#演葬
夜も更けた丑三つ時。
人々が寝静まったはずの町に響き渡る喧噪を前に、『俺』は走っていた。
江戸時代から続く土塀に囲まれた道を過ぎ去り、段々と喧噪の音が近くなる。
やがて辿り着いたのはとある大きな屋敷……記憶の限りだと、確か元は武家屋敷で有名な士族が住んでいたらしい。
だが、その武家屋敷を囲っているはずの分厚い土塀の一部がまるで豆腐の様に切られており、地面には土壁だった瓦礫が切り取られた破片のように散乱していた。
一体誰がこんなことを……と、そう考えていると、つんざくような悲鳴が耳に届いてきた。
「ば、化け物だぁ!」
その悲鳴を聞いた『俺』は迷わず崩れ去った土塀から中へと入った。
敷地内に足を踏み入れると、何かと交戦する黒服姿の警察の人間が見えたすぐに見えてきた。恐らく警官である彼らは怯えた顔で目の前にいる【それ】と戦っていた。
警官たちが見ている先に会った【それ】を見て、『俺』は驚愕した。
「なんなんだよ、あれは」
そこにいたのは、緑色のカマキリのような化け物だった。
鋭い歯を覗かせる口、目がない代わりに赤い触覚が目立つ頭部、何より特筆すべきは両腕に生えたその大鎌。
鋭く切れ味がよさそうな獲物で外壁を切り裂き、侵入してきたのだとわかる。
カマキリの化け物の足元には倒れ伏した他の警官達や屋敷の人間の姿があった。既に犠牲者が出ている事に拳を握るが、誰かの悲鳴がすぐさま悔やんでる暇はないと気づく。
前を見れば警官の持っていた刺又が先端から斬り落とされ、無防備になってしまった光景が広がった。
武器がなくなった事に怖気づいた警官は腰を抜かしてしまい、その場から動けなくなってしまう。
「ひぃ!?」
『シャアアアア!!』
カマキリの化け物は奇声を上げながら腕の大鎌を高く振り上げる。
あわや真っ二つにされようとしている警官を前に、『俺』は咄嗟に動いた。
犠牲者の警官が持っていたであろうその刀を拾い上げ、腰を抜かした警官の前に立つと、その手に握っていた刀を勢いよく振り放った。
「ハァァァ!!」
瞬間、カマキリの化け物が振り下ろした大鎌が刀の刀身とぶつかり合う。
金属同士がぶつかり合う激しい音を響かせながら、大鎌は真横を掠って地面へと深々と刺さった。
常人を優に超えた膂力と刀が刃こぼれするほどの大鎌の切れ味に驚きながらも、咄嗟に身動きのできない警官を抱え上げて『俺』は咄嗟に離れた。
カマキリの化け物は地面に刺さった己の大鎌が引き抜こうとして追撃どころではない。その隙を見計らって、他の警官の元へ自分の抱えた警官を預け、振り向いて身構える。
握った刀は先程の一撃で刃こぼれしており、今でも折れては不思議じゃない。せめて、もう少し頑丈な得物があればなんとかなるんだが。
そう思いながら苦戦を強いられる覚悟でカマキリの化け物と対峙する……対してカマキリの化け物は地面へと刺さった己の大鎌をようやく引き抜くと、こちらへと狙いを定めて、飛び掛かろうと四脚の足に力を込める。
来るか……そう思った矢先、カンカンと甲高い鐘の音を打ち付ける音が聞こえた。
何かと思えば、黒服姿の警官達の姿があり、それが増援と気付いたのは彼らが持っている鉄砲でカマキリの化け物を攻撃し始めたのだからだ。
「撃て!」
その号令とと共に、激しい発砲音と共にカマキリの化け物へと弾丸が発射されていく。
カマキリの化け物は敵わないと思ったのか、着弾する前に地面を蹴って大空へと逃げていく。
闇夜に消えていく緑の体躯を見て、『俺』は苦虫を噛み潰したような表情で呟いた。
「最近人斬りがあんな物の怪なのかよ……」
最近この町・五十土町(いかづちちょう)にて騒がしている切り裂き事件の犯人を前に、この『俺』――――『緋山 真守(ひやま・まさのり)』は悪態づいた。
これは、この町で起きた摩訶不思議極まる怪奇譚の話。
そして、俺が出会った謎の魔獣……喋る黄金剣こと『アイツ』との出会いの物語。
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翌日の事。
武家屋敷を後にした俺はこの町・五十土町にある警察署にて朝を迎えていた。
無事だった警官が寝ている医務室を後にし、俺は外へ出ていくために廊下を歩く。
署内では様々な人々が忙しなく行き交いしており、昨夜の物怪事件の対応に追われていた。
朝っぱらから忙しい所を後目に歩いていると、そこへ一人の男が呼び止めた。
「おい、緋山」
「一ノ瀬さん」
俺を呼び止めたのは、一人の眼つきの鋭い男性。
名前は『一ノ瀬次郎(いちのせじろう)』……この警察署に滞在している顔見知りの警察官であり、階級は警部補。
どうにも近づきがたい雰囲気を醸し出しているこの人はいかにも固そうな口から言葉を吐きだした。
「お前、まだ突っ込むつもりか。この事件に」
「すいません……そっちの迷惑にかかってしまうのは百も承知なんですが」
「謝るな馬鹿が。……本当なら注意の一つや二つ言いたいところだが、お前は俺の部下を助けてくれた。あの時助けてくれなかったら、犠牲者が増えていたかもしれない」
「そんな……俺が力があれば、何とか退治することができたんですが」
自分の無力さを呪いながら、俺は拳を握りしめる。
無力さえなければ、血を流す人は減らしていたかもしてない……せめて切れ味の鋭いあの鎌を受け止める術があれば。
自然に悔しそうな表情を浮かべている事が嫌でも分かる程悔恨の感情はうちの胸を支配されていると、ゴツッと誰かの拳が俺の額に当たった感触が響いた。
それが次郎さんの拳だと気づいたのは、彼の低い声が響いたときだった。
「お前は根を詰めすぎだ」
「一ノ瀬さん……」
「緋山、お前は警官じゃない関係者で俺達警察官が守る市民だってことを忘れるな。無茶して死んでしまえばお前でも悲しむ人がいるんだぞ」
まるで睨みつけているような鋭い眼光で俺を射抜く次郎さん。
その瞳には厳しさだけじゃない『何か』を宿しており、少なくとも俺を叱りつけるためだけじゃないと悟った。
次郎さんは一息ついた後、そこへ部下の人が俺達の元へとやって来て次郎さんの名前を呼んだ。
「一ノ瀬さん、ここにいらしたんですか。会議の時間です」
「ああ、わかった。すぐに行く」
部下の警官に短く伝えると、次郎さんはあるものを渡してくる。
それはとあるお守りであり、見てみると厄除けのようであり、次郎さんは次のように告げた
「一度息抜きしてこい。神薙神社という場所で手に入れたものだ」
「神薙神社?」
「そこは神様だろうと断ち切るっていうご神体があるって噂だ。神社なのに神を切るってなんなんだろうな」
顔に似合わぬ軽口を叩きながら、次郎さんは背を向けて去っていく。
受け取ったそのお守り……狐色の布に『破邪退散』と書かれた物騒な内容のそれを見て、俺はとりあえず向かおうと思った。
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文明開化も新しい明治の町並みを通りすぎ、五十土町と隣町の近い所にある、とある神社――神薙神社。
規模は決して大きくはないものの、日本古来より信仰されている神様・稲荷大明神を祀っている名を知れた神社という触れ込みを事前に聞いてきた俺は足を運んできた。
「ここが一ノ瀬さんが言っていた神社か……」
見た感じ、至って普通の神社だと今のところは俺は思った。
だが敷地内に入ると、――――冬場の静電気に当たったような感覚に襲われた。
思わず驚いたような声をもらした俺は思わず周囲を振り向いた。一体何を俺が感じたのか、それを確かめるために目を凝らしながら見回した。
朱色の鳥居、一対の狛犬、大きな建物、その周囲には生い茂る木々、そして異様なボロ布を纏った半透明の人影。
ん?と何かを見逃しそうになった俺はその違和感丸出しの存在をよく見るとその人影は人間のように衣服を纏ってはいるが、しゃれこうべの部品がついた尖がった帽子と手に持った杖、素顔を隠しながらも覗かせる茶色の髪と緑色の瞳という日本人離れしたその要素に異様さを醸し出していた。
「なんだよ、アレって」
眉を顰めた事を感じた俺は恐る恐る近づく。
そして勇気を出して謎のボロ布の存在に声を出して声をかけた。
「お、おい」
『……?』
ボロ布の存在は半透明の姿で周囲を見回す。
そして俺が声にかけてきた事に気づくと、凛とした声を発しながら訪ねてきた。
『君、私が見えるのか?』
「お前、人なのか? 物怪なのか?」
『ふむ、その質問に答えたいのはやまやまだが……すまない、今の私には君を納得させられるような答えを持ち合わせていないのだ』
ボロ布を纏ったその人影は少し思案した後、あっけらかんに答えた。
とりあえず話が通じそうだなと思った俺は自己紹介をすることにした。
「俺は緋山真守。桐谷流剣術師範代を務めている」
『私の名はウィザーモン。異世界からやってきた"デジモン"という存在だ。以後お見知りおきを』
「で、でじもん?」
"でじもん"なる謎の言葉を聞いてきょとんとなった。
それに異世界って……御伽草子に出てくるような幽世でも異界でもないし、急に信じられるかと言わんばかりに困惑していた。
その困りっぷりはボロ布改め『ウィザーモン』にも伝わっており、やれやれと言った表情で提案してきた。
『まあなんだ。腰を落ち着かせても話すか』
「呑気だなお前!? いやまあ、いいが」
ウィザーモンの誘いに乗って、とりあえず神社の建物の一つである拝殿……そこにある階段へと腰かける俺。
俺の隣にウィザーモンは座ると、彼は話をし始めた。
『さっき言った通り、私はデジモン。異世界・デジタルワールドからやって来た存在だ』
「でじもん、ねぇ……お前どう見ても人間じゃないのか?」
『君達に似た姿のデジモンもいるんだ。デジモンは色んな姿の存在がいる……共通しているのは、デジモンはこの世界では普通の手段では干渉できない。ということだ』
「へぇー……で、お前何しにここ待て来たんだ? 観光か?」
デジモンって他にもいるんだ……とそう思いながら、俺はウィザーモンがこの神社にいた理由を尋ねた。
それに対してウィザーモンは真剣な声音で告げた。
『はぐれた仲間を探している。この近くにいるはずなんだが』
「仲間を? ここにいるのか?」
『ああ、この世界に辿り着いて20年も彷徨って、ようやくここへと見つけたんだ』
「はっ!? 20年もか!? おまっ、一体年齢いくつだ!?」
ウィザーモンの発言大して思わず感じた事を口にしてしまうが、ウィザーモンは気にせず神社の方へと視線を向けた。
その先にあるであろう"何か"と巡り合うためにココへやってきたのだと、俺は感じた。
「おいおい、この中にあるのか?」
『ああ、彼は確かにここにいる』
「この中にって……ほぼ閉め切られているような所に誰がいるんだ?」
ウィザーモンの確信した言葉を信じられないと思いながら、俺は階段を上り、拝殿の奥を覗く。
拝殿の奥には本殿がチラリと見え、人の姿は無論なかった。
凡そ人かでじもんなる物怪の姿は何処にもないと俺は思ったが、ウィザーモンは確信したような目で覗いていた。
『間違いない。ここにアイツはいる』
「いや……人っ子一人も見当たらんが」
『確かにいるのは確かだが……起きている気配がない。恐らく眠っている』
「眠っているって、ここには何も……あっ」
ウィザーモンが感じ取っている"何か"を聞いて、俺はとある事を思い出す。
それは次郎さんが言っていた『神様だろうと断ち切るっていうご神体がある』という噂。
もしかしたらそのご神体とやらがウィザーモンが言っている"仲間"かもしれない。
……しかし、今の今まで眠っているソイツは一体なんなんだ?
俺がそう考えると、ふと耳に異質な音が聞こえてきた。
――――それは虫が羽ばたくような羽音。
それがわかったとき、見開いて空を見上げた。
上空に飛んでいたのは緑の異形の影……それが昨夜のカマキリの化け物だと気づいたのは、急降下しながら大鎌を振り下ろした後だった。
「ッ!? よけろ!」
俺は叫んだと同時に、咄嗟に横へ飛び込む。
瞬間、振り下ろされた大鎌は拝殿の建物を容易く真っ二つにした。
崩れ去る拝殿を背に、俺は周囲を見回すと、ウィザーモンは反対方向に回避していており無事だった。
ウィザーモンは目の前の蟷螂の姿を見ると、驚きながら謎の名前を口にした。
『コイツはスナイモン!? しかも実体化している!?』
「おい、知ってるのか!?」
『デジモンの一体だ! 同胞からも恐れられている森の狩人だ!』
カマキリの化け物――スナイモンは俺を目掛けて鎌を振り回す。
受け止めきれる武器がない今、避けるしかない俺は必死に回避に専念する。なんとか鎌の刃に当たらずに済んでいる俺を見て、ウィザーモンは杖を構えると周囲に黒い雲のような物を生み出した。
バチバチと稲妻が走る音を響かせ、勢いよく叫んだ。
『真守、離れろ!』
「ッ!!」
『サンダークラウド!』
俺が咄嗟に飛ぶと、その瞬間ウィザーモンが雷雲から放たれた雷撃はスナイモンへと直撃。
当たれば黒焦げ必死なその一撃に俺は冷や汗をかいた。
「危ねぇ……雷を出すなんてお前なんなんだよ」
『少し物知りな魔法使い、と覚えておいてくれ』
「魔法使い、ねぇ。また御伽草子みたいなことを……」
俺は軽口を叩きながら、雷撃が直撃したスナイモンを見やる。
スナイモンは身体がしびれているのか身動きができなくなっている。
だが、俺には分かった。スナイモンから流れ出るその異様な殺気……俺は咄嗟に叫んだ。
「飛べッ!!」
『ギシャアアアアア!!』
咆哮と同時に大鎌を大きく振り放ったスナイモン。
その際に発生した風の刃とも言うべき鋭利な物が俺とウィザーモンの真横の地面を抉った。
俺は崩れ去った拝殿へと投げ飛ばされた……ウィザーモンは、それほど投げ飛ばされてないのか、呻いている声は聞こえる。
『うぐぅぅぅ……』
どうやら生きてはいるようだ……対して俺は身体が動かない。
叩きつけられたせいが身動きなっている俺をスナイモンが近づき、命を取らんと狙ってくる。
すぐそばまでたどり着くと、大きく腕の鎌を振り上げた。
「ぐっ!?」
もはや命これまでか……。
そう思った時、何かが聞こえてきた。
『おい、手前ェ……それでいいのか? 諦めるたぁ男児の風上にもおけねぇよ』
「はっ!?」
俺は声の振り向くと、目と鼻の先に本殿があって、崩れ去った扉の間から黄金色の輝きが見えた。
まるで壊れる事を知らない不屈の輝き……そう思えるほど、その光は強く輝いていた。
煌めく星のような輝きへ向けて俺は咄嗟に手を伸ばす。後ろでスナイモンの鎌が振り下ろされようとしていたが、構わず手を伸ばした。
『はっ、それだ。それでいい!!』
その瞬間、黄金色の光は一瞬にして俺の手の元へと届き、その手に握る。
振り下ろされたスナイモンの大鎌を容易く受け止めると、光が収まり、代わりに姿を現したのは黄金の剣。
まるで遠い海の向こうの異国にあった"黄金剣"と形容すべきそれを俺は握っており、今まで呆けていた所で我に返り、力を込めて押しのけた。
スナイモンは押しのけられ、大きな図体が地面へと転がる。今まで太刀打ちできなかった相手が倒れる所見て俺は驚き、黄金剣を見る。
「なんなんだよ、これ」
『ほう? 聞きたいか? 聞きてぇのか? 俺の名乗り口上を!』
「えっ、わわわっ!?」
黄金剣から発せられた声に気を取られていると、黄金剣の方から勝手に動き始めた。
手元から離れた黄金剣は姿を変えて、一体の黄金の鎧を纏った一体の魔獣。
頭部に刀身を生やしたその魔獣は高らかに名乗り上げた。
『オレはズバモン……"不朽不滅の刃"のズバモンたぁ、オレの事よ!』
黄金色の魔獣――『ズバモン』は俺の前に、自らをそう名乗り上げた。
悠久の時を得て、金色の刃は再び目を覚ました。