あなたは目が覚めると、何か生き物の背に跨がっていました。
きらきらと輝く黄金の鬣に、同じ光を宿した巨大な翼。艶のある栗毛が覆う肢体は、菱鱗の文様が刻まれた真鍮の鎧に覆われています。
あなたが乗っているのは、所謂“天馬”……ペガスモンと紹介しておきましょう。
あなたはペガスモンに跨がり、空を駆けているようでした。
あなたは下界を見下ろしました。
ペガスモンの鎧はつるつるとしていて滑りやすそうですが、ペガスモンは馬というよりもマンモンを彷彿させるほどに大きく、背中の広さもさることながら、ペガスモン自身の巧みな体幹コントロールにより、多少身体を傾けたところで落ちる心配はしなくて良さそうです。
眼下には、灰色の大地が広がっていました。
建物どころか動植物の気配すら無い、立ちこめた雲との境目すらひと目では分からない、気が遠くなる程灰色一色の高原です。
当然、あなたはこの景色に見覚えはありません。
とはいえあなたには「今、自分は夢を見ている」という自覚があり、広がる景色を多少不気味に思いこそすれ、ペガスモンに跨がっての空の旅という状況自体を、不思議に思う事はありませんでした。
ただ、そうやってゆったりと構えていられたのは最初の内だけでした。
ペガスモンは突如として高度を上げ、雲を突き破り、青空の海を抜け、ついには星の瞬く暗がり、即ち宇宙にまで飛び立ったのです。
成層圏を抜けても、あなたの身体に異常はありません。
地球? を出てそう時間も経っていないのに、今では月が目前に迫っています。とんでもない速さです。にもかかわらず、ペガスモンの背中は異常なほどに安定していて、あなたは振り落とされずにいるというよりは、振り落とさないよう注意して運ばれているような気になってきました。
あなたはにわかに不安を覚え始め、その正体を探ろうとしましたが、いくら考えても判然としません。
考えていても仕方が無いと、あなたは意を決してペガスモンから飛び降りてみる事にしました。ペガスモンが自分を落とさないよう気をつけているなら何らかのアクションを起こすだろうし、万が一落ちたとしても、きっと夢から覚めるだけだと。
しかしあなたは鎧の上で付こうとした手を滑らせてバランスを崩し、立ち上がれすらしないまま手首を捻ってしまいました。
しかも大人しく自分に跨がっているだけだと思っていたあなたの急な行動に、ペガスモンはあなたの心境の変化に勘付いたようです。
海を思わせる深い青色の瞳でペガスモンはちらりとあなたを見やり、小さく、そして、どこか嘲るように嘶きました。
その鳴き声の不愉快さといったら、まるで磨り硝子を引っ掻いたかのようです。
あなたは不意に、悪寒と共に、昔耳にしたスコットランドの伝承を思い出しました。
ケルピー。
立派な馬の姿で人の前に現れ、跨がった人間を水の中に引き摺り込みその肉を貪り食らう、馬の妖精についてです。
ペガスモンとケルピーは全く異なる馬ではありますが、このペガスモンはやはり、悪意を以て自分をどこかに連れて行こうとしていると。あなたは半ば直感的に確信します。
逃げ場の無い宇宙空間の、何処へ?
あなたがそんな疑問を抱いた、その時でした。
あなたの焦燥や恐怖を駆り立てるように、美しい天馬の姿をしていた筈のペガスモンが姿を変え始めたのです。
その姿は、シルエットだけはX抗体を得たペガスモン、ペガスモンX抗体に似通っているように思えました。
しかし変貌した黄金の鎧は豪奢ではあるもののあらゆる幾何学を無視した禍々しい形状にねじくれており、今や鎧と一体化した翼、そして瞬く間に真っ白に染まった鬣からは、幽鬼じみた火と共に霜と硝石がぼろぼろと零れています。それらを辺り一面にまき散らしながら、ペガスモンは更に加速を始めたのです。
気付けばペガスモンの耳は長く伸び、さながら、蝙蝠の翼のようになっています。
あなたは思わず悲鳴を上げそうになりましたが、どうにか堪えました。
今はこの悪意ある乗用馬から逃れなければという気持ちが何よりも勝ったのです。
ひとまず、馬である事は間違いないのだからと、あなたはテレビや漫画等で見た騎手達を真似て、手綱の代わりに力一杯ペガスモンの鬣を引っ張りました。
霜と硝石に塗れた鬣はざらざらとしている上に冷たく、この上なく嫌な手触りですが、不快なのはペガスモンも同じようです。例の磨り硝子を引っ掻くような嘶きと共に、ペガスモンはぶるんと頭を振るいました。
このままペガスモンの気を引き続ければ、ひょっとすると、自分を連れて行くのは諦めてくれるやもしれないと。
とはいえ騎乗の心得が無いあなたは、むやみに鬣を引っ張り続けてもこれ以上の成果は得られないと、次の手を打つ事にしました。(それほど耐えがたい感触だった、というのもあります)
ペガスモンの真鍮の鎧はあなたの力では傷一つ着けられそうにありませんが、幸い、あなたが跨がっている位置から、露出している首が狙えそうです。
あなたは先程捻っていない方の腕を持ち上げ、唸りをつけてペガスモンの首へと殴りかかりました。
とはいえ武道の心得は、多少知識として持っている程度しか無いあなたです。
その上ペガスモンのテクスチャは鎧に覆われていない部分も固く、ほとんど手応えらしい手応えがありません。
あなたはもう一度、ペガスモンの背から飛び降りてみようと試みました。
しかしやはり、鬣を支えにしても足場が滑って上手く立ち上がれません。
悪態を吐きながら、あなたは半ば八つ当たりの気持ちも込めて生き物を扱うと言うよりは車を乱暴に運転しているかのように、捻りを加えながら思いっきりあの硝石まみれの鬣を引きました。
ペガスモンは先程よりも苛立たしげに、ぎぃいと耳障りな嘶きを上げています。
と、僅かにあなたが勢いづいた、その時でした。
ペガスモンの不快な嘶きに混じって、わずかにじりり、じりりりと、普段はあまり良い感情を抱けない、しかし聞き慣れた、確実にあなたの日常を彷彿とさせる音が、静寂の宇宙空間にうっすらと、しかし確かに響き渡ったのです。
そうだ。
あなたはふと我に返りました
これは夢、夢なのだ、と。
変わらず、ペガスモンから逃れねばという本能の警鐘は響いたままですが、現実での在り方に囚われる必要は無いと。覚醒を促す鐘の音に、あなたは勇気づけられたようです。
殴りかかっても効果が薄いなら、何か武器が欲しい。と、あなたは強く念じました。
夢の中だからといって、否、悪夢の中であるからこそ、簡単には思い通りにいきません。
しかしあなたはキツく目を閉じ、悪い夢の光景を全て遮断し、鐘の音だけに耳を傾けながら、もう一度だけ武器になるようなものを念じました。
以前、創作のネタ集めと、ちょっとした護身術のつもりで、あなたは長物の扱いを学んだ事がありました。
その影響でしょうか、気が付けばあなたの手にしかと握られていたその武器は、槍の形をしていました。
簡素な、それこそ原始的なつくりの槍ではありましたが、素手の心許なさに比べればなんと頼もしい事でしょう。
あなたはペガスモンの翼に狙いを付け、思い切り槍を突き出しました。
鎧と同化した翼は見た目通り硬く、ざり、とほとんど表面を引っ掻いただけでしたが、拳の時とは手に伝わる感触も違います。
雄叫びを上げ、あなたは今一度槍を構え直し、力の限り突き刺しました。
あなたの狙いが良かったのか、それとも、羽ばたきの周期と攻撃が噛み合った幸運か。槍は鎧の隙間を見事に突き、ペガスモンの肉の部分を裂いたのです。
これにはたまらず、ペガスモンも身悶えしながら、ぎいい、ぎぃぃと忌々しげに啼いています。
もう一押し! と、あなたは槍を更に押し込もうとしました。
が、流石にそう何度も思い通りにさせてくれるペガスモンではありません。
偶然突く事が出来た鎧の隙間は、むしろ持ち上げた翼の力を利用して、槍を押し返してきたのです。
ただ、いよいよ我慢ならなくなったのかもしれません。
不意に、ペガスモンは自らの意志で、ぶるん、と全身を大きく震いました。
真鍮の鎧の上で、踏ん張る事も出来ずに、あなたはあっけなく宙へと投げ出されました。
ついに解放されたのです。
瞬く間にペガスモンはその場から走り去り、さながら流れ星のように遠く、遙か遠くへと消えていきました。
あなたは深淵の暗がりに1人取り残され、その場に留まっているようにも、上か、下か、定かですら無いのに、猛スピードで叩き落とされているようにも感じていました。
そんな中で、あなたは。
どこか遠くであり、そう遠くは無いようにも思える漆黒の向こうに、ペガスモンが自分を連れて行こうとした“玉座”を垣間見たような気がしました。
けたたましく目覚ましのアラームが鳴り響く中、びくん、と大きく身体を跳ねさせた後、あなたはベッドから文字通り飛び起きました。
額からは冷たい汗が滝のように噴き出し、激しく脈が打っています。ぐっすりと眠っていた筈なのに、身体の倦怠感もすさまじいものがありました。
しかし荒い呼吸を整えながら辺りを見渡せば、そこが間違いなく、自分の暮らしている部屋であると、じんわりと身に染みるように噛み締める事ができました。
あなたは夢から覚めたのです。
普段は乱暴に叩いて止めていた目覚ましのボタンをいつもより幾分か優しく押して、あなたはアラームを止めました。
未だに震えておぼつかない足でゆっくりと窓へ歩み寄り、恐る恐るカーテンを開けると、外は雲一つ無い良い天気です。
ここでようやく、あなたは息を吐きました。
あの青を覆う灰色も、あの青の向こうにある暗黒も、ひとまず、今日の日のある内は、どうにか考えずに済むでしょう。
そうしている内に、やはり自分は、ただ、悪い夢を見たのだと。
きっと忘れてしまう筈です。
*
「はい、という訳でシナリオ『悪夢の天馬』、無事クリアとなりまーす」
いえーい、と。ドスの利いた低い声なりにテンションが高まっている事がわかるノリの良い返事が、モニターから私の耳へと届いた。
「はぁ~、良かった、生きてる……。初っぱなからダイスロール失敗とファンブルを重ねた時は、もうダメかと思いました」
「いや本当に、成功したらしたで、逆に1しかダメージが出なかったり……。今回初セッションだと聞いて、かなり難易度控えめ・判定甘めにしたんですけど、それでもギリギリになっちゃいましたね。ちょっと調整ミスだったかもしれないです、すみません」
「いえいえ、むしろ無理を言ったのはこちらなのに、快くシナリオを用意していただいて、GMまで買って出てくださって。こちらとしては、感謝の言葉もありません」
緊張感があって楽しかったですよ、最終盤にはクリティカルまで決められましたし。と、言葉に嘘が無い事を裏付けるように、向こうの表情は朗らかだ。……朗らかだと思う。
とはいえこの数十分で、随分と彼の表情も見分けられるようになってきたような気がする。お助け要素その2(その1は言うまでも無く目覚ましだ)である、MPを消費しての武器の形成成功時に、「バットが話しかけてきた野球選手」みたいになっていた彼の顔の事は、それこそ、しばらく夢に見てしまいそうだ。
「兎にも角にも、楽しんでもらえたならこちらも嬉しいです。お疲れ様でした。シナリオクリアなので、SAN値回復の方とクトゥルフ神話技能の方、両方1D3振ってもらって良いですか?」
「了解です。……1なので、正気度、1だけ減っちゃいましたね。神話技能は、と。うわ、こっちは3出た」
「おめでとうございます(?) あ、そうだ。乗せられていたとはいえペガスモン……シャンタク鳥の上で異次元の騎乗を体験し続けた探索者に、乗馬技能の補正もこっちは1D6プレゼントしちゃいます」
「今後使う機会あるのかなぁ……あ、5だ」
こうしてセッションの後処理も和やかに終了し、改めて、彼と私はお互いお礼と共に頭を下げ合った後、いくらか感想を言い合って、通話を切り上げる事にした。
「繰り返しになりますが、本当にありがとうございました」
もう何度目かも解らないが、彼が大きな頭を下げた。盛り上がった後頭部もたぷたぷと揺れて、本来この部位は厳密には頭ではないらしいとはいえ、脳みそがシェイクされていないか私は若干心配を覚えるのだった。
「小説の方の『悪夢の天馬』を見て、デジモン、それも神聖属性のイメージが強いペガスモンを“あの世界観”に落とし込めるこの方なら! と思わずご連絡してしまったのですが……本当に、勇気を出してお願いした甲斐がありました」
「大袈裟ですよ。小説は趣味に過ぎませんし、シナリオに至っては書いたのはまだ3回目、多分GMとしても拙かったと思います、けど……でも、ちょっとでも楽しくあなたが“元ネタ”を体験できたなら、シナリオ作者としてもGMとしても冥利に尽きます。こちらこそ、ありがとうございました」
「いえいえ、こちらこそ……って、キリが無くなっちゃいますね」
今度こそ、この辺で。と、尚も名残惜しそうに通話を切ろうとして。しかし「最後に1つだけ」となんだか特命の係みたいな事を言いながら、彼が左手の触手の内1本を立てた。
「? はい、何でしょう」
「どうしてペガスモンだったんですか? さっき見せてもらった本家のシャンタク鳥のイメージに、確かに、要素だけを取ったら似てはいますけれども」
「あー、それはですね」
私は向こうに、デジタルモンスターのアーカイブから拾ってきた、ペガスモンの図鑑説明文を送信した。
「ほら、必殺技の説明文。『シューティングスター』のところに「両翼の内側に宇宙空間を作り出し、流れ星を打ち出す」ってあるでしょう」
「本当だ。……つまり、ペガスモンが必殺技を撃つ度に、宇宙が生まれ、滅んでいると……?」
「文面通りに信じるなら、ですね」
「……」
「宇宙ミケモンになっちゃった……」
こうして今度こそ、私は数年ぶり人生3回目のGMとしてセッションを終え、彼との通話を終了した。
「……」
モニターいっぱいに映し出されていた、彼の姿を思い返す。
「名状しがたき……病毒じみて青ざめた……全身が悍ましく蠢く……」
クセのように描写を試みて、しかしすぐに取り止める。
自分の“元ネタ”を“元ネタ”に翻弄される側の気分で味わってみたい、と言って、私のような辺境の底辺デジモン小説文字書きを頼ってきたような彼だ、きっと嫌がりはしない、むしろ喜んでくれそうな気もするぐらいだが、なんとなく、私個人としてそうしないでおこうと思ったのだ。
彼が自分と“元ネタ”を同じくする世界観のゲームに一喜一憂していた姿は、彼を“元ネタ”の存在と半ば同一視していた私にも新鮮なものだった。
彼が“元ネタ”に詳しくないように、アーカイブで調べて気でいても、私自身、個人なる個デジモンには、感心を向けていなかったなぁと。
“深海の破戒僧”などという物騒な呼び名で知られている、恐ろしい容姿の種族ではあるけれど。
彼個デジモンに関しては、本当にいいデジモンだったな、と。心から思う。
身内との盛り上がりで調子づき、野良で宅を立ち上げ2度目のGMを務めたセッションをマンチに荒らされて以来、折角ルールブックを買ったにもかかわらずこのゲームから遠退いていたけれど――また遊んでも良いかなと、そう思える程度には。
我ながら、単純な話だが。
誘えばきっと、彼も乗ってくれると思う。シナリオをひとつ生き延びた探索者の事も、また動かしてみたいだろうから。
今度は気心の知れた友人を誘って、複数人でやるのもいいかもしれない。
ダゴモンとやるクトゥルフ神話RPGだなんて、あの日一緒に盛り上がれた友人達なら。きっと今でも、喜んで飛びつく筈だろう。
あとがき
ぼく「はぁ~年末という事で(年末という事でなのである)性懲りも無くクトゥルフパロ書いたけど、ど~にもだなぁ……せや、ダゴモンとセッションにしたろ」
という訳でこんにちは。連日の水仕事で指が全部あかぎれになりました。冬場はコレが一番怖いですね。快晴です。
この度はクトゥルフ神話RPGシナリオ『悪夢の天馬』のリプレイを読んでくださり、まことにありがとうございます。どうにか2作目間に合いました。
本作は上述の通り、クトゥルフパロ小説を書いたところから、セッション編も何度かの没を挟んでリプレイ全振りに落ち着きました。
シナリオ(とはいっても、10ラウンド設けて、GMに対するリアル言いくるめも含めてあらゆる手を使ってシャンタクペガスモンの気力を半分以下にすればクリア、みたいな簡単な内容です)と探索者シートを用意して、本当にダイスを振って書き上げた形です。「ここの出目良かった/悪かったんだろうなぁ」等、その辺にも注目しながら読み返してもらうのも一興かもしれません。
企画のテーマである『変化』の要素はズバリ、「ダイスの出目で『変化』する結末」です。前作といい、今回の企画で遊んでばっかりだなコイツ……。
一応セッション振り返り時に触れた通り、語り手の心境の変化もうっすら入っていたりします。セッションをマンチに潰された後「全然面白くなかったな」とか吐き捨てられると心が折れるから、これからは気の合う仲間と楽しく遊べるといいね……。
最後にダゴモンの用意した探索者シートと、語り手が書いたペガスモンクトゥルフパロ小説(ようするに没にした初稿)も、折角なのでおまけとして置いておきます。
探索者シートはシナリオクリア後のもので、ご希望があればご自由に使ってもらっても構いません。ルルブは7版を使用していますが、信念/イデオロギーは今回はちょっと端折ってあります。好きに味付けしてくれて構わないよ♡
それでは、おまけの前になりますが、今年も大変お世話になりました。
改めて、ここまで読んでくださった皆様と、素敵な企画を用意してくださったへりこにあん様に最大限の感謝を。
本当にありがとうございました!
来年度もよろしくお願いします。
*
おまけ1
探索者シート
・船御 陀吾作(センギョ ダゴサク)
STR(筋力)55(11)
CON(体力)35(7)
POW(精神力)60(12)
DEX(敏捷性)50(10)
APP(外見)50(10)
SIZ(体格)85(17)
INT(知性)65(13)
EDU(教育)45(9)
LUK(幸運)45(9)
年収 700万 財産3500万
SAN(正気)59
IDA(アイデア)65
KNOW(知識)45
HP(耐久値)12
MOV(移動率)7
MP(マジックポイント)6
ダメージボーナス +1D4
ビルド 1
職業 作家
信用 20%
オカルト 45%
芸術/製作(文学) 55%
心理学 40%
図書館 20%
歴史 20%
母国語 50%
他の言語 1%
聞き耳 60%
運転 40%
言いくるめ 65%
近接戦闘(槍) 40%
目星 55%
追加習得技能
クトゥルフ神話 3%
乗馬 10%
実家が太めで家業を手伝っているため安定しているが、本職としている作家としては鳴かず飛ばず。
背が高いが同時に小太り体型。
おまけ2
没小説『悪夢の天馬』
もはや私の精神が正常に作動していると信じる者など居ないだろう。事実として私は酒、時には名を挙げる事すら恥ずべき薬物の力を借りて己の意識を、あの矮小かつ脆弱な、我々が「現実」と呼んで縋る世界から意図的に引き剥がしているのだから。
だが、この虚しい努力がそれでも辛うじて上げていた一定の成果もいよいよ底を尽きようとしている。私は正気を以てこの世界を現(うつつ)であると肯定しているからこそ、微睡みの向こうで不幸にも見出してしまった、暗澹たる無形が座する玉座とか細く単調なフルートの音に、この先永劫哀れな魂を囚われ続けなければならないのだ。
あれの痕跡など、この世に一片足りとも在ってはならぬ!
私はこの手記を終いには火に焼べて、書き記した全てが灰に変わった事を見届けて後、自ら命を絶つつもりでいる。にもかかわらず私が狂える詩人の如く忌まわしい記憶を連ねるために筆を止められないでいるのは、そうしなければもはや己を保つ事すらままならないがために過ぎない。幼気な子供達が天井の染みを指してあれは魔女の横顔だと他愛も無い空想に心底震え上がるのと同じように、私があの日見たものも過度の疲労と寝室にまで忍び込んできた意地の悪い冬の息吹が生んだ幻であると、自分自身に言い聞かせずにはいられないのだ。
そう。夢であれと。この期に及んで意気地無しの私は、あの光景が夢であれと、未だ望みを捨てられずにいるらしい。夢であればどれほど良いだろう! 人間の貧相な想像力は、星の巡りを始めとした数々の要因に掻き立てられればあれほどの冒涜を脳の内に蔓延らせる事もまた不可能では無いのだと。
そうなのかもしれない。そう考える事にしよう。残った酒を煽った酔いが覚めるまでの、今この僅かな間だけでも。
思えば、始まりはそれこそ幼子に読み聞かせる、寝物語と変わらぬ様相では無かったか。
私はあの夜、黄金に輝く天馬を見たのだ。
気が付いた時、私はどうやら洞窟の中にいたようであった。遙か遠方から心許なく射した光に照らされた陰鬱の壁面には、この世ならざる者の悪意ある眼差しを彷彿とさせる黒い縞瑪瑙が描いた渦模様が、憎しみを込めて私を見下ろしているように思われた。
冷淡な鉱物の邪眼に私は年甲斐も無く身を震わせ、一刻も早くこの場を後にしたいと、この異様な暗がりにおいては唯一外界との縁をにおわせるか細い光の下へと一目散に駆けた。気の遠くなる歳月をかけて隆起した悪意ある縞瑪瑙に何度か足を取られかけたものの、無骨に穿たれた洞窟の出入口には想定よりも早く辿り着き、しかし私は外の光景を前に、思わず悲鳴を上げたように思う。
洞窟は切り立った崖、その遙か高所に大口を開けていた。穴から先の道は完全に途絶え、眼窩には空を覆う厚い雲と地平の境界すら定かでは無い程に憂鬱な灰色をした大地が延々と広がっていたのである。
あまりに唐突に突きつけられた高さと異様な景色に私は思わず後退り、ついには腰を抜かしたと記憶している。眼前の下界は地上で知る如何なる土地とも、似ても似つかなかったのだ。現代においても人知れず残された大陸の未開地であればその限りでは無いのかもしれないが、少なくとも私がこれまで生きる上で真っ当に蓄積してきた知識には覚えの無い景色であった。
私は途方に暮れた。崖には足場と呼べる程の取っ掛かりさえ無く、そもそもこの手の岩山を登り降りするための知識や技術も私は有していなかった。だからと言って息が詰まるような縞瑪瑙の嘲笑に晒されながら洞窟の奥へと下る程の度胸も無かった。そうするぐらいなら、一か八かに賭けて洞窟から身を投げた方がましだとさえ感じていたように思う。加えて、漠然と、この場に留まっているべきではないと、心臓が警鐘じみた脈を打っていた事もよく覚えている。
正しくその時であった。不意に何か、大きな鳥が広げた羽で宙を打つ、薄い太鼓にも似た音が耳に届いたのは。
次いで洞窟の出入口に影が落ち、瞬きの後には羽ばたきの音の主がぬっと私の前に顔を覗かせた。驚いた事にそれは鳥では無く、翼の生えた馬であった。
栗毛に白い腹、そして豊かな黄金の鬣を持つ、鬣と同じ輝きを宿した翼の事を抜きにしても、それはそれは美しい馬であった。聡明さを湛えた瞳は海のように青く、私は海神ポセイドーンは同時に馬を司る神でもある事を思いだした。遙か昔、海に沈んだアトランティスの神殿では、きっとこの馬のような名馬が神と共に祀られていたのだろうと。
加えてこの天馬は、翼と鬣にも引けを取らない、見事な細工が施された黄金の装身具に身を包んでいた。脛当てには菱形に切り出した瑠璃が瞬き、胸元には太陽にも似た意匠が施されている。下界に広がる灰の大地からは想像も出来ない、高度な文明を想起させるには十分であった。
天馬は蹄の音を洞窟内に甲高く反響させながら、悠然と私の方へと歩み寄ってきた。か細くしか感じられなかった外の光が今では天馬の影を克明に照らし出し、東洋の神像が背負う後光を彷彿とさせる神々しさを帯びていた。
私はどうにか身を起こし、縋るように天馬へと歩み寄った。すると天馬は身を屈め、乗れと言わんばかりに額当てに覆われた頭を小さく振ると、磨り硝子を掻くような声でか細く嘶いたのである。
それからはあっという間であったと思う。私は天馬に跨がり、天馬は元来た道を引き返し、2、3翼で洞窟の床面を打つと胸の悪くなるような曇り空へと飛び立った。
天馬が翼を打つ度に、羽根の代わりに星が零れた。その度に宙を蹴った蹄は音も無く空を駆け上り、ついには雲を突き抜け、地上の灰を全て彼方へと置き去りにし、いつしか天馬は深淵の合間を縫うようにして、星から星へと夜空を駆けていた。
かつて耳にした御伽噺には星間を征く黄金のガレー船というものが登場したが、まさか金の馬までもが星々を跳ね回るとは太古の人々も想像だにしなかったに違いあるまい。
私は胸を高鳴らせていた。天馬は不吉を孕んだ彗星もかくやの速さで何光年もを抜き去り続けたが、振り落とされるだとか、その手の心配がけして脳裏を過る事は無かった。天馬は明らかに人を乗せて走る事に慣れていて、私はその早駆けに迂闊にも我が身を委ねきってしまっていたのだ。
ああ、なんと愚かであったのだろう! 私は天馬の鬣から手を放し、底知れぬ闇の中へこそ身を投げるべきであったのだ。知らぬ訳では無い、グレートブリテンの水辺に潜む悍ましい馬の怪異。背に跨がった人間を悉く水中に引き摺り込み肉を貪る水妖ケルピーの伝承を。いかに荘厳な姿に文明を感じられようとも、人知を超えた生命には、必ずや人が知るべきでは無い暗礁が付き纏い、ましてやそれが宇宙の果てに関わるものであるのならば、それはけして人の身で覗き見て良いものではないのだ。
狂ったリズムで打ち鳴らされる下卑た太鼓、そして単調なフルートのか細い音色に微睡む無形の混沌、盲目白痴にして万物の王、時間すら超越せし深淵の影。
にゃる・しゅたん! にゃる・がしゃんな! おお、忌まわしくも歴史から削ぎ落とされし暗黒のファラオよ、何故私を眠りから目覚めさせたもうた。帰したもうた。やはり私にはとても、あの時目の当たりにした生きとし生けるものを冒涜する玉座についてを書き記す事は出来ない。この世に残す事は許されない。だがもはや何も知らぬ体では生きられない。宇宙の何処かに何れ目覚める魔王が座すと、私は知ってしまったのだから。
天馬が羽ばたきの度に零していた星を思い出す。星が零れていたのだ。あれは翼の狭間に、天の暗澹を生んでいたのだ。我々が天体と呼ぶ彼方の漆黒すら、天馬が羽ばたけば零れる塵芥に過ぎないのだと。
何故私は目を瞑ったのだろう。天馬を神々しいと、良きものであると持て囃した私は、しかし天馬の耳にあたる部分が、暗がりを飛び交う夜の使者、蝙蝠の羽と全く同じ形状をしていると、確かに気付いていた筈なのに。
磨り硝子を掻くような嘶き。霜と硝石を降らす巨大な翼。羽毛ではなく菱の鱗を施した、真鍮の鎧に覆われた身体。鬣を持つ馬の貌。
三眼が燃えている。かの混沌に奉仕する種族を、畏れ多くも夢の世界に神秘を見出した思想家達がこう呼んではいなかったか、シャンタク鳥と。
外宇宙から人を浚う漁師がごときかの者達が、哀れな獲物を納める先は。死霊魔術が慈悲深くも覆い隠した王の名は、ああ、ああ――ああっ! 火を、火を! どうか。あの眼よりも明々と燃える火を!
もはや救いは、忘却に求める他に無い。