Episode4≪≪
田舎ではとても手に入らないような限定グッズ。
学生ではとても手が届かない値段の環境カード。
当たり前のように差し出され、施されるそれらを見て。私はようやく、この世界に自分の居場所が無い事を知った。
……いいや、本当は。始める前から判っていた。
判っていたから、解って欲しくて、始めた事だった。
もはや恋と言っても過言では無い程惚れ込んだ、1枚のカードをみんなに愛して欲しかっただけなのに。
なのにふと気が付けば、私がみんなの『お姫様』で。
ああ、一体。いつ、私が。
そんなモノになりたいと願ったよ?
*
「デジモン、アクアリウム共に異常なし。……はい。返却を受け付けたよ」
「いつもありがとう、店長さん」
じゃあ。と今しがた返したアクアリウムへと手の平を向けるが、中のデジモン――ゴリモンというらしい――は、もはや私に微塵も興味が無いようだ。穴の空いた樽を模したオブジェを寝床に、銃になった右手を枕にして、鼻提灯代わりの泡を水面に向けて幾つもぷかぷかと浮かべている。
水と硝子に隔たれてさえいなければ、ぐーぐーいびきも聞こえている事だろう。
「もしかして、ずっとこんな感じだったのかい?」
「まあ、はい。餌の時くらいだったかな、反応してくれるの。……でも、ゴリラは基本的には温和な性格らしいですしね。デジモンだとしてもそういう面をじっくり観察できたのは良かったです」
「それなら良かった。君が不快な思いをしなかったのなら、短い間だったとしても、君と暮らした経験はこの子にとって有意義な時間となった筈だから」
正直眉唾ではあるが、まあ、ただでさえ不思議な生き物を取り扱っている、年季の入った店長さんがそう言う以上、実際に、そうなのだろう。
それに、何事もマイナスよりはプラスに働く方が良いに決まっている。少なくとも、私がここ数日ゴリモンと暮らしていて嫌な思いをしなかったのは本当だ。ゴリモンにとっても良い時間であったのなら、それに越した事は無い。
返してもらった手数料とレンタル料を引いたアクアリウムの代金を財布に仕舞いながら、私はもう一度だけゴリモンの方を見た。
成熟した雄ゴリラは背中に銀色の毛が生え、シルバーバックと呼ばれるらしいが、ゴリモンは全ての毛が真っ白だ。
腕が銃器になっているという異様さを除いても、現実ではまずおお目にかかれない純白の猿人。
彼がその毛並みをゆらゆらと揺らしながら水の中でくつろいでいる光景の美しさは、きっと私がいくら手持ちの言葉を並べ立てたとしても、表現し切ることは出来ないだろう。
「我々としては」
と、私の視線に気付いたのか。店長さんは小型の水槽の側面に軽く指を添える。
「今から買い取りに変更してくれても、一向に構わないのだけれど」
だが、私は首を横に振った。
このやり取りも、もはや恒例行事のようなもので。
「そうしたいのは山々なんですけれど、1匹飼いだしたら我慢できなくなりそうですし。多頭飼育崩壊? とか。そういうの、シャレになりませんしね」
アクアリウムとデジモンをレンタルした回数も、もはや両の手では足りない回数になってしまった。
それだけ、デジモンという生き物には。そしてこの店には、言い表せない程の魅力があって。
1匹選べ、だなんて。とても出来ない相談だ。
それに、これらのアクアリウムは私の生活への潤いであるのと同時に、唯一無二の『資料』でもある。
私の描く物語に『次』がある限り、その舞台には、相応しい役者を引っ張って来なければならない。
「じゃあいつか」
添えていた指をいつの間にか水槽の底に滑り込ませ、店長さんはアクアリウムを持ち上げる。
小型とはいえ水を張った水槽は重いだろうが(実際重かった)、彼はその動作に年齢からくる無理を感じさせたりはしなかった。
「もしも君が運命の子に巡り合えた、その暁には。どうか、遠慮なく言って欲しい」
店長さんの声色に、私がアクアリウムを購入しない客である事への非難は微塵も混じっていない。嫌味を言うような人では無いし、レンタルという方式は最初から合意の上だ。
だから、単純に。
運命、という言葉に。そしてただの1つだけを選ぶというの行為に。引っかかりを覚えているのは私の事情で、勝手でしか無い。
何かに一途な思いを寄せ続けるのには、いくらか前に、もう、疲れてしまったから。
「……まあ、その時は」
だというのに、きっかけとなった行為自体は形を変えて続けているのだから。本当に、どこまでも浅はかで、滑稽な話だ。
「その時で」
生返事をしながら、次の『資料』を求めて透明なアクアリウムの表面に自分の顔以外の影を探す。
モンスターの名を冠する通り、怪物然としたデジモンがいい。
人でなしの恋の相手には、やはり、人外こそが相応しい。
私は、いわゆる文字書きという人種だ。
誰に見せるという訳でもないのだけれど。昔取った杵柄と言う名のペンだけを、未だに、捨てられないでいる人間だった。
*
趣味への情熱は掻き消え、新しいモノに手を出す余裕や気力は芽生えず。高まるのはエンゲル係数ばかり、とほぼほぼ人の形をした虚無になりかけていた私は、しかしそれでも--そんなものになりかけていたからこそ、自分の空白を埋めてくれる存在を探していたのだと思う。
青い屋根が綺麗だと思ったのが、きっかけだった。
特別浮いているという訳ではないけれど、こんな町にしては鮮やかな屋根瓦は家と職場を行き来する度になんだか目について。
とはいえ普段のルートがたまたま舗装工事で通行禁止になっていなければ、私はその屋根の下にアクアリウムの店がある事を、今になってもきっと知る事は無かっただろう。
田舎町特有の閉塞感がそのまま迷路の壁になったような路地伝いに、その店は、ぽつんと佇んでいた。
見た事すら無い異国の文字を使っているせいかエキゾチックな印象のある看板や、色とりどりの光をぼんやりと透かす磨りガラスとは対照的に、ドアノブにぶら下がった『OPEN』の札はひどく簡素で、業務的で。
それらのちぐはぐ具合に、その時の私は妙に惹かれたのだった。
得体の知れない店だからと気後れして引き返さなかった自分の選択は、私の人生の中では珍しく正解であったのだろう。
モノクロ写真から歩み出てきたような老紳士の店主。幻想的なアクアリウムと、その中に住まう幻想そのものの生き物達。
夢にも描けないような世界が、こんな片田舎の一角に在っただなんて。とても信じられないのに光景は目の前にあって――私はすっかり、この店に魅せられてしまったのである。
最初に借りたのは、タンクモンというデジモンのアクアリウムだった。
とてもひとつのアクアリウムを選ぶなんてできないと思わず零してしまった私にレンタルという方式を提案してくれたのは、店長さんの方だった。
なんでもパピーウォーカー的な形で、デジモンを人に慣らすための一時預かりというのは、一応、需要があるのだそうで。
戦車を無理くり生き物に変貌させたような、デジモン自身のインパクトのある風貌にはもちろんの事、弓なりに曲がった流木をいくつか重ねて組まれた塹壕の滑らかな表面や、灰の砂利を掻き分けて水槽のあちこちに絡みつく青々とした水草の対比は見るも鮮やかで、最初のアクアリウムとして選ぶには申し分ないと、まあ、散々悩んだ末ではあるが、私はそのアクアリウムを家に持ち帰ったのだった。
机上に積んでいた本やゲームのパッケージを久方ぶりに有るべき棚へと戻して飾ったタンクモンのアクアリウムは、期待以上に私の家での時間を色鮮やかな物にしてくれた。
何せ、ありふれた日常の中に戦場の一幕のような光景が飾られていているのだ。
専用のアプリで食事を差し出せば、塹壕の中で身を屈めて鋭い牙を剥き出しにし、がつがつと頬張るタンクモンの横顔は、実際に見た事など当然無いけれど、私が想像出来得る限りの兵士の顔をしていて。
食事を見守る私にさえ向けられる鋭い眼光には、硝子越しとはいえすくみ上るような迫力があった。
しかし、さて。レンタルという形を取っている以上、この新たな同居人との生活の『区切り』を決めなければならないと。そう思った時にほぼほぼ無意識に選んでいた手段が、『筆を執る』という行為だった。
まあ、比喩ではある。筆とは言っても、実際はキーボードを延々叩き続ける作業なのだ。昔から、私の書く文字は酷く汚い。
だがそれはそれとして。長らく忌むべきモノと遠ざけるようにしていた執筆であったのに。……結局、私には文章しか無かったのだ。心の動く体験を、何らかの形で留めておくための技能は。
だから、嫌になって。投げ出した筈だったのに。
明日の自分を顧みず、夜通しパソコンと向き合った末に出来上がったのは、歯の浮くような恋の話だった。
戦車の怪物が、少女を救う話だ。銃の腕でも構わずに、1人の女の子を怪物が抱きしめる話だ。
私は話が書き上がった日の次の休みにタンクモンのアクアリウムをお店に返却して、それからは、同じ事の繰り返しである。
その時目についたアクアリウムを借りて、中のデジモンをモチーフにした恋物語を書く。出来上がったら時間のある日にアクアリウムを返して、また次のデジモンを借りる。
誰に見せるという訳でも無い。称賛も、感想も、もはや望みはしない。
誰も知らない秘密のルーチンワークは、私が自分を虚無では無いと信じ込むための縁でしかないのだから。
だから、今日も。
読みたい物では無く書いた物を積むために、私は次のアクアリウムを探していたに過ぎないのだけれど。
最近はマスターデュエルやれていませんが、ウィッチクラフトと召喚獣を組み合わせたデッキを組んだものの気づけばアナコンダからデスフェニ出してたのを憶えています。それはそれとしてシュミッタちゃんはいいぞ。
遅くなったうえで関係ない話から入りましたが、感想をば。
クソったれ冷蔵庫神に仕え続けて壊れた聖騎士と意図せずオタサーの姫扱いされて封印した女性。規模は違えど、最初は大事なものを愛でて幸せだったはずなのに、後のことからその頃の気持ちすら否定しようとしてしまう。……なんというか身につまされるものがあるというか。オタクたるもの好きなものに投じた過去は苦いものがあっても甘かったものは確かに残っているんだなと。……好きだった作品見返すかぁ。
それにしても店主に親し気な関西弁の「おっちゃん」はなんとも底知れない感じというか、その「おっちゃん」の存在のせいで店主の方の存在感もより上位存在的な方向で強くなるというか。……改めて、彼らはいったい何者なのか。エグザモンの夢の話にも絡んでいるとするなら……?
インターネットに放流された無名の個人の小説だとしても、確かにエグザモンの記憶はそこに刻まれる。「おっちゃん」がそれにブックマークするという締め方もきれいでした。
これにて感想とさせていただきます。次の話もチェックせねば