――ピピピピッ!! ピピピピッ!!
「……ぅん、ん~……」
目覚まし時計のアラームが響く、色々な物を散らかしている部屋の中。
一人の青年が、室内に立ち込める蒸し暑さに呻き声を発しながら意識を覚醒させる。
視界にモザイクが掛かってよく見えないまま、機械音声を発している目覚まし時計の上部のボタンを押す。
音が止み気だるそうに体を起こすと、口から大きなあくびが出た。
「朝、か……」
もっと寝ておきたいと言う睡眠欲を押さえ込み、青年はベッドから這うように出て茶色いタンスを開く。
中には黒や緑といった様々な色のシャツやズボンが混ざった形で収納されており、青年はそこから適当に選んだ黄緑色のTシャツと紺色のジーンズを取り出すと、無作法に足で箪笥を閉めた。
足元に散らかっているカードやプリントを踏ん付けてしまわないように注意をしながら、寝る際に来ていた青と黒の縞模様が特徴のパシャマを脱ぎ捨て、取り出した二つの衣服に体を通す。
衣服を外出可能な物に着替えた青年は、確認のために時計の針に目を向ける。
時計にある二つの針はそれぞれ、六時の方向を指しており、青年は自宅から出発する時間までまだ余裕がある事を理解すると、自室のドアを開けてリビングに存在する台所へと足を運んだ。
(お母さんはまだ寝てるか……)
青年はリビングの直ぐ隣の部屋でまだ寝ている母を尻目に、冷蔵庫の中にある鳥の唐揚げと書かれた冷凍食品の袋を開け、食器入れから取り出した一枚の皿に三個ほど乗せて電子レンジで加熱し始める。
(ただ待っているのは時間が勿体無いし、ニュースでも見るかな……)
内心で青年はそう呟くと、リビングに設置されているテレビの電源を付け、リモコンを操作してニュース番組にチャンネルを合わせる。
テレビにはアナウンス用のマイクを持った男性が映されており、その背後には大きなマンションが建てられているのが見えている。画面の右側にはテロップの表示で『原因不明の行方不明事件、再び犠牲者が』と書かれている。
『こちらのマンションでは―――に住んでいる十六歳の――――君が突然行方不明になってしまい、両親の――――さんと――――さんが、我が子の無事を切に願っています。これらの行方不明事件。発生原因も何も分からないままこれまでに何十人もの人達が犠牲になっており、解決の目処が立たない状態に陥っています』
青年はニュースの内容に顔を顰める。
数週間より発生している、子供や大人を問わず突如原因不明なまま行方不明になる事件。
人為的な証拠も一切残っておらず、何が原因なのかも分かっていないらしい。
(本当に怖いな……何も分からないってのが、一番怖い)
『警視庁はこれらの事件を『消失』事件と呼称。事件の解決に乗り出すために、行方不明になった被害者の身元や人間関係などを調べ――』
ニュースの内容に耳を傾けている中、電子レンジからチーンと音が鳴り、青年は加熱が済んだであろう鳥の唐揚げの乗った皿を電子レンジから取り出し、リビングに設置されているテーブルの上に乗せる。
食器棚から茶碗を取り出し、炊飯器からしゃもじで白飯を確保。茶碗に放り込み、唐揚げを乗せた皿と同じようにテーブルの上に乗せる。
その後、青年は唐揚げをおかずに米を頬張り始めた。テレビに映されたニュースに目を向けながら。
――不思議と、この日の唐揚げは普段より塩辛く感じた。
無情に輝く太陽の日差しが大地を熱し、通りすがる人物の片手には小さめの団扇が見られる夏の街。
ふと上を向くと、綿菓子のような形の入道雲が悠々と泳ぎ、青く美しい空を形成しているのが見える。
建物の中には機械によって作られた冷たい空気が流れ、外の暑さが嘘のように涼しく心地よい空間が形成されている。
月日は七月の十二日。時は十一時。
この日、青年――|紅焔勇輝《こうえんゆうき》は友達とある店で集まる約束をしていた。
自転車を漕ぎ、風を感じながら坂道を突き進む。
そのすぐ隣では車が通っており、エンジンの音が街中に響き渡っている。
家を出て|十五分《じゅうごふん》程度の距離に、目的の場所であるゲームショップはあった。
休日だからかまだ午前にも関わらず、かなりの人だかりがある。
勇輝はそれらにぶつかってしまわないように避けながら、視線の先に見える友達の方へと向かった。
友達の背後にはアーケードゲーム用のマシンが見え、画面にはデモムービーが流れっぱなしになっている。
「お、来たな勇輝」
「あまり待たせるのは悪いと思ってな」
互いに顔を会わせると、ポーチバッグから数枚のカードを取り出す。
カードの端にはバーコードのような物があり、カードには何かのモンスターと思われるイラストと強さの基準となるステータスがテキストに書かれている。
「んじゃ、早速対戦するとするか」
「おっけぃ。こっちの準備は万端だ」
ポーチバッグから財布を取り出し百円玉を一つ投入すると、マシンの下部にあるカード取り出し口に一枚のカードが出てくる。取り出し口に手を突っ込み、取り出して内容を確認した勇輝はそれをジーンズのポケットの中に入れた。
そして、ゲームのプレイヤーが操作出来るように画面が移り変わる。
一人で遊ぶモードに二人で遊ぶモードなど、よくあるアーケードゲームに用意された選択肢から二人で遊ぶモードを選択するボタンを押すと、もう一つ百円玉を投入するようにモニターから指示が出る。
最初の百円玉は勇輝が入れているため、二つ目の百円玉は友達が投入した。最初に百円玉を入れた時と同じようにカードを取り出し、勇輝は左側に、友達は右側の方へ立つ。
その間に再び画面が移り変わり、カードをスキャンするように画面から指示が出る。
「お前が使うのは……あ、やっぱりそれなのな」
「当たり前だろ。これが俺の好きな奴なんだから」
勇輝が親指と人差し指で摘んだカードを機械の中央に空いている空間に通すと、カードのデータがスキャンされ、画面に映された誰も居ない草原のようなフィールドに、一匹の生き物が現れる。
その姿は上半身が機械化している深紅色のドラゴンだった。
「メガログラウモンねぇ……相変わらず、その中途半端に機械化したデザインはどうにかならなかったのか」
「うっさいわ。俺は好みなデザインだからいいんだよ」
友達の呟きに唾を返しながら、勇輝は続けて三枚のカードを連続で赤外線を通して読み取らせる。
すると、メガログラウモンの姿が画面の中で光り輝く演出と共に変化していき、やがて姿は明らかに竜とは違う、背中に深紅のマントを羽織り、胸部に刻印が刻まれている白銀の鎧を身に纏った騎士へと変貌する。
その右手には一本の槍を、左手には紋章の描かれた大盾を装備していた。
「オプションは≪それでもへっちゃら!≫に≪生き残るために≫と……≪デジソウルチャージ≫か。思いっきり単騎でやる気満々だな。てか、やっぱり早速進化させるのな」
「まぁな。完全体だとやっぱり厳しいし……てか、そういう雑賀はいつも究極体を即スキャンしてるじゃねーか」
「対戦ゲームはパワーの数値が全てだ。さぁて、そっちがそいつならこっちはコイツでやらせてもらうぜ」
互いにツッコミを入れながら、今度は友達――雑賀がカードをスキャンさせる。
画面上に出現したのは、顔に両目と額の部分に穴が開いた仮面を被り、黒いジャケットのような服を着ており、腰の部分に爬虫類を想わせる尻尾を伸ばした両手に拳銃を携えた……バイクの似合いそうな魔王。
そのデジモンの名を、自身が登場させた騎士の名と同じぐらいに勇輝はよく知っていた。
「お前明らかに狙ってるだろ……デュークモン対ベルゼブモンとか」
騎士の名はデュークモン。
魔王の名はベルゼブモン。
それぞれ、あるアニメに登場し競演した実績を残している人気のキャラクター達である。
「狙ってるも何も、俺のフェイバリットはコイツなんだから仕方無いだろ。偶然だ偶然」
「……てか、ベルゼブモンってパワーキャラでは無かったような」
勇輝の指摘を無視しながら、雑賀は勇輝と同じように三つのカードを用意し、それを機械に読み込ませる。
店内に響く宣伝ムービーの音声に気を取られる事は無い。
何故なら、二人がやっているゲームの音声もそれなりに音量が高く、それが原因で周りの音に耳を傾ける事が難しいからだ。
それでも互いに会話が出来ているのは、意識を向けているか向けていないかの問題だが。
「そういやさ、お前……例のニュース見たか?」
カードの読み込みを終えた雑賀は突然、勇輝に話題を持ちかけた。
例のニュースと言う語句を聞いた勇輝は、画面内で対戦が開始される中で雑賀の話に耳を傾ける。
「見た。全然解決の目処が立ってないらしいが」
「世界中で行方不明になってるのってのが不気味だよなぁ……」
口で話題を交わしながら、手でボタンを押して技を選択する。
「ここ最近はあまり自然災害とか起きてなかったし、人がやってる事なんだろうけど……まるで神隠しだよな。お前の言う通り不気味だ」
「拉致誘拐とも考えにくいしなぁ……おっと、先手は貰ったぜ」
「早急に解決してほしいもんだ。願わくば被害者の無事を祈る……おのれェスピードの差で取られたか! だが聖盾イージスの防御力は伊達じゃぬぇ!!」
話題に内容が真剣な物であるのにゲームの話題もちゃっかり忘れていない辺り何と言うか、この二人は色んな意味で駄目なのかもしれない。
だが脳裏に過ぎった不安を忘れる、一種の逃避のための手段とも言えるのだろう。二人は確かに楽しんでいた。
お互いの押すボタンが見えないように二人は両手で自分が押すボタンを隠しながら選択する。
「ははははは! ダブルインパクトだと思ったか? 残念ダークネスクロウでしたァ!!」
「畜生め、今度はこっちのターンだ。さぁグラムとイージスのどちらの必殺技を食らいたい? 暴食の魔王名乗ってるんだから、ガードせずに食らいやがれェェェ!!」
「だが断る。お前がそこで露骨にセーバーショットを使ってくる事はお見通しなんだよ!!」
「なん……だとッ……!?」
どんどん口調が崩壊しているのだが、本人達は全く気にしない。
これらの気分の高まりがあってこその娯楽なのだから。
幸いにも二人の青年の台詞は周りの雑音に掻き消され、他人には聞こえない。
途中、勇輝が「悪魔に魂を売った者の銃弾など俺のデュークモンには当たらない!」と多少格好つけて言った直後に、雑賀のベルゼブモンの銃弾が見事に炸裂するなど、第三者から見れば内心でほくそ笑むようなトークを交わす。
「それならお返しのファイナル・エリシオン……と見せかけてのロイヤルセーバーを喰らえや!!」
「ぬぉぉおお!?」
口では喋って両手はボタンを押す事にしか使われていないが、実際に戦っているのが画面内で作られた電子のポリゴンで作られたキャラクター達。
先ほどから、槍から輝くエネルギーを放出したりなど派手な|演出《バトル》を繰り広げている。
やがて片方のキャラが倒れ、勝敗が決すると勝者が決定した。
「ぐぬぬ、スピードの差はやっぱり厳しいか……」
「銃は剣より強し! ん~やっぱ名言だなこれは」
結果のみを言えば、勇輝が出したキャラであるデュークモンが敗北し、雑賀の出したベルゼブモンが勝利を収めた。
敗者の勇輝は悔しそうな声を上げるが、その表情はすぐに清々しい物へと変わる。
「やっぱお前は強いよなぁ……次は絶対に勝つし」
「あー、それは分かったが勇輝。とりあえず後ろに次のが来てるんだから席を譲ろうぜ」
「へ? ……あっ」
雑賀の指摘でようやく自分の後ろで番を待っている少年の存在に気付き、勇輝は少し済まなそうな表情を見せながら席を譲った。
雑賀も同じく席を立ち、少年のプレイを後ろから傍観する事にしたようだ。
「お、エアドラモンとはまたマニアな奴を使うねぇ」
「まぁ、使うのは人の好み次第だし良いんじゃないか?」
平和。
それは一般的には安寧した状態の事を指す仏教用語だが、まさに今のような状態の事を指すのかもしれない。
不安を紛らわすために茶化しているだけに過ぎないが、少なくとも彼等はこの小さな平和を、現在だけでも満喫したかった。
それが例え、ただの平和ボケだと理解していても……しがみ付きたかったのだろう。
その、当たり前の平和に。
「…………」
まだ赤くはなっていない日に照らされた街。
歩道を通る人並みは言うほど多くは無く、それと対照的に車道を通る車の数は多い。
もう何度も通った事のある道なりだが、風景に楽しめる要素も無ければ愛着が湧いているわけでも無いため、ただ長いだけ道はただの消化作業のようにも思えてくる。
そうなれば自宅に帰るまでの間、自身の退屈を紛らわせる事が出来るのは脳裏に過ぎる妄想や想像ぐらいだろう。
勇輝は機械が同じサイクルの作業を行い続けるが如く、手と足で自転車を操りながら自宅への道を進んでいる。
そんな中、頭の中の思考回路は平常運転だった。
(家に帰ったらどうすっかな……宿題は今の所余裕があるし、適当にBGMでも流しながらネトゲでもすっかな……)
無意識の内に鼻で自分の好きなアニメの曲を歌い始める勇輝は、車道から聞こえる五月蝿いクラクションやエンジンの音に特に反応を示さない。
市街に響く音は、常に車の音だと相場が決まっている。一々反応をしていては疲れるばかりだ。
(ホント、今思えばゲーム以外に休日にはやれる事が無かったな……)
内心で自分自身に大して自嘲気味に呟く。
大して疑問にも思っていなかった事で当然だとも思っていた事だが、それ自体が疑問を招じさせる問いだった。
(……だけど、他にやれる事が無いんだよな……)
だが出来る事が無いかと自問自答を繰り返しても、決定的な答えが出る事は無かった。
運動や学問に興味を感じられない。
毎朝液晶画面を眺めても、その先で起きている出来事はあくまでも他人事。
(退屈だなぁ……)
「……はぁ」
変化の見えない日常。将来の夢が浮かばない自分。
いくら頭の中で考えても、答えを得られない事が余計に不安を煽る。
(――――)
不意に脳裏に思考が過ぎる。
「……ッ!?」
思わず自分で考えてしまった事に、勇輝の思考回路は拒絶反応を起こしハッと正気に戻る。
自分でも狂っていると思ったのだろう。
その思考を瞬時に別の物に入れ替える事で、何とか誤魔化す。
そんなわけが無いと自分に言い聞かせるが、彼は気付かない。
無意識の内に、自転車を漕ぐスピードを上げている事に。
まるで逃げるようにペダルを押す力を強めている事に。
(落ち着け……)
外側の表情は変えずに、冷静に深呼吸をする事で自分の心を落ち着かせようとする。
そんな彼の視界に、高校生になってからはあまり来る事の無くなった公園が見えてきた。
少なくとも偶然とは思えない思考に、自然と自転車を自宅とは違う方向へと向ける。
(……別にちょっとぐらいいいよな。帰る時間が遅れても特に支障は無いわけだし)
疲れた体と気分を少しでも癒すためか、それとも単なる気まぐれか。
勇輝は自身の衝動にも近い思考に任せて、公園の中へと向かって行った。
到着した公園は特徴と言える物体のある場所では無く、滑り台やブランコといった遊園用のオブジェクトがそれぞれ一つずつ設置された、いたって普通の公園だった。
地面は草原が生えているわけでもなく、学校の体育などに使われるグラウンドのような砂地が広がっている。
無造作に小型のゴミが捨てられていたり、タバコの吸殻が灰皿に置かれる事無く放置されていたり、あまり良い気分のする光景では無い。
公園の周りには囲うような形で植えられた植林があり、それらが唯一公園を彩る植物だ。
草花の姿はそれ以外にまるで見えない。
こうして見ると、まるで小規模な砂漠の上に遊園用のオブジェクトを飾っただけのような場所だ。
勇輝はそんな公園に二つ並んだ状態で設置された、茶色いベンチの一つに腰掛けていた。
自問自答の思考を繰り返すものの、納得が出来る答えは得られずにいる。
「……無限大な夢の後の、何も無い世の中……か」
昔の公園の風景と今の公園の風景を重ね合わせながら。他の誰も居ない、人気の無い公園でたそがれるように一人の青年が独り言を呟く。
「……分かんないな」
それは何に対して言った言葉なのか、勇輝自身にも分からなかった。
「……はぁ」
少ない間に何度したかも分からないため息を吐きながら、勇輝はポーチバッグからカードを取り出す。
そのカードは、ゲームセンターで使用していた騎士のキャラクターのカードでは無く、赤い色をした恐竜のようなキャラクターのイラストが載ったカードだった。
「……もう、10年ぐらい前なんだっけな」
そう呟いた勇輝の脳裏に映ったのは、まだ小学生だった頃に見たアニメの映像。
今の自分からすれば笑いものの、フィクションとノンフィクションの判別が付かなかった少年時代。
忘れたいと当時は思った事すら、今では楽しかったと思えている。
だが、過ぎた時間が戻ることは無い。
「ま、今更後悔したって仕方無いよな……」
カードをバッグに戻し勇輝は立ち上がった。何かを振り切るように。
気付けば、此処に座り込んでから結構な時間が経ったようだ。
太陽も夕日に変わり、既にほとんど落ちかかっている。
公園に来るまでは全く感じなかったが風の温度も冷たくなってきて、肌寒さも感じ始めてきた。
「……暗くなってきたし、そろそろ帰るか」
自問自答の答えはいつか、これからの人生でそう遠くない未来で得られるだろう。
そう内心で確信付けながら、勇輝はバッグの中身に不足している物が無いかを確認した後、自転車に向けて歩を進めた。
――その時。
「……君、ちょっといいかい」
急に知らぬ声で背後から呼び止められ、一瞬驚いたものの平静を装いながら後ろに振り向いた。
振り向いた先に居たのは、上半身から下半身までを覆い隠す厚めの濃い青色のコートを着た、背丈の大きめな黄色い瞳の色をした男性だった。
この季節にその格好は、一体何を考えたチョイスなんだろうと勇輝は内心で疑問を覚えた。
「えっと……何ですか? 俺、一応急いでいるので用があるのなら早急にお願いしたいのですが」
何処か不気味さを感じるその男性に対して知らず知らずの内に胸騒ぎを感じたが、きっと寒さの所為だろうと自分の中で納得させながら勇輝は一応返事を返した。
男性の方は……勇輝の表情を見ると、微かに笑みを浮かべる。
勇輝からすればほんの一瞬しか視認する事が出来なかったが……まるで、人間以外の何かを見るような残酷な目だった。
思わず勇輝は、全身の毛がそそり立つような錯覚を覚えた。
この男性は一体何者なのだろうか。
その疑問を解決するために、男性に対して問いを飛ばすよりも早く……男性は口を開いた。
「突然呼び止めてすまない。少しこの辺りで、探している子が居てな。君はこの辺りで『ユウキ』と言う名の男の子を知らないか?」
「え?」
勇輝は思わず、緊張を含んだ声を上げた。
それもそうだろう。知り合った経験も無い人物に、苗字では無く名前を的確に当てられたら誰でも驚く。
「俺の名前も一応『ユウキ』なんですが……多分、こんな名前をした人はこの近くには居なかったと思います」
しかし、何故だろうか。
勇輝は疑問を覚えながらも、男性の問いに返答した。
その返事を聞いた男性の表情が微かに歓喜の色を見せ始めているのは、気のせいだろうか。
……何故、勇輝の足は無意識の内に震えているのだろうか。
「そうか。では……君が紅炎勇輝君か?」
「……!?」
男性の口から紡がれた台詞は……驚愕せざるも得ない物だった。
何故この男性は、名前だけならまだしも苗字まで言い当てられたのだろうか。
単なる偶然と片付けるには、あまりにも不自然すぎる。
(一体誰なんだこの人は……!?)
知能を持った生物ならば誰しもが持っている、防衛本能が勇輝に呼びかける。
――『逃げろ』と。
しかし、勇輝が後ろに一歩下がるのと同時に……男性の右腕が勇輝の左腕をガシッと掴んだ。
「ッ!?」
その驚きは色々な疑問と驚愕が合わさったものだった。
男性に腕を掴まれたのもそうだが、男性の手から伝わる温度が……とても、冷たかったからだ。
その冷たさはそう、氷を掴んだ時と言うよりは……
「クッ……!!」
防衛本能に従い、勇輝は男性の腹部に加減無しの蹴りを一撃見舞って、掴んだ手を強引に引き剥がした。
そしてポケットに手を突っ込み、自転車のカギを取り出す。
逃げなければ、何か取り返しのつかない事態になってしまうかもしれないと言う不安……いや、確信が勇輝の思考回路に過ぎり、思考から平常心を奪っていく。
『自転車に乗り、全力で漕いで逃げれば流石に追いついてはこれない』
……その思考を読み取ったと言うよりは、それ以外に手段が無い事を確信したような表情をしている青コートの男性は……一人、独白する。
「流石に運動能力は高いな。だが……」
男性は自身の腕を野球のボールを投げるように曲げると、それを離れた距離に居る勇輝に対して振り抜いた。
(……なッ……!?)
すると、男性のコートの裾から白い包帯のような物が勢い良く、、まるで蛇のようにしゅるしゅると伸びていき、その包帯は勇輝の右足を絡め取った。
「!!??」
ただの包帯とは思えない強度に引っ張られる形で、勇輝は前のめりに転倒してしまう。
「ゲームオーバーだ」
「!!」
そして、包帯に足を取られて動けない勇輝の首元に、男性は何処からか取り出した機械を当て……
――バチィ!!
その意識を、狩り取った。
『先日、またもや「消失」事件の被害者が発生しました』
『今回の被害者は――――市在中の――――紅炎勇輝18歳』
「……嘘、だろ……」
世界から人間が、また一人消失した。
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