つくづく思う。“きょうだい”なんて碌なもんじゃ無い。
きっと向こうもオレと同じくらい。いいや、オレ以上にそう思っているだろう。仲が悪かったとか、もはやそういう次元じゃ無かったから。
オレは妹が怖かったし、妹もオレを怖がっていた。
両親は兄妹間で明確に格差を付けていて、オレの位置は常に上方に置かれていたけれど、パートナーの世代差を一瞬で覆した妹は、いつか同じようにオレとオレのパートナーの全てを追い抜かして、ずっときらきら光の当たるところを自力で走って行くんじゃないかって。そんな予感はずっと付き纏い続けて――20年の時をかけて、その予感は現実の物となった。
今や妹とそのパートナーは、誰もが羨む立場を我が物とし。
方やオレはといえば、どこにでもいる一介の社畜。……いや、妹が下手に名を上げている都合上、下衆の勘ぐりに晒されたりと大変迷惑を被っている分、余計に惨めというか、何というか。
……自業自得と言えば、自業自得なのかもしれないが――いや、やっぱり理不尽だ。親の差別主義のツケまで払わされてるようなモンなんだから。というか、たったの20年前まで、むしろ『正義』はオレの側に在った筈なのに。
それに、オレのやらかしなんて。
幼心の出来心。子供特有の傲慢が生んだ――そう、事故。事故じゃないか。
大した怪我だって無かったんだし。
誰が悪かったのかと言えば、あの後の親父の対応の方が、よっぽど――。
「シュンちゃん、起きて、乗り換えだよ」
「んぁ」
パートナーからの呼びかけで、初めて自分が微睡んでいた事に気付く。休みを取るためにギリギリまで仕事を詰め込んだツケが、そろそろ厳しい歳になってきたってワケだ。
顔を上げると、アナウンスと主に車内の電光掲示板に降車駅の名前が流れていた。
嫌な夢見てた気がするな。
「嫌な夢見てた?」
「たぶん」
膝の上で実質抱き枕になっていたにもかかわらず、オレのパートナーは心配そうに大きな空色の目を潤ませている。
ちょっと心配性なところはあるけど、しっかり者で、良い子なんだよな。ずっと。
「……」
自己嫌悪がチクリと胸を刺す。
いい歳になったから解るんだ。妹がどうとか両親がどうだとか関係無く、コイツに「あんな真似」させたのは、確かに、悪い事だったなって。
「シュンちゃん?」
「大丈夫。……でもやっぱり昨日は早く寝とけば良かったな」
「ワタシ、ちゃんとそう言ったのに」
一転、パートナーの頬がぷく、と膨らむ。
人差し指で突くと、触り心地はもちもち、ぷすぅと抜ける空気は、空気弾を必殺技とする種族とは思えない程情けない音を奏でていて、思わず笑みがこぼれてしまう。
もう、とコイツは、どう足掻いても険しくならない目を吊り上げた。
そうこうしている内に電車が停まる。
パートナーのクッションと化していたカバンを肩にかけ直し、腕にはパートナー自身を抱えてホームへと降り立った。
と、
「あ、パタモン!」
子供の声が聞こえた。そうだねパタモンだね、可愛いねと、母親らしき声が続く。
ついでに――『デジモンアドベンチャー』の作者さんと一緒だね。と。
オレの方を指して、言っている。
「……」
耳にタコが出来る程聞いた流れだ。
小さい頃は、それを自慢に思っていた時分もあったけれど。
でも、オレのパタモンはオレのパタモンだ。種族としては一緒でも、タカイシ先生のパートナーじゃない。
進化先はエンジェモンじゃないし、それを勝手にがっかりされるのも正直うんざりだ。……って、いや。誰もそこまでは言ってないんだよな、今は。
ったく。折角の休み、折角の遠征だっていうのに。妹のせいでこの体たらくだ。
気分を切り替えよう、気分を。
「パタモン、ちょっとコンビニでコーヒー買っても良いか?」
「いいよ。だいぶ余裕を持って出てるから、一回改札を出て喫茶店に寄ってもいいけど」
「いや、コンビニでいいわ。パタモンは何か欲しいものあるか?」
「んー。じゃあオレンジジュース」
「ん」
構内のコンビニに入って、パックの飲み物が並んだ冷蔵コーナーへと向かう……前に。
「お」
冊子置き場から回り込むように歩いていると、知っている顔が目に入った。
数時間後にライブが開催されるシンガーソングアイドル・HARIの特集を組んでいる音楽情報誌だ。
本日のオレとパタモンの、旅の目的でもある。
「え、買うの? シュンちゃん」
「まだ電車長いっぽいし。デジヴァイスばっかり見ててもアレだろ」
「それは良いけど、同じの買ってなかったっけ」
「なんか……いいじゃんかよ、HARIのライブに行く道中で、HARIのインタビュー、買って読むの」
「シュンちゃんがいいなら、いいけど……」
HARI。
あの楽曲クリエイター・カジカPが唯一プロデュースした人間の歌姫という、異例の存在。
すらりと長い手足と短めに揃えた艶のある黒髪が良く映える、スレンダーで背の高い抜群のプロポーション。はっきりと整った目鼻立ちもさることながら、何よりも、その歌声。
基本的にデジモンの音楽教育を専門としているカジカPが目をかけるのも頷ける話だ。
HARI――玻璃。水晶。
名前の由来にもなった、透き通った、伸び伸びとした彼女の歌声は、妹の件もあってやさぐれていたオレの心に深く染み渡った。
彼女こそは正しくオレの光。アイドルと呼ぶに相応しい存在。心の支え。
HARIの更なる躍進に細やかにでも貢献できるなら、同じ雑誌でも1つや2つ――
「あっ」
そうして伸ばした手が、ふいに反対側から同時に延びてきた手と重なった。
断じて古典的なドラマでたまによく見るロマンス的な展開では無い。
見れば解る。紛う事無き野郎の手だ。……いや、それにしたってゴツいな。細くて骨張ってはいるが、だからといって弱々しさは微塵も感じない、デカい手だ。
そして思わず目線で辿った手の主も、その印象に違わない姿をしていて。
……オレも背は高い方なんだが、素で思ってしまった。「でっか」って。
長身痩躯の男である。
スーツにオールバック。いかにもお堅そうな、眉間に皺の目立つ顔つき。……なんだそのネクタイ、って感じの柄のネクタイと、人に刺さりそうな角度を有した革靴。
カタギじゃ無いって言われたら信じてしまうかもしれない。え……こわ。
「……失礼」
男は呆気に取られるオレを眉ひとつ動かさないまま見下ろして、一冊後ろの冊子に指を伸ばし直すとそれを取り上げてスタスタとレジの方へと引き返していく。足なっが。
「どうも……」
今更のように一言絞り出し、オレも雑誌を手に取り、ドリンク類を選んでからレジに向かう。
既に先程の男の姿は無かった。
「でっかい人だったねぇシュンちゃん」
「なー」
コンビニを出た先でもさっきの人物が見当たらない事を確認してから、パタモンが呟く。
「っていうか、ヒトだったのかな?」
「え……何、急に怖い事言うなよ」
その手の冗談を言うタイプでは無い筈なのに、当たり前のように首(?)を捻るパタモンに顔を引きつらせつつ、目的のホームへと歩みを進める。
見当たらなくなっていたかの男を同じ乗り場に見つけて。
何の因果か、指定席まで隣だと知って。
そういう訳で――オレとパタモンの短い休みの珍道中は、今思えば、こんなところから始まっていたらしかった。
*
「えっと……さっきは、どうも」
隣同士で知らない相手と同じ雑誌を広げたあたりで勝手にメーターを上げていた気まずさが限界に達し、先程返し損ねた謝罪のもどきが口を突く。
男の方はと言えば、まるでオレの存在に初めて気が付いたとでもいう風だ。オレの緊張につられて僅かに体毛がぼわと広がっているパタモンを一瞥すると、「ああ」と小さく頭を下げた。
「これはご丁寧に。こちらこそ、先程は失礼しました。ワタクシとした事が、手を伸ばすタイミングを計り損ねたようで」
口調は丁寧だが、表情は完全に『無』だ。突然話しかけてきた見知らぬ人間を煩わしく思っている雰囲気すら感じられない。
そんな筈も無いのに、さっきのパタモンの「ヒトだったのかな?」発言が妙に真実味を帯びた気さえして、ここから動きようも無い1時間弱に、少しだけ気が重くなる。
……つってもまあ、遅まきの社交辞令も済ませたんだ。これ以上何がある訳でも無い。
仮にホントにコイツが人間じゃ無いとか言いだしたとして、人間じゃ無い隣人なんて、そもそも原則全世界の人間の隣に居るのであって。
袖振り合うも多生の縁とは言うが、袖が振り合った人間同士が縁を感じる事なんてほぼほぼ無いような話じゃないか。
気まずいから何だ。
気を取り直して、雑誌の閲覧を続行――
「ところでその様子だと、貴方もハリのライブに行かれるので?」
前言撤回。袖が振り合った程度で縁が出来るなら、同じ雑誌の上で手を重ね合った相手と特急の隣同士になるのはなんていうか、もう、それどころでは無いんだろう。
いやあ、そう考えると昔のドラマって、なんやかんやよく出来てたんだなぁ。
「えっと……はい」
「「貴方も」って事は、アナタもHARIさんのライブに行くんだ」
チケット取れて良かったねと、オレに代わって、パタモン。……本当に助かる。
「ええ」
と、ここで男が僅かに片側の口角を持ち上げた。
表情の印象が、一瞬にして、柔らかくなる。
「恩人がサプライズで用意してくれたんです。……長い間遠方で過ごさざるをえなかったので、その復帰祝いに、と」
「へえ」
それはシンプルにいい話だ。共通の趣味を持つ友人がインターネットの向こう側にしかいない身からすると、普通に羨ましいまである。
「自分もライブは久々なんですよ。お互い楽しめるといいッスね」
「そうですね、ありがとうございます」
良い感じで会話にも区切りが付くと、気も軽くなった。
流石歌姫HARIだ、ファン層も広い。そんな訳は無いとは理解しつつ、休日というのもあって席の埋まった車内の人々が、みんなライブ会場行きなんじゃないかとさえ思えてくる。
どうにしても、物販と帰りの電車は激混みだろうなと。それだけは苦笑いの込み上げる思いだ。こうしてパタモンを膝に乗せて移動できるのは、行きの電車だけだろう。
だが、それを差し引いても、やはり楽しみだ。
別に、聞くだけならデジヴァイスのオーディオ機能で十分なのかもしれない。雑音が混じらず、好きな場所で気分のものを聞ける分、ただ音楽を楽しむだけならそちらの方が優れているまである。
でも、それでも足を運んでしまうんだよな。
雑音でしか無い筈の、自分を含めた周囲の熱狂。
1人分がひどく狭苦しい空間。ぶっちゃけ豆粒大にしか見えない歌い手の表情。
普段だと順番を飛ばす事もあるナンバー。
そんなモノまで含めて――休みの安念を返上してまで見て、聞きたい。と。
不思議と、そう思ってしまうのだ。
「時に」
と、ふいに今度は、男の方から。
特にこちらに視線をやらないまま、しかしどう考えてもオレに宛てて、男が薄い唇を開く。
「貴方方は、ハリの歌の、どういったところがお好きなんですか」
「……えっと」
「不躾にすみません。ただ、彼女の歌を聴くのも久しぶりなものでして。今現在の彼女がどのように世間に認識されているのか……現地に着く前に、少しでも情報を収集しておきたくて」
「歌聴くのも久しぶり……?」
「先に言った通り、遠方で過ごしていましたので」
いや、それにしたって、聴こうと思えば古今東西の曲が四六時中デジヴァイスで聴けるこの時代に……??
オレとパタモンは顔を見合わせる。
……ひょっとして、本当にカタギじゃなくて、遠方ってぼかしてるだけで……みたいな事は無いよな?
「その、こっちこそ失礼ですけど、久しぶりって、どのぐらい久しぶりなんですか?」
「……」
一瞬の間を置いて男が答えた年月は、オレにとっても忘れられない6月を迎えた年。
そんでもって、オレの記憶が正しければ
「……HARIさん、まだデビューしてなくない?」
俺の指のこわばりを感じてか、実際に口を開いたのはやはりパタモンの方だった。
いや、そこ、いいのかな、素直に言っちゃって――
「まあ、そうでしょうね」
と、男はあっさりとパタモンの疑問符に応じる。
「ワタクシ、反対していましたし。それを此方が目を離さざるを得なかった隙に……」
一転、男の眉間に深い皺が刻まれる。切れ長の目が険しさを増して怖さもマシマシだ。
え、っていうか、それより。
「反対してた?」
え……何、その、さもHARIを知っているかのような発言は。
「あの……重ねて失礼ですけど」
「はい」
「HARIの関係者さんか何かなんです?」
「兄ですが」
男はきっぱりと言い放った。
それはもう、一部の隙も無いぐらい、はっきりと。
ここでオレから男への警戒度は、一瞬にしてこれまでに無いくらいに跳ね上がる。
兄。
……兄。お兄ちゃん。
それはHARI推し界隈において、基本的にうっすらと忌避されている称号である。
いつだったか、HARIが雑誌のインタビューにて、「大切な人」について尋ねられた際、彼女は「兄」と答えたのだ。
それはきっとメディア的には望まれた答えでは無かったかもしれないが、「事情があって今は離れて暮らしているのですが、いつも、あの方にも届いて欲しいと願いながら、歌を歌っています」と綴られたHARIの台詞、その隣に飾られた写真が捉えた、あどけなさの残る彼女の優しい微笑みが、本当に仲の良い兄妹なのだろうなと、多くの読者の胸を打って。
打って――それは、良いのだが。
そのインタビューを受けて、悪乗りする輩がちらほらと現れたのだ。「俺、HARIの兄だったかもしれない」と。
よくある悪ふざけの類と言えばそれまでだ。なんならオレもノっていたまである。当時は特に、それまで以上に妹を煙たく思っていた時期でもあったから。HARIがオレの妹なら、本当に、どれだけ良かっただろう、と。
だが、一部ファンの自称兄語りが目立つようになり始めた頃、公式――彼女のプロデューサーであるカジカPが、SNSで苦言を呈した。
「HARIにとってお兄さんは本当に大切な人だから、軽々しく名乗るのはやめて欲しい」と。
本気で言ってる訳じゃ無いんだから、と反発する奴もいるにはいたが、公式から声明が出た以上は自粛するのがファンの努めだ。今回に関しては、向こうに何ら非がある話でも無いんだから。
でも当然のようにそれが出来ないファンも一部残っていて、未だに『兄ネタ』を擦り倒すサムい層は、HARIクラスタの中でもあんまり歓迎されてないってワケ。
うわー……マジかよ、ついてないな。よりにもよって、そんな奴と特急隣でご一緒だなんて。
何が「遠方に居た」だよ、そんなところまでキャラ詰めやがって。怖いわ。
「そ、そうなんスか。へぇ~」
とはいえ。
逃げ場の無い車内で内心を言葉に変え、恨みを買って刺されたりするのは絶対にごめんである。ましてやHARIのライブ前だぞ。そんなの、死んでも死にきれない。
オレも阿呆ではない。適当に話を合わせて、切り上げよう。それが賢い大人のやり方だ。
「HARIってザ・妹って感じで可愛いですもんね~。わかります、オレも妹がHARIだったら、どんなに良かったか」
「思うのは勝手ですが、軽々しくそういう事は口に出さないでもらえませんかね」
ヤバい。思ったよりヤバい奴だったという意味でもヤバい。
コイツ、同担拒否か。
あからさまな嫌悪感を孕んだ視線が物語っている。「何言ってんだコイツ」と。
それはこっちの台詞だよ馬鹿野郎。自分を赤の他人の兄だと本気で思い込んだ異常者なんて、それこそ漫画の世界の住人だと思ってたわ。
「サーセンシタ」
でも形だけでも謝る。オレは大人だから。
別に、射貫くような瞳に完全にビビったからだとか、そういう話じゃないから。
「先の言い方だと、妹さん、いらっしゃるんですか」
いよいよ滲み出してきた嫌な汗をそっと拭うオレの傍らで、異常者らしく引き続き踏み込んでくる男。
空気読んで欲しいとか以前に、個人情報……。
「いるよ」
多分助け船のつもりで、パタモン。個人情報ぉ……。
「では尚の事、褒められた発言では無いように思いますが」
だからオメーの方こそだよバーカ!
「そうは言っても、シュンちゃんは妹とあんまり仲良く無いの。カテーのジジョーってヤツだから、おじさんの方こそ、口出しはメッだよ」
個人情報ェ……。いやまあ、ホント、その通りなんだけど。
「……そうでした。家族だからといって、関係が良好だとは限らないのでしたね。ワタクシも身に覚えがあるので、解ります。その点については、失礼しました」
んー……まあ、一応話は通じる分、コミュニティで見かける「自称兄」の中ではまだマシな方――……え、ひょっとしてこの人、今の言い方だと、HARIとの関係については良好だと思ってるの?
こわ……。
男が小さく下げた頭に合わせて会釈し、そそくさと雑誌を広げ直す。
おお、HARI。笑顔の眩しい歌姫HARI。ファン層が広いって、良い事ばかりじゃないんだね。オレは大人しく、影ながらだけれど、真っ当に応援してるからね。
「あの」
「ヒャイ!?」
「質問の方、まだお答えいただいていないのですが」
「質問」
「お忘れでしたか」
え、えっと……ああ、そういえば。
HARIの歌のどこが好きなんだとかなんとか、尋ねられてたんだっけか。
んー……。
大丈夫? 答えによっては刺されない?
解釈違いとか、解像度が甘いとか……。
……でも、それさえ答えれば、今度こそ会話を切り上げられるっていうなら――。
「月並みな感想になりますけど、HARIの声って、すごく綺麗で」
「……」
「変な言い方になりますけど、不純物が混じってないっていうか。歌を歌う時、その歌の歌詞に沿った想いだけが乗ってるっていうか、ダイレクトに響いてくるっていうか……」
オレがHARIの歌と出会ったのは、人生で最悪の時期だった。
ただでさえ、仕事での疲弊を慣れと混同し始めた、所謂「限界」の時期だったのに、そこに”あの事件”だ。
オレは仕事以外でほとんど家から出られなくなった。誰とも連絡を取れなくなった。
実家が寄越すのはうんざりした話題ばかりで、友人の視線は、かつて彼らが妹に向けていたそれと同じであるように思えた。
今はまだ大丈夫でも、いずれ何かの拍子に妹がこれまでの「すべて」を暴露すれば、オレの人生はお仕舞いだと、そう、信じて疑わなかった。怯えていた。
鬱陶しく感じつつも、実際”パタモンのパートナー”としてなんとなく世間が無条件にオレを肯定してくれる根拠の土台――かつての選ばれし子供達が立ち向かった、解りやすい「悪者」の記号は、あの日、脆く崩れ去ったのだ。
妹が、自分で崩したのだ。
……HARIの歌が聞えてきたのは、そんな時だった。
夕食すら碌に決める気力が湧かず、近所のスーパーで値引きされた弁当とカップ麺のコーナーを、食べたい言い訳と食べたくない理由を並べて交互に行き来していた時の事。
SNSで話題になっているアニメーションの主題歌から切り替わったのが、彼女の曲だった。
特に誰が騒いでいるという訳でも無いのに何かしらの雑音が鳴り止まない店内で、その歌詞は明瞭には聞き取れなかったのだけれど、その声が紡いだ音色は、何故だか耳に残り続けた。
店内アナウンスに曲がぶつ切りに中断されると、もっと聴いていたかったのにと、不思議と、自然に、そう思った。
辛うじて覚えられたワードを頼りに、買い物を終えたオレは店の敷地を出ない内に歌詞検索をかけ、それが――正直を言えば、目にしたい名前では無かった――音楽プロデューサーの手がけた最新曲で。
しかしその歌い手は、アルファベット4文字で、オレの知らない名前を記していた。
曲を聴く決心が付いた、自宅マンションに辿り着いてからだった。
スーツから着替えないまま、ベッドに腰掛けて動画サイトで曲を再生した。
気が付けば、鼻にツンとした痛みを覚えて、リアライズしたパタモンが心配そうに俺の顔を見上げていた。
その曲は、再会を願う気持ちが込められた曲だった。
次にいつ会えるとも判らない大切な人。
別離は永遠では無いけれど――いや、どうだろう。ひょっとすると。と、付き纏う不安の影。
けれど相手は約束を破るような人じゃない。それだけは疑いようも無い。
そして私はその人に会いたいと、会えるまでずっと願い続けるし、そう願っているのは私だけではない。
まあ――ようやくすると、そんな感じの歌詞。
何てことは無い、ありふれた歌。
それだけの歌がありえないくらい胸に響いたのは、彼女の――HARIの歌声が、「そう」歌っていたからだ。
力の限り。
笑えるぐらい単純なハナシだ。
オレは実家と友達に、久方ぶりの連絡を送った。
案の定、母にはしこたま妹がらみの愚痴を聞かされた。正直かなり気が滅入ったけれど、元気そうなのは確かなので、そこは少し安心した。
どうしてあんな娘に。なんて嘆きに、それは間違いなく自業自得だよとは、口が裂けても言えなかったけれど。
途中で替わった父も、人様に迷惑をかけるな云々と偉そうに講釈を垂れていたので平常運転だ。百まで続く三つ子の魂も道半ばってところだな。
2人とも、最後にはオレとパタモンの身体を気遣う言葉を残して。……そんなだから、こんなでも、オレの親だよなぁと。そう思った。
友人達に関しては、完全にオレの杞憂だった。
なんなら彼らも妹の件で怯えていたまであるようだ。そりゃそうだ。あの町で妹に嫌な思いをさせなかった人間なんて、思えば数える程もいるのかどうか。
オレ達はお揃いで、揃いも揃って、最低だった。
そういう訳だからオレ達は仲良しこよしになった訳で。……休みを合わせて、飲みに行く事になった。
何よりもオレを安堵させたのは――他ならぬ、妹の事。
よりにもよって、この期に及んで。母は妹に、見合いの話を持ちかけたらしい。
その返事を聞かされて、オレは全身から力が抜け落ちた。
――私、もう二度とそっちには帰りません。お元気で。さようなら
事件以前の妹からは到底考えられない程素っ気ない言葉選びは、はっきりと実家への拒絶と断絶を表していて。
妹は帰ってこない。
オレの前には現れない。
先を行くが故に影を落としたとしても、わざわざこちらを振り向いたりはしない。もはや歯牙にもかけていないのだ、と。
それこそ「遠い所」に、妹は行った。
オレ達は再会を望まないし、今後、兄妹という理由で道が交わる事も無い。
HARIが大切な人との再会を望む歌が、裏を返して、再び巡り会わなくても良いという自由を、オレにも教えてくれた。
まだ、全部を割り切れた訳では無いけれど――少なくとも、あの日HARIの歌声があまりにも透き通っていたから、オレがここまで立ち直れたのは本当の事で。
「名前の通り、水晶みたいなクリアな歌声が、オレは好きです」
「……そうですか」
男は静かにそう言うと、窓の方へと視線をやって、遠い所を眺めた。
そっちから聞いておいて、納得したのかどうかすら判らない。
判らないが、これで終わりなら、それに越した事は無い。
これ以上話す事なんて、何も無い。
……。
「逆に、アナタはHARIさんの歌のどこが好きなの?」
パ、パタモン……!
……と、言いたいところなのだが。
コイツは余計な事は言わない。
オレが本気で望んでいない事はしない。
やって欲しいと感じ取った事は、やらない方がいい事まで、やってしまう。
実際、知りたくないと言えば嘘にはなる。
臆面も無く「HARIの兄」を名乗れる程彼女に傾倒している人物が、彼女の歌を、何を思った上で、聴いているのか。
男は顎に指を添えると、ふむ、と目を細めた。
「言語化するのは難しいですね。そもそも好き嫌いで考えた事自体が、当時は無かったので」
さっきの「デビュー前から知ってる」ロールプレイ、まだ続けるんだな……。
「最後に聴いたのは……カバー曲、という事になるのでしたっけ。カガ――ジカPの――」
きっちり初期の曲をチョイスしてくるあたり、ここまでくると見上げた根性だ。
それは、カジカPが彼個人の歌姫ことパートナーのオタマモンを、”あの事件”にも大いにかかわったという不思議アイテム・スピリットで進化させた後に製作された曲。
オレの出会ったあの歌が「再会を望む曲」なら、それは「出会いそのものを喜ぶ曲」で、今でも彼女を代表する『蝙蝠姫の子守歌』と並んでファーストアルバムにも収録されている一曲だ。……オレは複雑なジジョーによりあんまり聴かないんだけど、『蝙蝠姫』。
「あの歌は、ワタクシに「歌とは何か」を教えてくれたので」
「……」
「今のハリがどのようにあの歌を歌い、音楽と向き合っているのか。……それを確かめるのを、長らく楽しみにしていました」
「…………」
「あまり答えにはなっていないかもしれませんが、ワタクシが彼女の歌を聴きたい理由は、そんなところです」
オレは耳を傾けるがてら、男の眼差しの移り変わりを眺めていた。
……そんなオレの袖を、膝の上のパタモンが、軽く引く。
「ん?」
「あのさ、シュンちゃん」
「うん」
「このヒト? 本当に、HARIさんの本物のお兄さんじゃ無いかな」
もう一度男の方へと振り返る。
男は一転、片眉を持ち上げ、訝しげな視線をパタモンへと流していて。
「本当も何も、そもそもハリに偽物の兄がいる訳が無いでしょう」
それはもうその通りなんだけれども。
「いるんだよなコレが……」
「は?」
「あの、本当に知らないんですか」
恐る恐る、こわごわと。
オレは「兄を名乗る厄介ファン」について男に語り聞かせる。
みるみる険しく、冷たさを帯びる男の表情は、その、やっぱりカタギじゃなくない? みがすごいというか……。
「……だからハリを大衆の眼前に晒すのは反対だったんです」
ゴキン、と鈍い音が唸り声のように小さく響き渡る。
指関節って片手でもそんな音も出るんだなぁ。怖いなぁ。誰の顔を思い浮かべてるのかなぁ。
……コイツが兄を名乗る異常者だと、オレは思い込もうと努めていた(なんなら途中までは本気で信じていたし)。年も離れているようにみえるし、HARIは背は高いけれど、こんなに厳つくは無い。
でも、なりきりにしては妙に真に迫っているし。
逆に変なところで話が噛み合わないし。
それに、何より――あの表情。
オレは絶対、あんな目で妹を見た事なんて無い。
そう断言してしまえるぐらい、その眼差しは柔らかで、あたたかくて、あまりにも理想が過ぎていて。
……兄を語るHARIの瞳に、悲しくなるくらい、よく似ていた。
「貴方方が疑おうがどう思われようが、ワタクシは正真正銘、あの娘の兄です」
「ソノ……ハイ、スミマセンデシタ」
これで完全に赤の他人だったら本当に怖くて泣いちゃうから、頼むから真実であってくれ。
オレはいい歳をして幼気な子供のように、ぎゅっとパタモンを抱きしめた。
「むぎゅ……でも、どうしてそんな、離ればなれになんてなってたの?」
「……。そこまで世間に広まっている訳では無いのですね。では、ワタクシも下手に話さない方が良いのでしょう。あるかどうかは別として、公的なアナウンスを待っていてください」
「それもそっか」
「ただ、これだけはハリと、それから一応カ……ジカPのために断言しておきます。犯罪が絡む事情ではありません、と」
なんだか視線が痛くて、オレはそれとなく目を逸らした。
……本当の事を言えば。
コイツが本物のHARIの兄だと踏まえれば、疑問が解消される程では無いとはいえ、予想ぐらいは出来なくも無い。
だって、どうにもさっきから本名で呼びそうになっているらしい音楽プロデューサーは――
「妹……いや、兄妹って」
「? はい」
「そんなにいいモノですかね」
「大前提として、妹はモノではありません」
「……」
そりゃそうだ。……そうなんだよな。
「じゃあ、言い方を変えます。兄妹って、離れ離れになっても思い合えるぐらい、大切な相手なんですかね、普通」
「さあ」
さあって。
「普通の兄妹というのは、正直なところ、ワタクシにはまだ理解出来ない概念です。ワタクシにとってハリは、この世界とすら比肩する事が出来ない程大切な存在で――しかしワタクシの恩人には、姉と妹にいいように尻に敷かれている者も、兄を恐れていた者もいます」
「……」
「にもかかわらず、前者はワタクシとハリとの関係を異常だと指摘し、その上できちんと兄妹をやるべきだと諭しましてきました。片や後者の人物は、ワタクシとハリを、最初から兄妹として肯定してくれました」
男はまた、ふっと唇の片側を持ち上げた。
「どちらが正しいのか、どちらも正しいのか。あるいは、どちらも正しくないのか。ワタクシには判りません。ただ、どちらの対応も、今思えば。ワタクシにとっては、好ましいものでした」
HARIを語っている時には及ばないけれど――やはり、優しい目だ。
「しかしその一方で、ワタクシ達兄妹の父は、ワタクシ達の仲を最後まで軽んじていましたし――最後まで、解り合う事も出来ませんでした。ワタクシは彼を恐れていましたし、今でも、許すべきでも、許されるべきでも無いとは思っています。けれど」
「けれど?」
男は軽く目を伏せた。
「不思議と、憎んでいる訳では無いようなのですよねぇ……」
それから、数秒の間を置いて。男は「話が逸れましたね」と首を横に振った。
「何にせよ、ワタクシとハリは、誰がどう言おうと、兄と妹です。より率直に、正直に質問にお答えするのであれば、“普通”というくくりなど、知った事ではありません」
ここで、男は。
今まで以上にはっきりと微笑んで見せた。
「ワタクシの“世界で2番目に大切な人”は言っていましたよ。「人とデジモンが、デジヴァイス抜きでも、当たり前のように家族になれる日がいずれ来る」と。数多の前例を踏まえて目まぐるしく変わっていく世界で、何を以て“きょうだい”の関係を“普通”と見なすのか。ワタクシにはお答えできません」
「まあ……それが“普通”でしょうね」
模範的な答えというか。
「ただ」
と、男が続ける。
「ただ?」
「仲の良し悪しにかかわらず、伝えるべきだと思った言葉は、伝えておくに越した事は無い。……というのは、あの娘の歌が教えてくれた事のひとつです」
「……っスね」
パタモンの向こう側で背表紙を握ったままだった雑誌に、改めて視線を落とす。
何度も聞いたいくつものフレーズが、脳裏を過った。
そうして、僅かに視線を上げると、パタモンと目が合う。
青い目だ。
昔々、この世界に影を落としたとあるデジモンは、闇のデジモンのクセに青空みたいな色の瞳を持っていて。
同じデジモンに進化した妹のパートナーは、そうじゃなくて。
空色なのは、むしろこっちの方で。
オレは時折、ソイツがたまらなく不安になる事があった。
だって、オレのパタモンは、『デジモンアドベンチャー』のパタモンじゃ無いんだから。
周りは大抵、無条件に、パタモンをパートナーに持つオレが正しいみたいに思ってくれていたけれど。
ふと冷静になった時に、“悪い奴”について考えた時に。
オレが、本当にするべきだった事は――
「……なんていうか。ライブの前に、話せて良かったです。えっと」
「お互い、名乗るのは止めておきましょうか。プライバシーにかかわる事ですし」
今更だし、確か何回かパタモンがオレのこと「シュンちゃん」って呼んじゃってるけどな。
「あっ」て、今更口を押さえても遅いぞパタモン。可愛いな。
「じゃ、HARIさんのお兄さん。……改めて、ライブ、楽しめると良いですね」
「ええ。ありがとうございます。そちらこそ。名も知れぬハリのファンの方。あの娘の歌声が、あの娘自身の心が。他の誰かの心に響くものにまで成長してくれたと知れたのは、ワタクシにとっても喜ばしい事です」
どちらとも無く、握手を交わす。
男がにこりと笑みを浮かべた。
「まあそれとこれとは全くの別問題なので、ワタクシの目を盗んでハリをアイドルとして育成したカジカPを許す気は、全く、一切無いのですけれどね」
それは今日一番の笑顔で。
オレは涙目になって。
パタモンの毛はぶわと逆立った。
*
「流石に良い席だったな畜生……」
道中は結局一緒になる都合上、男と別れたのは現地に着いてからだった。
HARIに対してだった“サプライズ”の協力者に声をかけにいくらしい男に、一応今日の座席だけ聞いたら、まあ、案の定って感じで。
余裕を持って着いた会場だが、人も、デジモンも、既に半端な数では無い。
物販にも列が出来ている……が、こっちは後日になるとはいえ、ちゃんと通販もあるのでグッと我慢だ。遠征後の手提げは、パンフ1枚分が鉄の板じみて重くなる。
代わりに足を運んだのは、会場とは別に開放されている隣のホール。
壁に白いパネルが張られていて、そこに正方形の付箋でメッセージを張れるようになっている。
既に付箋が端から順に行儀良くパネルをカラフルに彩り始めていて、ちらりと視線を寄越せば、まあ、今日のライブに来られて嬉しいだとか、好きな曲のタイトルだとか、HARIの似顔絵だとか、そういうものがこれまた色とりどりのペンで書かれていて。
オレとパタモンも空いた机に入って付箋とペンを拝借し、周りと同じような、それでいて率直な言葉を書き記す。
それから――
「……」
「……あのね、シュンちゃん」
「ん」
ペンを握って机そのものに腰を下ろしたパタモンが、オレを見上げていた。
「シュンちゃんが怒られたら嫌だから、ワタシ、言わないようにしてたんだけど」
「うん」
「ワタシ、ピコデビモンとも、……本当は、仲良くしたかったんだ」
「……うん。そっか」
届くか届かないかは別にして。
「ごめんな、パタモン」
「ワタシはいいよ。今更言ったって――シュンちゃんが大好きな事を、言い訳に使ってたんだから」
オレ達は、書こうと思った事を書いた。
そうして、ライブが始まった。
割れんばかりの、演奏を掻き消してしまうんじゃないかと思うほどの拍手に包まれて、我らが歌姫、HARIがスポットライトの下にその姿を現わす。
言うまでも無いだろう。HARIの生歌は最高だった。
直前にサプライズを食らっただなんて、とても信じられない。HARIは一方向だけじゃなくて、観客全員を見渡していたし、観客全員と、そして自分のために歌っていて、オレ達はそんなHARIに向けて惜しみなく拍手と声援を送り続けた。
だけど、けして。HARIは、これまでの彼女でも無いのだろうと、そう思った。
今までに無いくらい晴れやかに響き渡る“あの歌”が、彼女の全てを、物語っていた。
あとがき
なんで俺はサロン最後のデジプレ外伝を、よりにもよってカスモブ視点で……(執筆中ずっとあった葛藤)
というわけで快晴です。ここまでお付き合いくださり、本当にありがとうございました。
こちらの作品をもちまして、私のデジモン創作サロンでの投稿は最後となります。そして、恐らく拙作『デジモンプレセデント』の本編にかかわるお話も……どうなんでしょうね。多分、最後になると思うのですが……。まあ、気分次第なところもあるので、ここについては「現時点では最終」という事にしておこうと思います。
さて、あとがき冒頭から「なんでこいつの視点なんだ」とは言いましたが、このお話の構想自体は、それこそ(何故か存在する)マカドスピンオフの頃から存在はしていました。なんで度で言うならマカドスピンオフの方が高い。
『デジモンプレセデント』って、小さな繋がりを賛美している一方で、モブが兎に角凶悪ともっぱらの評判(TL調べ)なんですが、じゃあ逆にカスモブは本当にカスモブでしか無いのか。いやカスなんですけど。でも、彼らもまた『デジプレ』世界の住人である異常、彼らなりの視点というのは、いずれ書いておきたいなとは思っていました。
そして、そこで出すなら、作中で何度か言及されていたこの男かなぁと。
はい、シュンちゃんはリューカちゃんの兄です。正式名称は多島駿一なんですが、マカドスピンオフでうっかりエーイチおじさんっていう、同じ一がつく名前を出してしまったので、被らせるのも何なので作中ではシュンちゃんで通させました。でもパートナーデジモンがいくつになってもちゃん付けとかで呼ぶ感じ、いいよね(言い訳)。
あんまり書いてて楽しくないキャラに造形しました。あんまり書いてて楽しくなかったです(素直)。
パタモンが可愛くなければ投げ出していたと思います。むかーしTwitterで言及しただけなのですが、駿一のパートナーがパタモンなのは既存設定です。パタモン→エアドラモンルート。
会場でHARIに嫉妬するカスモブと偶然遭遇してしまっての戦闘パート……みたいな構想もあったのですが、最後の最後でカスを増やしたくなかったので没になりました。あんまりシュンちゃんをいい感じに書くのもアレだったしね。
まあぼろくそに言ってはいますが、“お兄さん”との対比という意味でも、今後リューカちゃんの幸せに多島家が影を作ることは絶対に無いと言う証明という意味でも、こいつしかいなかったんじゃないかなぁと、そこは思いながら書きました。作中でも触れましたが、この兄妹の道が交わる事はもうありませんし、和解というルートも別に無いのですが、それはそれで、そういうもんだよね。というお話でした。
多分、『デジプレ』を楽しんでくださった読者の皆さんには、もっと見せるべき部分があったかもしれませんが、そこは作者としては、ご想像にお任せしたいところなので。
ハッピーエンドだと、それだけは断言して、多くは語らない事にします。……気が向いたらまた書きだすかもしれませんけれども。
という訳で、改めて。
デジモン創作サロン様、お疲れ様でした。途中デジモン界隈から行方をくらませた事もありましたが、5年と少し、ほぼフルでお付き合いさせてもらう形になっていたので、やはり少々寂しいです。
とはいえ新天地・スクルドターミナルの方でも執筆は続ける予定ですし、今後はデジモン以外の創作も、pixivの方でちょこちょこ上げて行けたらなと思っています。今後とも仲良くしてもらえると幸いです。とにかくはよ『エリクシル・レッド』の続きを書け快晴。
それでは、最後にもう一度。
今までありがとうございました! 快晴の次回作に、どうかご期待下さい。
自分でもびっくりするぐらい、その“手紙”に対して、私は何の感慨も覚えなかった。
おめでとう。
お幸せに。
今まで、ごめん。
形式上、ソーヤさんに宛てたものにはなっていたけれど、ソーヤさんに向けられたものとは思えない謝罪の言葉に、見覚えのある字。
凪いだ自分の心に――私はもう、本当の意味で“狭かった世界”に帰らなくて良いのだと、むしろ実感が湧いてきて、嬉しかった。
「だから、ピコデビモンも気にしなくていいんだよ。全部今更。あの人が何を思っていようが、もう関係の無い話だから」
今度は苗字も変わっちゃうしね。と続けると、この子はようやく安心したようだ。「そっか」と小さな牙を見せて、蜂蜜色の眼差しを細めた。
「もちろん、悪い事を企んでいたら、その時はその時だけどね。カンナ博士にも相談して、法的な措置も考え無いと」
でも、少なくともあの人に限っては、そこまでの事はしないだろう。
あの人は、“アレ”以来なるべく私とかかわらないようにしていたし。
それに――ハリの歌が好きなら。
そこだけは、最後の最後に、信じてあげてもいいと思った。
ハリの歌声には、人の、デジモンの心を動かす力がある。その点については、どんなファンにも負けないぐらい、私も知っているつもりだから。
別に、わざわざ謝罪を受け入れたいとも思わないけれど。
元気そうなら良かったと。これ以上あの人が影にならないという意味でも、そう思ったのも、本当だ。
それだけの話。
「さーてと」
ハリがライブでもらったメッセージの中から、ソーヤさんが先日出した“発表”への祝辞を纏めてくれたファイルを脇に置き、立ち上がって、背を伸ばす。
「暗黒の海の調査は一区切りついたけど、しばらく忙しくなりそうだから。もうちょっとだけ、がんばらなきゃ」
「まずはハリのサプライズ返しを手伝わなきゃだね」
「帰って来るなり怒られちゃったからね……「先に教えておいてください」って」
実のところ、私は言おうとしたのだけれど。ただ、カンナ博士が――っと、人のせいにするのも良く無いだろう。実際、最終的に博士達に合わせて黙っておく決断をしたのも、私なんだから。
「それに、もちろんリューカ自身の事もだよ。いっぱいあるんだから、準備する事!」
「あはは……わ、解ってるよ」
解っていても、頬が熱を帯びる。
ピコデビモンとオタマモンさんは元より、カンナ博士とアグモンさん、ソーヤさんのご家族の方が盛り上がっているように見えるけれど、私とソーヤさんだってずっとそわそわだ。うう……暗黒の海の方が、やる事が解りやすいぐらい。
もちろん――けして、不快な戸惑いでは無いけれど。
やることは山積みで、その山は幸せがいっぱいに重なっている。
そこから落ちた影の中を手探りで進むのも、何年かぶりの騒がしさを取り戻し始めた雲野デジモン研究所でなら――楽しみで、仕方が無い。
ピコデビモンを抱えて、手を付けるべき事に向かって歩き出す。
そういう訳なので。今度こそさようならです、血縁上は兄だった人。
この幸せは一欠片だって分けてあげませんが――祝辞だけは、素直に受け取っておく事にします。
『デジモンプレセデント・アンコール』おわり