「う、うう……っ」
自分のうめき声で目が覚めた。
全身が痛い。あちこち打ち付けながら転がったのだろう。服は泥まみれ、皮膚の露出している箇所は例外なく擦り傷だらけだった。
特に左肩を強く地面にぶつけたのか、腫上がって熱までこもっているのが判るし、ほとんど動かせないでいる。最悪、どこか骨が折れているかもしれない。
だが――生きている。
通常の落馬でも人は簡単に死ぬと聞く。
ましてや俺とユニモンが居たのはここから遥か上空。普通に考えて、人間どころかデジモンだろうと、落ちて無事で済む高さでは無い。
俺はどうにか軋む身体を持ち上げて、周辺を見渡した。
クレーター、と呼べるほどではないが。
地面が大きく凹んでいて。
その中央に、横たわる白馬の姿があった。
引き摺るようにして近くまで這い寄る。
思わず息を呑んだ。
吹き飛んだ片翼の事もあるが、それだけではない。
ユニモンの、馬らしからぬ鋭い牙は、そのほとんどが無残にも内側から折れて飛び散り、荒い呼吸と共に外れた顎が不格好にがたがたと震えていた。
文字通り、死に物狂いだったのだろう。
リミッターの外れた『ホーリーショット』の一撃で、ユニモンは落下の衝撃を相殺したらしかった。
しかしそうなると当然、姿勢としては頭から落ちる形になる必要がある。
無理な体勢が祟って、前脚を強打したらしい。目を背けたくなるような方向に、ユニモンの脚が曲がっていた。
俺の身体が鞍から投げ出されていたらしいのも、無理のない話だった。……いいや、むしろ、ユニモンは最後まで、俺の事を庇っていたのだろう。俺の無事を考えなければ、もう少しまともな着地ができていた筈だ。
そうでなければ、今、俺が生きている筈が無い。
「ユニモン、ユニモン……!」
必死で呼びかけながら、デバイスでデータの修復を試みる。
通常の馬であれば即安楽死の処置が取られるべき傷ではあるが、幸いにも俺の愛馬はデジモンだ。
心臓部--デジコアさえ無事なら、救う手立ては、ある筈だ。
「待ってろよ、今、今直してやるから」
少し動かしただけで痛みに引きつる指先が、この上なくもどかしかった。
救護班を呼びに行くか? いや、無理だ。攻撃を受けたのは俺達だけでは無かった。成熟期ごときに貴重な回復能力持ちを回してくれるとは、到底思えない。
ここでもまた、俺達の「弱さ」が枷となるのだ。
何よりここに、ユニモンを置いていくわけにはいかない。
だって、まだ、上空には『奴』が――
「--ッ」
額から嫌な汗が噴き出した。ぎょろりと剥いた緑の瞳が、記憶の奥から脳裏を掻き毟る。
ああ、そうだ。
戦いは、終わってなどいない。何も成せては、いないのだ。
追撃が来れば、ユニモンという足の無い俺は、今度こそ逃げようがない。
まともに攻撃を当てられたら、死体も残らないだろう。
「……その方が、いいのかもしれない」
だが、ふと。
そんな言葉が、口を突いた。
どうせ、力の差は歴然だ。
俺に、俺達に出来る事など、何も無い。
だが、ここで死ねば--一生懸命戦って、しかし報われる事の無かった、哀れな子供に。哀しい英雄にはなれるだろう。
「ごめん、ユニモン」
「……」
「俺は……」
そんな、つい思い描いた、細やかな救いを掻き消すように。
俺の言葉を、遮るように。
突如として、凄まじい光が、天を覆った。
「いっ!?」
ただでさえ光に弱い眼球に激痛が走る。
ユニモンが残っている方の翼で影を作るようにして俺を覆ったが、焼け石に水状態だ。
ずきん、ずきんと波打つ脳にまで突き刺さるような痛みに、ユニモンのたてがみを握り締めながら歯を食いしばって――一体、どれだけの時が経っただろう。
ようやく、光が引いたらしい。
荒々しい深呼吸を挟んで、どうにか、目を開ける。
「……え?」
もう、これ以上悪い事なんて、そうそう起きないだろうと。
せめて、そう願っていた筈なのに。
天空に在ったその光景は、あっさりと、俺を更なる絶望へと突き落とした。
白く光り輝く、騎士のデジモンが、鎧同様の光を放つ一振りの剣を、『奴』の脳天に突き立てていたのだ。
それだけで、あれだけ暴れ狂っていた、目玉を潰しても即再生していたような化け物は完全に動きを停止し――どころか、その端々から、崩れ始めていて。
「うそ、だろ……?」
そして、騎士を包む光の、正体。
それは、『選ばれし子供達』のそれぞれのデバイスの画面から伸びた、一条の光の集まりだった。
皆、デバイスを掲げている。
『奴』の攻撃を前に朽ち果てた者達でさえ、地に落ち、散らばったデバイスからは、生きた証のように光を、騎士のデジモンへと送り続けている。
この戦場に存在する全ての子供達が、この世界の脅威に対する『力』となっていたのだ。
……俺は、
俺も。震える手で、デバイスを掲げた。
何の光も、零れはしなかった。
「待って」
そこには本物の『奇跡』が在った。
「待ってってば」
『奇跡の子』など、その舞台のどこにもいなかった。
「待ってくれよぉ、なあ」
『あのデジモン』の肉体に倣うようにして、その場に崩れ落ちる。
目が痛い。
こらえていたものが。ひょっとすると、もう何年も胸の内に抑え込んでいた物が、いい加減に、零れ落ちた。
今度こそ、目の前に突き付けられた。
俺は、何物にも成れないと。
王になど、英雄になど。……人の子として在るのを望むのでさえ、贅沢だと。
強いて言えば、ヘタをうって味方を死なせただけ。
居るだけ無駄。むしろ邪魔。やはり母さんには、先見の明があったという事か。
生まれてくるべきでは、無かったのだ。
うずくまって、泣き喚く。
自分がどうして涙を流しているのかさえ、解らなかったのに。
だが、その時だった。
幽かに。
本当に、幽かにではあったが。
一緒に抱え込んでいたデバイスに、光が灯ったのだ。
「……!」
顔を、上げる。
……そうして、今度こそ。本当に。
俺は、自分の心が壊れる音を聞いた。
「どうして」
俺の傍に、もう、ユニモンはいなかった。
代わりにもっと大きな影が、俺の事を、見下ろしていて。
「なんだよ、それ……」
それは、象の姿をしたデジモンだった。
マンモン、と。『絵本屋』から得た知識で、名前も、能力も、知っているが、この場において、「象の姿をしている」以上に大事な情報は無かった。
「なんで今更、そんな進化するんだよ、ユニモン……ッ!!」
象は、俺が母さんを。
冷たい目で俺を『迷路』に突き飛ばしたあの女を理解するために、理解しようとするために、使った記号だ。
絵本じゃ大概、子供想いの理想の母親として描かれるくせに
その実、産まれてきた我が子を痛みの元凶として躊躇なく踏み潰す、醜い生き物。
そんなものが、どうして今更、俺の傍に寄り添おうとしている?
「俺はっ! 俺はもう、そんなもの要らない! 違うっ!! 俺が欲しかったのはそんなものじゃないっ!!」
癇癪を起して、両手で頭を抱えて掻き毟る。止めようとするかのように寄せられた長い鼻は、視界に入るなり力いっぱい弾いた。
自分でも、どこからそんな力が出てくるのか、わからなかった。
「触るな触るな触るな!! お前も、お前も結局は俺を捨てるのか!? 突き飛ばすのか!? やめろ、やめてくれ。信じてたのに!! お前だけは、俺の……何があっても、俺と、いっしょに、いてくれるって……」
ああ、頭じゃわかってるんだよ。ユニモン。
お前にそんなつもりは無いって、わかってる。
墜落から庇ってくれた時みたいに、俺の事を、助けようとしてくれてるんだろ?
『迷路』で迷って泣いていた俺に、食べ物を分け与えて、手を握って、一緒に歩いてくれた、あの時みたいに。
今度は『子供を愛する母親』になって、俺を、慰めたかったんだろう?
だけど、お前の知識の中にある『母親』も、俺と同じで、『象』しか無かったから。
だから――そんな進化しか、出来なかったんだろう。
わかってる。
わかってるんだ。
でも、それは――俺の心じゃ、裏切りとしか、受け止められないんだ。
だって俺とお前は、『選ばれし子供とそのパートナー』じゃあ、無いんだから。
互いに信じあう心さえ、ここが、行き止まり。
「あああああああああああああああああああああああ」
咆哮。嗚咽。怒号。
何なのか。どれなのか。自分でもさっぱりだ。
ひとつだけ確かなのは、ささやかな抵抗のように発せられた俺の悲鳴さえ、沸き上がる『選ばれし子供達』の歓声に、掻き消されていたという事実だけだ。
そうして、それから。
世界中が待ち望んだ、勝利の瞬間が、訪れる。
呆気ない程拍子抜けな破裂音と共に、この世の脅威として顕現したそのデジモンは、弾け飛び
あの日俺は、クソみたいなクラゲの雨を見た。
お馬さんが好きです! でもゾウさんはもーっと好きです!
嘘だけど。
絶望で心が踏み潰される音がしました、こんにちは組実です。
後れ馳せながら細やかな感想を……
選ばれし子供達とゲイリーとの対比が恐ろしい。本当に。目映い光の反対には真っ黒な影が在るんですよ。でも声さえ光に掻き消されて届かない、哀しみ以上に恐怖を抱きました。
そしてこれまでのマンモンに対するゲイリーの態度、またマンモンなりのゲイリーへの想いを考えると胃腸が引っくり返りそうになりますね。
どうしてこんな面白くて恐ろしい文章が手軽に読めてしまうのか。
書籍化お待ちしています。
かしこ