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その空間には、人の気配が存在しない。
辺りに存在するのは紛れもなく都会に数多く存在するコンクリートの壁であり、外側から内部を覗き見る事も出来うる窓も存在し、人間の能力に見合った数多くの機材だって数え切れないほど有るにも関わらず、その空間には人間と呼べる存在がただの一つも存在しておらず、建物として全く機能していないように『普通の人間には』見える。
そんな、現実の世界でも電子の世界でも無い場所に、来訪者が存在していた。
上半身から下半身までを覆い隠すほどの蒼いコートを着た、紛れも無い人間の男性が。
男性は室内に存在する一つの『一般的な』デスクトップパソコンの前に立ち、何も言わないまま電源を起動させると、そのまま液晶画面の傍にある端末へ手で触れる。
それだけで、本来人間が電子上の情報に介入するために必要とする、キーボードもマウスも何も使っていないにも関わらず、液晶画面には男性が必要とする情報が自動で浮き出てきた。
それは、本来厳重に管理されていて然るべきはずの個人情報。
名前や年齢、経歴など様々な情報が記されているそれは、過言でも無く個人の強みや弱みを握りかねない代物だ。
躊躇も無く情報を閲覧する男性は、ある一名の『人間』の情報を視界に入れると、表情を変えずに反応する。
「……ふむ」
記述された個人情報の中には、証明写真を元とした『顔』も存在している。
男性が見ている物には、肌の色はいかにも『一般的な』日本人のそれをしていて、黒色の髪を持ち、推測されるに歳は10代後半の男の子の顔が写されている。
証明写真を撮る際の服装は基本的に正装である事が多く、身だしなみや顔立ちも大抵が『嫌なイメージを持たれないために』ある程度整えられているため、写真一枚で個人の特徴を読み取る事は難しい。
そればっかりは、実際に会うぐらいしか確認する方法は無いのだ。
七月の十二日の夕方――――紅炎勇輝と呼ばれる『人間』を捕まえた時と同じように。
(……現実世界では、紅炎勇輝が行方不明になった事が流石に報道されている頃か。まぁ、現実世界の技術で『我々』の犯行を調べ上げる事は難しいだろうから、気にする必要も無いのだが……)
悩むような表情を見せる男性だが、実際に悩んでいるのか、そもそも何に悩んでいるのかまでは誰も分からない。
そんな『彼』の手には、一つの白い携帯電話があった。
彼はその小さな液晶画面を立ち上げると、電話番号も入れないまま音声を発信及び受信するためのスピーカーに向けて――より厳密には、自身の話相手に向けて声を出した。
「どうせ機関の情報か何かから知っているのだろうが、この数週間の間に、お前からのオーダーである『作業』を俺の方は必要な数だけやり終えた。そろそろ大題的に『組織』が活動を開始する時期に入ったと見て良いのか?」
『わざわざ問う必要も無いと思うのだがな。既に「種植え」は済んだのだから』
聞こえたのは、異常なまでに透き通った邪な物を感じられない声だった。
ドキュメント番組で表情をモザイクで隠した状態の人物の出す音声よりも、人間の声とは明らかにかけ離れた声。
喜怒哀楽の全てを内包しているその言葉を聞いた男性は、軽くため息を吐いて言う。
「……まったく、やる事を大きさを考えれば理解も出来るが、随分な回り道を通っているものだな」
『「紅炎勇輝」が手順に必要な要素である事ぐらいは君も理解しているはずだが?』
「分かっている」
声の主に向けて皮肉染みた声を漏らす男性は、一切の迷いも見えない表情のまま言葉を紡ぐ。
「役割は果たす。私自身の目的を果たすためにも、な」
携帯電話の電源を切り、男性は窓の外へと視線を向ける。
時は、七月十三日の午前九時を切った所だった。
◆ ◆ ◆ ◆
友達の行方が消失した。
先日、互いに顔を見合わせ、遊びあった友達――紅炎勇輝が事件に巻き込まれた事を知ったのは、本日の朝にニュースを確認した時だった。
現在、白色のカッターシャツを黒色のズボンに入れ込み、革のベルトで固定させた一般的な学生の衣装をした少年――牙絡雑賀(がらくさいが)は、自分の通っている学校で科学の授業を受けている最中であるのだが、どうしてもモチベーションが上がらずにいた。
(……どうして、よりにもよってお前が巻き込まれるんだよ……)
先日別れた後に何かがあったのか、推測しても何かが思い浮かぶわけでもない。
実際に事件の現場に立ち会った事があるわけでも無く、外部から与えられた情報を元にしているだけな所為だ。
テレビや新聞に自分自身が本当に納得を得られる情報は無いし、仮に納得が出来たとしても、それは友達が消えた事を『受け入れる』事になってしまう。
それだけは、絶対にしたくない。
してしまったら、彼は『友達を失った』という事実を本当の意味で飲み込むしか無くなってしまうから。
(大体、最近のこの事件は何なんだよ。こんな事が現実に存在してるんだったら、既に何か解決のための行動が行われて『手がかり』の一つぐらい掴めてるはずだ。犯人の意図は分からねぇけど、こんなの拉致と変わり無い。何十人かの子供とかを人質にでも取って、政府に交渉しようとでもしてんのか……?)
それが今のところ、『消失』した人達が生存している事を前提とした現実味のある回答だとは思う。
現実に『行方不明』が題となる事件での生存者は少なくて、大抵は見知らぬ場所まで連れられた後に『最悪な末路』を辿る事ばかりだとしても、今回の事件までそうだとは思いたくない。
現実を飲み込むのは、実際に事件に巻き込まれた『被害者』の姿を確認した後でも遅くない。
だけど。
(……警察『だけ』で、本当にこの事件は解決出来んのか?)
根本的な問題として、ただの一般人が何をしても事件を解決する事は出来ないだろう。
だけど、身内という『関係者』であるにも関わらず、助けになるような情報に何一つ心当たりが無い事が、どうしてももどかしい。
推理小説などで地の文にひっそりと隠されている『ヒント』も、何らかの形で描かれたダイイングメッセージのような『痕跡』さえも見つからないのがこの数ヶ月の間に続いている事件の特徴である事は分かっていても、何かが欲しい。
警察が事実を隠蔽している可能性は低いだろう。
何か『手がかり』さえ発見出来ているのなら、それだけでも市民が浮かべる不安を少しは払拭出来る。
その効果を分かっていながら隠しているのならば、既に警察という機関が機能を発揮していないとも言える。
市民の安全を守る事に重点を置いているはずの機関が、むざむざ捜査に手を抜いているとは思えない――思いたくない。
結局、この事件を引き起こした人物は何を目的に様々な人の行方を『消失』させているのだろうか。
殺戮から繋がり生まれる快楽のためか、もしくは拉致をした後に遠い場所まで居を移しての人身売買か。
不思議と、雑賀にはそれ等すべてが間違っている気がした。
「…………はぁ」
思考を繰り返している間に、マシンガントークのように教科の内容を口にしていた教師による授業が終わり、次の授業が始まるまでの休み時間を迎えていた。
適当に一礼してから教室を出る。
目的の教室まで歩を進めている途中、横合いから声を掛けられた。
「お~い雑賀。随分と沈んでるみたいだが大丈夫か~?」
「……なんだ、お前か」
雑賀に話しかけてきた眠そうな目の人物の名は縁芽苦郎(ゆかりめくろう)。
雑賀や勇輝と同じく高校三年生で、友達――と呼べるような存在では無い知り合い程度の関係を持つ男だ。
「朝礼の時に先生からも言ってたし、お前だってもう知ってるだろ。勇輝のやつが事件に巻き込まれて行方不明になった事」
「あん? なんだ、そんな事で気落ちしてたのか。てっきり小遣い大量に吐き出したのに期待していた物が手に入らなかったとか、そういうもんだと思ってたのに」
「喧嘩売ってんの?」
「俺の性格は知ってるだろ。他人がどうなろうが、いちいち気にするほど慈愛に満ちちゃいないよ俺は」
「……だとするなら、俺に話しかけたのは何が理由だ? 用件も無く話し掛けて来るような奴じゃないだろお前は」
「あ~、それはアレだ。単純に言いたい事があるだけだ」
苦郎は本当に退屈そうに欠伸を漏らしながら言う。
「別に強制はしねぇけど、そんな風に同じ場所で暗い雰囲気を撒き散らしてるとこっちの気分に害が出んの。少しは割り切ろうと努力しろ」
「……それがあっさり出来るのなら、ただの薄情者だな」
「学校にまで来て、割り切れずにうじうじしてるだけの奴もどうかと思うが」
何も知らない癖に、知った風な口を利く。
この苦郎という男と出会ってから、今まで一度も他者の出来事に対して大した反応を示した所を見た事が無い。
今回のように生き死にに関わるほどのものであっても、対岸の火事やテレビの中のニュース程度の認識しか持とうとしない。
表情からも声質からも、切迫とした色を感じない。
ついでに、嫌味染みた悪意も。
(……それでいて天才なんだからタチが悪いんだよなぁ)
ハッキリと言って、雑賀はこの男の事が苦手だった。
こちらから何を言っても言葉を受け取っているのかどうかすら分からず、一方で自分の意見は堂々と言ってくる辺りが気に食わない。
一応憎めない部分もあるので、嫌いと言う程では無いのだが……やはり苦手だ。
そんな思考を雑賀がかべている事を知ってか知らずか(高確率で後者)、苦郎は歩きながら言葉を紡いだ。
「あ、そうそう。もう一つ言いたい事があったんだった」
「お前ともあろう奴が珍しいな。何なんだ?」
「そんなに『事件』が気になるんなら、自分の目と足で調べるこったな。他者から与えられる情報よりは信憑性のある物が得られるだろうし」
好き放題言って、苦郎は歩き去ってしまった。
雑賀は思わず呟く。
「……安楽椅子探偵か何かかよアイツは」
学校に来る時以外はほとんど外に出かけたりしていないのにあんな言葉が出るのだから、やはり苦手な男である。
しかし、言葉には頷けた。
無知な状態から脱却するためにも、学校が終わったら何かしてみようと雑賀は心に誓った。
尤も、具体的な案は何も無いのだが。
◆ ◆ ◆ ◆
その青年は、病院の一室で窓を眺めていた。
寝床から掛け布団までも真っ白いベッドの上で横になり、その目で外だけを眺めていた。
「………………」
憂鬱そうにしている青年は、溜め息すら吐いていなかった。
そんな事をしても意味が無いという事を、きちんと理解しているからだった。
「………………」
病院での生活も、何日経ったのかさえどうでも良い。
時折、両親や友達が見舞いに来てくれる事はあっても、心境に変化は無かった。
「………………」
青年は片手で布団の端を掴み、そのまま立ち上がろうとしてみた。
だけど、一本の腕と一本の足のみでは、バランスを取る事も出来そうに無い。
無駄な行為だと分かっていても、納得なんて出来るわけが無かった。
奇跡的に命は助かっても、その先に自分の見ていた『夢』が見えなくなった。
大らかに膨張させた表現などでも無く、青年は本当に『それ』を体験しているのだ。
生きている心地なんてしていないし、このまま退院したとしても出来る事なんて高が知れていた。
だから。
自分のすぐ傍に『誰か』が近付いている事に気がついていても、驚いたような反応の一つさえ無かった。
「……ほぇ~、こりゃあ想像してたより思いっきり絶望してんなあ」
知った風な口を利かれても、青年の知った事では無かった。
ただ、事情を知っているのなら話相手ぐらいにはなるか、程度の認識を青年は持っていたらしく、首さえ動かさないまま後ろの『誰か』に声を掛けた。
「…………誰なんだ?」
「誰でもいいだろ。俺が来なくても、別の誰かが代わりに行くだろうし」
「?」
どうやら、見舞い目的に来たわけでは無いらしい。
その声質自体は三十台前半の大人のような雰囲気を感じるが、大前提として聞き覚えの無い声だった。
「なぁ。突然だが、お前の望みを叶える方法があるって言ったらどうする?」
「……望み?」
「お前が一番願ってるだろう事だよ。なぁに、方法はシンプルだ」
その『誰か』は、わざととでも言わんばかりに悪意をチラ付かせながら、青年に向けて自分の告げたい事を告げた。
言葉通り、望みを叶えるのにとてもとてもシンプルな方法を。
「なぁ、お前は『人間』をやめてみる気はあるか?」
◆ ◆ ◆ ◆
第三時間目の授業科目は体育。
そして、夏場の学校の名物と言えば水泳である。
男子女子、それぞれがプールサイドにて学生指定の水着を着用しており、現在進行形で準備体操の真っ最中。
当然その中には、別に水泳が好きなわけでも何でもない男子高校生こと雑賀の姿もある。
(……水泳とはよく言うけど、ぶっちゃけこれって水遊びみたいなもんだよなぁ)
学校で行われている水泳の授業をやっても泳ぎが上手くならないという話はよく聞くが、その原因はそもそも『泳げるようになるため』に練習するためでは無く、どちらかと言えば『水の中での運動』を意識しているからだという。
その上で『泳ぎ』そのものを上手くしたい、もしくは選手を目指したいと思っている人物が、主に水泳の部活動に参加するらしい。
プール特有のハイターを混ぜた水のようなニオイに慣れない雑賀だが、とりあえず教師の指示に従って泳ぐ。
手のひらで水を搔き分け進んだ先には、当然ながら反対側の壁がある。
基本的に生徒はプールの端から端まで足を床に付けずに泳ぎ切り、それを何回か繰り返すのだ。
(しんどいなぁ……そりゃあ、夏だからこういうのがあるってのは分かりきってるんだが……)
ゴーグルのお陰で目に水は入らないが、泳ぐ途中で呼吸した際にうっかり水を飲んでしまう時だってあり、おまけに例の『消失』事件もあって、正直言って気分は良くなかった。
正直、夏場の水泳というシチュエーションには飽きている。
とっとと終わらせて調べ物に移行したいと思っているが、最低限の学業をすっぽかすわけにもいかなかった。
途中、誰かと話す事も無いまま授業は終わり、それぞれは更衣室にて衣服を制服に戻す。
『消失』事件の影響で、学習活動は一時間目から四時間目――午前中が終わると共に終わり、そのままそれぞれの教室にて終礼の時間となる。
足りない分の学習量は、その分だけ量が増し増しとなった宿題によって補う事になっていて、一部の学生からすれば嬉しかったりも迷惑だったりもする話だった。
尤も、理由が理由なのでそういった感情を表に出す人間は少ないのだが、雑賀にとっては好都合だった。
学業を終え、彼は彼なりに事件の手がかりを追い始める。
◆ ◆ ◆ ◆
自宅に帰って昼食を食べてから約三十分後、現在進行形で情報収集を開始する雑賀。
結局の所、彼は自分の足で調べるよりも先に、他者の遺した情報を参考にする事しか思いつかなかった。
(……つーか、そもそも『犯人』の特定が出来ないんじゃあなぁ。現場には足跡が『被害者の物しか』残されていないらしいし、調べる事がそもそも出来ない。大体の話、どういう手段で『誰からも見つからずに』人間一人を連れ浚えるんだ……?)
完全犯罪の手口は基本的に『手がかりを何も残させない』事にある、と雑賀は思っている。
隠すとか、判別をつかなくさせるとか、そんなレベルでは無く『本当に』どうやっても見つけられない状態を作り出し、自身の『罪』に繋がるものを隠滅する。
例えば、一人の人間を殺した犯人の場合、凶器に自分の指紋を付けないために手袋を装備するのもそうだが、凶器そのものを地中に埋めたり数多の残骸に変貌させたりゴミとして処理したりする。
一方で、殺し終えた死体はどうするか。
こちらの場合、方法は様々だが大前提として死体を『見つけられない場所に』隠すためには、警察や周辺の住民の目から逃れた状態で移動しなくてはならないわけで、警察でも捜せない道が必要になる。
目の届かない場所にさえ来れば、後は重りを乗せて海底に沈めるなりなんなり出来る(と思う)。
だが、この市街地には裏道と呼べるほどの路地はほとんど存在しない。
仮に存在したとしても、そこはむしろ怪しさから警備の目が行き届いている場所だ。
架空の物語のようにマンホールの下を通過しているとしても、どの道地上に出ないといけなくなり、出た所を見つかれば容疑者としての疑いは避けられなくなるので同じ事。
まず『人の目に付く場所』はこの事件に結びつかない、と雑賀は思う。
逃走に使っている『足』が何なのかも重要だが、そんなものは確定的に『車』の一択である。
(……と、なるとだ)
その『車』のどこに人間を隠しているのだろうか。
積み荷として運ぼうものなら、途中で警察が『捜査の一環』と口実を作るだけで発見出来る。
眠っている『同乗者』として扱ったとしても、指名などを調べ上げれば直ぐに気付かれる。
今時、特別待遇で検査を見逃してもらえるような人物なんていないだろう。
自動車以外の移動手段として代表的な乗り物と言えば……。
(……電車は確かに大量の人込みに紛れる事が出来るし、一度に多くの距離を稼ぐ事が出来る。だけど、当然そこにも警備は存在する。調べる物を『人間大の荷物を運べる』物にだけ限定すれば他の客の迷惑にもならないし……第一、防犯カメラだってある。同じ理由で飛行機もアウトだ。だが、ああいうの以外に多くの人間の中に紛れる事が出来る『車』なんて……バスはバス停という『固定された目的地』に警備を設置するだけで見つかるし……)
そうして考えている内に、雑賀はふと思った。
そもそも、人込みの中に紛れる必要があるのか、と。
ナンバープレートを換えた盗難車という手段だってあるが、もっと身近に『固定された目的地』以外の場所に移動する手段があったではないか、と。
(……まさか、タクシーか……?)
有り得ない話でも無い。
実際、タクシーはバスや電車のように『固定された目的地』に止まるのではなく、お客様の口頭指示などによって『どこまで』走って『どこで』止まるのかを決定出来る。
その上、運転手は基本的に客の荷物を見ようともしないし、後ろの座席に乗っている時点で見る事も難しい。
何より、タクシーの中に警察が同乗している、なんて話は聞いた事も無い。
大きなトランクか何かにでも『人間』を積める事が出来れば、あるいは警察の目を誤魔化したまま移動出来るかもしれない。
だとすれば、調べるべきなのは――。
(……逃走ルート)
あまり難しく考えるのでは無く、むしろそうしている事で視野から外れているその盲点。
(それさえ分かれば、犯人が何処に逃走して居を構えているのかの思考が開けてくる。少なくとも、今の何も知らずにウジウジ悩むしか出来ない状態からは抜け出せる。このまま無力なままで居てたまるかってんだ)
せめて、一矢だけでも報いる。
この蟠りを残したまま人生を送る事になるのは勘弁だし、どの道このまま何もしないままでは自分自身の安全さえ保障は出来ない。
……実際には、調べようとする動きを匂わせたり見せたりするだけでも危険を被る可能性は高い。
だが、それを理解した上で、彼は手持ちのスマートフォンを無線でインターネットに接続する。
使用する情報源は、何分間単位で情報が更新される掲示板。
時折目にしたり写真に写したりしたものを即興で書き込めるそのサイトならば、憶測だろうが何だろうが『手がかり』を掴むのに事欠くことも無い。
やはり『消失』事件に対する関心からかレス数は多く、ネットネームを使って話題を展開している住人の会話を見ていると、やはり推理を述べる人物はそれなりに居るようだった。
だけど。
「……イマイチ、ピンと来る奴は無いなぁ……」
率直に言って、信憑性を感じられる物はほとんど無かった。
各地域から情報が集められているとは言っても、その殆どが『何故か納得の得られぬ物』としか受け取れない。
車以外にも、下水道の中に何らかの空間を秘密裏に作ってそこに隠れているとか、路地から入れる秘密の通路を通って入ったビルの中イコール裏稼業を軸としている企業の所為だとか、何かのトラックの荷物に紛れて移動しているだとか、何と言うか現実味のあるような無いような推理が立ち上がっていたのだが、その全てが『別の地域』の出来事で、そもそもそんな事は不可能である。
下水道で穴でも空けようと工事機具なんて使ったら生じる音であっさりバレるし、路地から入れる秘密の通路なんて実用性を考えても難しく、トラックの荷物なんて身を隠す事の出来る物は滅多に無い。
何より、その全てが『実際に目で見て』調べた物じゃないという事実が信憑性を低下させている。
当然の事ではあるし、雑賀自身も大きな期待を抱いていたわけでは無いのだが、やはり望む『手がかり』は遠い。
(苦郎の言ってたのはこういう事か。確かに、他者の情報から信憑性は引き出せない。こりゃあ本当に自分の足で調べに動くしか無いか……)
かと言っても、何処から探索を開始するのかさえ決まっていない状態なので、思考を広げるぐらいしか出来る事が無い。
自転車で行動出来る範囲には限度があるし、行動出来得る範囲を全て調べるには時間が掛かりすぎる。
明確なタイムリミットなんて分かるわけも無いのだが、早急に【手がかり】を掴むのなら事件が起きてからそう時間が経っていない方が良いに決まっている。
だからでこそ、どう動くべきかを考えなくてはならない。
事件の現場であった公園は既に警察が調べに入っているために探せない。
だとすれば、まずはその周辺の道順を辿ってみるべきだろうか……と、考えていた時だった。
「……ん?」
少し遠めの位置から、非常事態を意味するサイレンの音が響いて来た。
音の発生源は確定的に道路の方からで、音の感じ方からするとパトカーでは無く救急車の物らしい。
それ自体は然程珍しいとも思えない物なのだが、雑賀が疑問を浮かべたのはそこでは無い。
救急車の向かったと思われる方角には、自分にとっても関連のある建物が存在している場所があったからだ。
その場所の名を、疑問形で呟く。
「……水ノ龍高校……?」
それは、雑賀の通っている高校とは違う場所に存在する、一般的に何の問題点も耳にしない『普通の』高校だった。
自分が通っているわけでは無いため詳しい事は分からないが、救急車が出動しているという事は、学校に通う生徒か教師の身に何かがあったという意味だろう。
それも、下手をすると命に関わるレベルで。
現在の時刻は午後の二時四分――まだ日も十分過ぎるほどに登っていて、何者かが身を隠して犯行に及ぶには明るすぎる時間だ。
自分が捕まる事を前提に『何か』をした、という可能性も無くは無いのだが。
「……まさか」
これも『消失』事件と関係のある事なのだろうか。
そう半信半疑で思いつつ、危機感を抱きながらも、雑賀は自転車の進行方向をサイレンの響く救急車の停車地点に向けた。
◆ ◆ ◆ ◆
その人物――と言っていいのか分からない存在は、高い所がそれなりに好きだった。
色々な場所を高い所から眺められるという状況だけでも、奇妙な高揚感を得られたからだ。
彼は遠く離れた位置に視えている状況に対して、率直に言葉を漏らす。
「……ん、割と行動早いな。あのガキ」
あまり期待をしていなかったスポーツの試合の展開に思わぬ面白さを見い出した時のような、気軽な声調。
その瞳には獰猛な黄の色が宿っており、その視線から感じ取れるものは好奇心か悪意ぐらいしか無い。
衣服は下半身のカットジーンズぐらいしか外部からは見当たらず、都会で見る容姿としては明らかに場違いな雰囲気を醸し出している。
適当に高所から眺めていると、ジーンズのポケットに入っていた携帯電話が振動した。
彼はそれに気付くと、右手で携帯電話を取り出して画面を立ち上げ、通話用のボタンを押す。
「どうした、経過報告か何かか? ちゃんと監視してるぜ~?」
『……お前の場合、気が付くと居場所が分からなくなるからこうして確認する必要があるんだろうが。まぁ、ちゃんと監視が出来ている事には関心して……』
「ギャグのつもりか? いやぁ、割とクール系なアンタもそんな事言うのなぁ」
『今度対面したら縛り込みでアームロックするがよろしいなよろしいね』
「マジでスイマセンでした、ハイ」
彼は通話相手の言葉に危機感を覚えたのか、トラウマを思い出したような顔と声のまま謝罪したが、通話相手は無視して言葉を紡ぐ。
『で、そちらはどうなっている?』
「……あ~、病院のガキの伸びっぷりは思いのほか早い。才能の問題なのか何なのかは知らんけど、悪くはないんじゃねぇの? ていうか、アンタの方はどうなんだ」
『つい先ほど発見したが……どうなるかはまだ分からん。何せ、力を持った後の人間が行動に出るまでには、何らかの目的か計画が必要とされるからな。むしろ、そちらの動きが早いのは、既に「やりたい事」が決まっていたからだろう』
「あのガキは右腕と右足がキレーに無くなって数日は経ってたらしいしなぁ。『やりたい事』は大体想像つくがよ、一応はこれでいいのか? 正直俺の方は計画練るとかそういう分野じゃないからよ」
『構わない。「彼」がちゃんと目覚めてもらえればな』
「『彼』……あぁ、あのガキの事か」
九階建ての高層ビルの屋上から一点を見下ろしている彼は、視線をそれまで向けていた位置から少しズラす。
自転車を漕いで移動している、一人の青年の姿が視えていた。
面倒くさそうに、彼は言葉を紡ぐ。
「つーか、しゃらくせぇな。事が起きて、それに探りを入れさせる形で巻き込ませる。そんな事しなくても、とっとと『仕掛けて』みればスムーズに進行出来るだろうに、どうしてこうも回りくどい方針にすんだ? 俺かアンタにも出来ない事では無いだろうに」
『私達が安易に介入した結果、何らかのイレギュラーが発生する可能性だってあるだろう。そもそも「彼」だけでは無いのだぞ? 計画に必要とされるピースは』
「つまり、あっちがあっちで『勝手に』成長してくれるのに期待して、俺達は変わらず促す事に集中しろって事か」
『そういう事だ。多少の「誘導」は奴がやってくれるだろう』
聞いていながら、彼は気の抜けたように背筋を伸ばす。
校長先生の話などが駄目なタイプなのか、もしくは睡魔でも襲ってきているのか、同時に欠伸も出てきた。
「……っだ~、退屈だわホントに」
携帯電話越しに聞こえる声に、通話相手は呆れた風に言葉を漏らす。
それは、明らかに、人間が話すような内容とは違うもので。
『お前の場合、下手すれば天災を呼び出してしまうだろう。むしろ今は何もするな』
「あ~? 天災とかご大層な表現するのはいいが、俺のはまだマシだろ。大体、このご時勢に火力自慢なんて何にもならねぇよ」
『こちら側の世界でも「あちらの世界」でも、十分天災クラスだろう。子供……ではあるかもしれないが我慢しろ』
「へいへい」
そして、彼は通話の最後をこんな言葉で締めくくった。
「ま、しばらくは高い所から傍観するとしようかね。脇役がどんな風に力を使うのか、興味が無いわけでもないし」
◆ ◆ ◆ ◆
結論から言って。
雑賀は救急車が向かった先の高校の敷地内へ入る事が出来ず、外部から被害者の状態を調べられずにいた。
(……そういやそうなんだった。普段は意識してなかったけど、基本的に学校ってのは『関係者以外立ち入り禁止』なんだよな。こりゃあどうすりゃいいかねぇ……)
水ノ龍高校では無く、別のとある高校の生徒である雑賀は立場上この学校の敷地内には許可無く踏み込めない。
本当ならば何らかの事件が起きたのであろう場所を警察よりも先に調べ、何か『手がかり』に繋がりそうな情報を得たかったものだが、思いっきり出鼻を挫かれてしまった。
生徒が被害に受けた直後で仕方の無い事ではあるのだが、校門の外側から手を振って教師を誘導しようとしても、マトモに相手をしてもらえなかった。
この分だと、病院の方でも意識不明となっているらしい被害者の生徒の件で忙しくなっているだろうから、救急車を追っても今は情報を入手出来ないだろう。
そんなわけで、再び手詰まり状態となってしまった。
結局、今頼りに出来そうなのは自分自身で得た情報でしか無さそうなのだが……。
(ネットの情報は現状だと信憑性が低い。地域別の『つぶやき』は事件解決に繋がる情報が薄いだろうし……やっぱり、ここに来る前に決めた方針で行くか……?)
そんな風に、気持ちを切り替えて自転車をこぎ出そうとした時。
唐突に、ポーチバッグの中に仕舞っていたスマートフォンがメールの着信音を鳴らした。
「あん?」
思わず、疑問を含んだ声を漏らす雑賀。
彼はスマートフォンを持っているが、メールのアドレスを登録している相手は家族の物ぐらいしか無い。
この時間帯に家族からメールが来た覚えは無く、家族以外からメールを貰う事なんてまず無い。
そのはずなのに、受信したメールは明らかに家族からの物では無かった。
内容に、目を通す。
『FROM・お前の味方以外
TO・牙絡雑賀
SUB・ヒント
本文/お友達の行方を知りたいんなら午後二時半以内に「タウン・オブ・ドリーム」一階のカフェに来い。来なかったら帰る』
………………………………………………………………………………………………。
「は?」
またもや疑心に満ちた声を漏らす雑賀。
全く未明の相手からのメールという時点でもそうだが、何より本文の内容が明らかにおかしすぎる。
雑賀の本名を知った上で『お友達』なんて、それも『行方』とまで記述するのであれば、それは間違い無く紅炎勇輝の事に他ならない。
そして、本当に知っているのだとすれば、その行方を知れる者は連れ去った張本人かその関係者ぐらいであるはずだ
その、人物が。
何故、こんなメールを送ってくる?
(……誘導してんのか?)
率直に考えても、罠の可能性はあまりにも濃厚だ。
だって、あまりにもイレギュラーが過ぎる。
犯罪者でありながら、身を隠さずにこんなメールを送ってくるなど、人情を利用した誘導策としか考えられない。
(……ただの迷惑メールか?)
仮にそうだったとするなら、かなり手の込んだイタズラだろうと雑賀は思う。
だが、互いに顔すら知らない関係でありながら、イタズラのために一個人の情報を入手しようとする者が居るとは思えない。
このメールの発信者が『消失』事件に関する情報を握っている人物である確立は、低くないだろう。
そして、その裏には確実に危険は待っている。
「………………」
現在時刻、二時十二分。
メールの贈り主が記述している事が本当なら、あと十八分で『手がかり』への道が閉ざされる。
行けば少しだけでも『手がかり』は手に入るかもしれないが、身の危険も当然伴う。
その二つの進路を頭に浮かべ、メールの送り主の危険性を感じつつ。
彼は、言う。
「……舐めやがって。行くに決まってるだろうが……ッ!!」
怒りを声に込め、犯罪者の笑みを脳裏にイメージしつつ、彼は自転車を目的の方角へと向けた。
もしもイタズラだったらスパムメール扱いで通報してやる、と同時に決めながら。
読み終えました。……え? これ第二章じゃなくて第二章その一なの!? そんなわけで夏P(ナッピー)です。
雑賀クンはてっきり人間界に残された一般人代表なのかな、こっから出番あるのかなと思ってましたがガッツリ主人公その2じゃねーかオメー!? 主要らしき登場人物達も揃ってきた感じがしますが、こう見ると前回のデジモン連中は敵であるフライモンすら腹黒さの欠片も無くてある意味でのどかな世界だったんだな……人間連中の方が一癖も二癖もありそうな。女性陣は皆バストサイズが言及されてたのに植物性脂肪女17歳だけ言及なくて泣いた。
幽遊白書第1話みたいな経緯を持つ、作品が作品なら主人公にもなれただろう蒼矢(名前も主人公っぽい)も初戦の相手としては異様に背景含めて濃いぞ!
ガルルモンの力を具現化させて雑賀クンは素でワーガルルモン級の力を持っているのかなと思いましたが、むしろガブモン友情の絆を途中から思い浮かべていました。というか、初戦から割と互いに心理描写が飛び交う知略戦となって戦慄。というか、どっちもヒーロー性が過ぎる。
そしてそうだよな! 少年漫画と言えば、初戦で勝利した主人公の前に現れるその時点では絶対勝てそうにない宿敵の登場だよな!! 名前からして闇の闘士かと思いきやオニスモンだった……。
それではまた続きも追っていきます。