あの日俺は、クソみたいなクラゲの雨を見た。
『Everyone wept for Mary』
『迷路』を訪れるような連中は、主に3つのタイプに分類する事が出来る。
『神』の偶像を求めて英雄を夢見る身の程知らずか、
要らない物を捨てに来たろくでなしか、
捨てられた方の、人でなしだ。
まあ何にせよメアリーと俺の『絵本のお店』こと『スー&ストゥーのお店』は如何なる所以を持つ者であろうとも幅広く受け入れ、金か金に該当する対価さえ払えば分け隔てなく夢のような時間を提供する。
お伽噺の妖精が、不幸な子供に幸福を約束するように。
だが、まあ。
往々にして英雄気取りというモノはその大概が、やっている事だけは人並み外れてご立派でも、愛だの正義だの並べ立てる常識ばかりは、月並みで。
そんな訳だから、今日も今日とて『スー&ストゥーのお店』の壁は、俺の稼ぎ以上に景気良く吹き飛んだわけなのだが。
「マンモン」
パートナーの名を呼ぶと、隣に呼び出した太古の昔に滅びた毛むくじゃらの象の似姿が、長い鼻の先から吹雪を噴出する。
当たれば何でも凍らせてしまう絶対零度の鼻息が、本日の不届き者を呑み込もうと――
「シャカモン!!」
――した、が。
距離が開き過ぎていた。
巨象の鼻という鞭は確かに強力で、だからこそ阿呆を打ち据える刑具として俺はマンモンを呼び出したワケなのだが、如何せんこのうすのろは、力ばかりが強過ぎて。
結果として、俺達はむざむざ相手にパートナーのリアライズを許す隙を与えてしまった訳だ。
衝撃の後遺症に脇腹を抑えた坊主頭の男は、しかし果敢にもデバイスを前に掲げ、それに応じたパートナーは、顕現の瞬間すら微動だにしないまま、文字通りマンモンの必殺技『ツンドラブレス』を受け止めた。
身体から溢れ出る黄金の光は瞬く間に飢える季節を再現した風を溶かし尽す。
全く、頭の中お花畑だとオーラまで春風を纏っているものなのか。
俺は究極体の後光相手にはいまいち仕事をしてくれないサングラスのブリッジ越しに眉間を押さえてから、腹立ち紛れにマンモンの前脚を力いっぱい蹴りつける。
図体、実力、詰めの甘さ。それからそもそも象の姿をしている事など全部ひっくるめて、俺はこいつが大嫌いだった。
「パートナーにまでその調子ですか、貴殿は噂に聞いた以上に罪深いお方だ、ゲイリー」
「俺ァ知ってるぜクソ坊主。人間、生きてりゃ何かと罪を重ねるモンだって、ありがたいお教サンにも書いてあるんだろ? なあ、そういう意味じゃあ、俺とお前はお友達だぜ? なんたって、俺らは皆、生きている!」
「しかし貴殿は罪を罪と認め、赦しを貴ぶ心を持たないと見えます。「薬あればとて毒このむべからず」……その毒を、悪徳を更に諸人に振り撒いているとなれば、見過ごす訳にはいきません」
「悪徳ゥ? 勘違いも甚だしいね。まァ、薬は過ぎれば毒となるもんだ。だから俺達の『絵本』を毒呼ばわりする事に関しちゃ56億7千万歩譲って許してやるよ。しっかし悪徳扱いは言いがかりが過ぎるってもんだマイフレンド。メアリーと俺は、人生以前に『迷路』に迷った衆生に、乳粥喰うよりいい感じの『幸せな時間』を提供してるのさ。今からでも遅くはねえ。お前さんの気が変わったなら、お代と店の修理費と引き換えに、好きな『絵本』を好きなだけ用意するぜ?」
「……そも。言葉が、通じていないのですね」
「悪ぃな。サンスクリット語はさっぱりだ」
手持ちの仏教用語をしこたま持ち出して煽ってはみるが、流石に唯一無二の如来型を連れているだけはある。少なくとも坊主頭の外見上に動揺は無く、男のパートナー――究極体デジモン・シャカモンの威光に衰えは無い。
そろそろ、俺の口先三寸だけではもたなさそうだ。
「メアリー!」
振り返って、店の奥へと呼びかける。
「いい加減クレーマーの相手手伝ってくれ! 俺ってば罪深いらしいから、このままだとこいつの頭に燦然と輝く後光で溶けてバターとかになっちゃう!!」
なのに、俺の必死の呼びかけなんて、まるで最初から聞いていないという風に――顔を元の位置に戻せば、俺の目の前にメアリー・スーは立っていた。
「いつの間にかもう居るゥ」
ここで、ようやく坊主頭の男が息を飲むというアクションを見せた。
何せメアリーは絶世の美女。
そこに居るだけでこの世における均衡とは何たるやを物語る身体つき。豊作が約束された稲田のように波打つ金の長髪。左には夕焼けを、右には夜空を湛える丸い瞳。白い顔には左上から右下にかけて、まるで顔を分断するかのような大きな傷痕が走っているが、顔が良すぎてこれっぽっちも気にならない。
纏う衣服すら、彼女をより良く魅せられるよう、何もかもが計算ずく――まあ正確には、頭にちょこんと乗せている、紫地の中に歪な黄色い輪っか模様が描かれた毒々しいデザインの帽子のみちょっとばかし浮いてはいるのだが、こればっかりはご愛敬――なので、
「見惚れたからって、何も恥じる事は無いぜ生臭」
メアリー・スーはいつだって、老若男女、人畜問わず愛される女なのだ。
「っ」
反論しようとする男の前で、メアリーはワンピースの両端をつまんで持ち上げ、頭を下げる。
すると男は言葉を呑み込んで、しかし首を横に振った。
「貴女がメアリーか。……貴女もゲイリーと同じく、考えを改められる気は」
背中からでも、メアリーが嗤ったのが伝わってきた。
そのまま、彼女の口は、裂けたのだろう。
「は?」
俺がその昔丹精込めて作ったメアリー・スーに相応しい皮を内側から剥いで、中から飛び出すのは大きな毒キノコだ。
成長期の植物型デジモン、マッシュモンである。
正体を現したメアリーは、色だけは変わらず左右違うままの瞳をにんまりと潰して、飛び出した瞬間から握っていた、自分を小さくしたかのようなキノコ――正確には、キノコ型爆弾――『ポイズン・ス・マッシュ』を光り輝くシャカモンに投げつける。
ぶつかるや否や、後光に対応して眩く煌めく胞子が、シャカモンの顔面に飛び散った。
あまりに突拍子の無い展開に目を剥いていた坊主頭は、しかし必殺技を使ったメアリーが、デジモンの中でも下のランクに位置する成長期であると認めるなり、うっすらと、唇を弓なりに歪めた。
「ゲイリー。随分と血迷っていたのですね。マッシュモンとは……貴殿の卑しい御商売にはすこぶる便利でしょうが、世代差というモノを御存知ですか?」
「おう知ってるよ。マッシュモンは成長期、シャカモンは究極体」
「であれば」
「まあその辺はどうでもいいんだ。それよりも、底が知れたな、似非坊主」
からん。
からんからんからんからん。と。ひどく小気味いい音が響き渡る。
シャカモンの周りに漂っていた16の球が零れ落ちる音だと気付くのが最後になったのは、誰よりもシャカモンの傍に居た筈の坊主頭の男だった。
「……シャカモン?」
シャカモンはやはり、動かない。
変わらず微動だに、しないのだ。
「なに、を。何をしているんですか!? 『怠条真言』を、『怠条真言』を使って――」
「お前はまァ、ご立派ではあるよ偽坊主。『迷路』の中でまで人の善性を説いてみちゃったりなんかして、なんやかんやとパートナーもシャカモンだもんな」
でも、それまでに積み重ねた功徳とやらは、もはやシャカモンの中には無い。
デジモンと言えど生き物だ。俺達は皆、生きている。
生きている以上、息を吸う。
息を吸うなら、そこにさえあれば、毒の胞子だって吸ってしまうのだ。
「マッシュモンの『ポイズン・ス・マッシュ』にゃ、「記憶を消す」効果があるキノコ爆弾も含まれているのさ。……なァ、積み重ねた研鑽も衆生の救済を願った心もその全てを失った釈尊が、如来のままで在れると思うか?」
「だ――だが、その技は効果が」
「ランダムなんだが、メアリーのそいつは特別製でね。ま、『迷路』と一緒で抜け道は何かとあるもんだ」
ケタケタ。
ケタケタ。ケタケタ。
ケタケタケタケタケタケタケタケタ!
顔というか、身体というか。はたまた柄とでも言うべきか。
そういうものの半分以上を開いた大口で覆い尽くして、メアリーは笑う。嘲笑う。
言葉を持たないその声は、ただ笑うために在るのだと、そう言わんばかりに、笑い転げる。
「でも、まあ」
俺は心地の良いBGMに耳を傾けるようにしてメアリーの笑い声を胸に留めながら、あくまで俺自身は穏やかに、デバイスを操作してパートナーの解毒を試みる男に語り掛ける。
「釈迦の死因って、諸説あるけどキノコで食当りらしいぜ。偶像どもは確かにそれぞれいろんな形で神を真似ちゃいるが、死に方まで良い線行く奴はそういねぇ。そういう意味じゃあメアリーはお前達にも幸運を運んだっつってもいいんじゃないかねェ?」
「ふ、ふざけ――」
「だがまあ、お前の言う通り成長期。直接は無理だ。悪いなァ」
マンモン、と。
また、ずっと隣にだけは居た木偶の坊の名を呼んで。
愚図なりに、マンモンの方も俺の意図は読み取った。
尖った牙を突き刺すだけの体当たり、『タスクストライク』を以って、マンモンは宙に浮かぶだけのオブジェと化したシャカモンにぶち当たる。
巨体に物を言わせた衝突はシンプルであるが故に凄まじく、人に似ているとはいえ究極体の皮膚は継ぎ接ぎの牙の貫通を許しはしなかったものの、シャカモンの身体はそのままマンモンに押され続け――最終的に、『迷路』の壁に叩きつけられて、壮大なノイズを走らせたかと思った瞬間、崩落する壁の瓦礫に混ざるようにして、塵と化して、消えてゆく。
「な、あ」
「マンモン、戻ってこい」
「そん、な――」
「まだ残ってる」
鋭く息を呑む音が耳に届く。
もしや死ぬのはシャカモンだけだとでも思っていたのだろうか。
なんて厚かましい。こちらは店の弁償費用とメアリーのガワの修理代をこの男に払わせねばならず、坊主というのは清貧であると相場が決まっている以上、こいつの持ち物の中で最も価値がありそうな物を請求するのは道理だろうに。
なんて愚かな男なのだろう。こんな奴とは、絶交だ。
なのに振り返ったマンモンは、戸惑うように、まだ、こちらには駆けてこない。
「何してる。早く来い愚図」
マンモンは来ない。
「お前、いい加減に」
と、次の瞬間。
一通り笑い終えたらしいメアリーが、ぴょん、と飛び乗るように坊主頭を押し倒した。
「!?」
「あー……。ったく。マンモン、もういい。メアリーがやるってよ。せめて代わりに、終わったら、片付けとけ」
美女の皮を破いた時のように。
毒キノコの姿が、変貌する。
「ひぃっ!? や、やめ」
めりめり、ばきばき、ぼきぼき、うぎゃー。
色々な音が混じったそいつは安っぽいB級ホラー映画さながらの度を越えた凄惨さで、幸い見世物という訳では無いので俺は構わず無視してメアリーに背を向け、店に空いた穴を開いた扉の代わりにして室内へと戻る。
戻った瞬間、見知らぬ少女と、目が合った。
「……」
「……」
俺がメアリーに背を向けていて、
この娘が俺を見ている以上。
背景にあるスプラッタ劇場も、一部なりとも視界に収めている筈なのだが。
少女はさっきのシャカモンかと思う程、眉ひとつ動かさず、俺を見ていた。
「……どちら様?」
声を絞り出す。
見られていた事自体にそう困る点は無い。『迷路』じゃ日常茶飯事の部類だ。メアリーのそれはちょいとばかり勢いがあるし、加えて麗しの美女たるメアリー・スーの中身がアレである事は極力伏せておきたい事実だが、知ろうと思って知れない事でもないし、見ようと思って見れないものでも無い。
ただあの騒ぎの中、穴の開いた建築物の中に、涼しい顔で椅子に腰を下ろしているとなると、肝っ玉の太さ云々のみで片づけるにはちょっとばかし気色の悪い感覚も覚えずにはいられなくて。
だが、それでも。
ここに人間が来た以上は、俺は店主のゲイリー・ストゥーとして、相手の年齢も素性も関係無く、こう尋ねなければならないのだ。
「もしかして、お客さんかい?」
と。
「……」
少女は答えない。
しかしこれでは話が進まない。沈黙を肯定と取る事にして、俺は饒舌に声を張り上げる。
「それなら当然大歓迎だ! メアリーと俺の『スー&ストゥーのお店』は、いつだって誰だって絵本の中のお伽の国へ、夢のような時間へご招待するぜ! さあ、今すぐ『絵本』を用意しよう。お嬢ちゃん好みの物語を教え」
「お父さん」
ようやく。
ただ俺の目を見ているばかりだった少女が、ようやく放った一言は、役立たずのマンモンの『ツンドラブレス』よりもはるかにすみやかに、俺の全身を凍り付かせた。
釈迦の死因はキノコで食当り(※諸説あります)なので、マッシュモンならシャカモンに勝てると思ったんです。そう思ったら、物語が始まっていました。
どうも、投稿したタイミング的にはさっきぶりといった感覚の快晴です。『Everyone wept for Mary』をご覧いただき、誠にありがとうございます。
タイトルは「皆がメアリーのために泣いた」をグーグル先生に訳してもらったらこうなりました。もし英語が変だとしたら、それは私では無くグーグル先生のせいです。
前作『0426』は楽しんでもらえたでしょうか。楽しんでもらえた人も、そうでない人も、これを読んだ以上はこの先は、あるいはこの先も、どうか私にお付き合いください。ここが地獄の一丁目です。対戦よろしくお願いします。
こんな風にハイスピード投稿してしまっているのは、アレです。小説の息抜きに小説を書くとか、アホな事やってたからです。
まあ前々作『デジモンプレセデント』がサロンで完結した時の『0426』同様、出来ているのは2話の途中くらいまでなので、結局のところ前回同様の見切り発車なのですが……出すものを出しておかないとどうしても落ち着かないので……。
今回はなるべくテンポよく、細かい事考えずにジャイアントキリングとか俺TUEEEEをやっていける作品を書きたいな、と考えています。メアリー・スーものだし。
あと、なるべく世代の低いデジモンの能力の有用性をね、探っていきたいよね。そして行く行くはマッシュモンが最強のデジモンである事を布教していきたい。……俺はどこに向かっているんだろう……。
さて、次回は主人公ゲイリー・ストゥーを取り巻く人間関係、『迷路』の住人達。的なお話になります。
投稿がいつになるかはわかりませんが、とりあえず年内に1作品出すのが現在の目標です。
どうかお付き合い頂けるよう、今回も頑張って行こうとおもいます。
それではまた、『Everyone wept for Mary』第2話でお会いしましょう。