とある九州にいた少女テイマーとドキモンの過去話です。
「プロジェクト・トリフネ」のスピンオフ?番外編?です。
◇
多少錆び付き重たくなっている自転車のペダルを立ち漕ぎ、息を切らして少女は風を切る。
眼前にチラつく黒煙の先にいるものを追い、すっかり崩れた建物の中を走り抜け、ただひたすらに。
「ごめん、ごめん、頼むから、」
口を突いて出た言葉は、まだ届きそうにない。
◇
「ぼくドキモン、君の相棒だよ。よろしくね」
雷雨の酷かった夜が明けた翌朝。
自宅敷地内にある小さな祠近くにいたそれは、廊下の雑巾がけをしていた少女にそう声をかけた。
喋るちいさなまんじゅうに、少女は無表情のまま衝撃を受けたが、受け入れるのはすぐだった。
デジヴァイスを手にした少女はためらいなくドキモンと名乗るまんじゅうを優しく抱き上げ、それから2人の関係が始まる。
剣術道場の子である少女と共に、ドキモンは着々と進化し、メキメキと実力を伸ばしていった。
時たま現れ暴れるデジモンという存在と戦い、お互いの絆を深め。
「ぼくらって最高のコンビだよ。敵無しだね!」
そう語るドキモンの言葉を否定せず、はにかむように笑う。
少女もドキモンと共に成長していた。
父から課される厳しい練習も、兄弟弟子達との試合も、自主練も、強者揃う大会の激戦も。
強くなりたいと願う自分を信じてくれているドキモンが隣にいたから頑張れた。
独り孤独な武の道を、明るく照らしてくれた。
お互いがかけがえの無い存在だった。
「ぼくね、………が、将来道場継いだ隣に立つに相応しい進化しようと思うの。カヅチモンって言うんだってぇ」
「カヅチモン……。フフ、建御雷神みたいな名前なんだな。そうしたら、私とお前で、経津主神と建御雷神。武神が2柱、正に最強だな」
「でしょぉ?がんばるねぼく」
「私も、お前に相応しい相棒になるよ」
少女らしからぬ、まめが出来た硬い掌に撫でられたドキモンは布団の中で柔らかくとろける。
微睡む視界の先、滅多に笑わない相棒の笑顔は優しく慈愛に満ちていた。
この笑顔、大好きだなあ。
それが、少女の笑顔を見た最後だった。
◇
少女が17になった頃だ。
バキン、と道場から響いた音に、庭で寛いでいたドキモンは驚きながらも急いで道場の戸1枚に体を押し付けた。
先程、相棒が父から話があると言われて入ったばかりだった。
「一体どげん事じゃ。先月ん大会でん1位で結果を出しちょい。今までん大会もずっと。おやっどんの弟子んだいにも負けたことはなか、こん前おやっどんから一本取った。おやっどんから一本取ったや跡を継ぐて約束したじゃらせんか」
激しく抗議する声音には、今まで聞いたこともない怒りが滲んでいる。
体にビリビリ走る激しい怒りの心拍に、ドキモンが恐怖を覚える程。
「ないか言え、ないごて私が跡継ぎじゃなかと」
「……」
耳をそばだてた事を心底後悔した。
静かに怒りを押し殺して問いかけた言葉の返事は、残酷なものであった。
ドキモンは目を見開き、思わず小さく声を漏らす。
静まり返った道場の中を窺い知ることはできない。
しかし、ドキモンの体に流れ込む感情の激流は更に激しさを増していく。
小さな体で受けきれない暴力的なまでの力の発露を、どうにかバウトモンまで進化させて受け止め切った。
未だにバクバクと脈を打つデジコアが苦しく、胸を抑えながらバウトモンは庭の片隅にある小さな池に頭を突っ込んで気を鎮めようと尽力する。
道場から聞こえた打撲音を、耳元でさざめく滝がかき消した。
しばらく頭を冷やして落ち着いたバウトモンが顔を上げると、丁度道場から相棒が出てきたところだった。
右頬を真っ青に腫らし、唇と鼻から血を流したままの姿に、名を呼びながら駆け寄ったのに言葉につまる。
「ね、ねえ、どうしたの?大丈夫?!痛いよね、待って、俺すぐお母さんに救急箱」
「私が女だから、跡継ぎにはなれない。私が高校を卒業したら、婿養子をとるんだとさ」
相棒から放たれた言葉は、肺に当たる内部構造が一気に凍ったかのような感覚をもたらした。
「隣の県の剣術道場、しかも私に3回も負けている男を婿養子に迎えるらしい」
「……む、こようし」
「私は、跡継ぎでもない。婿養子を迎える為だけの存在で、この道場のお飾りだったという訳だ」
「違うよ、違う!君は俺の相棒で、この剣術道場最強の剣士」
「もういい、慰めはいらん」
誰よりも努力を重ねた手が、静かにバウトモンの胸板を押し返す。
「そういう事だ。お前との約束も果たせそうにない」
触れた手から伝わる憤怒は先程と桁違いの強さでバウトモンのデジコアを激しく揺らす。
「私が女だから、私は結婚しないと道場に貢献できないと。なら私の今までは一体なんだったのだろうな」
吐き捨てるように呟いて道場を後にするその背中を、バウトモンは痛みに疼く胸を抑えながら見つめるしか出来なかった。
◇
それから、彼女は荒れに荒れた。
まだそういう学校における治安がガバガバだった時代だったのもある。
才色兼備と謳われた少女の顔から表情は抜け落ち、鋭い眼差しは射殺さんとばかりに他人を突き刺し。
喧嘩をふっかける不良を流血沙汰、病院送りにする。
オマケに剣術から柔道、武術道場に片っ端から道場破りに行き全員薙ぎ倒してしまう始末。
バウトモンに進化してから、ついつい教えてしまった技をスポンジのように吸収した彼女は、様々な武術を駆使して、独り孤独な道を突き進んでいく。
「狂戦士」と化した彼女の背中を、その時ドキモンは追うことしかできなかった。
彼女の背中が酷く遠く見えて、今まで隣にいたはずの姿が霞んで見えるほど。
家に帰れば、父に集う弟弟子たちを理不尽に滅多打ちにし、咎める父を殺意すら籠った眼差しで睨み、掴み掛かられたら柔道の技を全力でかけて床に叩きつけ。
母にさえも怒りの眼差しを向けるようになってしまった。
そんな事をするような性根では無いはずの彼女なのに。
あの日道場での家族会議が、彼女の全てを変えてしまった。
「ねえ、話し合ってみようよ……ねえ、もしかしたら、」
夜が降りてくる夕暮れの街を見下ろせる高台のベンチ。
恐る恐る声をかけるバウトモンの言葉に、振り向きもせずに少女は高台の柵に寄りかかる。
「明日、例の道場のボンボンが来るらしい。……雑魚相手だ、私が殺してやろうか」
「そんなことダメだよ!……ショックだったよ、分かるけど」
「何がわかる」
「え」
「お前は普段、柔らかくてかわいい。でも進化したら上背も、腕力も、筋力もあるバウトモンになれる。私はどうだ。お前みたいに進化できたなら、こんな思いをしなくていいのに」
乱雑なざんばら頭が、膝丈のセーラースカートが、風にあおられてゆらゆら、ひらひらと靡く。
「バウトモン」
暗く澱んだ瞳が、怒りをたたえたままバウトモンを見つめる。
「あのクソ親父も、間抜け面した兄弟弟子達も、婿養子に出したいとか言ったゴミみたいな津島道場の奴らも、何にも言わない母さんも、みんなが憎い」
少女はフラフラとバウトモンに歩み寄り、そのまま厚い胸板にとすん、と額を押し付ける。
「なあ、バウトモン。こんなクソみたいな世界、ぶっ壊れてしまえばいいんだ」
自嘲するような声音で放った呪い。
呪い、とそう分かっていて、心の中でなにかがすとんと腑に落ちたような感覚が生まれた。
デジコアが激しく脈打ち、激痛に思わず呻き声をあげたバウトモンに、少女は顔を上げた。
「……?」
「……ごめん」
肩をそっと掴み、僅かに身から引き離したバウトモンは無理にうかべた笑顔を向ける。
「バウトモン、お前、どうした」
「……あのね、君が幸せじゃない世界なんて俺も嫌だよ。だから、俺……」
バウトモンに肩を軽く押され、後ろにしりもちをついた瞬間。
西日に照らされる中、目の前で黒炎の柱が立ち上った。
苦痛に満ちた禍々しい咆哮が響き渡り、暗く淀む空気が強風を纏い吹き抜けていく。
眼前で起こった出来事に、目を見開き、相棒の名前を叫ぶが、咆哮に掻き消されて届いた様子は無い。
黒炎が散り、翳した手のひらをゆっくり退けると、そこにバウトモンはいなかった。
代わりに、二回りも体の大きいデジモンがそこにいた。
赤い肌に、青白い炎が頭と腹部で燃え盛る巨体の男。
禍々しい空気を纏ったそれは殺気立った視線を少女に向け、そのまま街の方へ視線を移すとそちらへ向けて跳びたっていってしまった。
「……ッ、バウトモン!」
名を呼ぶが、返事は無い。
代わりに高台の下から聞こえた悲鳴と破壊音に、すぅ、と血の気が引いていく。
高台の下にある住宅街から火が上がり始めた。
少女は自転車に跨ると、ペダルを踏み込み長い坂をブレーキも掛けずに駆け抜ける。
住宅街から立つ黒煙は徐々に街の中心部に向かって行く。
カバンの中ねじ込んだデジヴァイスがけたたましく鳴り響き続け、少女の焦燥を駆り立て続ける。
体重をかけて急カーブを曲がり、寸の所で中年男性を避け、更にペダルを踏み込んだ。
「わいっ!危なかど〜っ!」
「せからしかバカタレがァ!せ死ンごたっとかッ!!!」
◇
街の中心部付近は既に建物が崩れており、焦げくさい臭いが辺りに充満していた。
破壊音も聞こえるため、バウトモンも近くにいるはずだろう。
周りを警戒しながら、多少錆び付き重たくなっている自転車のペダルを立ち漕ぎ、息を切らして少女は風を切る。
まさか、自分のあの言葉でバウトモンが破壊の限りを尽くす様なことをするだなんて。
眼前にチラつく黒煙の先にいるものを追い、すっかり崩れた建物の中を走り抜け、ただひたすらに。
「ごめん、ごめん、頼むから、」
口を突いて出た言葉は、まだ届きそうにない。
早く暴走を止めなければ。
私の勝手な願望で歪んだ進化をしてしまった罪のない相棒を止めて、謝らなければ。
お前の事を考えず、自分の辛さだけを押し付けてしまった自分勝手な相棒でごめん、と。
「"獣王拳"!」
街に響いた声に、少女は自転車を一旦止める。
激しく何かがぶつかり合い、爆発する音。
場所は近い。再びペダルを漕ぎ音の方へと向かうと、二者はそこに対峙していた。
筋骨隆々とした肉体のライオン頭の大男がそれと向き合っている。拳を握りしめ、肩で荒く呼吸をしつつも鋭い目を向けていた。
「レオモン!大丈夫か?!」
「大丈夫だ、イエヒサ!」
レオモン、と呼ばれたデジモンの後方。
10歳くらいだろうか、剣道の道着姿の少年が竹刀を握りしめたまま怯むこと無く真っ直ぐな眼差しで敵である進化したバウトモンを見据えていた。
……知っている少年だ。
あれは婿養子をとる、と言っていた道場の四男坊だったはずだ。
何故あんなところに、自身と同じようにデジモンを相棒にしていたのか。
疑問は尽きないが、それをずっと考えている暇は無い。
目の前に広がる瓦礫の山を相手に、少女は自転車を乗り捨てると、怪我を厭わずに登りバウトモンの元へと向かう。
地面に転がった瓦礫は少女の行き先を阻み、制服や足元は既にズタズタになるほど。
それでも歩みを止めることなく叫ぶが、進化したバウトモンは容赦のない拳をレオモンに奮い、レオモンはそれを受け止めるのが精一杯という所だった。
「レオモンーッ!レオモン!がんばれー!」
「バウトモン!やめろ!やめろーッ!」
激しい風音に声が掻き消され、風圧によって発生した鋭い風が頬や腕、足に切り傷を刻む。
脚や頬に走る熱に、体が痛みを覚えて鈍くなるが、構う余裕もなく、ようやく瓦礫を乗り越えたところで少女は膝を崩した。
レオモンはどうにか進化したバウトモンに抵抗していたが、実力が違いすぎる。
深く傷を負い、立っているのがやっとだ。
「イエヒサ!早く逃げろ……!」
「レオモンやだよ!絶対逃げない!おれとレオモンなら勝てるよ!レオモーン!!」
レオモンに泣きじゃくるイエヒサが駆け寄ろうと走り出した。
イエヒサの方を振り向いたレオモンに、少女が目を見開き叫ぶ。
「ッ!!逃げろーーーッ!!!!!」
少女の咆哮に気づいたイエヒサが視線をこちらに向けると同時だった。
傷だらけの脚に力を込め、血を滲ませながら。
手を、伸ばし。
それより先に、強烈な回転蹴りがレオモンとイエヒサの身体を吹き飛ばす。
小さな手から竹刀が滑り落ち、軽い身体があっという間に中に浮き。
少年を庇うレオモンの肉体が盾の意味もなく引き裂かれ。
生々しくてらつく赤の軌道が、少女の目にスローモーションで焼き付く。
ゆっくり宙に弧を描き、2人分の体重が落ちる音と、原型を失いかけたそれが飛び散る音が静かな空間に響いた。
伸ばした手は虚しく空を掴んで終わった。
血でぬるつく震える足が力を失い、その場に崩れ落ちる。
殺意の籠った目が彼女を捉え、足音がこちらへと向かう。
ぐるる、と威嚇するように放たれた唸り声に顔を上げ、すっかり正気を失ったバウトモンと向き合う。
ゆらゆらと激しく揺れる青白い炎が霞む。失血が酷く頭が朦朧とするが、少女は青ざめた唇を噛み締める。
言わないといけないことがある、ゆっくり口を開いた。
「バウトモン……。ごめん……」
振り上げた拳が止まる。
「ごめんね……私があんな、こと、言うから、あんなこと考えるから……お前にこんな惨いことをさせて……バウトモン……ごめん……こんな、こんなことになるだなんて……」
「……」
「バウトモン、私、もうお前を傷つけるようなことは絶対にしないから、私はもう大丈夫だから、私がお前を守るから……」
言葉を絞り出しながら、ゆっくり立ち上がり、動きを止めたバウトモンの脚にしがみつく。
静寂の中、バウトモンの耳には少女の啜り泣きだけが届く。
「……コ……」
「フ……ツコ……?」
名を呼ばれ、勢いよく顔を上げると、額にぼちゃり、と大粒の水滴が零れ落ちて反射的に目を閉じた。
正気を失っていた目から溢れる涙。
「フ、ツコ……ダイジョ、ウブ……?」
「大丈夫だ、私はもう大丈夫、バウトモン、ごめんね……」
「……ナカナイデ……」
「もう泣かない、戻っておいで……私の大切な相棒……」
「……」
鋭い歯を剥き出しにしていた厳つい口元が緩み、柔らかく口角が上がると同時。
抱きしめていたバウトモンが激しく光を
放ち、シルエットがじわじわと縮んでいく。
荒廃した瓦礫の街。
切り傷や火傷を負った腕の中に、小さくて柔らかなまんじゅうがすやすやと眠っていた。
ドキモンまで退化したということは、消耗もかなりのものだっただろう。
柔らかな体はトクトクと命の鼓動を刻み、血が抜けてすっかり冷えきった体にほんのりとしたあたたかさをもたらす。
「お前に罪は無い、私の罪として一生背負う。もうあんな進化はさせない。お前に辛い思いをさせないから……」
うう、と聞こえた呻き声に、最後の力を振り絞って立ち上がる。
瓦礫の中横たわった少年……イエヒサはまだ生きていた。
スカートを破り肩を縛って応急の止血をし、ゆっくりと背負う。
「……れ、ぉもん……?」
意識が朦朧とする中で、イエヒサがレオモンの名を呼ぶが、返事をするものはいない。
背中に重みが増す。再び眠ってしまったようだった。
「……私、は……」
罪のない相棒に、自分の感情を代弁させてしまった。
街を破壊し。
罪のない少年のパートナーを奪い。
……少年の未来を、潰した。
「……何が武神だ、何も守れなくて、傷つけて、何が……」
独り呟き、自分達を迎えた救助隊の元まで歩く。
罪を背負う決意を固めて。
◇
『隻腕にも関わらず、今大会で優勝した天才剣士!津島イエヒサさんいかがですか今の気持ちは』
『右腕を失った時は命の危機すらあった、と言われましたが……僕を守ってくれた今は亡き相棒と、事故の際に助けてくれた女性の方がいなければ僕はここに立つことは出来ませんでした。命の恩人である2人と、今まで支えてくれた家族や皆様に感謝しています。これからも精進していきます!』
「……凄いなぁ!片手で剣道日本一なんて!ね、そう思わない!?」
興奮気味のバウトモンを他所に、ブツン、と無配慮にテレビが消された。
「あーなにすんのフツコ!」
「仕事に関係ないだろう」
「いいじゃんちょっとくらい!……フツコ、顔色悪くない?大丈夫?」
「……コーヒーが効き過ぎた」
詰まるようなため息を吐いて、フツコはお手洗いに立ってしまい、部屋にバウトモン1人が残された。
家族や兄弟弟子達の猛反対を振り切って、突然実家から飛び出したフツコについてきたが、バウトモンはたまにフツコの考えていることが分からない。
まるで独り追い詰めるような、そんな感じがするのだ。
相棒である自分が置いていかれているような状態に感じて、あまり気持ちいいものでは無い。
「フツコ、何考えてるの。辛いものなら、俺にも一緒に背負わせてよ……」
ぼそ、と呟いた言葉は、紫煙臭い部屋に溶けていった。
◇補足
・ドキモンの存在はフツコの母しか知らない。たまにドキモンと電話のやり取りをしている。
・「鹿児島市鬼神事件」で死傷者はいなかったが、重軽傷者は200人くらいいた。今まであまり表立たなかったデジモン関係の事件としては最大規模に当たるため、裏でファイリングされている。
・フツコは家を勘当されている。
・婿養子の話はなしになったが、代わりに津島家から次男、三男を養子に貰っている。次男を正当な跡継ぎとして、道場はそのまま継続している。