『うっわやっべ……今轢いたのミッチー先輩じゃん、スケボーで追いかけて来てるんだけど逃げればいいよ、ぬぁ!? ガソリン切れた! うわ、どうしよ!? みんなどうする!? ミッチー先輩の好きなものって何!?
『……三輝は陽都出身? 三輝は特撮ヒーローも好き? よっしゃ、じゃああれ、ちょうど犯罪帰りで名前隠して覆面してるし、陽都のご当地ライダー的なのとか名乗ろ! 任意の名前キャラの上表示するコマンドなんだっけ。あと、あー、陽都ご当地ライダー知らんから名前もよろしく。ゾネ……? ディコット? 文字数考慮してディコットで行こう』
『観念したかこの野郎!! 治療費払え!! ディ、ディコット!?』
『やぁ、陽都の良い子の味方、ディコットだよ(裏声)』
『……ふふっ、ほ、本当に、んふ、ディコットなのか?』
『もちろんさぁ、怪人を追っててはねちゃった⭐︎ ごめんね⭐︎ あと、ガソリン持ってない?(裏声)』
『俺達のディコットは人を撥ねてそんな簡単に済まさねぇ!!』
『ぎゃー!! バレたぁ!!』
『ディコットはガソリンをせびらねぇし! ディコットは良い子だけの味方じゃねぇんだよぉ!!』
『やべぇやべぇ、解釈違いだったっぽい』
『ディコットはね、目出し帽なんて被らず、変な裏声でもなく……』
『マ、マキ○さん!? あ、ダウンしたぁ!!』
『自由で、なんというか救われてなきゃあだめなんだ』
『いや、ゴ○ーちゃんだ。んふふっ、なんでゴローちゃんしてんのこの人』
『急に雑ディコットしてくるやつに言われたくねぇよ!!』
タブレットには三輝と同じ事務所の後輩のゲーム内でのやり取りを編集した動画が映っていたが、猗鈴と杉菜は映ってるのがどういうゲームかもわからないしモノマネしてるらしい部分の元ネタもわからないので何を言っていいかわからず、理解してふふと笑っている盛実をよそにちらりとタブレットを持つ便五の方を見た。
「……とりあえず、彼が元気に仕事されてる様でよかったなとは思うんですが、なぜこれを?」
妖狐と味噌美の依頼から、そして軽井未来が本庄義輝に襲われてから一週間が経っていた。
「ディコットの知名度が急上昇してるみたいなんです。今までは謎のヒーロー、陽都の仮面ライ○ーみたいな感じだったのが、近所のおばちゃんの世間話にも出てくるレベルで」
「……まぁ組織や吸血鬼王には喫茶店や探偵との繋がりはバレてるし、世間にそこまでバレてないならひとまずは放置でいいけれど」
昨日退院してきた天青はちらりとドアの外を見た。天青の耳には今日何度もここ例の喫茶店でしょという配信で見たやつの元ネタ、というような会話が聞こえていた。
「配信を通じてその二つが一般の人達の中でも繋がる、みたいなことがあるならどうにかしないといけないか」
そう言って、ふと天青はドアの方に歩いて行くと、扉を開けた。
「今日は休業日ですが……どうかされましたか?」
五十から六十前後に見える女性が扉の前に立って中の様子を窺っていた。
「あのぉ……探偵さんの方も休業なんですか?」
「……ひとまずお話だけうかがいましょうか」
そう言って、天青はその女性、真中を部屋の中に迎え入れた。
「友達の指輪を探して欲しいの」
「真中さん、そのお友達は今日はいらっしゃらないんですか?」
「私も探すの手伝うって言ったけど、迷惑かけられないって断られて……探偵雇ったって言ってもきっとキャンセルしようとするわ」
友崎はそう言いながらごめんなさいねと謝った。
「なるほど……」
「小林さんって言うんだけどね。私もつい一昨日街中で見かけて、声かけて再会してファミレスでお茶したんだけど……小林さんね、二十年以上海外で闘病生活して戻ってきたけど、今一人なのよ」
「……失礼ですが、どういうお知り合いなんですか?」
「ママ友よ、ママ友。海外に渡る前のだけどね、小林さんとこの公竜ちゃんと未来ちゃん、かわいい双子でね? うちの娘と一才差だったから、公園に来るたび一緒に遊んでたの。でも、小林さんのご主人が事故で亡くなって、小林さんも言ってたわ。大事な時にそばにいられなかったって。子供達も独り立ちしたみ夫方の家族に嫌われてて連絡つかないんですって!」
あんな仲良し家族だったのに想像するだけで辛いと友崎は自分が怪我でもしたかのような顔で言った。
しかし、子供の名前を聞いた瞬間猗鈴達は共感どころではなくなった。小林までならともかく、子供に公竜と未来の双子がいる家庭が他にいるとはとても思えない。
「それでね、小林さん、ミッシングリングっていうのを探してるんですって。多分指輪だと思うのよ」
「ミッシングリン『ク』、ではなく?」
「リング、『グ』だったわ。励ませればと思って、欲しいものある? って話したらその名前を出したのよ? 失くしてしまったものらしいの」
「色や形などは聞きましたか?」
「それが教えてくれなくて、どうにかならないかと思ってうちの娘に相談したら、ここの探偵事務所が今話題だって聞いたから……」
「……現状、依頼をお受けするとは言えません。色も形もリングとは言いますが指輪でない別の輪の形をしたものの可能性もあります。一日フルタイムで一人の調査員を動かすには数万円かかりますが、現状では数十万円いただいてもわからなかったという結果をお伝えすることになってしまいます」
「そうですか……」
それを聞いて友崎はがっかりしたようだった。
「また何かわかったら教えてください。本当に指輪なのか、色と形。そして、元々どこにあったものなのか。いつ頃なくしたものなのか。相談は無料なので、少しでも新しいことを聞いたり思い出したら相談に来てください」
天青は最後にそう伝えて、友崎を帰した。
さて、と全員が居住まいを正した。
「……思わぬ形だけど、これは吸血鬼王の情報、で間違いない?」
「人名と年数を考えると完全に吸血鬼王ですが、真中さんは普通のおばちゃんといでしたよね? 彼女とファミレスで吸血鬼王がお茶するのって、あり得るんですか?」
杉菜の言葉に猗鈴は首を横に振った。
「吸血鬼王はデジモンの世界では力も地位もあったのを捨ててこっちに来てるわけだから、私達の想像できない理由で動いてるのかもしれない」
「だとすると、そこを掘り下げるよりも……ミッシングリングか」
天青がそう言うと猗鈴もうなずいた。
「ミッシングリン『ク』なら、ミステリとかでもよく使われる、犯人と犯行を結びつける動機とか、今は見えてない関連性みたいなことをさすものだよね」
便五がよく創作とかでも出てくるしと口にした。
「でも、今回はミッシングリン『グ』ですし、明確な物みたいに聞こた」
「ミッシングには失くしたとかの意味があるから、直訳なら『失われた環』とかになる。博士に心当たりはある?」
天青の言葉に、盛実は頭をかりかりとかいた。
「……突飛な発想かもなんだけど、吸血鬼王ご噂通りの快楽主義の刹那主義なら、普通は何か一つのものに執着することはないと思う」
確かにそれはそうだと猗鈴や天青、杉菜もうなずく。
「だから、人の身体とデジモンの魂を結びつける何か、かも」
「……待って下さい。吸血鬼王って、火口に身投げして魂だけになって人間界に来たんですよね? そんなもの持って来れないのでは?」
「でも、組織の背後にいる魔王や公安のケルビモンは部下に人間界に色々持ち込ませている。身投げ前に人間界に必要な道具を送り込んでた可能性もある」
そこまで考えてなかったんだけどと言って、盛実はまた話し始める。
「ミッシングリングが本当に物だとして、名前がミッシングリンクのもじりなのは確かだと思う。で、全部無茶苦茶にしてる吸血鬼王が気にするようなものは自分自身だけ……吸血鬼王の中で関連付け合う様な関係のものって、私はそれぐらいしか思いつかない、という……あの、根拠とか曖昧な突飛な話なんだけど……」
盛実はそう言ったが、同時にそこには相応の信憑性があった。
吸血鬼王グランドラクモンというデジモンの来歴を考えると、デジタルワールドでの全てを捨て、人間界で人間として過ごしたかと思えばその家族も捨て、何がしたいのか現状誰もわからない。
でも、今人間の身体を使っているのだからその維持に必要な何かを探しているというのは充分にあり得る。
「……それを解析できれば、吸血鬼王を倒す手掛かりになるってことですか?」
「かもしれない。そういう維持する為のものが必要だとすれば、吸血鬼王の本体は今もまだ魂のままで、例えるならメモリの中身みたいな、そんな感じで、うまくディコットにそのリングの逆のメカニズムを組み込めれば弱体化させられる、かも」
その為には、まずミッシングリングを見つける必要がある。
となると、と天青は電話をかけた。
『事情は把握しました。母が陽都で過ごした時期に持っていたとすれば、僕達家族が住んでいた家の中にあったはず、軽井命さんが未来と住んでいたあの小屋に保管されているかもしれません』
公竜は電話越しにそう答えた。
『少し医師と話したら退院するつもりなので、後で喫茶ユーノーにうかがいます』
『ダメですよ小林さん、退院って勝手にするもんじゃないんですないんですよ』
『……とにかく、がむしゃらに探すよりは間違いないはずです。公安式の結界の抜け方は戸井に伝えておきます』
そうして戸井を連れて回収したのは段ボールおよそ十箱分の荷物だった。
「どうやら回収されたものはこれだけだったらしい、布団とかカーテンとか自転車とか家具とか、かさばる上に特にデジモンに関係しないものは処分してここに写真だけ」
天青が段ボールが積まれていた辺りにあったと写真のまとめられたファイルを見せた。
で、箱の中身の一覧はこっちともう一冊分厚いファイルを箱の上に置いた。
それを受け取って杉菜はパラパラと見ると、あったと一つのページを指差した。
「シルバーリング……小林邸の二階、小林安奈(コバヤシ アンナ)の部屋から見つかる」
「この安奈というのは……」
「母の人としての名前です」
そう言ったのは、今まさに入ってきた公竜だった。服装こそいつものスーツにジャケットだったが、首元や両手には包帯が巻かれていて、さらにシャツの下にも巻かれているのは明らかだった。
「小林さん、退院できたんですか?」
「外出許可で手を打ちました」
そう言って、公竜はスーツの内ポケットから黒ずんだ指輪を取り出した。
「そのシルバーリングはおそらくこれと同じもの。これは父のですが、結婚指輪です。調べるならセットで調べた方がいいでしょう」
「……小林さんはそれを持ち歩いていたんですか?」
「……銀製且つ十字のモチーフなので、吸血鬼としての自分に負けない為のお守りみたいなものとして」
特に効果を感じたことはありませんがと、公竜は指輪を盛実に渡し、杉菜の持ってるリストを見てこの箱ですねと段ボールから対になるデザインの指輪を取り出した。
「とりあえず、手に取る限りは普通の指輪かな」
「輪っか状のもの、指輪、腕輪……アクセサリー類を中心に見ていきましょう。斎藤博士の予想通りならば身につける物の方が合理的です」
公竜はそう言ってさらに箱を開けていく。
「外出許可もらったとはいえ病人なんですから、小林さんはリストの方をお願いします」
猗鈴はそんなことを言って、公竜に杉菜の手から奪ったリストを押し付けた。
「……そうですね」
パラパラとリストをめくり、中身を確認してはとてもそうは見えないと思いつつも並べていく。
「ある程度らしいものをリストから取り出したと思いますが、こうして見れば見るほど普通の子供がいる家庭の持ち物って感じですね」
杉菜が言う通り、段ボール箱の中には日用品やちょっとした雑貨、子供のおもちゃに、額に入れられた子供の描いた絵など、幸せな家族の暮らしを想わせるものこそあれ、デジモンの存在を思わせる様なものはなかった。
パパママとクレヨンで書かれた人が二人描かれてるらしい絵を手に取り、公竜は少し考えていたが、不意に見込み違いだった様ですと謝った。
「何か特殊なものがわかる形であれば、過去の公安もどこかに記録を残したはずですが、リストにはそうした記述もめぼしいリング状のものもない……少なくとも過去の公安は発見できなかったと見ていいでしょう」
「いや、それを踏まえてもデジモンに関係ありそうなものがここまで影も形もないのはおかしい様な……」
猗鈴の呟きに確かにと杉菜達もうなずく。
「それに、確か前に未来さんのこと調べた時に写真がいっぱいあったけど、二人とお父さんの写真はあったけど吸血鬼王の写真はなかったり、その、そういうことかなと」
盛実は公竜の手前言葉を濁したが、吸血鬼王が家族に情を持っていなかった様な証拠に猗鈴達には思えた。
「そうなると……」
公竜はそう言って、自分の手帳をパラパラとめくるとあるページを開いた。
そこには、一つの古びているものの立派な白い壁の洋館の写真が写っていた。
「まだここにあるのかもしれません。僕達家族が暮らしていた洋館に」
さらに一日経ち、まだ怪しいと思えたそれも盛実が調べる限り特別な機能が何もないとわかり、猗鈴と杉菜は小林一家が暮らしていたという洋館に向かった。
『洋館は二階建てに屋根裏、地下室が一つ。離れに礼拝所。元は外国の実業家のものだったが事業に失敗して夜逃げ、その後、色々と変な噂を立てられて買い手もつかず扱いに困った管理会社が社長の知人の娘である小林杏奈氏に譲渡した。という経緯で吸血鬼王の手に渡ったみたい』
天青が通信機越しに公安の資料に残された洋館の概要を語る。
「施工図とかは手に入りましたか?」
『確認する限り壁内に怪しい空間とかは作れなさそうかな。建ててから改築してればその限りではないけど、公安が施工図と実態に差がないか調べなかったとは思えない』
「となると、地下。外からわからない様に庭のどこかに穴を掘って地下室を作ったとすれば……」
『あるいは魔術によるものかな。デジタルワールドではある程度は技術として確立されてるらしいし、公安も見逃す可能性がある。でも、猗鈴さんの目なら違和感を捉えられるかもしれない』
一度うなずいで、猗鈴と杉菜はその門を超える。
「にしても立派な洋館ですね。公安が手を回して人が住んではないのがもったいないぐらい」
杉菜の言葉通り、その白い壁の洋館は表に蔦が生え、庭も荒れていたが建物自体はしっかりとそこにそびえていた。
でも、と猗鈴は門から入り口あるいは礼拝堂へと通じる石畳を見て目を細めた。
石畳の隙間から伸びた雑草が何かに踏まれて倒れているのが猗鈴にはそこだけ違う色に見えた。それは入口の方に向け、点々と一定の距離で伸びている。
「誰かがすでに来ている」
「……吸血鬼王が?」
杉菜の言葉にわからないと猗鈴は返した。
「吸血鬼王をうとましく思うのは組織側も同じだし元公安の本庄義輝も何かを知って探しにきた可能性がある」
杉菜はそれを聞いて広い庭をざっと見渡す。少なくとも最近掘り返した様な雰囲気はない。
「吸血鬼王の秘密の部屋がもしあって庭から通じる位置にあるなら、掘り返してるはず、ですよね?」
「姫芝、決めつけるの早い。天青さん、確か裏手は道路通ってないんでしたよね?」
通信の向こうでがさと紙を捲る音がする。
『そう。あと、この建物には中庭がある。位置も施工図に乗ってる地下室と被らないし、外から見られないことを警戒して作ったなら裏手よりそっちかも』
「了解です」
洋館の入り口へと猗鈴が手をかける。鍵はかかっていない。
少しだけノブをひねり、引く。
「ゔ、ぅ……」
小さく唸り声が聞こえて来る。明らかに女ではない男の低い声、猗鈴は口元で指を一本立てて杉菜に警告し、二人で扉に耳を押し当て耳を澄ます。
「おふぁにもんさま……ぼくは、僕は、どうすれば……」
その声が誰のものか先に気づいたのは杉菜だった。
「……本庄です」
「いたい、いたい、いたい痛い痛いいたい痛いいたいいたい痛いいたい……」
明らかに尋常ならざる様子に、猗鈴と杉菜は思わず目を合わせる。
「日の光、どこから入ってる……肌が焼ける、いたいいたいいたい痛いいたい痛い痛いいたい、早くここから出なくては従ってしまう……」
「従う? 誰のことですかね……」
「出られない出られない出られない、いたいいたい痛い痛いいたい痛い痛いいたい、夜は支配が強まる、昼は肌が焼ける、いたい痛いいたいいたい、僕はただ家族が……」
「……一度離れよう。姫芝」
杉菜も猗鈴の提案にこくりとうなずき、扉から距離を取った。この玄関から入れば本庄と出くわすのは避けては通れない。
「日光で肌が焼けるは、未来さんもだった。本庄も吸血鬼になったと考えられなくもない発言だけど……」
本庄のメモリはレガレスクモン。吸血鬼とは程遠い。
『もしかすると、本当にそうかもしれないと博士が言ってる』
天青はそう言って通信を盛実に代わった。
『デジモンの要素と人間の要素が混ざった時に、デジタルワールドのデジモンにはない性質が出る事があるでしょ?』
「そうですね」
例えば日光に弱かった未来、猗鈴の目も脳に寄生していたサンフラウモンのデジタルワールドでの性質とは必ずしも一致しない。
『未来さんと同様に吸血鬼王がいわゆる人間界の吸血鬼に可能と思われることを一通りできるのだとしたら……獣に変身したり、未来さんが試みたみたいに魂を吸血の際に取り込んだり、そして、殺した相手を吸血鬼にしてさらに従えたりもできる、かもしれない』
もしかするとだけどと最終的に少し自信なさげに盛実は言った。
「だとすると本庄は吸血鬼王に殺されて、ここに?」
「番犬にしては物騒だけど、この洋館に吸血鬼王が取り戻したいミッシングリングがある可能性も高まった」
「……いや、でも吸血鬼王がわかっている場所にあるのなら、さっさと回収してしまえばいいだけでは?」
「それはそうだけど、吸血鬼王の秘密の部屋があったとしてもその中でどこにあるかわからないのかもしれないし、回収したとして回収しきれない資料とかがあるから守らせているのかもしれない」
肯定とも否定とも言えない答えを出した。
『一度引き返す?』
天青からの通信に、猗鈴達は少し迷う。
現状得られた情報は吸血鬼王を倒すという面では何も進展してないどころか悪くなったが、組織の方に関しては朗報。
夏音を除く最後の幹部が倒れた事で、魔王はもう人間界に来られなくなったと見てほぼ間違いない。
吸血鬼王に特に何か長期的な計画や目的、それの為の行動がないならば、一日二日遅らせても危険性は変わらない。
「……いや、せめて礼拝堂だけでも調べたいです」
猗鈴は公竜の顔を思い浮かべながらそう口にした。妹を失って、でも取り戻せるかもしれない。
手がかりがあるなら走り出したくなる焦りは他人の気持ちに疎い猗鈴でも苦しいほどにわかる。
洋館の本館と礼拝堂とは通路が繋がっていない、必ず日光の下に出なければならない以上、本庄に襲われる危険性は低い。
「本庄が本館にいる以上、可能性は低いと思いますけど可能性を潰しておくに越したことはないかなと」
「……わかった。二人の判断に任せる」
礼拝堂の扉に近づいて、猗鈴は本館の玄関の前よりも少し小綺麗なことに気がついた。
「何度か人が来てるかも……」
本庄の吸血鬼化は完璧な味方にしたとは言い難いようだった。もしかすると、礼拝堂の方が大事だからこそ本館側においたのかもしれない。
扉を少しだけ開けて覗く。
ふと、そこに人影があるのが見えた。
長い黒髪、普通のどこにでもいそうな服装のその女を見て、猗鈴は思わず固まった。
「吸血鬼王、グランドラクモン」
「……何か、用かしら」
少し低めの蠱惑的な女性の声は、特に大きくもないのに扉の外の猗鈴と姫芝にもはっきり聞こえた。
彼女は赤色の混じった黒い瞳を微笑みを浮かべながら入り口にいる二人へと向けた。
「なにに驚いてるの? 海外に行ってたとしても、なにをしていたとしても、小林安奈の家はここ、おかしなことなんてないでしょう?」
そう言いながら、一歩ずつ近づいてくる彼女に猗鈴は素早く黄色いメモリを取り出した。
『サンフラウモン』
「最初からアルティメットで行こう、姫芝!」
猗鈴はそう言ってメモリを構え、待てどもザッソーモンメモリの音が聞こえないのを疑問に思って杉菜を見た。
メモリを取り出すこともできず、目を逸らすこともできず、杉菜はただその場で呼吸を荒げながら震えて立ち尽くしていた。
「……姫芝?」
杉菜自身さえ何で動けないのか困惑してるような中で、吸血鬼王だけが当たり前という顔をしていた。
「あなた、私の声を以前に聞いたでしょ?」
吸血鬼王は笑みを崩さずにそう続ける。
「そっちのあなたも体験したでしょ? 心に負荷がかかる、どうあっても逃れたい恐怖と絶望。私に服従する事でその恐怖から逃れられるよって囁くだけでみんな自分からそうするの。恐怖に屈した自分を認められない弱い子は、さらに勝手にカバーストーリーを作り出す。吸血鬼王の魅力や偉大さに伏したのだと、そう思う事で心を守る」
杉菜はそう言われても半分も言葉を理解できなかった。理解できる精神状態になかった。
「姫芝! 立ち尽くしても何にもならない!」
「わ、わかってるんですけど……身体が、言うことを聞かなくて……」
猗鈴の怒号も杉菜の身体を動かすには至らない。
「あなたは私の声を盗み聞きした時から、勝手に負けてたのよ」
吸血鬼王の言葉に、杉菜は尻餅をついて後ずさる。とても変身できる状態ではないのが猗鈴の目にも明らかだった。
「……姉さん!」
開いていた天窓からトロピアモンメモリが吸血鬼王へと飛びかかり、頭に刃物状の尻尾を打ち付ける。
びちゃりと、礼拝堂の床に血が落ちる。
吸血鬼王の額はばっくりと割れてそこから血が滴っていた。
「……抗体持ちに加えて、機械の身体。人間の身体は脆いのよ? スキンケアも気をつけているのに」
いやだいやだと言いながら吸血鬼王が額に手を当てて離すと、流血は止まり傷もなくなっていた。
「やっぱり、X抗体は根絶やしにしないとダメね」
そう呟いた吸血鬼王の顔に笑みはなく、赤い目が猗鈴をただ見据えていた。
「姫芝!」
『サンフラウモン』
猗鈴はそう強い語気で口にし、ボタンを押したサンフラウモンメモリをベルトに突き差した。
「わかってる、わかってるんですけど……手が、震えて……」
梅干しのような、恐怖と悔しさと情けなさでしわくちゃな顔で杉菜はそう呟く。
「姫芝、吸血鬼王の謎は私の謎じゃない」
猗鈴がそう口にした直後、からんころんと音がして、水晶に閉じ込められたトロピアモンメモリが杉菜の足元まで転がってくる。
「い、すず? どういう意味……」
そして、猗鈴は慎重に間合いを図って、吸血鬼王の頭に向けて足を高く振り上げる。
鈍い音がして、こめかみのあたりに出現した水晶が猗鈴の脚を受け止める。
「……確実に消すなら、こうかしら」
吸血鬼王の手が猗鈴の脚に触れると、表面をノイズが走り出す。
脚から胴、腕、頭へと全身がノイズに包まれると、吸血鬼王は口を少し開いた。
すっと吸血鬼王が息を吸うと、猗鈴の身体が崩れたノイズの波になって口の中へと消えていく。
「へ? あ、ぇ?」
杉菜の口から漏れた情けない声に吸血鬼王はくすりと笑った。
「吸血よ? 創作か伝承か忘れたけど、血を生命を吸い尽くして魂ごと自分の中に取り込む。みたいなやつ。これでもうX抗体が受け継がれることはない」
そう言うと、吸血鬼王はその場で踵を返した。
「帰っていいわよ。今、私は無闇に殺したりとかしたくない気分なの」
不意に動くようになった手足を懸命に動かし、わけもわからないまま杉菜はその場を離れる。
庭の雑草をかき分け、門をよじ登り、喫茶ユーノーに戻ってドアを開けるなりその場にうずくまり、杉菜は泣いた。
一週間も経てば退院するか……と思ったら公竜さんはまだだった。夏P(ナッピー)です。
なんか特に気にされることも無く便吾君が普通に依頼人来て帰してからの相談に参加してるのがちょっと面白い。猗鈴サンは前々回から素っ気無いですがもう普通に仲間だコレ。というか友崎さんはママ友と名乗ってはいましたが、あまりにも吸血鬼王にピッタリ繋がる情報(ミッシングリング)を持ってくるタイミングが完璧すぎて逆に「敵の間者か!?」を疑ってしまったものの、現時点ではそうではないっぽい? いや次回「あ、あなたは友崎さん!? 何故ここに」「ホホホ撒き餌にまんまとかかってくれたわぁ」と現れる可能性が捨て切れないわけですが。
無理言って病院を抜け出してきた公竜さん、もしかしてテラードラゴンに咀嚼されて火達磨になった後の照井ばりに包帯巻き巻きなんだろうかと思っていたら、うっひょお吸血鬼王の能力が御父様!? そこまでは園咲屋敷というよりは龍騎の神崎邸に調査に向かってオーディンと戦う回を連想していましたが、ありゃまあまんまテラードーパントだったんだ母と戦慄にして驚愕。いやでもグランドラクモンの設定を鑑みれば自然か御父様いや御母様。
あとどちらかと言えば、ここまで猗鈴サン=翔ちゃんで姫芝=フィリップ認識でしたが、データ化したことも含めて展開的に逆だった。何故だ!!
苦境の中、またしてもトロピアモンメモリ活躍。これは嬉しい。しかし一応人(の形をしたモノ)を躊躇いなく顔面割るのあまりにも戦士メンタル。
猗鈴サン戦闘不能(リタイア)してしまいましたが、ロストドライバーを用意しろマ〇マ、いや〇ュラウド! 切り札はいつだって姫芝のところに……ディコットの知名度が急上昇しているのは、陽都の風が俺達に力をの前フリと期待しておりますよ。
それではこの辺りで感想とさせて頂きます。