第二話
「ぶえふっひゃっ、ひゃっひゃっひゃぁあっは、はひっ、ふへへへへへへへえ"っ"、うえっ、げっほ、ごほごほごほっ! は、はあ、はあ、はあ……。ぶふっ。ひ、うひひひひひひいひひいひひいひひひひひい!! はっ、腹! 腹痛いんだけど!? むすっ、娘! 『ゲイリーの娘』!? 『ゲイリーのむっつりスケベ』の間違いで無く!?」
「うるせえ笑い声だけでハ行網羅してんじゃねぇ」
俺はたったの2日間で、美人の笑顔という概念が嫌いになりそうになっていた。
もう一度言うが、笑顔の似合う美女の笑顔にも限度というものが存在する。世の中の美女達は是非とも心に留めておいてほしい。
何事も、何物も。用法容量を守って使用する事が大事なのだ。薬売り(嘘は言っていない)と約束してくれ。
俺はなおも笑ってはむせるを繰り返す、伸ばした黒髪にガラクタの類――一見、宝石飾りのようにも見える――を幾重にも編み込んだ美女・ルルに向けて、音も無く一冊の絵本を開こうとする。
が、流石に「『迷路』随一の行商人」なる肩書は伊達では無く、ひぃひぃ苦しそうな息を漏らしながらも、ルルは俺が本を開く前にその表紙を抑えた。
「ひっ、ひひ。ちょっとやめてよ、『マッチ売りの少女』だなんて。君の店で一番依存度高い粗悪品じゃないか」
「いや、スマン。このまま胞子で窒息して死ネと思っただけで、『絵本』のチョイスに悪意はねェんだ」
「あはは、悪気しかない!」
引き続き、腹を抱えて椅子に背を預けるルル。
相も変わらず、反った胸部に、凸と呼べる部分は皆無だった。
「む。ゲイリーったらあたしのおっぱい見てるでしょ。サングラスで誤魔化せてると思った? 娘さんもいるっていうのに、とんだスケベ野郎だね。むっつりじゃ無くて、ストレートスケベ。」
「寝言は誰かと寝られる程度の色気を身に付けてから言え」
「知ってる? ゲイリー。デカい胸ってねぇ、授乳した時赤ちゃんがミルク飲みにくいんだってさ。つまり貧乳のルルちゃんは誰よりもママンの愛に溢れたボディをしてるってワケ! そう思うとあたしって無茶苦茶エロくない?」
「貧しい事と何も無い事は違うんだぜルル。お前のそれは、胸板っつーより板胸だ。成熟期の時のメアリーでももう少し有る」
「まあまあ、そうイキるなよ。君の方こそ女性絡みの走馬灯一生分見返しても乳首のちの字も出現しなさそうな健全顔してる癖に。……まあ、どうしても。って言うなら、その噂の娘さんに、弟くんなり妹ちゃんなり、プレゼントしてあげてもいいかな~って、あたしは、そんな気分なんだけれど」
「だったら今すぐ仕事の頭に切り替えてくれ。デバイスの在庫はあんのか? ねェのか?」
つれないんだから、とルルは唇を尖らせるが、むしろ必要以上にノってやったくらいだ。
うちの店は全年齢対象。『迷路』の外には大人のための絵本なんてモノもあるそうだが、『迷路』の内の絵本屋には、老若男女の頭を夢の国仕様にするヤツしか置いちゃいない。
運び屋ルル。『迷路』随一の行商人。お互いに、昔なじみのお得意様。
売り物の種類と幅が違うだけで、俺達のやっている事にそう変わりは無い。
「ゴッキモォーン」
仕事用に切り替わったとは到底判断しかねるにやけ面のまま、ルルはパートナーデジモンの名を呼んだ。
足元からカサカサと、細やかな割に異様に存在感のある足音を立ててカウンターの上にまで這い出て来たのは、名前の通り、まあ、その、いわゆる巨大な『茶バネ』である。
出現から流れるように発動されるのは、彼(?)の必殺技『ドリームダスト』。ルルのデバイスのゴミ箱機能から、任意のゴミが俺目掛けてひっくり返された。
「営業妨害で訴えんぞ」
「神も仏もいるけど警察は居ないからごめんで済むよね。誠に申し訳! いや、っていうかこっちも仕事だから。ほら、ゲイリー。好きなの選んで。君のプレゼントのセンスが見たい」
ルルは商品のほぼ全てを、デバイス内のゴミ箱で管理している。
この茶バネ、進化先もガーベモンという名の碌でも無い(ついでに言うと必殺技はもっと碌でも無い)姿をしたデジモンで、ルル曰く、デジモンの本来の故郷でならガーベモン種は体(?)内にブラックホールを所持しているが、空間としてどっちつかずな『迷路』の中ではどうにもその接続先が曖昧らしい。
それを逆手に取ったとか何とかで、ルルのガーベモンの腹は彼女のデバイスの中に設定されており、お蔭で無分別な収納が可能。逆に取り出すときは、退化したゴキモンに必殺技を使わせる形を採用し、好きな種類を選んで取り出せるという訳だ。
いざという時は商品の取り出しと同じ動作で戦闘へと移行出来るのも大きな強みで、非常に理に適っている。
適っているのだ。
絵面以外は。
「このひっでェ絵面が『迷路』での買い物のデフォだと思わせたくないから、リンドウに直接選ばせるのはヤメたんだ」
外の衛生状態がどうなってるのかは知らんが、流石に黒光りする虫が歓迎されるほど世紀末迎えちゃいないだろう。ゴミ漁りをあの子にさせたとなってはアカネに顔向けできないし、俺だって草葉の陰で泣くアイツは見たくない。
……まあ、結局拾ってきたゴミのリサイクルくらいは許してもらわにゃならんのだが。『迷路』に寄越したくらいなんだ。そのくらいは、大目に見てほしい。
「これとか良さげかな。ピンクだし」
「女の子の好みをピンク色しか認識できないゲイリーくんの頭の中には、薄桃色のお花が咲き乱れているんだね。センスが実にお花摘みって感じ」
「パートナーが雉撃ち仕様のお前にだけは言われたくない」
言い返しつつ、こいつにセンスが汚物以下と言われてしまっては選ぶ気も失せる。俺は手に取っていたピンク色のデバイスを元の場所に戻した。客の購買意欲を削ぐとは商売人の風上にも置けない奴め。
いやまあ、管理場所がアレの時点で、今更の話だが。
悩んだ末最終的に手に取ったのは、やや小ぶりで端にチェーンを通せる穴の開いたキーホルダー仕様のモノだった。
デジモンを使役する人間からは所謂旧式と呼ばれるタイプの骨董品ではあるが、出来る事が少ないのは『迷路』初心者のリンドウにとってはむしろプラスに働くだろう。こちらとしても、一先ずモルフォモンに解りやすく首輪を付けられるなら、それでいい。
「うんうん、ゲイリーにしてはよく頑張った方じゃない? 小さくてかわいいから、きっと娘さんも喜ぶよ」
「随分と態度が変わったなルル。お前まさか、旧式の在庫捌きたかっただけじゃねェだろうな」
「あたしはいつだって売れ残りを本当の意味でゴミにしたくないと思ってるよゲイリー。あたしと君の利害は一致した。OK?」
くそ商売人め。
「わーったわーった。で、幾らだ」
「『絵本』でいいよ。折角出してるしその『マッチ売りの少女』ちょうだい。あと『ねむり姫』と『浦島太郎』。在庫が無いなら他の状態異常系でも許してあげる」
「いや、ある。今出すからちょっと待ってろ」
お伽噺のような時間を「状態異常」で片付けられるのはそこそこ心外だが、材料はと言えばメアリーの傘から出てくる光る粉だ。俺の揚げ足取りでルルの気が変わり請求書に現金と書かれる事を思えば、言葉選びのひとつやふたつ、やり玉に挙げるべきでは無いだろう。
沈黙は金。
「あ」
「何だ気が変わったとかはよせよ俺ァ何も言ってねえぞ」
「いや、あたしこそ何も言ってないんだけど。まあいいや」
ゲイリー。と、ルルが蠱惑的に唇を歪める。
そうそう、美人の笑顔と言えばこういうもんだ。あとはもう少し乳を盛って出直して来い。
「む。唐突に支払いをキャッシュに変更したくなったけれど、それはさておき」
「おう、何だ。スレンダー美人で器量よしのマイフレンド」
「ねえねえ嘘つきがホントに泥棒の始まりなら世紀の大怪盗にでもなれそうなマイフレンド。せっかくだから、会わせてよ。君の娘さん、リンドウちゃんに、さ」
「はぁ?」
思わず呆けた声を上げる俺に、ずい、とルルが顔を寄せた。
こういう前のめりの姿勢になると、服の隙間から覗く胸元が女ってやつは(乳が無いと特に)無防備になりがちなのだが、ルルの場合、平た過ぎて見える部分すら皆無なのであった。
残念ですら無い。
「なーに? 変な顔しちゃって。あ、いや元からか。……ほら、あたしだって、自分の商品を使ってくれる子がどんな子か、そのくらいは、見ておきたいからさ」
「対価は払うんだ。それで十分だろ。余計な好奇心は感心しないぜルル。リンドウは見世物じゃない」
「じゃ、会わせてくれたら『絵本』1冊分オマケしてあげる」
「ちょっと待ってろ。今呼んでくる」
許せアカネ。
そもそも俺みたいな甲斐性無しを頼ったお前もまあまあ悪い。
「リンドウ」
カウンターを出て店の奥に向かい、少女の名を呼びながら自室の扉を開けると、リンドウは俺のベッドを椅子代わりにして、ちょこんと隣に腰かけたモルフォモンと一緒に商品では無いいたって普通の絵本を読んでいたらしかった。
相変わらず、無表情でさえなければ心温まる光景になりそうなんだが。
「どうしたの、お父さん」
「デバイス購入前の本人確認だとよ。悪いが一緒に来てくれ。モルフォモンも連れてきていい」
こくり、と頷いて、リンドウは絵本--『しっかり者のすずの兵隊』――を脇に置き、モルフォモンと並んでこちらへと寄って来る。
ルルの手前、それらしく親子ムーブするべく、俺は彼女の手を引いた。
子供だからか、小さい手だ。このサイズ差は、正直嫌なことを思い出す。ネズミの手でも握ってるみたいだ。
……もっとも、あの頃は、俺が引かれる側だったのだけれど。
「おう、連れてきたぞ」
くだらない感傷を投げて捨てるようにカウンター前の席に腰かけたルルへと声をかければ、待ってましたと言わんばかりのきらきら笑顔で彼女が振り返る。
流石に空気は読んだか。散らかしたゴミと茶バネ型デジモンは、自分のデバイスへと仕舞ったらしい。
「やっほー! 君がリンドウちゃん? こんにちは、あたしは『迷路』の行商人のルルちゃんだよ」
いっちょまえにも子供の相手らしく席から降りてしゃがみ込むルルだったが、肝心のリンドウの方は、面識も胸も無い割に馴れ馴れしいこの女に警戒気味らしい。メアリーが無遠慮に触りに来た時のように、彼女は俺の背に回ってルルから隠れてしまう。
うむ、お前の直感は正しいぞリンドウ。後でなんか……こう、飴とかあげよう。
ルルは代わりに寄ってきた好奇心旺盛なモルフォモンに顔を触らせながら、気を悪くするでも無く、いたって普通に、顔の良い女の顔で微笑む。
「あっはは、照れちゃってまぁ、かっわいいー! 君、絶対お母さん似でしょ。お父さんの貧弱過ぎる遺伝子情報に感謝しなくちゃだめだよ~?」
そんなクソみたいな感謝の仕方をリンドウに仕込むんじゃない、と思わないでも無かったが、生憎貧弱も何もリンドウの半分は俺では無く知らない男の遺伝子で出来ている。ルルにはそろそろ帰って欲しかったし、俺は反応をへの字を書いた唇での沈黙だけに留めた。
幸い、ルルの方も見るだけ見て満足したらしい。
カウンターの上に置きっぱなしにしていた『マッチ売りの少女』をそのままにして、立ち上がった彼女は俺の方へと手を出した。
「はい、ゲイリーくん。約束の『ねむり姫』と『浦島太郎』」
「へいへい」
製造にかかるコストはその2つの方が高いので本音を言えばそっちをまけてほしかったが、幼女見物にそこまでの価値が無い事は流石に理解している。
まあ売れ行きだけで言えば安いのとルルの言う通り依存度が高いのとで『マッチ売りの少女』の方がよくはける。何にせよ、向こうからの値引きにとやかく言える立場でも無いだろう。
「あいよ。返品交換は受け付けねェからな」
「はいはい、確かに。これからも行商人ルルとゲイリー・ストゥーはズッ友だよぉ。なんてね! じゃあね、ゲイリー。リンドウちゃんとモルフォモンくんも、ばいばーい」
またね、と、そう言ってルルは手を振ったが、俺個人は兎も角やはりリンドウに進んで御器かぶりの類を見せたくなかったので何も返さないでおいた。
モルフォモンだけは無邪気に手を振ってはいるのだが……まあ、元ネタの蝶は腐肉食だとかそんな話も聞いた事があるし。属性が近いとかで、関わり合いになってもこっちは案外うまくやるだろう。
そも、デジモンの好き嫌いなど、どうでもいい。
「と、いう訳で、だ。リンドウ」
ルルが出て行ってしばらくしてから、彼女から買い取ったキーホルダー型のデバイスをリンドウへと差し出す。
「昨日言ってたデバイスだ。これがあれば、モルフォモンを……あれだな、より安全に、飼えるようになる」
正確な役割を語れば話は長くなるのだが、旧式のデバイスだと出来る事、特にテイマー側から発動できるサポート等は最低限だし、とりあえずデジモンにつける解りやすい首輪、という認識で間違いがある訳でも無い。
結局何考えてるんだか判らない無の表情でリンドウがコレをじっと見つめている間に、俺は諸々の設定を済ませ、少女の手に赤い旧式デバイスを握らせた。
「絶対に無くさない事。解ったか?」
「うん」
頷くリンドウ。
デバイスを通じて正式に彼女をパートナーとして認識したらしいモルフォモンも、改めてリンドウに寄り添い出したので、俺の仕事もひとつ片付いたとみて良いだろう。
と。
「……」
妙な圧を感じて振り返れば、地下に続く階段の際から身体半分だけ覗かせた我らが薬剤師、麗しのメアリー・スーが、「やっぱり美人は笑っている方がいい」と俺の認識を改めさせる程酷いしかめ面で、出入り口の方を睨んでいた。
「メアリー」
「……」
ぎろり、と動いた左右違う時間帯を宿した色の瞳が、俺に「ルルは帰ったのか」と訴えかける。
この1体と1人、どうにも仲が悪い。
正しくはメアリーが一方的に嫌っている形なのだが、ルルの方にも関係を良好にするつもりはさらさら無いので余計に関係がこじれているのであった。
別に仲良くして欲しいとは思わんが、紛いなりにもビジネスライクではあるのでもめ事は起こしてほしく無いところ。
なんて思っていると「だから顔出さなかったんだろう」と言わんばかりに俺をねめつけて、こちらに寄ってきたメアリーはひったくるようにカウンターから『マッチ売りの少女』の『絵本』を回収し、そのまま出入り口の方へと駆けて行く。
「あ、おい。メアリー!」
折角1冊浮いたのに。
制止も聞かずに外へと出て行ったメアリーの華奢な背中を見送って、俺はため息と一緒に肩を落とした。
「? 何しに行ったの」
「塩代わりに粉撒きに行きやがった」
今頃『迷路』の通りには白い粉が煌めき、通行人達はきっとその中に、ごちそうや飾り立てられたモミの木、死んだ老婆の面影を見るのだろう。一足早く、メリークリスマス。リンドウの着ていた服から察するに外は恐らく初夏あたりだが、俺の懐と愚図のマンモンの吐息は何時だって冬の季節とよろしくやっているので問題あるまい。
さよなら、『マッチ売りの少女』1冊分の稼ぎ。擦ったマッチから出るリンの臭いを吸い込んでしまった時のように、鼻の奥が、ツンと痛い。
……言うて、薬を作るのはメアリーの仕事なので、彼女が作った物を彼女がどうしようが俺に口出しできる権利は無い。
一瞬だけ抱えた頭から手を離して、俺は首を傾げるリンドウの前で膝を折り、小さい彼女と視線を合わせてから自分のデバイスを取り出した。
「リンドウ、良い子にしてたから飴をあげよう」
「……味は?」
「色んな色があるけど全部一緒のお砂糖味だ。甘いぞ」
「じゃあ、モルフォモンと、同じ色のは?」
「モルフォモンよりかはちょっと薄いが、青色はあるぞ。今出すから手を--」
その時。
視界の端に、開くドア。
メアリーが戻ってきたのかと思って顔を上げると、そこに居たのは、後頭部で纏めた癖のある白髪と、左目を覆う真っ黒眼帯が印象的な老婆だった。
ただしその老婆はこう、「死んだおばあちゃん」的な趣は皆無で、年寄りの割にがっちりとした身体に迷彩柄の軍服を纏っている、それはそれはもう、殺しても死ななさそうな老婆であり。
例のごとく、知り合いである。
「レン」
名前を呼びかけようとしたのだが
「シールズドラモン」
それよりも先に、俺を遮るように、老婆は隣に佇むトカゲ型の軍用ロボット的な見た目のパートナーの種族名を呼んだ。
老婆――レンコの単眼からは、隠しようも無い蔑みの感情が、一心に俺の方へと向けられていて。
俺は冷静に、自分の状況を確認する。
俺は電脳麻薬の売人で
目の前にいるのは年端もいかない幼女で
俺に娘がいる事を、俺自身昨日知ったばかりで
俺以外にそれを知る人間など、さっき会ったルル以外に居る筈も無くて
見知らぬ幼女の前にしゃがみ込む胡散臭い男を、俗に人は、「不審者」と呼ぶ。
『迷路』の外だろうが、内だろうが。
「待ってくれレンコ。これは」
「処せ」
音も無く引き抜かれたシールズドラモンのナイフが、瞬きの間に、俺へと迫った。
まずは与太話めいた呟きから生まれたメアリー・スーが可愛らしい行動と癖の強い個性が同居するかたちで実体を得たことに乾杯を。そして、そのメアリー・スーが嫌味にならないくらいにアウトローでハードボイルドな世界観に喝采を。
教育に悪そうな環境での疑似親娘にほのぼのするには謎の多さに不穏なものを感じずにはいられませんが、主役側がダーティさで呑み込んでくれるものと期待しておきます。
それにしても洗練された下ネタだ……(スゴクシツレイ)。ス〇イプモンは泣いていい。
ではこのあたりで失礼します。