――『迷路』はひょっとすると、デジタルワールドが人間との共存、すなわち『選ばれし子供達』システムを開発するにあたって用意した、一種の実験場なのかもしれない。
過去に派遣された『迷路』の調査隊、その生き残りが、そんな言葉を書簡に記していたらしい。
デジモンという名の兵器を使用するためのリモコンは、デジモンの側が選んだ未成年--所謂『選ばれし子供』しか所持できない。
そんな悩みを解決したのが、この『迷路』だ。
入口も出口もランダムに出現と消失を繰り返すこの謎の巨大空間は、当然のように入る事も出る事もひどく困難ではあるが、中に入ってデバイスさえ手に入れられれば、1体のデジモンとおおよその衣食住をほぼほぼ約束してくれる。
『迷路』はどうやら、人間が「デジモンに殺される」以外の方法では死ににくいように出来ているらしく。
……そうでなければ、誰からも選ばれなかった子供など、そもそも生きてはいられなかっただろう。
まあ、何はともあれ、今日も今日とて。
人の世界で食いっぱぐれた爪弾き者達は、一発逆転、自分が貴種流離譚の主人公である事を祈って、『迷路』に足を踏み入れているのである。
「で? どうなんだい。お兄サンもその手の英雄気取り――今は騎士気取りってところかい?」
周囲を警戒しながら進んでいた青年の行く手を阻むように曲がり角から登場した俺を見て、彼は引きつったような表情を浮かべて即座にパートナーを隣にリアライズさせた。
赤い八本足の馬。北欧神話の最高神が跨るこの世で最も素晴らしい軍馬にして、獣の聖騎士・スレイプモン。
相方の警戒度を汲み取ってか、既に左手の聖弩『ムスペルヘイム』はこちらに向けられている。
思っていたよりは小さいな、というのが率直な印象だ。
やっぱりデカいんだな、マンモンって。
「絵本屋……!」
「話が早くて助かる。その様子だと、俺がレンコの婆さんと旧知だって事も知ってンな?」
青黒い隈で縁どりされた目を吊り上げて、青年は俺を睨みつける。
スレイプモンは強力なデジモンだろうが、ただの人間だけなら小鬼の腕力でも十二分に殺せる。
どうせ今に至るまでレンコかシールズドラモンに仕込まれたゴブリモンのスーサイド・スクワッドに、しこたまゲリラ作戦を仕掛けられているのだろう。
かわいそうに。
かわいそうだが、自業自得だ。喧嘩を売る相手を、お前は間違えたのだ。
「おっ……お前は絵本屋なんだから、歌と一緒で「誰でも救う」筈だろう!?」
「そりゃアもちろん! 解ってるなら落ち着けよ。な? 兄弟。ひとまずその北国の南国みたいな名前の付いた弩弓を下ろさせてくれ。俺ァお前さんと交渉に来たんだ」
「交渉……?」
弩こそこちらを向いたままだが、青年の閉じた唇は、俺の二の矢を待っていた。
「ああそうさ。何、大したことじゃない。俺は今現在、お前も知ってるいじわる婆さんにしょっぱい報酬で雇われててよゥ。お前が年若いなりに心優しい老翁のように相応の献身を持って俺に誠意を見せると言うのなら、小さなつづらに金銀財宝を詰め込む雀のように、俺は喜んでお前の力になろう」
「……いくらだ」
「おっと、俺の望みは金じゃァない。本音を言えば金は欲しいが、とても欲しいが。……だが札束で殴る力は年寄りの方が強いと相場が決まっているだろう? 確認のために栗鼠みたくあっちとこっちを行ったり来たりはごめんだからな。もっとシンプルに、わかりやすく。なおかつ確実に今この場で払える対価を、俺はお前に要求しようじゃないか」
右手を差し出す。
3本の指を立てて。
「脚、3本だ」
「……え?」
「だから、脚を3本だ」
手を引き戻して、その指でサングラスのブリッジを軽く持ち上げる。
「うちの大飯喰らいは馬刺しをご所望でね。それ以外の肉は気分じゃないらしい。……今、この場で。スレイプモンの脚3本を引き千切ってこっちに寄越すなら、俺とお前はお友達だ。よろしくな」
「ふざけんな!!」
青年が俺を力いっぱい怒鳴りつける。
握り締めた拳を振り被らず、なおかつ今のを攻撃の合図だとパートナーに受け取らせなかったあたり、お互いそこそこ育ちは良いのだろう。
やっぱりお前らは、『迷路』にゃ向いてないタイプだよ。
「そんな事したら、今助かったとしてもあのババア共の格好の獲物になるだけだろ!? 同じデータ量の物ならいくらでも用意するから」
「マンモン」
つま先を持ち上げて靴の裏に仕込んでいたデバイスの画面を騎士気取り共に向ける。
真っ先に飛び出した長い鼻が俺に向けられていた聖弩を装着した腕を打ち上げ、コンマの差で俺を穿ち損ねた灼熱の光矢『ビフロスト』が天へと昇って行く。
下手な追撃を仕掛けず次にマンモンの牙が狙いかねないパートナーを回収して高速で後退したあたり、全く、立派な騎士様だことで。
デカブツを足の裏から突き出したツケで後ろへと転がりながら、俺は急いでデバイスを靴から引き剥がす。
奇襲のためとはいえ汚れた画面はあまり見ていて気分の良いものでは無い。標的を仕留めたワケでもないとなれば、なおの事、だ。戦象が幅を利かせた時代など、数世紀も前に終わっていると痛感せざるを得ない。
「この期に及んでまだ交渉の余地があると思ってた点に関しちゃァ、ま、触れないでおいてやるよ。代わりに今日が人生の終点なお前のために、明日を生き抜くための知恵を一つ授けてやろう」
俺はデバイスの画面を袖で拭いながら、店で客を見送るときのようににこりと青年に微笑みかけた。
「五体……九体? 満足だろうと、既にお前はレンコ婆さん達の格好の獲物なんだよ」
手遅れだ。と。
その台詞が青年の耳にまで届いたのかは解らない。
何せ、彼らの頭上からは今まさに、数十にも及ぶ火の玉が降り注いでいるのだから。
「っ、スレイプモン!」
しかし流石は神馬の騎士。
たてがみ一本焦がす事無く、パートナーを背に乗せたスレイプモンはその場から走り去る。
火の玉――ゴブリモン共が一斉に投げ込んだ『ゴブリストライク』の炎が『迷路』の地面を舐めた頃には、連中の影は豆粒大だ。
……あれで聖騎士型最速って訳じゃねぇっつーんだから、全く、強い究極体ってのはそれだけで嫌になる。
と、
「誰がいじわるばあさんだい。ええ? ゲイリー」
デバイスから、レンコの低めた声が響いた。
俺は画面を耳に当てる。
「誰、と俺ァ明言はしてねぇぜレンコ婆さん。胸に手を当てて、それでも自分の顔が思い浮かぶっつーなら、部下の労働環境をもう少し改めてやるこったな」
「はっ、生憎死人の顔しか浮かばないね。となると、アタシの部隊は完璧って事かい。そういう訳だ。引き続きしゃかりき働きなゲイリー。働きの悪い駄馬には鞭以外くれてやらないよ」
「鞭より酒の方がいいぜ。戦の前に酔わせるのは戦象運用の基本だ」
「暴れるだけのデカブツは今は必要無いんだよ。……ただ、まあ。戦の後でなら、考えておいてやるよ。サクラに合う酒なんかをね」
「そりゃいいや」
マンモンが寄越した長い鼻に掴まる。
デバイスの画面の端をワンタッチするだけで装着できるよう設定してある専用の鞍を装備させてから、俺はマンモンの背に跨った。
前方にあるグリップの窪みにデバイスを差し込んでから握り締め、姿勢を低くし、右足でマンモンの側面を軽く蹴る。
「走れ」
たちまち丸太のような脚が、力強く地面を蹴った。
マンモンの仮面に刻まれた紋章が持つ千里眼の機能を、俺のデバイスと同期させる。途端にコイツがサーチした周辺の地図情報とレンコ達やスレイプモンの位置情報が、眼前にウインドウという形で表示された。
ほとんど同時にレンコのデバイスにも同じ情報が行っている筈だ。
素早さこそ尋常ではないが、動き方そのものは単純だ。
このままいけばゴブリモン達がせっせと用意している罠にスレイプモンは嵌まるだろうし、その頃には俺も追いつくだろう。
ここに至るまでの進化ルートの恩恵か。素早さのパラメータそのものとは別に、俺のマンモンは素早く動く為の身のこなしが身体に染みついている。
完全体全体で見ても大した性能を持たないコイツの、数少ない長所とも言える部分だった。
地道なショートカットを積み重ね、マップ上に表示された俺達の現在地を示す黒い点と、スレイプモン共の現在地を示す赤い点との距離は、徐々に狭まりつつある。
そして何度目かの角を曲がる直前、そこそこの破裂音と、コンマ数秒遅れて馬の嘶きが、響き渡った。
「あっぶね」
ひやひやさせやがってこのうすのろめ。
滑り込みセーフだ。間に合わなかったらレンコになんてどやされていたか。
「さっさと行け!!」
踵でマンモンを小突くなり、今までだって十分全速力だった筈のマンモンの図体がさらに加速する。
必殺技とは名ばかりの、デカい身体と長い牙を用いた体当たり『タスクストライクス』で、マンモンはようやく動きを止めたらしいスレイプモンへと直進した。
「っ」
遠目ながらに、スレイプモンのテイマーの顔が更に引きつったのが見て取れた。
振り返った騎士ご自慢の赤い鎧には、みすぼらしい煤汚れが広がっている。
まるで目の前で小型の火薬が炸裂したような有様だが、破裂したのは爆弾ではない。
彼らには、きっと通路にたまたま居たマッシュモンが、突然爆発したように見えていた事だろう。
「スレイプモン!!」
パートナーの呼びかけに応えてスレイプモンが絶賛突進中のマンモンへと向けたのは、聖弩『ムスペルヘイム』ではなく右腕の聖盾、『ニフルヘイム』だ。
灼熱の国の名を冠した『ムスペルヘイム』に対して、『ニフルヘイム』は寒々とした北欧においてなお凍えるような霜の国の名だ。
当然放たれる必殺技も、その名に相応しい物となっている。
『オーディンズブレス』。
北欧神話主神の吐息は、老人の見た目をしている割に口臭こそ無さげだが極低温。
盾を守護するように、超局所的なブリザードが渦を巻き始め--
「判断を誤ったなァ!」
言いつつ、俺はデバイスだけは回収しつつ鞍のグリップから手を離した。
揺れる巨体は半ば弾き飛ばすように俺を宙へと置き去りにし、放り出されたパートナーを構わずに、マンモンはそのまま直進を続ける。
俺どころか、ブリザードそのものも意にも介さず、だ。
「!?」
爆炎に少なからずさらされた目を慮って点では無く面の攻撃を選んだ点は評価に値するが、代わりに属性的な相性について頭からすっぽ抜けていたのだろう。
マンモンは古代獣型デジモン。
デジモン達の故郷において最も寒い時代を生きていたデジモンだ。
対氷雪においては。その点に関してのみは規格外の獣にブリザードだなんて。
いくら究極体の聖騎士様だと言っても、こんなギャグのセンスじゃ雪の女王でも片腹を壊して痛めちまう。
爆発音にも負けず劣らずの破砕音。
マンモンの継ぎ接ぎの牙が、『ニフルヘイム』越しに神馬を捉えた。
と、同時に。
投げ出され、今まさに地面に叩き付けられてまあ死んでもおかしくはなかった俺の身体を、ひょい、とリンドウとおなじくらいの背丈の影がかすめ、重力に逆らって上空へとさらっていく。
ピーターモン。
イギリスの戯曲に描かれた、大人になりたがらない少年を模したデジモンだ。
「大人になりたがらない」と言う割に、これはメアリーが、普段のマッシュモンから一段階進化した姿である。
俺よりタッパが小さい癖に軽々と大の大人を抱えて上昇したピーターモンメアリーは、やがて『迷路』の壁の上に俺を下ろした。
「お父さん」
俺とマンモンに騎乗しては危ないからと、この場所でレンコと一緒に待機していたリンドウが、モルフォモンを伴って駆け寄って来た。
しゃがみこんで、その小さな身体を受け止める。さりげなく同じようにツッコんでこようとしたモルフォモンは手で払ったが。
「良い子にしてたかリンドウ」
「アンタの娘だとはとても信じられない程度にはね」
案の定、返事はリンドウ自身からではなくレンコからの皮肉という形で返って来た。
必死で象を走らせてきた同胞にねぎらいの言葉の一つも無いのかと思わんでもないが、この怒らせると心底面倒臭い婆さんが機嫌を損ねていないなら、それに越した事は無い。
それでも一応軽く肩だけは竦めてから、戦況を確認するために立ち上がり、壁の下を覗き込む。
マンモンは既に、スレイプモンから振り払われていた。
全くこれだから究極体の膂力は。
はなから期待なんかしちゃいないが、それにしたって象が馬に馬力で負けてちゃ世話無いだろうに。
「だけどまあ、あの子は十分仕事をしてくれたね。助かったよ」
にもかかわらず、俺とは違ってマンモンの方は、レンコのねぎらいの対象となったらしい。
「だからアンタ、子供の前でそんな顔すんじゃないよ」
「素直な感情の発露の方が五百倍くらいマシな絵面だろうがよ」
不服さで歪んだ表情にリンドウが気を取られている内に、俺は彼女の目を手で覆う。
「お父さん?」
「下は見ないで、後ろに下がれ、リンドウ」
そのまま押し出すようにして、俺はリンドウが戦況を確認する前に後退させた。
店にこの娘がやって来た時の光景から察するに、きっと彼女は気にしないだろう。
だけど多分アカネはそうじゃないだろうし、俺だって年端もいかない少女にあんなものを好き好んで見せる程性癖ねじくれちゃあいない。
すぐに消えてなくなるデジモンの死骸ならまだしも、人間の首の断面図だなんて、旧時代の年齢制限は子供に許してくれやしないものなのだ。
「!?」
スレイプモンが目に見えて狼狽えているのがわかった。
マンモンに意識を向けていたとしても、飼い主を蔑ろになんてしちゃいなかったのだろう。
その証拠に、脳が出した最期の命令を忠実に守ってか、テイマーの青年の肉体は、鎧と一緒の赤色に染まった鞍からずり落ちてもなお、命綱だと信じてやまなかった手綱にぶら下がっていた。頭さえきちんと乗っかっていれば、今もスレイプモンの背中に跨っていた事だろう。
将を射んとする者はまず馬を射よ、なんて諺があるらしいが、『迷路』の中じゃぁまるでその逆。
馬を。デジモンを射るなら、まず将を。
デジモンは人間を守ってくれるだろう。だからこそデジモンに跨った人間は、デジモンにとって付け入る隙であり、弱点でしか無いのである。
そんな目に見えるような弱点を、『スカウターモノアイ』が見逃すはずも無く。
スレイプモンが猛吹雪をものともしない古代象の図体に気圧された一瞬は、レンコのシールズドラモンが青年の首を斬り落とすのに十分な隙を作り出した。
神馬の早駆けには適わずとも、シールズドラモンもまた、体術のみを頼りに目視が不可能な速度で動く生粋の暗殺者なのだ。
首の後を追いかけて落ちていった青年の胴体に代わって鞍に立っていたシールズドラモンは、スレイプモンが振り落とすまでも無くその場から飛び降り、地面に着地するよりも前にナイフの一撃『デスビハインド』の2発目を彼(?)の2列目の左足の関節部に叩き込んだ。
赤い鎧の硬度はマンモンの『タスクストライクズ』でも穿てない程度には凄まじいものだが、馬の駆動を確保するためには関節にまでその防御力を求められないらしい。
痛みに身悶えするスレイプモンが、鉄槌と見紛う6本の足を方々へと振るう。
しかしそれを見越してシールズドラモンはスレイプモンが反応するよりも早くその場から撤退しており、結果として馬脚はあれだけ大事に守護していた主の変わり果てた姿を後方へと蹴り飛ばすのみの結果に終わった。人の恋路でも邪魔した前科があるのかもしれない。
そしてスレイプモンが今度はシールズドラモンに意識を向けざるをえない状況に陥っている間に、マンモンは体勢を整え、メアリーもまた、既に飛び立っている。
「さて、こっからが本番だぜレンコ婆さん」
「解ってるよ。アンタに言われるまでも無く、ね」
再びの『タスクストライクズ』。
盾受けし損ねて傾いたスレイプモンの、負担をかけざるをえなくなった左の中脚にダメ押しのように突き刺さるのは、シールズドラモンのものではないナイフ。
メアリーの必殺技。こちらも相手の急所を突く正確さをウリにした剣捌き『スナイプスティング』だ。
メアリーの一撃はシールズドラモンの空けた穴を引き裂き、その裂け目を壁を蹴って一瞬で引き返してきたシールズドラモンが再びナイフで穿つ。
1本になった脚が、傾いた。
人間の赤子を妖精の子とを取り換えるというチェンジリングの迷信に恥じない手際の良さで、妖精と化したメアリーはスレイプモンの脚が地面に倒れ切るよりも前に、身の丈以上の1本を掠め取り、飛翔する。
一拍おいて足泥棒へとスレイプモンはマンモンの牙を抑えつつ『ムスペルヘイム』を構えるが、先手を打っていたのはやはりメアリーだ。
彼は脚を抱えるのに邪魔なナイフを、既に手放していた。
デジモンのナイフだ。ただの刃物では無い。
放り投げれば、百発百中。執拗なまでに目標を追尾する。
メアリーが『トゥインクルシュート』で放ったナイフは、弩の矢溝に挟まり込んでいた。
……本来であれば弦を断ち切る手筈だったが、目標を変えたという事はメアリーは「切れない」と判断したのだろう。
まあ、灼熱の矢を平気で撃ち出す究極体の兵器に今更、か。
だが結果は何にせよ、これで『ビフロスト』は(一時的だとしても)封じ込んだ。
対『オーディンズブレス』の盾役にはマンモンがいる。
自分の思考を補ってくれるパートナーの頭は途中で踏んだのか。床に落とした完熟トマトと大差無い始末で。
「詰んだか?」
「いや、あと少し」
スレイプモンが残された手段から選択したのは、逃走。
『オーディンズブレス』を使わずに聖盾『ニフルヘイム』でマンモンを思い切り殴りつけ、牙による拘束を無理やりに引き剥がす。
象の巨体が横転する。
追撃を仕掛けられれば、必殺技抜きでも間違いなくマンモンは殺されていただろう。
そうしなかったのは、マンモンに気を取られ過ぎては今度は脚1本と同盟者の命以上のモノを失うと理解しているからだ。
5本脚なので6本の時より脚力も下がるというシンプルな引き算に苦しめられてはいるようだが、バランス的にはそこまで問題は発生していないのか。
スレイプモンは、マンモンに背を向けて走り出した。
全く。普通の馬だったら脚1本無くなったら安楽死コース一直線だぞ。
がたん、と大きく重い物が、雑に投げ出される音がした。
振り返れば壁の上に戻って来たメアリーがスレイプモンの脚を下ろして、親指と人差し指で作った輪を口に嵌めている。
もうひとつの必殺技を使うつもりなのだ。
平時であれば、ほとんど意味の無い必殺技を。
「在庫一掃バーゲンセールだ。手前の命一つまでまけてやる」
永遠の少年の口笛の音色が、『迷路』の壁と言う壁に、反響する。
ちょうどスレイプモンの進路にあたる壁の上にも、当然。
……そしてレンコ婆さんに配置させていた『在庫』達も、口笛--『ミッドナイトファンタジア』の音色に応えて、動き始めた。
「!!」
眠りについたマッシュモン。それも10や20では足りない数が、スレイプモンの頭目掛けて、降り注ぐ。
『ミッドナイトファンタジア』は、近くで眠っているピーターモンより幼いデジモンを強制的に操る必殺技だ。
あのマッシュモン達は、メアリー自身のコピーであり、店の商品--『絵本』の材料である。
成長期メアリーの『ポイズン・ス・マッシュ』はつい先日返り討ちにしたシャカモンを連れた坊主の指摘した通り、成長期にしては強力なものが含まれている代わりに「効果がランダム」という弱点を持つ。
だがあらかじめ採取しておいたキノコ爆弾の性質を解析しておく事は可能だし、なんならこれらは他ならぬメアリーのデータの一部には違い無いので、数を集めて専用の機械でコンバートすれば、「元にした爆弾の能力しか持たないマッシュモン」を生み出す事も出来るのだ。
最も、一般的なマッシュモンでそれが可能かと聞かれれば首を横に振らざるを得ないのだが――ま、メアリー・スーは、特別なので。
で、今しがた『ミッドナイトファンタジア』で操ってスレイプモンに振らせたのは、文字通りの在庫。とても『絵本』の材料には出来ない不良品どもだ。
出てくる粉の効能が弱すぎたり、逆に強過ぎたり。
当然性能はまちまちときている。このままでは、『ポイズン・ス・マッシュ』がマッシュモンサイズになっただけの代物に過ぎない。
だから。この場では。
ただ、辺り一面に、粉を撒く。
そのためだけに、ストレージから睡眠状態にして運んで来たマッシュモンどもだ。
だが――
「……成長期程度、最小限の力で派手に蹴散らしてくれると思ったんだが」
予想に反して、スレイプモンはマッシュモンのほとんどに『オーディンズブレス』で対応した。
突っ切るだけでも十分に殺せる。
踏み潰してしまえばまず助からない。
そうやって死んでいったマッシュモンもそれなりに数はいるが、当初の予定から考えると少な過ぎる。
「おいおいどうすんだレンコ婆さん。このままだと予定の威力は出ねェぞ?」
「……飼い主に似たんだろうね、結局」
「あん?」
「「己の力を誇示したがってる」って事さ。必殺技はデジモンにとって、その最たる例だからね。名乗りを上げて見せびらかすのが騎士の流儀だと、そう思ってるんだろう」
ようは、戦い方がなっちゃいない、と、レンコは呆れ半分含めて苦虫を噛み潰したかのように顔をしかめた。
……究極体の、聖騎士型だ。
戦闘経験が少ないだなんて、そんな事はないだろう。
だが、究極体に進化してからの戦闘経験のみをカウントすれば、そうじゃない。
連中、あんまりにも強過ぎるから、「必殺技を1撃撃てばなんとかなる」と。頂に至るまでの試行錯誤も忘れてそんな悪い事を覚えてしまう。
それが悪いとは言わんし、それで済むならその方がいいのは判るんだが。
『迷路』で生き残れる奴は、いつだって殺される恐怖を忘れない奴らなのだ。
「いやまあ、今回の場合その慢心に助けられてるんだけどな、アイツ」
「構わない。無傷って訳にはいかないだろうからね。作戦を決行する。……切れる手札は、まだあるしね」
「ただし俺は在庫一斉処分損なんだが?」
「お父さん」
と、
不意にリンドウが、俺の服の裾を引いた。
「? どうした?」
「何か、困ってるの?」
「ん。ちょっと作戦用の『粉』が足り無さそうでな。必要な犠牲が勤めを果たしてくれなかったんだ」
「マッシュモン達の事? あの馬のデジモンを倒すのに、マッシュモンから出る粉がいるの?」
おう、どうしたんだリンドウ。
えらく食いつくじゃないか。
「粉ならなんでもいいんだ、別に。この際小麦粉でも持って来ればよかったな」
「……今、粉、ほしい?」
リンドウは俺では無く、モルフォモンの方を見て、そう言った。
っと、そうか。そういやモルフォモンも、粉を出せるタイプのデジモンだったか。
「おう、欲しい欲しい。モルフォモンの鱗粉でも借りたいくらいだ」
別にこの小さい羽虫一匹投げ込んだ所で戦況は変わらん(もっと言うと投げ込む手段すら無い)のだが、幼い少女のお手伝いの気持ちを蔑ろにするのも気が引けた。
「適当な事言ってんじゃないよゲイリー。無い物ねだりしてないでさっさとピーターモンに次の指示を――」
だというのにこのいじわる婆さん、コレだもんな。
……なんて、レンコの言いつけを茶化しながら遂行しようかとした、その時だった。
「ほしいなら、あげる。モルフォモン」
レンコの言葉をまるで無視して、デバイスを握り締めたリンドウが、その手でモルフォモンの額に触れた。
次の瞬間、相変わらずのにこにこ笑顔でパートナーを見つめていたモルフォモンが、眩い光を放ち始め--途端に、その幼げなシルエットが、歪んだ。
「!?」
進化の光だ。
俺とレンコが呆気にとられる中、光が掻き消えるのと同時にその場から飛び立ったのは、モルフォモンと同じ虫のデジモンだった。
ただしモルフォ蝶の青く鮮やかに煌めく翅は枯れ木の色へと変わり果て、尻にはあのクソ能天気な笑顔からは微塵も想像できないような、物騒な得物がぶら下がっている。
モスモン。
記載は資料によってまちまちだが、『迷路』では基本的に成熟期として扱われる昆虫型デジモンだ。
成熟期という世代へは、成長期の頃に死んでしまいさえしなければ、時間経過だけで進化へと至る事が出来るのだと聞いた事がある。
だがそれにしたって、モルフォモンはデータを入手してから在庫マッシュモン共々ストレージに仕舞いっぱなしにしていたデジモンだ。
コンピューターの中に保存した状態では流石に成長もへったくれも無いし、外に出してからのごく短い期間もへらへら笑いながらリンドウの後をついて回っていただけで、とても進化が可能な程の研鑽を積んでいたとは思えない。
だというのに、リンドウが願っただけで。
モルフォモンは、この場に最適解と言って過言では無いようなデジモンに、進化した?
「気持ちは解るが、考えるのは後にしとくれゲイリー。今はスレイプモンだ」
レンコの声に、ハッと我に返る。
そんな台詞を吐いた彼女の声もまた動揺に震えてはいるものの、軍人らしく、レンコは背筋を伸ばして壁の向こうの戦況を伺っていた。
今はまだマッシュモン達に対処しているが、このまま放っておけば逃走を再開するだろう。
そうなれば、再度捕捉するのは流石に、骨が折れる。
別に、メアリーのコピーだろうがマッシュモンどもが無駄死にするのは構わない。
だが、俺がタダ働きになるのは、その、単純に、嫌だ。
「リンドウ、モスモンの鱗粉、爆発させずにばら撒けるか」
「……多分、大丈夫」
リンドウはデバイスをそっと両手で包み込む。
それが指示だとでもいうのだろうか。
だが実際に、いつの間にやら『オーディンズブレス』の届かない上空に陣取ったモスモンは、ケツのガトリングから自身の鱗粉――昔見た資料を信じるなら火薬らしい――を撃ち出しこそすれ、爆破はさせなかった。
意識の範囲外から降り注ぐというよりは投げつけられた鱗粉の塊に今一度の困惑をスレイプモンが浮かべる中、止めとなるオーダーはレンコが自分のデバイスへと向けて発した。
「総員、放て」
レンコ。ゴブリモン達の頭目。
ゴブリモンは、成長期の中ではかなり『迷路』に向いたデジモンだ。
総合的な能力値こそ平均を下回るが、彼らは知能がそこそこ高く、臆病で、群れる事を是とし、隠れて行動する事を恥としない。
そして何より。
ゴブリモンの必殺技は、マッハで撃ち出される火の塊だ。
たとえ数値としての攻撃力が低くとも。
火が点き、燃えれば。相応の威力を、叩き出す。
燃え移るモノに事欠かなければ、なおの事。
最初にマッシュモンを爆発させてスレイプモンを足止めした罠も、こいつらのこの必殺技があってこそ、だ。
『ゴブリストライク』
付近のあちこちに隠れて待機していたゴブリモン達が、またしても一斉にスレイプモン目掛けて火球を投げ込んだ。
俺と対峙した時のように、走って逃げようとしたのだろう。
だが、こうもモスモンの鱗粉が充満してしまっては、もう手遅れだ。
粉塵爆発。
『迷路』の通路一本分から、並の究極体でもまず出せないような文字通りの『火力』が吹き上がった。
理に適ったジャイアントキリングはやはり最高……そしてみんな大好き粉塵爆発。
接触時のやり取りといい、容赦のない展開といい、ひりついたハードな雰囲気が徹底されてていいですね。
ス〇イプモンを追いつめる手際もデジモン達の特性を強めたり数と搦め手による追い込みに、モンスター使いを相手取る際の外道じみた鉄則を抑えるとは分かっておられる。デジモンに乗るってのは他所に居る護るべきものに意識を割く無駄を省けているようで、その実危険地帯と隣り合わせなのと対して変わんなかったりするわけで、人間側の自衛の手段の大切さを改めて考えました。少なくとも自分を狙う不意打ちに対処できないようではこの世界観では二流。
解放されたリンドウちゃんの力――かつての「選ばれし子供」と同じ進化の光を齎すその意味とは……。リンドウちゃん自身の愛らしくもミステリアスな雰囲気も相まって良い感じに今後が気になるところです。……見せびらかすんじゃないぞ。絶対に見せびらかすんじゃないぞ(フラグでしかない)
ではこのあたりで。次回もお楽しみにしております。