「浅学なお前にひとつ教えておいてやる」
顔面に向かって投げつけたUSBを、段差に腰かけていたネガは事も無さげに受け止める。
「スナッフフィルムの頭文字はAじゃなくてSだ。覚えとけ」
「んふふ。いくら博識なストゥーさんとはいえ、あんまりな言い方じゃない? あれはボクとバーガモンにとって、一番気持ちよくなれる写真を選りすぐったモノなのに」
ああ、でも。と。
ネガは艶やかな唇を弓なりに歪めて、僅かに頬を赤くする。
「その様子だと、最後まで見てくれたんだね。……それは、嬉しいな」
はにかむネガに向かって、俺は力いっぱい舌打ちした。
*
「ネガ? ……ああ、『レンタルビデオ』くんちゃんね。へえ、ゲイリーの事まで口説きに来たんだ。残念! 見る眼だけはあるなーって思ってたのに」
「ホントに女の趣味悪ぃのな、アイツ」
丸椅子に腰かけ、ヘラヘラと笑うその女の顔はひどく良い。
だが彼女の胸は相も変わらず、一枚板風のカウンターに合わせて分度器を置けば正確な角度を計測できそうな程度にはまっすぐな面に仕上がっていて、男にも見えるネガの方が、よほど凹凸を感じられたような印象は、本人を目の前にしても変わる事は無かった。
俺は渋々店にルルを呼び、
ルルは至極面倒臭そうにそれに応じた。
「まあ」
いつもの無駄話は早々に切り上げて、本題を急かすように俺はルルへと1冊の『絵本』を差し出す。
「絡みがあったってンなら話は早ぇ。売ってもらうぞ、ルル。あの変態野郎について、知ってる情報を全部寄越せ」
『絵本』の表紙に描かれた壮年男性の横顔を見止めるなり、ルルがヒュウと口笛を鳴らす。
「『青髭』じゃん! へぇー、けちんぼでいやしんぼのゲイリーが! ホントに良いの? この店の最高級品でしょ? これ。返せって言われても返さないよ?」
「見合う情報を売るならそれでいい」
「はぇー……。ゲイリーがこんなにも潔いだなんて。不覚にも行商人ルルちゃん、ちょっと怖くて震えちゃった。くわばらくわばら、明日はきっと雨が降るね、血以外の」
「それじゃあ弾丸か毒くらいしか無いだろうが。縁起でも無い事言ってねェで、さっさと出すもん出しやがれ」
「んもう、待ってよせっかちなんだから! 人より早くコンニチハしちゃうゲイリーくんの息子と、あたしのカワイイ売り物ちゃんを一緒にしないでよね」
と、茶化しはするものの、情報の対価として十分な品だとは認めているのだろう。ルルは僅かに目を細めて、貪欲な商人としての眼差しに鋭さを帯びさせた。
「ネガ。通称――いや、自称か。『レンタルビデオ』。国籍年齢性別全部わかんないけど、趣味だけは確か。あたしみたいな可愛い女の子をモデルに、18歳未満お断りのムービーを撮る事だね。で、それを人に売りさばいて、生計を立ててるみたい」
最も、そっちの方こそ趣味だろうが。
人の皮を剥ぐ前に身ぐるみでも剥いでりゃ、ものを売り買いするよりも遥かに楽かつ速やかに稼げるワケで。
加えて、奴のパートナー――
「なんかお察しって感じの顔してるけど、続けるね。彼、兼業でバーガーショップもやってるみたい。こっちは『レンタルビデオ』くんちゃんのパートナー、バーガモンの趣味みたいだけど」
「はっ、そりゃイイ。倫敦旅行の気分でも味わえそうだ。フリート街の理髪屋の隣にあるっていう、ミセス・ラヴェットのパイ屋さながらじゃアねえか」
「どこ。誰」
「……」
「っていうかイギリスって、フィッシュ&チップス以外に食べ物あるの?」
「それはあンだろ」
ふーん、ゲイリーくん物知りぃ。と、ルルはひどく適当に流して話を続ける。
下手な合いの手を入れた俺も悪いがな。そういうお前の胸並みに薄い反応は、一番人を傷つけるぞ。
「で、この辺が一番ゲイリーの欲しがりそうな情報かな。件のバーガモンの、進化ルートについて」
ルルは自分のデバイスを取り出していくつかの入力を済ませると、その画面を上に向けて、こちらへと差し出した。
途端、左から進化順に並んだデジモンの立体映像が、宙へと浮かび上がる。
バーガモンと、シェイドモン。
その隣に続くのは――白い蛇。
「サンティラモン?」
意外な姿に、思わず疑問符付きで名前を口にしてしまう。
シェイドモンはその特異かつ凶悪な能力もさることながら、食い溜めしたデータによって進化先の凶悪さが増す、という特徴を有している。
あの変態野郎が、生半な物を文字通り「喰わせている」とは思えないのだが。
……いや、シンプルな畜生の姿に引っぱられたが、よく考えれば元ネタは『十二神将』の珊底羅大将か。しかもかの神将は、本地が「明けの明星が化身」とかいう、デジタルモンスターの世界においては超ド級の厄ネタ持ちだった筈。
強力なデジモン、という印象こそ希薄だが、元ネタ云々を抜きにしても単純に、サンティラモンは陰険かつ残虐なデジモンだと聞いている。
がっつり滲み出てるじゃねえか。ネガの人となりが。
「データがあるって事は、交戦したのか?」
「一応ね。でも、ゴキモン出したら即逃げてっちゃった」
「……腐っても中身はバーガモンなんだな」
そこに関しては、なんだ。気持ちは解らんでは無い。
「それに、ゴキモンも深追いしなかったしね。だから、戦闘データは無いの。そこはちょっとゴメン」
「……」
ルルに害意を向けたにも関わらず、ゴキモンは--否、ゴキモン「も」追跡しなかった。となると――
「究極体には、まだ成れないんだな」
「多分ね」
メアリーがああも簡単に連中を見逃したのは、ネガの商品が琴線に触れただとか、そんな理由じゃあ無い。
アイツらは、果実だ。
熟れる寸前だが、まだ青い。
あの大飯喰らいの悪魔でさえ行儀よく待てが出来るような、蕩けるように甘くなる果実なのだ。
「ふうん」
ルルは細い指で『絵本』・『青髭』の、軽くウェーブのかかった長い髭のラインをなぞった。
画材にモルフォモンの鱗粉を用いた昏く煌びやかな青色が、彼女の指先を追うようにしてきらきらと光る。
「そっかぁ、メアリー・スーのためだもん、奮発しちゃうよね。なんかつまんないの」
「あのなァ……もらうモノもらっといて、こっちの事情にまでケチつけんなよ」
「だって、アレががっつり絡んでる時のゲイリー、面白くないんだもん。いや、ゲイリーは最初から自分にはユーモアのセンスがあると思ってるタイプのクソ薄っぺらい男だけどさ」
「お前の胸部の厚みには負けるが?」
「でも、今日はなんか違うかなーって思ったのに……はーあぁ、つまんなーい!」
ガキのように両腕をカウンターに投げ出して(なお実際に子供であるリンドウは、こんな真似して見せた事は無いのだが)、胸周りに分けてやりたい程度には頬を膨らませるルル。
こいつからの急な罵倒は今に始まった事では無いのだが、それにしたってこうも幼稚に振る舞われると、こちらもなんだか、居心地が悪い。
全く……。
「大枚叩いてお前から聞き出さなくても、その時が来てその気になりゃあ、メアリーは勝手にジャンクフードを喰いに行くだろうさ」
「うん?」
「言ったろ、あの『レンタルビデオ』とかいう若造は、女のシュミが最悪なんだ。ロリコン野郎が挽肉臭いカメラ片手に歩き回ってると思うと、おちおち娘に留守番もさせられねえ」
「……」
ああもう、いつになく察しが悪い。
俺はちらちらと、リンドウがモルフォモンと過ごしている筈の俺の私室の方へと目配せする。
最初は引き続き、何やってんだコイツと冷めた眼差しが俺を刺していた訳なのだが――しばらくしてようやく、ピンときたらしい。
呆けたように半開きだった口は、ついににんまりと、半円を描く。
「へえ。へえ! 何何? ゲイリーってば、割と真面目に父親やってるってワケ!? リンドウちゃんのためってコト? えー! ウケるんですけど!?」
どっちにしても酷い奴だなコイツ。胸の次くらいに情が薄い。
「でも、ふうん。それは確かにいただけないね。イエスなロリータにはノータッチがジェントル。『絵本屋』で得た知識にもそう書いてあったって、ゲイリー常々言ってたもんね」
「言ってねえ」
初めて聞いたわそんな知識。
「ふふふ、いいよいいよ、あたしもちょっと興が乗って来た。それに、リンドウちゃんは将来の顧客になる可能性もあるからね。出血大サービスって程じゃ無いけれど、もうひとつイイコト教えてあげよう」
ルルがデバイスを持ち直し、操作するなり、俺の手元の端末がぶるりと震える。
目の前の女から送信されたデータを開くと、『迷路』の地図と、赤いマーカーが表示された。
「マンモンの千里眼があればすぐだろうけど、ひとつくらい手間、省いてあげる。それ、『レンタルビデオ』くんちゃんの拠点だから」
恐らくまだ軽くあしらえるだろうが、ルルにとってネガは身に振る火の粉の類だ。やはり、多少は調査してあったらしい。
「一応礼は言っとくぜルル。ウドの大木は見上げるだけでこめかみが軋むからな」
「……」
俺の発言には振れず、しかし軽く肩を竦めながら、ルルは席から立ち上がった。
「以上、ルルちゃんの情報提供なのでした!」
とはいえ、と、ルルはカウンター上の『青髭』を、持ち上げるでなく、手を重ねる。
「あたし今機嫌良いし、この『絵本』、絵も綺麗だから。ちょっとしたモノならオマケしてあげてもいいかなーって思ってるんだけど」
「なんだ、お前の方こそ珍しい。鼠の巣穴に握り飯でも落とした気分になるな」
ま、貰える物なら貰っておくが。クソみたいな腐れ縁だが、お互い化かし合うような仲でも無いし。
「そうだな……。あー、じゃあ酒はあるか。安物でいい。あんまりいいヤツは口に合わなかったからな」
「あらまあゲイリーくんったら根っからの貧乏舌なんだから。ちょっと待っててね、あったと思うから。ゴキモ」
「おうパートナー経由しないでデバイスから直接出せ」
何さ、注文の多いゲイリーくんなんだから、とルルが唇を尖らせるが、茶バネは山猫のレストランでもNGだろう。仮にも飲食物なんだから、その辺はしっかりしてほしい。
と、ふいにルルが端末を操作する手を止めたかと思うと、デバイスの画面から、彼女の選んだ品物が実体化する。
「?」
それは瓶でも紙パックでもなかった。
袋だった。鮮やかなデザインの四角い袋。酒はおろか、とても液体が入っているようには見えない。
「何だコレ」
「飴ちゃん」
「俺は酒を注文した気がするんだが」
問いかける俺を尻目に、中身のサンプル品だろうか。ルルが新たに取り出したのは、赤い球状のロリポップだった。
「こっちの方が、今のゲイリーには必要かなと思ってさ」
「……」
俺はそれ以上何も言わず、飴の袋を受け取った。
余計なおせっかいではあるが――実際、これなら多少なりリンドウの気を引けるだろう。棒付きのキャンディーは、なんというか、見栄えもいい。
そんな俺の様子に目を細めて、ルルはキャンディーの先端をマイクのようにこちらに差し出す。
「ねえ、ところでゲイリー。最後に一つだけ聞いて良い?」
「あん?」
「『レンタルビデオ』くんちゃんはロリコン、ってさっき言ったじゃない」
「言ったな」
「ちょっかいかけられて追い返しただけのビデオ屋さんの性癖を、どうしてゲイリーくん、知ってるのかな?」
「……………………」
俺はやっぱり、それ以上何も言わなかった。
言えなかったし、目も逸らした。
「ははっ、ちょっと感心してたあたしが馬鹿だった。ゲイリーくんってば、やっぱりサイテー」
ルルは笑顔で、俺の唇にロリポップをねじ込んだ。
不意打ちのように穿たれたそれは、甘い展開を呼ぶ筈も無く前歯に叩き付けられる結果に終わり、そうして俺は鋭い痛みの中、キャンディーの破片で苺と自分の血の味を知った。
凶悪な死亡フラグの乱立に俺歓喜。夏P(ナッピー)です。
前回も言ったかもしれませんが、レンタルビデオ屋はなかなか良い趣味をしておる。ゲイリーさんがおかしいのはレンタルビデオ屋なのか自分自身なのかわからなくなる気持ちもわかる。敵デジモンのチョイスに難航したとのことですが、逆転のきっかけと末路からしてバンチョーリリモンだったかはともかくとして、今回やられるのが女性型になることは必然だったように思える……バーガモンの必殺技(ルビ:リョナ)も含め。そっち系までありかよ! 何でもありだな!
あと上ではああ言いましたが、割とエグい戦いの中でサンゾモンのバスト気にしてる余裕があるゲイリーも結構キてるぜ! 肉体ダメージ与えないだけで人間に苦痛移すの含めてな! くまがルフィから弾いた疲労と苦痛をゾロに味わわせたみたいな理不尽さである。
というわけで、そっから強烈な勢いで「あ、俺これから死にます」と言わんばかりの死亡フラグ乱立させ始めたゲイリーさんですが、今回の内にああなってしまうとは。ギャー! 俺のマンモンがやられてる! やめてくれカカシ……この術は俺に効く。
それでは次回もお待ちしております。