
「未来はどうなりました?」
「ひとまず無事みたいですよ。小林さんはどうなんですか?」
天青は小林の病室を訪れていた。
「生きているのがおかしいと言われたのは朧げに火傷が特にひどいところでは火傷跡の細胞が治っていくのが肉眼で確認できたらしい」
「それって……グランドラクモンの血の影響ですか?」
天青は公竜の身体につながっている何本もの管を見ながらそう言った。
「なくはないでしょうね。でも、僕は彼女の力だと思います」
ヴァンデモンxのメモリ、あのメモリには対象のデータを吸い取る能力があった。封印するミミックモンとはメモリのデータを奪って破壊するのは同じでも異なる能力。
「博士はなんて?」
「あり得なくはないと。ブレスドは完全外付けのパワードスーツですが、斎藤博士のタイマーは僕の肉体にも多少の干渉をしているそうで、最後にザミエールモンメモリのタイマーが壊れた事で、ベルト経由で自然発散されるエネルギーが僕の体内に残り、身体を治すという形で急激に消費された可能性があると」
なるほどと天青は笑って病室に飾られたサルビアを指差した。
「この花が萎れるより早く復帰できそうですか?」
「わかりません。医者も一般の基準に当てはめていいか測りかねているようで……それで、未来は? ひとまず無事だとは聞いたのですが」
「公竜さんと違って特に外傷もなく、治すのにエネルギーを使いすぎての衰弱状態だとか。体質変化を調べる検査の為に入院は長引くでしょうけれど、一週間もせず普通の人間並の体力は戻るだろうと」
「そうですか……」
公竜はそう言って目を閉じた。すぐに寝息が聞こえてきて、天青はふぅとため息を吐いてナースコールを押した。
「……数時間前に意識混濁しながら未来さん探して院内歩き回ったのはやっぱり覚えてなさそうですね。その時に聞いたことは覚えてそうな雰囲気ですけれど」
ナースコールによばれてきた看護師に天青はそう伝えた。
「本当にありがとうございます。圭先生に伝えておきます」
「……実際のところどうなんですか?」
「普通の人なら一命を取り留めはしたものの、あとは運を天に祈るしかないという状態なんですが、私、圭先生を片手で投げ飛ばす患者さん初めてみました。身長195cmで体重100kgはくだらないんですよ?」
「……とりあえず、小林さんの意識がはっきりするまでは私もここにいます」
「いや、それは……」
「何か?」
「国見さんももう退院するような格好してますけど病室に戻ってください。点滴も勝手に抜いて……」
看護師が天青の腕に触りますよと言って掴み、点滴の管を抜いた跡テープも貼ってないせいでシャツに滲んだ血を見つける。
「……駄目ですか?」
天青は困ったような顔で言ったが、看護師はふぅとため息を吐いた、
「……なんでいいと思ったんですか?」
「やっぱり駄目か……」
天青はふぅとため息を吐いて、大人しく立ち上がった。
「今日は国見さんも斎藤さんもいないんですね」
「……当たり前のように、休業中の看板無視して入ってきましたね」
杉菜はきょとんとした顔で腕まくりをしている便五にそう言った。
「まぁ、もうバイトみたいなものだと思って。キッチンも掃除も手伝えますよ」
「ほとんど人の来ないこの店なら、私一人でも回せますから結構です。閉じてるのは昨日は全員で夜に仕事したから、猗鈴は家で寝てるんじゃないですかね」
もうお昼ですしと杉菜が呟くと、とうの猗鈴が喫茶ユーノーに入ってきた。
「寝てない。大学行って講義出てた」
「大学生って暇なんじゃないんですか? ずっとここいましたし」
「必修は単位落とさないように計算しながら、オンラインとか使って出てたよ」
聞くだけでいい講義とかはイヤホンつけて、出席確認の時だけ喋ればあとミュートでいいから、と猗鈴はカウンターに座ってあくびをした。
「アフォガード」
「……今日は店閉じてるから、お湯も今から沸かしますけどいいですね?」
「……で、米山くんはなんでいるの?」
「勝手に入ってきただけですよ」
「まぁ、実は話したいことがあってさ。はい猗鈴さん。姫芝さんも」
そう言って、便五は饅頭に小さな向日葵の焼印が押されたものを取り出して見せた。
「これは?」
「父さんに新商品を考えてみるかって言われて考えている『陽都まんじゅう』」
陽都と言ったら太陽だからと便五は言った。
「……浅はかじゃない?」
猗鈴はそう言って杉菜を見た。反応次第では食べないつもりだなと悟り、杉菜はひとまずまんじゅうを二つに割った。すると、中から綺麗なオレンジ色が出てきた。
「陽都でオレンジ色というと、メロンですか?」
「いや、みかんです」
「陽都は晴れが多いから意外と安定してみかんが作れる。目立ったブランドとかはないけど陽都ならではの名前を使ったデザートでは価格帯低めのところだとメロンよりみかんやゆずが定番」
逆に言えばと猗鈴は便五を見る。
「目新しさはあんまりないかな。安定供給できないと新メニューには向かないんだとは思うけど、見た目もちょっと地味過ぎる気がする」
味もほんのりみかんがあるぐらいでインパクト弱いと、猗鈴は杉菜の手から取ったまんじゅうの半分を食べて真顔でそう言った。
「……めちゃくちゃ言いますね」
普段は甘いもの食べてる時だけは笑うのにと杉菜は少し困惑しながら思った。
「お父さんにも同じこと言われたんだよね。じいちゃんの頃からやってる店でなぜ新メニューについて俺がお前に提案してみろと言うのかを考えろって」
便五は特に傷ついた様子もなくそう言った。
「……あの、お父さんがブラッシュアップしてくださるというなら、見た目から考えてもいいかもしれませんね」
ふと、そう会話に入ってくる小柄な女性がいた。
誰だろうと便五は思ったが、猗鈴も杉菜も何も言わないのでひとまず黙って話を聞く。
「例えば、今はあんに着色料で色をつけてるわけですけど、味はそのまま生地の方を黄色くして中のあんこに着色しないだけで、おまんじゅうを割ったところが外が黄色で中が茶色、ひまわりに見立てられるでしょう?」
なるほどと便五がうなずいていると、さらに彼女はメモとペンを取り出した。
「焼印を使うのにこだわらないなら、茶色い生地にみかんの皮の砂糖漬けとか花びらに見立てて並べて、工程が複雑になり過ぎるって事なら、黄色い生地の真ん中に焦がすか黒糖かで茶色くした輪切りみかんグラッセを乗せて、全体をひまわりに見立てるとか。私はあんまり和菓子作らないのでこんな感じの発想ですけれど、ひまわり縛りでも色々できる、かな、と思います」
グラッセごと蒸した時にどうなるかは私も試した事ないので、ちょっと、うまくいかないきはしますけどと彼女は言う。
「すみませーん……先輩! 先に入らないでください! 外探してたんですから!」
ふらっとさらに休業中の看板を無視して一人の女性が入ってくる。今度の女性は便五も確実に見覚えがあった。
「陽都野妖狐さん?」
「あ、どうも……その節は、お世話になりました。先輩、挨拶とかしました?」
「あ、料理の話が聞こえてきたからついふらふらと……ぼんじゅー、鯖? 鯖缶の妖精、お料理好きバーチャル配信者、鯖野味噌美、の中の人です」
お二人には前お会いしましたよねと味噌美は猗鈴と杉菜を見た。
「……ところで、今回はどうしたんですか? 今はこの店、マスターが入院中なので休業中ですよ?」
杉菜はとりあえずコーヒーでいいですかとコーヒーを淹れ始めた。
「休業中なら、まぁ、そっちの彼の話が優先でも」
「いや、彼は置いといて大丈夫です」
猗鈴にそう言われて、便五は怒るでもなくうなずいた。アドバイスももらえたし、話が終わって追い出されるよりは長くいられるのに加え、便五は前に妖狐に会った後、妖狐も味噌美もチャンネル登録していた。
「……実は、あの、先輩のマネージャーがあの時点でめちゃくちゃ私の移籍の話を進めていてですね。正式にではないんですが、社長とかの間ではもう私本人の決心がついたらすぐにでも! みたいになってたんですよ」
本来ならありがたい話なのに妖狐が複雑な顔をしているのも猗鈴達には納得しかない。
そのマネージャーは、味噌美と妖狐にユニットを組ませたくて、個人より事務所所属の方が安心だと思わせる為にメモリを使って身元を隠し衣装を汚すなどの事件を起こした。
「それで、事務所でやってるオンラインゲームの企画に私もまだ正式所属してないんですけれど、サプライズ参加させてもらえることになったんです」
「どんなゲームなんです?」
「一つの街を舞台に、犯罪でも警察でも関係ない飲食店とかでも、わりとなんでもできるゲームなんですけれど……私達で喫茶店をやりまして」
「喫茶店、まさか……」
「味噌美先輩と、味噌美先輩と同時期に外から事務所所属になった仲のいい陽都出身男性Vと私と三人でやって、飲食業なんですけど男性Vには兼業で探偵的なロールプレイもしてもらって、『喫茶へーラー』という名前をつけてたらですね……元ネタ特定! みたいなのがバズっちゃって」
「……ここ、ですか?」
妖狐はそうですとうなずいた。喫茶へーラーは流石に特定されて当たり前だと猗鈴も思う。喫茶ユーノーだし、そうそう探偵がいる喫茶店もないだろう。
「僕もライブ配信観てましたけど、何人かのVが新人を探せって走り回ってたのも注目集めてましたからね。妖狐さんは場所がお店で固定だったこともあって、一度見つかったらわっと来ましたし」
便五がもう切り抜かれてましたとスマホ画面を見せる。スマホ画面には、『新人に構う気で突撃した筈が新人の配信者歴が自分より上で反応に困る配信者達』とか、『罰金が払えなくて味噌を頼ったら父を名乗る不審者や箱外のはずの知り合いも迎えに来て何もわからなくなる猫』などといった動画のタイトルが並んでいる。
陽都野妖狐もローカルにはかなりの人気だが全国区となると話は変わってくるし、個々のVにそれぞれのファン層がある。普段妖狐の配信を見ない人達にまで広がっていた。
「まぁつまり、大量の客入りが見込める面と、迷惑がかかるのではという面の二つがあるわけですね」
「店主入院中により営業お休みです。みたいな張り紙が一番無難かも、キャパがそんなに大きい店ではないし」
杉菜は何気なく喫茶店に置かれたテレビの電源を点けた。
『番組ファミリーの陽都野妖狐さん全国区へ!? 昨日、夜の配信でーー』ブツッ
「……多分陽都だけですけど、テレビでも取り上げられてますね」
「まぁ、このワイドショーは私が二週に一回お洗濯の悩み相談してるからだと思うんですけど、ありがたいです」
妖狐は少しだけ困ったように照れくさそうに笑う。
「まぁ、電話がめちゃくちゃ鳴らないだけいいんじゃないですかね?」
「で、そのぉ……実は相談もあって」
「……相談?」
「デジモンって、その、パソコンの中に入ってきて3Dモデルに触れたりとかできるものですか?」
「……ちょっと、よく仰る意味がわからないんですが、ハッキングされているみたいなことですか?」
少し妖狐と味噌美は顔を見合わせて、一つの動画を見せてきた。
「これは、今度グループの新人として入る私の紹介番組の収録中の映像です。同じ陽都出身でグループ最古参の綾光路三輝さんが司会してて、私が所属決める前から3Dモデルが発注されてて怖かったって話とかをしてるところなんですが……」
模様の入った白いスーツに黒いシャツ。さらに金の片眼鏡を着けた暗いオレンジ髪の青年と、目の前にいる二人の3Dアバターが、バラエティのトーク番組で見るようなセットにいた。
「これ、どう撮ってるんですか?」
「同じ配置のセットをスタジオに置いて、モーションキャプチャで実際の私達の動きとモデルの動きを合わせるんです」
なるほどと映像を見ると、陽都の妖狐だけ若干妙な動きをしていて胸も異様に揺れていた。
「……妖狐ちゃんの3Dボディは設定もあって低身長ですが、当の本人は高身長なので大分動きが変で、リハしながら調整するって話だったんです」
でも、ここからですと妖狐が言うと、画面に不意にノイズが走り、四人目の人物がぱっと画面に映り込んだ。
『えっ、と、これ本番でサプライズで出すはずだったやつとか?』
三輝がそう言いながら、四人目の人物の方に手を伸ばすと、その人物は三輝に殴りかかった。
そして、そのまま三輝は倒れ、馬乗りになって殴られる。
『ちょっ、やめ、助け……』
『誰か止めて!!』
『止めるったってどうすればいいんですか!? スタジオに不審者なんて誰もいませんよ!?』
『とりあえず合成止めて! カメラも!!』
妖狐の声で困惑したまま合成が止められ、画面に一瞬生身の妖狐と味噌美、そして三輝のいたところには地面に倒れ鼻から血を流す元々顔が整っていただろう男性が映し出された。
「……という感じなんです。『画面の中で起きたことを現実に反映させる』みたいなメモリってありますか?」
「ない、とは言えないですし……この不可解な現状はおそらくメモリでしょうね。スタジオはどこですか? 東京?」
杉菜がわからないとなると、組織で商品として多く流通したメモリではないということになる。
「陽都です。貸しスタジオで……一応警察にも届け出てはあるんですけど、街がこんななので……」
確かに、少し前の警察署の爆発以降の治安悪化は誰の目にも明らかだった。
「安心してください。信頼できる警察の知り合いもいるので、必ず解決します」
そう杉菜が言って、妖狐達が帰っていく。
とりあえずと店長入院の為臨時休業と杉菜が白い紙に書いて店先に貼りにいくと、スマホと看板を見比べている男性が一人いた。
「あ、探偵もやってる喫茶ユーノーって……」
「ここですけれど、店長が入院してて今日は営業してないんです」
そう頭を下げて、ドアに紙を貼り付けて店内に戻る。
「……姫芝、信頼できる警察の人って小林さんのこと?」
「ですけど、事件と聞いたらボロボロのまま立ち上がってきそうで連絡できないですね……」
「ひまわり園の時の、公竜さんの仲間の公安の人達って連絡先なかった?」
「いや、あの時の人達はみんな美園夏音にやられてたから、まだ動けるかどうか……あ、一人だけ動ける人知ってる」
杉菜の脳裏に浮かんだのは、陽都ひまわり園から子供にされた人達を車で避難させたスーツの公安男性。
連絡を取るとものの十数分でで車と共にやってきた。
「戸井(トイ)です。美園さんとは初めましてですね」
「美園猗鈴です。よろしくお願いします」
差し出された手を猗鈴が掴むと、戸井の手首がポロリと外れる。
一瞬、空気が固まる。
「は?」
「すみません、ちょっと取れやすくなってたみたいで」
そう言って、戸井は猗鈴の手から自分の手首を受け取ると付け直した。
「……公安って、デジモンの血を引いてる人間だらけなんでしたっけ」
「はい、自分の場合はこうして身体がブロックの様に外れるぐらいで……今日は外れやすい日みたいです」
生活しにくそうだと猗鈴も杉菜も思った。
「で、事件の被害報告を受けたとのことでしたが……」
戸井の言葉に、事の経緯を説明する。
「把握しました。自分の権限で捜査資料や現場を見に行くことはできます。あとはパソコン関連のスキルが少々という感じですね。それでデジメモリ相手にどれだけ対応できるかわかりませんが」
そんなことはないと猗鈴は首を横に振った。
「今回の事件、全部が能力とは限らない。『画面の中の動きに合わせて現実でも殴られている』と、妖狐さん達は認識していたけど、現象としては、『画面の中に謎の人物が現れて殴る動きをする』と同時に『綾光路三輝さんが殴られるように動いた』だけ」
画面に映った謎の人物なんかは特にそのまま純粋なハッキングによるものの可能性もあり得る。
「確かに、それならメモリはわからなくても犯人がわかる可能性もありますね。犯人さえわかればメモリがわからなくても……」
杉菜の言葉に、猗鈴は少し微妙な顔をしたがまぁそれはそうと飲み込んだ。
ひとまずと妖狐に連絡を取ってアポを取り付け、戸井の車で機材の元へと向かう。
「小林さんの妹さんを救ってくださり、ありがとうございました」
道中、ふと戸井がそう口走った。
「…熾天使の派閥は法に厳格と聞いてましたけど」
公竜がそう言っていた。だからこそ信用できる人達だと、それをあの時子供にされていた猗鈴はともかく杉菜は聞いている。
「基本はそうです。でも……そうですね、公安にいる人間は大なり小なり見つけられる理由があって公安に見つけられてます」
公安の孤児院を巡って子供のうちにデジモンの血が濃い人間を集めるやり方は組織も取り入れていた。
そういう点では、猗鈴も公安にいた可能性はなくはない。
「怒りから厳格に振る舞っている様な仲間は複雑な顔をしてますが、罪と罰の前に皆が踏み止まれば、そういうことは起きなかったかもしれない。厳格に取り締まることで抑止になって欲しい、そう思って熾天使派にいる仲間は踏み止まれたことを喜んでいます」
罪の精算についてはまた意見も割れますが、良くも悪くも法に厳格なので大丈夫でしょうと戸井は口にした。
「……そういう意味では、今回の犯人もまだ被害が鼻血程度で収まる内に止めないと、ですね」
杉菜の言葉に戸井ははいと力強く答えた。
そして、戸井がPCを調べると、存外簡単に一人容疑者が見つかった。
「謎の人物の3Dモデルを用いた人を殴るモーションの背景透過動画像が見つかりました。作成者は赤目真音(アカメ シンネ)、事務所の技術者……主にキャラクターの3Dモデルの制作や調整などをしていたようですね」
「当日はスタジオにいて、一緒に収録を見ていたと。でも、犯人だという根拠としては薄いですかね」
戸井の調査結果を妖狐と連絡を取った杉菜が補填する。
「姫芝はそう言うけど、これぐらいの材料があれば手荷物検査ぐらい求められるんじゃ?」
猗鈴の言葉に戸井と杉菜は難色を示す。
「証拠をそうずっと持ち歩いてるとは……」
「でもメモリには依存性があるし、今回の犯人は多分かなり長期のメモリ使用者だと思う」
猗鈴はそう言って、両手を二人に見せた。
「今回の事件は『不可視の暴行』と『画面で起こる暴行』の組み合わせでできているわけだけれど、ただ見つからない様にするだけなら前半だけでいいし、スタッフなら撮影中以外にも機会は幾らでもあったはずで、つまり後者は一見すると事件を複雑怪奇にしているように見えて本来全くの無駄、実際に証拠も増やしている」
確かに、動画の存在は作成者の赤目が犯人でなかったとしてその動画に触れられる内部の人間に犯人が絞られる。透明になれるメモリの能力者が外部からこっそり侵入していたという様な外部犯の可能性を限りなく低くしている。
「……あの、自分はメモリには詳しくないのですが、何故それが長期の使用につながると?」
戸井の疑問にかわりに答えたのは杉菜だった。
「メモリを使い続けると、衝動的で悪感情に振り回されやすくなります。咄嗟の感情を抑えられず思いつきでカモフラージュして暴行した。確かにメモリ中毒者ならやりかねないですし、そういう人間ならメモリは持ってるでしょうけれど……」
「けど?」
少し杉菜は難色を示したが、猗鈴が聞き返したのですぐに首を横に振った。
猗鈴も杉菜が思ったようなことはわかってないわけがない。犯人だけが浮かんで動機もメモリの能力も現状何もわかってない。
この状況ならばもう少し調べるというのは選択肢ではある。
一方、動機がわかってないが衝動的だろうと推察される今、調査に時間をかけることで次の事件が起きる可能性もある。
綾光路三輝はメモリが関わってるにしては軽い鼻血で済んだが、次の被害者が同程度で済むとは限らない。
味噌美達の会社の人目につかない建物裏に呼び出された赤目は、明らかに挙動不審で、痩せた身体だけでなく目元には眠れなかったのか隈も見えた。
「……陽都の警察はこんな程度の事件なら捜査する余裕ないと思ったのに」
赤目は荷物を見せて欲しいと言うと、言い訳もしなかった。
「それは、自白、と捉えていいですか?」
猗鈴の言葉に、赤目はうなずいてその後おもむろにその場から離れる様に歩き始める。
「……逃げないでください」
戸井が立ち塞がると、赤目は自分の口元を押さえてその場で立ち止まる。
「自分は警さッつ!?」
すると、不意に戸井がその場でがくんとバランスを崩して転ぶ。
「メモリはまだ使ってないはずじゃ……!?」
杉菜の言葉に、猗鈴はベルトとメモリを取り出す。
「姿を自由にできるとすれば、人間に見せかけてる可能性もある!」
『サンフラウモン』
「……仕方ないですね!」
『ザッソーモン』
ベルトにメモリを二人が差し込みレバーを引くと、猗鈴の身体がふらりと倒れ込み杉菜の身体がディコットに変身する。
立ち上がった戸井が猗鈴の身体を支える。
そうしてる間に、ディコットを見て何かを察した赤目は走り出した。
「待ってください!」
杉菜が叫んで走りだそうとすると、ぴたりとその身体の動きが止まる。
「なに……がっ!?」
不思議に思って自分の身体を確認しようとすると、不意に顔面が見えない何かに殴られて弾かれる。
「これは、例の……」
猗鈴はそう口にしながら視線を周囲に走らせ、赤目が走っていったらしい方向へと飛び出していく。
見回してももうその姿はなく、同時にディコットに対しての暴行も止まった。
「……逃げられた」
猗鈴はそう呟いてベルトのレバーを引いて変身を解除した。
むくりと起き上がった猗鈴はすぐに立ち上がった。
「姫芝、どう思う?」
「……私が扱ってきたメモリの中には合致するメモリはない気がします」
杉菜がわからないと首を横に振ると、猗鈴は真顔で違うと言った。
「能力の仕組みは私が大体わかったからいい。聞きたいのは動機とかを知るには誰に聞き込むべきか、逃した彼がどこに行くか」
それならと、杉菜は頭に浮かんだ名前を言う。
「綾光路三輝、今回の被害者その人です。ディコットがのけぞる攻撃をできると考えた時、彼の被害は小さすぎる。カッとなって殴ると同時に、思いっきりは殴れない理由があった。仕事関係の配慮なら、声が変わる可能性がある鼻じゃなく胴を殴ったはずです」
「……赤目の事は無かったことにできませんか?」
三輝はそう添え木を当てられた鼻が痛々しい顔で困った様に笑った。バーチャル配信者としての彼の姿とは似ても似つかない顔のはずなのにその表情はちらりと見ただけのそれと一致する。
「暴行、傷害は非申告罪です。依頼を受けたのは探偵の彼女達とはいえ、警察の自分が聞いた以上無かったことにはできません」
戸井は至極真面目にそう口にした。
「……でも、俺が悪いとこもあるんです。赤目がやり場のない気持ちに追い詰められるのも仕方ないんです」
「……戸井さん。なんとかなりませんか?」
杉菜は三輝の言葉に嘘がないと思ったし、自分もある意味で見逃された立場でもある。
「……非申告罪の案件な以上、捜査はします。事件になるかは事情を確認してから、それが警察です」
でも、と戸井は続ける。
「ただ許すことが常に相手のためになるわけではないと自分は思います。彼にどんな事情があれ、メモリに手を出し人を傷つけたことには変わりない、事件にならなくなったとしても、彼から償う機会を奪うことにならぬ様あなたにも尽力する責任がおきることはお忘れなく」
それを聞いて、三輝はありがとうございますと頭を下げた。
「赤目の妹は、俺に振られた事をきっかけに配信者を卒業しひきこもることになってしまったんです」
三輝はそう少し俯きがちに話し出した。
「まずこの会社の配信者達の所属するプロジェクトは、バーチャル配信者の黎明期、配信用のアプリ製作会社が自社商品宣伝の為にプロデュースを始めた配信者が原点なんですが……赤目はそのアプリ制作チームの頃からのメンバーで、俺は営業部でしたが業務の一つとして、赤目の妹は元地下アイドルで予算の都合もあってオファーがいきました」
以前、便五から聞かされたバーチャル配信者の歴史を猗鈴は少し思い返す。
今の形が主流になってからは十年前後の歴史しかないものの、三輝はその激動の十年弱を赤目兄妹と共に歩んできたことになる。
「配信者の売り方には色々あります。アイドル的な売り方も二人ともしてましたが、彼女とのカップルロールプレイ……まぁコントみたいなものですね。それも人気でした。二人ともキャラ設定はクール系や落ち着いた感じで実際基本はそう振る舞っているのに、二人で話してる時だけなんも考えてないバカップルみたいになる。実際仲も良かったので気も楽で、『バカップルの結婚式に親友として呼ばれるボイスドラマ』なんて商品も出しました」
その需要とかもよくわからないしと、猗鈴は話の途中から顔は崩さずに半ば考える事をやめた。
一方の杉菜は、キャラクターを演じることの危険性に思いを馳せていた。自身が人の心を動かすために強く振る舞おうとして、強くあろうとすることに囚われて目的を見失いメモリの売人になっていた様に、演じることは何かを見失う危険を伴う。
「……彼女は、カップルコントをコントとしてできなくなってしまったんですね?」
「……彼女は元々クールキャラが向いてませんでした。でも、彼女は無理して徹底できてしまったんです。撤退できてしまったから、初期設定(笑)みたいな事もできなくて、カップルコントの時はキャラ崩壊も許され二人だからフォローもし合えるし、フリでもお互いに大好き大好き言い合うのも良くなかったのかもしれません。本気になってしまった……」
三輝は未だに答えがわからないと頭を掻いた。
「俺も、彼女の気持ちを受け止めたいと思う気持ちがなかったといえば嘘なんです。でも、隠し切れるほど俺も彼女も器用じゃない。開き直ってカップルを公式にしていくという案も頭にはありましたが、必ず荒れます。荒れた後、続けられるのかどうかはやってみないとわからない。俺は、確実にキャラクターを守る為に彼女の気持ちを踏みにじり、彼女は隠す事がまた増えた事に疲れてしまった」
そして引退。特殊な口外できない職歴、同じ会社内ならどうとでもなっただろうに顔を合わせるのも辛かったのかそれをしなかった結果、再就職先はブラックで心をやられて引きこもりに。
仕事と割り切っていた三輝に非はない。一方で、赤目が三輝に対して複雑な感情を持つことも理解できる。
「……それは、いつのことですか?」
「二年前です」
「なら、きっかけは別にあるはず……」
三輝の言葉に杉菜がそう口にすると、いや、と猗鈴はスマホの画面に映った、『罰金が払えなくて味噌を頼ったら父を名乗る不審者や箱外のはずの知り合いも迎えに来て何もわからなくなる猫』というタイトルの猫というあだ名のバーチャル配信者の配信を一部抜粋した動画を見せた。
「内容はちゃんと見てないんですが、最近の配信の中で味噌美さんと夫婦を演じる様なことをした……って、ことで合ってますか?」
そう言われて、三輝はうなずいて頭を抱えた。
「……うなだれている場合じゃないではないです。赤目さんがこの状況でどこに向かうかわかりますか」
杉菜はそう言いながら二年前に引退したという言葉と赤目の痩せこけた顔や黒い黒い目の隈思い出していた。普通ではどうにもできない相手を狙ってメモリの売人は忍び寄る。
二年間メモリを常用していたとすれば精神への影響は思っているよりも根深い可能性がある。
赤目がいたのは廃墟となったスタジオだった。
「……どうしてここに」
コンビニ袋の中の総菜パンをあさる手を止めて赤目は目を見開く。
「……部門発足当初は何か大きな仕事の時にはこのスタジオを使用していたと聞きました」
杉菜がそう言うと、赤目は唇を噛んだ。
「でも、俺は捕まらないぞ……」
そう絞り出すような声を出し血走った目をぎょろりと動かした赤目に、杉菜もベルトとメモリを取り出した。
「妹さんの話は聞きました。あなたが我慢してきたのも察してます。でも、あなたがここで踏みとどまれる精神状態じゃないのも見ればわかります」
『ザッソーモン』
『サンフラウモン』
杉菜がメモリのボタンを押すと、安全な位置で猗鈴もまたボタンを押す。
そして現れたディコットに対し、赤目はまた自身の口元を手で覆って何事かを呟いた。
「もう知ってる」
猗鈴は呟きながら左手首を少し動かし光線を放ち、自分の影の上を横切る様にした。
すると、襤褸布に目と口をつけた様なデジモンが数体影から悲鳴を上げて這い出てくる。
「あなたの見えない攻撃のタネは影。おそらく、影と同じ動きを宿主に強制する能力で、影に潜んだ自分の分身を別の分身に殴らせ影を通じて殴ってた。ダメージが抑えられてたのは、殴る側と殴られる影に能力の差がないからで、口元を隠しての呟きはメモリを使ってない状態だと遠隔操作が口頭指示でしかできない為」
そう言いながらディコットは赤目へと歩いていく。
「……いや、でもまだ俺には……ッ!」
『アイズモン』
赤目がメモリを取り出しボタンを押す。
それを見て、ディコットは迎え撃つ為に構えを取った。
「アイズモンの力は影に写しとること……二年前、仕事が手につかなくなった俺はアイズモンの能力であらゆるものを写し取りそれを手直ししたモデルを自分で作ったものとしてなんとか仕事を乗り切ってた」
メモリを挿した赤目の身体は、目玉模様の襤褸布を捻ったり重ねたりしてトカゲか何かを形作った様な姿に変わった。
「アイズモンの能力は現実のものをコピーして現実にも出せる! 俺が言ってることがわかるよなぁ!?」
赤目の言葉にディコットはうなずいてさらに歩いていく。
「わかりますよ。引っ込みがつかなくなっただけで傷付けるのが怖いんだって」
杉菜の声に赤目はその場でぶんと腕を振って走るバイクをその場に産み出した。
それに対してディコットが左腕を前に出すと、バイクの側面にどこからか飛んできた機械仕掛けの鳥が衝突して当たらない様に転倒させる。
『アルティメット』
流れるように手に収まった機械仕掛けの鳥、アルティメットメモリを変形させると、ディコットはそれをはめてベルトに花を咲かせる。
『サンフラウモン』『ザッソーモン』
『アルティメット』
ディコットの姿が変わって手には剣が収まり、バイクが一蹴されたことも含め、赤目は思わずたじろいだ。
「ま、まだ色々あるんだからなっ!!」
そう言って産み出された乗用車をディコットは剣で切り伏せる。
単に切られただけなら勢いでぶつかったかもしれないが、ディコットアルティメットの剣はデータを吸う剣。切り開かれて届く頃にはデータを吸われて形自体保ちきれていなかった。
「……答えの出ない中で正解をつかもうともがいてふとした時に間違えるのはわかります」
杉菜の声と共に次に召喚されたトラックが斬られ崩れて消えていく。
「でも、どこかで道を間違えたと気づいたならば引き返さなければ。認めるのも向き合うのも傷つくとわかっていても、目をそらし続ける方が苦しいこともあるはずです」
ディコットがベルトのサンフラウモンとザッソーモンのメモリのボタンを続けて押す。
『ロゼモン』『ローゼスレイピア』
『ブルムロードモン』『スプラウトラッシュ』
ディコットの手に持った剣が淡く光をまとっていく。
赤目が一瞬口を噤む。
『綾光路三輝』というキャラクターには相応の金がかかっており大きな影響力もある。三輝は自身の一存で交際できる立場にはなかった。
でも、妹にも非はなかった。致命的なトラブルに発展する前に告白して決着をつけたのだ。
非があるのは親しい二人がどちらも苦しみながら頑張っている中でメモリに頼ってしまった自分にしかないと理解していた。
今の状況も素直に受け入れてメモリを解除するべき。でも、赤目はこの場で電車の車両をその場に生み出した。
ディコットの剣が突くように振るわれると、持っている剣がまっすぐ伸びて出現してくる電車を貫き、赤目の肉体さえも貫く。
そうして、ディコットが腕を引くと剣も縮んで戻り、赤目のアイズモンの身体が光と共に爆発する。爆発の後にはどこか安堵したような顔で倒れている赤目と壊れたアイズモンのメモリが転がった。
遅くなりましてすみません、というか投稿が光速のビジョン。夏P(ナッピー)です。
折角なので一話ずつ追っていきたいということで、ep37から感想書かせて頂きます。
そういえば皆して入院してたんだったというか、皆して似た者同士なのかさっさと退院しなきゃと考えることは同じな一方、喫茶店は聖地扱い。店長達いなくなると猗鈴サンが一番冷静になるのがちょっと面白かったですが、便吾君が持ってきたまんじゅうに対する感想と評価は冷静を通り越して辛辣。ふうとくん生み出した霧彦さんのように陽都を象徴する太陽を元に何か著名なお土産を生み出すかもしれないというのにこの扱い。最終兵器みかんだ!
持ち込まれた事件は金田一とかコナンで扱われそうな雰囲気でしたが、37話の中で一気にカラクリまで明かされてしまいました。というかVtuberの皆さんも実生活あるから大変というか、本人とガワの区別がよく付かなくなってしまったというか。でも実際にその境界線を最も掴めていなかったのは兄さんだったのか……。
というか、今回玩具CMの如くディコットの必殺技シークエンスがしっかり描写されてません!? さては夏か冬のボーナス時期で販促シーズンだった奴だ!
それではこの辺りで感想とさせて頂きます。
速めに最新話まで追い付きたく思います。