Epilogue
「この世はアイドルで満ち溢れているっ!!」
あまりの興奮にスマホ片手にドンと叫んだ俺を眺めながら、ハリちゃんがじゅろろろーとミックスジュースが文字通り底をついた事を主張している。
自宅から持ってきたタライに身体を半分以上浸けながら今日も今日とて俺のミューズは夏の暑さも和らぎそうな冷たい視線をこちらに向けていて、仕草は違えど2人とも呆れている事自体は程度の差はあれ伝わって来た。
そういうのはね? 君たちが世にもマジェスティックなアイドルだからこそ許されるんだぜ?
誰が何と言おうが俺が許すのだが。
一応、それらしくこほんと咳払いしてから、俺はもう一度自席に腰を下ろした。
……あの目まぐるしい1ヶ月間――『ユミル事件』からさらに騒々しい1ヶ月と少し。
今年も、8月3日がやって来た。
とはいえ、この日になれば大々的に報道されていた『お台場霧事件』の特集は少々鳴りを潜めている。当然と言えば当然だろう。何せ、『お台場霧事件』を引き起こしたのはヴァンデモンだが、『ユミル事件』を解決したのも、ヴァンデモンだ。
全く違う個体なのに、同じ種類のデジモンだというだけで世間は好き勝手な事を言う。
それが良い意味であれ悪い意味であれ――『彼女達』を振り回している事には、変わりない。
最もあの『最後の進化』以来、『彼女達』は、そういうもんだと完全に吹っ切れている節もあるけれども。
『ユミル事件』の〆……カンナ先生の「忙しくなりそうだ」という予感は必要以上に的中し、もう、なんというか、本当に、色々あった。
説明を「色々あった」の一言で片づけてしまいたい程度には、色々あった。
しかしそういう訳にも行かないので、簡単にだけ、紹介しておこう。
とりあえず、まずは件のカンナ先生。
十闘士のスピリットやエンシェントワイズモンの存在そのものを伏せていた事もあって、研究者界隈からは結構な事も言われたみたいだ。
でもそんなの先生はどこ吹く風で、あの事件で得た資料を手早く纏め上げたかと思うと文句を言ってきた相手全員の前に突き出して、あっという間に黙らせてしまった。
そのくらい――先生が得た物は、デジモンの関係者たちにとっても信じられないくらいに価値のあるものらしかった。
それから、コロモンになっていたスカモンも、いつの間にか黒いアグモンに進化していて。
本人曰く、「普通のアグモンになる筈だったんだけど、ウイルス種だった期間が長すぎたのかもしれないわね」との事らしく。……このままいけば、というか、カンナ先生なら間違いなくきちんと育てきるだろうから、女性口調のブラックウォーグレイモンとかが正式に爆誕してしまうのだろうか……。
……口調は軽いけどどことなく陰のある金髪色黒女勇者系美女、か……。
「もしかしてやけどカジカの奴、またアホな事考えとるんちゃうか」
「ゲコ。ラーナモンも大体解ってきたゲコね。もしかしなくても考えてるゲコ」
未だに俺のスマホに居ついてる関西弁水の闘士と俺のミューズからの視線が痛いけれど、次行ってみよう、次!
……エンシェントワイズモンの周囲に居た『人間』達の事だ。
炎の闘士と土の闘士の人は警察に逮捕されて、風の闘士と雷の闘士の人は、一応、行方不明という扱いになっている。
エンシェントワイズモンの集めた闘士の器達は全員、エンシェントワイズモンが引き起こそうとしていた『世界の終わり』に関しては何も知らされていなかったらしい。とはいえ彼らが単体でやらかした事もかなりの量がある上、世界を滅ぼさないまでもばっちりエンシェントワイズモンと協力関係にあったのは事実なので――少なくとも、逃亡中の放火魔として罪状を重ね続けた炎の闘士の人は、もう一生、塀の外には出られないだろうとの事だった。
もちろん、最終的にはこっちに協力してくれたって言ったって、マカドだって、例外じゃない。
ただ、本人も言っていた通り非戦闘員だったらしいマカドは一応、直接人に危害を加えた様子は無いらしく。加えて、数年前の事件にしても法的な制裁は既に受けた後だとの事で、なんか、思ったより早く、出てくる、らしい。
今でも時々手紙でやり取りしているものの、相変わらず鬱陶しい奴なので割と本気で返事を書くのを止めようと思ったりもしつつ、『マカドが現在面倒を見ているデジモン』の事が気になってしまい、結局、つい数日前にポストに手紙を突っ込んだばかりだ。
マカドが、面倒を見ている、デジモン。
幼年期Ⅱとはいえ度を越えた傍若無人っぷりが半端ないタネモン――ピノッキモンの、生まれ変わりだ。
事件が終わって、カンナ先生が事後処理をしている間に出向いたデジタルワールドの森の館に、もう、ピノッキモンの姿は、無かった。
代わりに、やって来た俺とオタマモンを出迎えるように、玄関前の広間の中心にぽつんと、緑色のデジタマとUSBが、置かれていた。
中に入っていたのは老人の昔話のように長い手紙で、俺達に向けての今回の事件に関するお礼や謝罪やら、ゼペット爺さんの身元に関する情報やら、自分のデジタマの処遇についてやら――『蝙蝠姫の子守歌』への、感想なんかが、書かれていて。
で、その自分のデジタマについて。ピノッキモンは、「マカドに面倒を看させるように」と書き添えていたのだ。
どんな人間だとしても、それでもやっぱり、氷の闘士だった訳だから――心配していたのだろう。
かつての『片割れ』まで巻き込んで転生しているように見える事まで計算してだったのかは今となっては判らないけれど、一応、マカドとタネモンは、上手くやっているらしい。
「ユミル進化はさせない」と、マカドもそれだけは、約束してくれた。
「ピノッキモンさんにそんな事をしたら今度こそ殺される」と、まあ、そんな理由では、あるけれど。
あと、ゼペット爺さん――本物の『京山幸助』さんは、手術で無事胸元のスマホを取り除いた後、高齢過ぎるという理由で、塀の中じゃなくて介護施設で暮らしている。
元々は有名な『伝説のハッカー』だったらしく当然お尋ね者でもあったらしいのだが、結局、警察からは逃げ切った――という事になるのかもしれない。
……1回、マカドの代わりにタネモンを連れて会いに行ったんだが、『伝説のハッカー』なんて言っても誰も信じないだろうなって思ってしまう程度には、普通のおじいちゃんしてたけれども。
そして、忘れちゃいけない子がもう1人、目の前に。
「ハリちゃん」
飲み物も空にしてぼうっと窓から外を眺めていたハリちゃんが、俺の呼びかけに答えてこちらを向いた。
「身体痛いのは、もう大丈夫なんだよね」
「お蔭様で」
コラプサモンを還した後――ハリちゃんは、しばらく寝込んだ。
全身が軋むように痛い。との事で、あれだけの大仕事をしたという事もあってみんな随分と心配したのだけれど――その痛みが治まったと聞いた時には、もう、『こう』なっていたのだ。
カンナ先生が出来る限り確認した後、先生からの報告で事情を知った研究者や医者に診てもらったのだけれど、何1つとして、おかしなところは見当たらなくて。
ハリちゃんに施された『調節』云々なんて、まるで最初から無かったみたいに――異常は、1つも。
「きっと、マスターが『イロニーの盾』に細工を施していたのでしょうね。私がマスターの盾を使うような事態に陥った場合まで、最初から、想定していたのでしょう」
左腕。
手のひらサイズにまで縮まった『イロニーの盾』をブレスレット風にカモフラージュしたものを見下ろして、ハリちゃんがぽつりと呟いた。
俺の一言で、彼女もまた、この2か月を思い返したのだろう。
「私の中にあったデジモンに近い特異性は、消えて、無くなってしまいました」
『オフセットリフレクター』が『反転』のためのデータとして引っ張り出したのは、ハリちゃんの中の、デジモンとしての特徴だったのだ。
特異性が消えて
ハリちゃんは、スピリットによる進化が、出来なくなって。
その代わりみたいに――成長を、始めた。
びっくりするくらいの勢いで。
身長が、ぐんと伸びた。もうリューカちゃんより背が高い。俺も抜かれそうで怖いくらいだ。
体型は一応スレンダーなままだけど、それでもどことなく女性的な線が目立つようになった気がする。
もう、お兄さんが化ける必要も、無いからだろう。
ハリちゃんはコラプサモンとの対峙の時にカメラに映ってしまっていたのだけれど、今となっては言われでもしなければ――ひょっとすると、言われたとしても、同一人物だとは思えないかもしれない。
色んな意味で、メルキューレモンは、最後まで妹を護りきったのだろう。
……と、ハリちゃんはその左手を喉元へと持ち上げる。
顔には、お兄さんそっくりの、唇を片側だけ吊り上げる笑みを浮かべながら。
「この声以外は!」
……そう。
ハリちゃんの声は、相変わらず機材を通しても何ら変化を起こさない――デジモンの声のままだった。
歌を教えている事自体には感謝していると、言ってたっけか。
俺の興味が失われないようにと、苦心していたのかもしれない。
2ヶ月前ならともかく、今となってはハリちゃんの声質が変わったくらいで――いや、どうだろう。絶対に以前と変わらないくらい全力でレッスンに取り組めていたかと聞かれると、ちょっと解らない。
うーん。やっぱり妹の事となると頭の回転の仕方が変わってるような気がするというか、何というか。
まあ何にせよハリちゃんはマジェスティックな声をそのままに、レッスンもものすごい勢いで頑張って。
本日、めでたく、デビューする事になりました。
いっえーい!
……いや、まあ、とはいっても会場は俺の知り合いばっかりが集まった小さなライブハウスで、歌うのもソロではなくオタマモン……ラーナモンと、1曲目を除いて一緒になんだけれども。
だけど確かに――ハリちゃんは、ここから世界への1歩を、踏み出して行くのだろう。
「……カジカP」
「ん?」
「少し……心配です」
「ゲコ? ハリさん緊張してるゲコか?」
「していない訳ではありませんが、カジカPにお伝えしたい心配は、その事ではありません」
突然の「心配」とやらに疑問符を重ねる俺に、ハリちゃんは言いにくそうに、口を開いた。
「私は今から、アイドルを始めるのですよね?」
頷く。
「確かに、マスターは私にこの声を残しては下さいましたが……カジカP。マスターが貴方が私をアイドルにする事を、許可した記憶が見当たらないのです」
俺は、頷かなかった。
許可は――最後の最後まで、貰っていない。
「マスターは帰還後、カジカPを、どうしてしまうのでしょう」
「……」
「私の見当が正しければ、カジカPは連続で殴られた後上空に蹴り上げられて、頭部からの落下をさらに加速させるような形で身体を固定されたた上で地面にのめり込まされてしまうのではないかと……」
「んんん? 何? 俺のパラダイス、がらんどうになってロストしちゃうのかな??」
「っていうか何ゲコかその技」
「……真面目な話、覚悟しといた方がええかもしれんで」
不意に、やけに神妙な調子がスマホから聞こえて来て。
「……ラーナモン?」
「しつこいで、鋼の闘士は。古代の方で十分解っとるとは思うけどな? ……骨の5、6本は、あり得る」
「……」
「知らんけどな?」
言いつつ、直接面識があった訳でも無いっぽいのに、ラーナモンの声には妙な実感がこもっている。
古代鋼の闘士は古代水の闘士に振り回されがちだったけれど――それと同じくらい、古代水の闘士は古代鋼の闘士から理不尽なレベルの説教をくらう事も多かったとか、そんな話を、ピノッキモンが、していたような……。
……うん。
あまり、深くは考えないようにしよう。
……っと、古代鋼の闘士の名前が出たから、その事も、少しだけ。
エンシェントワイズモンは、確かにこの世界を滅ぼそうとしたけれど――それはそれとして、古代デジモンの研究者・キョウヤマとしては、結構真面目に研究データを残していたそうだ。
重要な資料として、既に沢山の研究者達に、情報が共有されているらしい。
その辺、なんだか無駄に律儀で――そういうとこやっぱり、お兄さん父親似だったのかもしれない。
「まあ……大丈夫だよ、うん」
そんな律儀なメルキューレモンが最後に俺に残した「震えて待て」の一言をとりあえずは振り払って、改めて、俺は俺のミューズ達を見た。
最高の歌姫である我がパートナーと
これから至高への階段を駆け上がる、アイドルの卵。
そしてこの2人でさえ、始まりに、過ぎない。
俺の、事。
あの後、雲野デジモン研究所の一員として良くも悪くも時の人となった俺は、メディアからもファンからも別にそうでも無い一般人からも質問攻め状態になって。
おめーのでしゃばるような場面じゃなかっただろと、俺を責める人達も当然居て、SNSは炎上気味にもなって、ちょいちょい凹んだりもしたけれど――
――そんな中でも理解を示したり、励ましてくれるファンも友人達も、当たり前みたいにちゃんといて。
俺は、そんな人達と一緒に、あるプロジェクトを立ち上げる事にしたのだ。
今回のオタマモンとハリちゃんによるライブの直後に、本格的な企画を集まってくれたメンバーと共に始める予定でいる。
名付けて、『デジモンアイドル育成プロジェクト』!
人間では無く、デジモンの有志ばかりを集めて1から歌の基礎を教えていこうという企画だ。
「この世にアイドルなんかいねえ」とふて腐れ続けてきた俺だったけれど、この2ヶ月、俺の知らない世界と触れ合って、それから、ハリちゃんに歌を教える内に――改めて、「アイドルなんて、自分で創ればいいじゃないか」という結論に至ったのだ。
この世界には、まだまだ魅力的なデジモンがたっくさんいる。
試しにツブヤイタッタワーで呼びかけてみたところ、冷やかしもそこそこあるだろうけれど、予想以上の反響が集まった。
故に――「世界はアイドルで満ちている」、と。
もしも本気でアイドルを目指すデジモン達が、俺を頼ってくれるなら――何が何でも、俺は全力で応える所存だ。彼ら彼女らを、この世の至宝に育て上げて見せる。
何と言っても俺は若き天才音楽クリエイター・カジカなのだから。
曲も歌い手もひっくるめて、俺は『音楽』を作るのだ!
と、そんな風に脳内も盛り上がってきたところで、ガチャリ、と控室の扉が開いて、隣にバケモンを連れた友人が、俺のアイドル2名を呼びに来てくれた。
「おっ、出番か!」
いつもの様に、オタマモンが水のヒューマンスピリットを纏い、闘士の精神の方は、ビーストスピリットの方に移動したらしい。
「頑張って来いや! ウチもカジカと見とるさかい!」
「あ、それなんだけどカルマーラモン」
「ん?」
「俺、ちょっと連絡したいところがあるんだ。スピリットの方リアライズさせるから、先行っといてもらえるかな」
そう言うと、直ぐに察してくれたらしい。
最初はキャラが濃すぎると思っていたけれど、それはどうやらお互い様らしくて、それからお互い、少しずつ、慣れてきた。
水のスピリットは、両方ともずっと、俺のところに有り続けるらしい。
ハリちゃんがデジモンへの進化を失い、他の器達からスピリットが取り上げられた今。
俺とオタマモンは国公認の『サンプルケース』として、これからも水の闘士として、やって行く事になっている。
で、その水の闘士そのものであるカルマーラモンは、「ははーん」とわざとらしく、何故かウキウキしたような声音で返して来たのでそれを合意だと判断し、水のビーストスピリットをリアライズさせて、友人に渡す。
ラーナモンもハリちゃんも、俺へと笑って見せた後、先に控室を後にして行った。
「……」
久しぶりに、1人だ。
1人で一度、向き合ってみるべきだと、思ったから。
ドット絵も『水』の文字も無くなった待ち受け画面で、ただ時計を確認する。
あの子はきっちりしてるので、まだ、出発はしていない筈だ。
あの子――リューカちゃん。
彼女は今日、パートナーと一緒に、『暗黒の海』の調査に出発するのだそうだ。
こちらでは初めましてです
読了致しましたので、短いですが感想を書かせていただきます
デジアドの世界線で進む物語が面白かったです
作中でデジアドの設定や本編の話が出てきてわくわくしました
ヴァンデモンに進化する、ただそれだけで迫害されてきたリューカちゃんとピコデビモンくん…カンナさん達に出会って本当に良かった…
カジカPとオタマモンさんの、お互いに理解しあっている関係性がすごく好きです
ハリちゃんが少しずつ人間として成長していくのがいいですね
カンナさんとコウキさんの関係も読んでいてついニヤニヤしてしまいました
リューカちゃんとピコデビモンくんが新しい「前例」となる物語…明るい未来があると強く思える物語でした