一度に凪を取り戻す。ひとりで危険なところへ行ったのではないかと思ったけれど、杞憂だったようだ。おめでとう、と返すと、朝陽の声が聞こえてきそうなほど彼らしい、少し照れたような明るい返信が届く。これで出会ってから一度も進化を経験していないのはツカイモンだけか、と思うと、急に少しプレッシャーを感じた。彼女は相変わらず、そんなことは気にしていないのだろうけど。
部活の練習から解放される土曜の午後、結局誰にも何も言えなかったなと内心に抱えながら集合する。今日はアスタモンにゲートを開けてもらう初めての日だ。闇の世界の入り口の近くに繋がるゲートを開けてもらい、ついでに案内をしてもらう約束だった。中に入ってからはそれぞれの予定に従って行動をするつもりだが、闇の世界の入り口はどれも一見しただけでは分かりづらい場所にあり、ツカイモンもその全てを把握しているわけではないらしい。
「拓海、怪我はもうすっかりいいみたいだね」
「うん。心配かけてごめんなさい。でももう大丈夫。ね」
「拓海ばっちり、超元気!」
一番近くで彼を見ているパートナーのお墨付きがあるなら大丈夫だろうとひとまず安心した。朝陽もなんだか心の内側に持っていたものが少しすっきりしたみたいで、以前会った時より表情が明るくなっているように思う。
場所さえ教えてくれれば待っているだけでいい、というアスタモンの言葉通り、スマホでちらちら時間を確認しながらただ待った。さん、に、いち、と頭の中で小さくカウントすると、時間ちょうどに目の前にゲートがゆらゆら現れた。最初こそ驚いたものの、今ではもう慣れたものだ。吸い込まれるように中へと入る。慣れていても、少し苦手だ。
「あー来た来た。よかった、ちゃんと繋がったみたいだね」
「アスタモン、ありがとう」
「今日は闇の世界を調べるんだってね。頑張って。ほら百合花、立って?」
その場にへたり込むように座っていた百合花を無理やり立たせ、アスタモンは歩き出す。大きな体躯に見合った足取りについていくのがやっとだ。狭間の世界ではあるものの、光の世界の高い門扉はここからはまるで見えない。それに向こう側は自然に溢れていたけれど、こちらはなんとなく荒廃しているように見える。元は城のような大きな建物だったのだろう廃墟の奥には火山と噴き出る煙が見えた。踏みしめる地面は硬く、空もどこか暗い。数分歩く間に三回絡まれたが、アスタモンを見るなり尻尾を巻いて逃げ出していった。
アスタモンの足はどんどん廃墟の中へ向けて進んでいく。あちらこちらが朽ちているものの、かろうじて残った壁だの柱だのの趣は、この城の主だった者の高いセンスが窺える。主は、どこへ消えたのだろう。
「ここさ。ここを潜っていけば直で行ける。闇の世界は地下にあってね。狭間の世界の各地にある、地下へ繋がる階段をぐるぐる下るんだ。長いから覚悟しなよ」
「うう……」
「エリスモン、怖い?」
「うん……でも気になるし、拓海も一緒だから、頑張る……」
アスタモンは土埃を被った石畳の一部を軽く引くようにした。しっかりと嵌まっているように見えたのに、敷石は滑るように横にずれ、その下に抱えた隠し階段を明るみに照らした。好奇心と恐怖を同じ瞳に閉じ込めたエリスモンと拓海がアスタモンのすぐ後ろに続き、闇の世界を目指す。八雲とツカイモンは最後尾について、アスタモンの指示通りに扉を閉めた。差していた光が一瞬途絶えたと思ったら、壁の松明が一斉に灯る。驚いたエリスモンの声が強く響いた。壁に手をついて歩かないと足を踏み外してしまいそうだ。ツカイモンの小さな羽ばたきの音を聞きながら、八雲の足は一歩ずつ進んだ。螺旋階段をぐるぐると、永遠とも思える時間下っていると、八雲の前を進んでいた夢が足を滑らせ小さく声を上げた。考えるより先に体が動く。自分がバランスを崩すことなんかお構いなしに夢の腕を引き、八雲の体は後ろに少し傾いた。階段に尻餅をつく形にはなったが、どこも強く打ち付けずに済んだ。
「ありがとう、八雲さん」
「あ、いや、危ないから、気をつけて」
一方的に苦手だと思っている相手が屈託なく接してくると、どうにもばつが悪くて参る。自分だけが子供みたいだ。苦手だと思っても放ってはおけない自分の中途半端な気質が目につくけれど、今は仲間が怪我せずに済んで良かったと思うことにした。
「お疲れ様、もう見えてくるよ」
アスタモンの声が聞こえて視線を前に遣ると、そこには広い空間が広がっていた。地下空間のはずなのに頭上はどこまでも高く、赤だの紫だのが混じるカオスな色に染まっている。足元はどこか中世を思わせる石畳が引かれているものの、ところどころひび割れていたり石が抜けていたりして、注意して歩いていないと躓いてしまいそうだ。デジモンたちは当たり前のようにそこらを歩き回っている。八雲たち人間を気にする者は誰もいない。建物は建っているもののやけに造りが頑丈で、それがどうしてなのかは尋ねずとも分かった。
「じゃあ僕はここで。帰りたくなったらまた連絡をおくれよ。勝手にゲートが開くようならそれで帰っても構わないけど」
「あ、ありがと、じゃあ」
「百合花もほら、行くよ」
「いやあぁぁ……」
半ば誘拐されるかのように襟を掴まれ引き摺られていく彼女を不憫だとは思う。百合花を見ていると、ああはなるまいと思う気持ちと、ああでも先輩という立場にはなるものなのだという妙な安心感が一緒に胸に湧く。それでも八雲は八雲だ。自分のやるべきことをやらなければならない。気を引き締め、事前に話し合っていた探索プランを復習する。今日はツカイモンの知り合いだというデジモンを何人か訪ねてみるつもりだ。話を聞けそうなデジモンがいれば、道ゆくデジモンにも声をかけつつ移動するつもりである。最もそんなのがいるかは大分怪しいところではあるのだけれど。
予想に反して、道を教えてくれたり目的を聞いて色々と情報を教えてくれるデジモンがあちこちにいた。狭路地のアイズモンは曖昧な呂律で「イイモノ、アルヨ、オイデヨオイデ」などと囁いたし、チューチューモンはやたら足元を走り回って当たり屋のように睨みつけてきたし、大量のコドクグモンに絡まれた時は生きた心地がしなかったし、そもそも上空をずっと謎の巨鳥デジモンが回っているけれど、まあ、想像よりは話のできるデジモンがいた。光の世界では聞けなかった「秘宝の話を聞いたことがある」と言うデジモンもいて、半信半疑ではあるもののアスタモンと自分たち以外の口からその話が出たことに少しほっとした。
「オレのご主人様も探してんのサ。闇の世界中探し回っても見つからないんで、外にあるんじゃないかってハナシだぜ」
「ウチもそんなんさ。んま、光の世界の連中ぶっ潰しに外に出た時にでも一緒に見つかるんじゃねえの?」
そう言って笑うのは、ブギーモンとシャンブルモンだ。ご主人様というのがよく分からなかったけれど、自分より強いデジモンに仕えることで命を守るデジモンも少なくないらしい。
そういえば、ツカイモンはどうだったのだろう。学校に通ったり、誰かの庇護下で暮らしたりしていたのだろうか。ブギーモンたちと別れ歩く道すがら軽く聞いてみると、そんなわけないと軽く一蹴された。
「あの子達だって成長すれば主人を裏切ってどこかへ行くわ。上手く裏切れなきゃ殺されるけど。でもとても分かりやすいわ」
「そう、なんだ。そういう、ものなの?」
「そうよ。長を据え秩序を形成した光の世界とは違うの。秩序も法もないし、全体の利益や幸福の追求なんてだれも考えてない。考えているのは、自分の利益と幸福だけ。でもそれが悪いなんて思わない。強い者の下につくのも、裏切るのも、裏切ったヤツをどうするかも、自分の利益のため。光の世界が求める平和のために譲歩する気なんて、誰にも、これっぽっちもない。全体の幸福のための犠牲は致し方ないなんて誰も考えないわ。一方的に与えた正しさで洗脳して世界を運営しようだなんて、欺瞞もいいところよね」
「欺瞞なんかじゃない! 闇の世界が対話から逃げているだけでしょう? 光の世界がどれほどこのデジタルワールド全ての安寧を考えて策を講じてきたのか、ラジエルモン様から聞いたはず。でも、闇の世界はそのどれも受け入れず、対話のテーブルにつくこともなかった。だから!」
「ふふ、そういうことは、対話のテーブルについてもいいと思えるほどの価値を見せてから言うことね。対話なんてしようものなら平和や正義や法や秩序やなんてことを一方的に『正しい』と押し付けられて、闇の世界のありようは真っ向から否定するだけで議論にならない。だから以前も拒まれたのではないの? 鬱陶しい説教をされるくらいなら、そもそもそんなことを言い出す奴らを始末してしまえばいい。そっちの方が余程簡単だわ」
ツカイモンの言い分に辛抱たまらず、プロットモンが刺々しい声を出した。喧嘩腰のプロットモンに飲まれることなく飄々と返してみせるツカイモンの姿勢を彼女らしいとは思うが、こんなところで言い争って欲しくない。今この話をしたところで、平行線にしかならない。口を開こうとするプロットモンを制し、八雲は声を上げた。夢も何か言いたげにしたけれど、聞いてあげる余裕はなかった。
「ま、待って。喧嘩しないで。互いに互いの言い分があるのは、よく分かったよね? 今話してもすれ違うばかりだし、互いに互いの意見を聞く姿勢が取れないのなら、今じゃなくて後で話そう」
「八雲が言うなら仕方がないけどぉ。でもあたしの気持ちは変わらないわ。光の世界の考えだけが正しいわけじゃないなんて、あのコにもきっとすぐ分かることよ」
それきり、プロットモンもツカイモンも何も言わなくなった。ツカイモンは何を考えているのだろう。変化なんて望んでいなさそうに聞こえるのに、どうして闇の女王を目指しているのだろう。吹き上がるプロットモンの気持ちも、分からなくはない。自分の身にのしかかる使命の一端を知った彼女は、そのために頑張ろうと今も思っているはずだ。それを真っ向から否定されたら黙ってなんていられないだろう。またも板挟みだ。先輩としても、後輩としても、パートナーとしても。何をどう抱えればいいのか、八雲は分からなくなった。
そんな風に考えていると、拓海とエリスモンが急に立ち止まった。何か来る、と言いながら頭上を見上げるエリスモンの言葉に、皆一様に上を向く。そこにあったのは、目前まで迫った赤い光の鎌だった。すんでのところで身を引くと、鎌の持ち主が体をゆらりと揺らしながらこちらを向く。骨のみで構成された体を黒いマントで包んだそのデジモンは、明らかな殺意を持ってこちらを見ている。
「メタルファントモン、ね」
ツカイモンがその名を呟くのと同時に、八雲以外の三人は素早くD-Venereを起動し進化の光を発した。どうやら一度進化すると、デジモンとそのパートナーの意思で進化の際に出る眩い光を出すことができるらしい。ツカイモンと何ができるだろう。考える前に、体は動き出していた。
【 第九話・三 】
メタルファントモンの動きは素早く、身軽なフィルモンとテイルモンでもその動きを完全に捉えることはできないでいた。むしろ自分たちより体も戦闘能力も上のデジモンに翻弄されるばかりで、攻撃をする隙がまるで見えない。ツカイモンは少し遠くから敵を観察し、弱点を探っている。八雲は誰も傷つかないよう周囲の全てに神経を巡らせていた。
メタルファントモンが低く飛んだ隙を見て、ラヴォーボモンがマントの端を思い切り踏みつけ足止めをする。地面に縫い付けられたメタルファントモンに、テイルモンとフィルモンが同時攻撃を試みた。しかし、その攻撃はふたりへ向けて素早く振られた鎌によって遮られ、ふたりは素早く動かした体に急ブレーキをかけざるを得なかった。
「拓海、これじゃあ攻撃当たらないよ!」
「一度下がろう、夢も、」
「どうにか追い払えないかな、テイルモン!」
「やってみる、『キャッツ・アイ』!」
テイルモンの技はまるで届いていないようだ。翻ったマントにフィルモンの毛針が全て飲み込まれていく。身を捩りながらでたらめに振り回された鎌がラヴォーボモンの体側面に直撃するのが見えた。
「うあぁあッ、ぐぅ……!」
「ラヴォーボモン!」
痛みに呻いたラヴォーボモンに朝陽が駆け寄っていくが、同時に自由な動きを取り戻したメタルファントモンが鎌を振り上げた。その軌道は明らかにラヴォーボモンを狙っている。このままでは、朝陽にも鎌が当たってしまう。年長者として彼らを守らなければとか、責任を持たなければとか、あれだけ悩んでいたことが今は少しも頭に浮かばない。ただがむしゃらに八雲は飛び、朝陽の体を抱き抱えたまま転がった。ラヴォーボモンも素早く身を引きながら巨大な火の玉を打ち上げていたようで、メタルファントモンの体の細くなったところに命中した。一瞬身を捩り、メタルファントモンは八雲たちでは手を出せない上空まで瞬く間に上がっていく。
「朝陽ッ、大丈夫か!?」
「八雲が来てくれたから、平気!」
「それが分かればおれもまだまだやれるぜ!」
そう言ってラヴォーボモンは上空を見据えた。再び火球を打ち上げるがまるで届いてはいない。メタルファントモンは体の修復を試みているようだ。光を発する水晶が、星のように淡く見える。ああして上空でじっとされると、飛べるデジモンのいない八雲たちでは手が出せなかった。このまま逃げ出そうかとも思ったけど、メタルファントモンの目は、監視するようにこちらを見据えていた。ツカイモンは八雲の肩の上に乗り、小さな声で話した。
「マントに攻撃は効かないわ。胴体……できれば、あの水晶を狙うの。あれがあいつの体を修復してる。きちんと仕留めないと、同じことの繰り返しよ。八雲。あのね」
「……なに」
「重たいのなら持たなくていいの。持ちたいものだけ、持ちなさい。そうしたらあたしも、軽くなれるわ」
持ちたいものだけ。その言葉の意味を深く考える時間をメタルファントモンは与えてはくれなかった。飛び立っていくツカイモンを目で追うと、赤い光の鎌を巨大化させながら急降下してくる姿が見えた。気づくのが一瞬遅れた拓海と夢たちに避けるよう大声を出したが、一瞬の遅れを見逃してはくれなかった。直撃こそ免れたものの、テイルモンとフィルモンは斬撃を受け吹き飛ばされる。痛々しい傷がついたのが伺えたが、フィルモンもテイルモンもまだやる気は十分といった気迫を見せていた。持ちたいものだけ。その言葉の意味を考えるより早く、八雲の体も心も、一点に向かって動き出した。
「夢さん、話のできる相手じゃなさそうだから、今回は倒してしまうことにする。言いたいことがあるのなら、後でじっくり聞かせてもらうよ。テイルモン、フィルモン、アイツの水晶を狙って攻撃してくれ!」
「でも、俺たちの技じゃ届かないよ! 動きは素早いし、飛んで逃げられちゃう!」
「大丈夫。ツカイモンとラヴォーボモンで足止めをする。とどめを差したくないのなら……僕が、これで差す」
そう言って八雲が手に取ったのは、その辺に落ちていた鉄の棒切れだ。こんなものであんな大きく強いデジモンを倒すことができるかは分からない。だけれど八雲はそうすることにした。できるかできないかではなく、やると決めたからだ。年上としての責任とか、年長者としての立場とか、今はそんなこと全く気にしてはいない。
「私やるわ。夢、戦わないと守れないものがあるのなら……私はやる」
「テイルモン……うん。戦うこと自体が、悪いことじゃないの。私分かった。どうして戦うのかが大事なんだ」
夢の考え方が少し柔らかくなったのが八雲にも分かった。まだまだ夢のことは苦手で、分からないと思うことばかりだけれど、いつか苦手ではなくなるのだろうか。そうなればいい。いや、きっとそうできる。八雲がそこを目指しているから。夢の変化に触れ、ツカイモンに思いを貰い、八雲は思った。人は変われるのだと。どんな姿にだってなれるのだと。精一杯に叫ぶ思いは、八雲の胸から湧き上がってきたばかりの若い気持ちだ。
「じゃあ、頼んだよ。……ツカイモン! 僕は、僕がここでみんなといたいから! だからここで戦うんだ! 皆を守りたいと思うのは、僕がそうしたいからなんだ! 皆に対する年長者としての責任とか、年上だから、保護者だからとかじゃない! 僕は僕として僕の人生を生きたい、きみもそうなんだろう!!」
「ふふ、そうよ、八雲!」
朝陽を守ろうと勝手に体が動くのは、保護者ではなく仲間として彼を守りたいと心の底から思っているから。全く同じ気持ちになれなくたって、それは皆が別々の人間だから当たり前のことだ。同じ気持ちではなくとも秘宝を探したいと思えるのが、この場所が、八雲にとっては既に仲間だと思える皆との場所だから。八雲は他のどんな役割の名前も捨てた、八雲として、彼らと一緒にいたい。一緒に同じ目標を追っていたい。守る・守られるだけでなく、一緒に戦いたい。きっと部活も同じことだ。そう思えたその時、八雲にも進化の光が見えた。目の前に飛び出してきた金色の光溢れる画面に触れると、ツカイモンは大きく羽ばたく鳥のような姿へと進化を果たしていた。
「セーバー……ドラモン……」
図鑑に表示された名前を読み上げると、彼女はいつもと少しも変わらない余裕を湛えた妖艶な笑みで八雲に笑いかけ、大きな黒い翼を優雅に揺蕩わせている。しかしその動きはすぐに鮮烈なものへと変わり、セーバードラモンは鋭い足の爪でメタルファントモンへ襲いかかった。後ろから肩に掴みかかられ、メタルファントモンはまたも鎌を出鱈目に振り回す。体制を崩した一瞬のうちに地上へ叩きつけるようにセーバードラモンは足を振り上げる。鎌はメタルファントモンの手を外れたが、絶対に逃さないという気迫を持ってセーバードラモンが急降下した。叩きつけられたメタルファントモンはすぐ体制を立て直そうとしたけれど、下半身はラヴォーボモンに、上半身はセーバードラモンによって押さえつけられまともに動けなくなったようだ。手の先から新たな鎌を生成しているのが見えて、八雲はフィルモンとテイルモンに思い切り合図を出した。
「今だ!」
フィルモンはメタルファントモンの水晶に『ライトニングスティンガー』で大きなヒビを入れた。注がれるエネルギーは一瞬で尽きてしまったようだけれど、そのヒビにテイルモンが『ネコパンチ』を打ち込み、やがて、メタルファントモンの水晶は音を立てて砕けた。
メタルファントモンの体は、その瞬間光の粒子になって消えていく。八雲の手から鉄の棒切れがカラリと音を立てて落ちた。死んだのだと分かった。アスタモンと初めて会った時も、彼の放った弾丸がデジモンに当たったのだろう気配は感じていた。だけれどいざ、自分たちの手で死を間近にすると、どんなに自分たちの命がかかっていたとしても胸が重い。
「死んだらデジタマになるんだ。還るんだ。確か、そうだったよね」
「そうよ。まあ何。こればっかりは、慣れるしかないわね」
「ふたりには、嫌な役目をさせてしまったね。ごめん。今は何より、無事で良かった」
夢は少し動揺しているようで、テイルモンを抱き上げたまま小さく頷いただけだった。元より戦いや殺し合いに明確に反対している立場なのだから無理もない。夢を慰めるのはテイルモンに任せることにしよう。
「あたしの知り合いの家はすぐそこよ。そこで少し、ミルクでももらって休憩しましょう。八雲、元に戻して」
「え?」
「八雲、えっと、ここタップすると、戻れる」
必死すぎて気づいていなかったが、D-Venereの画面上に新しい項目が追加されている。拓海に教えてもらった通りの場所を押すと、セーバードラモンは淡い光に包まれてツカイモンの姿へと戻った。いつか、殺し合わずに戦える日が来るのだろうか。この世界のデジモンは闘争本能が強く殺し合いを求めているのだと誰もが口を揃えて言うけれど、そもそもなぜ戦いたがるのだろう。分からないことは山ほどある。八雲はふと、秘宝には殺し合わなくてもいい世界を作ることをお願いしたいな、と思った。
頑丈に造られた高い建物の上に、ひと組の人間とデジモンが佇んでいる。頭上を旋回する巨鳥も近く、その姿がはっきりと分かった。オニスモンとベルグモン。二羽の鳥が何を目的に旋回しているのかは、誰も知らない。デジモンの身につけた白いマントと濃紺のターバンの端がゆらゆらと、巨鳥の起こす風に吹かれ揺れた。人間はデジモンの腕の中に優雅に腰掛けるように収まり、デジモンは何より大切なもののように、人間を抱き抱えている。
「危ないところだったけれど、私たちの出る幕じゃなかったね」
「フン。あんなガキども放っておけばいいものを。お人好しめが」
「ふふ、あなたほどじゃないよ。バアルモン」
「……冗談も休み休み言え。澪、もう行くぞ」
澪と呼ばれた人間の凛々しい瞳が弧を描いて、バアルモンは混沌色の空を背負ったまま走り出した。ふたりの過去も、目的も、まだ誰も知らない。
続
持ちたいものだけ持ちなさいという台詞がかっちょ良過ぎる。夏P(ナッピー)です。
そういえば前回のラヴォーボモンを経て未進化なのツカイモンだけになったんですねえと、本文で言及されて今更気付いたのでした。その辺りはツカイモンの原種であるパタモンとタケルのオマージュなのかなと思ったのですが、一方で進化先がセーバードラモンだったということで同時にバードラモンとそのパートナーである空さんの要素も多分に感じたのでした。まさしく冒頭のツカイモンの台詞なんてその象徴。
デジアドを大前提とすると、デジモン創作におけるパートナーは人間にとって心の鏡として肯定と否定のバランスが妙となりますが、これは立ち位置が他の三人とちょっと違って闇への考え方がシニカル&ドライなツカイモンならではの台詞。心配や信頼ではなく自分自身がそうした方がいいと思うからというシンプルな言葉こそが心を軽くする=パートナーが飛べるようになるという心地良さ。カッコいい!
あと細かな部分ですが、前々回を経て夢サンもちょっと頑なだった心を柔らかくしつつあるという描写が挟まれてるのも心憎い。しっかり単独回を経て皆成長している……しかし全員が成熟期になるタイミングで既に敵が野良完全体とはなかなかのハイペース。
それと中学で雅楽部とはオサレである。このギスい空気感はなかなか心苦しくなりますが。
それでは今回はこの辺りで感想とさせて頂きます。