目覚めると森の中で謎のモヒカンが奇妙な踊りを踊っていた。ファッションもどことなく世紀末の雰囲気があるけれど、緑色の肌や自分のそれより固そうな爪から人間ではないことは明らかだ。天使にするには人相が最悪で、獄卒にするには些か迫力に欠けている。一番しっくりくるのはファンタジーな世界にでも転生してゴブリンにエンカウントしたというところだろう。
目の前のゴブリン(仮)がセオリー通りのレベルだとして、私にはチートどころか何かしらのスキルを得た記憶はなく、現状のスペックは普通の女子大生……だった何者かでしかない。振り回している棍棒を叩きつけられでもしたら、それで二度目の人生がゲームオーバーになるだろう。
「カミッ! フォウッ! リン!」
異常なまでに冷静に現実逃避できているのは二度目の人生を諦めたからではない。単純に生命の危機も暴力的な敵意も感じられなかったから。ゴブリン(仮)の奇妙な踊りは素人目に見ても歓喜の感情が強く表現できているようだった。
「えと、あ……お、おー」
気づけば呑気に拍手をしていた。それが追加の燃料になってステップは激しくなり、動きのキレは一段上がる。それでも一挙手一投足が丁寧であることは見て取れて、合間にはこちらへのアピールも欠かさない遊び心もある。間違いなく私は見とれていた。平和ボケしていると言われればそれまでだけど、許されるだけの緩い雰囲気が私とゴブリン(仮)の間には確かにあった。
「オォーー、ユーアーカミィ!!」
「す、すごい……ね」
ビシッとこちらにポーズを決めて神秘のダンスは終了。異常にテンションの高い雄叫びに気圧されて勢いよく拍手を重ねる。きっとこの子は私が来るのを待ちかねていたのだろう。そう思ってしまうほどにこの舞は私に捧げる迫力があった。誇ることなど何一つない人生を送ってきた身としてはここまでされた上で神だと言われるのもこそばゆい。……うん?
「もしかして言葉分かる?」
「カミ」
「肯定ってことでいいのかな……」
首を縦に振ったからそういうことにしておこう。敵意がなく話が通じる相手は今の私にとっては貴重な道標だ。
「ここはどこ?」
「カミ」
「いやカミじゃなくて」
「カミ……」
「私は?」
「カミ!」
「うん、駄目そう」
多分私の言葉は通じているけどこの子の語彙力が皆無に近いから結局言葉での会話は不可能に近い。なんとなくジェスチャーだけで考えを読むしかなさそうだ。
「そもそも私には神崎舞って名前があってね……」
「カン……マイ……カマイ……カミィ!」
「もうそれでいいよ」
少なくともカミとかいうこそばゆい呼び名を変えることは諦めた。今日ほど自分の名前を恨んだこともない。
「なら君のことはなんて呼ぼうか」
「カミ!」
「そうなると思った」
ただでさえ語彙が一つしかないのに、カミがカミを呼んだらややこしくなる。こっちでそれらしいのを着けた方がまだマシか。
「じゃあ、ゴブリン」
「ゴ……ノーカミ」
「モヒカン」
「モ……ン、ノーカミ」
「ん……カニ」
「カ二……オシ……ノーカミ」
「……カムイ」
「カムイ……カミ! オー、ゴオオッ!」
感情が出るときは微妙に語彙が増えるらしい。妥協点を探ってここまで粘られるとゴブリンもといカムイはカミというものによほど拘りがあるのだろう。
女一人と踊りが上手いゴブリン。パーティの初期メンバーとしても下の下。チートもアイテムもなければ基礎的な情報も何一つ持っていない。自ら命を捨てたペナルティだと思わなければやってられないスタートライン。それでも冷静でいられたのはただ元々拾うつもりもなかった二度目の命を持て余していただけの話だろう。
「カミ!」
「え、ちょっ、何?」
どうしたものかと思案しようとした矢先、カムイが私の腕を引っ張って走り出す。小柄な体には若い女一人引きずれるほどの筋肉が詰まっているようで、私は転ばないように足を必死に動かすのに精一杯。足を止めたところで今度は大木の陰で吐きそうになるのを堪えるのが最優先事項になった。
「……何か来てる?」
理由を問い質せる程度に落ち着く頃には、カムイの意図も回復した五感から得た情報で推測できるようになった。焦げたような匂いとともに近づく足音。リズムからして四足の獣だと思うけど間違いなく私が知っている犬や猫とは重量が違う。
次いで聞こえるのはその獣が何かを引きずっている音。もし歩くのに使っている四本しか手足がないのだとしたら、その何かはどうやって保持しているのか。保持している何かの正体が考えうる最悪のものだとしたら、近づいてくる相手が想像を超えた化け物であった方がまだマシだとすら思う。
「――ヒゲレホムババ」
その獣が発した言葉が理解できてしまったことで今生の運が尽きたことも分かった。あれは私の知らない言語を話しているのではなく、単純に正確な発音で話しづらい状態にあっただけだ。
「べッ……これが邪魔だったか。慣れないなこの発声法は」
邪魔な荷物を下ろした途端に流暢になったその言葉は人間が口にするには不自然もの。その荷物が何なのかを知るために木陰から覗いてしまったのは、安易な好奇心ではなく安心感を得たいという臆病さからだ。ただ獲物が顔を出した理由なんて、狩人にとっては獲物が見つかった結果に比べればどうでもいい話。
「そこか」
それでも獲物にとっては狩人の初動が見えたことは重要なことだと後になって分かった。反射的に転がるように飛んだのは、獣がこちらに距離を詰めるのではなくこちらに向かって何かを放とうとしているように見えたから。それでも命が繋がっているのはただ幸運だったという他ない。タイミングが少しでもずれていれば、数秒前まで隠れていた木のように焦げた匂いを放つ穴が穿たれていただろう。
「あなた、なに……?」
カムイとはまったく異なる温度差の怪物相手に我ながら情けない間抜けな言葉。何より最悪なのは自分で口にした疑問の答えは既にあったことだ。
百獣の王――図鑑や動物園でしか見たことないライオンが野生の本能と知性の欲望を備えた姿がそこにあった。
「なんだ。既に死に体か。どうやらオレの鼻が鈍ったか」
「え?」
「ここまで食いでのない獲物は初めてだな。この男ですら最初くらいは目的意識に満ちて生気があったぞ。追い詰めるうちに味が落ちてしまったがな」
「なら……」
「まあいい。結論は変わらん」
表面上は会話しているように見えて、その根底には餌が口を挟む余地も価値も認めない捕食者の目線があった。その根拠はボロ雑巾のように捨てられた亡骸で十分だ。
うっすら見覚えのある学ランから近くの高校の男子高校生だろう。そんな推測もライオンにとっては一切価値のないもので、それは私のパーソナリティに関しても等しく無価値だ。いずれ彼と同じように地面を転がる相手に語ることなんて何もないのだから。
「珍味でなくとも腹の足しにはなるだろう」
「ひっ……」
弱肉強食の倫理観に戻りたいなんて思ったことはないし、そんな世界で生きられるほど強いと思っていられたら私はこんなところにはきっと来ていない。ただ自分の尊厳を侵されるのに耐えられなくて終わらせたかっただけ。それなのに引き延ばしを要求された結果、スタートラインから数歩進んだところで待っているのがこんなオチなんだとしたら、私の価値ってなんだったの?
「カミッ!」
聞き馴染んでしまった声が雷鳴のように頭に響く。視界の右端からライオンに迫るのは棍棒を振りかぶったカムイ。腰の引けた不格好な構えは不慣れな所作であることの証拠で、ギロリと動いたライオンの目と視線が重なった瞬間に歯車が噛み合わなくなったように動きが固くなった。
「だめ……」
思わず漏れた私の声も虚しく、前足の一振りでカムイの身体は風にあおられたゴミのように転がる。私の前で止まったのも、ライオンの効率的な思考と底意地の悪さが両立した悪趣味な意図だろう。関係性のある相手の前に無様に転がし、力の差を見せつけた上で餌を一か所に集める。同じ怪物だとしてもここまで力量も性根も違うといっそ清々しい。
「カ、ミィ……」
「大丈夫……大丈夫だから」
少なくとも何かしたいと思えたのはカムイだけ。無力なのは百も承知だし、力に抗える術なんて何も思いついてはいない。それでも、この世界で初めて認めてくれた相手には何かしたかった。それが烏滸がましいまでの見当違いが発端だとしても。
「転がして正解だったな。手間が省ける」
一歩ずつライオンが近づいてくる。カムイの前には出れなくとも庇うように覆いかぶさる。せめて運よく拾っただけの命が残るべき命に置いて行かれないように。
血まみれで息絶え絶えのカムイに触れて、その身体がずっと震えていたことにようやく気づいた。本当はこの子もこの世界では私みたいに弱い存在だった。だから神様なんかに縋ろうとして、偶然現れただけの私を心の拠り所にしようとした。見当違いなことだって薄々分かっていた筈だ。それでも護ろうと一歩踏み出せたことが私との一番大きな違い。
本当は私だってそうありたかった。今からでも動けないか。そう思う熱量はいったい私のどころから溢れてくるのか。――そもそも今になって何故カムイのことが分かるようになったのか。
「これは……」
経緯も理由も分からない。それでも確かにカムイとの繋がりが生まれたのは確かだ。そこから自分が何かを分け与える術があることも分かった。それが何なのかなんて分からなくていい。どうせこのまま何もせずに居れば二人まとめて死ぬだけなのから。
「あ――」
視界に割り込む影は爪の形。頭上に迫る脅威に今さら反応してももう遅い。容赦なく振り下ろされる二秒後の死は眩い閃光に断ち切られた。
「な、ぐ――ッ?」
白一面の視界に響くライオンの動揺と苦悶の声。私は何が起きたか分からずただ優しく胸を押されて反射的に尻もちをつくだけ。不思議と恐怖がないのは希望が叶った確信があったから。
「進化、だと」
呻くようなライオンの言葉が適切だと思う程にカムイに起きた変化は劇的だった。布面積の少なかった衣装は舞台に上がるに相応しい着物姿に変わり、無骨な棍棒を握っていた両手は煌びやかながら鋭い花びらとなった。橙の長髪を振り乱す頭も同様に花びらで飾り、その中央には隈取に似た文様の仮面が張り付いていた。
「シャーマモンからカブキモンに進化した……って要するにどういうこと?」
「契約などなかったはず。貴様、何をした?」
「私が知る訳ないでしょ、ライアモン……って言うんだ」
急に頭に流れ込んできた情報も咀嚼できていないのに、私の策が想定通り運んだなんて思われるのは心外だ。過大評価に慣れてない身としては心臓に悪い。最初から諸々の事情を説明してほしかったのは寧ろこっちなのに。
「カミガカミカミ。カミガカカミカミ」
そんな不安が小さく思えるのは、進化したカムイが私の前に立ってくれているから。カムイ自身も気が大きくなったようで「神の御前だ。私が相手になろう」とか言っている。……なんとなくそんな気がしたが間違ってはいないはず。少なくとも、前よりはニュアンスは正確に掴めるようになったという暖かな確信がある。
「ほざくな」
ライアモンは口調では隠しきれない苛立ちをタテガミに溜めた電撃として放つ。間違いなく大木に穴を穿ったのと同じもの。直撃すれば今度こそ燃えカスになるけどもう恐怖心なんてなかった。
「カミカミミミ」
電撃を真正面から貫く閃光。おそらく「桜吹雪」と言いたかったカムイの両手から放たれているその光は眩く、鋭く振り払う所作は時代劇で見た侍を思い出した。
「ぎッ、が………」
はらりとライアモンの足元に落ちるのは焦げ落ちたタテガミ。電撃の発生源だったそれを失ったのなら残るのは野生の肉体だけ。タテガミに対する拘りは技に必要なだけでは語れないものだと、屈辱に満ちた表情から簡単に読み取れる。ライアモンにとっては品位と誇りを傷つけられたに等しいようだ。
「ぎッ、さまあああッ!」
だからカムイが首を振り回して髪を振り乱している姿は挑発という言葉には収まらなかっただろう。あからさまに見せつけるようなその動作が侮辱に繋がると確信したのはカムイが先か私が先か。そんなことは今の私達には意味のない差異。重要なのは頭に血が上ったライアモンが考えなしに突っ込んでくるということだけ。――この動作が大技のための予備動作だとも知らずに。
「カミミミ」
「連獅子」
首を振り回すと同時に面を中心に回転していた顔の花びら。一枚一枚が研がれた鋭い手裏剣に等しいそれらが一斉に放たれる。標的は真正面から近づいてくるライアモン。状況が整えば結果は見えている。カムイに忍者の役の経験が無かろうとも全弾命中しかあり得ない。
「が、ァ……」
ライアモンの爪は私にもカムイにも届くことはなく、花びらに彩られた身体は目の前で崩れ落ちる。どの刃が致命傷に至ったかは分からないしどうでもいい。ただ私がカムイの力になれてこの危機を乗り切ったという事実だけで満足だった。
「カミ! ア、カミィ!」
「うん、すごいね、カムイ……」
大仰な動きで勝利の舞を踊るカムイを身ながら私はただ地面にへたり込んで笑う。残念だけど四肢はすぐに動かせそうもない。必然的に視界は固定されて残った二種類の死骸がちらつく。別に見ても吐き気を催すことも無くなり、ただどうしたものかという溜息しか吐き出せない。
男性の方はせめて埋めて墓でも作るべきだろうか。もしかしたら彼の知人が見つけるかもしれないからせめて目立つ場所には動かしておいた方がいいか。私が思案を巡らせる対象を絞ったからか、空いている方にはカムイが向かったようだ。殺した相手とはいえ同族の亡骸の扱いは任せた方がいいだろう。薄々どう処理するかは読めるようになってしまったけどそもそも同情の余地はないし。
「カミング」
「手際がいいね。次はこの人を運ぶのを手伝って」
少し申し訳ないけれどとりあえず無事な大木に置いていこう。そう結論付けて立ち上がる頃には処理を終えたカムイが戻ってきた。どんな手品を使ったのかは分からないがライアモンの死骸はきれいさっぱり消えている。正直驚いたけれど彼にその手品を使うのだけはなんとなく避けた。
カムイが肩を貸してくれたから男一人運ぶのは楽だった。大木の近くに寝かした後、反応のない身体に頭を下げたうえで物色させてもらった。何せこっちには有用な情報は一切ない。彼も私と同じようにこの世界に来たのなら何かしらのヒントがあるはず。
「だめ、か」
浅ましい考えすら神様は許してくれないのか成果はゼロ。死人に口なしという言葉の重みを今日ほど痛感したことはないし、したくもなかった。
「でもこの世界にも他に人間が居ることが分かったのは大きいよね、うん」
根がネガティブなので強引な結論だということは百も承知。それでもこう考えないとやってられない。もう運悪く拾ってしまった命だと諦める気にはなれない。今度の人生は悔いなく自分達の思うように生きたいと望んだっていいはずだ。
「カムイ、他に人間を見たことない?」
「カミィ……」
カムイの存在と繋がりはそのうえで一番の武器になる。語彙以前の会話でもニュアンスとイメージが明確になるなら何も問題ない。意識をこの繋がりに集中して、カムイが遡っている記憶を参照する。その過程で私の記憶もカムイに流れているようだけど今回はそれが上手く作用した。――作用してしまった。
「えっ……せん、ぱい?」
「カム、ミィ?」
カムイの記憶には私のよく知る人の姿があった。高校まで同じ学び舎に居た一つ上の芯の強い女性。面倒見の良さから臆病な私を何度も助けてくれた人。頼りになるけれど温室育ちを隠しきれない彼女が、サッカーボール大の虫とともに山を登っている姿を遠目に見ているビジョン。私にはそんな記憶も想像できる発想もない。なら必然的にそれはカムイの記憶だということになる。つまり、それは先輩もこの世界に居るということになる。
「待って、うそ……本当に、居るの?」
歓喜と疑問と心配と困惑がごちゃ混ぜになって感情がまとまらない。迷路をあてもなく走り回って無駄に発生した熱がさらに思考が鈍る。元々あまり考えるのは得じゃない方なのにそれでも少ない脳の容量を無駄遣いしてしまう。
「え、あ、なん……え……」
「カミッ!?」
そして私の意識は持続限界を迎えた。最初からキャパオーバーしているのを冷笑と恐怖と高揚感でなんとか繋いでいたんだ。このタイミングで特大の爆弾を落とされたのなら電源が落ちるのも時間の問題だった。――そういえば男の人を担ぐときに何か落ちていたような。なんでアレを見なかったことにしたんだろう。
再起動した私はカムイの記憶を頼りに先輩を探してみることにした。ただ手がかりがカムイが数日前に見た場所がどこかということしかないため、必然的にカムイのここまでの足跡を逆に辿ることになる。Uターンする形になるのが申し訳ないけどそこはカムイの純真さに甘えることにした。
さて二日間歩いてきた成果だけど、結論から言えば現状新たに得られた手がかりはゼロ。それを頼りにするほど期待はしていなかったけどゼロイチの差は精神的に大きい。頭にちらつくだけで足取りが重くなるし身体も重くなる。そのせいか必要以上に休憩を挟むことになったのも影響しているだろうけど、それはもう必要経費として割り切るしかない。その代わり意図せず減った時間はあった。
それは食糧確保や水分補給の時間。流石に皆無という訳にはいかなかったけどそれはカムイの分を確保する時だけ。大枠とはいえ同族を食らうことが必要な生命体のようで、何度か襲われたところを返り討ちにしては報酬として食べていたようだ。あのライアモンの死骸の処理もそうやって済ませたのだろう。
一方で私については何も取り込む必要が無くなっていた。常に倦怠感のようなものが少しずつ重くなっていたけれど、それを補う手段にはならないことはなんとなく分かっていたから。
「あとどれだけ歩けばいいのやら……」
壁に背を預けて現状への本音を吐き出す。森を抜けて出たのは倒壊した建物と瓦礫の山。辛うじて原型を留めている廃屋に潜り込んで腰を据えて分かったことがある。屋根があるということの安心感は凄い。
「カミィ……?」
「カムイのせいじゃないから気にしないで。そういうレベルじゃないし」
流石にここで永住する気はないけど少しくらい落ち着いた時間を過ごしてもいいはず。心配そうに肩を寄せるカムイに見栄を張る余裕が私にできるくらいなんだから、カムイにもいい効果があるはずだ。特にメンタル方面には期待したい。変な新興宗教に嵌っているようにしか見えないのが唯一の欠点だから。
「カミ……」
「神様、か。……もし居たとしても、きっとカムイが信じるに値しないものだよ」
いや、もう一つあった。何をとち狂ったのか私なんてのをカミなんて呼んでいることだ。私が思うに神様は意外とマネジメントが不得手なんだ。なんせ私なんかに余剰のリソースを割り振って放置しているのだから。だから盛大な勘違いが生まれたままここまで来てしまった。
「私さ。潰れたはずなんだ」
「カミ?」
「うんと高いところからぴょーんと飛び降りて、こう、べしゃっと。空を舞った時にしちゃった後悔もまとめてぐちゃぐちゃになったはずだった」
私にできることなんて話相手に通じるか分からない自分語りくらいしかない。それも構ってちゃんの自傷行為だけ。恥部を晒す割には盛り上がる可能性は皆無だから無意識に早口になるのはご愛敬。どうせどう隠したってカムイには筒抜けになるだろうから。
「この二日間で分かったと思うけど、私は臆病で優柔不断なんだ。選ぶまでの間も選んだ後も全部無駄にする。そんな私を構ってくれる先輩が居たんだ」
直接関わったのは高校で部活動が一緒になったときからだけど、一方的には知っている程度には有名人だった。正確には奇特な有名人と喧嘩している姿をエスカレータ式の学校でよく見ていた。だから第一印象は正直怖かったし、いざ部室に入るときはどれだけ厳しい目を向けられるのか不安で仕方なかった。
実際に話してみたら、それが杞憂だってことはすぐに分かった。ただ普通に真面目で面倒見のいい人で、こっちが胃の調子も心配するくらいだったから。私が気に入られたのは真面目ではあったからだと思う。不真面目極まりない実の妹よりは可愛く見えただけだろうけど。……家に招いてもらって個人的に勉強を見てもらったときに、彼女に帰って来ないように厳命していたのは流石にやり過ぎだと思った。
「先輩には心から恩を感じてたけど、本当は少し鬱陶しく思っていた。年一つしか変わらないのに、口うるさいお母さんみたいで嫌だった」
思えば違和感の始まりはその当たりだったかもしれない。部活動でも私は先輩とセットというか腰巾着扱いされていたし、急用でもないのに私のクラスにわざわざ来ることもあった。友達が居ないのは私じゃなくて先輩の方じゃないかと疑ったけど、あり得ない前提を疑おうとする自分のことが嫌いになるだけだった。そんな先輩とある意味対等にやり合ってる妹を見てて思ったんだ。このまま一緒に居たら自尊心が保てなくなるって。
「自分は本当は独りでもやれるって思いたかったんだ。でも実際に逃げてみたところで何もうまくいかなかった」
だから進学の前例のない大学への外部進学を選んだ。先生方や両親にはだいぶ無理を言ったけど初めて自分が選んだ道だという自信が上手く働いたと思う。受験に費やした時間が私にとっての絶頂期だった。そして、進学後に見事に転落した。
「一丁前に罪悪感もあったのかな。悪い狼に食べられても初めて自分が選んだ責任と誇りを言い訳にして、最後まで鳴き声一つ上げられなかった」
新しい場所で新しい人脈を早々に作れる性格と経験値を持ち合わせていたらそもそも外部進学を選ぶ必要がなかった。怯える小鹿でしかなかった私は甘い言葉に誘われて、自尊心を潰されるとはどういうことかを思い知った。
「それでも自分が惨めだと知られたくなかった。……少し違うかな。あの人が惨めな自分に向けるだろう視線に耐えられなかったんだ」
残ったものを自尊心や意地というには破片が細かすぎた。大半のことがどうでもよくなった私に方向性を与えるのはそれだけしかなくて、恥辱に対する嫌悪感に突き動かされるまま空に逃げた。その場所に昔の学び舎の近くのビルを選んだのは今になって思えば当てつけだったかもしれない。
「要するに、言いたいこととしてはね……宗旨替えした方がいいよって忠告……てわっ」
恥部を晒したのを反芻して顔を赤くする時間すらなかった。のしかかるカムイの重量に流されて私は背中から倒れる。顔が仮面に隠れていても、そもそも胸に埋めているため顔が見えなくても温もりだけで私には十分だった。
「……本当にいい子だね」
今さらになって先輩の気持ちが分かるような気がした。
五日経ってようやくカムイが先輩を目撃したのに近い風景が見えたような気がした。普通は険しい山道もカムイの背負ってもらっているから楽ができている。悪いとは思ってはいるけど筋力や歩幅の差はどうしようもない。それ以前の問題として、日常の動作に支障が出るレベルにまで身体に力が入らなくなっていた。
「カミ……?」
「うん……まだ大丈夫だから」
自分の身体のことだ。どれだけ間抜けだとしても異常性と限界くらいは分かっている。何も栄養を補給できていないのだから身体にガタは来るし、動かすためのエネルギーも枯渇する。それを補給する術がないと分かっていたから、カムイの休息以外に時間は使わずに強行した。
最初から限界は決まっていたから、唯一の心残りに対する数少ない手がかりだけでここまで突っ走ってしまった。いつもそうだ。根は臆病な癖に考えなしに飛び出してたいした成果も得られずに後悔する。それが分かっていながら敬虔な信者を足に使うなんてまったく酷い神様だ。
「ごめんね」
「カミカミ」
この自嘲すら見透かされているのに吐き出してしまう自分も、それでも付き合ってくれるカムイもどうしようもない馬鹿だ。仕方ない。せめて信者のために何かしらの痕跡を見つけたという実績と自信くらい恵んであげたい。
「……カミ!」
「ん……なに?」
そんな願いが通じたのかカムイが今まで聞いたことのない調子で声を荒げる。いつのまにかぼやけてた意識は引き戻されて視界はこれ以上なくクリアになる。
「え?」
奇跡は私の望み通りに起きてくれた。でもそれは私が一番望まない形だった。
「あ……」
山道から開けた小川の畔で先輩は眠っていた。その胸元には大きな蜂に似た機械が跨っていて、その口元は先輩の首筋から何かを啜っていた。その光景が何を意味しているかが分からないほど私は間抜けでも楽天家でもない。
「せん、ぱい?」
劇毒のような刺激が鈍っていた思考を冴え渡らせる。沸騰するような熱量で回路が覚醒する。思い出すのは同じように倒れている男子高校生と彼を咥えていたライアモンの言葉。
――この男ですら最初くらいは目的意識に満ちて生気があったぞ
彼の目的意識は私の「先輩に会う」という後付けのものではないもっと強固なものだったはず。少なくとも自覚なく迷い込んだ私とは明確にモチベーションが違っていたのは間違いない。彼が下限のような言い回しだとすれば、例外なのは私の方ではないか。だって普通の人間は喉も乾くし腹も減る。栄養を補給する手段が無く内部のエネルギーを使い潰すしかできない生命なんてすぐに破綻する。
「あ――」
そもそも今いる私は何なのか。何故私はここに居るのか。いつのまにか考えても無駄だと諦めていた疑問のヒントは私が死ぬ寸前にあった。死んだ瞬間のことなんて思い出したくもないから見ないふりをしていた。
飛翔など期待せずに踏み出した一歩。走馬灯を見ないという願いが叶ったのか想定より早く地面が迫り、消失する意識の端に割れた板切れと私の死体を見た。
――契約などなかったはず
契約相手が死人という例外なのだから、カムイがカブキモンに進化したのも例外で、本来は何かしらの契約が必要だったのだろう。多分それに必要だったのが結局拾うことすら忘れた彼の遺失物で、先輩の左手に転がっているカードだ。そして、それは確かに私が死ぬ間際に見た板切れに似ていた。
先輩は何らかの目的意識を持ってこの世界に来て、契約によって戦う術を得た。その目的が自殺した私に絡んだものであると考えてしまうのを自意識過剰だと誰が笑ってくれるのか。
やっぱり私の選択はいつも間違いだ。悪趣味な神様はこういう時だけ意気揚々と罰を与えてくる。
「カミッ!!」
「――うぁっ!?」
足を止めるのも選択だということを思い出したのは、カムイの背から落とされて背中を土に打ちつけたときだった。言ってしまえば手遅れ。転がる視界の中でカムイの腹を一筋の光が貫くのが見えた。
「カムイ!」
重い身体を強引に動かして、目の前に転がってきたカムイに寄りかかる。傷は深いどころか脇腹が抉られている。普通の人間なら即死してそうな重症でも息があるのが幸いだと思いたかった。
射手は間違いなくあの蜂の機械。貫通力はライアモンの電撃の比ではなく、両手の光線でも相殺しきれなかった。幸いなのは次弾が早々に来る予兆はないこと。というのも先ほどは反射的に撃ったものの、こちらを敵として認識して仕掛けた訳でもないらしい。追撃も索敵もせずに先輩の頭上を浮遊している様は不自然でどこかバグっているようにすら思えた。この際理由はどうでもいい。確実なことはこの時間だけが神様の最後の気まぐれだということ。
「……大丈夫だから。絶対に、大丈夫だから」
どれだけ間抜けな私でも選択肢が一つしかないことくらいは分かる。そもそも最初に例外的な契約とやらを結んだ段階から行きつく先は決まっていたのだから本当に酷い話だ。
カムイとの繋がり(パス)を意識する。他の例を詳しくは知らないからどの辺りが例外的なのかは詳しくは分からない。それでも純粋な精神面での繋がりが強固なことが強みだということは分かる。難しいことなんて何一つない誰でもできる簡単な役割。元々ある私からカムイへの流れを限界まで加速すればいいだけの話だから。
「カ、ミ……カミ!? カ――」
「無理に、喋らないで。酷いことだって……私だって分かっ……て、るんだから……」
ああ。今だけは先輩の意識が無くて良かったと、神様に中指を立ててやりたい。いっそ先輩にも中指立ててやろうかな。だって私はあなたの想像以上に悪い奴だったんだから。裏であなたの妹に……鈴音に何度も愚痴っていたし、鈴音に振り回される姿を見て他の人達と一緒に笑っていたんだから。……だから、たまには私にも助けさせて欲しかったな。……うん、そうか……憧れてたのかも……だから、死なないで欲しかった、って……私が言えた義理じゃ……な……
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X-Traveler Episode.EX "Missing a heart"
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神崎舞の身体を構成していた自己組織化演算端末(セル)が離散すると同時に、彼女にカムイと呼称されていたカブキモンは次なる世代への進化を果たす。それは刃で構成された身体に布を纏わせたと思えるほど細身な異形の吸血鬼。破損した契約端末(X-Pass)と疑似的に同化していた神崎舞が居れば、マタドゥルモンという種に進化したと記憶にない情報に困惑していただろう。彼女の記憶と資源は既にカムイもといマタドゥルモンへと吸収されており、彼女に与えれていた行動方針も消失した。残るものがあるとすれば、彼女の心情と己の身体に傷を負わせた相手に対する敵意のみ。
「セン……パアアアアッ!!」
疾駆する赤い閃光。風に飛ばされるのではなく風より速く標的へと走る。まるで布をちらつかされた猛牛のように怒りと本能を叩きつけるまでは止まらない。
「テキ!?」
標的たる蜂に似たマシーン型デジモン――ワスプモンは動いた瞬間にその気配を察知していた。思考能力に負荷が掛かっている状態でも反射的に尻の砲口で撃ち抜いた相手だ。明確な敵意を見せればその段階で警戒対象に自動的に判定して集中砲火を始める。
ただ安易に狙いを定められるほどマタドゥルモンは鈍重ではなく、射線上には障害となる木々が連なっている。ただ障害になるだけならいい。木々はマタドゥルモンにとっては格好の足場となり、徐々にその身体を空へと舞い上がらせる。
「ムシニデモナッタツモリ?」
高所の優位性を取り戻すため、ワスプモンは肩の推進器を全力で稼働させて急上昇。ただその判断に至るには一手遅く、そう動くことはマタドゥルモンの想定の範囲内だった。
「サウザンドアロー」
その言葉とともに頭上から降り注ぐ刃の雨。ワスプモンが急ブレーキをしようとした瞬間に推進器やその制御装置ごと肩を貫かれる。
「ミ……ヅ……」
「サヨナラ」
ふらふらと浮上するワスプモンの最高到達点。その目と鼻差には樹上から今飛び出さんとするマタドゥルモンの姿があった。
「チョウゼツラッパシュウ」
全体重を乗せた蹴りは見た目以上の質量差をものともせずにワスプモンの身体を跳ね飛ばす。エースストライカーに蹴られたサッカーボールのように宙を舞ったワスプモンの身体はその勢いのまま木々を数本へし折った後、崖底へと落下していった。
「……マタ、シッパイ」
一時間。わざわざ山を下りたマタドゥルモンは念には念を押して探していたようだが諦めたように去っていった。無駄足か道かは別としてその姿勢は賞賛に値する。早々に回収していなければこちらの思惑にも支障が出ていただろう。……悪いとは思っているよ、姉さん。
それからのマタドゥルモンについては特筆すべき事項は少ない。通常の野良のモンスターと同様に戦闘と捕食を繰り返していた。他の個体と違うことがあるとすれば、人間や人間と契約しているモンスターとは極力戦わなかったこと。寧ろ野良のモンスターに追い込まれている人間には味方することも多々あった。
本日の10:35:24.656まではレキスモンと契約していた十六歳の女性と行動をともにしていたが彼女の帰還後に移動を開始。行動原理には対局への影響は極めて低いと判断し観測と調査を打ち切る。――せいぜい舞さんの分まで頑張るといい。
後書き
白状すると投稿できるかどうか怪しいなと内心ヒヤヒヤしながら、一気に書き上げました。これで安心して年を越せます。
「変化」がテーマということですが、実質的な「自殺」の動機の変化を主として、舞の身体が人間のそれで無くなっていたことやその性質を活かした例外的な契約による体調の急速な悪化などを据えていますが、一番の「変化」はカムイことマタドゥルモンの扱いがメタ的に変わったことです。――端的に言いますと、マタドゥルモンは参戦も想定していたものの、展開を進めるうちにボツになった存在です。具体的には十九話以降に出る予定でしたし、この話のような内容も元々番外編として書くつもりではありました。それが諸々の事情からカットすることになったのを、今回の機会に発掘する形になりました。本編に絡むかは別として、羽賀関奈と白霞(羽化石さんを元に作らせてもらったモブ)を助けたマタドゥルモンは元気にしてますってことだけ分かってもらえれば幸いです。……元々ボツとはいえ番外編を持ってくるのがアウトと言われたら反論の余地もないので、タグを外して土下座します。
では、これにて今年最後の後書きとさせていただきます。よいお年を。