目隠しを外され、タツキの視界が開けた。
「あれ? なんだ、あの公園じゃん」
連れ去られ辿り着いた先は、 タツキ達がデジモンとの出会いを果たしたあの公園だった。
つまるところ、近所の開けた野外である。てっきりどこかの倉庫で監禁でもされるのではないかと。 思っていたタッチは拍子抜けしてしまう。しかも、周りを見渡すと――
「やっほ~、タツキく~ん」
「……マチもいるし」
聞き慣れた間延びした声で、自分を呼ぶ友人の姿があった。
「やっほータツキくぅん!!!」
「はい! はい! ボクだよ! ボクもいるよ!」
知り合ったばかりの女子高生こと斑目愛一好と、彼女のパートナーデジモンこと跳兎までいる。
「……皆いるし」
連れ去られた時の恐怖は、泡のように消えてなくなってしまった。
皆、タツキと同じく不意に連れ去られてきたようで、タツキと同じく無傷で解放されたようだった。
「僕達は、どうしてここに連れて来られたんだろう。一体誰が何の目的で……?」
最後の発言者、陽が真っ当な疑問を口にする。真面目な彼は真面目に不安がっているようで、尻尾の炎も心細げに小さくなっている。
無論、誰一人として心当たりが 無い。
そして今気がついた事だが、タツキ達をここまで連れてきた人物は既に姿を消していた。
仲間達に聞いてみても、「目隠しが取れた時にはもう消えていた」「動きが速すぎて見えなかった」としか答えてくれない。
タツキ達の疑問を解決してくれる人物は、滑り台の陰からひょっこりと現れた。
堂々たる立ち姿の後ろに、黄金の後光を背負って。
「おーっほっほっほ! 皆様、私のためによーくお集まりのようですわね!」
訂正。実際には後光を背負っておらず、あくまで背負っていると自認していそうな人物であった。
現れたのはなんと、タツキ達と年の変わらない少女だ。
真っすぐ切り揃えられたプラチナブロンドの長髪を翻し、ワンピースの裾を蹴り上げ、つかつかとこちらへ歩いてくる。
良く言えばコミカルに、悪く言えば間抜けにひょっこりと現れた癖に、目を見張るほど堂々としていた。
「集まったんじゃなくて集められたんですけど」
タツキの口から自分でも驚くほど冷静な指適が飛び出す。
この偉そうな人間は誰なんだろう。デジモン達がそう思う中、人間達の反応は違っていた。
(あの「いかにも」なお嬢様スタイル、髪の色、もしかして……『八武(やたけ)』の人なのか?)
淡い金髪、栗色の瞳で放つ女王の視線。これらはとある富豪の一族を象徴する身体的特徴。上質な生地のワンピースが、彼女の社会的地位を裏づけるようにはためく。
少女の特徴は、タツキ達にとって馴染み深いものであった。
「その顔を見るに、察しがついた ようですわね。ええ、私はそう! あ・の・八武一族が一人!」
少女は己が一族の名を力強く叫んだ。そしてそれは、タツキ達が頭に浮かべた名、イメージと完全に一致している。
そう、やはりあの八武一族だったのだ!
「富豪番付常連と言えばあの八武。CMに入る度に絶対名が 出るあの八武。進出してない分野はまず無いあの八武。政界にも顔が利きまくり、っていうか一族の者に結構政治家がいるあの八武。外国では織田信長の次に有名な(※私調べですわ)あの八武。とにかくスケールがビッグでラグジュアリーでエレガントな女傑が揃ったあの八武!!」
少女は舞台にただ一人立つ主役 のように、己の一族の輝かしき 功積を高らかに謳い上げる。
そう。八武とは、古くは室町時代より続く名家の一族。巫女の家系を発端とし、地主や将軍家、その他有力者の血を次々取り込んで戦国の世も何だかんだ生き延び、戦前には一大財閥として成立し、更に何だかんだあって現代は日本全国を経済面で支配していると言っても過言ではない、とにかく日本人にお金持ちってだぁれ? と聞いたら真っ先に返ってくるほどの貴族である!
「そして私こそが、八武一族の全てを束ねる次期頭首! 八武森ノ神子羅々ですわ~!!!」
少女は――世紀の大財閥令嬢、八武羅々(やたけ・らら)は大見栄を切った。あまりの決まりっぷりに酔いしれる彼女のやり切った表情たるや。
「あの八武が……」
「マチ達に~、 ご用事~?」
まさか生きている内に八武の、しかも本家の姫と出会う日が来るとはまさか夢にも思わず、タツキ達は顔を見合わせた。
「ふふふ、驚くのも無理もないわ。なんせこの八武の姫が、貴方達もついこないだ知ったばかりのデジモンという不思議クリーチャーに関与していたなんて、驚くに決まっていますわ」
羅々はタツキ達の驚く顔を見てご満悦だ。
「で、なんの用なんすか」
「もう少し驚きを持続させてくださいます!?」
切り出したのは愛一好だが、 他の人間も驚き終わって質問したいフェーズに入っている。
「んぎぎぎぎ、八武を代表するこの私が、びっくりドッキリサプライズをお知らせして差し上げたというのに……!」
羅々はわなわなと震え、怒りを露わにするのではないかと思われた。が。しかし。
「んまぁ、それはさておき」
数分も経たない内に、特に誰かがなだめた訳でもなく羅々はひとりでに落ち着いた。
アンガーマネジメント、というやつではなく、単に熱しやすく冷めやすい性格のようだ。
「『何の用なのか』と問いましたわね。そう、それこそが私の目的ですわ」
「用も目的も同じ意味だろ」
ぼそりと呟いた村正の口元を、タツキは手でそっと塞いだ。 防具の上からきちんと抑えられているのかは不明である。
なんだってこいつは他人にすぐ敵意を向けるんだ。
羅々は全然気にしていないようなのが救いだ。彼女は自らの用、即ち目的を次のように語った。
「私は……セラフィモンの代理で来ましたの」
ざわつく面々。今度は人間のみならず、デジモンも驚いている。
羅々は今度こそ満足したと思われた。が、しかし。
「それ、来週じゃなかったっけ?」
とんでもない冷や水をかけられてしまった。
そう。セラフィモンが言っていた 「用事」であれば来週の筈だ。来週でなければ剣崎勇夜の誘いを断わらずに済んだ のだから。
「え、うっそ、ほんとに?」
羅々はどこからともなく、皮のカバーの手帳――おそらくタツキには想像もつかないほど高価な品――を取り出し、大急ぎでページをめくる。
目当てのページに到達した瞬間、 羅々の顔は真っ青になる。 手帳にはしっかりと、正しい日付で予定が記載されていた。
「こ、こここここれ、差し上げますから許して」
この貴族にも罪悪感という感情はあったらしい。自分の非を認めるや否や、(やはり)どこからともなく輝く物を取り出した。
それは本人は何も言わないが、明らかにダイヤモンドの指輪であった。台座にちょこん、と宝石が乗っているのではなく、おもちゃの指輪のように巨大な塊が乗っている指輪である。
「わ゛ぁー!!」
大ぶりのダイヤが裸で晒されているのを見てしまうと、 庶民としては汚い悲鳴を上げざるを得ない。
「結構です結構です! お気持ちだけで十分です!!」
「今やりましょ説明会」
「八武万歳~」
無理矢理にでもダイヤを引っ込めさせようと、子ども達はとにかく羅々をなだめすかす。
ダイヤの価値を知らないデジモン達(と全てがどうでも良い村正)はぽかんと 眺めていた。
「皆様なんてお優しいのかしら……」
なだめすかし作戦は、拍子抜けするほどあっさり成功した。
羅々は「よよよ」と涙を拭う仕草をしながら、ダイヤを懐へ雑に仕舞った。
次期財閥頭首がこんなに単純でいいのかとか、御令嬢にとってはダイヤの指輪は貴重品の内にも入らないのが恐ろしいとか、思うところは沢山あるがひとまず置いておく。
「では、気を取り直して“説明会”を始めましょうか」
すっかり落ち着いた羅々の目尻が、再びきりりと吊り上がる。
同時に、場の雰囲気も緊張感を帯び、人もデジモンも 関係無く皆が居住まいを正した。これか女王の風格というものかと、 タツキは感心した。
「まずは私の立場からご説明いたしましょう。 私は……皆様より先にセラフィモンに選ばれていた “選ばれし子ども”ですわ」
これにはまだ驚かなかった。
セラフィモンの言葉を素直に 解釈すれば、タツキ達より 先にデジモンと出会った者は即ち、先輩の選ばれし子どもだろうし、自分達のような一般庶民よりも「八武」の彼女の方が、よほど選ばれし子どもらしい。
タツキ達を真に驚かせたのは、次の一言だ。
「しかし、私は思いました。『八武の姫であるところの私が、ただ天使様の下で働くのも芸が無いわねえ』と」
タツキ達の目は点になり、口の形が独りでに「は?」と発音する際の形に変わる。
「じゃあ、ちゃん羅々は……何!?」
愛一好が真に迫る勢いで食い気味に叫んだ。
「それをこれからじっくり説明して差し上げますわ!」
「スパイとか?」
「この流れで雑に言い当てないでくださいます!? てか誰が“ちゃん羅々”よ!」
「え、マジでスパイなの?」
愛一好の発言に全力で驚愕の反応を示す羅々。
どうやら取っておきの台詞を愛一好が言い当ててしまったのが驚きであり、不服らしい。
「えー、セラフィモンからお声がけいただきましてですね……。しかし私は未来の女王様。言われた通り戦うだけではノブレス・オブリージュれません。そこで私は魔王軍に取り入り、情報を天使軍に横流しするスパイに立候補したのです! ……ここ盛り上がるとこなのに、どうして先に言っちゃったの?」
羅々は衝撃の事実になる筈だったのに、と、愛一好を恨めしそうに見た。
愛一好は「へへ」とウィンクしながら頭をかいている。本当に申し訳ないと思っているのだろうか。
「でも貴方達思ったでしょ。『それ、羅々様が魔王軍のスパイにもなれるって事じゃない? むしろ魔王の手先がスパイするためにセラフィモンに取り入ってない?』と。尤もな疑問ですわ」
「別に思ってなかったけど……」
ついでに言えば、誰も羅々「様」とは思っていない。
「恐らく魔王達も同じ事を思うでしょう。『この娘、エレガントで類稀なる美貌を持つが、しかし怪しい』と」
「うん。今の時点で怪しいもん」
「お黙りなすって!」
本当に羅々と愛一好は初対面なのだろうか。息ぴったりの漫才が繰り広げられていく。
「セラフィモンに身の潔白を証明するには? 魔王軍を完全に騙すには? どうすればいいか、私は奇策を思いつきましたわ! いっそ、天使軍でも魔王軍でもない第三勢力をでっち上げて、そこの代表を名乗ればいいのです!」
「……一番怪しまれるパターンじゃない?」
なんだか、話題の方向性が当初からどんどんずれている気がする。確か、セラフィモンの話を彼の代わりにしてくれるという話だったような……。
羅々本人のセンスも、かなりずれているような……。
「いいえ、そんな事はありません。何故なら実際に“中立”の立場として振る舞うからです! 中立としてしか動かないから、疑いようが無くなるのです! 魔王軍の詰問も怖くない!」
羅々はとにかく「中立」を強調して言った。何をおいても中立である事が重要なのだと、言外に伝えている。
「怪しまれる事なく、自由に動ける立場を手に入れるため、
戦争のせいでお亡くなりの郵便インフラに目を付けましたの! ダークエリアからリアルワールドまで、天使軍魔王軍一般市民の誰がお客様だろうと送料無料で何でも届ける郵便慈善事業者、その名も “手紙屋”! それが私達の名!」
羅々が目配せすると 拍手が起こった。
「“手紙屋”はあくまでエレガントで中立な郵便屋さん。両者の事情には深く立ち入りません。例え敵軍の情報が手に入ったとしても、世間話程度の事しかお話しません」
羅々は手のひらを下に向けて、拍手をやめるよう指示する。
「でも本当は、ちょっ…………とだけリアルワールドに侵入した魔王軍デジモンをやっつけたりもしますわ。何故なら人間なので! という体で悪者退治もします。今日の説明会も、あくまで郵便屋さんとして預かったメッセージを伝えるだけなので問題無し。世間話もたまたま敵軍攻略の鍵になっただけ。そんな感じで上手いコト活動します。しかも社会インフラを担っているので魔王軍は攻撃しづらい! 私頭良いですわーーー!!!」
最終的には自画自賛に収束してしまったが、それでも言い切った事には変わりないので、拍手は一応その後も続いた。
しかも、ちゃんとセラフィモンの話に戻ってきている。これは羅々を見直さざるを得ない。
「とにかく、ちゃん羅々が頑張っているのは分かった」
「分かっていただけて嬉しいですわ!」
羅々の演説内容に理解を示した愛一好と、理解者の出現に喜ぶ羅々。歴史的和解の瞬間だ。
「これはアレでしょ? おおっぴらには私達に味方できないけど、こっ…………そり手助けはしてくれるんでしょ?」
「そう! そうなのよ!」
羅々は喜びのあまり感極まって、涙を流しながらこくこく頷いている。
別に泣くほどの事でもないだろうに。
「んで、セラフィモンに頼まれたのは、『貴方達に何をやってもらうか説明する事』なのですが」
「おっと、急に本題に戻って逆にびっくり」
羅々はケロっと泣き止んで、説明を続行する。
さっきから気持ちの切り替えが早すぎて、愛一好もタツキも薄ら寒いものを感じた。
「“手紙屋”に関しては私が続けておきたいので、それ以外の仕事をやってほしいんですわね」
「あらら。郵便屋さんも面白そうだったのに」
愛一好ならば、江戸時代の飛脚よろしくデジタルワールド全土を駆け回れるだろう。手紙を無くしそうな気もするが。と心の中で失礼な感想が生まれた。
「説明の前に何か、ここまでで質問はありまして?」
質疑応答が始まった瞬間、選ばれし子ども達は一斉に手を挙げた。
「なんで人間とデジモンにはパートナーがいるの~?」
「そこから!? 手紙屋の前に、その話しないといけなかったの!?」
選ばれし子ども達からすると初歩的な質問をしたつもりだが、羅々からすれば初歩も初歩過ぎて予想外の質問だったらしく、羅々は大層驚いていた。今度は羅々が引く番だ。
「そもそもパートナーってなんなん? なして相手が絶対決まってるの? なして人間のハートのパゥワでデジモンのパワーが上がるの?」
「デジモンとパートナーの人間の年齢がズレてるのはなんで?」
「デジモンとかデジタルワールドって、人間が作ったデジタルの存在なのに実体化? してるのはなんで?」
「待って待って待って! 多いわよっ!」
次から次へと羅々のキャパシティを超える質問が寄せられる。
これはまずいと感じた羅々は、ぜえぜえ息を荒げて質問者達を静止した。
「セラフィモンは必要最低限の事しか教えてないとは言ってたけど、私の基準では最低限にも届いてなくてよ! パートナーデジモンの皆様は説明してないんですの?」
「めんどくせえし」
「さっきからなんですのこいつ」
羅々は、何の臆面もなく「面倒くさい」と言い放った村正をじろりと睨む
タツキはもう一度村正の口を押さえようとしたが、間に合わなかった。というか、さっきも別に間に合っていなかったらしい。
本当に何故村正は態度に棘があるのだろうか。
「こんな事もあろうかと、これを用意しておいて正解でしたわ」
羅々は再び懐をがさごそまさぐる。
今度取り出したのは高級品ではなくて、大学ノートほどの厚さの本だった。
「デジモン・デジタルワールド丸わかりBOOK~! これさえあれば、セラフィモンの説明よりかは沢山の事が学べましてよ! さあどうぞ」
羅々が『丸わかりBOOK』をタツキに渡すと、タツキからマチへ、マチから愛一好へ、そしてデジモン達へと次々に回し読みをし始める。
あらかた読み終わった選ばれし子ども達の反応は――
「なんか、複雑だね」
と淡白だった。
「これでもはしょったんですのよ!! まあ、はしょらなかった所で『それ以上の事は分からない』の連発になるんですけど」
「セラフィモンから聞いた事も半分くらい忘れてたから、助かったぜ。サンキューちゃん羅々」
のっぴきならない発言のような気もするが、羅々は今更気にしなかった。
どんな言葉で締めるか考える方が大事なのだ。
「とにかくデジモンとは私たち人間を守るために生まれてきた電子生命体である事、パートナーとは守るべき人間であり、パートナーの感情に呼応して強くなる事。そして、パートナーの人間が死ねばデジモンも役目を終えたとみなされ消失するという事が分かっていれば問題はありませんわ」
人間とデジモン、それぞれのパートナー同士で顔を見合わせる。
セラフィモンから話を聞いた時は単なる「心を通わす相手」としか思っていなかったが――パートナーというのは思ったよりも深く重い関係性、「運命共同体」らしい。
「逆にデジモンが死んでも、データを引き継いだ転生体が生まれてパートナー関係は存続しますわ」
ここで、村正だけが苦虫を噛み潰したように顔を歪めた。しかし、未だ誰もその表情の理由を知らない。
「……そう。人間の油断がデジモンの死にも繋がる。その逆も有り得る。ゆめゆめ忘れない事ね。貴方達は運命共同体なのですから。ゆめゆめ忘れない事ね。ゆめゆめ……」
(まさか、「ゆめゆめ忘れるな」って言ってみたかっただけなのか……?)
ゆめゆめのゲシュタルト崩壊はさておき、人間とデジモンは運命共同体である……肝に命じておかなければ。
デジモン達が快勝していても、人間が下手を打ってお陀仏……となってはデジモンも死んでも死にきれないだろう。
そう考えると、ただデジモンが戦っているのを応援する存在ではいられないのかもしれない。
「えー、なんだっけ。そうそう、貴方達の仕事の内容を教えるんでしたわね」
ゆめゆめを連呼して満足した羅々は、いよいよ本来の目的を果たすために動き出す。
散々話題が迷子になったが、遂に本題に辿り着いた。
「私はできるお嬢様なので、場所のセッティングは完了してますの。ついて来てくださいまし」
そう言って、羅々は公園を出て行った。
果たして、彼女に案内された先に何があるのだろう。
◇
羅々に連れられ一行が辿り着いたのは、町の駅前広場だった。
「さびれた駅前ですわね」
羅々は地元民たるタツキ達の前で失礼な事を口走ったが、事実なので誰も反論しなかった。
農協の建物や小さな小さな観光案内所、利用者数の割に広すぎる駐車場があるだけの、本当にさびれた駅前だ。反論するだけ無駄である。
故に、通学通勤時間以外は静まり返っている場所だが、今日はなぜだか駅舎の前に人だかりができている。
群衆の中心にはパトカーが停まっており、事態へ対処しているようだが――
(違う、あれは人間じゃない!)
遠目から人の集団に見えたものは、近づいてみると異なる様相を呈していた。
黒光りするキチン質の翅を持つ、巨大な蟲の群れであった。
彼らは人間と変わらない背丈で、人間のように二足歩行をしていたので、まさか巨大昆虫であるとは誰も思わなかったのだ。
「ねえ。アレって“アレ”じゃない?」
愛一好は顔をしかめて、蟲の外見的特徴を指摘する。
多くの人間に「アレ」「G」呼ばわりされて、名前さえ忌避される不快害虫。蟲の特徴はそれに類似していた。
はっきり言って、ゴキブリである。
(闇のドラゴンの次は、ゴキブリが敵なのか……)
人間達は前回の敵との落差と、単純にゴキブリに近づきたくないという理由でげんなりしてしまう。
意外にも、お嬢様育ちの羅々は平気なようだが。
「虫みてえな奴ぁ大体友達ですわ。それはさておき、虫と虫型のデジモンとでは大違い。あれがただのコックローチとは思わない事ね。さて、あのデジモンの名前を知っている子はいるかしら?」
羅々に問われておずおずと手を挙げたのは、コロナモンの陽。
「ゴキモン、ですよね……?」
「正解。勤勉な子は好きよ」
ゴキモン。そのものズバリ、ゴキブリのデジモンだからゴキモン。結局コックローチじゃないか。
印象に一切変化が無いが、羅々に促されて一行は渋々ゴキモンに接近する。
パトカーを取り囲むゴキモンの数はおよそ二十体。
傍には当然だが警察官もいて、呆れた顔でゴキモンと口論しているようだ。
「だからよ、人間の兄ちゃん。そのイカしたデザインの車をちょ~っと貸してくれりゃいいんだ。ちょ~っと乗って記念撮影
するだけだからサ!」
「あのー、どんな時もキャラクターの演技を崩さないのは素晴らしい事だとは思うんですが、こちらとしては真面目な話をしているので……。駅前の利用許可も出ていないようですし……」
声が聞こえるほど近づいて分かった事だが、ゴキモンの外見は本物のゴキブリよりもデフォルメされているというか、コミカルで親しみやすい形状をしていた。
そのせいか、警官は彼らを着ぐるみパフォーマーの集団と勘違いしているようだ。
「許可ぁ~? 俺たちゃゴミ山育ちのゴキモンブラザース。許可申請は基本後出し!」
一応申請は出すあたり変に常識があるというか、わざと常識を無視しているらしい。
「こうやって頭下げてお願いするなんてのは、ゴミ山育ちの精一杯の敬意なんだぜ? 兄ちゃんも感じてるだろ。このクールなブラックの車に搭乗する、ビッカビカな黒いボディの俺ら……ぜってー“エモ”だから」
「そうだそうだ! 黒と黒で相性抜群だ!」
「白とのコントラストがイカすぜ!」
「エーモ! エーモ!」
推定リーダー格の提案に取り巻き達も次々と追随して、大合唱が始まってしまった。
ゴキモンとパトカーでどんなシナジーが生まれるのか理解できないが、ゴキモンの中ではとにかくエモーショナルなのだろう。
「見なさい。これが、デジモンによる迷惑行為よ」
羅々がやけに神妙な顔で言う。
「ゴキモンしかり、貴方達が出会ったデビドラモンしかり……。デジタルワールドでの戦争が激化してからというもの、どさくさ紛れに人間界に侵入し、悪さをするデジモンが急増しているわ」
デビドラモンとゴキモンとでは「迷惑」の質と方向性が、随分と違う気がするが――若い警察官が多大な迷惑を被っているのは事実だ。
「いやでもさ、あんなのがいたら急増してもしてなくてもニュースにならない? 今までデジモン知らなかった事の方がおかしくない?」
「それは私達“八武”が……もとい、選ばれし子ども達が、秘密裏に対処しているからです」
愛一好の疑問はもっともだが、羅々は食い気味にぴしゃりと返答し、続く疑問を発する事を許さなかった。
「世界の管理者アヌビモンは激務に耐えかね出奔し、悪魔は治安維持に興味が無く、天使は人手が足りず、そして人間社会はデジモンを受け入れられるほど成熟していない!」
世界の管理者がなんだって?
とても大事なことをさらりと言われた気がするが、羅々は質問する暇を与えてくれない。
「で・す・か・ら! 世界がデジモンに気が付く前に、私達でこっそりスマートに! 不法侵入者どもをとっちめる必要があるのです!」
羅々の大仰な語り口が再び加速し始める。髪をばさりと翻し、風切り音さえ鳴らす勢いで人差し指を天に突き上げた。
「セラフィモンより託された貴方達の役目! それは、人間社会を脅かすデジモン事件に対処すること! そこで経験を積み、来たるべき魔王軍との戦いに備えること!」
マントのようにどころか、マントだってそんなにバサバサさせないだろうという勢いで髪をぶんぶん振り回しながら、天を指していた指を今度はゴキモンに向けた。
「これが貴方達のファーストミッション! おまわりさんに迷惑をかけるゴキモン達を懲らしめてごらんなさいっ! ……っと、そろそろ面倒な事になりそうね」
羅々は堂々たる指令を尻切れトンボで終わらせて、ゴキモンの群れにつかつかと近寄っていく。
長話をしている内に、警官は応援を呼ぼうと通信機に話しかけていた。そりゃそうである。
「はいはい! ちょっと失礼!」
羅々はゴキモン達の群れに突っ込みずんずんと突っ切っていく。「なんだこいつ」と言いたげな視線をものともしない。
やがて群れの中心、警官の隣までやって来ると、その手からトランシーバーを奪い取った。
「あーあー。ラグジュアリー・コード101を発令。この案件は八武(ウチ)の管轄になりましたので、よろしく。こちらのお巡りさんを迎えに来てあげてくださいまし」
羅々は言うだけ言って、トランシーバーを警官の胸ポケットに戻した。
「ラグジュアリー・コード」ってダサいなとか、言いたい事は色々あったが、警官も選ばれし子ども達も唖然とする以上のリアクションを取れなかった。
更に、羅々の「仕切り」は対人間相手にとどまらなかった。
「ちょっと駅に近すぎて狭いわね。もうちょいズレてくださいますこと?」
お嬢様は場所が気に食わないらしい。
コックローチに臆する事なく、ゴキモンの列をぐいぐい誘導していく。
「誰だこの人間?」
「なんで急に仕切ってんだ?」
ゴキモンも戸惑っているようだが、群れの端から押されてじわじわ移動していった。
◇
「さて、ようやく本題に入れますわね」
ゴキモン達を駐車場の真ん中あたりに移動させ、「仕切り直しですわねっ!」とでも言いたげにきりりと顔を上げる。
ゴキモンはもちろん、選ばれし子ども達も怪訝な顔で羅々を睨んでいるが、彼女が今更そんなもの気にする訳が無い。
「実践の時です。新人さんたち、貴方たちの考える“良いやり方”でゴキモンを追い払ってごらんなさい」
ここに来て、ようやくタツキ達にマイクが渡ってきた。ここまでのやり取りを見るだけでもう既に疲れているが、やるしかないのだろうか。
「兄貴! あいつら、俺たちを使って授業してるみたいだぞ!」
「ふっふっふ。教材費を払ってほしいところだぜ」
ゴキモンは巻き込まれながらも何が起こっているのか察した。察した上で、「俺たちを説き伏せてみせろ!」と待ち構えている。別にそんな事する義理は無いのに。
誰が行く? と選ばれし子ども達は顔を見合わせる。しばらく無言で見つめ合った後、またまた陽が手を挙げて、とぼとぼ進み出た。
彼は例えるならば、学校の係決めで誰も手を上げない時の空気に耐えられず、渋々立候補するタイプのようだ。
「あの、あの乗り物は人間の警察の乗り物で、勝手に人を乗せたりすると大問題になるんです。それに人間はデジモンを知らないから、乗ってるのが見つかったら大騒ぎになってしまうかも……。だからここは、引いていただけないでしょうか……?」
多少おどおどしているのを加味しても、惚れ惚れするほど模範的な説得だ。
ゴキモンのリーダーは二対四本の腕を組んでしみじみと頷きながら、陽の言葉を聞き入れていた。
「コロナモンの坊やの言い分はよく分かった! だがよう、坊や。“話し合い”で何とかしようってぇのはいただけねえなあ。俺たちデジモンの良い悪い、偉い偉くないを決めるのは言葉なんかじゃねえ。分かってる筈だ」
ゴキモンは笑顔のままで凄んでみせる。
陽は「ひぇ」とか細い悲鳴を上げて後ずさった。
「そう! デジタルモンスターという種の根底にあるもの、それは闘争本能! リアルワールドの生命が“種の繁栄”を目的とするならば、デジタルワールドの生命は“最強の個と成る”ために生きるのよ!」
ゴキモンの言葉を羅々が引き継いだ。
彼が言いたい事、即ち「言葉以外の何を以て説得すべきか」を示すために。
「彼らが住まうのは弱肉強食の世界! 強さこそ全て、それ以外は無価値に等しい!」
「いや、流石にそこまで極端じゃねえけど」
「お黙り! そんな彼らに手っ取り早く言うことを聞かせるためには、己の力を示すしかない、つまり戦って勝つしかないっ!」
当事者のゴキモンから訂正が入っても、羅々は熱い語りをやめない。
「さあ、選ばれし子どもとそのパートナー達よ! ゴキモンブラザーズと戦い、強さを示しなさい! 駅前の平和を取り戻すのよ!」
やはり、こうなってしまうのか。
魔王軍との戦いが最終目的のタツキ達は、デジモンとの戦いを覚悟して来ている。しかし――
「だが、お前らが俺らゴキモンブラザーズと戦ったところでなぁ~」
ゴキモンの方は、そこまで乗り気になれないようだ。
「見たところ成長期ばっかじゃねえか。一応テイルモンもいるけどなんか、ぽけっとしてるし……。いくらゴキモンが素早さ全振り、攻撃と防御はヘロヘロなピーキーデジモンだからって」
「自分で言ってて悲しくならないんですの?」
「成長期と頼りなさげなテイルモンで、大勢の成熟期を相手すんのは無茶だ。勝てる訳がない!」
だから戦う意味も無い! と笑うゴキモン。リーダーに便乗して他の個体も次々笑い出す。
笑い声の合唱に混ざって、ぷちりと血管が切れる音がした。
「あ゛?」
ゴキモンの言葉に誰よりも強く反応したのは――
「誰が誰に勝てねえっつった? 群れても雑魚の糞虫が」
面の下から滲むような闘気を燃やす、村正だ。
彼の表情は、暗い影の底で光る双眸からしか計り知れないが、感情が激しく昂っているのは明白である。足元の砂利を不機嫌そうにじゃりじゃり鳴らし、竹刀をバス、バスと袖に覆われた手のひらに打ち付け挑発する。
陽が恐る恐る「や、やめた方が……」と進言するも、取り合おうとしない。
「やる気だけは成熟期級だな、コテモンの坊ちゃん」
戦いに貪欲になってこそのデジモンだ、と、ゴキモンのリーダーは笑った。
「そこまで言うなら仕方ない。言ってきかねえ成長期(ガキ)どもをゲンコツで黙らせるのもまたデジタルモンスターよ」
昭和の頑固親父のような価値観である。
ゴキモンがやる気になったのを見て、ついにあのデジモンも動き出す。
「ふっ。待ちくたびれたぜぃ。うさの実力(じつちから)を披露してあげようじゃないかね」
愛一好のパートナーデジモン、ルナモンの跳兎が「待ってました」とばかりにゆらり、どやりと進み出た。
白いふわふわな毛に包まれた小さなおててをポキポキと鳴らしてやる気をアピールしている。
会話を陽に任せっきりにしていた癖に、この言い草である。
「あれ~? 跳兎ちゃんってこんなキャラだっけ~? もうちょっとクセのない性格だったような~」
「なんか家で一晩過ごしたらこうなってた」
愛一好の影響力が強いのか、跳兎が影響されやすい性質なのかは不明だが、初対面時に比べて好戦的かつエキセントリックになった跳兎であった。
「ねえねえ。もしかして、戦い始まるの?」
「そうだよ」
テイルモンのクラリネに至ってはこの始末。ゴキモンの指摘は正しいと言える。
「両者の合意が得られましたので、バトルを始めますわよ! 見合って見合って!」
「それは、お相撲」
「はっけよい、バトルスタート!」
選ばれし子ども達は、正直言ってこの状況に危機感や緊張感を覚えていなかった。「はいはい。やっと始まるのね」と、半ば呆れてさえいた。
初めて接敵した相手のデビドラモンに比べると、ゴキモン達はコミカルで親しみやすく、
何よりゴキブリという身近なモチーフが警戒心を削いでくる。あくまで「命の危機」に対してものであるが。
だが、すぐにこの認識は誤りであると、戦闘種族・デジタルモンスターはどんな姿かたちでも脅威的な存在であると、思い知らされる事になる。
「ゴキモンブラザーズ全員集合だ! ゴミ山育ちの恐ろしさ、思い知らせてやれ!」
ゴキモンのリーダーが威勢良く手下を鼓舞する……全員、集合?
「待ってたぜ兄貴!」
「オイラの出番だね兄貴」
「やったるぜ兄貴」
ゴミ箱の中マンホールの中道端の側溝の中、植木の茂みの中空き店舗の中、駅の周辺に存在するあまねく隙間の中から威勢のいい返事が上がる。
かと思えば、黒々として艶やかな、しかも特大サイズの塊がぞわぞわと這い出してくるという、考えただけでも肌が粟立つ悪夢の事態が発生したではないか。
彼らは韋駄天――と表現すればバチが当たるかもしれないが――の如きスピードでゴキモンリーダーの下へと急ぐ。
元いた20体に新たに現れた個体を加えて、総勢およそ100体のゴキブリ、ではなくゴキモンが、選ばれし子ども達の前に集結した。
「あらまぁ」
虫みたいなやつは大体友達の羅々でさえ、この言い様である。
もしもここに虫嫌いの人間がいたら、重篤なトラウマが残っていただろう。もしゴキモンがよりリアルな虫に近い造形だったら、タツキ達だって危なかった。
前言を撤回しよう。デビドラモンと比べて侮って、申し訳ございませんでした。
「かかって来い小僧ども! 俺達は逃げも隠れもしないゴキモンブラザーズ!」
ゴキモンブラザーズがこちらから攻めてくるのを待っている。こちらから仕掛けた以上、ゴキモンに背を向けて逃げる事は許されない。
「やっちまっていいんだよな」
バチバチと大きな音がして、村正の竹刀の表面を白い電光が走り出す。
これをゴキモンに向かって放電したのを皮切りに、戦いの火蓋が切って落とされた。